タイトルは仮題。
/1/失職
ヒガミ山脈。
ミスヒューレ王国北方に位置する山脈であり、過去には様々な貴金属が採掘されていた。今では廃坑となり、以前は栄えていた鉱街はその形も無い。緑は一切無く、殺風景でモノクロな景色に観ていてうんざりしそうなほどの無機質さ。
「なあヤイ。何で俺達、こんなつまらない廃坑にいるんだ?」
松明しか明かりのない暗闇の中、太陽の下ならばさぞ煌々と輝く金髪をオールバックに固めた少年が頭の後ろで腕を組みながら口を開いた。口から突いて出てしまったという様相だった。
隣を歩く、同じく金色の髪をふわりと靡かせた少女は顔を顰める。
「怠いことを言わないでよ。ヤイもウォールドも、また師匠によって危険地帯に放り込まれたんだって」
「はぁ……俺たちって不幸だよな。とびっきりの不幸だ。雨の日に小石に躓いてドロドロの水溜りにダイブして、お気に入りの一張羅と買ったばかりの食料品を駄目にするくらいツイてない」
少年の瞳は光が差し込むことのない晦冥たる廃坑の中でも一際ドロリと濁っていた。全てを飲み込むブラックホールのように。溶解し溶媒として同化させる超強力な酸性液のように。
「ねえ、毎回言ってるけどねウォールド。超絶女神に愛されたヤイと一緒にしないでくれない? ウォールドが不幸ってことは知ってるしヤイもそれは憐れむところだけどヤイに押し付けないでよ」
「いや不幸だ。俺達は不幸だぜヤイ。自分の幸運を信じて止まない不肖の妹相手に言うのは自分で自分の内臓を丁寧に部位ごとに解体して大皿に並べるくらい心が痛いがな、不幸なんだよ。諸悪の根源は師匠とはいえ不幸以外の何物でもない」
「ウォールドの比喩は下らなすぎて欠伸が出るから止めて欲しいんだけど。ウォールドと違ってヤイは幸運なの。この廃坑だってまだ魔物と一度も出会ってない。それに今日の朝は雨が降ってたでしょ。昨晩ヤイが雨乞いをしたから幸運の神様が微笑んだの。ヤイは超絶幸運なの」
「ヤイの信仰対象はわっかんねえ。女神なのか神なのかはっきりさせろよ」
「何か言った?」
「何でもねえよ」
少年が訝し気に呟いた言葉を少女は即座に追求する。少女の表情は何一つ変わらず、暇な子供がアリの死体をじっと観察するような目をしている。しかし普通の少女と違うのは、その少女の両手にはナイフが収まっていることだ。それも一本ではない。十本、二十本……それ以上の数の無骨なナイフを。大道芸人がジャグリングをする為に持っているならば未だしも、未だ中学生ほどにしか見えない少女が持つには不格好で、異様で。何一つ少年の言葉に感情を抱いていなさそうなのに、その内の一本を器用に少年の首筋にピタリと当てた。
少年は手慣れたように手を払うと、少女は10秒ほどして剣吞とした空気を引っ込める。
「んで、師匠から何言われたっけ。俺細けえの覚えんの苦手だからヤイ、説明してくれ」
「全くウォールドは雑なんだから。もっと頭を使ったら? ウォールドは脳筋馬鹿一歩手前なんだから偶には頭を鍛えたらどう?」
「一歩手前なら問題ないだろヤイ。理性の無い動物より上等だ」
「動物と比較しようとするのは兄妹として悲しくなるんだけど。忸怩たる思いになるから止めてくれない?」
「うっせ。それより詳細を教えてくれ」
呆れたように溜息をついて、少女は気怠げに指を頭に当てると思い出すようにゆっくり口を動かす。
「ここはただの廃坑じゃない。幸運なことに、魔召石が見つかった廃坑なの。ヤイとウォールドはこの廃坑で魔召石の力を強めて、魔物を活性化させる。そして魔物の主になるの」
「魔召石か……そりゃ不幸なこって。どんだけの鉱夫が死んだのか。ギルドにも魔鉱石を回収するよう依頼が出た筈だ、なのにこのままってことは失敗して冒険者達も死んだんだろ。んで今度は俺達がその不幸の連鎖に巻き込まれた訳か……本当に不幸だな俺達って」
「幸運なの。ウォールドはともかく少なくともヤイだけは幸運なの」
上書きするように少女は語尾を強めて言った。
魔召石。それは悪用されれば国一つ滅ぼす代物だ。魔力を込めることで魔物を生むことが出来る、戦略級の兵器。
この坑道で発見されたのは偶然だった。いつも通り貴金属を求めて掘り進めた鉱夫は或る日魔召石を見つけ、しかし価値の無い屑石と思って放置した。地面から流れる廃坑の魔力によって魔召石に力が流れ込み、魔物が現れる。貴金属には魔力が大量に宿る。大量に流れ込んだ魔召石により魔物は強化され、氾濫し、誰にも対処できずにすぐさま廃鉱と化した。それがこのヒガミ廃坑の真実だ。
「おい、魔物だぞ。何が幸運だよヤイ。ありゃデカいフリャルだ。不幸中の不幸だ」
少年の第六感がざわめき、視線を彷徨わせると天井に何か大きい蝙蝠のようなものが逆さに引っ付いているのが見える。蝙蝠と違うのは頭が三角上に角ばっており、羽が刃の如く薄く鋭い。中級魔物、フリャル。普通の大人ならば相対した時点で死を覚悟するレベルの魔物だ。
少女はフリャルに対してまるでゴミの周りを飛び回る蠅でも見るかの目の色をして、声のトーンを高めた。
「違うってウォールド。これは幸運だね。前衛のウォールドが偶然この場にいて始末してくれるんだから幸運に違いない」
「俺とヤイが一緒なのは何時もだろうが。人任せにしやがって。ったく不幸だ。不幸だが、まあ対処できる不幸だからDレベルの不幸だな」
「それって換言すれば不幸中の幸いってやつじゃない? つまり幸運なの。良かったじゃん。ヤイの幸運が影響して万年不幸なウォールドの運勢が上がったの。ヤイに感謝して」
「幸運も何もヤイも不幸なんだから上がる運は無いだろ……まあいい。殺しとくか」
少年は剣を引き抜く。しかし歪な事に、剣の刃が無い。柄だけだ。少年はそれを当然のように構えて、そして再び鞘に戻す。
「じゃ行くぞヤイ。面倒くさいが師匠に折檻されたくないからな、さっさと終わらせんぞ」
「同感。ヤイもこんな埃っぽい場所に長時間いたくない。女にこんな場所に行かせるなんてありえないでしょホント、程々に終わらせましょ」
フリャルを無視して二人は歩を進める。フリャルは待ち構えて動かず、二人が交差した瞬間に真っ二つになる。何をされたか気付かない、気付けない。フリャルは重力に逆らえずそのまま落ちていく。ドサリと身体が墜落する。
二人は振り返らない。
それが当然のことなのだろう。少なくとも少年は大の大人が死を覚悟する魔物を、何一つ直接的な行動を起こすことなく殺した。少女も何一つ言わず、工場のライン作業でも見るかのような目で退屈そうに服の皺を取っている。
二人は軽口を叩きながら廃坑の奥地へと消えていった。
─── ☆ ───
飯の種が尽きた。
より平易に言ったら金が無くなった。
このミスヒューレ王国では職に対する考え方がシビアだ。
職人になるには職人の子供になるしかないし、商人になるには商人の子供になるしかない。10歳になる時に見習いとして働くようになるのだが、大抵は親の家業を継ぐのだ。悪しき血統主義。滅びろ内向的な社会。
俺はこの王国の人間ではないため、職の自由が無かった。
最近までは取り敢えず酒場でウェイター紛いのことをしていたが、それも「お前、寝坊が酷すぎるからクビ。クビってどういう意味か分かるか? 懲戒解雇ってことだ」と生来の気質を否定されて路上にほっぽり出された。日本なら不当解雇に当たるだろう。いや当たらないか。まあ俺の器は飲食店如きでは測れないのだ、と前向きに考えておく。
無駄飯食らいは要らない。
それはこの世界ならば共通の観念だ。
流れ流れてここまでやって来た俺が出来る仕事はこの国には無い。
いいや正確には一つ。あるにはある。
冒険者という、底辺職が。
別に俺は底辺だから嫌だと忌避して冒険者にならない訳ではない。今更そんなプライドは無いし、背に腹は代えられないと思っている。
だが冒険者はダメだ。
俺は戦いたくないし血を見たいとは思わない。
冒険者という職業は戦いが前提にある。指定された魔物を殺したり、或いは要人警護をしたり。勘弁してくれ、俺は生粋なる日本人だ。そういう血塗れな日常に慣れたくない。PTSDになってやる。クソ。
偶々入店した飲食店、酔った勢いでウェイターになれたのだがそれもダメになってしまった以上俺に金を得る方法は無い。身分証明も出来ず、文無しのストリート乞食に都落ちだ。元も都ってほど大層な身分じゃなかったが。
ともかく。
今日、俺は無職になった。
─── ─── ───
ミスヒューレ王国での俺の伝手は無いに等しい。
精々がさっきまで勤めていた酒場の店長くらいだ。
それも俺をクビにしてカンカンだったから他の職を紹介してくれることは無いだろう。
はぁ……どうするか。
行く当てもなく、金もない。俺はただ安穏と暮らせればそれで満足だと言うのに。
港町、マドーレ。
ミスヒューレ王国南部にあるこの町の主な産業は漁業、そして交易。
田舎町では決してないが、大都会と言う訳でもない。精々が地方都市。日本で言えば仙台だろう。仙台民の方々には申し訳ないが。
大都市ではないこのマドーレでは就ける職はあまり多くはない。特にこの王国での身分が無い俺だと中々定職に就けない。だから酒場のウェイターの仕事は良かったんだが……まさか素行でクビになるとはな。しかしたった8度の遅刻で堪忍袋が切れるとは大の大人としては考え物だと思うが如何なものだろうか。
そう考えると前職である勇者パーティーは俺のことを中々慮ってくれていたようだ。
朝起きれずに、太陽も真上に昇って漸くベッドから這い出してきた俺を誰も怒ることは無かったのだから。まあ前職が異常だったんだろう。
だが辞めたことに後悔はない。
いや、辞めたというか職が消えたという表現が正しいか。90年代の日本で徐々に事務職がコンピューターに代替されたのと同じくして、魔王が死んだことによって勇者もその役割を終えた。そして勇者パーティーも解散したのだ。
「はあ……俺って何も出来ねえしな。簿記とかTOIECとか勉強しとけば……ってこの世界じゃ意味ねえな」
思わず弱音が漏れる。
高校生をやっていた時から数学は苦手だった。
数学は人生を支えるだの数学的素質が将来を開くだの言う担任教師を尻目に赤点を取り続けた俺に取って数字をコネコネする簿記は苦手意識しかない。まあ商業高校ではなかったから簿記なんてやったことないって言うのもあるが。
あと英語も苦手だった。外国に行く機会なんて自分から作らない限り皆無だ。
因みに言うまでも無いが、他の主要科目も全て苦手だった。おかげで高校の模試の成績はそりゃあ酷いもんだったさ。偏差値という謎の基準から算出された数字は毎回30を浮き沈みしていた。閑話休題。
現状は絶望的に悪い。
取り敢えず路銭を稼ごうかと思ったが、先にこの国から出た方が良いのかもしれない。
良いじゃないか。この国は生きづらいという事が分かった。
一次情報は大事だ。自分で見聞きし、考えた情報は又聞きで得た情報より何倍も正確性で勝る。
はは、高度情報社会で生きていた経験が生きているな。後はスマホがあれば現代知識無双とか出来ちゃったのかもしれないのに。
小気味なジョークを心の中で飛ばしつつ、素寒貧な財布に溜息を落とす。
……よし、この街を出よう。
街を彷徨って求人を探していた俺は遂に決意した。
この国はダメだ。他の国で、また俺でも出来る仕事を探すのだ。
幸いにして、俺はサバイバルの知識がある。経験もあるし、日本ではディスカバリーチャンネルで楽しく学んだものだ。
金が無くても生きて行ける。と思う。この大陸の植生とか知らんからどれが毒草だとか毒キノコだとか知らんけど。知識の不足は有り余るフィーリングで補えばオッケーだ。
そうと決まれば街を出る手続きをしなくてはならない。
街では例外を除いて、俺のような流れ者は金を担保にして滞在許可証を発行することで初めて街に入ることを許される。要するにビザのようなものだ。
滞在可能期間は50日。それ以降の滞在は再び役所を通して手続きするのだが、今回はその逆。
まだ俺は3週間程度しかこの街にいない。
その場合も役所に赴いて滞在許可証を返すのだ。そして担保にしていた金を返してもらう。
どの国でも大概そんなもんだ。大陸が変わっても完全に繋がりが無い訳じゃないからこそ、システムも同じなのだろう。
役所に着いて、窓口で手続きをする。
役人は滞在許可証を確認して、次に俺のことを見ると意外そうな目をした。
「まだ30日目なのにもう出るのか。お前、前の国じゃこの街で散々な目に遭ったから仕事探して頑張るとか言ってた奴だろ」
「俺のことを覚えているんですか?」
「まあな。こういう仕事な以上、人の顔を覚えるのは得意なんだ。それで退去手続きで良いんだよな」
「ええ。お願いします」
滞在許可証を返却すると、役人は隅から隅まで確認する。
偽物かどうか疑っているのだろう。大事なことだ。仕事はちゃんと履行しないとな。
「大丈夫だな。ほら、1000ヒーレルだ」
そう言って渡されたのは中銀貨だ。
1000ヒーレル硬貨である。長年使用されているからか銀色はくすんでいて、表面には塔の絵が書かれている。何でも王都にある塔で、この国のシンボルであるらしい。
貴重な貨幣ではあるが残念ながら使えない。これは街に入るときに担保に出す用の貨幣だ。ほぼ一文無しと言っても俺がこれを使ってしまったが最後、今度こそ街に入れなくなってしまう。
「ありがとうございます」
「まあ、詳しいことは聞かんが落ち着いたらまた来いよ」
役人の暖かい言葉につい頷く。
世の中は冷たくとも、個々を見れば暖かい面もあるものだ。ただ俺が求めているのは暖かい言葉より暖かい食事にありつける定職なのだが。
役所は外壁門の直ぐ傍にある。脱走や不法侵入を防ぐためだそうだ。街から出る人間と街に入る人間でレーンが二つに区切られており、どちらのレーンも閑散としている。
人が少ない理由は簡単だ。
実は門にも二種類ある。
この門を使うのは旅人や流浪人、仕事で訪れる人間だけで、少し離れたところには住民用の門がある。住民とその他の人間を十把一絡げにしないことで街のセキュリティーを高めつつ、住民はほぼ顔パスで門を通れるようになっている。かなり合理的な仕組みだ。
更に東西にそれぞれの門があるため、このマドーレには門が四つある訳だ。
直方体に切られた石材で出来た外壁と、そこに据えられた木製の巨大な門を潜る。
門の外、右手は街道だ。街道の少し先では住民用の門から伸びた道と合流して、そこからは真っすぐと先が見えないほど続いている。見ているだけで気が遠くなりそうだ。
俺は一瞥すると、左手にある森へと入る。
旅支度はしてあるとは言え、金銭的問題もあって本当に最低限の装備しか準備出来ていない。特に問題は食料。
次の町までは二週間くらいかかるだろう。働いている酒場で地図を見たから、ある程度は確信を持って言える。
国境線までは更に徒歩で八か月。馬車を使えばこの数分の一になるだろうが、金が無いので使えない。
つまり長旅になる。
それに当たって必要になる数日分の食料や水をこの森で確保しておこうという腹積もりである。
……にしても、豊かな森だ。
森の中に入って、素直にそう思った。
マドーレはこの世界基準でもそこそこ大きい町であるし、それ相応に人口も多い。だから木の実は取り尽くされ、木々は伐採されてもおかしくない。
何せ森ってのは割と危険だ。
凶暴な動物は子供にとって危険であるし、魔物の隠れ蓑にもなってしまう。共生という概念が希薄なこの世界において、リスクを鑑みて根こそぎ資源を取り尽くされてしまっても不思議ではない。
まさか、マドーレに環境保護団体があったり……するわけないか。自然が淘汰された訳でもあるまいし。設立の理由が無い。
今日はこの森で木の実を採取し、小動物の肉を集める。持てるだけ集めたら明日、今度こそ出立だ。
数時間ほどそうして食料をかき集めることに専念する。
本当にこの森は豊かだ。
探せばモレンがすぐに見つかった。淡い黄色の、甘い果実だ。外皮は硬いがそれを剥いてしまえば直接食べれる白い果肉が出てくる。長期保存は効かないが、三日四日程度なら余裕で持つと思う。
それに合わせて名前は分からないが、兎と犬を中途半端に掛け合わせたような小動物もその辺をぴょこぴょこと駆け回っている。それをグサリとナイフで刺し殺し、解体する。前世ならば心が痛んだのだろう。サバイバルが友達になってしまった今じゃ考えられないことだ。見たところ毒も無さそうなのでこれは干し肉として加工することにする。直射日光に当てると腐ってしまうため、木々の葉によって出来た日陰を身繕う。今ならば自衛隊に入隊したらレンジャーに合格するかもしれないな、とか暇だったので自画自賛する。いや無理か。俺には銃のオーバーホールなんて出来ないし、集団行動も得意な方ではない。何より朝起きれないのが致命的。どういう職種なら俺でも出来るんかね。なんかモラトリアムな気持ちになてくるぞ。
そうして段取り良く野営地を決め、剥いだ肉を紐に通して干している時だった。
「だ、誰か! 助けて下さい!」
鬼気迫ると言った風な、切羽詰まった声がした。
声の場所は近い。多分、歩いて5分も無い。
俺は一瞬迷った。
助けるべきか、見捨て置くべきか。損得勘定の話だ。
見捨てたとしても誰からも文句は言われないだろう。数時間歩き回って、今日この時点ではこの森に俺以外誰もいないことを確認していた。悲鳴が聞こえた時点で過去形だが、それでもこうなった以上俺とその悲鳴の主以外はこの近くにはいない。
少し迷って、俺は行くことにした。
善人を気取っている訳じゃない。
ただ、悲鳴を無視して一夜を明かすのは気分が悪い。
それに魔物かもしれない。近場に魔物がいるというのは安心できない要素だ。寝てる最中に気付かず死んでましたーなんて笑えなすぎる。幾ら俺が戦いたくないと思ってるとは言え、この世界は日本ほど甘くは無いのだ。油断大敵。街の外では油断した奴から死んでいく。自衛のためにはしょうがない事なのだ。
だから俺が助けるのはついでだ。
ほら、怪異の専門家も人は勝手に助かるだけとか何とか言っていた。この状況は正にそうだ。
作業を中断して、俺は急いでそちらに足を向ける。
走って行けば人影が見えた。
少女だった。推定15、6歳と見える。年齢以上のあどけなさを感じる顔立ちは恐怖に歪んでおり、足が竦んだのか木に背中を預けてその身を震わせている。白と赤の絵具を1:9くらいで混ぜられたような髪の毛は逃げる最中に転んだのか土で汚れている。
ふむ。何とも可愛い女の子じゃないか。悲鳴で女であることは分かってはいたが、こんな美少女と分かるとやる気100倍、いや1000倍になる。男はみな助兵衛なのだ。異論は認めない。
手早く少女の姿を認めると、視線をスライドさせる。
少女を追いつめていた存在は、やはりというべきか。魔物だった。
フリャル。そう呼ばれている蝙蝠もどきだ。
その両翼を羽ばたかせ、頭上5mほど上を飛ぶフリャルは楽しそうに少女を追い立てていた。実際楽しいのかもしれない。魔物に感情があるかは知らないが、そのおちょくるように接近するフリャルの行動は嗜虐心に満ち溢れている。
この魔物の特徴は何と言っても翼だろう。
薄青とした気味の悪い両翼は剃刀のように鋭い。少女を追いかける時に邪魔だったのか、周囲にも切断され倒れた木々が地面に横たわっている。
蝙蝠と言ったが大きさはアメリカンサイズだ。羽を広げると大体、大きめのリムジンくらいの長さになる。魔物は上から特級、上級、中級、初級に分類されるが中でも中級に分類される魔物。弱いということはない。それどころか強いまである。五位冒険者、つまり成り立ての新入りならまず即死するような相手である。
「あ、あの……! お願いです……何でもお礼はするので助けてください!」
俺の姿を見ると少女は悲壮感の籠った声音を纏わせてそう言った。
おいおい。女の子が何でもなんて言っちゃだめでしょうが。『ん? 何でもって言ったよね?』とか言質を取られたらどうするんだいガール。そんな軽く自分のことを他者に委ねてたら両親も悲しむぞ?
ただまあ、幸運なことに俺はそういう下種な輩ではない。
どうせこの少女はマドーレの住人だろう。俺は明日には森から出ていくつもりだから、何も持っていない少女から見返りを得られるとは思えない。
戦うなんてマジで勘弁して欲しい。
本来なら俺に依頼するなんて大金が動く事柄なのだ。
だが今回は特別にタダで助けてやろう。
初回特別サービスだ。
人は一人で勝手に助かるだけ、良い言葉じゃないか。今日から一日俺のモットーにしよう。
「ちょっと下がってください。邪魔になるんで」
フリャルとの間に割って入りながら少女を一瞥すると、少女は腰を抜かしたようで顔を真っ青にしたまま必死に後ろ手に進もうとした。しかし少女の背後には木がある。パニックになって気付いていないようだ。
はあ……俺が相手している間に逃げてくれれば楽だったのに。
思わず溜息を吐く。
俺は剣士なのだ。
だが剣は無い。
戦うつもりが無いから持ってこなかったのだ。
徒手空拳は嗜み程度にやっていたとはいえ、それだって実戦経験は薄いから不安だ。
威嚇するみたいに翼を大きく広げるフリャルに、人知れず俺の気分が下がった。
ストックはこの話を含めまだ五話分。
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