越谷卓は、不思議なやつだ。

無口で、無表情で、割と扱いが雑で、妙にハイスペックで、妹想いで、


・・・・・・俺の、大切な友達だ。

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越谷卓となかよくなった

「づっきー、みんなで中当てするのん!」

 

 特徴的な口調────この村の方言らしい────を耳で拾い、英単語帳から目線を外して下方にやる。思った通り、そこにいたのはれんげだった。

 

 づっきー、というのはあだ名だ。雪瀬(ゆきせ)佳月(かづき)の、佳“月”でづっきー。今までの学校では、かづくんと呼ばれることが多かったから、少し新鮮だ。

 

「まだ授業(じしゅう)時間だよ」

 

 短く返すと、れんげは首を横に振る。銀色のツインテールの先が、綺麗な弧を描いた。

 

「もう終わってるん。姉々寝てるから気づいてないんなー」

 

 小さな指がさした先を見る。時計の針は確かに授業終了の時刻から数分過ぎていて、その下では、教卓によだれを垂らして突っ伏す教師の姿。

 

 れんげの姉、かず姉こと宮内一穂先生。彼女は旭丘分校のたった一人の教師である。いくら6人しか生徒がいない上に、学年がほぼバラバラだから勉強はほぼ自主的なものだからといっても、子どもの前で寝る教師ってのはいかがなものかと思う。

 

 けれど、れんげ含む旭丘分校の生徒たちにはこれが当たり前のようで、さして気に留めていないようだ。実際、すやすや眠る教師を放置して、他の生徒たちはさっさと休み時間に入っている。

 

 蛍と小鞠は仲睦まじくお喋りしていて、夏海がそこに割り込み、姉の小鞠にちょっかいをかけて怒らせている。

 

 そして。

 

 教室の後ろの席で黙々と何かの作業をしている少年。俺がここに転校してくるまでは、旭丘分校で唯一の中学3年生で、唯一の男子生徒だったやつ。

 

 彼こそ────越谷卓。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺が旭丘分校に転校してきたのは、梅雨明けでカラリと晴れた頃。

 

 自己紹介を終えた俺に、宮内先生は言った。

 

「じゃ、佳月くんの席は兄ちゃんの前ねー」

 

 兄ちゃん、と言われて最初はきょとんとしてしまった。宮内先生の兄かと思っていたが、その想像はすぐに訂正された。

 

 5つ並んだ席の中では目立つ、たった一つのXY染色体。あれが先生の言う“兄ちゃん”だと思い至る。

 

 “兄ちゃん”の前に運び込まれた、新しい机に着くと、すぐ隣の女子が話しかけてきた。

 

「ウチ、越谷夏海! 中1ですよろしくー! あ、づっきーて呼んでもいい?」

「あ、うん。いいよ」

 

 スポーティーそうで元気な子だな、と感じる。自然体なフレンドリーさで、好感が持てた。

 

「ちょっと夏海、佳月さんは中3なんだからタメ口は……」

「いいです、別に。えーっと、あなたは……」

「あ、私は中2の越谷小鞠です。夏海の姉」

「……姉」

 

 越谷夏海と越谷小鞠では、越谷夏海の方が20cm程度身長が高い。髪のはね具合とか目元から、なんとなく2人は姉妹かと予想していたけれど、完全に越谷小鞠が妹だと勘違いしていた。

 

「で、そっちが兄ちゃん。越谷卓」

 

 小鞠が指したのは、俺の後ろの席────例の“兄ちゃん”。名字からして、彼は夏海と小鞠の兄。つまり俺と同じ中3ってわけか。

 

 眼鏡をかけている、地味な男子生徒。明るい妹とは大違い。

 

 眼鏡の奥から此方を覗く瞳にも、妹たちより白い表情にも、何の感情も浮かんでいなかった。転校生なんていうスペシャルイベントにはしゃぐことも、突然の余所者に嫌悪することもなく、ただ此方を見るだけ。

 

 正に“無”。無言で、無表情で、無感情で、無関心。

 

 その様に、思わず怯んでしまう。前の学校にいたときに見かけた、どんなウェイ系や半グレにも動じなかったのに、この少年には心が揺らいでしまう。

 

「よ、よろしく、卓くん」

 

 動揺が喉までせり上がる前に、別の言葉に追い越させた。

 

 越谷卓は、ほんの少し間を空けてから、小さくコクリとお辞儀した。

 

 それで終わりだった。

 

 

 

 

 旭丘分校での、初めての授業が全て終わった。まあ授業といっても、学年が全員バラバラなので、基本ワークを用いた自習だったのだが。

 

 夏休みが近いので、今日は給食なし。寂しい腹を抱えて、俺は帰りのバスに揺られる。

 

「あの、佳月先輩はどこの学校から来られたんですか?」

「大阪。でもその前は新潟。親が転勤多くて」

 

 一条蛍の質問に、俺は簡潔に答える。身長160cm超の彼女は、初見では中学生かと思っていたのだが、なんとこれで小学5年生。成長期にもほどがある。

 

「今まで何回引っ越ししたのん?」

「……小学校入ってから、7回くらい?」

「ななっ!! すごいん、づっきーはテレポーターなん!?」

「超能力はないかな……」

 

 宮内れんげは、分校で最年少の小学1年生。だが、聡明かつ無邪気ゆえか、時折予想もしない奇天烈なワードセンスを発揮することがある。

 

 バスの一番後ろの、5人座れる席。そこに俺と小学生コンビ、そして越谷卓が座っていた。越谷姉妹は2人席だ。

 

 一番端の席に座る越谷卓は、女子たちがきゃいきゃいお喋りしている中に入ることなく、黙って窓の外の景色を眺めていた。

 

「な、ねえ卓くん」

 

 話しかけたのは、本当に無意識だった。そんなつもりじゃなかったのに。

 

 でも、この学校で唯一の同性だから、ある程度親しくなっておかないと生活に支障が出る。少しずつでも話せるようにならないと。

 

「卓くんって、さ、趣味とかある?」

 

 越谷卓が俺を見た。

 

 無言。

 

 無言。

 

 更に無言。

 

 いやいや、他人に情報を出してもらうんだから、まず自分から晒け出していかないと。

 

「え、っとね、俺は……えー……」

 

 あ、どうしよう。

 

 俺も、さして趣味なんてなかった。

 

 スポーツとか、カラオケとか、ゲームとか、全部全部その場の人付き合いのためにやってただけで、熱中できたことなんてひとつもない。

 

 まずい。会話が止まってしまった。

 

 帰りたい。現在進行形で帰っているが。

 

 そのとき、気まずい空気を察してくれたのか、一条が助け船を出してくれた。

 

「お、お兄さんは工作が得意なんですよ! あとピアノも弾けますし! ね、お兄さん?」

「……」

 

 越谷卓が頷く。

 

 小学生に助けられてしまった。やれやれ。

 

「へー、すごいな。工作ってどういうの作るの?」

「なんか……粘土こねたり、木の板組み合わせたりとか……文化祭で、お兄さん曲げわっぱみたいなの展示されてましたよ!」

「曲げわっぱ」

 

 曲げわっぱ。古き良き伝統工芸品、曲げわっぱ。

 

 ……よくわからないが、すごいのはわかった。でも曲げわっぱファンでもない俺に、曲げわっぱについてこれ以上突っ込んで聞く勇気と知識はない。

 

「文化祭とかやるんだ、この学校」

「はい! 楽しかったですよ!」

「なっつんが『文化祭はもうこりごりです』ってやってて面白かったん」

「れんちょん。もうそこは忘れてくれよれんちょん」

「あのときは散々な目に遭ったよねー……」

「でも、小鞠先輩の腹踊りかわいいと思いますけど……」

「腹踊りってなに……?」

「そうそう、聞いてよづっきー。姉ちゃんたら、たぬぽこたぬぽこやるのが恥ずかしくなって途中でリタイアしてさー」

 

 その後、俺と一条蛍たちは、下車するまで文化祭の話で盛り上がった。

 

 越谷卓とは、結局その日一度も言葉を交わさなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから1ヶ月が過ぎた。

 

 その間に、俺はなんとなく旭丘分校のことを知っていった。

 

 一条蛍は学校で一番大人びていて、犬を飼っていて、割とアグレッシブ。それから、どうも越谷小鞠に気があるらしい。是非とも、もっとガンガンいってほしいところだ。

 

 宮内れんげは発想がユニークで、良い意味でも悪い意味でも場をかき乱すことがある。宮内先生以外に姉がいるそうで、東京の高校に通ってるとか。あと狸を飼ってるらしい。名前は『具』。末恐ろしい。

 

 越谷夏海はとにかくビタミン感溢れる元気っ子だが、予想を裏切らず勉強ができない。ボール遊びで家の植木鉢を割ったり、障子を破ったりとか、時代を間違えたかのようなお茶目をする。

 

 越谷小鞠は低身長に強いコンプレックスを抱いているようで、何かにつけて“大人のお姉さん”を強調してくる。俺は中3になってから身長が伸びたし、一条蛍がああなったのも今年になってから急にらしいので、気にすることはないと思うが。

 

 そして、越谷卓。

 

 最初、俺は彼のことを、ひどく異質な存在と認識していた。

 

 唯一の男子生徒。ゆえに、他の人からぞんざいに扱われたり、輪に入れないことが多い。アットホームな分校の空気からは外れた者。

 

 けれど、それは勘違いだった。

 

 授業での取り組みとか、休み時間や放課後に遊ぶときとか、みんな越谷卓をちゃんと仲間に入れているし、越谷卓も積極的にそれについていっている。ただ、殆ど会話をしないだけで。

 

 雑な扱いを受けることもあるが、彼は勉強も運動もそれ以外も人並み以上にできるハイスペックさを備えていて、彼の行動が物事に重要な変革をもたらすこともあり、それなりに周りから尊敬されているようだ。

 前の夏にみんなで行ったという沖縄旅行も、くじでチケットを当てたのが越谷卓なのだとか。

 

 まあ彼に対する印象は、こんな感じで多少変わった。

 

 じゃあ仲良くなれたかというと、そうでもない。

 

 俺と彼の関係が進展したのは、夏休み終盤だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日は、夏休み最終日の1週間前。みんなで越谷家に集まり、宿題会をすることになった。

 

 “終わっていない宿題を全て済ませてしまおう”という目標を掲げてはいるものの、友達同士がひとところに集まって、黙々と勉強が進むわけもなく。夏海は早々に嫌気が差し、お菓子を食べながらゴロゴロジタバタしていた。

 

「あー!! なんで宿題がこんなにたくさん残ってるんだよー!!」

「計画的にやらないからでしょ? せめてワーク類は全部終わらせないとヤバいよ夏海」

「わかってるよー、わかってるけどウチの心が徹底的に活字を拒絶するんだー」

 

 夏海は、なんと宿題の九割が終わっていないようだ。ワーク類は最初の数ページだけしかやっていない。あとは放置。

 

 俺は小鞠と同じで、計画的に進める派。ただ、読書感想文だけは、面倒くさくてついつい後回しにしてしまっている。

 

「ほたるんは、今回も自由研究でぬいぐるみ作るのん?」

「うん! 犬のぬいぐるみ作ったんだー。しかもロボットが入ってるから動くんだよ。れんちゃんは?」

「ウチは生き物の観察日記なん。たくさん観て察しましたのん」

 

 観て察するとは。

 

「ねえづっきー! 頼む、ウチの代わりに宿題をやってくれ! 300円あげるから!」

「俺って300円程度の価値しかない人間なんだ。ひどいな夏海」

「ほんとひどいよね夏海。労働基準法って知ってる?」

「わ、わかった! 駄菓子屋で好きなやついくらでも奢るから!」

「俺って駄菓子でどうこうできる安い人間なんだ。ひどいな夏海」

「せめて村の外のショッピングセンターまで行きなさいよ」

「お願いだよづっきー……手持ちがすっからかんなんだ……あとでどうにかするからさー」

 

『あとでどうにかするから』。夏海の最も信用してはいけない発言ランキング堂々の第1位に燦然と輝いている。

 

「卓……お兄さんに頼めばいいじゃん」

「兄ちゃんは『最終日までは手を貸さない。自分で頑張れ』って」

 

 アイツ、そんなことも言うのか。そもそも何かを言っているのを聞いたことがないけど。

 

 いや、卓はちゃんと声も出るし話も出来る人間だ。授業ではハキハキ受け答えしているし、音楽の時間は大概伴奏担当だけどたまに歌ってるし。ただ、声がなんだか印象に残らない。

 

「あ、そうだづっきー。これ兄ちゃんに出してきて」

 

 寝転がった姿勢のまま、夏海は俺に開封済みのポテチの袋を差し出してきた。

 

「賄賂」

「違うし! ただ食べる気がなくなったから、残りは兄ちゃんにあげようと思って……今2階の部屋でギター弾いてるはずだから」

「あー、はい」

 

 承諾したはいいものの、俺は彼と物品をやりとりするほど親しくない。

 

 不安と緊張を肩に乗せた状態で2階に上がると、ガチャガチャしたエレキギターの音が鼓膜をしきりに殴りはじめた。

 

 音の聞こえてくる方向へ歩き、卓の部屋らしきドアの前で立ち止まる。

 

「卓? ちょっと失礼してもいい、かな?」

 

 ノックをするも、返事はない。ギターの旋律が喧しい。広い敷地を持つ田舎の家だからこそできる芸当だ。

 

「失礼しますー?」

 

 返事はない。

 

 音が止むまで待つのも面倒なので、そのまま部屋に踏み入った。思えば、これが卓の部屋に入った最初のことである。

 

 部屋に入ってまず見えたのが卓本人。椅子に座った彼は赤いギターを抱え、ジャラジャラギャラギャラと弦を弾いていた。だが、俺の姿を視認すると、ピックを操る手を止め、機材の電源を落とした。

 

「ギター弾けるんだ。すごいな」

 

 素直に感想を述べると、卓はやはり無言で頷いた。

 

「あ、これ夏海から。食べる?」

 

 ポテチを差し出すと、静かに受け取られる。

 

 ちらちらと部屋の中を見回した。アニメのポスターとか、フィギュアが目立つ。ヲタク趣味があるのだろうか。

 

 用事が終わったので帰ろうとすると、トントンと肩を叩かれた。

 

 振り向くと、卓の“無”の視線とぶつかる。

 

「え、えー……なに?」

 

 無遠慮に部屋をじろじろ見たのがいけなかったのだろうか。

 

 と思いきや、彼はどこからかトレーを取り出し、ティッシュを一枚敷き、その上にポテチをざーっと盛り付けた。

 

 すっと促すように手が差し出される。

 

「一緒に食べよう……ってことでいいの?」

 

 首肯。

 

「あー……」

 

 どうしよう。ここにコイツとふたりきりはかなり気まずい。せめて夏海が緩衝材になってくれたら。いや卓と対立したことなんて一度もないけれども。

 

 でも、これは卓と親しくなるチャンスなのではないだろうか。

 

「うん、じゃあお言葉に甘えて」

 

 言葉なんて述べられなかったけど。

 

 

 そして、その後数分間。特に何もなかった。

 

 俺と卓は、無言のまま、ただただ向かい合ってポテチを食べ続けるだけで終わった。

 

 油脂が染みたティッシュの上に何もなくなったとき、俺はポテチを食べることで誤魔化していた気まずい空気に直面せざるを得なくなった。

 

「えー……とー……」

 

 何か。何か言え俺。卓がじっと見つめてきてるけど何を思っているのか全然わからないが、とにかくサムシング言え俺。

 

 ふと、直前の記憶が脳裏に閃いた。

 

「だ、駄菓子屋! なあ、駄菓子屋行かない? 明日、そのー、ふたりで」

 

 卓の表情は変わらない。

 

「な、夏休みの宿題、終わって、る、なら。良ければこう、かき氷とか食べに」

 

 一呼吸ほど間を空けたあと。

 

 卓はコクリと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 駄菓子屋というと、勝手におばあちゃんがやってるイメージを持っていたのだが、この村の駄菓子屋は金髪のお姉さんが経営している。

 

 本名は加賀山楓だが、みんなは駄菓子屋と呼んでいる。宮内先生の後輩らしい。

 

「すみません、かき氷の宇治抹茶味ください」

「はいよ、まいどあり。……ああ、卓はいつものな」

 

 俺の隣に視線をやったかと思えば、駄菓子屋は一瞬で何かを読み取ったように付け加えて、奥に一旦引っ込んだ。

 

 卓は注文とか出来るんだろうかと勝手に心配していたのだが、その必要はなかった。

 

 そうか。わざわざ言葉にせずとも、この人たちはアットホームな旭丘分校で長い時間を共に過ごしていたから、いろいろなことが伝わるのか。

 

 やがて、がりがりとかき氷メーカーのハンドルを回す音が途絶えて、少ししてからかき氷がふたつ出てきた。

 

「はいどーぞ。急いで食べると頭痛くなるからな。気をつけろよ」

「ありがとうございます」

 

 卓の言う(言ってないけど)“いつもの”とは、ブルーハワイのやつだったらしい。

 

 ふたつ受け取って、ブルーハワイを卓に手渡す。

 

 駄菓子屋の外にあるベンチに腰掛け、俺はプラスチックのスプーンをかき氷に突っ込んだ。都会のお洒落なカフェのふわふわしたものとは全く違う、ゴリゴリの“氷”。

 

 暫し、やはり、無言で食べ続けるだけの時間が続いた。

 

 やがて容器の中に、抹茶色の水のみが残るようになったとき。ふと隣を見ると、卓がスプーンを生半可な位置で持った姿勢のまま、硬直していた。

 

「……卓?」

 

 返事はない。

 

「もしかして、頭キーンってなってる?」

 

 問いかけると、本当に僅かに────脳になるべく振動を与えたくないからだろう────卓が頷いた。

 

 黙って頷くその仕草は、何万回と見た光景だった。けれど、今まで感じていたような“無”ではない。そこからは、確かに感情が読み取れた気がした。

 

「そーいうとき、おでこに器とか当てて冷やすといいらしいよ。テレビで言ってた」

 

 俺の言葉に、卓は素直に従った。

 

 額にかき氷の容器を当て、心なしかぐったりしたように肩を落とす卓を見ていると、なんだか愉快になってくる。

 

「なあ。明日はひとりでバス乗り継いで、町の方まで行こうと思ってんだけど。お前も来る?」

 

 卓は視線だけを此方に向けた。

 

 そして、無言で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休みが終わり、2学期が始まった。

 

 とはいえ、この田舎の学校においては、『夏休みの間に誰と誰が付き合い始めた』だの、『夏休みの間に誰かがやらかして補導された』だのというハイカラなニュースは一切舞い込まない。

 

 いつも通りの、平穏な学校生活が再開されるだけ。

 

「文化祭……?」

「そう! づっきーもやりたいでしょ文化祭!」

「文化祭はもうこりごりなんじゃ?」

「次は大丈夫! 夏海ちゃんに任せなさーい!」

 

 前回の文化祭は、夏海の思いつきで一週間前からの準備だったらしい。しかし、お遊戯やら手品やらがアレな出来だったとか、料理の作り方がわからなかったとかで結局ぐだぐだのまま終わってしまったとか。

 

 よって、その反省を生かし、新たなメンバーを迎え、ここに再び文化祭計画を再始動する────! と、いうのが夏海の論。

 

 この提案に、旭丘分校内の意見は割れた。

 

 まず、小鞠は圧倒的反対派。「夏海主催だったら、今回もあんなことやらされるかもしれないじゃん! 私もうやだからね!」と断固として拒絶している。

 

 れんげは賛成派。「ウチ、今度は鍵盤ハーモニカでフロアをアゲていきたいん」と述べている。

 

 そして、教室の和を重んじる俺と蛍と卓は中立。蛍は若干小鞠寄り。

 

 要するに、小鞠とれんげの一騎打ちである。

 

「こまちゃん、こまちゃんの踊りは決して恥ずべきものではないのん。たぬきの皮を被り、雨乞いと豊作を天地に願う立派な……」

「何が立派よー! ただ私に変なコスプレさせて踊らせたかっただけでしょ!?」

「先輩……あのたぬきコスチューム、あまりお気に召してなかったんですか……? ごめんなさい、私ったら小鞠先輩のことを考えず、自分の趣味を優先してしまって……」

「い、いやいや、蛍が悪いんじゃなくて! あの衣装自体はかわいいよ!? でもなんか私が着るのは、こう、恥ずかしいというかね!?」

 

 小鞠が劣勢のようだ。

 

 俺と卓は机をくっつけて、安全な場所から戦況を見守っていた。

 

「文化祭のコスプレさ、小鞠がたぬきで、蛍が猫で、れんげがキリンさんで……夏海がなんだっけ、UMAだったらしいじゃん。お前は何だったの?」

 

 卓は少し考えるような素振りを見せると、机の横に掛けたカバンから数枚の写真を取り出した。

 

 恐らく文化祭の様子を写したものだろう。その中に一枚、卓メインの写真があった。

 

 写真の中の卓は、犬らしきコスプレで正座していた。三角耳に、突き出たマズル。隣には、やけに出来映えのいい犬小屋オブジェ。

 

「え、めっちゃ似合ってんじゃん。ウケる」

 

 人間に獣の模倣なんてさせて何が可愛いんだか、と今までは思っていたが、顔が良いやつにこういうことさせるとなかなか、こう、いとをかしだ。

 

 そう、この越谷卓とかいう男は、地味ではあるが存外顔の造形のレベルが高い。妹ふたりのポップな愛らしさは継いでいないが、素材が良い。

 はじめ、卓は夏海や小鞠に全く似ていないと思っていたが、よくよく見ると、髪質の感じとか、ふとした他愛ない仕草とか、瓜二つだ。

 

「俺も今年文化祭あったら、犬のコスプレしてやろっかなー」

 

 すると、卓は今度は図鑑らしきものを取り出して、あるページを開いた。

 

 

 ウーパールーパーだった。

 

 

「何をう、お前、俺なんてメキシコサラマンダーの成体のなり損ないってか! アホロートルってか! このやろ、せめてコモドドラゴンって言えー! そっちのがカッコいい!」

 

 ちょっとムカついたので、少々癖のある硬髪をくしゃくしゃにしてやろうと襲いかかった。しかし更にムカつくことに、卓はそれを無駄のない動作でひょいひょい避ける。

 

「ねえちゃーん、そんなに踊るのがいやなら歌う方やれば? ウチが作詞作曲するよ」

「絶っっっっ対やだ!!」

 

 あちらの戦いも長引きそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その翌日。

 

 俺は、一週間後に別の町に引っ越すことが決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……というわけで、文化祭の準備は引っ越しのごたごたで参加できないと思う。ごめん」

 

 結局、夏海の屁理屈ごり押しによって決定した文化祭。一月後の開催に向けて、越谷家にて意気揚々と準備を進めるみんなの気分を冷めさせるような情報を、俺は伝えた。

 

「一週間後って……! そんなん急すぎるよ!! もう少しここに長くいられないの!?」

「ごめん夏海。もう確定してるんだ。大人の事情とかでさ。親の中では、ずっと前から決まってたみたい」

 

 ど田舎で予想以上に楽しくやっている我が子の姿を見て、なかなか真実を告げられずにいたらしい。なんとも勝手で迷惑な気遣い。

 

 もし、もっと早く言ってくれたら、文化祭ももっと早めに開催できたろうに。

 

「それに、佳月さんはまだ2ヶ月もいないじゃないですか……!」

「いくらなんでも短すぎるでしょ!」

「……そんなに、お父さんのお仕事大変なのん?」

「なんというか、元々ここにいるのは臨時的なアレだったんだって。そんなに次の転勤に向けたハブスポット的な?」

 

 俺は、父がどんな仕事をしているのか詳しく知らない。前に一度説明されたことがあったのだけど、ケーキ屋とか、警察とか、そんな簡単に明文化できるものじゃないらしい。

 

 まあ、こういうのは何度も経験した。だから今更、大人たちの理不尽に憤ることなどしない。そうするだけエネルギーの無駄だ。

 

 ────ほんとは、この学校の生徒とも深く付き合うつもりはなかった。どうせすぐ別れるのだから、ベタベタするだけエネルギーの無駄だ。生活に差し支えのないように、尊ばれず、疎まれず、そこそこの距離感で接するつもりだったのに。

 

 明らかに取り乱し、動揺する4人とは正反対に、卓はやっぱり無言で無表情だった。

 

 ただ、“無”の視線はやけに心に突き刺さって、直視できなかった。

 

 

 

 

 れんげと蛍が帰宅し、三兄妹が自室に引っ込んだあと、俺はまだ越谷家のリビングにいた。

 

「ごめんね、引き留めて。どうしても、一度話したかったの」

 

 卓たちの母親、越谷雪子さんはお茶を入れながら言う。

 

 あの癖の強い3人を生み育てた人なだけあり、彼女はとてもしっかりしていて、何が起きても動じない、器の揺るぎなさを感じた。

 

「佳月くん、うちの兄ちゃんと仲良くしてくれてるじゃない。……あの子、ちょっと口数少ないし、感情が表情(おもて)に出にくいから、付き合いづらいでしょ?」

「いえいえ、そんなことないです。卓くんは真面目で優秀な人です」

 

 勿論、本音は綺麗に包んで隠して、心の埋め立て地にシュートだ。友人の親に、友人について悪く言うなんて出来るはずがない。

 

「なら良いんだけどね……」

 

 雪子さんが苦笑する。笑った口元は、娘たちにそっくりだった。

 

 卓もこんな風に笑ったりするのだろうか。俺は卓の笑顔を見たことがない。

 

「……“男だから”とか、“お兄ちゃんだから”とか、そんな育て方をしたつもりはないんだけど……あの子は優しいから、妹にいろいろ譲っちゃうのよ。物も、発言する機会とかも。だから自然と、夏海や小鞠の口が達者になっていく分、兄ちゃんは大人しくなっていっちゃって」

 

 一人っ子の俺には、心の底からは共感できない経緯だ。だが、自分より年下の人間と近しい関係になり、付き合うのはひどく大変なことに思えた。

 

「知ってる? あの子が入学してからこれまで、あの学校の男子生徒は兄ちゃん一人きりだったのよ」

「え」

「だから、佳月くんが転校してくるって知らされたとき、あの子ったらそれはもう喜んでたし浮かれまくっててねえ」

 

 喜び、浮かれる卓。想像もつかない。

 

「私も安心したわ。これで卓に、ようやく同性の友達ができるんじゃないかって……。でも、あなたはもう引っ越してしまうから、きっとあの子は寂しいでしょうね」

 

 雪子さんは、どこか遠くを見た。視線の先にいるのは、2階の部屋にいる卓であり、“たったひとりの男子生徒”だった頃の、記憶の中の卓でもあったのだろう。

 

「佳月くん。あの子と友達になってくれて、ありがとう」

 

 湿った声で、哀しげな笑顔で、感謝される。

 

 卓は、別れのときにこんな風になるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから一週間、俺は忙しかった。

 

 学校では、俺の最後の思い出作りのために、みんながいろいろとやってくれる。

 

 家では、引っ越しの準備が着々と進行する。

 

 何か奇跡や魔法みたいなイベントが起こることもなく、村での時間は穏やかに、しかし確実に過ぎてゆき。

 

 遂に、引っ越し当日になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな、ありがとう。短い間だったけど、お世話になりました」

 

 定型文(テンプレート)な挨拶をするも、小鞠たちの啜り泣きにかき消される。

 

 俺の家の前に、みんなが集まっていた。分校の生徒、宮内先生、それに駄菓子屋のお姉さんまで。

 

 ミニバンとトラックは俺たちのそばに黙然と停車していて、てかてかした大きい車体からは「早く乗れ」という威圧感を覚える。

 

「づっきー、ごめんねっ、ぶんかざい、もっと早くでぎだらざぁ」

「気にしないで。俺の分まで楽しんでよ」

「ひっ、ぐすっ、へぐぇ、うぅ、あっちでもがんばってね、うぐ、ひすっ」

「うん。でも、まず涙拭いて小鞠」

「ウチ、ウチ、もっとづっきーと遊びたかったん……!」

「私、佳月先輩のこと、忘れませんから……!」

「ありがとう。また遊びに来るね」

 

 すらすらと言葉が出てくる。別れを惜しむ言葉に対する、気遣いで編まれた最善のセリフが。慣れたものだ。シチュエーションに慣れすぎて、まるでスクリーンを隔てた映画の世界を観ているかのようで、涙のひとつも出ない。

 

 卓は、無言のまま、じっとこちらを見つめてくる。

 

 その後、俺はみんなから餞別を貰った。夏海からは、お気に入りのボール。小鞠からは、フォトフレーム。れんげからは、俺含む旭丘分校の生徒を描いた絵。蛍からは、自作のトカゲぬいぐるみ。駄菓子屋は、駄菓子の詰め合わせをありったけくれた。

 

 そして卓からは。

 

「なにこれ、栞?」

 

 首肯。

 

 押し花かと一瞬思ったが、よく見ると色鉛筆画だ。れんげに負けるとも劣らぬ達筆。

 

 黄色い花弁が4、5枚に、中央に赤い実のようなものをつけている。左下に小さく「サネカズラ」と書いてあった。コイツはこんな字を書くのか。初めて見た気がする。

 

 そうだ。俺は、コイツのことも、この村のことも、まだ全然知らないのに。

 

「ありがとう。大事にする」

「……」

 

 卓が見つめてくる。口を真一文字に引き結び、真っ直ぐに、真摯に。

 

「……じゃ、そろそろ行くわ」

 

 プレゼントを抱えて、ミニバンの後部座席に乗り込む。

 

 荷物が大量に積まれ、詰まれた荷室の向こう側から、まだ泣き声が聞こえる。

 

 アイツは────卓は、泣いているだろうか。あの鉄面皮は、最後に泣き崩れるのだろうか。

 

 それは、なんだか嫌だった。

 

 最後に知るアイツが涙に濡れた顔だなんてのは、嫌だった。

 

「卓!!」

 

 窓から身を乗り出し、後方の卓に向かって叫んだ。

 

 卓は、まだ泣いていなかった。どこか呆然と立ち尽くしている。

 

「俺、絶対また来るから! 受験終わって、春休みになったら絶対来る! もし行けなかったら針百億本呑んでやる!」

 

 眼鏡の奥の瞳は、硝子みたいに無機質で、ただ俺を映すだけ。

 

 車のエンジンがかかる。

 

 

 その刹那。

 

 

 

 

「────────!!」

 

 

 

 

 卓が、何かを叫び返した。

 

 エンジン音がうるさくて、花鳥風月もアイツの声を聞けなかったんだろうけど、俺はちゃんと聞き届けた。

 

 発車する。

 

 遠ざかっていく村。ひと夏の想い出。

 

 最後に見た卓の表情は、笑顔だった。

 

 妹たちと同じ────否。妹たちに負けないくらい、太陽も恥じらうような、眩い大輪の笑顔だった。

 

「アイツ、いつもそうしてりゃモテるのになぁ」

 

 ま、こんな田舎の、しかもクラスメートが妹と小学生しかいないようなところでモテたって仕方ないか。

 

 サネカズラの栞を、もう一度見る。

 

 美しい色彩も、丁寧な筆使いも、視界が滲んでいたからはっきり見えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前さ。受験会場に、別れた友を見つけたときの俺の気持ちって考えたことある?」

「……」

「これで万が一どっちか落ちたらさ、春休みに遊びに行くなんて気まずすぎて無理じゃん。俺が針百億本呑む羽目になるじゃん。お前は危うく、人を1人死に追いやるところだったんだぞ」

「……」

「なんだその顔。自分が落ちるわけないって? くっそ羨ましいなあ頭良いやつは。まあ受かったからいいけど」

「……」

「え? ……引っ越さないよ、もう。一人暮らし始めたから。卓は実家から電車?」

「……」

「お前も一人暮らしなの? へえー……あ、なにコレ住所?」

「……」

「は!? これ俺の部屋の隣じゃないか!! 嘘だろぉ……!?」

 

 





サネカズラの花言葉 『再会を願う』


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