ある秋の月末、法に触れない限りどんな格好で外を闊歩しようが許される日に、自分はもやもやした気持ちを心中に孕ませながらベットに寝そべり、娯楽だけに特化した電子機器の使用に勤しんでいた。
しかし、やる気も集中力もままならず、今日一日で何度も見た敗北を告げるリザルト画面ににうんざりしてゲーム機を枕元に放り投げると、ノロノロと立ち上がり、窓の方へ滲み寄る。
周囲の樹々と同じくして赤く染まっている空が見える外との繋がりを阻む透明な壁を右にスライドすると、はしゃぐ子供たちの声がコミカルな音楽に乗って窓の隙間から僅かに通り抜けてきた。楽しげな風の発生源である商店街ではハロウィンのお祭りが開催されていて、夏祭りには幾分か劣るものの、売店や出し物もそれなりの規模で行われている。
そんな祭典に、自分も最近できた彼女、奥沢 美咲を誘って久しぶりに足を運ぼうと思っていたのだが、彼女は当日予定があると断られてしまって、残念がりながら1人で行こうかなとぼやいたところ、何故か絶対来るなと釘を刺されてしまった。
なので渋々家の中での活動に甘んじているが、こうして楽しげな様子が伺えると、一度行く気になっていた身としてはすぐさま家を飛び出して行きたい衝動に駆られてしまうことは避けられない。
彼女の言いつけを守るべきという考えと、少しぐらい覗くなら別に問題ないのではという意見が、脳内で真正面からぶつかり合い、しばらく続いた欲望と理性の鬩ぎ合いに決着が着くと、開けたばかりの窓をしっかり施錠してから、部屋着を脱ぎ捨てた。タンスを漁って適当な服を見繕い、財布とスマホをズボンのポケットに突っ込んで商店街へと向かう。
目指す場所に近づくごとに増していく黄色い声たちに引っ張られるように、歩調は自然と速くなっていった。
予想以上の盛況を見せる商店街を賑わすのは、ほとんどが自分の腰程度の背丈である子供たちだった。しかもその服装は大半がおばけやアニメのキャラを模していて、普段と変わらぬ格好をしている自分を、違う世界に迷い込ませたように錯覚させる。
込み上げてくる高揚感に導かれるまま、弾む音楽が流れてくる中心部へと進んでいくと、設置された特設ステージに立ったバンドが会場を沸せていた。人混みの隙間から遠くにあるステージの様子が視界に入った瞬間、驚愕のあまり思考が止まってしまう。
なんと、ピンクのクマがDJをしていたのだ。
バク転しながら平然と歌を歌い続けるボーカルや、一挙一動で女性からの黄色い声援を飛び交わせるギターなど、明らかに他の人たちとは一線を分けた人物がいるが、ステージに立つ5人中4人が容姿端麗の少女なのにも関わらず、最後の1人がピンクのクマ、正確にはデフォルメなデザインの着ぐるみだとしても、真っ先に視線を奪われてしまうのは避けられない。
だがしばらく経ち、出会い頭の衝撃が薄まってきてから気付く。あの着ぐるみの人の凄さを。
着ぐるみの人が扱っている機具は遠目から見ても楽器というよりかは機械のイメージが強く、精密な操作が必要なように思える。
自分は音楽にそこまで流通しているわけではないが、それを直の手ではなく、厚手の手袋をしているような状態でおこなうには、余程の経験による慣れがない限り不可能なのではないだろうか。
己の憶測を前提に、中の人の技術にただただ感嘆しているうちに最後の曲が終わり、終幕のちょっとしたトークが繰り広げられる。
ボーカルのぶっ飛んだ発言に肯定的な反応を示したギターやベースに、すかさずツッコミが入ったのだが、その呆れた声を聞いた途端、先のものを一足跳びに凌駕する驚きが短い喘ぎ声となって空気を揺らした。
聞き覚えがある、どころの話ではない。その声は、つい昨日この場に来ないよう告げてきた声と瓜二つで、自然と脳裏に長めの黒髪ボブの少女が浮かび上がってくる。同時に、ある可能性も。
半信半疑の自身の予想によって湧き上がった、動揺と困惑を頭に同居させるこちらを置き去りにして、アンコールのイントロが辺りに響き渡る。
最高潮に沸き上がった観客の中で己がただ1人のみが、空気感に相応しくない唸り声を上げていた。
アンコール曲も終了し、大盛況のままステージは幕を降りた。
どうやら全体的な出し物もこれが最後だったらしく、機材を片付けるスタッフたちを背に、人々は出店を回り直す、または帰路に着くため、まばらに散っていく。行き先はバラバラなのに、その面々には決まって満足げな笑みが浮かんでいた。
魔法にかけられたかのように、周囲が一糸乱れぬリアクションを見せるのに対して、自分だけはその恩恵を受けることができずに両の眉を中央へと寄せて頭を悩ませていた。
鏡を持ち要らずとも自身が思い詰めた顔をしているのをさまざまと感じつつ、人波の隙間をすり抜けてたどり着いた、雑多とした賑わいに置いていかれた通りにぽつんと佇むベンチに腰掛ける。背もたれから鈍い音を立たせて見上げた空は、一番星が僅かな光でその存在を主張し始めていた。
夕色を侵食している紫苑で瞬く星の光を完全にシャットダウンしてから、ずっと思考の大半を占拠している疑問に深く潜っていく。
・・・なぜ、ステージの上から彼女の、美咲の声が聞こえたのか。それについては、予想だけならなんとなくできている。
しかし、彼女の言動を見る限り、自分がそこまで踏み込んで良かったかがわからない。もしかしたら彼女は、すっぱり全て忘れることを望むかもしれないという予知が、こちらの頭を絶えず悩ませ続けている。
しばらく考え込んでいると、夜風に肌を撫でられて軽く身震いしてしまうので、やむなく白紙の回答を手に帰り道を辿るべく立ち上がろうとしたこちらの鼓膜に、未だ残っている余韻と全く同じ振動が入力された。
「・・・なんであんたがここにいるの?」
真正面から浴びせられた問いを、回しに回して疲弊していた頭が受け入れる前に、黒い毛先を肩に触れさせた少女はわざと音を立てて隣の空間を陣取る。
懐疑的な感情を宿したグレーの視線が突き刺さってくるのをありありと感じつつ、もう随分と時間によって流されたように思える、まだ夕陽が沈む前の記憶を掘り起こし、暇だから足を運んだという情緒のへったくれもない理由を恐る恐る口にすると、彼女は模範解答のようなため息をひとつ吐いた。
「・・・ちなみに、いつ来た?」
不気味な沈黙のあとに投げられてきたのが、言いつけを破ったお咎めではなかったことに内心ホッと一息ついたのだが、追加の質疑に答え損ねたらどうなるかわからないので、慎重に審議してから事実を述べると、美咲は表情に秘めた心情の色を深め、今度は間髪入れずに口を開いた。
「そんな終わるギリギリの時間に来てなにするつもりだったの…」
確かに、今訊かれると返す言葉が見当たらないのだが、あの時の自分はこの場に行くかどうかの次元で考えており、なにをするかなど考えてすらいなかった。
先の2問とは違う理由で伝えることを渋っているこちらに、美咲は根本の感情は変えなかったものの、口元に淡い笑みを浮かべて紙袋を放ってくる。
勢いはほとんどゼロだったが、いきなりの投擲に仄かな熱を持つ薄茶の袋が何度か手元でその身を踊らせた。
辛くも地面に落とさずに済んだ袋を開くと、鮮やかな狐色の肌を持つパンが姿を現した。同時に甘い空気が内から一気に押し寄せ、空の胃袋を強く刺激する。
音となってそれを示したこちらに彼女は、呆れた声でやっぱりと呟いた。
「まったく…、その様子だと、どうせろくなもの食べてなかったんでしょ」
普段なら返答に詰まる指摘も、どんどん肥大していく空腹を満たすことに意識の大半を持っていかれていた今の自分にはほとんど届いておらず、生半可な返事だけをして袋の中へ右手を向かわせ、ひとつだけで袋の空間を圧迫している存在を引っ張り出す。
すぐさまかぶりつきたい欲求をなんとか抑えてパンを半分に割くと、黄赤色のペーストが顔を覗かせた。
口の中に唾が湧き上がってくるのをまざまざと感じつつ、片割れを隣に座る少女に差し出すと、どこか不満げな光を揺らめかせていた彼女の瞳が大きく見開かれる。
「いやお腹空いてるんでしょ。私の分はいいから」
そう言ってこちらが差し出していた左手を押し返した美咲に、本当にいらないのかもう一度確認を取ったところ、さっき違うもの食べさせられたから大丈夫と、苦い顔をして答えるので、あまり深く追求はせずにふわふわもちもちのパンと滑らかな舌触りのカボチャのペースト、それぞれ違う角度の甘味を同時に味わう贅沢な行為に勤しみ始めた。
「あんたって…、変なところ律儀だよね」
突如とした彼女の指摘に内包された意図を汲み取れず、あっという間に空っぽになった右手から視線をスライドさせてから首を傾げたこちらに対して、彼女は大きな吐息を響かせる。真っ直ぐこちらを見据えるグレーの瞳には、いつになく真剣な光が宿っていた。
「無理して私の約束守ろうとしたり、自分のもの分けようとするやつのこと。・・・別にそこまで私に気を遣わなくていいから」
・・・確かに、今日のことを俯瞰して見れば、彼女にそういうふうに感じ取られてしまうのも仕方がないのかもしれない。自身のことを後回しにして、彼女を優先していたのは列記とした事実なのだから。しかし、それをしているのは彼女が考えていそうな暗いものではないのだけは、自分自身が一番わかっている。
それを伝えるべく、彼女が送ってくる視線をしっかり受け止め、キッパリとかぶりを振ったのち、掛け値ない本心を宙に滑らせた。
—好きな人に喜んでもらえるのなら、少しくらい無理したくなる—
言い終えたあとに小っ恥ずかしいセリフが口から飛び出していったことを認識し、誤魔化すように視線を逸らしてから持ったままのパンを貪ったものの、先の片割れとは違い、味を楽しめずに胃袋へと向かっていってしまった。
一瞬で手持ち無沙汰になった途端に、普段なら小言のひとつやふたつを飛ばしてくるはずの美咲が不自然に沈黙を貫いているのが気になり、視界が自然と隣に流れていく。
いつもの呆れた表情をしているだろうと、脳裏になんとなく浮かび上がっていた想像は、耳の先まで真紅に染めた彼女を見て跡形もなく消滅した。
予想と180度違った代償で身も心も硬直を強いられた故に固定された視線が、それに気付いた美咲の視線と交わった瞬間、彼女は回らぬ舌で捲し立て始める。
「み、見んな!ていうかいきなり変なこと言うな!」
さっきまでの静寂で溜め込まれていた分が一気に押し寄せ、両手を合わせて謝罪する対処しかできないこちらをひと睨みしてから、美咲は可動限界まで首を捻じ曲げてしまった。
再び訪れた声のない時間はしかしして、両者のあいだに吹く夜風の温度は完全に別物だった。
それから瞬きひとつすら躊躇う空気にメスを入れたのは、立ち上がった美咲がかろうじて拾える音量でした、帰るという短い呟きだった。彼女がいなくなるなら自分もこの場に長居する理由は皆無なので、遠ざかっていく足音を追う形で互いに帰路を辿る。
彼女の家の延長上にこちらの自宅があることを知っているからか、自分が隣を歩くことに彼女は特段言及を飛ばさなかったが、相変わらず肌を撫でる風の冷たさは変わらぬままだった。ご機嫌斜めな彼女を放置してこの空気を明日以降に持ち越すのは嫌なので、どうにかしようと思ってはいるのだが、具体的な案がまるっきり思いつかない。
「・・・じゃ、またね」
唸り声を喉に秘めながら考え込んでいるうちに、いつの間にか彼女の自宅前まで歩いてきてしまったらしく、美咲はこちらにひと言投げかけるのみで、視線すらくれずにドアの方へと歩を進めていった。
結局策などひとつも浮かんでいないが、このまま別れるのが1番マズイのがわからないほど思考能力は死んでないので、彼女が玄関のドアノブへと手を触れる寸前に、肺にあった空気をフルに活用し、詰まり気味だった喉から言葉を押し出して彼女を呼び止める。振り返った彼女が望む言葉を知らない自分は、また愚直に謝罪することしかできなかった。
せめてもの誠意を見せるために、限界まで腰を折ったこちらの頭上に、しばらくしてから今日何度も聞いた大きなため息がのしかかった。
「・・・別に怒ってない。いきなりあんなこと言われて驚いただけだから」
彼女の声が途切れてから、少しずつ視線を上昇させていく。長い時間をかけて前を映した視界の中には、いつも通り呆れに内包されて見えづらくなってはいるものの、優しい光を確かに宿らせた瞳でこちらを見つめていた。
気付かぬうちに強張っていた全身がゆっくりと弛緩していくのを感じ、深い呼吸をひとつ挟んでから、軽く手を振って踵を返したこちらの背を、今度は彼女の声がしっかりと掴む。
振り返り様にどうしたか訊ねると、黒髪の少女は少し躊躇うような様子を見せたのち、ゆっくり言葉を紡ぎ始めた。
「・・・今はまだ言えないけど、いつか、あんたに伝えたいことがあるからさ。その時は、お願いね」
こちらがなんらかの反応を示す前に、パタンという音に続いてドアの施錠音が僅かに鼓膜を揺らす。
美咲がなにを伝えようとしているのか、それを知るのは彼女本人のみで自分は漠然と想像することしかできないが、夕焼けに照らされたステージを見ていた時から胸につっかえていたなにかは、今はその存在を露と散らしていて、実に澄み渡った心境で両手を夜空へ思いっきり伸ばしてから、仄かな光が照らす帰路を再び歩み始めた。