時間軸的にはアノアの船旅の最中のところですね。
グドライナ大陸には500年前より魔王と呼ばれる存在がいた。
その由来は名前の通り魔の王。
六大属性の魔法を全て使い熟し、自らの野望のためにグドライナ大陸の半分を実効支配した。通称魔王領域と呼ばれた土地だ。
だがそれはもう過去の話である。
魔王は倒された。
ユキナ・エメラルを筆頭とした五人の勇者パーティーによって。
それから五か月の月日が経ち、世界には未だ禍根が残っているものの少しは平和になったのかもしれない。
魔王は死んだ途端、グドライナ大陸の諸国は元の形を取り戻した。
500年にも渡る魔王との戦争の終止符は、次なる争いを齎す。
強大かつ明確な敵が消えたことで、魔王領域を各国が我が物にしようと権謀術数を巡らせ始めたのだ。
思惑は種々様々あれど、その根幹は自国をより豊かにするため。
しかしそれは魔王討伐の為に集められた勇者パーティーにはどうでも良い話だった。
対外政略など諸貴族に任せれば良いのだ。自分たちには関係ない。
「ノトビアはこれからどうしますか?」
この日。
勇者パーティーは2人を除いてビーラル王国の王都ディスガンティア、その北部にある場末の個室酒場に集まっていた。
メンバーは攻撃魔法の使い手であるノトビア・ケルツィッヒ、盾戦士のメリ・オードル・ザリッチ、回復魔法と支援魔法の使い手シーナ・エルグランドの三人。
剣士のシュレ・アルア・グレイブと勇者のユキナ・エメラルは既にこの国にいない。
アルアは3人に何も言わず、魔王領域からビーラル王国に帰還した次の日には王城から遁走していた。ユキナはそれを知ったからか、次の日に『じゃあねー、私旅するから。また縁があったら会いましょう!』と3人を集めて別れの挨拶をすると目の前で転移魔法を発動してどっかに消えた。
そして残されたのがこの三人という訳である。
如何にも貴族の青年といった風貌をしたオードルに問われたノトビアは悩むように自分の胸元に手を当てた。
「これから……ね。正直決めかねてるわ。まだ私、いまいち魔王を倒して帰ってきた実感とか無いのよ」
グラスに注がれた果実酒を揺らしながらノトビアの瞳が揺蕩う。絹みたいに流れる長い銀色の髪がサラリと揺れた。
ノトビアを含め、勇者パーティーは勇者であるユキナを中心として7年前に結成されたパーティーだった。パーティーは当時13歳だったユキナに合わせて同年代かつ将来有望な天才が集めれられ、そうして出会ったのが5人である。
ノトビアが招集されたのは10歳の時。それから7年が経過し、17歳。
魔王を倒すという目的だけでこれまでやってきたノトビアは、その次の目的を見つけられずにいた。
「そうですよね。斯く言う僕も色々と忙しくて、これからどうしようとか考えられてません」
「じゃあどうして聞いたのよ」
「またあの二人みたいに無言でいなくなられても困るんですよ。全く……僕がどれだけ苦労したか」
溜息を零しないがらオードルはノトビアに視線を向ける。
思えば、この長旅で変わったものだ。
ノトビアは当初ただの少女でしか無かった。
今ではその身体も女として成長し、その魅力は酒場にいれば必ず一度は男から声を掛けられるようになった。
形の良い豊満な胸に、降ったばかりの白雪を思わせるシミ一つ無い美しい肌。触れれば優しく押し返されそうなほど柔らかな太腿。
普段からすっぽりと身体を覆うような黒いローブを愛用しているためその全貌は滅多に見えないが、それでも深窓の令嬢みたいに整った顔立ちは隠していない。
酒場で個室を借りているのも半分くらいはそのせいだったりする。
勇者パーティーが有名すぎて表で飲めば絶対に絡まれる、というもう半分の理由も大きいが。
「じゃあこの集まり。また誰かが人知れず失踪することを防ぐために開かれたってことかしら」
「そういう意味合いもありますけど、一番は7年に渡る仕事の達成を祝って全員で乾杯しましょう……という名目だったんですけどね」
「明確に2人、足りないわね」
6人掛けのテーブル。そこには3人しか存在しない。
達成感と共に、長年の関係が唐突に終わった寂寥感がノトビアの胸に去来する。
10代前半の7年間だ。
まだこの国に帰還して1週間も経っていないが人生において最も重くて、記憶に残る7年だった。
ノトビアも、オードルも、無表情で押し黙っているシーナもきっと。
子供時代から今に至るまで肩を並べた相手に少なからず感傷のようなものを覚えていた。
「待っても来るわけじゃありませんし、始めましょうか」
「そうね」
オードルが言うとノトビアは頷いた。シーナは相変わらず聞いているのか聞いていないのか分からない。だがオードルもノトビアもそれは気にしない。7年もあればこの必要以上に会話を行わない困ったちゃんの扱いも慣れるというものだ。
オードルは頷き返すと、手元のグラスを掲げた。
「では、このパーティーの節目に乾杯」
「ええ、乾杯」
2人はグラスを鳴らすと、口の中に流し込む。シーナだけは『もう良いの?』とでも言いたげに首を傾げると、勝手に納得して目の前に置かれた肉料理を食べ始めた。
「長かったわね、7年は」
「そうですね、長かったです」
「……あの馬鹿2人もいれば良かったわね」
「ええ本当に」
偽らぬべき本音だった。
ようやく式典だのパーティーだの、様々な面倒事が片付いてこうやって纏まった暇が出来たのだ。
だが、その間に2人は消えた。
こんなんなら帰還初日に強行すれば良かったわね、とかノトビアが思ってしまうのも仕方がないことだろう。
「はぁ。ったくあの馬鹿はどこ行ったんだか」
「それなら一応、分っていますよ」
「え!? 知ってるのオードル!?」
驚嘆のあまり立ち上がったノトビアをオードルは手で制す。
声のボリュームを少し落とせというサインだった。
ビーラル王国は式典前に失踪した勇者と剣士にあまり良い感情を抱いていない。
王国としてはこれからも強大な武力として、他国に対する政治カードの一枚として抱えるつもりでいた。それが霧のように消えたのだ。
当てにしていた王国としては頭を抱えざるを得ない。特にシュレ・アルア・グレイブについては家は無くなったが、それでも侯爵家の嫡男だったので国としては望む望まないに関わらず権力と領地を与えて雁字搦めにするつもりだった。
それがパーだ。
良い感情を抱けるはずが無い。
そしてビーラル王国がその行き先を知れば、アルアがビーラル王国から干渉される可能性がある。
ノトビアはそれらの事情を鑑みて、んんっ、と喉を鳴らすと静かに席に座った。
「それで何処に行ったのよ」
聞かれたオードルは糸目になった。
「残念ですが僕が分かったのは馬鹿一号の方だけです。馬鹿二号は消息不明です」
因みに馬鹿一号がアルア、馬鹿二号がユキナである。失踪順にノトビアが命名した。
「でしょうね。馬鹿二号はあんなんでも勇者よ。魔法を使われたら簡単には足取りを掴めないわ」
「その通りです。僕も全力で調べたんですが、グドライナ大陸を出てないということくらいしか分かりませんでした。もっとも、ノトビアの知りたい方は元々馬鹿一号の方でしょうけど」
ぐっ……! とノトビアが僅かに仰け反る。
図星だった。
ユキナは四字熟語で言えば天衣無縫、何処でも上手く生きて行ける逞しさがある。でもアルアはああ見えて普段はだらしないし向こう見ずなところがあるし……、と胸中で言い訳を詠唱したが照った頬にはあまり効果が無かった。
「そ、そんなんじゃないわよ!? ユキナの方も聞けるなら聞きたかったわよ!」
「でもどちらかの居場所しか聞けない、と二択を提示されたらアルアの方を聞くんですよね」
「う、うっさいわよ!」
「虐めすぎましたかね……」
ぼそりとノトビアに聞こえないようにオードルは呟いた。
アルアは過去に言った。『オードルは弱みとか弄れるポイントを見つけると人間関係が壊れない程度の的確なサディズムさを発揮するからパーティー唯一の同性なのにあんまり気を抜けないんだよな』と。
まさに、この状況がそれである。
「でも一週間で良く分かったわね」
「アルアは目立ちますから」
「それもそうね」
すんなりと納得する。
剣帝、剣鬼、剣王、狂剣、剣皇……etcetc。
色々な呼び名があるが、どれもその剣の狂人的な腕前を称えるものだ。
このパーティーでもアルアは勇者のユキナに次いで有名である。
超人的な剣技を持つ剣士としてもそうだが、それ以上に何だかんだと理由を付けて困っている人間を捨て置けない性格にある。
お人好しという奴だ。
普段は剣の鍛錬ばかりしていてそれ以外のことはまるで興味が無さそうだと言うのに、ここぞという場面で現れては小さい問題から大きな問題まで纏めて掬い上げてしまう。
下手すれば気分屋のユキナよりも勇者臭い男だとノトビアは思う。
「それで、アルアの馬鹿は?」
「ビーラルの港町、パトアで目撃情報がありました」
「パトア? 西部国境付近の町ね……ということはアルドア皇国に行ったのかしら」
「違います。パトアに2日滞在していたそうなので、目的は地続きでの国境越えではないでしょう」
「えっ……?」
「恐らくですが……船旅をする気でしょう。具体的には、ベオール大陸とか」
「ベオール大陸ですって……あの馬鹿。どんだけ遠くに行こうとするのよ」
ムッとしたノトビアはヤケクソ気味に果実酒を煽った。
ベオール大陸はグドライナ大陸から船で約1か月かかる。
だが、ベオール大陸ならばビーラル王国の干渉もあまり気にする必要はないだろうとノトビアは思う。アルアは馬鹿だが考え無しではない。その辺りも一応考えてベオール大陸を選んだのだろう。
その割には旅に使った荷物のほとんどを王城の一室に放置していたが。
「それで、話を戻しますがどうするんですかノトビア。ベオール大陸に行きますか?」
「それは……その……」
戸惑うようにノトビアはグラスに入った液体を眺める。
朱色の果実酒を揺らすと水面に波が立つ。
それを呆然と、ただ見つめる。
オードルは動かなくなったノトビアに助言するように優しい声音で言う。
「パトアから行ける国は2つ。ミスヒューレ王国とノートレス獣王国家です。この2つならば前者でしょうね。ノートレスだと人間種はマイノリティーですし、文明レベルもビーラルより下がります。目的も無く敢えて向かうような国でもありません」
「……あの馬鹿はどうせ二も三も無く剣の鍛錬よ。強い奴がいればどっちでも良いんじゃないかしら」
「そうですかね。僕にはそうは思えないんですけど」
「根拠はあるの?」
「はい。僕の長年の付き合いから、ミスヒューレに行くと思います。アルアは確かに旅をしていた時は剣の鍛錬ばかりでしたが、それでも身なりに気を遣っていましたから。前身が貴族というのもあるのでしょう。手洗いや風呂、そういった行為を好んでやってた彼がノートレスを選ぶとは考えにくいです」
オードルは悠然とした顔持ちで言った。
ただその実は違う。
アルアの前世は日本人だ。手洗いうがい、日々の風呂。日本人、引いては現代人として当然の衛生観念だ。前世由来のものである。
「仲が良いのね」
オードルは羨望の眼差しで見てくるノトビアに苦笑した。
「7年間、女所帯の中で2人だけの盟友でしたから」
「ふーん。女には分からない男の友情、とでも言いたげね」
「まあ、そんなもんです。僕は別にアルアを追いかけようと思わないですし」
「そう」
言葉が途絶える。
無理に会話をしようという空気は無い。
7年も一緒に旅をしたのだ。既にそんな上辺の関係性は卒業している。
2人は黙々と食事を摂る。
そのペースは遅々とはしているが、それでも次第に皿の上が片付いて行く。
元よりそれほどの量を頼んではいなかった。
食事が片付いて瓶も空。
残りはグラスに入れられた酒のみとなったとき、顔を赤くしたノトビアは口を開いた。
「アンタはどうするの?」
「さっきも言った通りまだ決めかねています。ですがアルアと違い僕は家も存続している子爵の三男、これからもこの国でやって行くことには変わりありません」
「そう……」
「で、ノトビア。腹は決まりましたか?」
酔いで思考は麻痺している。
しかしノトビアには決心の材料が足りなかった。
「ええと……そうね……」
「全く、ウチの魔法使いは優柔不断で困りますよ」
「う、うっさいわよ!」
「ですがもう一方の魔法使いは即断即決なようで何よりです」
「へ?」
もう一方の魔法使い?
ノトビアは反射的に隣に座っているシーナに視線を向けようとして。
「あ、あれ? シーナ、何処に行ったの?」
「ベオール大陸、でしょうね」
「は、はあ!?」
「ついでにいつ行ったかという疑問にもお答えしましょう。僕がアルアの行き先を口にした時です」
「結構前じゃない!?」
既にこの飲み会が始まって1時間は経っている。
シーナが序盤に飛び出したというなら、もう王都は出てしまっていてもおかしくない。
「それでどうします?」
平然とオードルはそう問いかけた。
ノトビアは俯いて思考を巡らせる。
魔法使いは論理を重んじる生き物だ。
魔法という奇跡は全て自然によって複雑に折り重ねられた法則性によって発現する。
だから魔法使いは感情よりも論理を優先する傾向にある。ノトビアも漏れなくその一人だ。
行ったメリットと行かなかったメリット。
天秤に掛けて、グラグラと揺れる。
行けばアルアに会える。これまでと同じように旅が出来る。
行かなければビーラルでの立場は保証される。宮廷魔法使いの立場は既に確約されている。
ノトビアは旅がそこまで好きじゃない。
オシャレは出来ないし、身体は汚れるし、ご飯は簡素なものだし、魔物を警戒して満足な眠りにも就けやしない。
冒険者になるよりも宮廷魔法使いとして魔法の研究にでも励んでる自分の方が想像しやすい。
それに冒険者という職業は不安定だ。
収入は増減するし、仕事も季節によって有ったり無かったり。
堅実な仕事じゃないのは確かだ。
安定した生活を送りたいなら行かない方が良い。
良い……のだが。
もやもやする。納得が行かない。
そう言えば、とノトビアはパーティーのもう一人の魔法使いのことを考える。
シーナは魔法使いだがアルアが絡むと感情的になる。
淡いパステルカラーな水色の前髪が掛かった顔はいつも無表情で、口元すら動くことは多くない。
それでも自分のやりたいことがあれば機を逃さずに絶対に行動を起こす。
したいこと、やりたいこと。
シーナの場合それは大抵がアルア関連のことだが、今思えばそういう欲求に忠実だった。
自分はどうだろう。
理論武装だけは立派で、けどそれは本当に自分にとって正しいものなんだろうか……?
うぐぐぐ、と堪えるように唸り声を上げ始めたかと思うと。
ノトビアはグラスに入った果実酒を品の無い一気飲みで飲み干した。完飲。
「……ああもう! 私も行くわよ!」
「そうですか。それは何よりです」
にこやかにオードルは笑顔を浮かべる。
それが何だか全部掌の上だったように思えて、そこはかとなくノトビアを苛立たせた。
「アンタに乗せられた訳でもアルアが行ったからって訳でもないんだから! ただこのまま一生会えなかったら気持ち悪いから行くだけよ」
「それってやっぱりアルアに会いたいからじゃないですか」
「うるさい! オードルは本当にうるさいわ! 私もう出るから後この事は頼んだわよ!」
「今日はもう遅いですしパトアに行く馬車もありませんから明日にしましょうねノトビア。ほら、宿まで送りますよ」
「やだ! シーナばっかずるい! 私も行く!」
「はいはい、行きますよ」
オードルは酔っぱらいと化したパーティーメンバーを介抱しつつ、一つ物事を成し遂げたみたいに息を落とす。
(アルア、どうせ僕が何をしなくてもこの2人は勝手に行ったでしょうけど一応言っておきます。剣は置いて行ったようなので僕が管理します、代わりに彼女たちのことは頼みましたよ)
自分のグラスに入った果実酒を飲み切ると、酒気を帯びたノトビアに肩を貸して個室を退出した。