本年の締め切りまで最後の1週を踏み込んだその日、降りた紺色の帳など意にも介さぬように、あちこちの壁に星や赤い靴下の装飾、色とりどりなイルミネーションが今日のためだけに取り付けられ、目を細めたくなるくらいの眩さを解き放っていた。
そんな明度がスタンダードな街の中央には、壁より1段と豪華に飾り付けられているステージの上にいる5人組のバンドが、人の子ひとり入り込めない密度で並び立つ観客を沸かしている。
自分も、金色の燐光を惜しげもなく振り撒き、輝く聖夜に相応しい弾む歌声を全身に浴びながら、周囲の老若男女と天井を設けられていないテンションを分かち合う…予定だったのだが、残念なことにチケット抽選に外れてしまい、あの場に立ち会うことは叶わず、しかも両親はかねてより予約していた豪勢なディナーと高級ホテルの宿泊コースに行ってしまったため、結果的に一緒に過ごす相手もいなくなってしまった。
正確にいうと両親には自分も誘われはしたものの、チケットの抽選の結果がまだ出ていなかったので断ってしまい、その次の日に逢えなく現実を叩きつけられた。
そんな事情により見事に予定が無くなった自らの運の無さを呪いつつ、空白の時間を埋めるようにケーキショップの日雇いバイトに精を出しているのだが、さすがクリスマス当日ということあって、行列は絶えぬわケーキは飛ぶ勢いで売れるわで仕事の手が一向に止まらず、遠くから僅かに聞こえてくる歌声だけを唯一の頼りに踏ん張っている。
正直、恐ろしい仕事量に処理能力が追いつかなくなりそうだが、その分入ってくる額は日雇いにしては破格の金額なので、臨時収入で買う物を想起してから気合を入れ直し、途切れる予兆も感じられない音楽に力を貰ってから、忙しない労働の波へと舵を切った。
数字に換算すれば3時間程度、しかし体感では半日くらい働いたと思うほどの濃密な労働の果てに残ったのは、ショルダータイプのバックが鉛のように感じさせるほどの疲労と、予想以上に膨らんだ財布だった。
あれから、まるで遠のくことを知らなかった客足は全てのケーキが売れるまで途絶えず、そのうえ頼みの綱はいつの間にか影も形もなく立ち去ってしまったので、自分も含めた従業員は大多数が屍のように閉店作業をおこなっていた。その分、予想以上の売れ行きに気を良くした店長が事前に知らされていた金額からさらに上乗せしてくれたのが唯一の救いで、それなりの達成感を抱いて帰路に着いたのだが、静まっていった街並みの住人は男女平均が限りなく均等に近く、男女のペアが肩を並べて仲睦まじく歩いている現状を省みると、どうしても若干の寂しさが冬の寒さと共に身に染みてくる。
この現象はケーキショップに訪れていたお客さんの種類で、なんなら情報としてはずっと前から知っていたのだが、ケーキを買いに来た人たちの中には家族連れも多かったし、そもそもクリスマスのこの時間帯に外に出ることなど今の今までなかったので、ここまで胃もたれしそうな空間だったなんてまるで想定していなかった。
自然と足取りが早くなるなか、聞いているだけで恥ずかしくなってくる言葉がするりと耳に忍び込んで来るたびに、胸から湧き上がってくる共感性羞恥が表に出てくるのをなんとか阻止していると、自分が周囲の男女と同じ関係を築いている1人の女の子の顔が頭の中に描かれる。今日は友達と遊ぶと満面の笑みで告げられてしまえば、後出しで一緒に過ごそうなんて口が裂けても言えなかった少女は、今も自分に向けていた表情でいられているのだろうかと、考えなくてもわかる問いを真剣に考えてしまい、胸に蔓延るセンチな感情を長い吐息と共に外に追いやった。明るい街並みの中を周りの人たちは複数で楽しんでいる状況が自身の孤独を際どさせた結果、知らぬうちに思考が下向きになっているのかもしれない。
こういう日はさっさと帰って寝るに限ると、過重労働に晒され弱る足腰に鞭打とうとした時、紺に塗りつぶされた空の下だろうがお構いなしの大きな声で名前を呼ばれる。声の持ち主を頭に想起し、驚愕と共に振り返る、そんな僅かなアクションを敢行するのさえ挟む暇なく、背に強い衝撃がぶつかってきた。
疲労が溜まりに溜まった足がその負担に耐えられるはずもなく、呆気なく地面にうつ伏せたこちらに、歌声を聞けなかったのを悔やみに悔やみ、先の思慮を参照すればここにいるはずがない少女が、実に不思議そうに首を傾げている。
「どうしたの?もしかして疲れていたかしら?」
コンクリートに叩き付けられ、訪れた長い痛みの余韻をなんとか弱音ひとつ吐かずにやり過ごし、まあそんなところだと、こんな体勢でナチュナルに会話をし始める自分に違和感を覚えながらも答えるこちらに、相変わらずボリュームのつまみを回すことなく彼女は言葉を紡いだ。
「それは大変だわ!そうだ、歌を歌いましょう!歌えばきっと元気になるわ!」
濁りのない金色の瞳で断言する少女が本格的に歌い出す前に、とりあえずどいてくれないかと、未だ背に馬乗りになったままの少女に伝えたところ、少女は大きな返事の次には勢いよく立ち上がった。弱った体には十分凶器な重量が取り除かれたことに一息ついてから、彼女とは相反するよろめいた起立をする。
胸にはジリジリとした痛みが残っているが、冬の中でも今日は特に寒さが激しい故に厚着をしていたことで出血等はなかったのを不幸中の幸いとして、この件は頭の隅に追いやると、目の前の少女、弦巻 こころに、今日はライブ終わりにみんなと遊ぶはずだったのになぜここにいるのか訊ねると、金色の長髪を背に流している少女は、とても満足げに告げた。
「パーティなら昨日やったわ!とっても楽しかったわよ!」
それはよかったなと返答しかけてから、なぜにここにいるのかという問いに対する答えが手にできていないことに気付き、もう一度言及を重ねようと口を開きかけたところで、周囲の視線がこちらに集まっているのを肌身に感じ、視界を左右に揺らすと、案の定注目を集めに集めていた。
あんな派手に押し倒された現場を目撃されれば、無意識下でも視線がそちらに固定されてしまうのは自然な事象なので、周りの人たちに文句を言うつもりはないし、イロモノを見るような不快な肌触りのものは一切ないのだが、流石にここまで注目の的になっているのにも関わらず、立ち話ができるほどハートが強くはない。目の前の少女は、まるで意に介さずに笑顔を浮かべ続けているが。
とにかく、この状況に自分は耐えられないので、彼女の手を引いてとりあえずこの場を去り、人目を撒けたと確信してから道路沿いの道にあった人混みに紛れたが、ここから先に残念ながら行く当てはひとつもない。中断された話を再開するだけなら、近くのカフェやなんなら自宅に帰る途中でも可能だが、返答がフランクなものでなかった場合、その答えが公共の場に流れてしまうという危険がある。
自分のような一般人なら気にしすぎだと一蹴できるが、彼女はチケット抽選落選者が結構な数出るほどには人気バンドのボーカル兼リーダー、しかも半端ではないレベルの裕福な家の一人娘という、気を張る理由にこれでもかと囲まれた立場なのだ。正直、さっきの騒動で彼女になんらかのマイナスなイメージが付かないか、遅まきながら内心冷や汗をかき始めてしまっている。
しかし、あとのことはもうどうにもならないので、せめてそれを繰り返さないよう、彼女がこの場にいる訳を知るのは少し先延ばしになってしまうが、続きは自宅で聞こうと決め、彼女にも同意を求めた。
「もちろんいいわよ!早速行きましょう!」
拒否するわけないと言わんばかりの眩しい笑顔で即答する彼女と一緒に駅に向かうべく、頭の中にここ周辺の地図を広げていると、突然、右手のうちにあった心の手のひらから伝達していた温もりが、一層強く伝わってくる。
ここ最近でもわりと寒い部類に入る今日に、なんの対策もせずに白い肌を晒す華奢な手を無意識に握り返すと、いつの間にか肩の触れ合いが起きるくらいの距離まで身体を寄り添わせていた彼女は仄かに、だが確かな朱色を宿らせた頬を緩ませた。先の元気いっぱいの笑顔ではなく、しっとりとした柔らかな微笑。
先の周囲の目を気にする云々を考慮する余裕を、子供のような無邪気さが目立つ彼女が時折見せる女性らしい挙動に奪われ、いつまで経っても慣れることのない心臓が不規則に飛び跳ねて身体にじんわりと熱を回す。
普段通りの元気な振る舞いでこちらに話しかけてくる、こちらの胸の内をひとつの表情で振り回した少女と歩いた帰り道は、最初にこの道を辿った時の風景とは違って見えた。
何故かやたら気疲れしたように思える帰路を最後まで歩き終えて自宅に着いた頃には、夜はすっかり更け、目がチカチカするほど壁を彩らせていたイルミネーションは、星の光が鬩ぎ合える程度までその輝きを薄めていた。普段ならこんなに帰宅が遅くなってしまうと、両親に揃って大目玉を食らうのだが、今日は今頃、結構な値段のするホテルの窓から夫婦水入らずで夜景でも楽しんでいるはずなので、周囲の家にあった明るい光も和気藹々とした声も窓からこぼれ落ちてはこない。
「お邪魔するわよー!」
バイトの肉体的疲労ものしかかってすっかり満身創痍なこちらとは正反対に、身体中から元気を満ち溢れさせているこころは、自分が覚束ない手つきで鍵を回して開けた扉の中へと飛び込んだ。当然繋いでいた手は解けていて、どこか寂しい気持ちを玄関まで行き届いていた人工の熱風で空の手のひらを暖めていると、開きっぱなしだった玄関すぐのリビングへのドアから、金髪の少女が顔を覗かせる。
「挨拶しようと思ったのだけれど、あなたのお父さんとお母さんが見当たらないわ」
少し残念そうに首を傾げる彼女の言葉に苦笑いしつつ、両親の不在とその理由について話すと、こころは金色の長髪を飛び跳ねさせながらこちらの前に駆けてきた。
「じゃあ私たちも同じことをしましょう!そうね…、まずはなにか食べましょう!私、ケーキが食べたいわ!」
こちらの良否を確認する前に彼女は強引に手を取り、抵抗する体力の残っていない自分を容赦なくリビングへと引っ張っていくと、疲れひとつ見えない笑顔を咲かせてから目的を開示した。
突然のリクエストに少々面を食らいつつも、現在進行形で稼働率が低下中の頭を使ってなんとか彼女の意図を汲み取るべく努力した結果、彼女は両親が今日したものを辿りたいのかもしれないという漠然した予想が浮かび上がってくるが、それがここで達成できるかどうかが心配でしょうがない。なんせ、この家には高い食材や腕の良いコックもいなければ、窓から外を眺めても変哲のない住宅街が見えるだけなのだから。
しかし、それで彼女が他のなにかをしようと言い出すとは思わないので、なるようになるだろうと、若干の諦めを織り交ぜながらも肯定の意を示したこちらに、彼女はもう一度笑顔を閃かせてから冷蔵庫へと早足で向かっていく。
なにか作る気なのであろうこころが冷蔵庫を開けるのと僅かな差で彼女に追いついた自分が、それなりの期待を持って中を覗くと、そこには予想を遥かに凌駕する光景が広がっていた。
・・・なにもない。肉も、魚も、野菜も、面影ひとつ存在しなかった。内容物が0にならない苦し紛れのように存在する卵と牛乳以外は、料理の材料になりそうなものは存在しない。両親は、1人残した子供の晩ごはんをどうするつもりだったのか。
今すぐ電話して問いただしたかったが、そうしてもこの惨状を打破できるわけではないので、湧き上がってくる欲求をグッと堪えていると、金色の長髪を持つ少女の顔色が些細にだが確かに曇った。
「・・・なにもないわね」
ここ最近どころか彼女と出会ってからでも片手で数えられる程しかない感情の沈みを察した途端、両親への不満など綿くずの如く吹き飛び、彼女の笑顔を取り戻すことを最重要ミッションに設定して台所のあらゆる場所を漁り始める。
調味料や即席麺という、棚に並べられた少女の要望に応えられなそうな物を掻き分けて数分、奥にひっそりと存在した可能性に手に取ると、念のため賞味期限が切れていないことを確認してから、冷凍庫や野菜室も探していたこころにそれを見せた。
「・・・ホットケーキミックス?一体なにかしら?」
まさかのホットケーキを知らないこころに驚愕を覚えたが、よく考えてみればホットケーキは庶民のおやつというイメージがあるので、彼女が知らないことにそこまで大きな違和感はないように思える。それにこころの場合、クリームやフルーツを豪勢に飾りつけたホットケーキの上位互換である、パンケーキの方が所縁のあるものかもしれない。
しかし、名前にケーキと付いているだけで、彼女の下向きになっていた気持ちを持ち上げるには充分だったらしく、瞳のうちには未知への好奇心が煌めいている。
その期待に少しでも応えられるポテンシャルが、ホットケーキに秘められていることを祈りながら、冷蔵庫の中にあった食材へと手を伸ばした。
最初は絶望的だと思っていた晩ごはんは、自分が見つけたホットケーキの他にも、こころの興味を惹いた冷凍食品や即席麺の類が並べられたため、想定していたものよりかは随分と豪華なものとなった。食卓に並べられた茶色い食べ物たちを空の胃袋に次々と詰め込み、多大な満足感を得られたのだが、お腹が膨れた途端に強烈な睡魔が意識を落とそうと襲いかかってくる。
時より大きなあくびを挟みながら、頭を支えるので精一杯になっている自分がソファの背もたれに体を預けていると、まだまだ元気そうなこころがすぐ隣にどさりと腰掛ける。楽しそうに舌鼓を打つ姿が靄のかかった意識の中でも形を保って残っている少女はいつ帰るのだろうと思って時計の針の位置を窺うと、もう既に日付が変わるまで1時間を切っていた。
いくら寝ぼけていても、年頃の女の子がこんな時間に異性の家にいるのがマズいことだと判断する知性は健在で、背に伝う冷や汗のおかげで眠気が流され、回るようになった口で帰らなくても良いのかこころに訊ねると、彼女は表情ひとつ変えずに更なる驚愕をこちらに与えた。
「今日は泊めさせてもらおうと思うの!家にはさっき電話したから大丈夫よ!」
もう酷使することを予想せずに閉まりかかった喉が、突如と噴き上がった感情に対応するのに遅れている間、彼女はなにか思い出したかのように両の手を合わせて音を出す。
「そうだ!見せたいものがあるの!」
それより先に急に決まってしまっている宿泊の件についてしっかり論議したいのだが、相変わらず強引に手を引かれ、白いレースに隠された窓の近くまで連れて行かれてしまう。
彼女の無茶振りに巻き込まれるのはもう慣れ切っているし、何なら楽しいことも多いので許容可能なのだが、今回ばかりは実行する前に相談してくれと、彼女にお願いする目的で吸い込んだ息は、一気にカーテンを取り払われたことにより露わになった外の景色によって飲み込ませた。星が散りばめられた夜空をバックに並ぶ、明かりの灯された家々。普段の風景に純白の雪がゆったりと舞い降りてくる。
しばらくのあいだ、突然訪れたホワイトクリスマスに見入ってしまっていたこちらに、こころは大きく湾曲させた口で言葉を紡いだ。
「ようやく笑顔が見られたわね!」
彼女にそう指摘されてから、自らの口角がわずかながら上がっているのを意識し、思わず恥ずかしさに囚われてしまっていると、こころはにこにこしたまま、すっかり忘れていた疑問を紐解いてくれる。
「今日はあなたの笑顔が見たかったの!最近、元気がなかったじゃない」
ライブの抽選が当たらずに凹んでいた状態に対する指摘に、思わずさっき自分がしたという笑みとは違う、苦々しい笑いが口から零れるが、ひとつ咳を挟んでそうだったかなと、自分でもわかるくらい不自然に言い淀んで誤魔化したものの、こころは下手な誤魔化し方にはかけらも気にかけず、こちらの言葉に返答を投げてくれた。
「ええ!だからあなたを笑顔にしてあげたかったんだけど、逆に私が笑顔にさせられちゃったわ」
笑顔を絶やすことなどほとんどない彼女の発言を思わず、そんなことはないと瞬時に切り返してしまったが、再び女性らしい穏やかな笑みを見せ、こちらの心拍数を無意識に掻き乱す少女は、ゆっくりとかぶりを振り、こちらの意見を柔らかに否定する。
「他のみんなと遊ぶのも楽しいのだけれど、あなたと一緒にいると、みんなといる時とは違う気持ちになるの」
なんでかしらね。そう呟くのを最後に窓に写った少女の頬は、ほんのりと赤く染まっていて、彼女の心情を察せないわけもないが、少々迷って末にそれを口にする必要はないと静かに判断したあと、今日のツケが回ってきたのか、今までで1番の睡魔の波に飲み込まれた。
抗うのは不可能だと悟り、隣の少女にもう寝てもいいか懇願しようと口を開く前に、彼女はこちらに一瞥をくれたのち、またもや突発的にこちらの手を握ってソファの前に引きずり戻すと、自分だけ端に座って膝をぽんぽんと叩く。通常時なら、なんらかのリアクションを起こすであろう仕草も、脳の8割強が寝ている状態では、羞恥よりも早く寝てしまいたいという欲求が勝ってしまい、半ば倒れるようにして横たわり、彼女の膝に頭を乗せた。即時性の催眠でもかかったかのように急激に意識を手放すことを余儀なくされたこちらの髪を、こころはそっと右手で撫でる。
「おやすみなさい…、大好きよ」
彼女の囁きに朧げに返答したのを最後に瞼を下ろすと、底知れない微睡の奥に沈んでいった。最愛の人の温もりを、1番近くに感じながら。