めちゃくちゃ堂々とあの方とか言ってるが第三勢力なんて存在しない 作:幽
真人と漏瑚の祐礼への所感、灰原と真依と積み上げてきた物について。
あんまり話が進まなかった。
次は、吉野の辺とかになります。
感想、いただけると嬉しいです。
(・・・・ああ、なんだ、この感覚は。)
漏瑚にとってそれ程ひどく興味を惹かれ、それと同時に憎悪と言える物を駆り立てられる物は無かった。
漏瑚がその男、といっていいのかわからない人間と会ったのは、彼らにある呪詛師が接触してきたときのことだった。
五条悟の戦闘不能、両面宿儺の器である虎杖悠仁を仲間に引き入れる。
そんな提案を聞いている中、ずっと無言でありながら、呪詛師、天内と名乗った女の隣にいるそれは目を引いた。
何故か、布製の面をつけているそれは、まるで空気のように誰にも関心を向けられない。
文字通り、ただ、そこにいるだけの存在だった。話し合いの場に唐突に連れてこられたそれは、天内の隣で淡く笑ったままそこにいるだけだった。
獄門疆の存在を話し、嬉々とした漏瑚に対してそれは初めて口を開いた。
「漏瑚様。」
「何を。」
「叶うなら、落ち着きください。あまり、騒ぎを起こすのも得策ではないかと。」
漏瑚は最初、無視をしようと思ったのだ。己に話しかけてくるそれにそこまでの意識を向ける必要は無いのだと。
けれど、何故だろうか。その声を聞いた瞬間に意識が全て持って行かれた。
何故か、わからない。ただ、その声を聞いた瞬間、関心をむけずにはいられなかった。
「貴様、何者だ?」
「私は、天内様との同盟を組まれている方に仕えております、黒と申します。」
「黒?見たところ、人間か。」
「はい、この身は人間でありますが。」
柔らかな声だ。いつもならば、気にもとめないようなとるに足らないものはずだった。
けれど、何故だろうか。
その面の奥で、男が笑っている。穏やかに、きっと笑っている。
それを理解すると、何故か、心が引かれて仕方が無かった。
「なあ、次に黒に会えるのっていつ?」
真人の言葉に漏瑚は眉間に皺を寄せた。
「またその話か。」
呆れた口調の漏瑚を前に真人は不機嫌そうに顔をしかめた。
「口を開けばそればかりだな。なんとかならんのか。」
「だってさあ。全然会えないじゃん。」
子供のように頬を膨らませる真人に、漏瑚は怒る。
「人間なんぞに会いたいなどとわめくな!」
「なんだよ、漏瑚だって会いたいだろ?」
真人のその言葉に、漏瑚は黙り込む。彼らがいるのは、丁度拠点にしているマンションの一室内に広がった領域にて、漏瑚は五条悟との戦闘の傷を癒やしていた。
彼が口に出す、黒と名乗る青年については漏瑚も会いたいと思っていた。
その青年は非常に不思議なことに、不快と感じたことはない。
漏瑚は呪いだ。
仲間意識はあれども、お世辞にも何かに対して熱烈な好意のようなものを覚えたことはない。
けれど、何故だろうか。
その青年についてだけが、なぜか好ましいと思うのだ。
黒と話していると楽しい、もっと話がしたいと思う。ただ、向かい合っているだけで心が躍る。
それは、漏瑚にとって未知であった。滅多に感じることのない感情だった。個というものに対して向けたことがない感情は、まるで甘い毒のようにむしばんでいく気がした。
それは危険だ。自分の望みを阻むきっかけになる気がした。
殺した方がいいのではないかという考えが頭を擡げるというのに、どうしても殺せない。
幸せになって欲しい、殺したくない、もっと話がしたい。
呪いである彼とは相反するような感情が、どんどんと膨れていく。
それは、花御も同じであったらしく、彼にはやたらと積極的に話しかけ、そうして花まで贈っているのを見た。
気に入らないはずなのだ。気に入ることなどないはずなのだ。
けれど、それに、好かれたいなどとふざけたことを考えてしまう。
術式か何かの力かとも思ったが、彼の力は曰く、ベクトルの操作に当たるらしく、精神的なものはなんの関係もないそうだ。
漏瑚は必死に、なんとかその感情に蓋をして、彼から距離をとることを決めた。
けれど、生まれて間もない真人はそうも行かなかった。
元より、人間という者に対して興味を持っていたということもあり、真人は初めて感じる個人への愛着というものに見事にはまってしまっていた。
自分たちは呪いだ。
ならば、所詮は他人を憎むことしかできない。が、その男だけに感じる、愛着、好意、焦がれ、親しみ。言葉にできぬ、求めてしまう繋がりを真人が気に入るのは当たり前だ。
「天内だっけ?あいつに言っても、全然会えないし。ようやく会えると思ったら、赤がくるしさ。」
不機嫌そうな彼に、漏瑚は呆れたようにため息を吐いた。
「わしらは人を滅ぼそうとしていると忘れ・・・・」
「でも、別に一人ぐらい飼ってもいいだろ?」
無邪気な声に漏瑚は真人の顔を見た。彼は、にたにたと笑っていた、楽しそうに、おぞましく、笑っていた。
「人間だといつか死ぬからさ、呪霊になればずっと一緒だろ?」
うっとりと恍惚に微笑むその様は、まさしく、恋に溺れる少女のように熱っぽい。それに漏瑚は頭を抱えたくなる、
それと同時に、いくら言っても聞かぬだろう事は理解できた。
真人にとって、それに初めて会ったとき浮かんだのは衝撃だった。だって、真人は一目見ただけで祐礼のこと好きになった。
まるで、はじけるような感覚が脳裏に瞬いた。
真人にとって、人はおもちゃであって、どこまでも遊ぶ物でしかなかった。けれど、なぜか、彼に会ったとき真人を襲ったのは全く逆の感情で。
彼と話がしたい、優しくしたい、構って欲しい、遊んで欲しい。笑って欲しい。
それは真人にとって全く覚えのない感情だった。
人に興味はある。自分を生み出した、創造主と言える物への飽くなき興味。そうして、それと同時に湧き上がってくるような憎悪。
憎しみとは違う、怒りとは違う。それとはかけ離れた、漠然とした加虐心と、侮蔑。
それが真人にとっての人間への感情だった。
けれど、その青年だけは違った。
何だろうか、彼は、これは一体何だろうか。人のはずだ。けれど、何故か彼へは同胞の呪いたち以上の感情を抱いてしまう。
まるで、親を慕う子供のように、初恋に心を躍らせる少年のように、真人は一心に青年に焦がれてしまっていた。
知りたいという好奇心、心を満たす焦がれ。全てが、真人を飲み込んだ。
「なあ、何かして欲しい事ってない?」
話す機会を設けられたとき、真人は黒にそんなことを聞いた。真人の知る中で人間というのは贈り物だとか、献身で好かれようとするらしい。
だからこそ、真人は何をしても彼に好かれようとそんなことを言ったのだ。
黒と話すだけでこんなにも心を踊るというならば、彼に好かれればそれはどれだけ幸せだろうか。
そんなことを思っていた。けれど、黒はそれに対してあっさりと言葉を返した。
「さあ、何も望みませんよ。真人様の好きにしてください。」
それに真人は驚いた。
てっきりだ。てっきり、何かしらの要求はされると思っていた。けれど、黒は何も望まない。何も望まず、好きにしろと言った。
それはどこまでも素直な言葉であった。
これは何だろうか。わからない、わからないけれど。
それでも、それは真人が会ってきた中で、一等に変わっていることだけは理解した。
笑って欲しい、すきになってほしい、その魂に触れたいと、そんなことを思った。
(なんで、こんなこと考えるんだろう?)
沸き立つような考えが浮かんでくるのに、すぐに炎のような欲求に消えてしまう。
ただ、一つだけ言えることがあった。
(欲しいな。どうしても、あれが欲しい。)
例え人が滅んでも、あれだけは飼っていたい。死んでしまったとしても、呪霊にして永遠に側に置きたい。
その熱量の出所がわからない。けれど、どうだっていい。ただ、ただ、真人はその未知の感情に心を奪われていた。
板取祐礼にとって、ある程度のことは順調に進んでいた。
(悠仁と宿儺の間で縛りをつけることはなかったが、悪い方向には進まないだろう。)
「お兄ちゃん、お肉多めがいい!」
(大体、今のところ、伏黒あわせて甚爾からの扱きを受けてるようだしな。)
「俺も、俺も!」
(ただ、上層部も悠仁を殺すかどうか意見が二つに分かれているのは分かっている。表立っての暗殺命令は出ないだろう。)
「黒、私は少なめでいいですよ。」
(ただ、夏油の奴が教団について探り出したのは面倒だな。)
「俺の分の肉は、お前が食え。」
(つって、あの教団自体、真依に作らせてる呪石の供給にしか使ってないし。探られて痛いこともない。)
「黒、締め何にしますか?」
「わあったからいったん落ち着け!真依、血塗!上から肉を強奪するな、野菜もくえ!壊相、脹相!下に肉を分け与えるな、食え!灰原、締めはまだいいからお前は食え!」
目の前には、鉄鍋で煮られるすき焼き。
そうして、その周りに集まった身内たちが虎視眈々と具材を狙っていた。
鍋物って楽で祐礼は好きだ。
なかなか拠点にしている部屋に帰ることはできない時もあるが、食事の当番の時は鍋をよくしていた。
何せ、最初に比べれば大分大所帯になったのだ。鍋ならば、栄養バランスもある程度考えられて楽だ。
両面宿儺との接触を終え、且つ、呪霊との接触を終えた後、ふらふらと帰り道を歩いていたときのことだ。丁度、町の肉屋さんといえる個人店にさしかかったとき、何となしにすき焼き用の肉が目に入ったのだ。
別に、一段落したわけではない。これから考えることは山ほどあるのだ。
けれど、なんとなく、ふっと息をつきたくなった
ちょっと高めな肉を、数キログラム買った。食べ盛りが一人と、底なしの特級もいる。何よりも、精神は置いておいても、体は高校生だ。無意味に腹は減る。
(いや、極端な話、金だけはあるんだよ。金だけは。)
情報収集で界隈で名前を売るために受けた仕事だとか、星の子の家で咄嗟に奪った資金、大々的に名前を売るために呪詛師から奪った金だとか。また、星の子の家でお布施だと言われて受け取っている分もある。正直言って、祐礼にとってそこまで金を使う機会という物は無い。もちろん、日本中で借りている拠点だとか、真依の学費だとか、日々の浪費もあるのだが、おそらく第三勢力を謳うにはだいぶお得に終わっている。
元々、資金自体は祐礼が管理しているわけだが、時折何か違うんじゃないかと思うことはある。
そんなこんなで始めたすき焼きではあるが、鍋をやると問題が出る。
真依と血塗が肉を欲しがり、二人を庇護対象と認識している壊相と脹相が率先して分け与えてしまうのだ。
祐礼がいつの間にやら鍋奉行と、焼き肉の焼き手になるのは必然であった。
灰原も平等であるが、肉が欲しいというと素直に与えてしまうため、除外している。そんなこんなでせっせと、肉と野菜をそれぞれの皿に分けている。
「というか、お兄ちゃん、今日はやたらと奮発してない?」
「確かに、いつものスーパーのパック詰めのやつじゃなくてなんか、高そうな紙に包まれてる奴だし!」
「あー、でっかいのが終わったから祝いだ、祝い。ほら、言ってないで食え、食え。」
祐礼はひょいひょいと、血塗と真依の器に肉を放り込む。
そんな彼の様子に、脹相と壊相が気遣わしげな顔をした。
「黒、こちらにあなたの仕事を回すことはできないんですか?」
「ああ、せめて上からの指示をこっちが聞けないのか?」
「・・・・仕事に関しては適材適所の部分がありますから。隠密に特化してる奴じゃないと難しいからな。上からはな。接触は、できるだけ減らしたいとの意向なんだよ。」
「融通が利かんな。」
ちっと、忌々しげな脹相の舌打ちに祐礼はなんとも言えない顔をする。
「何よりも、仕事なんてけっこう振ってるだろ。」
「ですが、私にできることなんてほんの些細なことですし。」
「仕事なんていっても、呪石の回収や、敵方の監視ぐらいだろう。お前の仕事量に比べれば、俺たちに何ができたのか。俺は、お前の兄なのに。」
わいわいと、血塗と真依が向かいで話しているのが聞こえる。ぐつぐつと煮える鍋の湯気を見つめて、脹相が小声でそんなことを語った。
それに、祐礼はため息を吐きつつ、脹相と壊相の器に肉を放り込んだ。
「そんなことはないだろ。何より、二人には一年前の高専の時は本当に世話になったと思うぞ。」
頼りにしてる。二人がいなけりゃ、きっとだめだった。
言葉少なな、その礼に壊相と脹相は不安げな顔をした。それ以上はいらないと、頑なな祐礼の拒絶を見て取り、二人は黙り込んだ。
「おーい、締め、うどんと雑炊どっちだ?」
「うどん!」
「俺も!」
「血塗と真依はうどんか。」
「黒、何か手伝うことはありますか?」
「兄ちゃんも手伝うぞ。」
「はーい、兄貴二人は嵩張るんで居間にもどれい。」
灰原と立ったキッチンでそういえば、壊相と脹相はえーなどと言いながら帰って行く。兄貴と呼ばれたせいか、どことなく嬉しそうだった。灰原とキッチンに二人で立った。
すき焼きの残り汁で締めのうどんを煮込む。
「・・・・そういや、灰原。」
「何ですか?」
ちらりとみた、それに祐礼は少しだけ黙り込んだ。
会ったときは、それこそ少年だと言っていいほどの年齢であったけれど。ちらりと見た男は、まるで年の取り方を忘れたかのようにそのままであった。
頼み事を口にしようとしたとき、ふと、男の見た目が変わらないことに意識がいった。
当たり前かもしれない。本来ならば、彼は年をとることなどなかったのだから。
「仕事を頼みたいんだ。」
「俺に?へえ、珍しい。星の子の家の石の回収はいいの?」
「あれは脹相と壊相に任せる。」
「いやあ、二人とも最初に連れてこられたときに比べて成長しましたね。」
「ああ、あれはな。」
かれこれ、呪胎九相図の三人が仲間に加わって時間も経った。兄弟を最優先するのは変わりは無いが、なんだかんだで常識という物を理解し、そこまでつきっきりにならなくて良くなったのは安堵している。
術式のコントロールにも慣れたのか、壊相と血塗は、汁といっていいのかわからないが、垂れ流しせずによくなっている。
今では、星の子の家についての管理、呪詛師への対応、また真依や灰原への訓練についてを任せている。
また、時折、嗅ぎつけてくる甚爾や夏油傑について全力で逃げるように頼んでいる。
(乙骨のときは本気で死ぬかと思った。夏油の体の一部が欲しかったからって、気軽にぶつけんじゃなかったなあ。)
本編では、彼の男は夏油の術式を欲しがっていた。そのため、祐礼は男への媚びのために用意しようと思っていた。
真依の術式は、術式を持った人間を材料に呪具もどきを錬成できる。といっても、あくまでコピーしているのは術式で、呪力を流さなくては使えないのだが。それでも、永続的に人の術式を使い回しできるのは便利だろう。
事実、炎を操れるライターは祐礼が他の役柄の時に使っている。
また、五条たちに立ちはだかった分身の術式を使った男についても回収をしていた。その死体を使い、分身の術式も用意している。
が、問題なのはあくまで永続的に術式を使うには、文字通り全てを材料にしなくてはいけない。
幾人かの呪詛師を材料にしてみたが、例えば、肘から下を切り落として材料にすればどうなるか。
呪具もどきとしては数回使えるだけで、それ以後はただのものに成り果てる。
半永久的に使うには、文字通り、命を材料にしなくてはいけない。
生半可に、腕を一本、足を一本では数回、または一回だけで終わる。
ただ、便利なのは指一本程度で使いっきりの呪具ができる。実際、真依には祐礼の術式が込められた呪具を幾つか持たせている。
祐礼が欲しがったのは、夏油傑の体の一部だ。永続的には使えずとも、数回ほど使えるならば、加茂にもメリットがあるだろう。
(まあ、見事に片腕もらったわけだけど。反転術式でまあ、元通りにはなってもそれ相応にヘイトは買ったしなあ。)
自分でやったこととはいえ、乙骨からのヘイトはわかっていても怖すぎる。いくら、乙骨から里香を引き離すためとはいえ、いっそ放置しても良かった気がする。それでも、勢力のアピールとして望ましかったと言えばそうなのだ。
「それで、仕事ってなんですか?」
灰原の言葉に、祐礼は現実に返ってきたような心地で、隣を見た。
「・・・・ああ。そうだ。指定の場所に行って、ある少年を連れ出して欲しいんだ。」
「それだけですか?」
「ああ、それだけだ。ただ、できるだけ早々とその場から去って欲しい。で、顔がこれ。」
祐礼は煮込まれているうどんを眺めつつ、灰原にスマホを見せる。そこには、どこか陰鬱そうな表情の少年がうつっていた。
「名前は吉野。気絶させてもいいから適当に連れ出してくれ。後でお前のスマホに送っとく。」
「わっかりました!」
「・・・・灰原。」
そろそろ、良い頃合いだろううどんを見ながら、火を弱める。
「言っておくが、その場で何があっても手は出すなよ。」
言い含めるようにそう言った。
元より、宿儺の指を回収するための道筋は、呪胎九相図の繋がりを使えばいい。だからといって、思い出す真人の性格から、吉野順平を見つければ放っては置かないだろう。
真人に対しては祐礼がついている気ではあるが、それと同時に吉野をできるだけ遠ざけておきたいという心がある。
ただ、あの映画館で灰原にはあの不良たちが殺されるのを無視してもらわなくてはいけない。
「・・・・だから、灰原。」
祐礼はわざと名前を呼び、自分の方に意識を向けさせようとした。それに自分の方に視線を向ける灰原の瞳をのぞき込んだ。
言葉を、発しようとした。術式を使い、その信頼を、好意を、さらに順応させようとした。けれど、それよりも先に灰原が口を開いた。
「大丈夫ですよ。」
その声に、思わず目を見開いた。何をそんなことを言うのかと思えば、灰原は朗らかに言ってみせる。
「黒のこと、俺、信じてますから。」
そういって、あんまりにも朗らかに灰原は笑った。何を根拠に、そんなことを言うのだろうか。
灰原は、煮立ったうどんの火を消した。甘塩っぱい匂いがした。湯気の立つそれを見て、灰原はなんてこと無いように言った。
「もう、十年ぐらいの付き合いになりますね。」
「・・・・ああ。」
「その間、まあ、いろんな事もありましたし。きっと、人を傷つけるようなことだってしてるんだろうなって察してはいるんですよ。でも、それ以上に、黒は優しいんだろうなって、わかるぐらいは一緒にいましたよ。」
それに祐礼は、何と言えばいいかわからなかった。
灰原にとって、黒はまるで漫画の中の悪役のようだった。
真依の話を聞く限り、彼は誘拐犯であったし、特級呪霊を仲間に引き入れている時点で、呪術師らしくはないだろう。
けれども、彼はどこまでも優しかった。雑用を頼まれることがあっても、灰原は黒に暴力を振われることはなかったし、食事だとかの資金は渡されていた。
何よりも、彼はいつだって真依を気にしていた。
風邪を引けば、できるだけ早く帰ってきたし、看病だってしていた。幾度も名を呼んで、彼女の話を聞いていた。食事だって家にいれば作ったし、わざわざ手間をかけて、真依を学校に通わせた。
灰原は、一度聞いたことがある。灰原とて、自分たちがどちらかと言えば日陰者であること自体はわかっている。
けれど、彼は手間を考えても真依を学校に通わせた。
何故、とそう、聞いたことがある。それに、黒は簡潔に応えた。
「ああいう時間は、子供の特権だろう。」
すっかりと、最初の敬語が取れた彼はそんなことを言った。入学式にも、卒業式にも、彼はできるだけやってきて愛おしそうに彼女の大きくなる様を見つめていた。
呪胎九相図がやってきたときもそうだ。
灰原も、少しだけ警戒心があった。けれど、彼らと過ごす内に、なんとなくその精神性が理解できた。
呪霊としての、当たり前のような社会性の欠如はありはしても、彼らは兄弟以外には特別に無関心で仲良くなることは基本として簡単であった。いつの間にやら、真依は彼らと仲良くなっているようだった。
付き合い方さえ間違わなければ彼らは良き隣人で、いっそのこと身内であった。それはきっと、人間だって同じだ。
そうして、黒はやはり呪胎九相図のことを気遣っていた。
行きたいと言えば遊びに連れて行ったこともあるし、常識を教えるためにつきっきりであったし、何度だって飽きずに付き合っていた。
脹相の兄であるという意見に押し切られた部分もあるのだろうが、それでも、彼はいつだって彼らの言葉を聞いていた。
灰原は、その時だって何となしに聞いたことがある。
何故かと。
それに、黒は言葉少なに呟いた。
「生きることが楽しいことだって記憶があってもいいだろう。」
何となしに、灰原は、黒が自分のことを悪い奴だと思っているのだろうなと思っている。それは確かにそうなのだろう。
真依に構築術式を使わせた、腕や足からみて、彼は人を殺しているのだろう。
けれど、それでも、灰原は例えば彼が地獄に行くべき人間だとしても、優しい人だと思うのだ。
だって、彼は灰原に人を殺させたことはなかった、ひどいことを強要することはなかった。
彼は、最初の約束通り、真依の世話や雑用以外に何も願うことはなかった。
灰原には、彼が何故くもというそれに従っているかはわからないけれど。
それでも、望んでいないことぐらいはわかるのだ。
彼はいつだって、ひだまりの中で笑う真依たちに微笑んでいた。穏やかに、まばゆい物を見るように。
わかる、それぐらい、わかるのだ。
黒という男は、誰かの幸せを願い、何よりも誰かを愛することができる人間だと。いつだって、彼は誠実であった。ずっと、誠実に、真摯に灰原に接してくれていた。真依のことを慈しんでいた。
灰原は黒の方を見た。
いつだって、彼は面を被っているか、それとも呪具で顔を変えているけれど。
「俺、あなたが優しいって知ってますから。だから、信じてますよ。あなたのこと、お互いに長い付き合いですから。」
それに彼がどんな顔をしているか、はっきりとわからなかった。
「・・・・お兄ちゃん。」
「ああ、真依か。」
真依はひょっこりと彼が仕事部屋として使っている一室の前にやってきた。
「はいっていい?」
「手短にな。」
入った部屋は机と本棚、そうしてパソコンがあるだけの部屋だ。
机に向かっていた彼はくるりと振り向いた。簡素な、事務椅子のようなそれに座って振り返る。
食事も終わり、もう、眠ればいいという状態で真依は黒に向き直った。
「どうかしたのか?」
黒は手を組んで、真依を見る。真依は黒を見上げる形で床に座る。
「ねえ、私も何かすることないの?」
「何かって。」
「灰原には仕事、頼んだでしょう?」
その言葉に全てを察したのか、黒はため息を吐いた。
「・・・・あのな、真依。お前は。」
「私だって、お兄ちゃんの役に立ちたいの!」
子供がだだをこねるような声を出せば、黒はそっと彼女の頭を撫でた。
「いいや、お前は俺にとって何よりも役に立ってくれている。だから、お前は何も気にせず学校に行ってればいいんだ。お前は、何もしなくても。」
それに真依は顔を上げて、眉間に皺を寄せた。
「どうせ、学校に行ったって、普通に就職とか無理じゃない。」
ぴしゃりとそういえば、何となしに黒が傷ついた気がした。それでも、真依は気にすることはない。せいぜい、傷つけばいいと思っていた。
黒が真依に、禪院真依という少女に負い目がある事なんてわかりきったことだった。
彼はいつだって、くもという上の存在からの任務以外は何を持っても真依を優先してくれた。学校の行事だとか、誕生日だとか、旅行にだって連れて行ってくれた。
途中から、それに愉快な仲間が加わっても、真依の人生はいつだってその男がいた。
大事にされていたと、わかるのだ。
甘やかしてくれたし、それと同時に叱ってくれた。だめだろうと、言ってくれた。手を握って、見上げた先で笑っていたのだとずっと思っている。
それでも、その裏には負い目があるのだと、何となしに気づいたのはいつからだろうか。
死体を前にしたときだろうか。それに術式を使ったときだろうか。腕や、足が目の前に転がっても平気になった時だろうか。
戦い方をたたき込まれたときだろうか。
真依にだってわかっている。自分というのは、禪院真依で、実家のことだって覚えている。
それでも、自分は帰ることはできない。真依は自分が誘拐されたと言うことを知っている。
黒が、自分のことを慈しんでくれるのも、願いを聞いてくれるのも、精一杯のことをしてくれようとしているのも。
その裏には黒の負い目があることを知っている。
黒は優しい人だ。それは、呪胎九相図や灰原への接し方、そうして育てられた自分が一番に知っている。
大好きだ。真依は、黒が大好きだ。
だって、彼は自分を愛してくれている。
(そうだ、禪院の家のことを覚えている。)
あの家での自分の扱いも、周りからの接し方も、覚えている。だからこそ、わかるのだ。
真依は愛されているのだ。優しい男に、彼がどれほどくもからの命令に逆らえないとしても、確かに真依を大事にしてくれようとしたのだ。
知っている。今まで、積み上げられた時間で、真依は自分が愛されていると理解していた。
だから、役に立ちたかった。
負い目なんて背負わなくていいから。真依はここで幸せだ。愛されていた、慈しんでくれた。
自分を否定した、たった一人の姉以外に味方のいない箱庭を覚えている。
彼はそこから連れ出してくれた、ずっと愛してくれた。
(だから、ねえ。気づいてよ。私、どこにもいけないのよ。)
わかっているからこそ、真依は怒りを抱いていた。
真依は黒さえいればいい。黒だけが、真依に普通の少女として幸せを願ってくれた。
けれど、真依は自分が普通の生活をすることができないことだってわかっていた。
ここしか居場所がない。それでも構わない。
真依はここがすきだ。呪霊と、人が混じるように生きているここが好きだ。
真依を愛してくれるここが好きだ。
帰りたくなんて無い。真依の居場所は黒の元だ。あの日、彼が自分を連れて行ってくれるといった日から、それは変わることはない。
とっくに、真依は禪院というものを捨ててしまっているから。
黒以外はどうでもいい。ここ以外がどうなろうと、気にならない。
とっくに、真依という少女の世界の中心は変わってしまっていた。
「わかった。」
掠れた声で黒は返事をした。見れば、彼はなんとも言えない顔をした。
「何かしら仕事は渡す。それでいいだろう。」
苦笑している気がした、どうしようもないと言っている気がした。
真依はまた、自分の頭を撫でる手に目を細めた。
気づけばいいのにと、そう思う。とっくに、真依の行く先は、黒と共に行くしかない。道連れは決まっているのだ。
年老いることもなく、十年経った今でも若々しい青年の手に頭を撫でられて、真依はゆっくりと目を細めた。
祐礼が考えているくもなんかの設定について知りたいでしょうか?小説の中ではたぶん部分的にしか出てこないので、関係ないと言えば関係ないんですが。
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知りたい
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別にいい