男は焦っていた。
この日、男は最近知り合ったある人物によって都内でも屈指の広さを持つ公園に呼び出されていた。その公園では秋から夏にかけて公園内に生息していたとみられる蚊に刺された利用者が感染症を発症したとされ、一時期立ち入りを禁止されていた。だが、ワイドショーでも連日報道が過熱していたものの、あれから半年もたつとそれも収束している。
男が待ち合わせ場所に指定されたのは公園の中央付近にある噴水の前だ。指定された時間丁度に約束の場所につくと男は周囲を観察する。周囲にいるのは眼鏡をかけたサラリーマン風の中年男性、携帯電話で会話中のフライトジャケットの男性、それと制服姿の女子高生と子供連れの奥様グループなどだ。待ち合わせの相手はまだ来ていない。
男は忌々しそうに舌打ちをするとコートのポケットを布の上から触り、その中に潜ませたナイフの感触を確かめる。最悪の場合、これから会う相手を殺さなくてはならない。男にはそう覚悟するだけの理由があった。これ以上、大切なものを失うわけにはいけない。あのような絶望を味わうくらいなら喜んで人殺しなるだろう。もはや、男に守るべきものは一つしか残されていなかった。
と、その時、男に向かって近づいてくる影が一つ。やっと来たかと思い男が顔を上げると、そこには先ほどの眼鏡をかけたサラリーマン風の男性とフライトジャケットの男性がいた。
「高原惣次郎さんですね?」
眼鏡の男性は極めて紳士的な態度で男に接してきた。そこには敵対心や警戒心は一切なく、普通にしていれば友好的な態度に見えただろう。ただ、その眼だけは男の心の中をすべて見定めようとするがごとく、真っ直ぐに、そして鋭く男の眼を射ぬいていた。
杉下に声を掛けられ高原は目に見えて警戒している。高原からすれば、待ち合わせの最中に見知らぬ中年男性からいきなり自分の名前を出されたのだから、その反応も当然と言えた。
しかし、警視庁きっての変人と呼ばれた杉下はそれを気にする様子はなく、淡々と言葉を重ねていく。
「突然および立てしてすいません。小倉さんに頼んであなたをここに呼び出したのは僕たちなんです。」
「あ、あなた達はいったい。」
「申し遅れました。IS学園で教師を務めています杉下右京です。」
「同じく亀山薫です。」
「IS学園…」
「ええ、今はと人に頼まれてある事件の捜査をしているのですが…やはり、あなたも関わっていたのですね。」
杉下の言葉に高原は顔を逸らせる。その表情にははっきりと困惑の色が見えていた。おそらく彼はいま必死に頭を回転させ、この場を切り抜ける算段をつけているのだろう。やがて高原は心を無理やり落ち着かせるように大きく深呼吸をすると杉下たちに向き直った。
「いったい何の話ですが?IS学園の教師か何か知りませんけど私にはさっぱり…」
「しかし、小倉さんはあなたも事件に関わっていると…」
「大体その小倉って男は誰なんですか!いきなり意味のわからない話をされても困ります!それともそいつは私のことを殺人犯とでも…」
「おや、小倉さんが男性だという事はご存じなんですねえ。僕はそのようなことは一言も言っていないんですが。」
「!!そ、それは…」
「それともう一つ。僕は事件の捜査をしていると言っただけで、殺人の捜査をしているとは言っていないんですがねえ。IS学園の教師が捜査をしていると聞いて、なぜ殺人犯とつながったのかを教えていただけませんか?」
「………」
高原は言葉を返せず、じっと下に顔を向け続けている。このままではらちが明かぬと思い、亀山が声を掛けようとしたその瞬間、高原はバッと顔を上げると二人に向かって不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど。もうすべてお見通しってわけか…そうですよ、私があの女を殺したんです。」
「…では、芝浦真紀子殺害をご自分の犯行と自供するというのですね?」
「ええ、そうですよ。ほら、これがその時使った凶器です。持ち手の所に私の指紋がべっとりとついていますよ。」
そう言うと高原はポケットからナイフを取り出すとそれを杉下たちの方へ放り投げる。これと言って特徴のないその凶器は杉下の足元に落ち、血がこべりついた刀身を光らせた。
杉下は真新しいハンカチを取り出すと、それにナイフを包み回収する。
「詳細は鑑識に調べてもらわなければわかりませんが、確かにこのナイフが犯行に使われたものとみて間違いないでしょう。しかし、あなたの供述と小倉さんの証言では食い違う部分があります。あなたは芝浦真紀子を殺害したのは自分だとおっしゃいましたが、本当は別の人物が犯行を行ったのでしょう。」
「ふん。その男が何を言っているか知りませんが、あの女を殺したのは私です。誰が何と言おうとね。その証拠も今あなたが手にしたはずだ。」
「ええ、確かに。ですが我々の手元にはあなたや小倉さんの証言以上に、あの日あの場所で何があったのかを克明に語ってくれる証拠があるんですよ。」
「…なに。」
高原はそんなものがあるもんかというように眉間に皺を寄せる。おそらく、この男は最後まで殺人犯は自分だと言い張るつもりだったのだろう。亀山が昨日手に入れた証拠はその主張を正面から否定するものだ。
だが亀山はその証拠品が語る真実を思い、表情を暗くさせた。
「事件のあった日、現場となった病院の中庭には犯人や被害者以外にも小倉さんやあなた、そして前田由紀さんもいたのでしょう。
前田さんは事件の起きた3日後、ご自宅で自殺されています。彼女は自殺する前日の朝に帰宅しているのをご家族が確認しています。では、それまでの間、前田さんはどこで何をしていたのでしょう?
自殺するほど思いつめている人間が丸1日かけて何をしていたのか、気になったので調べてみました。」
「24日の深夜に病院を訪れていたことを前提にして足跡を追ってみたら、割と簡単に調べられましたよ。前田さん、駅のロッカーを利用してました。監視カメラの映像も残っています。
で、そのロッカーから出てきたのがこれです。」
そう言うと亀山はビニール袋に入れられた長方形型の機械を取り出した。
「それは…」
「ボイスレコーダーです。記者だった前田さんは常に持ち歩いていたみたいですよ。あの日もそうだったのでしょう。この中にはあの日誰が何をし、どのような話がされていたのか、全て記録されています。」
次の瞬間、高原は亀山の持つビニール袋にとびかかろうとする。だが、手を伸ばしビニール袋を奪おうとする高原の腕は、横から伸びてきた杉下の手に捕まえられた。
「例えこれを破壊したところですでに音声データはコピーされ別の場所に保管されています。もはや、高原さんの言い分は届かないんですよ。あなたもそろそろ出てきてはいかがですか!」
突如、杉下は高原の後ろに向かって叫ぶ。高原が振り返ると、制服姿の女子高生に連れられるようにして見知った顔の女性が歩いてきた。
「恵…どうしてお前がここに…」
「この人、ずっとあなたの事をつけて来たみたいですよ。今までの話も全部聞いてました。」
高原の問いに答えたのは制服姿の女子高生、楯無である。彼女の横に立つ恵という女性は、まるで重い病を患っているかの如く青白い顔をしており、その頬はこけている。
「あなた、もういいわ。これ以上は無理よ」
「だ、だけどお前…」
「この人たちは全部知っているみたいよ。それに、こうなることは最初から覚悟していたのだから。」
そういうと女性は静かな足取りで杉下の前に立つ。その体はやせ細り、枯れ木のような印象を受けるものの、目だけは力強い光を宿しており、その立ち姿は幽鬼を連想させた。
「私があの女を殺したんです。娘の、詩織の敵である、あの女を…」
あの日、私たちは大切な一人娘を失いました。
その日のことを私はよく覚えていません。覚えているのはIS学園に行ったはずの詩織が、病院に運ばれたという警察からの電話だけ。夫の話によると、夫と共に病院に駆け込んだ私は、娘の亡骸と対面するやバタリと気を失ってしまったそうです。
翌日には気を取り戻すことが出来ました。けれども、その日からしばらくの間、私は生ける屍のような状況でした。時間の流れに身を任せるまま、ただそこにあっただけ。通夜の時にさえ、涙一つ流れません。その時、私の胸中に渦巻いていたのは、誰が詩織を殺したの?なんで詩織が死ななきゃいけなかったの?という疑問でした…
詩織が死んでから1か月がたち、私は表面上は普通に生活ができるようになりました。それでも、詩織を失った虚無感はぬぐいようがなく、時々、詩織ではなく自分が殺されればよかったのにと考えてしまいます。
そんなときです。詩織を殺したとされる二人組が逮捕されたという情報を知らされたのは。私は1か月ぶりに感情というものを取り戻せました。犯人達に対する怒り、ようやく犯人達が罰せる事への喜び、そして詩織の死を改めて直視させられたことに対する僅かな悲しみ…
さまざまな感情が入り乱れながらも、私は真実が明らかにされることを期待しました。だけど、それは叶う事はありませんでした。犯人達が精神失調を起こしているという理由で…
「その日から私たちは毎日のように司法機関を訪ねました。警察、裁判所、法務省、犯人のことは教えてもらえなくても構わない。ただせめて、なんで詩織が殺されなければならなかったのかを教えてほしかった。けれど…誰も、何も教えてくれなかった。」
「そうやって司法機関を訪ねているうちに前田さんと知り合ったのですね。」
「…前田さんは頻繁に警察署に来る私たちのことを以前から気にしてたそうです。」
『あのすいません、お二人は以前もここを訪れてましたよね?私は帝都新聞で記者をやっている者なんですけど、少しお話を伺ってもよろしいですか?』
そう言って私たちに話しかけてきた前田さんに私たちはすべてを話しました。事件から半年が経ち、一向に真実が明らかにされる気配がない中で現れた前田さんは、私達には存在は真実につながる蜘蛛の糸のように思えたんです。
前田さんは私たちの話を真剣に聞き、真相解明に手を貸してくれることを約束してくれました。その後、彼女は仕事の合間を縫って私たちと密に連絡を取るようになり、犯人が逮捕されてから精神鑑定を受けるまでの過程に不自然な点が見受けたそうです。そして今月の中ごろ、前田さんは遂に犯人の一人の名前と入院している病院の場所を突き止めたんです。それと彼女は、犯人は精神失調を患っていない可能性があると私たちに説明しました。
それを聞いた私は実際に犯人と会って話してみたいと思いました。詩織を殺した犯人を自分の目で見定めてみたかったんです。それを聞いた前田さんは当初は難色を示しながらも、最後には犯人の世話をしている担当看護師に話をしてみると言ってくれました。それから2週間後、芝浦真紀子に会うことが出来ると、前田さんは言ってくれました。
「そしてあなた方は小倉啓二の手引きのもと、病院内に潜入したのですね。」
「ええ、そうです。私たち夫婦と前田さんは小倉さんに連れられて中庭に行きました。そこで、あの女と会ったんです。そしたら、あの女なんて言ったと思います?こんばんわ、初めまして、って言ったんですよ。精神失調をきたしている人間がそんなこと言うわけないじゃないですか!そう思ったら目の前が真っ赤になったんです…
気が付いたらあの女をナイフで刺していました。たぶんそのボイスレコーダーの中にも、その時のことが録音されているんじゃないですか?」
そう言う高原恵の顔には後悔の色がまるで見受けられなかった。彼女は芝浦真紀子が高原詩織を殺害した理由を知らない。知らないからこそ、自分たちは一方的な被害者であり、芝浦は許しがたい殺人犯なのだ。もし、芝浦の動機をこの人たちが知っていれば…そう考えると一切の情報を握りつぶしたIS委員会の罪はあまりにも重い。
「なんで私達ばかりが罪に問われるんだ!あの女は詩織を殺したんだぞ!」
突如、それまで黙っていた高原惣次郎が大声を上げる。彼は息を荒くし、目を血走らせながら杉下に詰め寄った。
「杉下さん、私たちは大切な一人娘を殺されたんです。なのに…その犯人は国と法律に守られて、罪も償わず、のうのうと生きていたんです。私たちが苦しんでいたのに…なんで私達ばかりが罰を受けなければならないんですか!」
それは、あまりにも悲痛な叫びだった。高原夫妻は犯罪を犯した。しかし、今の彼らを知り、それでも彼らの行動を逆切れや八つ当たりだと評することのできる人間はいるだろうか?少なくとも、亀山は彼らにかける言葉が見つからず、口を閉ざしていた。
それでも杉下は激昂する男を前にして、普段と変わらず淡々と真実を積み重ねていく。
「……確かに、あなた方夫妻の受けた苦しみは想像を絶するものがあり、動機にも情状酌量の余地があるでしょう。ですが、前田さんや小倉さんをあなた方は犯罪に加担させてしまったのですよ。前田さんが自ら命を絶ったのは自分のせいで芝浦さんを殺されてしまったことに加え、あなた方を被害者から加害者にしてしまったからではないでしょうか。わざわざ証拠品を隠すような真似をしたのも、あなた方自身に自分たちの罪に気付いてほしかったからだと僕は思うんですがねえ。」
前田由紀は正義感の強い新聞記者だった。苦しんでいる人を放っては置けない、苦しみ続けている人々の存在を多くの人たちに知ってほしい。美和子の話によると、そういった思いから前田由紀は新聞記者を志したそうだ。だからこそ、高原恵が殺人を犯した際の彼女の絶望はいかばかりであっただろうか…
前田由紀だけではない。小倉もまた前田由紀から高原夫妻の話を聞き、彼女に協力したのだった。それだけではなく、小倉は芝浦のことを思い、今回の計画に加担したのだ。
小倉の話によると、芝浦はずっと罪の意識にさいなまれていたらしい。息子を死なせてしまったこと、夫が狂気に走るのを止められなかったこと、そして人を殺してしまったこと。いずれもが彼女の心にのしかかり、入院当初は何度か自殺未遂を犯したそうだ。それを気の毒に思った小倉は何とか芝浦に罪を償わせ、罪悪感から抜け出させる方法を模索していたらしい。
だからこそ、芝浦と高原夫妻を合わせる提案に飛びつき、芝浦から謝罪の言葉を高原夫妻に謝罪の言葉を伝えさせようとし、芝浦もそれを了承していた。芝浦が殺害された日、彼女は高原夫妻に謝罪しようとしていたのだった。
小倉は今も自分が加担したことの重大性に苦しみ続けている。彼が事件翌日に見せた不自然な行動は、雪に埋もれかけた芝浦の遺体を少しでも早く見つけてあげたかったからであり、あのタイミングでIS学園を訪れたのは芝浦の最後の願いを一刻も早くかなえてやりたかったからだ。
ある意味、小倉こそ今回の一件で最も善意ある行動を行った人間と言えるだろう。
「前田さんや小倉さんがあんたがたに協力したのは真実を明らかにし、少しでもあなた方の苦しみを取り除こうとした善意からでした。あなた方はその善意をこれからも裏切り続けるおつもりですか?」
高原夫妻は杉下の問いに答えられないでいる。ただ、二人の表情はこれまでにない沈痛なものに変わっていた。
杉下たちが高原夫妻を伴って公園の出口まで行くと、そこには2台のパトカーが止まっていた。杉下たちが現れたのを確認すると、一方のパトカーから捜査一課の三浦と芹沢が出てきた。
「元特命係の亀山先輩~」
「バカ!お前は何やってんだよ。」
「いてっ!何も殴らなくてもいいじゃないですか…」
「おや?伊丹さんの姿が見えないようですが?」
「あいつなら謹慎を言い渡されていますよ、警部殿。どっかの誰かさんたちの真似事をしてね。」
嫌味ったらしい言い方をすると三浦はすぐに高原夫妻を杉下たちから引き取り別々のパトカーに入れた。
「それじゃ、あとのことは我々でやりますんで。」
「ええ。くれぐれもよろしくお願いします。」
三浦と芹沢の二人は軽く頭を下げるとパトカーに乗り込み、その場を後にする。離れていくパトカーの後姿を杉下たちはしばらくの間、黙って眺めていた。
「これで万事解決ってわけにはいかないんすかねえ。」
「ええ、むしろこれからが本番だといってよいでしょうねえ。」
「もちろん、対策は練ってあるんすよね?」
「はい。今度こそ一片の不備もなく、真実を明らかにしましょう。」
そう言った杉下の声は、いつになく力強いものであった。
すでにお気づきの読者の方もいるかと思いますが、今回のエピソードは相棒シーズン5 第5話「悪魔への復讐殺人」をベースにして作っています。それに加え、シーズン3 第11話「ありふれた殺人」とシーズン9 第10話「聖戦」の要素を取り入れています。
以上の三つのエピソードは作者のお気に入りのエピソードであり、特に「ありふれた殺人」は相棒の最高傑作として名高い名作です。最後のシーンは涙なしには見られません。亀山が泣きます。私も泣きます。
ちなみに「聖戦」で被害者の男性社員を演じたのは仮面ライダーギャレンなどで有名な俳優の天野浩成さんです。天野さんはシーズン12では別の役で犯人を演じておられます。そう言えば、相棒レギュラーの中で仮面ライダーで怪人役をしていた人がいた気が…(アポロチェンジッ
みなさんの相棒のお気に入りエピソードは何ですか?