鮮やかな夕焼けの中、僕と美波は学校から伸びる緩やかな坂道を下っている。
昨晩、僕はやっぱり眠れなかった。
一日のいろいろなことを思い出して眠れなかった。
でも眠れなかった理由はもうひとつある。
それは美波への答えを出すため、僕の頭がフル回転していたいたから。
ムッツリーニ対策は後だ。
今は昨日、寝ずに考えた結果を整理するんだ。
僕は昨晩考えたことを順に整理しながら坂道を歩いた。
美波が風邪で休んでいた時に感じた寂しさと不安。
それはいつも傍にいた美波がいなかったから。
病院のベッドで見たあの夢。
それはきっと美波と離れたくなかったから。
そして一昨日、あの玄関で感じた感覚。
きっとこれが……『人を愛する』という気持ち……。
僕はもう二度と美波を悲しませたくない。
だから……。
僕はもうバカな行動は起こさない。
落ち着いて考える力を身につける。そう。雄二のような冷静な判断力を。
そして……美波の気持ちに気付けるように。美波を守れる男に。
僕は変わる。
僕はこの決意を美波に伝える。
そして僕の気持ちを伝える。
「美波」
「なぁに? アキ」
声を掛けると、美波は胸元に手を当てたまま僕に顔を向けた。
その美波の笑顔は夕焼けに照らされ、眩しく輝いていた。
僕は橙色に染まる空を見上げた。
見上げながら、この決意を言葉にした。
「僕はもうバカなことはしないよ。もっと落ち着いて……冷静に考える。それから……美波の気持ちに気付けるように……。言わなくても感じ取れるくらい敏感に。美波を守れる男に。僕は変わるよ」
言葉のひとつひとつを噛み締めるように。
ゆっくりと、天に誓うように。
僕は言葉を紡ぎ出した。
「すぐには無理かもしれないけど……きっと────」
「アキはウチの気持ちぜんぜん分かってない!!」
すべてを言い終えようとした時、叫ぶような美波の声に遮られた。
驚いて横を見ると、さっきまでそこにあった美波の姿が無かった。
この時、僕はようやく美波が立ち止まっていたことに気付いた。
僕は声のする方を振り向いた。
数メートル後ろにいた美波は肩を尖らせて口を『へ』の字に結んでいた。
吊り上がった目も久しぶりに見た気がする。
「何も言わないでも気持ちが分かるならウチはこんなに苦労してないわよ! 言わなきゃ気持ちなんて分かるわけないじゃない! 言葉にしなきゃ伝わらないのよ!! それにいつウチが守ってほしいなんて言った? ウチはアキに守ってほしいなんて思ってない! 変わってほしくなんてない! 変わっちゃったらそんなのアキじゃない!!」
早口でまくし立てる美波。
僕は怒られている……。
予想していたものとは違う反応に僕は立ち尽くした。
僕の決意は……間違っているというのか……?
僕が変わったら……僕じゃなくなる……?
……
でも──僕は!
「でも僕は! ……僕は今まで……美波の気持ちに気付かずに無神経なことばかりしてきてしまった。それも一年以上も気付かずに……。今更謝って済むようなことじゃないのは分かってる。だから……だからもう二度とこんなことをしないように! 僕は変わらないといけないんだ!!」
「「…………」」
「なによ……ずっとそんなことで悩んでたの……?」
「そっ! そんなことって! 僕は真剣に────」
「いいのよ! そんなこと気にしなくて! 今までのことだってウチはちっとも気にしてないんだから! それにこれからはアンタがバカなことやりそうになったらウチが止めてみせるわ! いいアキ! まだ分かんないみたいだからはっきり言ってあげる! よく聞いて!」
「ウチはね……! ウチは今のアキが好きなの!!」
「バカで! 不器用で! 問題起こしてばっかりだけど!」
「いつも誰かのために一生懸命で! バカみたいに真っ直ぐで! とっても優しくて! とっても温かくて!」
「そんなアキだからウチは好きになったの! そんなアキが大好きなの!!」
……
そうか……。
「だから……変わるなんて……言わないでよ……」
そうだったのか……。
……
やっぱり僕はバカだ。
僕はまだ美波の気持ちを分かっていなかったんだ。
僕は罪悪感から何かをしてあげなくちゃいけないと思い込んでいたんだ。
勝手に変わらなくちゃいけないと思い込んでいたんだ。
僕は難しく考え過ぎていたんだ。
そうなんだ。
美波は僕に特別なことを求めていたわけじゃないんだ。
最初から僕と同じ気持ちだったんだ。
求めていることがあるとすれば、それはたったひとつ……。
────── 一緒にいたい ──────
それだけだったんだ……。
美波の怒りの表情は愁いに沈んだ顔に変わり、視線を落としていた。
僕は俯いて呟いた。
「やっぱり僕はバカだね……」
「そんなの……分かってるわよ……」
僕はやっと分かった。
美波の気持ち。そして自分の気持ち。
僕は美波にゆっくりと歩み寄った。
気持ちは言葉にしなきゃ分からない。その通りだ。
「美波。僕は……美波と一緒にいたい」
僕は歩み寄りながら心の底から思ったことを言葉にした。
「ウチも……アキとずっと……一緒にいたい……」
美波は顔を上げ、震えた声でその想いを言葉にした。
僕は美波の前で立ち止まり、問い掛けた。
「こんな僕でいいの?」
「……いいって……言ってるじゃない……バカ……」
眉をひそめて答える美波の目には涙が浮かんでいた。
その大きな瞳はじっと僕を見つめている。
でも……。
言葉だけじゃ伝えきれないこともある。
そう。気持ちを伝えられるのは言葉だけじゃない。
僕は美波の両肩に手を添えた。
「美波……」
「アキ……」
僕は……この気持ちを美波に伝えたい。
この気持ちのすべてを伝え切るにはどうしたらいいか。
その答えはもう出ている。
それは美波が教えてくれた。
頬に三回。唇に二回。美波は僕にキスをしてくれた。
それが美波の気持ち。
今度は僕が気持ちを伝える番。
僕は美波に精一杯の真面目な顔を寄せた。
美波はそれに合わせて少し上を向き、目を閉じてくれた。
僕も目を閉じ、美波の唇にそっと自分の唇を重ねた。
──── ありったけの『好き』を込めて ────
変わる必要なんてない。
ずっと、ずっと一緒にいたい。
ただそれだけ……。
「冗談とかじゃ、ないからね」
唇を離した僕は初めてキスをしてくれた時の美波の言葉をそのまま返した。
「うんっ……」
返事をした美波の両頬には涙が伝っていた。
でもその顔は最高に幸せそうな、素敵な笑顔だった。
「……アキの……バカ……こんなに……待たせて……許さないんだからぁ……」
美波は涙を溢れさせながらそう言うと、僕の胸に顔を埋めた。
僕の眼下に綺麗なポニーテールが広がる。
美波は顔を埋めながら、軽く握った拳で僕の胸を何度も叩いた。
その拳はいつも顔面に貰っていたものとは違って、とても優しく……とても心地良かった。
「ごめんね……美波……」
僕は美波の頭を優しく撫でてやった。
確かに僕は返事を待たせ過ぎてしまった。
どうにかして償いをしたい。
僕はどうしたらいいだろう……?
……それはやっぱり美波に聞いてみるのが一番だ。
「じゃあ……どうしたら許してくれる?」
僕の問い掛けに美波は叩いている拳を止めた。
そして顔を埋めたまま、条件を挙げていった。
「……じゃあ……まず教室の席はウチの隣にすること」
「うん」
「……お昼ご飯は必ず一緒に食べること」
「うん」
「……毎日代わりばんこでお弁当を作ってくること」
「うん」
「……帰る時はウチと一緒に帰ること」
「うん」
「それから……それから……絶対に……ウチを離さないこと……!」
「…………」
僕は美波の背中をぎゅっと抱き締めた。
「分かったよ美波。約束する……」
「絶対……絶対だからね……」
美波も僕の背中に腕を回し、抱き締め返してきた。
もうじき冬の夕暮れ。
橙色に染まる坂道には肌寒い風が吹いている。
でも僕は寒さを感じない。
寄り添う美波がとても温かいから。
とても温かい気持ちが僕の全身を包んでくれているから。
もうムッツリーニ対策なんてどうでもいい。
異端審問会とだって戦ってやる。
僕は……自分の気持ちに正直に生きて行くんだ……!