僕がこうして苦悶している間にも一応列は進んでいた。
そして僕はなんとか倒れる前にゴンドラに乗ることができた。
はぁ……。助かった……。
なんでこんなにカップルだらけなんだよ……。
僕は座席に座り、胸をなで下ろした。
ゴンドラは地上を離れ、僕たちを乗せてゆっくりと上昇をはじめた。
窓から橙色の光が差し込んでくる。
その窓から外に目をやると、夕焼けに照らされた園内が見えてきた。
なるほど。美波の言う通りこれは綺麗だ。
それにこのゆったりとした感じ。これも僕好みだな。
で、観覧車を希望した美波の反応はというと────
「アキ見て! 文月学園が見えるよ! やっぱり目立つわね!」
「アキの家はあれかな? よく見えないわね……」
美波は僕の対面の席で外を見ながら無邪気に
その美波にはもう先程のような魅惑的な雰囲気は無い。
いつも通り……というか、葉月ちゃんをイメージさせる。
まぁ姉妹だし、似てて当然か。
夕焼けの景色を静かに見たいのかと思ってたけど……ちょっと意外だな。
それにしてもさっきの美波は可愛かったなぁ……。
もうちょっと見ていたい気もしたけど……。
でもあのままじゃ僕が卒倒していただろうな……。
僕は景色を見るのも忘れ、先程の美波を思い浮かべてぼんやりとしていた。
「ウチの家はあっちかな」
美波はすっかり景色に夢中のようだ。
反対側の景色を見たいのか、美波はこちらの席に移動してきた。
観覧車のゴンドラはかなり高い位置まで昇る。
高ければ風の影響も大きく受けるわけで、それなりの安全策が取られている。
そのため、多少の風では大きく揺れたりすることは無いらしい。
だが、安全策が講じられたそのゴンドラでも片側に二人が乗ればそれなりに傾く。
ガコっと音がしてゴンドラが急に傾いた。
美波がこちら側へ移動してきたことでゴンドラ内の重量バランスが変わったようだ。
その傾きに美波は足を取られたようだった。
「きゃっ!」
美波はバランスを崩し、僕に覆いかぶさるように倒れ込んできた。
「わわっ!」
僕は
……………………
僅かに柔らかい感触。
僕は美波の胸を支えていた。
「ご────」
ごめんと言うつもりだった。
最初の一文字を言葉にした瞬間、僕の頬と首は未だかつて無い衝撃を覚えた。
ヘビー級ボクサー並の強烈なフックは僕の左頬へと刺さり、僕の体はその場でキリモミ式に三回転半し、座席に伏した。
「バカっ!!!」
「……わ、わざとじゃ……ないのに……」
僕はまだ生きているみたいだ。
さすがに今のは死んだかと思った……。
僕の体って栄養取ってない割に丈夫なんだな。
とは言え、僕はうつ伏せのまま体を動かせなかった。
全身の骨が砕けたような痛みが走る。
でも大丈夫。こんなのはいつものことさ。
しばらくすれば回復するだろう。
僕は体の回復を待ちながら美波への言い訳を考えた。
……
よく考えたら今のは不可抗力じゃないか。
確かに触ってしまったけど、ここら辺は考慮してほしいよな。
でも怒ってるだろうし……これを言ったら火に油を注ぐようなものか。
穏便に済ませるにはやっぱり僕が謝るのが一番か……。
お、そろそろ体が動きそうだ。
結構早かったな。
僕は体を起こし、目を開けた。
見えた美波はゴンドラの真ん中で怒りに肩を震わせて──?
────いや。違う。
「……小さ……よね…………ウチ……貧そ…………ね……。……キは……きい方が…………いい……ね……。……から……だか……チは…………ウチじゃ…………」
僕への問い掛けなのだろうか。美波はか細く、呟くような声で何かを言っている。
だがその様子が尋常でないことは僕にも分かった。
美波は小刻みに肩を震わせ、強く目を瞑っている。
その目からは涙が溢れ、頬を伝って滴り落ち、ピンクのジャケットを濡らしていた。
これは決して怒りの感情などではない。
美波は悲しんでいる。
でも何を悲しんでいるのか分からない。
だって、つい今し方、僕は怒りの鉄拳をもらったところなんだから。
でもその理由はきっと美波の言っていることに何かヒントがある。
そう思って僕は美波の言葉に注意を傾けた。
美波の言葉は途切れ途切れで、正直何を言っているのか分からなかった。
ただその中には一つだけ、はっきりと理解できる単語が含まれていた。
貧相──?
そう。確かにそう言っている。
昼間あのチンピラみたいなやつと一緒にいた女の言っていた言葉だ。
まさか……。
まさか、あの言葉を気にしているのか……?
あれからずっと気にしていたと……いうのか……?
さっきのサーカスはあんなに楽しそうにしていたのに……。
僕に忘れようって言っていたのに……。
こんなにも我慢をしていたというのか?
……
まだ頬と首にはまだ痛みが残っているはず。
でも何故か今、痛みを感じない。
なんだ……この感じ……。
また昼間のあの感覚だ。
また赤黒い何かが渦を巻いて込み上げてくる……。
美波が……苦しんでいる……。
僕の……僕の大切な人が…………泣いている……。
拳に力が入る。
再び激しい怒りの感情が僕の意識を支配する。
今すぐアイツらを殴り倒してやりたい。
でもアイツらはここにはいない。
どうすればいい。
この怒りはどこへぶつければいい……?
今、この場にいるのは僕と美波の二人のみ。
そしてゴンドラの狭い空間の中。
怒りを向ける先は無い……。
やり場の無い怒りに僕は――――
「くっそぉーーーーーっ!!」
僕は立ち上がり、悔しさのすべてを込めて声を上げた。
美波はこの声に驚いたのか、目を見開いた。
「美波! アイツらの言うことなんか気にするな!!」
自分でも何を言っているのか分かっていなかった。
ただ本能の命ずるまま言葉を発していた。
「胸なんか小さくたってな! 美波は!! 美波は──!」
僕は言葉の途中で自分がまた怒りに我を忘れていることに気付いた。
加えて自分が言おうとしていることが告白めいていることにも気付き、口を止めようとした。
だが――――
「……美波は…………かっ……か、可愛くて……魅力……的……なん……だか…………」
僕の口は最後まで言葉を繋げてしまった。
僅かな抵抗により僕の声は徐々に小さくなり、最後は蚊の鳴くような声になっていた。
でもここはゴンドラの密室の中。
きっと美波にも聞こえただろう。
「っ……アキぃ」
美波が僕に飛び付いてきた。
僕は支え切れず、押し倒される形で座席に倒れ込んだ。
美波はそのまま抱き付き、頬を寄せてきた。
すり寄せる頬から涙が伝わり、僕の頬が濡れる。
「アキ……アキぃ…………ごめんね……ごめんねぇ……アキぃ……」
美波は涙を零しながら頬をすり寄せ、僕の腫れた左頬をさする。
ちょっと痛かったけど……。でも美波の手はこの腫れを作った手とは思えないくらい優しかった。
「……ずっと我慢……してて……泣いちゃ……ダメだって…………せっかく……アキ……誘って……くれた……から……。でも……でもウチじゃ……ダメなの……かなって……思ったら……もう…………っぅぅ……アキぃ……アキぃぃ……」
美波が震えた涙声で気持ちを打ち明ける。
こんなに取り乱す美波は見たことがない。
そうか……僕のせいなんだ……。
僕の返事が遅いから、不安をずっと抱えていたんだ……。
そんな時にあんな風に言われて……本当は悔しくて堪らなかったんだろう。
だから余計に不安が募って……。
それなのにこんなにも我慢して……。
きっと僕が胸を触ってしまったせいで我慢の限界を超えてしまったんだな……。
!
そうか……。クレープ屋の前で見た哀しそうな顔……。
あれはやっぱり気のせいじゃなかったんだ。
あの時も不安と戦っていたんだ。
僕はまた美波の気持ちに気付いていなかったのか……。
……
「謝るのは僕の方だ……ごめん……」
僕は抱き付く美波をぎゅっと抱き締め返した。
抱き締めた美波の
美波の悔しかった気持ちと、ずっと抱えていた不安が伝わってくる。
ごめん美波……本当にごめん……。
僕はこれ以上どうしたらいいか分からなかった。
どうしていいか分からず、ただ抱き締め続けた。