「美波、座って」
僕は無理な体勢で抱き付いている美波を座席に座らせた。
美波の涙はもう止まっていた。
でも僕はこれ以上言葉が見つからなかった。
座席に座った美波は肩を落とし、俯いて口を
……重苦しい沈黙が続いた。
僕は横目に美波の沈んだ表情を見ながら思案に暮れた。
僕は……また怒りに我を忘れるところだった……。
また美波の気持ちに気付けなかった。
……
今のままじゃダメだ……。
もっと冷静に……。もっと変化に気付けるようにならないと……。
そうじゃないと……美波を守ってあげられない……。
「また……」
僕が考え耽っていると美波が口を開いた。
「ん? なんだい?」
「またアキは……ウチを助けてくれたね」
「助けた? 僕が?」
むしろ助けられているのは僕の方だと思うけど……。
チンピラたちと喧嘩にならなかったのも美波が止めてくれたからだし……。
「ウチね……。アキがいなかったら今頃日本にいなかったかもしれないの」
「えぇっ!? ど、どうして!?」
驚く僕に美波は言葉を続けた。
「一年生の最初の頃……ウチは独りぼっちだった。全部がうまく行かなくて……。ドイツに帰りたいって思ってた」
辛そうに俯いたまま、美波が静かに語る。
「誰も相手にしてくれなかった……。毎日が息苦しくて堪らなかった。ウチの気持ちを誰も分かってくれない。でも誰にも言えなくて……。ずっとこの暗闇の中で暮らしていくしかないんだって思ってた」
初めて聞く当時の美波の心境。
僕は相槌を打つこともできず、黙ってその言葉に耳を傾けた。
「でもアキは……そんなウチを助けてくれた。…………友達になろうって、言ってくれて……本当に嬉しかった……」
美波はため息をつくようにそう話すと、幸せそうに顔をほころばせた。
どうやら去年のあの時のことを言っているようだ。
そうだ。確かに僕はあの時『友達になってください』と言った。
言ったけど……。
ドイツとフランスを間違えてたんだよね……。
そりゃフランス語じゃ通じないよね。美波はドイツから来たんだし。
ホント、バカな勘違いをしたもんだ……。
ん? あれ? じゃあどうして意味が分かったんだ?
「あ、あのさ美波、僕あの時、間違ってフランス語で話してたんだけど……美波ってフランス語も分かるの?」
「分かるわけないじゃない。だから調べたのよ。アキの発音から調べるの大変だったんだからね?」
「そ、そうだよね……ごめん……」
「ううん。でも本当に嬉しかった。真っ暗だった世界に扉が開いて……光と一緒に入って来て……連れ出してくれたみたいだった。……あの時はウチも気付いてなかったけど、ウチはきっとあの時にアキのこと好きになったんだと思うの」
……
なんてことだ……。
僕は一年以上も美波の気持ちに気付いていなかったのか……。
なんてバカなんだ僕は……。
「美波……」
「うん」
「僕は……こんなにも長い間……。美波の気持ちに気付いていなかった僕は大バカだ……本当にごめん……」
「ううん。アキは悪くないわ。ウチがはっきり言わなかったのが悪いんだから」
「いや……それに……告白の返事もまだできなくて……ごめん……」
「アキったら謝ってばっかりね。大丈夫よ。ウチは待ってるって言ったでしょ? だからアキの答えが出るまで待ち続けるわ」
美波……。
僕の心はもうほぼ決まっている。
昨日の夜の玄関での出来事。
あの時、僕の心には今までと違う感情が込み上げてきた。
姫路さんのことも好きだけど……あの時感じた美波に対する気持ちはそれとは何かが違う。
ただ……僕には自信がない……。
今の僕じゃ、きっとまた美波を悲しませるようなことをしてしまう。
だって僕はバカだから。美波の気持ちにずっと気付かなかったバカだから……。
「焦らないでいいからね。アキの気が済むまで考えて」
「う、うん……」
「もうすぐ降車口みたいよ。準備しましょ」
いつの間にかゴンドラは地上に近づいていた。
乗車時間のうち、景色を見ていたのは最初のほんの少しだった気がする。
美波の雰囲気は元に戻りつつあるようだった。
一方、僕はまだ罪悪感に
でもこのまま乗っているわけにもいかない。
僕は立ち上がって降りる準備をはじめた。
「あ、アキ、それから……」
「うん?」
「殴ったりして……本当にごめんなさい……」
……
正直驚いた。今日は驚きの連続だ。
昨日も感じたけど、美波は意地を張らなくなった。とても素直になった。
そう感じるんだ。
どうしてだろう。
何か心境の変化があったのだろうか。
僕への告白に何か関係しているのだろうか。
でも素直に気持ちを言ってくれることが僕は嬉しかった。
何か壁が一枚剥がれたような、そんな感じがするから。
って、そうだ。こんなことを考えている場合じゃない。
美波がこんなにも気持ちを込めて謝っているんだ。
僕はこれに応えなきゃいけない。
応えなきゃ男じゃないっ──!
僕は自分の胸をドンと一度叩いた。
気合いの入った僕は叩いた拳をそのまま前に突き出し、親指を立てた。
そしてアメリカンコミックのヒーローのようにニヒルな笑みを浮かべてみせた。
この行動が示す意味はこうだ。
─── 僕なら大丈夫だ。心配ない ───
このことを伝えるには、言葉よりこうした行動の方がより強く伝えられる。
そう思ってこの行動を取った。
でも美波は目を丸くしたまま反応しなかった。
僕ら二人はその体制のまま、しばらく硬直してしまった。
「「…………」」
あ、あれ? 通じなかったかな?
そう思った直後――
「ぷっ……なによそれ。ぜんぜん似合わないわ」
美波は吹き出してクスクスと笑い出した。
「そ、そんなに似合わないかな……」
おかしいなぁ。かっこよく決めたつもりだったんだけどな。
けど……。
美波が笑ってくれた。
うん。
美波が笑ってくれたならいいか。
☆
僕たちは観覧車を降りた。
辺りはもう暗くなり、園内の建物は色鮮やかなイルミネーションで輝きはじめていた。
「アキ」
「ん?」
「ありがとね。ウチはもう大丈夫。一杯泣いたから。それに────」
美波は先程と同じように僕の左肘に手を添えてきた。
「アキから一杯勇気を貰ったから」
美波はそう言うと、晴々とした笑顔を僕に向けた。
その手は先程より強く僕の肘を握っている。
ちょっと痛いくらいに……。