めちゃくちゃ堂々とあの方とか言ってるが第三勢力なんて存在しない   作:幽 

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今回は、真依と灰原と吉野の話です。
すいません、本当はもう一幕あったんですが、それまで足すと二万字超えそうだったので、こちらに前編を早めにあげることにしました。
pixivの方にはあわせたのをあげます。

感想、いただけると嬉しいです。


苛まれた人が騙る

「行かない方がいいよ。」

 

吉野順平はその言葉にぴたりと動きを止めた。暗い映画館の中で、吉野はけして人ではないだろうと理解できるものを見た。

己の同級生を、おそらく殺した者。

恐れを感じなかったわけではない。けれど、それ以上に膨れ上がった、憎悪。

だから、吉野はそれを追おうとしたのだ。

その人影がシアターから消えると同時に、いつの間にか自分の後ろから話しかける者がいた。振り返った先、そこには短い黒の髪の男が一人。

映画館の暗闇のせいではっきりとした顔立ちはわからない。ただ、声は若々しい印象を受けた。

 

「だ、誰だよ。」

 

話しかけられると思っていなかったせいで動揺をにじませて吉野はそれに言った。

 

「僕?僕は、灰色って呼んでくれないかな?」

 

明らかに本名ではないそれに吉野は余計に体をこわばらせた。そのまま、先ほどの人影を追うにせよ、追わないにせよ、男から逃げようとした。

けれど、それよりも先に灰色は吉野に言った。

 

「どうして、君は自分が安全だと思えるんだい?どうして、自分の家族になんの影響もないって思えるのかな?」

 

その声は比較的に穏やかであったが、それでも吉野は体を震わせた。家族、という単語に過剰なほどに反応して振り返る。

男は淡く笑って、吉野に近づいた。それによって、男がどんな顔をしているかわかった。

吉野よりも年上であろうが、童顔のせいではっきりとした年齢はわからない。

ただ、彼が浮かべた笑みは、それ以上にひどくひどく、言って何だが善良に見えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「おっそい!!」

「ごめんごめん。」

 

吉野は目の前の少女に固まった。そのまま、男の勢いに押されて映画館から引きずり出された彼は、そのまま人通りの多い方に引きずられていく。

そうして、男はとある一角に目線を向けた。

そこには数人の男たちに言い寄られているらしい吉野とそう年の変わらない少女がいた。

吉野はその少女に思わず目を引かれた。男に言い寄られるのも納得なほどだった。

艶やかな黒い髪、涼やかなモデルのような顔立ちに、人目を引くプロポーション。

ぴんと伸びた背筋のせいか、どこか品があるように見えた。

彼女は男たちを無視して、己のスマホに視線を向けている。が、それに諦めない男たちがそのまま声をかけていたが。

それに、灰色と名乗った男は堂々と少女に話しかける。

 

「おーい、紫苑。」

 

それに何もかもに関心を持たなかった少女がようやく視線をあげた。そうして、男たちをかき分けてつかつかと灰色に歩み寄る。

 

「おっそい!何してたの?」

「ごめんごめん。」

「まあ、いいわ。それで、そっちが話の奴よね?」

「そうだよ。」

 

二人は周りのことなど気にせずに会話を続ける。それに面白くないらしい男たちは灰色に詰め寄った。

 

「なに、こんな奴待ってたの?」

「俺らと遊ぶ方がずっと楽しいって。」

 

その言葉に苛立っていたらしい紫苑の眉間に更に皺が寄った。それに何かを察したらしい灰色は紫苑越しに男たちに微笑みかけた。

 

「君たちこそ、うちの娘に何か用?」

「は?」

 

さすがの男たちもその言葉に固まった。そうして、紫苑はため息を吐いた後、男たちに視線を向けた。

 

「それで、あんたたち、家族団らんに首を突っ込みたいの?」

 

ぴしゃりとそう言い返せば、男たちは何となしに気まずそうにその場から去って行く。

吉野さえも固まった。確かに、年齢については曖昧であったし、自分よりも年が上なのだろうという考えがあった。けれど、思った以上にぶっ飛んだ年齢の差について、固まってしまったのだ。

男たちが去って行くと、紫苑は非常に不機嫌そうに顔をしかめた。

 

「・・・・言っとくけど、私、灰色のこと父親とか思ったことないわよ。」

「えーひどいなあ。僕が育てたみたいなものなのに。」

 

「ちーがーう!私を育ててくれたのはお兄ちゃんよ。体操服の袋をぬってくれたのも、一緒にランドセルを買いに行ったのも、運動会の父兄リレーに出たのもお兄ちゃんよ。」

「給食のエプロンを洗ったのも、遠足のお弁当を作ったのも、参観日によく出てたのも僕なのに?」

 

灰色のからかうような反論に、紫苑はぎろりと彼を睨んだ。そうして、顔をしかめて先を歩き出した。

 

「一番上だってお昼ご飯作ってくれるし、二番目は買い物つれてってくれるし、三番目は遊んでくれたわよ。」

 

つんと澄ました言い方に灰色は苦笑した。しかたがないなあと、そんな風に笑って、そうして少女の行く方向に体を向けた。

 

「君も。」

 

それに吉野はこくりと頷いて、その後をついていく。

ざあああと風が吹いた。それに吉野は咄嗟に自分の前髪を押さえた。そして、前を歩く二人の顔がよく見えた。

少女がふくれっ面で、そうして、男は楽しげに笑っていて。

彼らの関係などさっぱりわからなかったが。

それでも、彼らは確かに家族であるのだろうと奇妙な実感を覚えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええっと、それで君たちは、その、呪術師ってこと?」

 

町外れの河川敷、何か誘われるようについていった先で、石段に腰掛けて吉野は紫苑と灰色に問いかけた。

灰色は吉野に簡単ではあるが、人間の負の感情からなる呪力、それを使いこなす呪術師、そうして呪力の集合体である呪霊の話をした。吉野は信じられないような顔をしたが、先ほどの映画館のことがあるためああと頷いた。

 

「あんた、呪霊についてこうとしたのよ?」

「え。でも、あの人。」

「人じゃないよ。呪霊は基本的に人間ぽくない姿をしてるし、知能もそこまで高くないけどね。でも、呪霊はあくまで人の思いから作られる。人間の姿をした、人の恐れる何かがいても不思議じゃないかな。」

 

その言葉は、やはり吉野にとってはあまりにも遠く聞こえる。どこか、夢の中のように現実感を欠いていた。

けれど、その脳裏に刻まれた映画館での彼のことだけは確かに現実であると理解していた。

それにじっと話を聞くだけで、己の爪をいじっていた紫苑がずいっと吉野に顔を近づけてきた。

 

「あんたさ、あの呪霊に会いに行こうって思ってない?」

 

まるで絵本の中に出てくるチェシャ猫のような笑みだった。脳内に、自分をおとしめた女のことを思い出すが、すぐに目の前の少女に記憶は塗り替えられる。

月のように蠱惑的な笑みでそれは吉野を見た。

 

「そ、そんなことは・・・・」

「別にいいわよ。死んでもいいならね?死ぬ前に面白いこともしれるかもしれないし。」

「こら、紫苑。そんなこというもんじゃないよ。」

 

くすくすと少女が笑う。幼さの目立つ声に吉野はどことなく混ざる残酷さと、そうして寒気のするようなまがまがしさがあるように感じた。

 

「呪霊はね。呪いなの。誰かを憎んで、嫌って。そんな感情の固まりよ。だから、言っとくわね。呪霊と関わって幸せな結末を迎えられるなんて思っちゃだめね。」

 

最後の台詞だけ、紫苑はやたらと格式張った、奇妙な静けさを持って語りかけた。

ああ、何故だろうか。

その言葉だけは、からかいだとか陽気さだとか、そんなものからはどこまでも遠く、忠告染みた何かがあった。

けれど、それよりもなお、腹の中で暴れる憎悪がある。頭の中でフラッシュバックする、トラウマたち。

 

(でも。)

もしも、自分にあんなことができるのなら。そうであるならば。自分は。

 

「・・・・憎いものがあるわけね。」

 

思考の中に放り込まれた言葉に吉野は勢いよく紫苑のことを見た。その少女は、まるで老婆のように静かな目で吉野を見た。

 

「そうね。いいわ。なら、私がその復讐手伝ってあげてもいいわ。」

「紫苑!それぐらいにしとくんだ!」

 

横から入った咎めの言葉に紫苑はふんと息をついた。

 

「いいじゃない。言われたのは、こいつが呪術に関わらないようにしろってことでしょ?こいつ、どうせこのまま放っておいてもあいつのこと探しそうだし。」

 

紫苑はそう言った後に、持っていた鞄から何かを取り出す。それはやたらと白い紙と、そうして簡素なボールペンだった。

 

「じゃじゃーん。これであんたに復讐させてあげるわ。」

「これで?」

「そうよ。あんた、絵心ある?」

「まあ、下手では無いと思うけど。これで何ができるわけ?」

 

それに紫苑は意気揚々と説明する。

 

「私はね、単純に言うとさっき言った呪力があれば、ある意味でなんでも作れるんだけど。これは、私が作った夢返しの紙よ。」

「夢返し?」

「縁起担ぎで初夢に見ればいいものってあるじゃない?それで宝船を枕の下に置くと、良い夢が見れるって言うおまじないがあるのよ。」

「ああ、確か見たい夢の絵とかを枕の下に入れるとか?」

「それもこの宝船の話からの派生よ。」

 

紫苑はそう言って吉野に紙を渡した。

 

「私の術式、色々便利なんだけどこういうの作るとなると、色々共通認識があったほうがいいのよね。」

 

紫苑はそう言いつつため息を吐く。

己の術式は便利だ。けれど、こういった呪いを纏った何かを作るとなると上手くいかない。言ってしまえば、どんなものが作りたいかというイメージがぶれるのだ。

呪いとは、人が人を憎む気持ちだ。誰かに憎まれているとき自意識が呪いを招き入れるのだ。

今回作った呪具もどきはそういったおまじないを元にした呪霊を分解し、そうして作ったものだ。といっても、そういった噂から派生した呪霊をいちいち探さなくてはいけないのだが。

 

「まず、大っ嫌いな奴の何かを盗むの。そうね、持ち物でも、いっそのこと髪の毛一本でもいいわ。そうして、この紙に相手に見て欲しい夢の絵を描くの。できるだけ具体的にイメージして。そうして、盗んできたものを紙でくるんで自分の寝てる場所の下に置いとくの。」

「それだけ?」

「それだけよ。そうしたら、そいつはあんたの思うとおりの夢を見るの。どんなものでもね。きっついわよ。下手したら不眠症にでもなるんじゃないの?そうね、いっそ殺すことだってできるかしら?」

 

吉野は思わずその紙を見た。確かに相手の何かを盗むのは難しいかもしれない。けれど、もしも、そんな何かがあるのなら、あの地獄のような日々を少しでも味遭わせることができるとしたら。

じっと、未だに白い紙を見る。まるで己に書き込まれる憎悪を待つような、真っ白な紙を見る。

 

「本当にいいのかい?」

 

吉野はまた顔を上げた。そこには少しだけ下の石段に座っていた灰色が立ち上がり、座った吉野と同じ目線でいた。

 

「何よ、邪魔しないでよ灰色。」

「あのね、紫苑。今の君、シンデレラの魔法使いじゃなくて、白雪姫の魔女みたいだよ。」

「ひっどいわね!私、今、こいつの魔法使いじゃない。」

「もー。すぐに力業に持ち込もうとするのやめない?」

「いいじゃない。物量こそがパワーだってお兄ちゃん言ってたわよ。」

「ここで物量で落とそうとしてどうするのさ。」

 

灰色はため息を吐いた後、吉野を改めてみた。その苦笑交じりの笑みはどこか老いていた。

 

「いいのって、いうのは?」

 

問いかけた吉野に灰色はうーんと腕を組んで首をかしげた。そうして、口を開けようとしたとき、紫苑がずいっと割り込んでくる。

 

「吉野、あんた、それ使いなさいよ。」

「ええ!?なんで。」

「私も、殺そうかと思ってる人間がいるわ。」

 

凍えた声に吉野は紫苑のことを見た。そうして、その目を見たとき。その、薄暗い目を見たとき奇妙な確信が生まれた。

ああ、この少女は自分と同じようにひどく泥のように煮凝った何かを抱えているのだと。

 

「吐き気がするぐらいに嫌いなものが。でも、それ以上に取り返したいものがあるし。お兄ちゃんにも止められてるし。今はしないけど。でも、あんたはそれで仕返しぐらいしときなさいよ。痛い目見せるだけで済ませるなら一回ぐらい、いいでしょ。」

「紫苑、だから・・・・」

「痛まなければ、理解できないことがあるのよ。虫に魂があることさえも。」

 

じっと紫苑は吉野を見た。知っている、とそんなことを言うように。彼女は吉野の手をぎちりと掴んだ。

 

「憎いって、思うことは悪くないわ。それ相応のことをされたならなおさらにね。私も、そう思うほどのことをされたもの。」

 

少女はそのまま吉野の手にその紙を握らせた。

 

「このままじゃ、あんた、きっとその憎いってこととどうしようもない理不尽だけを抱えて生きてくんでしょ。でも、それじゃだめよ。痛みと憎しみが心に根ざしたままじゃ。だから、一度だけ。その理不尽への仕返しをしなさい。」

 

じっと、吉野の瞳をのぞき込んだ紫苑はその後に付け加えるように言い添えた。

 

「でもね、それをはらしたら。この力とは縁を切りなさい。そうしないと今度は憎しみだけを信じて生きていくことになるわ。だから、一度だけ。本当に一度だけ、その憎しみと怒りをはらしたら、呪いから逃げなさい。」

 

静かな声に吉野は美しい少女の顔を見上げた。先ほどの騒がしい、良くも悪くも年相応の顔はあまりにも静かな感情をのぞかせていた。

 

「なら、そっちはどうなんだよ。どうして、僕がだめで、そっちはいいんだよ!」

 

吐き出した言葉は、それこそ溢れるような憎悪に塗れていた。

思い返す、くるりくるりと、まるで本のページはめくれていくように。映写機に映された画像が移り変わるように、思い出すのはくだらない人間ばかりだ。

自分は何もしていない。なのに、なぜ、そんな理不尽にさらされるのか?

 

(いいじゃないか。)

そんなことができるのなら。そんな才があるのなら。自分だって。殴られたというならば、殴ってやればいいだろう。

 

「それしか、選択は赦されなかったからよ。」

 

怒号のような言葉への返事はまるで雑談のように軽い声音だった。見返した彼女は、やはり凪いだ瞳で吉野を見ていた。

 

「私はね、父親も、母親も呪術師で。私もこんな力があったから。これ以下にも、これ以上にもなれなかった。力を持てるって意味ではよかったかもしれないわね。でもね。選べないことの方が多かったわ。私は幸せよ。お兄ちゃんがいる。ほかに私を大事にしてくれる人がいる。でも、それと同時にあんたのことだって羨ましいわ。」

 

吉野、選ぶことのできる幸福の意味を忘れないで。

そう言った後、彼女は絵本の中のチェシャ猫のように、やっぱり笑った。

 

「誰のことも、憎み続けなくていいなら。誰のことも呪わなくていいなら。それが一番よ。憎むって、疲れるじゃない。他人への憎いって思いを抱えるようなしけた生き方ごめんでしょ。」

「・・・・・いつか、憎い誰かを殺すのに?」

 

吉野は掠れた声で少女に問うた。いつか、誰かを殺すのだと、吉野は少女を理解する。それに紫苑はにこりと笑った。

会ったときと同じ、年相応の無邪気な笑みだ。たんと、彼女は立ち上がる。そうして、けらりと笑って見せたのだ。

 

「そうよ、だから私みたいにはなんじゃないわよ。」

 

壊すことでしか、何も変えられないような奴に。

黒い髪がなびいていた。少女の顔が陰ってしまっていた。見上げた先にいる彼女は、どこまでも遠いように見えた。

 

「・・・・灰色、そろそろ行きましょ。」

 

言い添えたそれに灰色は少しだけ考えるような仕草をした後、頷いた。

 

「そうだね。事情は話したし。映画館から君を引き離す目的も終わったからね。吉野君。」

「・・・・はい。」

 

灰色もまた立ち上がり、吉野に静かに語りかけた。紫苑はすでにゆっくりとではあるが、遠のいているのが見える。

 

「これから呪術師の人たちが接触してくると思う。そこで、もしも僕たちのことを聞かれたら、できるだけ黙っておいて欲しいんだ。ただ、どうしようも無いと思ったら素直に話してもいいよ。」

「二人は呪術師ではないんですか?」

 

吉野の言葉に灰色はうーんと困ったように首をかしげた。

 

「どちらでもないかな。どちらかになると、できないことがあるっていうのが僕の上司の考えらしくて。」

 

吉野は暗い顔のまま、じっと白い紙を見つめた。それに灰色は幼い子供に語りかけるような声を出した。

 

「君は、それを使うのかい?」

「止めますか?」

「・・・・勧めたのは紫苑だし。何より、それは君が選ぶべきだと僕も思うよ。」

 

灰色はそっと目を伏せた。

 

「吉野君、君、大事な人はいる?」

「え?」

 

顔を上げた吉野に、灰色はどこか気まずそうに肩をすくめた。

 

「なんだろう、家族とかもでもいいんだ。ただ、大事な人はいるって話だよ。」

 

それに吉野の脳裏に、彼にとってたった一人と言っていい家族の姿が。陽気で、明るい、たった一人の母親のことを思い出す。

吉野の表情に灰色は何かを察したのか、そうかいと一度だけ頷いた。

 

「今、君は憎いって感情に囚われている。いや、いっそのこと、君は自分を呪っている。」

「僕が?自分を?」

「君の中には、今、ずっと根付いて、抱えた愛おしいって感情よりも、誰かへの憎しみで満たされているからかな。」

 

また、風が吹いた。灰色はどこかはつらつとした印象からは遠い、もの悲しい顔をしていた。

 

「あの子の言うとおり、今、君はその憎いって感情に決着をつけないといけないんだね。そうでなければ、君はこのまま優しいものや大好きなものじゃなくて、憎いものを抱えて生きていくってことだものね。それは、確かに、悲しいね。」

「何が言いたいんですか。」

 

吉野は己を慰めるように自分の体を撫でた。

 

「・・・・別に、誰かを蔑むのだって簡単だ。そこに、欠片だって意味は無くたって。ただ、生意気だとか、弱いだとか。そんな理由で。なら、なら、そこに罪悪なんて関係ないじゃないか。母さんのことだって、関係ないじゃないか!あなたは、そっちだって、いつかは誰かを殺すのに。」

「そうだよ。だから、きっと僕は誰かに殺されるんだと思う。」

 

吉野は思わず上を見上げた。そこにいた青年はただ、柔らかに微笑んでいた。

 

「人を殺すってことはさ。それを受け入れるってことだと思う。自分のなしたことへの業を背負うことだって。だから、僕はそうなるんだろうなって思うよ。」

 

その語り口はあまりに軽く、本心であるなどと欠片だって思えなかった。けれど、わかる気がした。

青空のバックに笑う黒い男の言葉は嘘でないと。優しくて、人好きのする様相に比べて、その目はひどく凪いでいた。

 

「人を呪わば穴二つっていうのはさ、誰かになしたことへのカウンターを受けるってことだよ。そうして、その業を被るのはけして君一人では足りないかもしれない。吉野君。叶うなら、叶うなら。壊して、呪うことでしか何も変えられないような人にはならないでね。僕にはもう、無理だから。」

 

そっと、男は頭を撫でた。子供にするように、あやすように、頭をそっと撫でた。

 

「さようなら。僕はもう行くよ。二度と君に会わないことを願っているけれど。ああ、そうだ。これをつけた人に会ったらひとまずは味方だから頼りにしていいよ。」

 

灰色はそう言って、あるボタンの写真を見せた。立ち去ろうとする灰色に、吉野は思わず声をかけた。

 

「あなたは、僕の復讐をばかだと思いますか?」

 

灰色は少しだけ迷うような仕草をした後、軽く首を振った。

 

「人を呪ったのなら、それは僕もだ。だから、君は自分で選ぶといい。ただ、そうだね。悪意に悪意を返して。そうして、悪意を肯定したとき。君はいつの間にか君の嫌った存在と同じものになるのかもね。」

 

夕暮れの中で笑っている。男が笑っている。明るく、朗らかに、笑った顔とはほど遠い言葉を言った。

 

「怪物を倒す勇者が、怪物に成り果てることだけはないようにね。」

 

優しい声がした。優しくて、明るくて。それでも、頭を撫でていた熱はいつの間にかなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

白い紙を見た。

夕暮れに染まっていく世界の中で、真っ白な紙が場違いなほどに目立っていた。

それは、赦しの象徴だ。

吉野の憎しみへの、赦しの象徴だ。

人を殺すことは悪いことか?人を呪うことは悪か?復讐とは愚かか?

彼らはそれに対して、否定することはなかった。

けれど、彼らは最後まで、選べと言ったのだ。

脳裏に、大事な人はいるかという言葉を思い出す。母の姿を思い出す。

吉野はその紙をそっとたたみ、そうしてしまい込んだ。

彼らは、一度だって人を殺すなとは言わなかった。

けれど、ずっと彼らはこちら側に来るなと言っていた。

 

(誰かを殺したその時は、僕はどうなるんだろうか。)

 

人を憎んで、それをはらして、殺したら。

きっとすっきりすると思った。きっと、心が晴れるのだと思った。

けれど、なんとなく、今更になって。

紫苑と言った少女の選べなかったという言葉を思い出す。そうして、一瞬だけ、夢から覚めたような気分になった。

夕焼けが自分を照らしている。

もしも、自分が人を殺したとき。その時、自分は怪物になるのだろうか。

 

(あいつらと、同じものになるのは嫌だな。)

 

ぼんやりとそう思った。

やり返して、やり返して、その後自分は何になるのだろうか。

母がそれを知れば、どう思うのだろうか。

誰かを殺すのだと、そう言い切った二人を思い出す。

 

(・・・・帰ろう。)

 

その紙を捨てる気にはなれなかった。けれど、その紙を使う気にもなれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「真依、よかったの?」

「何がよ、灰原。」

 

紫苑と灰色と名乗った二人は夕焼けの迫る道を歩きながら言葉を交わした。

灰原は呆れたようにため息を吐いた。

 

「君の作ったあれを渡すことだよ。黒にはできるだけ何もないようにって言われてたろう?」

「お兄ちゃんはあくまで彼自身が納得できるようにって言ってたじゃない。なら、あれぐらいのおもちゃを渡しといて良かったでしょう。」

「まあ、僕も止めきれなかったのはだめだったなあ。でも、真依があんなに温和な意見だったとは思わなかったけど。」

「んなわけないじゃない。詭弁よ、詭弁。」

 

ふんと息を吐いて腕を組んだ真依に、灰原はああですよねというようにそっと視線をそらした。後ろ手を組んで灰原は歩く。

河川敷から見える川は、夕暮れによってきらきらと光っていた。長く伸びた影はとっくに差が無くなっていることに灰原は笑った。

 

「やられたらやり返せばいいのよ。弱者だとわかれば徹底的になぶってくるばかは星の数ほどいるんだから。そういう奴はね、結局殴り返されて自分の方が弱いってわからない限りは反省しないんだから。」

 

生々しい何かの交ざった言葉に、灰原はそっと目を伏せた。そうして、出会った当時、幼く小さな体に残った痣のことを思い出す。

彼女の育った禪院という家についてそこまで詳しいわけではない。けれど、少女はそれ相応に地獄で育ったことも理解していた。

 

「ねえ、灰原。」

「なんだい?」

「灰原は、復讐ってどう思う?」

 

灰原はちらりと隣を歩く少女を見た。真依は変わることなくつまらなさそうな表情をしていた。けれど、幼い頃から彼女の親代わりであった灰原にはわかる。

それは彼女が何かをごまかしたいと思っているときの顔だ。

何となしに察している。彼女の先ほど吉野にかけた言葉が全て本当ではないし、それと同時に全てが偽りではなかったのだろう。

 

「理解ができない、かな?」

「ふうん?」

 

真依はそう言ってちらりと灰原を見た。それを先に促す行為であると察して灰原は言葉を続けた。

 

「僕には過去がないからね。だから、復讐に至るほどの理由がない。」

 

灰原はひどく軽やかな口ぶりでそういった。

それは事実だ。

灰原が吉野に言った言葉は嘘ではない。彼とて、腐っても黒という存在と永い時間を過ごしたのだから。

誰かを呪うものではない。呪いは呪いになっていつか返ってくるものだ。

それは理解している。

けれど、灰原には復讐などに必要な憎しみや嫌悪がなかったのだ。

憎しみには、悲劇や積み重なった負の感情が必要だ。けれど、灰原の生活はひどく穏やかだった。

することと言えば、幼子の世話や家事、そうして雑用。彼は呪術師ではあったけれど、そこまでの感情を持つほどの激情を持っていなかった。

 

(・・・・何かを、忘れている気はするけれど。)

 

もちろん、記憶など無くしているのだから、忘れているのは忘れているのだが。

 

「灰原はさ、お兄ちゃんに記憶を戻してもらおうとは思わないの?」

「そうだね。今のところはこれでいいと思うよ。」

 

灰原はいつか、彼の性格もあって聞いたことがある。自分の記憶は返してもらえないのかと。その発言に黒は珍しく動揺した様子であったのを覚えている。

 

「いいの?帰る場所、あんたにはあんじゃないの?」

「うーん。少なくとも僕の大事な人は普通に暮らしてるらしいし。それに、黒のやってることが一段落したら記憶も返してくれるってさ。縛りも解いてくれるって。」

 

あっさりとした言葉に真依は意外そうな顔をした。

 

「いいの?」

「まあ、帰りたいって言えばそうだけど。でも、記憶が戻ったら、きっと黒や真依たちとはお別れになるしね。それに、そうだなあ。僕は地獄に行くと思うからかな。」

黒はたぶん、そっちに行くからね。

 

伏せた目にまつげが影を落とした。

真依はその言葉に少しだけまぶたを震わせた。そうして、灰原のことを見ることなく、前を見た。そうして、美しい顔で切なそうにどこかをみた。どこでもなく、ぼんやりとした方向を見た。

 

「・・・それなら、私も地獄がいいわ。」

 

真依はぼんやりとした表情で考え込むように目を伏せた。

 

「みんなきっとそっちにいくんでしょ。一人で天国に行くなら、みんなのいる地獄に行きたいわ。」

 

二人は互いに何も言わなかった。

黒という男が非道であると知っていた。彼が一般人に手を出すことはなかったけれど、それでも呪詛師への扱いはお世辞にも正常であるとは言えなかった。

真依とて、自分の手を貸してきたことの意味合いを理解していた。

吐き気がした。恐ろしいと、思わないわけではなかった。

それでも、なお。

真依と灰原は、その男を慕っていた。

非道であると知っている。彼の所属する組織が、けして自分たちの理解できる範囲のものでないことを知っている。その組織に彼が逆らえないのだろうと知っている。

けれど、それでも。

彼は、確かに灰原と真依を大事にしてくれたのだ。

灰原は男を一人にしたくないと思っていた。本音など滅多にさらさない、その手は血まみれで、幼い子供を誘拐し、特級呪霊を受肉させた大罪人。

けれど、彼はどこまでも誠実であった。

彼はどこに行くのだろうか。彼は、どんな末路をたどるのだろうか。

呪うことでしか何かを変えられないのならば、その行き着く先は変わらないだろう。

だから、その男の末路を灰原は見てみたかった。

ここ以外のどこかにいけるとしても。

死にたいとは思っていない。けれど、ここまで行き着いてしまったのだ。ならば、最後まで付き合ってもいいだろうと灰原は思っていた。

 

(灰原は、とっくに覚悟を決めてるのね。)

 

それがどんな類いのものであるかは知らないけれど、灰原はきっとどこに行くかと決めているのだと、それだけは理解した。

それに真依はそっと、また、目を伏せた。

真依は、黒のことが好きだ。心から、彼が好きだ。

けれど、昔、恨んだこともある。

黒のことは好きだ。あの家は嫌いで、真依の能力の程度がわかったときから扱いなどお察しのものだ。普通の家庭の人間と関わるようになってから、そのおかしさはとっくに理解していた。

だから、連れ出されたことに後悔だとか、家に未練は無い。

けれど、それでも。

置いてきてしまったものがあることも理解していた。どうして、ここに己が半身はいないのか。

連れてきて欲しい、一緒に暮らしたい。そうだ、手を放さないでと願ったのは自分だった。なのに、自分は一人でここにいる。

大事にされて、愛されて、慈しまれて、ここにいる。けれど、自分は一人でここにいる。

真依の言葉に黒は悲しそうな声で言った。

君の姉までを俺は守ってやれない。もしも、そこまで姉を望むなら、それ相応の力が必要になる。

真依は己の手を握り込んだ。

黒の言葉も、理解できる。彼も何かに仕えていて、その命令で真依は連れてこられた。恨む気にはなれなかった。黒の声は、時折、なんとも言えない物悲しい何かを含んでいた。

責めることはできなかった。しがらみというものがあることは理解していた。

これでも、それ相応の力は手に入れた。燃費の悪い術式を補うための術もある。だから、今度こそ自分が迎えにいくのだ。

 

(それでも、もしも。お姉ちゃんが拒んだら。)

 

行こうと、今度こそ、手を放さないと決めたから。今の生活は幸せで、愛されていると思っても、繋がった半身を忘れたことはない。自分たちは、二人で一人だったのだ。

確かに、あの地獄のような箱庭で。

だから、どうしているだろうと思っていた。ぼんやりと。

黒の言葉に決めたのだ。

自分が守るのだと。置いてきてしまったから、今度こそ、これからは自分が片割れを守るのだと。

 

(それでも、もしも、一緒に来てくれないのなら。その時は、私は。)

 

ぼんやりと真依は茜色の空を見上げた。

二人は家路を急ぐ。自分たちが帰る家はもう、たった一つだけだった。

 




また、何かありましたら。
https://odaibako.net/u/kaede_770

祐礼が考えているくもなんかの設定について知りたいでしょうか?小説の中ではたぶん部分的にしか出てこないので、関係ないと言えば関係ないんですが。

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