俺ことシュレ・アルア・グレイブは元はと言うとグドライナ大陸のとある国で生まれた貴族である。ついでに前世では日本の関東地方の片田舎で高校生をしていたが、既に死んでしまったので語る気力は無い。
侯爵家の跡取りとして生まれた俺は次期当主を期待され育てられた。のは良いのだが、その教育方針はヒジョーに異議を唱えたいものだった。
朝。
身支度を整えて当主兼師範である父親と拳を振るう。体格差や経験と言った諸々の要素からボコられる。ウゴバッ。
昼。
腹に物を入れると今度は雇われの冒険者と拳を突き出し合う。またボコられる。グヘエッ。
夜。
申し訳程度に勉強する。簡単な算数から礼儀作法、基礎教養と日によって内容はまちまちだ。今は信じられないが、あの時の俺は不必要なまでに痛められたせいで勉強が唯一の癒しだった。過去の俺に合掌。
とまあ、こんな感じで。
一日の2/3が拳をぶつけ合う機会に恵まれていたわけだ。狂ってるぜ、侯爵家。
それもこれもグレイブ家が生粋の武闘派貴族なのが悪い。それも剣や槍や弓、魔法とこの世界なら色々と選択肢がある中、敢えて徒手空拳一択を推進する一族である。控え目に頭がおかしい。我が名はなんちゃら、グレイブ1のなんちゃらである、とか中二病ニズムな名乗りをしている一族の方がまだマシである。
問題があれば常に武力を用いてお手軽円満解決、とか考えているのかと思うほどグレイブ家は脳筋集団だ。家にいる人間は使用人も含めて誰しもが徒手空拳で戦えるという始末で、いつも瀟洒に雑事を熟しているメイドが外では酔っぱらった大男を殴り飛ばしてマウントを取ってタコ殴りにしていたと冒険者から聞いた時は本当に嫌になった。戦闘メイドとかアニメだけの存在にしてくれ頼むから。それ以来時折思い出すと俺は『あ、このメイドさんその気になれば俺のことゴキブリみたいに踏みつぶせるんだよな』とか畏怖が湧き出てくるのだ。誰か普通のメイドさんを呼んでくれ……!
そうなれば当然、家主である俺の父親であるシュレ・バルノフ・グレイブも強いわけで。若い頃は相当腕を鳴らしたみたいで、俺をボコりに家に来る冒険者共はみなその父親の名前に憧憬の眼差しを向けていた。
もうヤダこの家。逃げ出して美少女とはんなりと暮らしたい。
とか何度も考えつつ頬をぶん殴られるのが日常だった。
それからも色々あった。
8歳の義竜の儀という、要するに将来はこの職業に就きなさい、と特殊な水晶を使って上から目線でお告げをされる儀式では『剣士になれば大成するだろう』と言われ。唐突に魔王が攻めてきて家が無くなり家族や婚約者は生死不明になり。ひたすら剣を鍛えてたら勇者パーティーの一員になり。んで、魔王を殺して帰還した折に見計らって王城にて宛がわれた一室から遁走してこの大陸まで移動してきた。18歳のことである。
色々の部分は今はさして重要ではない。
重要なのは目の前のフリャルである。
今にも鋭利な翼で目の前のくたびれた男をバラバラ怪奇殺人事件にしてやろうと言わんばかりに睨み付ける黒赤とした爬虫類の双眸。
背後には腰が抜けて立つことすら儘ならない少女。
戦闘を回避することは出来なそうだ。
俺には今、剣が無い。
本気で戦いたくないと思ってこのベオール大陸まで、俺のことを知らない人間が大量にいる土地まで来たから致し方無いことだ。
取り合えず、両方の拳を構えた。
今まで剣を使っていたからか、違和感が凄い。それでも何となく戦えそうだと思えたのは、皮肉にもグレイブ家の教育方針のおかげだろう。なんせ3歳から家が無くなる11歳までずっと拳を鍛え続けたのだ。それから7年のブランクがあるとは言え、完全にその過酷な仕打ちを忘れるほど俺の頭は悪くなかったらしい。だが俺は感謝しないからな。幼子に突然『今日からグレイブ家としての授業を始める! アルア、拳を強く握れ! 殺す気で殴ってこい!』とか言い始めるあんな狂育方針認めて堪るか!
ゴングは向こうが先に鳴らした。
上空を飛んでいたフリャルが滑空してくる。
羽を地面と平行に一直線に伸ばしたその姿は何処かムササビを思わせる。
「ひ、ひゃっ……!?」
背後から怖気づいたような弱い声。
見たところこの少女は魔物とあまり遭遇したことが無いのだろう。今ここで少女に魔物を押し付けて逃げれば間違いなく死ぬ。そう考えると、義理など一つも無いが守ってやらねばと脳内で再確認してしまう。
狙うのはカウンター。
フリャルの弱点は羽の付け根だ。
羽自体は触れれば大抵のものは切断されてしまうほどの切れ味を誇るが、その付け根はただの肉。高級ステーキみたいに柔らかいとまでは行かないが、それでも他の部位より肉が薄い。羽を落としてダルマにさえしてさえしまえば後はもう注意するべきなのは尖った歯と爪くらいだ。そうなれば危険度は初級魔物以下にまで落ちる。その辺の熊と同レベルだ。
間合いを正確に見測る。
徒手空拳はともかく戦闘自体にはブランクはほぼ無い。
加速するフリャルを連続した一枚の絵として、コマ送りのアニメーションとして捉えてやる。肝心なのは穏やかな湖面の如く、揺るがない心。精神の臨界点まで集中して至る境地。一族でも俺以外に一人しか、初代グレイブしか使えなかった領域。
父親はこれを『晴雲秋月』と呼んでいた。
一枚。また一枚。
ページが捲れるようにコマが進んでいく。一枚進むごとに数センチほど俺の間合いに近づく。二等辺三角形のフリャルの醜悪な顔が鮮明に見える。
まだだ。
徒手空拳だからいつもの間合いよりも短い。
引き付けろ。堪えて引き付けるんだ俺。
……ここだ!
俺の腕の長さ、それから拳を振るうこと時間を考えた俺の間合い。
前方80㎝。
フリャルの羽の付け根がその範囲内に達した瞬間、右腕を振るう。右足で踏み込んだことで地面が軽く凹み、腰が大きく素早く撓る。
魔力を指の第三間接に集中的に纏わせることで破壊力が増すグレイブ流拳術の技だ。父親はこの技が得意だったらしく、まだ実家にいた頃は毎日のように喰らって青痣が死ぬほど出来た忌まわしき技である。
振り抜いた拳は、確かな感覚を伴ってフリャルの右翼を後方へと吹っ飛ばす。
うっわ、緑色の血が断面から跳ねてきたんだが。ばっちいなおい。変な病気とか血液感染したらどうしてくれるんだよ。
「キィィィィ……!」
不快感を及ぼす甲高いフリャルの苦悶の声。
形勢不利を悟ったのだろう。慌てて残った片翼を仰いで俺から距離を取ると、大して役に立たそうな短足で地面を蹴りながら後ろへと下がる。
だが逃がさねえよ。
なんせ魔物って奴は化け物だ。どれだけ部位欠損しても数時間すれば新しいのが生えてくるというチートスペックっぷりには地球出身の人間としては頭が下がる思いだ。質量保存の法則とかエネルギー保存の法則とか、そういう物理法則の縛りどうなってんだこの世界。
兎にも角にも、魔物は殺さねばならない。
俺は間合いを保ちつつ密着する。左翼を警戒して千切れた右翼側に回り込みながら、更に左のジャブ。しかしフリャルも予想していたのだろう、鋭利な羽で迎合され弾かれる。皮が切れたみたいで、握りこぶしから血が流れた。
クソ、やっぱりブランクがあるな。全盛期なら十連続は討斬拳を連発できたのだが、二発目で失敗か。ただの拳全体に魔力が宿っただけの一撃になってしまった。これでも初級魔物くらいは十分殺せるのだが、中級となると流石に外皮すら抜けない。ましてやフリャルの羽相手だとこっちが手傷を負うか。
まあ、でも好都合だ。
これでフリャルを守るものは無い。片翼を失い、もう一方の翼で俺の拳に合わせることに思考を支配されたフリャルは既に良いカモでしかないのだ。バランスが崩れたことで、この瞬間フリャルは振るった左翼で返す一撃を出せない。
それを理解したのか、フリャルは足に力を込めて更にバックステップした。
けどな、遅いぜお前。
その時にはもう、俺も前方に跳躍していた。同時に右拳を腰に溜めてから点に突き上げるような形で振り上げる。
グレイブ流拳術、
無駄にカッコイイ名前だが有り体に言ってしまうとほぼ昇竜拳である。身も蓋もないね。
拳はフリャルの顎下を気持ちの悪い感触と共にぶち抜いた。俺は胴体を蹴ると縦回転しながら背後へと着地する。
地面と激突するフリャルの落下音に、俺は注意を切らさず視線を向ける。
フリャルの方を見ると既に事切れたようで、その身体はピクリとも動かない。脳味噌に風穴を開けてやったんだ、当然だろう。こんだけやればホラームービーのゾンビだって動かない。因みに魔物も脳を殺らない限りは死ななかったりする。お前らもホラー映画への出演資格と思うぜ。どうでも良いが。
死んだように見えるが、念には念をだ。
一応近づいて触診してみる。
死んだふりをする魔物とは未だ出会ったことは無いが、絶対にいないという証明はできない。一瞬の隙が死への片道切符へと変身するのだ。
だから戦闘は嫌なんだ。気を抜けば死ぬし、抜かなくても怪我はするし。仲間だって死んでしまう。数週間ぶりに魔物と戦って分かったがやはり冒険者なんて職業、俺には絶対に合ってない。妥協せずに正解だ。
念入りにフリャルが死んだのを確認して、漸く俺は一息ついた。
自分の拳を当てにはしていたが、まあまあ戦えるな。自衛程度なら卒なく熟せそうだ。これなら剣士とも思われるまい。よもや、勇者パーティーに属していた剣士だなんて誰からも思われないだろう。うむ、剣を持ってこなかった判断は間違っていなかったのだ。
「あ、あ……あの!」
自分を褒め湛えていると背後の少女が声を上げる。
恐怖が完全には抜けきっていないのか、その響きは不安定だ。
「大丈夫でしたか?」
「は、はい! 怪我は無いです!」
少女はべたりと地べた付いていた両手を頭上に伸ばして掌を此方に向けた。
何でホールドアップの形なんだ?
まあ元気そうなら何よりだ。
「なら良かったです。これからは気を付けてくださいね」
「ありがとうございます!」
「それじゃ俺はこの辺で」
「ま、待ってください!」
背を向けようとして足を止める。
……多分、お礼とか言い始めるんだろうな。
この子には悪いが面倒だし、別に意図して助けたつもりはない。
先制猫パンチを喰らわせておくか。
「お礼でしたら結構ですよ。俺は自分のために駆除したに過ぎませんから」
「そうは行きませんよ! 私はエアミール・テルグリットと言います! 私、定食屋を営んでいるんです! 夕暮れ時で時間も丁度良いですし是非私の家でご飯を食べて行かれてください! あ、勿論お金は頂きませんから!」
「そんな悪いです。お気持ちだけで結構ですよ」
「いえ! 絶対にお招きします! 祖父からの教えなんです! 人は与えられたらその分を返すべきと!」
敦樸そうな見た目をしているのにしつこい。
その目は大きく開かれ、顔には『絶対に逃がさないです』という強い意志が書かれているようにも見えるのは俺の勘違いか。いやその通りなんだろうなぁ。
ハッキリ言おう。何なんだこの子。
電波系ならもう間に合ってますのでクーリングオフでお願いします。
「ご厚意はありがたいのですが、俺はもう滞在許可証を返却してしまったのでマドーレに戻れないんですよ」
「分かりました! じゃあ私が滞在許可証の担保を負担します! 来てくれますよね!」
言外に諦めてくれという思念を込めたのだが、少女、テルグリットは全く意に介さず頷いた。
おいおい、これじゃあエアリーディング検定不合格だぞ? 客とのコミュニケーションが重要な定食屋の娘がそれで大丈夫なんですかね?
うん。
なんかもう、凄く面倒臭くなってきた。
テルグリットちゃんには悪いが、多少おざなりな態度を示してとっととご帰宅願おうか。
「あのな、俺はこれから国外に行くつもりなの。もうこの街にいる気はないの。だから構わないでくれ」
「はい、行きましょう! マドーレの外門は基本的に外の人間しか使いませんが街の住人も実は使えるんですよ? 一緒に行きますよ!」
「え、ちょっ、テルグリットさん!?」
テルグリットは俺の手を握ると、強く引っ張るように森の外へと歩き出す。
まさか無理矢理解くなんてことを年下と思われる少女相手に出来ない紳士な俺はそのまま足が動き始める。
え、強引過ぎない?
ここまで強制的な恩返しとか初めてされるから対処法が分からないんですけども。
「私にさん付け要りません! 行きますよ!」
そのまま森の外まで引きずられるように俺は手を引かれる。
ここまで話を聞かない相手は人生初……でも無いな。パーティーにいたノトビアとかも結構話聞かない方だったし。
可愛い女の子だと思ったが、どうにもこの少女の方が魔物よりもある種凶暴だったらしい。何故か恩を売った側のはずの俺に選択肢が無いなんてな。
俺は一切合切を諦めて、再びマドーレへと向かうテルグリットの柔らかい手に溜息を二回落とすのだった。
─── ─── ───
数時間ぶりにマドーレの町に戻ってきた。いやあ、この街も変わらないなぁ。……言ってみたかっただけである。
この街では住民専用の門を内門、住民以外が使う門を外門と言うらしい。内と外、何とも分かりやすい。
役所の役人は先程と同じ人間だった。
テルグリットの手に繋がれた俺のことを見て、更にテルグリットが俺の分の担保である1000ヒーレルを渡すと『お前……一応言っとくが、幾ら生活が厳しいからってナンパで引っかけた女と同棲ってのは良くないぞ? 世間体的に』と怪訝な表情で宣った。余計なお世話だ。俺だって大誤算なんだよ。
だがしかし。
役人の言うことにも一理ある。
異性同士が手を繋いで来たらそりゃまあ只ならぬ関係を勘繰られるのは仕方のないことだ。
「テルグリット。手を離して欲しいんだけど。流石に町中で手を繋ぐのは、その、色々と駄目だろ」
「はい? 何か問題ありますか?」
「例えばほら。親に恋人と勘違いされたり、な?」
「それなら心配しなくても大丈夫ですよ! 私、両親は幼い時に亡くしているので」
おっっもいな、いきなり!
いや聞いた俺が悪いんですけども!
でもここからどんな話題振れば良いか一発で分かんなくなちゃった責任はどう取れば良いんですかね!
結局それ以降一言も言葉を交わせないまま数分、先導されて。
「ここです。ここが私の定食屋、グリット食堂です」
案内されたのはなるほど、食堂としては中々に様になった木造二階建ての建物だった。
店の入り口上部に掲げられた長方形の看板にはミスヒューレ語で『安くて美味くて良い! 食の伝道グリット食堂!』と黒字で書かれている。
建物はこの世界の飲食店としては平均的なのに看板のせいでとても胡散臭く見える。
大丈夫だろうかこの店。
「ささ、中にどうぞ!」
ガラガラとテルグリットは店の戸を開ける。
中は長テーブルが6つ、椅子がそれぞれに8つずつ。合計48席の小規模な飯屋が存在した。
ちゃんと掃除をしているのだろう。
見たところ外観で汚いと思うような箇所は無い。
俺の働いていた酒場よりも綺麗なくらいだ。
見た感じがマトモなだけに、何で看板だけあんなんなのだろうかと思ってしまうほどである。
「えーと……名前、聞いてなかったですね! 私またポカをしてました!」
「ポカって……」
そう言うテルグリットの頭上にはお花畑が見えた。
さっきの強引さは鳴りを潜めて、今は何処となく春の朗らかな陽気の如くぽわぽわとしている。
はぁ……いまいち性格が掴めない相手ってのはやりづらいな。
「アルア・グレイブ。別に覚えなくて良いぞ」
「む~。グレイブさんですね! そんな意地悪を言っても忘れませんよ! 私料理を作るので、その間奥の席で寛いでいてください!」
「奥の席? 手前はダメなのか?」
「ああ見えてあそこにある椅子全部、土魔法で固定しているだけなので少しでも力を加えたら壊れますから」
張りぼてかよ。
やっぱこの店、あまり味にも期待できそうにない。
ただ取り繕うという点においては満点を与えても良いかもしれない。あの椅子がそんなオンボロだとは全く気付かなかった。
テルグリットが奥の通路へと引っ込む。
キッチンは恐らく隣の部屋なのだろう、早速調理音が聞こえてきた。
包丁の食材を切るトントントンというリズムが小気味良く響いてきて……。
いや待て。
全然小気味良くない。
トンとトンの間隔が不自然なほど空いている。
文字に起こせばもう『トン………………トン………………』と何個も三点リーダーが行列してしまいそうなくらい、包丁のリズムが悪い。
それはもう、まるで料理初心者みたいで。
「いやいやいや、まさかな」
彼女は定食屋を営んでいると言っていた。
一人でやっているかどうかは分からないが、少なくとも切り盛りを手伝っているような口ぶりだった。
それに客入りの良い夕方にも関わらず調理場にいるということは、流石に料理が出来るはずだ。メシマズ系ヒロインなんて令和の日本じゃもうオワコンだしな。それはもう美味しい家庭料理を作ってくれるに違いないだろう。
無理矢理そう理論武装をして、さあどんな料理がやってくるのだろうと胸を膨らませた俺だったがすぐにその武装はブレイクされた。
辺りを見回せば答えが自ずと出る。
この店、こんな時間なのに俺を除いて客が一人もいないのだ。
俺の働いていた居酒屋ならもう満席御礼なこのゴールデンタイムにだ。
そこから導き出される真実は一つ。
料理、期待しない方が良いな。これ。
諦観の上に更なる強烈な諦観を上塗りして、俺は大人しく皿を待つ。
裁判官から判決を言い渡される直前の犯罪者のような気分だった。
テルグリットが料理を持ってきたのはそれから50分後のことだった。
さっきまでは入り口から夕焼けが差し込んでいたのだが、今となっては真っ暗だ。
この定食屋もふらふらと陰を揺らすランタンの光によって明かりが保たれている。
「お待たせしました! グリット食堂自慢の一品、テルボイのスープです!」
料理名と共に、目の前に深皿が置かれた。
テルボイと言う食材のことを俺は知らないが、見たところなんてことは無い。
ただの野菜スープのようだった。
見た目も悪くない……ようだが。
「……あの、食べてみても?」
「勿論です! どうぞ!」
じゃあ、いただきますっと。
スプーンで掬ってみる。色はやや濁っているが琥珀色。
そのまま口に運ぶ。
しょっぱい。
それに野菜の雑味が凄い。アクが強すぎるぞこのスープ……!
反射的に俺はテルグリットの顔を確認する。
そこにはサーブした時と変わらずライムグリーンの瞳を爛々と輝かせながら笑顔でニコニコと笑みを湛えるテルグリットの姿があった
えっと、何でそんなに自信満々な様子なんでせうか?
「どうでしょうかグレイブさん」
スプーンを皿に戻して固まっていると、感想を求められた。
困った。
これは正直に言うべきだろうか。
前世のラノベ主人公ならばヒロインを傷つけるのを恐れて『い、いや! ど、独創的な味が新鮮でとても美味しかったよ!』と言ってしまい、さらにお代わりを貰ってしまう場面である。
だが俺はNOが言える人間だ。
「ちょっとマズいな。塩入れすぎじゃないか」
「えー? そうですか? ふーむ。上手く行ったと思ったのに」
スープに目を落とすと、テルグリットは顎に手を当てる。
もしかして味見すらしてないのか?
「……ところでこういう立場で言うのもアレだけど他には無いのか? メインディッシュに魚料理とか、付け合わせのパンとか」
「パンはありますよ。私が朝食べてるものですけど」
「他の食事は……」
「私、スープ以外作れないんです。えへへ……」
何故はにかみ笑いを浮かべる。
スープ以外に作れない定食屋って何だよ。それもう専門店じゃん。
道理で閑古鳥が鳴いてるわけだ。
そんな店、普通は行かないし俺でも敬遠する。
しかもその唯一無二の商品の質は劣悪と来たもんだ。
「あのさ……どうして定食屋を開こうと?」
突いて出た俺の言葉に、テルグリットの笑みが引っ込む。
他人の家の事情に突っ込み過ぎたか?
考えてみれば定食屋を自分で開いたとは限らない。
「それは……その……」
「言いづらいことだったか。変に聞き出そうとして悪かった」
「い、いえ! 大丈夫です! ただその、この定食屋は私の祖父がやっていたんです。3ヶ月前に病気で死んでしまって、それで私が継いだんです」
「なるほど……そんなことが」
悪いことを言ってしまった。
そうか、3ヶ月。
3ヶ月という期間は心の整理を付けるには短すぎる。
そう言えばテルグリットは両親を幼い頃に亡くしたと言っていた。
恐らくだが祖父が育ての親だったのだろう。
大変だったはずだ。
俺はグレイブ家が無くなって、心に完全に整理を付けるまで7年掛かった。
28倍の時間だ。
会ったばかりのテルグリットの気持ちを推し量る事なんて出来ないが、それでも似た境遇だから分かることもある。
「このスープも祖父に教えてもらったのか?」
「はい! 祖父のスープは凄い美味しいんですよ! ただ私にはまだ、上手く再現できないですけど……」
「そうなのか」
この元気な声音は虚勢だ。
弱い自分を表に出したらそのままずるずると何処か暗い落とし穴に落ちていきそうで、抗うために笑みを浮かべているのだ。
強い少女だと思う。
俺は当時、こんな強かな笑みを作れなかった。
ずっと剣に逃げていたからな。
スープを更に口に含む。
相変わらず美味しくはない。
塩辛いし、茹でる時間が足りてないのか野菜は固いし。
けどもその話を聞いちゃった以上、残して立ち去るなんて出来ないじゃないか。
俺は皿を傾けて最後の一滴まで飲み干すと、口元を拭った。
「食べれなくはない。けど、避けれるなら食べたくない味だねこれ」
「そうですか……。私じゃ、おじいちゃんのスープは作れないのかな」
「まあ、なんだ。それでも暖かいスープだった。いや作りたてだから暖かいのは当然だけどさ、そういう意味じゃなくて……ああ、うーん。上手く言葉に出来ないな」
否定も肯定も出来ない。
テルグリットの事情は知らないし、そのスープにどれだけの想いがあるのかも分からない。
なのに、無意識に出た言葉はテルグリットの心を慰めようとしたものだった。
「い、いえ、伝わります。ありがとうございます」
憮然とした表情のまま言った。
これが本来のテルグリットの顔なのだろう。
根拠は無いが、何となくそう思った。
「ごちそうさま。じゃあ俺は行くよ」
「えっ。もう行くんですか?」
「お礼もしてもらったし、これ以上いても迷惑だろ」
「そんなことは無いです! まだ私の感謝も果たせていません! 夜も遅いですし、一晩泊まっていきませんか?」
感謝を果たすって何。
どんだけこの子義理堅いんだ……国から逃げ出した俺とは違うな。
しかし、これ以上恩に甘えるのも違うだろう。
さっきも俺自身考えてたことだ。
テルグリットは助かりたいと思っていた自分に勝手に救われたのだ。
ただ、彼女には正直にそう言っても通じなさそうな雰囲気がある。
少し言い分を工夫して、脳内で原稿を練り上げた後に口を開く。
「そうだな。お前みたいな言い方をすれば与えた恩以上のお返しは受け取れないってとこだよ。宿は今からだってまあ、何とかなるさ」
「どうせこの家には私一人しか暮らしてませんから! あ、でも宿の当てがあるのなら別ですけど……」
「いやあの森に戻って野宿するつもりだが」
「尚更泊ってください! 恩人を無碍にしたら私、天国のおじいちゃんに怒られます!」
と、テルグリットに手を握られる。
本当に良い子だなぁ、この子。
感心しながら手を退けようと……アレ。力強い。離せないんだが!?
「おい、離してくれ! 恩は返してもらったしもう良いだろ!」
「私は返せたと思っていません! この建物なら屋根も壁もありますから野宿よりも何億倍も良いはずです! 遠慮せず是非泊ってください!」
「遠慮じゃないんだが……! クッ……無駄に力が強い……!」
右手がテルグリットの両手によって抑えられた状態で押し問答をする。
無事な左手で剥がそうとしているのに一向に抜け出す隙間すら生まれないんだが!
何なんだよこの力! 聞いちゃいなかったが店を継ぐまでは冒険者でもやってたのか!?
抜け出そうにもこんな年下の少女を傷つける訳にもいかないし……!
数分の口論の末、俺は白旗を上げたのだった。
ファンタジー小説書くの楽しいー
良ければ感想や評価お願い(以下略)