「何でそんなに剣を握るの?」
シーナから俺はそう問われる。
俺はベオール大陸にいるのに何故シーナがここに。
いや、ああ。
これは夢か。
見れば、シーナの前に俺がいた。
まだ10代前半の、幼いながらも成長渦中に見える茶髪の少年だ。
ここはビーラル王城の鍛錬場だ。
懐かしい。
勇者のパーティーとして集められてから最初の2年はこの城で鍛えたものだ。
「そりゃ、魔王を倒すためだ」
過去の俺がそう言うと、シーナは首を傾げた。
「何のために? 世界のため?」
「それは違うな。別に俺が救わなくても世界なんて勝手にどうにかなるだろ。倒す理由は徹頭徹尾俺のためだ。ケジメを付けたい」
「ケジメ……?」
「故郷は魔王にズタズタにされてな。家族も婚約者も殺された。復讐ってほどの激情は無いが、それでも思うところはある」
そうだな。
この時の俺はぐちゃぐちゃだった。
転生という摩訶不思議現象を体験し、第二の父と第二の母を持った。
前世は一般家系で生まれ育ったが、今世は違う。
侯爵家。
家の位だけ聞けば非常にノブレスでクレーバーなイメージを持つが、グレイブ家の実態は一族代々脳筋で武闘派。父は昭和のステレオ親父を何倍にも濃縮還元したような頑固者で、口より先に手と足と頭が出る困った性格だった。
母はそれを無言で支える大和撫子のような立ち振舞いをしていた。嫁入りしてきた母の元の身分は伯爵令嬢、夫婦になっても目に見えない身分差があったのかもしれない。今はもう分からないことだが。
兎にも角にもだ。
前世の両親とは全く違うその在り方を、中々俺は受け入れることが出来なかった。
既に俺には前世の両親の記憶があるというのも大きかった。両親という単語に結びついた記憶は凡そが前世のもので、今世の両親とは結び付きようがなかった。
言い訳をする気は無い。
俺はその2人に身内という認識を持ち切れなかったのだ。
そして、そのまま死んだ。
両親を両親として真っ向から直視することなく、死んでしまった。
後悔やら怒りやら虚しさやらやるせなさやら。
色々な感情が寄せては引いて、爪痕だけ残していった。
ぐちゃぐちゃの根幹にある事情だった。
「俺は息子として何も両親にしてやれなかった……いやそれ以前だ。両親と思うことすらしてやれなかった。俺は出来なかった理由を魔王に求めてるだけの馬鹿野郎だよ」
「分からない……けど分かった。シーナも着いて行く」
シーナは相変わらず表情を1ミリも動かさず、そんな言葉を口にする。
そういやその言葉、聞いたことあるな。
これは夢だが、俺の過去なのかもしれない。あの頃の記憶なんてもう風化して朧気だ。俺が忘れた会話なんて五万とある。いつの会話だろう、これは。
けど……着いて行くって言ってくれていたんだな。
黙って国を抜けたのを少し悪いと感じる。
でもまあ、ビーラル王城の鍛錬場を使ってたのは5年以上前の話だ。
シーナだってそんな昔の話は覚えてないだろう。
「どっちなんだよ。それにどうせ一緒だろ、魔王を倒すまではな」
最後に俺がそう言ったのを火切りに、空間が白く薄く溶けて行った。
─── ─── ───
「味をどうにかするべきです」
珍しく朝一に起きた俺は、鍋に野菜を投入しようとするテルグリットの行動を止めてそう言った。
今のスープは正直言って不味い。
かなり不味い。
値段は20ヒーレルと安価ではあるが、このスープはそれ以前に金を取るレベルに達していない。
小学生が家庭科の授業で作った味噌汁の方が100倍食べれるまである。
定食屋を冠する以上品数も問題だが、それ以上にやはり質が低すぎる。
「味……ですか。いつもバルニコフさんは美味しそうに食べてるんですけど」
「ああ……アレですか。あれは例外と考えてください」
好きな人に嫌われたくないから嘘をつく。
人間としては普通のことかもしれないが、定食屋の主人が味で忖度を受けたらダメだろ。
「というかグレイブさん」
「なんでしょうかテルグリットさん」
「何で敬語なんですか?」
「それは店主だからです。店員が雇い主にタメ口って訳には行かないでしょう」
瞳を丸くするテルグリットに俺はそう答える。
バルニコフとの決闘も片付いて、今更ながらふと思い出したのだ。
立場に相応しい態度を。
貴族社会に属す人間ならば誰もが持つ常識だ。
自分よりも下の地位にいる貴族でも、陞爵して上になれば敬語を使わねばならない。逆に相手も敬語で喋らず、平語で話さねばならない。もし怠れば爵位を軽んじていると他の貴族から考えられ、付け込まれる隙と化す。
俺は侯爵家だったからほぼ全ての貴族が格下の家だったが、それでも家庭教師から口酸っぱく言われたことだ。
結局俺は当主の座どころか貴族の地位すら捨てることになったが。
「私は気にしません! 寧ろ距離が出来たみたいで嫌です!」
「しかし、お客様から見られて変な疑いをされても困ります。例えば私が乗っ取りを画策している、だとか」
「お、お客様……何か気持ち悪いですグレイブさん! 雇用者として命令します! 今すぐその口調を止めてください!」
「ですが……」
「ですがも禁止です! 改めなかったら解雇しますよ!」
脅すように首を切るような仕草をした。
いや、本気だ。
いつもは何も無くても笑顔を浮かべている彼女の目が笑っていない。
店長と店員。上と下。
少し前まで働いていた酒場でも敬語だったが、テルグリットのお気に召さなかったらしい。
……しょうがない。
「分かった。じゃあこれからもこうやって話すぞ」
「はい! それが私の中でのグレイブさんです!」
「どんなだよ……全くさ」
嬉しそうな顔しやがる……。
ただまあ、悪い気はしない。
美少女に懐かれていると思えばアリだ。
ちょっとした役得である。
「それで味を変えるってどういうことですか? どうやってやります?」
「変える必要は無い。けど改善する必要はあるだろ。これじゃあ何時まで経っても客が来ない」
「バルニコフさんが来ますよ!」
「だから、あいつは例外だ」
「そうですか……」
微妙に凹んだような顔で頷いた。
アイツがいたから今まで何とかやって来れたところはあるのだろう。
金銭的にもそうだが、精神的に。
もし客が一人も来なかったならばここまでテルグリットは健気に振舞うことが出来なかったと思う。
今度来たら少しは優しくしてやるか。
まあそのことは一旦置いておいて、今はテルグリットの料理についてだ。
「取り敢えず、先ずはスープの問題を整理しよう。味見はしているのか?」
「勿論してないです! お客さんより先に食べちゃうなんて失礼ですから!」
いや、マジか。
そこからか。
頭を抱えそうになるのを耐えて、懇切丁寧に説明する。
「テルグリット、それは駄目だ。金を受け取って不味いものを出す方が失礼だろ」
「……それもそうです。分かりました、これからは味見も頑張ります!」
別に味見なんて頑張るものじゃないが……まあいいか。やる気を削ぐ必要も無いだろう。
「じゃあ今から作りますね!」
「ああ」
テルグリットはそう言うと昨晩俺が処理した食材を鍋に入れた。使うのはテルボイ。薄緑色の葉が丸まった、キャベツのような野菜だ。ただキャベツと違って手では引き千切れないほど固いのが特徴的である。
それを小さく切ったものをパラパラと突っ込んで、グルグルと混ぜる。
今のところは特に変なところは無いように思える。俺は料理に関してはトーシロだし詳しいことは何も言えないが。
「味付けは何を?」
「塩だけです! 本当は香辛料も使いたいんですけど……ちょっとお金が足りなくて」
「それで塩スープか。そういや聞いてなかったけど、料理の経験はどのくらいあるんだ?」
「三か月です!」
三か月……祖父が亡くなった時からということか。
少し触れづらいな。
そう躊躇していると、テルグリットは何でもないように続ける。
「このグリット食堂を継ぐと決めて、それから初めて厨房に立ちました。それまではずっと祖父がずっと厨房に立っていて、私は給仕だったので料理はしたことないです。祖父は私を厨房に入れたがらなかったですし」
「そうか……」
だから包丁の扱いもあんな不慣れだったのか。
今更ながら理解する。
グルグルと回し続け、味付けの塩の量が適切か舌で確認して。
そして完成だ。
軽く皿に注ぐと、俺とテルグリットは口に含ませる。
「これも何というか……微妙だな」
「……そうですか? 普通じゃないですか?」
俺の発言に首を横に傾ける。
もしかして……テルグリットって馬鹿舌なのか?
このスープは塩味については良い塩梅だが、やはり野菜のクドさが残っている。
クドさというか、苦みというか。
前食べたスープよりはマシだがやっぱり美味しくない。
それを普通って言われるとちょっと違う。
「普通ではないだろ。苦いし独特なエグみもあるし」
「そうですか?」
「というかレシピとか無いのか?」
そう聞いてみれば、テルグリットは顎に人差し指を当てた。
「残っているには残っているんです。テルボイのスープのレシピだけ」
「スープだけ?」
定食屋なのに他のメニューのレシピが無いなんて、レシピを残す価値を感じなかった?
それともスープが特別だとか?
「はい。ですが祖父のスープを作ろうにも食材が足りないというか……」
レシピがあるんならその通りに作ればどうにかなるだろ、とか軽く思ってみればそれは違うようだ。
まあこのスープがレシピ通りだったというなら、それはレシピがイかれてるということになるしそりゃそうか。
「足りない? さっき香辛料がどうとか言ってたけど、それか?」
「そうなんですよー。それにもう一つ」
「まだ有るのか」
「祖父はバルガの種、と呼んでいました。それが手に入らなくて」
「手に入らない? ああ、また金の問題か」
香辛料もバルガの種とやらも金銭問題で買えないとか世の中世知辛いぜ。
だが幸運なことに、今の俺なら解決できる。
バルニコフからふんだくった金があるのだ。
小計165000ヒーレル。
今なら香辛料だけなら数キロ単位で買えるぜ。
テルボイは森にも生えているし街でも安値で売っている、バルガの種だって町の定食屋が普通に使ってる食材なんだからそこまで高いってことは無いだろ。
と、俺が独りでに購入計画を立てているとテルグリットはふるふると首を振った。
「バルガの種に関してはお金じゃないんです。それどころかどこの店にも売ってません」
……売ってない?
「じゃあどうやってテルグリットの祖父さんは入手を?」
「多分……森だと思います。生前に祖父も良く行っていましたから。一応テルボイを取りに行くときに探してはいるんですけど、まだ一度も見つけたことが無くって」
「ってことは見つけ辛い場所にあるのかもな」
「そうかもしれないです。祖父は元冒険者だったので、危険な場所とかにも平気で入ったでしょうから」
まだあの森には三、四回しか入ったことが無い。
危険な場所があるかどうかも分からないが……ただ魔物が出るんなら魔物の集まる巣窟もあるかもしれない。
「なるほど。じゃあ次から俺もそういう場所を選んで探してみるよ」
「ありがとうございますグレイブさん!」
テルグリットは軽く頭を下げた。
……うーん。
やっぱり力関係的に、これは宜しくないな。
「……さっきの話を蒸し返すようだけど、俺が敬語を使っちゃ駄目と言うなら俺のことは呼び捨てで呼んでくれ。店長が店員に敬語で話したらおかしいだろ」
「グレイブさんは命の恩人です! そんな相手への敬意を省くなんて出来ません!」
言いながら強く手を握られる。
役得だ。
スベスベとしていて暖かくて……って痛い痛い!
出たよテルグリット流交渉術!
この強引さ、どうにかしてくれ!
ただ、なすがままのこれまでと異なり今は対応策を思い付いている。
「じゃ、じゃあ俺も恩人としての要求だ。敬語もさん付けも止めてくれ」
「そこまで言うなら……うん、そうするね」
痛みが顔に出さないように我慢しながら口にする。
テルグリットはしおらしい声音で、優しく微笑んだ。
─── ─── ───
昼下がりの商店街。
どうせ店には誰も来ない、来てもバルニコフくらいということでテルグリットから外出許可を貰ったのだが、どうやら本当にバルガの実というものは売っていないらしい。
だがテルグリットが必要としていた香辛料は売っていた。
大体200gほど入った袋一つで4000ヒーレル。小銀貨4枚。
これなら8㎏くらい買える計算になる。そんなに要らないが。
バルニコフの奴、ホントにとんでもない大金をポンって出してきやがったんだな。
一先ずは一袋だけ購入して、そのままブラブラと探索する。
マドーレの町は賑わっていた。
日々の日用品や食料を調達する住人。
買い付け交渉を行う行商人。
治安を維持するため警邏する衛兵。
露店商は呼び込みのために声を張り上げている。
流石にこの周辺で代表的な町という事だけはあるのだろう。
散策していると、人混みの中で声を掛けられた。
「おー、お前!」
最初は誰か分からなかったが、顔を見て思い出した。
役所で二回合ったことのある役人だ。
茶髪に、特徴的な赤いバンダナ。野性的な顔貌だが冒険者ではなく書類仕事をする役人というのが良い意味で印象的だ。俺からすると気のいいアンちゃんという認識である。
「今日は非番なんですか?」
「おうよ。お前こそ仕事は良いのか? 食堂で働いてんだろ? この時間は稼ぎ時じゃねえか」
「残念ながら3日に1日とかしか客来ないんですよ」
「それはヤバいだろ。良くお前を雇える余裕あったな」
呆れたように役人は言い放った。
それは同意する。
故に月給、大銅貨8枚だもんなぁ。
この町の価格帯なら宿で2泊したらそれで終わる。
我ながら薄給なもんだ。
肩を竦めて答えると、はっと気付いたみたいに顔を変化させた。
「ああ、そうだ。忘れてたぜ。俺はザイン・ミルメス、ザインで良い。ご存知の通り役所で書類仕事やら受付やらやらされてる」
「俺はアルア・グレイブです」
「覚えたぜアルア。お互い閑職同士仲良くしようぜ!」
陽気に肩を組まれるとハハハと笑い始める。
距離感が近いなこの人。
俺が元日本人ということもあってちょっとやりにくい。
悪い人間では無いんだろうけど、理由の無い好意って受け取り辛いんだよな。
「役所なのに閑職なんですか? 公務員なんですよね?」
そう聞くとザインはポリポリと後頭部を掻いた。
「ああ、まあな。ただ最近は暇なんだよ、滞在許可証を求める人間が殆どいねえしな」
「交易路が通ってるのに、来る商人が減っているんですか?」
「そうなんだよ。わっけ分かんねえよな。最近は特に酷くてよ、外門なんて一日待っても誰も来ないことも多いって話だぜ。アルア、お前を除いてな」
何だ、俺のことを盗賊か何かと疑ってるのか?
いや、冗談だ。
そんなことを考えていたならばこんな気軽に話しかけたりせず、それこそ衛兵に通報している。
「変な言い方しないで下さいよ。まるで俺が何かしたみたいじゃないですか」
「わりい、職業病だ。心配せずとも疑ってねえよ。勤め先も分かってるしな」
「それは良かったです」
ちっとも謝罪しているようには見えないが、まあ良いか。
こういう性格なんだろうと思うことにする。
「でも奇妙だぜ。出て行く人間はいるが、入ってくる人間がいねえってのは」
「そうですね……」
「偶然って可能性もあるにはあるが。この状況、まるで陸を封鎖されてるみたいな……まあ与太話か。んなことやって何になるんだって話だしな」
マドーレは分岐点だ。
マドーレは大きな街道の中間点にあり、北方への道は少し先で二又に別れている。
一方は王都へ。
もう一方はオシュプル共和国へ続いている。
だからこそマドーレは交易で栄えている。
行商人も旅人も来ないのはザインの言う通り不自然。
この数日で何かが起きているのは確かだ。
……でも何が?
何が起きているんだ?
自然現象か、偶然か、それとも人為的なものか。
妙に脳裏に引っかかる。
思考は空転を続け、結論は出ない。
それでも嫌な予感はすぐそこまで近づいていた。