次はたぶんまたしばらく開くと思います。
そこはIS学園にある空き教室の一つで、特にこれと言って名前は決まっていない場所である。
ただ、教師が生徒を呼び出したときに利用する場合が多かったため、生徒たちからは生徒指導室の様なものと認識されている。
その部屋の中には今、三人の人物がいる。そのうち二人は杉下と千冬だ。二人は立ったまま、椅子に座ったもう一人の人物と対面している。電子時計は時間が午後の7時であることを示している。日の落ちた校舎に他に人の姿は見受けられない。
杉下は残ったもう一人の方を見ながら、いつものように感情の読み取りづらい声でしゃべり始めた。
「蜷川美玲さんが職員室前の階段から転落した朝、蜷川さんはとある人物と密会の約束をしていました。その目的は4日前に帝都新聞に書かれていた記事についてその人物に話すためです。蜷川さんはその記事をもって部屋を出たと思われます。
しかし、事件現場にはその記事が載っている新聞紙は残されていなかった。おそらく、蜷川さんと密会した人物が持ち去ってしまったのでしょう。
ではなぜ、その人物は記事を持ち去ったのか?単純に考えて、その記事が第3者に見られることを嫌ったとみて間違いありません。
ですが、持ち去られた新聞のページがどれなのかはすぐに特定することが出来ました。そのページに乗っていた記事がこれです。」
杉下は鞄の中から新聞紙を取り出し机の上に置く。その紙面には赤いペンで書きこまれたと線で囲われている部分がある。そこには『学校社会における男女差別』と書かれた見出しがあった。
「この記事は女尊男卑を根底とするいじめによって自殺未遂に追い詰められた男子生徒とその家族のインタビューを軸として、学校内に蔓延している男女差別を社会問題として提起しています。
実際にいじめ被害者にインタビューしているだけあって記事からは被害者とその家族の苦しみと怒りがひしひしと伝わってきます。
そして、蜷川さんの出身中学である名成中学でも高原詩織さんを中心とした女子グループによる男子生徒へのいじめが行われていました。その現場を蜷川さんは目撃していた可能性は十分にあると思います。あるいは、蜷川さん自身もまたいじめに関わっていたのかもしれません。
いずれにしろ、蜷川さんはこの記事を読んだことで初めていじめられる側の苦しみに触れたのではないでしょうか。幸いにもこの記事の被害生徒は自殺を試みるも命は助かりました。しかし、蜷川さんは助からなかった生徒を一人知っています。そう、柳原純一君のことです。
蜷川さんは想像したはずです。命が助かりながらもいじめの被害者とその家族は苦しみ続けている。では、子供を亡くした親の悲しみは幾何だろうか。それに思い至ったからこそ蜷川さんは様子がおかしくなったんです。」
杉下は言葉を切ると椅子に座った人物に目を向ける。その人は口を一文字に結んだままじっと机の上を睨み付けていた。
何も言う気配がない。そう判断した杉下は話を再開する。
「この1週間、蜷川さんは悩みぬいたんでしょう。このまま自分たちが柳原純一の死の真相を黙っていれば、その家族はずっと苦しみ続けるのではないか。考えた末に彼女は事実をすべて公表する決断をします。
しかし、その前に蜷川さんある事をしようとしました。自分だけが事実を公表したところでまともに取り合ってもらえない可能性もある。だからこそ、彼女は自分と同じように名成中学のいじめの実態を知る人物に協力を得ようとしたんです。
そう…あなたにです。この学園で唯一、蜷川さんと同じ名成中学出身者である、小日向萌絵さん。」
そう言って杉下は少女の顔を正面からまっすぐ見つめる。その視線を受ける少女は以前亀山のことを薫ちゃんと呼んでいた生徒の一人であり、1年1組に在籍する杉下や千冬の教え子でもある生徒だった。
「……杉下先生。確かに私と美玲は同じ中学の出身ですけど、先生が今言ったような事実はありません。いじめもありませんでした…」
「おや、そうなのですか?」
「ええ、そうです。大体美玲が怪我をしたのは事故なんでしょう?だったらこんなことしてないで事故原因を調べるべきじゃ…」
「それについてなんだが、蜷川が階段から転落したのは事故ではなく人の手によって突き落とされた可能性が高いとみて我々は捜査している。現場の状況からみてまず間違いない。」
「その犯人が私だっていうんですか!織斑先生、私そんなことしていません。美玲は私の親友です。その親友を無理やり突き落すなんて…」
「小日向さん、制服のリボンが汚れていますよ。」
突如として杉下が小日向の胸元を指さす。小日向が自分のリボンに目を向けると確かに青いリボンの端の一部が煤が付いたように黒くなっている。
「蜷川さんの指には新聞のインクがついたものだと思われる汚れがありました。もし、蜷川さんと彼女を突き落した犯人が階段の踊り場でもみ合ったとして、犯人が蜷川さんのリボンをつかんだように蜷川さんも相手のリボンに触れていた可能性は十分にあります。その汚れはその時に蜷川さんの指から移ったものだと考えられますねえ。」
「これは…その…」
咄嗟に小日向は汚れを隠すようにリボンの端を握った。その行動が事実を物語っていると言ってよいだろう。
「その汚れの成分を調べれば帝都新聞に使われているインクと同じものが出てくるでしょう。もしかすると、そこから蜷川さんの指紋やDNAが検出できるかもしれません。そしてあなたは、何より大切なことを一つ見落としています。」
杉下は小日向の耳元に顔を近づける。突然のことに小日向は反応できなかった。
「蜷川さんは確かに意識を失っていますが、今のところ命に別条はないそうですよ。時機に目を覚ますことでしょう。その時になって彼女の口から真実が語られるよりかは今のうちに洗いざらい話してしまった方がいいと思うんですがねえ。」
杉下の言葉に小日向の視線が揺れる。その視線は千冬を捕らえるが千冬は厳しい表情を崩す気配はない。その意味を悟った小日向は力が抜けたように机に顔を伏せる。
「…だって……すべて話すなんて言うから…」
絞り出すような声色は小日向の苦汁を現していた。
『柳原をイジメてたことを公表するって……美玲、あんた本気なの?』
まだ日が昇り切っていない時間、誰かに見つからないように電気を消した教室の中では目の前に立つ相手の表情さえよく分からない。けれど、私の質問に若干戸惑うそぶりを見せながら美玲が頷いたことはハッキリと分かった
『…ねえ、なんで今になってそんな事しようとするの?あれはもう終わった事でしょ。何もしなければ誰にも本当なことは分からない。率先して罪を認める必要なんてないはずよ。』
それでも暗闇の中、美玲は黙って首を振る。
『終わっていないわ…少なくとも柳原の親は今も苦しみ続けているはずよ。柳原の親たちは今も子供がなんで死んだのかわかっていないのよ。萌絵、この新聞の記事をよく読んで。きっとこの記事に出てくる家族と同じように柳原の家族も苦しんでいるんだわ。』
『美玲!この記事の家族と柳原の家族は別人よ!大体いじめがあったことを明らかにしたところでどうなるっていうのよ…私たちが罪に問われるだけじゃない…きっとこの学園にもいられなくなるわ…美玲はそれでもいいの?』
美玲は新聞をるよく握りしめたまま、口惜しそうに唇をかんで床を見ている。すると教室の窓から車のライトが見えた。その光はだんだんと校舎の方へと近づいてくる。
『ほら、先生たちも着たみたいだし早く寮に戻ろう?ここにいるのが見つかったら織斑先生に怒られちゃうしさ。』
何とか美玲を宥め、寮へ連れ変えようと笑いかけた。だけど、顔を上げた美玲の眼は決意を秘めた目だった。
『ごめん萌絵。私やっぱり黙っているなんてできない。』
『み、美玲?』
『できる限り燃えには迷惑を掛けないようにするから。許して。』
そう言うや、美玲は教室のドアを開け廊下を走り出した。
『!!待って、美玲!』
慌てて私もその後を追い走り出した。美玲が向かったのは普段私たちが利用する昇降口ではなく、先生たちが利用する教員用出入り口の方向だった。とっさに私は美玲が今来たばかりの先生に事実を話そうとしているのだと察した。
美玲は決して運動音痴というわけではない。ただ、彼女は文科系の新聞部に所属しており2年での進路は整備課を志望していた。一方私は陸上部に所属していて、進路も競技者を志望している。体の鍛え方は美玲との比較にならない。案の定、階段の踊り場で私は美玲に追いつくことが出来た。私は美玲の制服を掴みながら懇願した。
『お願い美玲、考え直して!こんなことしても誰にも幸せにはならないわ!』
『痛いっ!やめて、萌絵!』
『あんたさえ黙っていてくれれば大丈夫なの!だから、お願い!』
と、次の瞬間、不意につかんでいた美玲の感触がなくなる。続いて聞こえてきたのはボーリング玉を床に落としたような鈍い落下音だった。私の右手には美玲がつけていた青いリボン、足元には美玲が持っていた新聞紙、そして階段の下には薄明りのもとでもわかるほど頭から血を流している美玲が倒れていた。
「あなたはそのまま気絶した蜷川さんを置いてその場を去ったのですね。」
「殺すつもりなんて全くありませんでした。私はただ、美玲に考え直してほしかっただけです…」
「…そこまでしていじめの事実を公表してほしくなかったのか?」
「あたりまえじゃないですか織斑先生!」
開き直ったのか小日向は何を馬鹿な事をとでもいうように声を上げる。
「私がここまで来るのにどれだけ苦労してきたか織斑先生は知ってるはずですよね!遊ぶ時間も、寝る時間さえも惜しんでISに懸けてきたんです!やっとこの前のタッグトーナメントでいい成績が残せて…先生も言ったじゃないですか、お前には才能があるって…企業からテストパイロットの誘いも来たっていうのに…こんな事で…こんな事でそれを無駄にするわけには…」
「こんな事では済まされない!」
突然、杉下が怒声を上げる。普段の紳士然とした姿からは考えられない大声に驚き小日向が目を向けると、杉下は顔を真っ赤に怒らせ全身を震わせていた。もしここに亀山がいたのなら次のように評したであろう。
杉下右京がキレた
「人が亡くなっているんです!柳原純一郎は亡くなったんです!その死によって多くの人が悲しみ、怒り、絶望を味わいました。蜷川さんは遅れながらその事実に気が付いたからこそ、今も苦しみ続けている遺族のために真実を公表しようとしたんです。それがあなたにはまだ分からないのですか!」
「……杉下先生、男である先生には分からないんですね…私たちがどれほどISに命を懸けているのかを…」
しばしの間、杉下と小日向の視線が空中で交差する。すると部屋のドアがノック音とともに開かれた。そこから顔を出したのは榊原教諭である。
「話は大体終わったみたいですね。この後はIS委員会への報告があるんですけど、彼女を連れて行ってもかまいませんか?」
そう言って榊原は小日向を示す。
「……了解しました。小日向さん、あなたはこれから罰を受けなければなりません。その期間を利用し、自身を見つめ直すのがよろしいでしょう。」
「……………」
小日向は杉下に言葉を返すことなく、ただ一瞥するのみだった。そのまま、榊原に促され部屋を出ようとする。
「……失態だな。」
千冬の口からそんなつぶやきがこぼれる。それにつられるように小日向は足を止め、千冬の方を見ると信じられないものを見たというように目を見開く。千冬の顔は辛さを押し隠そうとするが如く歪んでいた。
「小日向、私はお前にISの操縦以前にもっと大切なことを教えなければならなかったようだ。それが出来なかったのは私の失態であり、蜷川が怪我をしたのにも責任の一端がある。」
「お、織斑先生…いったい、何を…」
小日向の声は震えていた。小日向もまた同年代の少女たちのようにブリュンヒルデである千冬に憧れる一人なのだ。その憧れが苦しみを抑えるように表情を歪めるのに小日向は動揺を禁じ得なかった。
「私は自分のクラスでお前ほど才能があり、努力をしている者はいないと確信している。だからこそ…お前のその才能と努力を私の手で花開かせてやれない事が…悔しくてならない…」
その瞬間、千冬の頬を一筋の涙が流れる。それは世界で最も強く、全世界の少女たちの憧れの対象とはほど遠いものだった。そして、千冬が口にした言葉は小日向の心に深く突き刺さった。
小日向は今にも倒れそうなほど顔を蒼くし、やがてそれは見るに堪えない悲壮なものに変わっていった。
「う、うう、ううあ、あああああああああああああああ。」
小日向はその場に崩れ落ちるとあらん限りの慟哭を上げ涙を流し始める。その場にいた誰もがそれを止める事は出来ない。彼女は今まさに、憧れの人から自身の夢が叶わない物になったことを告げられたのだ。もしかすると、これは千冬なりの断罪だったのかもしれない。だとしたら、小日向にとっては何物にも代えがたい罰となったのだろう。
暗く、生徒の姿が見えない夜の校舎には夢破れた少女の悲しみの声が響き続けた。
マナーモードにされた携帯が震える。杉下はそれをポケットから取り出すと通話に切り替えた。
「杉下です。」
『あ、どうも右京さん。亀山です。例のもの漸く見つけました。これで証拠はそろいましたね。』
「亀山君、どうもありがとう。こちらも一つけりがついたところです。明日、すべてを終わらせましょう。」