「転生したら幼女戦記の世界だった件」短編集   作:間川 レイ

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幼女戦記の世界でUボートの艦長になったが、乗艦が撃沈されかけている件

1.

俺は、潜水艦が好きだ。それも、現代のあの丸っこい、可愛らしい形をした潜水艦ではない。第二次世界大戦期の無骨で、シャープな、いかにも船を無理やり潜れるようにしましたというような、あの形の潜水艦が大好きだった。

 

だからこそ俺は、潜水艦ものの小説を、映画を、読み漁った。映画「Uボート」の最期には涙したし、「アラァァァァァァム!」の声には胸が躍った。「ローレライ」のラストには幸せになれよと涙ぐみ、絹美艦長たちの見事な散り際には思わず背筋を正したものだ。

 

だからこそ、俺が不慮の事故で死んだあと、神様的な存在に出くわして。転生させるにあたり何か望みはあるかと尋ねられた時。神様転生というものが実在したことに驚くより早く、Uボートの艦長になれるよう転生させてくれと頼んでしまったのも無理はないだろう。

 

なんたって夢に見た千載一遇の好機だ。伊号潜水艦の艦長とも悩んだが、正直回天は載せたくない。それに何と言ったって潜水艦の王様はUボートだ。

 

だからこそ、俺は神様的な存在の靴を嘗める勢いで土下座した。是非とも俺をUボートの艦長になれるようにしてくれ、と。お主の世界とは異なる世界での転生だ、とか転生先の作品はこちらで決めるなどといっていたが正直そんなことはどうでもいい。

 

俺はあの、狭く、汗臭く、危険な、でも敵の懐を狙う致死の短剣としての潜水艦に心底ほれ込んでいたのだから。

 

だからこそ、神様的な存在がよかろう、と頷いたときには心底喜んだものだ。そして再び目覚めた時、ドイツとよく似た「帝国」と呼ばれる国で「オットー」という潜水艦士官候補生として転生していることに気づいたときは人生で初めて歓喜の涙を流した。俺は、あふれんばかりの潜水艦への愛をもって、毎日必死に勉強した。

 

そして、その気持ちは、新聞などからこの世界が前世で昔読んだ、幼女戦記の世界らしいということを知っても俺の気持ちは揺るがなかった。幼女戦記は末期戦物だ。まっとうな人間なら亡命の算段か、どうにかして生き残るすべでも探るのだろう。

 

だが、そんなこと俺からすればどうでもよかった。俺は、心底潜水艦に惚れているのだ。潜水艦とともに死ねるのなら本望だ。そう思って努力した。その甲斐あって、俺はかなり上位の成績で潜水艦士官学校を卒業することができ、航海長として最初の潜水艦に着任した。

 

勿論士官学校を出てすぐに艦長になれるはずもない。そうわかっていたつもりであってもやはり艦長への長い道のりを考えるとめげそうになる時もあった。でも決して俺はあきらめなかった。それに潜水艦とはあたかも地獄のように語られがちだが、俺にとって夢にまで見た潜水艦だ。毎日が楽しくて仕方がなかった。

 

当然、感動にかまけて自分の仕事をおろそかにしたりもしない。常に早く、正確に航路を導き出し、幾度となく任務の成功に貢献した。少しの空き時間も惜しみ、群狼作戦の提案、魚雷の信管の改善案の提出など前世の知識を生かして、少しでも早く出世し、艦長になれるように頑張った。その甲斐あって主計長、水雷長、副長とキャリアを積み重ねていった。

 

その間、楽しいことばかりでもなかった。上との折衝で、ごたごたに巻き込まれた。演習中の事故で、親友のように親しくしていた部下を失った。戦争最初期は出撃すれば必ず戦果を挙げていた俺たちだったが、戦争なのだ。敵も当然その対策をする。いつの間にか敵を狩るつもりの俺たちが、狩られる側になっていった。

 

士官学校の同期の多くが死んだ。転属していった古参兵たちの、死亡通知を受け取る機会も加速度的に増えた。いつしか、補充される兵隊に、やけに若いのが目立つようになった。俺は、戦争を嘗めていたことをようやく悟った。戦争の恐ろしさを生まれて初めて知った。

 

何度も撃沈されかかった。何隻も撃沈した。重油の海で、必死に泳ぐ敵兵がサメに食われて死んでいく様を何度も見た。紙の上では戦死者とただの数字としてしかあらわされない数値の中に、必死に生きている生身の人間がいるということを知った。いつしか、俺は、この世界をただの物語の世界とは思えなくなっていた。

 

それでも、潜水艦に対する愛だけは尽きなかった。艦長への夢は、あきらめられなかった。

 

ごうんごうんというディーゼルエンジンの音。ブーンという静かなモーターのうなり声。

 

駆逐艦の目をかいくぐり大型輸送船を沈めた時の快感。怒り狂って血眼で俺たちを探す駆逐艦を返り討ちにしてやった時の高揚感。

 

そして狭い潜水艦という世界ならではの団結感。

 

そこには俺の愛したすべてがあった。だからこそ俺は、必死に部下を鍛え上げ、右も左もわからぬ新米士官を徹底的にしごいてやった。

 

そうした努力が認められ、俺がこの世界にやってきてから25年。U-77艦長の辞令が下りた時には静かに涙を流したものだった。たとえ、与えられた船が旧型の船であっても。部下たちが古参というにはロートルすぎる連中と、兵学校を出たてのピカピカの新兵の寄せ集めであっても。俺は彼らを必死にしごいた。汗の一滴が血の一滴だと知っていたから。

 

さんざん陰口を叩かれたりもした。でも今では誰もが俺の意図を察してくれ、もはや一個の有機的生命体のように動けるようになった。苦しい戦況の中、いつしか俺たちはエース艦の中に名を並べるようになった。

 

俺の転生してからこれまでの努力が報われた瞬間。ビアホールを貸し切って、皆で三日三晩飲み明かした。憲兵からは散々嫌味を言われた。だが俺は幸せだった。そしてこんな幸せな日々が続くと、そう無邪気にも信じていたのだ。

 

2.

「そう思っていたんだがねえ……」

 

思わずつぶやく。だが、その俺の声に反応するものはいない。それよりも明らかに間近に迫った脅威が差し迫っているのだから。

 

コォォォォン、コォォォォン

 

俺のつぶやきをかき消すように、不気味なソナーの音が発令所内に反響する。それとともにシュッシュッシュッシュという敵駆逐艦のスクリュー音がどんどん大きくなる。赤い非常灯に照らされた発令所要員の顔色は悪い。それはお客さんも同じか、と俺は苦笑する。

 

発令所内部で所在なさげにたたずむ二人のお客さん。すっかり薄れてしまった原作知識だが、さすがに二人の顔は覚えている。原作主人公であるターニャ・フォン・デクレチャフ中佐とその副官のセレブリャコーフ中尉だ。首元の演算宝珠が非常灯の光を反射して、鈍く輝いているのが印象的でもある。

 

「深度を報告せよ」。深度計の前に佇む潜航科員に声をかける。

 

「深度、35、40、45、なおも沈降中です」

 

「ベントは」

 

「すべて開放済みです」

 

「よろしい」

 

こんな危機的な状況でも、報告する声には乱れ一つない。こいつらも成長したな、と内心ほおを緩めつつ俺は頷く。見れば、速度指示器は全速に入れられている。機関科からの別段の報告もないのだ、きちんとスクリューは全速で海水をかき分けているのだろう。ならば今はできることはない。後は天にすべてを任せて祈るのみ。

 

ふと、天井を走るパイプから垂れた結露がぽつりと首筋にあたる。

 

「全く、まいったね……」

 

思わずつぶやく。通常のローテから行けば、本艦は、なんてことはない通常の北方海域における通常の哨戒に投入される予定だったのだ。それが終わればこの船もドックでメンテ入り。 

 

そろそろ撃沈戦果がいい具合にまた溜まってきたので、俺たちは軍港そばのビアホールで気楽に飲んだくれていられたはずだったのだ。それが何の因果かこのざまだ。待ち受けていたと思しき敵の3個対潜戦隊とがっつり組んでの殴り合い。最も一方的に殴られているというのが正しいのだが。

 

「何なんだ、これは」と思わず笑ってしまう俺は悪くはないはずだ。

 

だが、こんな危機的状況において艦長が笑っているというのは、部下としては嬉しくないらしい。副長のこちらを見る視線には俺の正気を疑うような、やや怯えをはらんだ光があり、さらにぐるりと見渡せば他の要員もちらちらと俺の顔を伺っている。

 

しっかり信頼関係は築いたと自負していただけに、愛する部下たちからこんな目を向けられるのは悲しいものだ。やれやれ、と首をふりかけ、ふと思い返す。逆に信頼しているからこそこんな目をされるのかも知れないな、と。

 

俺は艦長になってからどんな状況でも、極力表情を変えないようにしてきた。士官が動揺すれば兵たちはパニックになる。どんな状況でも落ち着いて見せるのが士官の役割だと身をもって学んだからだ。だがそんな艦長が笑みを浮かべる?圧倒的劣勢下で?

 

そんなもの、恐怖で壊れたと思う方が自然だ。そしてこの状況下で艦長発狂など洒落にもならない。部下も怯えたような表情をするはずだ。やはり悪いのは俺の方らしい。すまんな、と手を上げて頭も下げる。

 

ようやく、俺が正気だとわかってくれたらしい。ほっと、司令塔内の張りつめていた空気が和らぐ。ふと見れば、原作主人公様が演算宝珠から手を離す姿が見えた。発狂していたなら即座に撃ち殺すつもりだったのだろう。

 

なんともシビアな主人公様らしい、そう思って苦笑しかけ、慌てて緩んだ頬を元に戻す。今日は表情の調整がうまくいっていない。気を付けないと。そう、心の中のメモ帳に記しつつふと思う。ああ、それにしても何でこんなことに、と。

 

3.

すべてが狂い始めたのはそう、俺たちが帰港したアイン軍港が、あの忌々しい連合王国のコマンドどもに襲撃されてからだ。基地警備隊はよっぽど無能ぞろいだったようで、内部への浸透を許したばかりか隣のブンカーまで吹っ飛ばされやがった。原作でもこんな攻撃があったな、と懐かしく思い出しつつも後の祭り。

 

大体、こちらは船乗りなのだ。専門訓練を受けたコマンドに勝てるわけがない。一部の砲台と一部の歩兵部隊の奮戦がなければ、俺たちのブンカーまで危なかっただろう。そして噂によれば、基地司令部はその砲兵隊と歩兵部隊の指揮官を抗命罪で捕まえたとかなんだとか。そしてそれが事実だと、読者にして転生者の俺だけは知っている。

 

だからこそ、潜水戦隊司令部に抗議の電話を一ダースはぶち込んだ俺たちは悪くないはずだ。彼らの奮闘が物語の枠組みで定められたことだったとしても、それでも俺の潜水艦と部下たちを守ってくれたのは間違いのない事実なのだから。

 

最も、潜水戦隊司令部もブンカ―を吹き飛ばされたことには怒り心頭で、きっちり俺たちのクレームを活用してくれたようだ。世話になった歩兵部隊と砲兵部隊にはワインを届けさせた。少しでも詫びになってくれればいいのだが。

 

まあ、そんなことはどうでもいい。アイン軍港を見事に吹っ飛ばされた参謀本部としては、したたかにメンツをつぶされたわけだ。だから、同じような方法で連合王国にやり返してやろう、と考えるのも無理はない。

 

その実行役として、さんざん抗議の電話をねじ込みいささか悪目立ちした俺たちと、参謀本部直轄の魔導士部隊を当てるというのも、まあ悪くはない考えだ。それに俺たちはそれなりに撃沈記録を伸ばしているエース艦でもある。正直成算の高い作戦といっていいだろう。

 

俺なんて帰港後のビアホールの貸し切りの予約を取ってからこの作戦に臨んだぐらいだ。それに実行役が第203航空魔導大隊というのもなんともありがたい。

 

俺の部下の誰も知らないことだが、俺だけはあの部隊の化け物ぶりをよく知っている。キルレシオ1対20とかいう馬鹿げた数字を平気でたたき出す連中だ。正直連合王国もかわいそうに。そんなことを思う余裕すらあった。

 

だが蓋を開けてみれば、敵の哨戒の薄かった地域を突破するはずが、待ち受けていた敵の対潜戦隊にばっちり見つかる始末。しかも通常なら出張ってくるにしても一個対潜戦隊が限度だろうに、三個戦隊も。これではどこからか情報が漏れたとしか思えないだろう。

 

いや、原作から見れば暗号がすでに解読されている可能性すらある。さんざん悩まされたラインの悪魔を潜水艦ごと仕留めておこう、なんてことを考えたのかもしれない。旧型潜水艦で、敵の三個対潜戦隊と殴り合い。こんな状況笑うしかないではないか。

 

4.

だが、敵さんはおちおちこちらが考える時間すらもくれないらしい。シュッシュシュという音がさらに高まると、聴音室の水測員が大声で警告を発した。

 

「水面に突発音!数は6,7,8、いや、それ以上!爆雷、来ます!」

 

俺はそれを超える大声で命令を下す。

 

「面舵一杯!」

 

「おもーかーじ、一杯!」

 

操舵員が復唱応答する。ぐるぐると操舵器が回される。船体が傾く。だが直感的にわかった。間に合わない!

 

「総員、対衝撃防御!」

 

瞬間ぐわんと艦首に巨大なハンマーを打ち下ろされたような衝撃が走った。艦首が下がったかと思えば同時に艦尾が跳ね上がる感覚。それは強烈な衝撃。固定されていない装備がバラバラと散らばり、電気が瞬いて消える。

 

立っているもののほとんどが転倒し、装置に打ち付けられる。響き渡るうめき声。俺は潜望鏡の支柱にしがみついて転倒を免れたが、司令塔要員の中にはうちどころが悪かったのか、そのまま動かないものすらいる始末。

 

俺は声を張り上げる。

 

「損害報告!非常灯をつけろ!」

 

すぐさま返答が帰ってくる。

 

「前部魚雷管室、浸水!」

 

「前部兵員室、ハッチが破損!浸水しています!」

 

次々と損害報告が入る。

 

「浸水を食い止めろ!排水ポンプを動かせ!」

 

だが俺のその命令が実行されるより先に、水測員からの第二の報告が来た。

 

「敵艦、2隻目来ます!水面に突発音!数えきれない!こ、これは爆雷ではありません!」

 

ヘッジホックだ。すでに実装されていたのか。俺がそう考えるより先に先ほどとは比べ物にならないほどの衝撃が艦全体を襲い、おれは支柱に頭を打ち付け意識を失った。

 

5.

「オットー艦長、オットー艦長!」

 

体を揺さぶられる。ゆっくりと目を開けると、原作組の片割れ、セレブリャコーフ中尉に揺さぶられていることに気づいた。

 

「副長、レイアム副長はどうした……」

 

掠れそうになる意識を頭を振ってしゃんとさせながら言うと、無言で指さされる。壁際でデグレチャフ中佐に治療を受けている副長を見つけた。どうやら無事らしい。

 

だが、艦の様子は最悪といっていいだろう。非常灯はいまだ復旧していないし、異臭が漂っている。有毒ガスが発生したのかもしれない。それより、損害報告が遅れていることが気がかりだった。

 

久々の損害に浮足立っているのかもしれない。あとで絞めなおさねばならんな。勿論ここを切り抜けられれば、ではあるが。そんなことを考える。

 

「うろたえるな!損害報告はどうした!」

 

そう叫ぶと途端、弾かれたように動き出す要員たち。その動きは悪くない。やや手間取ったとはいえきちんと動けることはいいことだ。内心頷く。損害報告が続々と入ってくる。

 

「配電盤、ショート!一次、二次電源ともに損傷!」

 

「キクマサ一等水兵が、魚雷の下敷きに!誰か救護要員を!」

 

「前部兵員室の浸水、止まりません!」

 

ちっと誰にもばれないように舌うちする。電源が落ちているのと浸水が止まらないのは不味い。電源が回復しなければスクリューも舵も動かせず、艦の姿勢を変えることができない。

 

そして浸水が止まらなければ沈没しかねない。それに浸水が増えれば艦全体の重量バランスを崩し、転覆しかねない。それに潜りすぎる危険性だって―そこまで考えはっとする。今の深度の報告がない。今は深度何メートルだ?

 

「潜航科、深度を報告せよ!」

 

だが返事はない。見れば、潜航科員は頭を強打したのか壁にもたれかかってピクリとも動かない。

 

レイアム副長が潜水科員を押しのけ深度計を懐中電灯で照らす。そしてレイアム副長は顔を青ざめさせると叫ぶ。

 

「深度130、135、なおも沈降中です!」

 

暗闇の中でも皆の顔色が変わるのが分かった。安全深度は100。このまま安全深度を超えて沈んでいけば、いずれ待つのは圧壊、沈没。これを避けるには方法は一つしかなかった。

 

俺は叫ぶ。

 

「メインタンク、ブロー!沈降を止めろ!」

 

だが、本来なら聞こえるはずの、空気の走る音が聞こえない。何故だ?直後潜航科から悲鳴のような報告が上がった。

 

「圧搾空気管、破損!ブローできません!」

 

「もう一度やってみろ!」

 

とっさに怒鳴り返す。だが。

 

「駄目です!ブロー不能!ブロー不能!」

 

さしもの俺も顔色が変わる。ブローできなければ、待つのは本当に沈没だけだ。いやそれどころか、ここは大陸棚だ。とっさに海図に飛びつく。目当ての情報を探る手間も煩わしい。

 

その間も深度はどんどん下がっていく。「145、150……」

 

「艦長……!」レイアム副長が耳元で低く怒鳴るのが鬱陶しい。「空気管、動力の復旧を急がせろ!」そう怒鳴り返し海図をめくる。そして見つけた。この地点の海底までの距離は180。ということは!

 

「総員、耐衝撃防御!着底す―」

 

だが俺が言い切るより早く、再び激震が艦全体を襲い、再び俺は意識を失った。

 

6.

遠くから水兵たちの叫ぶ声が聞こえてくる。

 

「前部聴音機、破損!復旧の見込み、ありません!」

 

「前部魚雷発射管、全損!」

 

「前部魚雷発射管室、浸水止まりません!」

 

「レンチを持ってこい!スパナもだ!浸水には当て木を当てろ!早くしろ!」

 

それは一言で言うなら喧騒。懐中電灯の光が交錯し、水兵たちの怒鳴り声が交差する

 

糞、俺はどれだけ意識を失っていた?そんなことを考えながらぼんやりとする頭を振りつつ身を起こす。

 

途端、ぴちゃりという水の感覚。下を見てひやりとする。くるぶし付近までよどんだ海水がたまっている。発令所内部にも浸水が始まっているのだ。

 

「発令所、浸水!」

 

とっさに大声を上げる。動ける発令所要員3,4人が、弾かれたように浸水箇所に群がる。海水の吹き出すパイプの継ぎ目を必死に抑えようとしているが、放射状に噴き出す水の勢いが強く、弾き飛ばされそうになっている。抑えきれそうにない。

 

「こちらにも道具箱をよこせ!急げ!」

 

要員たちが口々に叫ぶ。もはや叫喚にも等しい空気は艦全体を覆っていた。だが、ここでパニックに陥らせてはいけない。俺は殊更に笑顔を作ると怒鳴る。

 

「諸君!慌てるんじゃないぞ!できることをしっかりと、だ!」

 

即座に響く『おう!』の叫び声。士気は高い。いらぬ心配だったかと内心胸をなでおろす。

 

倒れている発令所要員を抱き起こしながら深度計を懐中電灯で照らす。183。沈降は止まっている。それにしても、ぎりぎりだな、と俺は苦笑する。

 

本艦の実用耐久深度は200。上限を超えていないとはいえ、本来の安全深度は100.しかもさんざんに爆雷やヘッジホックに打ちのめされた状態だ。いつ圧壊してもおかしくはない。

 

その証拠にギイギイという音が先ほどからずっと鳴り響き、水圧に耐え切れなかった隔壁からは海水が噴き出している。機関室、後部旋回式魚雷発射管室からも浸水の報告が届いた。

 

だがそれでも、今すぐに圧壊するということはないはずだ。この世界のUボートはやけに頑丈だ。210まで潜って帰ってきた艦の話も聞く。だからこの艦だって、まだ大丈夫なはずだ。

 

そして唯一の救いは敵の追撃がないことだろう。一時的に見失っているのかも知れない。こちらの沈没を確認できるまで引き上げはしないだろうが、それでも首の皮一枚つながったか、と内心安堵しつつ指示を出す。

 

「前部魚雷発射管室は放棄。要員は脱出後ハッチを閉鎖せよ。その後要員は排水ポンプを手動で動かせ」

 

「しかし艦長!」

 

レイアム副長が必死な顔で反論してくる。それはこの艦最大の攻撃能力である魚雷発射能力を失うということだからだ。だが。

 

「悪いが、命令だ」

 

俺としてはそう言うしかない。何せほぼ減速なしに艦首から海底に着底したのだ。前部構造物はほぼ駄目になったとみていい。全損した魚雷発射管の修理など手持ちの機材では到底無理だ。

 

ならば放棄し、手の空いた要員を別の作業に充てたほうがよっぽど効率的だろう。それは副長もわかっているはずだ。それでも諦め切れなかったというところか。だが艦全体の命を預かる俺としてはこのようにしか言えないのだ。わかってくれと背中を叩く。

 

機関室で火災という報告が届く。同時に俺たちの頭上で送油管が破裂するのが見えた。こんな暗闇の中でも黒々と見える重油が降り注いでくる。

 

「副長!お前は機関室を頼む!俺はここを直す!」

 

その言葉に頷き駆けだした副長を横目に見つつ、俺はレンチを取りに走り出した。

 

7.

どれほどの時間がたっただろう。送油管を直し、その他発令所内部の修復をあらかた終えた俺はずっと曲げていた腰を伸ばしつつ上を見やる。ズン、ズズンという水中爆発音が先ほどから鳴り響いていた。敵の爆雷攻撃が再開されたのだ。だが損害はないに等しい。

 

目くら撃ちだな。そう苦笑する。この海域にいることはわかっても、居場所までは特定できていないらしい。空気もだいぶよどんでしまっているが、窒息にまではまだまだ余裕がある。唐突に、赤い非常灯が灯った。配電盤の修復も終わったらしい。最悪は抜け出したか。そう思って苦笑を浮かべる。

 

ふと肩がたたかれる。見れば服のところどころを焼け焦がした副長の姿。その顔色はひどく悪い。最悪を抜け出したわけでもないらしいと苦笑しつつ向き直る。

 

「それで?報告を聞こう。」

 

俺は副長を促す。副長は頷くと答える。

 

「機関室の火災、浸水止まりました。その他の部署もすでにあらかたの修復、排水は完了しております。後部旋回式魚雷発射管の修理が難航しておりますが、間もなく完了するでしょう。また、圧搾空気管の修復も完了しました。着底の衝撃で少なからずの圧搾空気が漏れ出したようですが、ブロー一回分の空気は残っております。」

 

そこまでは朗報。だが副長の顔は暗い。つまりはよほどの凶報が待ち受けているというわけだ。覚悟を決めつつ先を促す。一つ頷き続ける副長。

 

「ですが、注排水管は完全に死んでいます。またモーターも完全にイかれました。機関の修理は完了しましたが、せいぜい出せて8ノットが限度かと。」

 

はあ、と思わず長いため息をつく。確かにそれは副長も暗い顔をするはずだ。状況は最悪を抜け出したどころか最悪ど真ん中なのだから。何せ、注排水管が死んだことで、潜水艦の強みである水中での静止が不可能になり、一度浮上を開始すれば敵が待つ水面まで一直線。

 

水中での移動を試みようにもモーターがお亡くなりになっているので、それも不可。水中でスクリューを回すことができず、死んだ魚のようにぷかぷかと浮かび上がることしかできない。

 

そして最後の頼みの綱、水上航行で逃げ出そうにも出せる速度は8ノットが限度。敵の船は30ノット以上を当然のように出してくるのだから逃げ出せるわけもなく。

 

そうなると選択肢は二つに一つだ。

 

「浮上戦闘か、浮上降伏か、か……」

 

俺はぼそりとつぶやく。浮上降伏と俺が口にした途端、副長がぎしり、と歯を食いしばる音が聞こえた。そして目はわずかな殺意を湛え、もしも降伏などと言い出したその時にはという強い意志をうかがわせる。

 

俺は苦笑して「降伏はなしだ」と手を振って見せる。すっと副長の目から殺意が消える。残ったのは覚悟を決めた目があるのみ。わかりやすい奴め、と内心苦笑しつつ思う。

 

俺だって逆の立場ならそうしただろう。なぜなら―。そこまで考え頭を振る。今考えるべきことではない。どうせ原作主人公様に説明する羽目になるのだ。

 

そんなことより、同乗者である彼らに今後の方針を説明しなければ。そう思って俺は第203航空魔導大隊の面々を探しだした。

 

8.

といっても狭い艦内だ。すぐに第203航空魔導大隊の面々を見つけることはできた。その衣服は重油や海水で汚れ、彼らも修理を手伝ってくれたことをうかがわせた。そのことに頭を下げつつ「大隊長殿はどちらに?」と問えば無言で指さされる。

 

見れば負傷した水兵に包帯を巻きつけているところだった。みるみるうちに包帯がまかれていく。そのちっこいお手手でよくやるもんだ、と内心思いつつ、「中佐殿」と呼びかける。

 

「どうされました」とすぐさま振り返ってくる原作主人公ことデクレチャフ中佐。その鋭い眼光に若干気圧されつつ、手短に状況を伝える。

 

「おおよその修理は完了しました。ですが一部重要な機能が完全に破壊されています。もはや我々に残された道は浮上降伏か、浮上戦闘しか残されておりません」

 

デクレチャフ中佐は答える。

 

「となると、浮上降伏ですかな?」

 

その目線は依然として鋭い。だがその眼を一瞬よぎるのは歓喜の光か?すぐさま普通の鋭い目つきに戻ったものの、デグレチャフ中佐の目を注視していた俺にはわかった。その眼をわずかばかりの歓喜の光がよぎるのを。

 

そう言えば原作の時間軸から行くと、そろそろターニャは帝国に見切りをつけ、亡命を志し始めるころだったか。そんなことを懐かしく思い出し、思わず苦笑する。残念だが主人公様、君の願いはかなえられそうにない、と。

 

「いえ、浮上戦闘です」

 

「なぜですかな。……艦長、すでに貴官らは十分以上に祖国への義務を果たした。かくなる上は降伏もやむなしと小官などは考えるのですが」

 

むろん艦長には辛い決断でしょうが、と付け加えてくるデクレチャフ中佐。その本心を元読者という形で知る俺としては、ずいぶん食い下がるものだ、と苦笑するしかない。きっとデクレチャフ中佐は何とかしてこの狂信的愛国者である艦長を説得して夢の亡命ライフを、などと考えてもいるのだろう。

 

だが俺は、この間の乗員55名の生命と尊厳を守る身として、その提案を受け入れるわけにはいかなかった。だからこそ俺は逆に尋ね返す。

 

「ところでデクレチャフ中佐。連合王国の捕虜となったUボート乗組員の運命をご存じですかな?」

 

デクレチャフ中佐は怪訝そうな顔で返してくる。

 

「いえ……ですが、通常の捕虜の取り扱いと大差ないのでは?収容所への収容や、尋問などを想定しておりましたが……」

 

ああ、やっぱりと内心嗤う。彼女は知らないのだ。だからこそそんなことが言える。俺は端的に真実を告げる。

 

「いえ、その場での射殺です」

 

「馬鹿な!それは明確な戦時国際法違反だろう!」

 

思わず声を荒らげるデグレチャフ中佐。その顔にはでかでかと信じられないと書いてある。だが、これが真実なのだ。デグレチャフ中佐は表情を取り戻すと続ける。

 

「失礼、取り乱しました。……ですがなぜそんなことに?いつからここは血と野蛮が支配する世界になったのです?」

 

その顔は心底不思議そうだ。理性を重んじる彼女からすれば、到底理解できない話なのだろう。だが俺からすればその答えは非常にシンプルなのだ。俺は答える。

 

「私たちは殺しすぎました。心底憎まれています。……陸戦において、捕虜になった狙撃兵がどう扱われるかを考えればご理解いただけるかと」

 

そう言うと眉を顰めるデグレチャフ中佐。おそらくは理解してしまったのだろう。そう、俺たちUボートはあまりに戦果をあげすぎた。連合王国を干上がらせる寸前まで追い込むほどに。数多くの輸送船、駆逐艦を沈めた。

 

その犠牲者の数は計り知れない。だからこそ連合王国海軍にとって俺たちは戦友の、肉親の仇であり、銃後を脅かす明確な敵なのだ。それこそ生存が許容できないほどに。

 

だからこそ、俺たち潜水艦乗りは捕虜に取ってもらうことができない。捕虜にされたところで、いたぶられたうえで殺される。潜水艦の構造からしてひとたび撃沈されれば生存者はゼロに等しい。そうした特性が捕虜の虐殺を許容した下地となったのもあるだろう。

 

そうしたわけで、俺たち潜水艦乗りは捕虜になるわけにはいかないのだ。そしてこの場合の潜水艦乗りに彼女自身ら第203航空魔導大隊の面々も含まれることに気づいたのだろう。彼女は心底不愉快そうな顔を浮かべるといった。

 

「それで、艦長は我々にどのような役目を期待しておいでで?敵戦隊への切込みですかな?腕が鳴るところではありますが」

 

そう言ってくるデクレチャフ中佐。だが、その眼はその言葉の内容ほど勇ましくはない。ここで玉砕など死んでもごめんだぞ。そう言っているようにも見える。巧妙に隠されているあたり、さすがは原作主人公だ。

 

そう考えているであろうと原作知識から知っていなければ俺だって騙されただろう。だがまあ、そんな彼女の様子には気づかないふりで続ける。

 

「いえ、第203航空魔道大隊には敵戦隊に一当てした後、全速で離脱していただきます。本艦はその援護を為す予定です」

 

「……本当によろしいのですかな?それでは我が隊はともかく、貴艦は間違いなく撃沈されることになりますが」

 

そう言いつつ、デクレチャフ中佐の目がわずかに輝くのを見逃さない。そのことに苦笑しつつ俺は頷く。彼女たちにこんなところで死んでもらうわけには断じていかなかった。

 

それは彼女たちが原作主人公だからという理由などではない。彼女たちの力が帝国にとって、なくてはならないものだからだ。

 

俺はこの世界にやってきて、25年も生きてきた。それぐらい生きていれば、内地に親しい友人や親しい人間ぐらいはできる。彼らはこんな俺みたいな異邦人に対しても本当によくしてくれた、かけがえのない奴らばかりだ。決してこんな戦争で死んでいい奴らではない。

 

それ以外に顔見知りも一杯できた。みんなみんないいやつばかりだ。俺はこの25年の人生で、この世界の住人が決して紙の上の存在などではない、生きている血の通った人間だということを知ったのだ。そんな奴らを、死なせるわけにはいかない。もしその願いが叶わないにしても、せめてその子供たちにはいい未来を見せてやりたい。いつしかそう思うようになった。

 

そして、この世界が幼女戦記という物語の枠組みで動いている以上、それを為しうるのは彼女たちだけなのだ。だからこそ彼女たちには生きて帰ってもらわなければならないのだ。未来のライヒのために。

 

だからこそ俺は頷く。

 

「構いません」

 

と。俺の熱意が伝わったのだろうか。デクレチャフ中佐はわずかに目を細めると、

 

「……わかりました。貴艦に武運を」

 

と返してきた。これで俺たちの方針は決まった。

 

9.

俺は艦内放送で手短に方針を伝える。本艦に残された道は浮上戦闘しかないこと。第203航空魔導大隊は紛れもない精鋭で、彼らを失うわけにはいかないこと。その援護のため、俺たちは撃沈されるまで援護を行うこと。

 

艦内が静まり返る。彼らも薄々そうするしか方法はないことは察していたのだろう。だが、自分でそう察しているのと最高指揮官にそう言われるのでは意味合いが全然違う。こんなところで死ぬことになる恐怖、無念、いろいろあるだろう。

 

俺だって死ぬのは怖い。前世の終わりの際、自身を構成する重要なパーツが不可逆的にほどけて消滅していく、あの冷たく暗いあの感覚。あの感覚をもう一度味あわなければならないかと思うと叫びだしたくもなる。

 

だが俺たちが尊厳をもって死に、未来のライヒに希望を託すにはこれしか道はないのだ。

 

だから俺は言うしかないのだ。すまんが、ここで死んでくれ、と。だが、一言ぐらいは付け加えても許されるだろう。

 

「すまんな、みんな」

 

これは俺なりの誠意の精一杯の表し方。本来艦長という高級士官の口にすべきことでないことぐらいはわかっている。だが俺はそう言わずにはいられなかった。そして広がる一瞬の沈黙。恨み言や罵声の奔流を覚悟して目を閉じる。

 

だが、響いたのは爆発的な歓声だった。

 

「いいでしょう、いいでしょう!死んでやりましょう!」

 

「糞ったれのライミーに我らの意地、見せつけてやりましょう!」

 

「意地でも送り返してやりますよ!」

 

彼らは口々に叫ぶ。こんな事態を招いた俺に、皆だって言いたいことの一つや二つはあるだろうに、それでも彼らは口々に叫ぶのだ。やってやりましょう、やりましょう、と。それはまさしく俺の、俺たちの積み上げてきた絆の証。俺は思わず涙に声を震わせる。

 

「お前ら……!」

 

バシバシと背中が叩かれる。見ればにっこりとほほ笑むレイアム副長。いいんですよ、とばかりに頷いている。発令所を見渡す。皆、涙で目元を赤らめてはいたけれど。誰もが間違いなく笑っていた。

 

艦尾の方から爆発的な歓声が響く。見れば第203航空魔導大隊16名が隊伍を組んで歩いてくるところだった。潜水艦のクルーが魔導士の背中をバシバシと叩き、生きて帰れよ!と激励を飛ばす。魔導士たちも笑顔でそれにこたえ手を振っている。

 

ふと、歌声が上がる。見ればクルーと魔導士が肩を組んで歌を歌っていた。

 

【Auf der Heide blüht ein kleines Blümelein】

 

本来であれば隠密性を保つためそれは咎められるべき行為であった。だがもう、最後なのだ。俺は咎めようとは思わなかった。歌声が広がる。水雷長も、機関長も歌っている。

 

【Und das heißt, Erika. Heiß von hunderttausend kleinen Bienelein】

 

ヴァイス中佐も、グランツ中尉も歌っている。副長と肩を組んで涙を流しながら歌っている。歌に合わせて力強く床を蹴りつけている

 

デクレチャフ中佐は俺の前で立ち止まると綺麗な敬礼をして見せる。

 

「第203航空魔導大隊、出発準備完了しました。……いつでも行けます」

 

原作アニメでもよく見た鉄面皮。だがその裏には若干の戸惑いが見て取れる。理性を何よりも重んじる彼女からすれば、こうした空気には馴染めないのかもしれない。よろしいのですか、軍機違反では?という目で見上げてくる。だが俺は黙って首を振る。そう、これでいい。これでいいのだ。

 

ふと思う。彼女だけ仲間外れというのもなんとも寂しいものがある。

 

「中佐、貴官も歌うといい。」

 

そう促してみる。本気ですか、とばかりに目を見開くデグレチャフ中佐。だが彼女も何か思うところがあったのか、彼女も目を閉じて歌い始める。

 

【Wird umschwärmt, Erika】.

 

「もっと大きく!」

 

そう言うと素直に声を大きくするデグレチャフ中佐。俺もそれに合わせて歌う。太い男たちの歌声にアルトとソプラノの歌声が入り混じる。そう、それでいいのだ。これが俺たちの鎮魂歌なのだ。

 

【Denn ihr Herz ist voller Süßigkeit,】

 

歌っている。皆が歌っている。俺はベントの前に佇む潜水科員に呼びかける。

 

「始めよう。メインタンク、ブロー!」

 

潜水科員が復唱する。

 

「メインタンク、ブロー!」

 

空気の走る音。ガコン、という潜水艦が海底から離れる重々しい音とともに、U-77の最後の浮上が始まった。歌声を縫って「深度183、180、175……」と潜水科員が深度を読み上げる声が響く。俺は一つ頷くと、制帽を深々と被りなおした。

 

9.

「深度50、45、間もなく浮上!」

 

潜水科員のその声に歌声がぴたりとやむ。

 

「総員、対水上戦闘用意!」

 

俺のその声に、皆が弾かれたように走り出す。甲板員たちは司令塔のラッタルに取りつき、浮上次第速やかに甲板上の砲座に取りつける体制をとる。第203航空魔導大隊の面々も、すぐさま甲板に上がれる体制に。前部魚雷発射管要員など、浮上戦闘において手持ち無沙汰になるものは、武器庫から小火器を取り出し武装している。

 

俺の部下が、第203航空魔導大隊の面々が俺を見ている。俺も皆の顔ををしっかりと眺める。どいつもこいつもくたびれた顔をしているが、それでも皆笑っていた。俺は言う。

 

「ライヒに未来を」

 

皆が唱和する。

 

『ライヒに未来を!』

 

デグレチャフ中佐と目があう。ライヒを、俺にとっての第2の祖国を頼む。その思いを込めて敬礼をする。

 

デクレチャフ中佐も目を細めるとゆったりと、しかし綺麗な答礼を返してくる。俺の心が通じたと思いたい。

 

ぐわんと艦体がひときわ大きく揺れる。浮上したのだ。ハッチが開かれる。新鮮な空気がなだれ込んでくるが、悠長に味わっている余裕はない。

 

「行け行け行け!」

 

その言葉に、待機していた甲板員が一気に甲板に上がり、甲板上の88ミリ砲や対空機関砲に取りつく。それに続いて第203航空魔導大隊の面々が続いて甲板に駆け上がり、発進のための魔力を充てんし始める。

 

さっそく撃ち放し始めた砲声に混じる、頑張れよ!生きて帰れよ!の声が彼らの背中を押す。デクレチャフ中佐もその声に押されるようにするするとラッタルを上がっていく。彼女は二度と振り返らなかった。

 

ずぅぅぅんという音とともに艦体が揺れる。敵の応射が始まったのだ。

 

俺も甲板員の手伝いぐらいはしなければ。そう思ってラッタルを登る。

 

そこでは猛烈な砲撃戦が繰り広げられていた。駆逐艦の主砲から機関砲の銃弾に至るまで、あらゆる弾がひょうひょうと、あるいはごうごうと音を立てて飛んでくる。

 

こちらも負けじと88ミリ砲がその口径の小ささを生かして連射を叩き込んでいく。対空機関砲が弾幕を張っている。デッキには第203航空魔導大隊の面々が整列し最終離陸準備を行っている。

 

艦橋からは手すきのものがボルト式ライフルを手当たり次第に撃っている。甲板員が倒れれば手すきのものがすぐさま穴を埋める。次第に艦橋もデッキも血まみれだ。潜水艦の周囲の海水が赤く染まる。だが誰も泣き出すものなどいない。皆が皆、最期の瞬間まで笑っていた。

 

ふと肩がたたかれる。そこに立っていたのはレイアム副長。彼は言う。

 

「せっかくですのでお客さんを歌で送り出したいのですがよろしいですか!」

 

そう言って指さすのは今まさに飛び立たんとする第203航空魔導大隊の面々。さっきまでさんざん歌っていたではないか。わざわざ許可を求めずとも好きにすればいいだろうに。だがまあ副長は規則順守型だ。さっきまでみたいな例外はともかく、やっぱり規則は気になるらしい。最後まで堅物な奴め。俺は苦笑すると勿論許可を出す。

 

「いいだろう!好きに歌え!」

 

【Zarter Duft entströmt dem Blütenkleid.】

 

再び歌声が大海原に響く。こちらの88ミリ砲が先頭の敵艦の艦橋に命中し、敵の操舵手を吹き飛ばしたのか、先頭の敵船の挙動が明らかにふらふらとした動きになる。敵戦隊の陣形に乱れが出る。

 

「いいぞシュターデン!その調子だ!」

 

俺は砲手に叫ぶ。だが、直後シュターデンの頭部がもぎ取られた。敵の放った対空機関砲が直撃したのだ。未だ血を吹き出すその死体を押しのけオフレッサーが砲座につく。

 

ひるむことなく砲撃を再開。続けざまに命中弾が後続のの敵艦に叩き込まれる。さらに乱れの出る敵の陣形。瀕死の潜水艦一隻にいいようにされているのだ。さぞや敵司令部はお冠だろう。そう思うと自然と笑みがこぼれる。

 

【Auf der Heide blüht ein kleines Blümelein】

 

歌声はやまない。敵陣の乱れを好機と見たのか、第203航空魔導大隊の面々が一気に飛び立つ。見事な隊列を組んで一気に突っ込み、魔道砲撃をぶちかます。敵陣に更なる動揺が広がる。見ていて爽快なほどだ。さすがは主人公。練度が違うとはこのことか。アルコールがこの場にないのが残念だ。

 

あればさぞやいい酒のつまみになっただろう。だがないものねだりをしても仕方がない。仕方がないので、酒の代わりに懐から煙草を取り出し、ふかす。どこまでも青い空にタバコの煙が伸びていく。美味い。実にうまい。煙草をふかしつつ、傍らの副長に声をかける。

 

「あいつらを見ろ!実に見事なもんじゃないか、ええ?副長!」

 

「そうですな!ついでのその旨そうな煙草を私もいただければ幸いなのですが!」

 

砲声に負けじと怒鳴り返してくる副長。その間も射撃指揮の手を休めることはない。確かにもっともだと苦笑しつつタバコを加えさせ火をつけてやる。艦長たちばっかりずるいですよ、と騒ぐ部下たちにも同じようにしてやり、砲座の連中にも投げ渡す。

 

敵からの射撃は激しくなるばかり。砲座を操作していたオフレッサーが敵の至近弾でミンチになって海に落ちるのを見た。

 

【Und das heißt, Erika.】,

 

だが歌声はやまない。止むことはない。発令所で伝令兵代わりに詰めていた通信士がラッタルを駆け上がってくる。

 

「後部旋回式魚雷発射管、修復完了しました!いつでも撃てます!」

 

俺は頷く。彼らはよくやってくれた。また一つ、奴らに目にもの見せてやることができる。

 

「方位77から86にかけてばらまけ!装填完了次第次発も同じ!行け!」

 

「了解!」と叫ぶや通信士がラッタルを駆け下りていく。

 

オフレッサーの後を継いで砲座についたのはメルカッツ。この艦最古参のロートルだ。熟練した砲さばきでさらに命中弾を敵戦隊に叩き込んでいく。敵戦隊の先頭の船などあちこちから炎を噴き上げ随分と傾いている。あれはもう持たないだろう。

 

ざまあみやがれ。内心つぶやく。だが、それでも敵の数の方が圧倒的に多い。未だ無傷の二個戦隊が我々を包囲せんと動き出す。砲火は一層激しくなるばかり。至近弾もずいぶん増えた。未だ致命的な損害を受けていないが、撃沈は時間の問題だろう。だが、構うものか。

 

見れば敵戦隊をひっかきまわしていた第203航空魔導大隊の面々が離脱していくのが見えた。あれだけ引っ掻き回されれば追撃は不可能だろう。我々は任を果たしたのだ。そう思った直後さんざん弾幕を張っていた対空機関砲が直撃弾を受け、そのそばで射撃指揮を執っていた航海長ごと吹き飛ばした。

 

だが、負けじとばかりに、こちらを包囲せんとして動いていた新手の敵戦隊の中に巨大な火柱が複数立ち上る。先ほど発射した魚雷が命中したのだ。

 

「やるじゃないか!見たか副長!敵さんは大損害だぞ!」

 

だが返事はない。それどころかあたりもやけに静かだ。こちらの砲声も、先ほどから聞こえてこない。見ると副長は敵機銃弾に頭を吹き飛ばされ死んでいた。デッキを見ればちょうど88ミリ砲がメルカッツもろとも爆砕するのをみた。後には焼け焦げた残骸が落ちているばかり。

 

気づけば、俺の周りで小銃を撃ちはなしていたクルーたちもことごとくが死んでいた。

 

「すまんな」

 

俺はぽつりと呟く。だがそれを聴く者はいない。艦内を見下ろせば、わずかに生き残った兵たちが、必死の応急修理をしているのが見えた。だがあの様子からしてもう長くはもつまい。ふと懐に何かの感触を感じ、探る。そして見つけた。吸いさしのタバコを。

 

血や海水で湿っているが構うものか。咥え、火をつけると、双眼鏡を覗く。敵戦隊が波を蹴立ててこちらに迫ってくるのが見えた。抵抗が弱ったのを見て、この機にとどめを刺すつもりなのだろう。それに抗うすべは、もうない。

 

これまでか。内心つぶやく。

 

直後、艦橋付近で起きた爆発で、壁に叩きつけられた。その衝撃に思わずかはっと肺の中の空気を吐き出し―同時に感じる胸元の灼熱感。なんだこれは、と見れば折れた通信マストが俺の胸を貫いていた。だが、不思議と全く痛みはない。ただなぜだろう。なんだかとても眠くなってきた。

 

ふと気づけば、先ほどまでさんざん聞こえていた歌声も、もう聞こえてこない。とても静かだった。何の音も聞こえてこない、本当に静かな空間。その奇妙に静かな空間の中で、艦体に次々と艦体に着弾の火花が生じ、炎を噴き上げていく。でもやっぱり、音は聞こえなかった。

 

ああ、俺はここで死ぬのだ。そう悟った。だが、不思議と恐怖はなかった。後悔も、もうない。俺は夢に生き、夢に死ねたのだ。俺は満足だった。それに、と雲一つない青い青い空を仰ぐ。第203航空魔導大隊の姿はない。完全に離脱に成功したのだ。彼らさえ生きていれば、ライヒは救われるのだ。だから、俺に思い残すことはない。

 

唇から、吸い掛けのタバコがこぼれる。視界のなかで、駆逐艦の主砲が照準を定めるべく動いたのを見た。俺はあの歌の最後の部分を口ずさむ。

 

【Und das heißt, Erika.】

 

直後、俺の足元で灼熱の光が閃くのを見た気がした。

 

10.

第203航空魔導大隊 戦闘詳報

……以上の経緯より、本官らは第53戦区よりの撤退に成功せり。なれどその犠牲は極めて大にして、小官として沈痛の念絶えず。小官の名で彼らの昇進と受勲の申請を行うとともに、本件遭遇戦の原因追求と再発防止を切に願うものである。

第203航空魔導大隊 大隊長 ターニャ・フォン・デクレチャフ中佐

 

―承知した。直ちに調査にあたらせる 

ハンス・フォン・ゼートゥーア中将

 

 

 




最後までお読みいただきありがとうございました。ご批評ご感想など頂けると励みになります。

ちなみに劇中で使用した楽曲はドイツ軍軍歌のエリカという曲です。著作権は切れております。

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