魅了(み - りょう)
人の心を引き付けて夢中にさせること。(出典:Wiktionary)
この世界には魅了、と呼ばれる魔法がある。
人の心を操り、術者への好意を引き上げ自由に言うことを聞かせてしまうという都合の良い魔法。同性にかければ相手を一生涯の親友のよう誤認させ、異性にかければ運命で結ばれた恋人のごとく思わせることもできる。
実に、恐ろしい魔法である。
だが、そんな恐ろしい魔法に抗う方法も確かに存在する。
そしてその方法の1つをたった今、実行している人間がここにいた。
「ああああああああ!!!!!」
額を、打ち付けている。
1人の女が、ヤケクソに叫びながら額をひたすら勢いよく樹の幹にむかって打ち付けていた。
ゴンッゴンッと頭蓋骨と樹の幹が衝突する重い音がして、女の額の皮がグズグズに破れ血が流れる。
それでも、女は樹に額を打ち付けるのをやめない。
狂っている。
どう見ても気の狂った頭のおかしい女である。
「おいバカお前やめろ!」
そんな頭のおかしい女のことを近くで見ていた1人の男が慌ててそれを止めようと駆け寄り取り押さえようとする。しかし女は火事場の馬鹿力のごとき筋力でそれを振り払い、その自傷行為を再開した。
「アヤノ! そんなにやったら死んじまうぞ!」
「これは!!! あたしに必要なことなのおおおおお!!!」
頭のおかしい女こと、魔法使いアヤノ・レリエルは男の焦った声を無視して叫びながら頭を樹に打ち付け続ける。時々発作のように発狂しこのような自傷行為に走るこの女のことを、村人はこう呼んだ。
―――『森の奥の頭のおかしい魔女』と。
《魅了に抗う方法①》
痛みによりごまかす。
「ふう。待たせたわねレオン。あー、やっと頭がすっきりしたわ」
そうやって額からダラダラ血を出しながらアヤノは男―――レオンに向き直り、満足げな顔で言った。そのくせ足下はふらついている。頭を何十回も硬いものに打ち付けたのだから当たり前である。
レオンは思った。明らかに大けがなのに何でそんなに嬉しそうなのだろう。いつものことだけれど、やっぱりこいつはばかなのだろうか。(村の皆はとっくにアヤノのことを頭のおかしい可哀想な女だと思っている)
「わたしは『レオンと出会ったら頭を打ち付けたくなる病』にかかってるって前説明したよね」
「お前は何を言っているんだ……」
レオンはひどく疲れた顔でそう言う。
目眩がしそうだ。意味がわからない。
額から流血して顔面を血塗れにしながら満足そうに笑う女は、幼馴染というひいき目で見ても明らかに異常者である。
「アヤノさあ……前はあんなに可愛かったのにどうしちゃったんだよ」
「はいはい、今のあたしは頭がおかしくなったキチ〇イ女ですよ。だからあんまり会いにきてほしくないんだよね」
今の『流血モード』になったアヤノはひどくレオンに冷たい。
アヤノが突然森の中の小屋で一人暮らしを始め、この狂った奇行を始めたのはちょうど1年くらい前の話だ。
レオンはアヤノの顔を見た。
流血したその顔はホラーじみているが、それがなければアヤノ自身はとびきりの美少女である。ウェーブがかった白銀のセミロングヘアに、田舎娘にあるまじき玉のように白い肌。大きめでぱっちりと整った瞳。
自分たちは16歳になるが、大人になればアヤノはとてつもない美人に成長するだろう。そして魔法使いとしての才能も高く、既にその回復魔法は技術は卓越していた。
まさしくレオンにとって、アヤノは才色兼備の自慢の幼馴染みであった。
そう、アヤノが豹変する前までは。
「……とにかくお前、魔物とか悪魔に取り憑かれたんじゃないかって村でも噂になってるから、その……自分を傷つけるようなことはいい加減やめとけよ。今はまだ庇えてるけど、このまま森の奥に引きこもってたら本当に村八分になっちまうぞ」
レオンが心配そうにそう言うと、アヤノの瞳がわずかに揺れた。
そしてため息をつきながら、ひどく疲れたように口を開いた。
「……はあ。まったく。人の気も知らずに。できればあたしもこんなことしたくないけど。あんたが訪ねてくる限りはこうしなきゃならないわけ」
「知らないも何も、何度も聞いてるじゃんか。それなのに頭傷つける理由、一度も教えてくれないよな。俺に原因があるならなおさら教えてくれよ!」
ただ、そうする必要があるから、という意味のわからない理由でアヤノはレオンに会う度にこうして額を打ち付けている。そしてそのたびに傷を回復魔法で治している。
かといって、アヤノは本気でレオンが来るのを拒否したことはない。
ただ、嫌そうにするだけだ。
それがよりアヤノの行動の謎を深める。
「言っても理解されないし、理解して欲しくもないからよ。知りたいならレオンも魔法使いにでもなることね」
そう言って呼び止める間もなくアヤノは踵を返してその場から去って行った。
残されたレオンはただ呟く。
「意味がわからねえ……」
この1年間、ずっと同じことをレオンは思っている。
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人気ファンタジー系RPGゲーム『ラストアイギス』。
そのの中にアヤノ・レリエルというキャラクターがいる。
アヤノは胸が小さく見た目はやや気弱そうな、ウェーブがかった銀髪セミロングのくせっ毛をした低身長女である。ジョブは魔法使いでヒーラー。そして彼女はある意味ファンの間で有名なキャラクターであった。(決して人気ではない)
『ラストアイギス』においてアヤノがどういったキャラなのか軽く紹介すると、次のようになる。
幼い頃から最も主人公の近くに居た幼馴染みでありながらポッと出の正ヒロインにそのポジションを取られて曇り正ヒロインに嫉妬しパーティの輪を乱しヒステリーを起こして勝手に離脱し敵に騙され利用され主人公達を裏切り敵対し挙げ句の果てにラスボスに改造されラストダンジョンの中ボスとして主人公パーティに正体を気づかれないまま倒され最終的に行方不明扱いで終わる個別エンドすら無いまごうこと無き負けヒロイン。
それがこのアヤノである。
ネット上でついたあだ名が『恋愛敗北者』『クレイジーサイコ幼馴染』『発狂芸人』『サークルクラッシャー』『クソザコヒスヒーラー』『自分の頭だけはヒールできなかった女』『悲しき恋愛モンスター』。
そして今、こんな散々な設定を持つ恋愛敗北女に、とある男が転生して頭を抱えているのであった。
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レオンの前から立ち去ったアヤノは森の奥にある小屋の前に戻っていた。もともと使われていなかった猟師小屋を、最低限暮らせるように整えてアヤノはここで暮らしている。
家に入る前に、腰に差した杖で血まみれの額をこつんと叩く。すると薄い緑色の光が杖先から傷に広がり、あっという間に流血ごとアヤノの額の裂傷を治していく。
「こんなもんかな……」
アヤノは額を撫でて傷が治ったかどうか確認する。血はもう出ていないが、少しだけざらざらした感触。アヤノの額には切り裂いたような線型の傷痕がいくつも残っていた。
この1年間自傷行為を繰り返したため、もはやその傷跡を消し去ることはできなくなっていた。
そして傷跡を治した今、痛みで塗り潰しごまかしていた別の感情がアヤノを襲っていた。
「あ~~~~!!!! セックスがしたい!!!!」
自宅のベッドの上に寝転がり、外で鳴くハルスズメの声を聞きながら、アヤノは絶望的な顔をしながらそう叫んだ。
あー、セックスセックス。よっこらセックス。
性欲をもてあます。
まあ、ぶっちゃけて言うと、性欲をもてあます。
つまるところ、ついさっきドン引きしていた男……レオンの子供が欲しくなるのだった。
それには深い理由がある。
『ラストアイギス』主人公、勇者、レオン・ダンデ。
原作のゲーム内では幼馴染からの好意に気づかず、やがて現れる正ヒロインに惚れた結果アヤノを恋愛敗北者に叩き落とすファッキンボーイである。
はっきり言って理性的な面ではアヤノはレオンにあまり関わりたくないのが本音である。そもそも転生する前は男だったし、同性愛者でもない。
だがそれとは別に、この身体に宿った『何か別の大いなる意思』はレオンが好きでたまらないらしい。
事実、アヤノはレオンを見たり声を聞いたりすると、己の意思とは関係なくすぐに魅了されてしまい、酩酊に似た快感が身体を支配し、頭が恋愛脳に切り替わり性欲も増大する。
ゆえに、この気持ちはアヤノ自身の感情から生まれたものではなくて、ゲームにおけるアヤノというNPCとしての設定が作用しているに過ぎない。
そう、決して。
奴とセックスがしたいのは、わたしの意思ではない。
つまり、強いられている。
神は言っている。子供を作れと―――。
いやです。
断固拒否します。
メス墜ちなんてしない、絶対。
そう思って、アヤノは16歳まで生きてきたがそろそろ限界である。
陥落しそうだ。
メス墜ちした先には、死亡ルートしか待っていない。
なんとなく、そんな予感がする。
あるいは、性欲は生存欲求すら凌駕するのか。
三大欲求の頂点に立つのが、性欲だというのか。
ちょっとくらいならバレへんか。先っぽだけだから。ね、お願い。
そんな、人間とは愚かな生き物であった。
そして、欲望に身を任せる直前にわたしに天啓が舞い降りた。
魅了を凌駕する刺激で、魅了を打ち消せば良いのだと。
痛みである。
アヤノは回復魔術師(ヒーラー)である。
多少の怪我ならばすぐに直せる。すばらしい考えである。
自傷行為によって魅了を打ち消す。
これだ。
改心の案であった。
こうして、アヤノはレオンに会う度にそこら辺の木の幹や岩に額を打ち付けることによって、魅了による性欲を打ち消すことに成功した。
その引き替えに、村人からアヤノは魔物に憑かれて奇行を繰り返す頭のおかしい女と呼ばれるようになった。
「ファッキン人生。この世は地獄か? わたし前世でそんな悪いことしたっけ?」
もちろんアヤノは他の街に引っ越してレオンとの関わりを絶とうと思ったこともある。しかし、その試みはことごとく失敗した。
アヤノが「レオンと離れよう」と考えると、まるで操られたかのように「やっぱりやめとこう」という気持ちになってしまうのである。これもまた大いなる意思による影響だとアヤノは当たりを付けていた。
この意思をアヤノは『設定』と呼んでいる。
『設定』とはこのゲーム『ラストアイギス』におけるキャラクター設定のことである。
つまりアヤノはこの設定によって主人公のレオンに必ず恋愛感情を持ち、そばを離れられず、最終的にゲームのストーリー通り敵対し死亡するという運命を遂行するために動かされているということになる。それは運命とも言い換えられる。
(だからって、はいそうですかとそんな運命通りに死ぬのはいやだ!)
転生してそこそこ長い年月が経った。アヤノはもう16歳になる。
16歳。
レオンが『王都』から来た使者によって『勇者』に任命され、アヤノは魔法使いとして共に旅に出る。ゲームの最序盤の展開が起きる時期であった。
アヤノは思った。魅了によりレオンから離れられない以上、わたしがレオンと一緒に旅に出ることは確定。そして『原作』でわたしを恋愛敗北者にする正ヒロインとも出会うことになるだろう。
今までなんとか抵抗してきたけど、これからわたしは生きていけるのだろうか。不安が全身を支配する。
(いいや、わたしは生きる! 絶対にメス墜ちしないんだから!)
たった今も理不尽な性欲と戦いながら、アヤノは鋼の意思で決心するのだった。