じじキャン△   作:足洗

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性懲りもなく新たな原作に手を出す(愚)
10話程度で終わる(はず)
完結の目途は立っている(はず)


1話 旧馴染み

 

 

 自室の窓から西日の茜の濃さに気付く。

 ふと尋ね事を思いついて居間に降りた。けれど、目当ての人物の姿はない。つい先程までダイニングテーブルでコーヒーを飲んでいた筈なのに。

 そこへ洗濯カゴを持って通り掛かった母を呼び止めた。

 

「ねぇ、おじいちゃんは?」

「え? ああ、ついさっき出てったわよ」

「え、も、もう?」

 

 てっきり家に泊っていくものと思っていた。

 当てが外れて、がっかりとした気持ちが顔に現れたらしい。母は笑った。

 そうして、鼻から軽く吐息する。何故か一瞬、母のその表情に翳りが見えたような気がした。

 

「……もう一年経ったんだ。早いものねぇ」

「? なんのこと」

「忘れたの? ほら、今日はおじいちゃんのお友達の」

 

 そこで母は言葉を区切った。けれど、それで思い出すには十分だった。

 毎年この時期、この日、おじいちゃんは必ず山梨に来る。その理由。

 

「覚えてる? 昔はよく遊んでもらってたわよね。じん爺じん爺って。ふふふ」

「お、覚えてないよ。そんな昔のことなんて……」

 

 嘘だ。よく覚えてる。不思議なほど鮮明に。あの人は、祖父と共にこの家を訪れては私を可愛がってくれた。旅行が趣味で、毎回お土産を山ほど携えて、土産話もたくさん聞かせてくれた。

 

「やんちゃな人でね。リンも一緒になってはしゃぐもんだから、よく転んで膝とか擦りむいてわんわん泣いて。で、その度に父さんがあの人を叱るの。叱るっていうか喧嘩ね。もういい年して子供みたいにああだこうだ言い合いして、でもそうすると余計にリンが泣きじゃくって。ふふっ、おじいちゃん二人が慌ててあやしたりなだめたり。ふふ、あはははっ」

「う、嘘!」

「ホントホント。二人ともリンにはでれでれだったんだから」

 

 なんだか本当に覚えのない記憶まで掘り起こされそうだ。

 まだ小学校に上がる前。自分にとっては遠い遠い過去のことのようだった。咄嗟に思い出せなかったのは、それを思い出すことも少なくなったから。

 でも……きっと、それだけじゃない。思い出せなかったんじゃなくて、私は思い出さないようにしてきた。

 

「もう五年にもなるのね。それとも、まだ五年かな……そりゃ父さんにとってはほんの最近よね」

「……」

 

 寂しげに笑う母に、返事はできなかった。

 私は思い出す。五年前を。黒い背広を着た祖父の、その寂しげな背中を。

 ぼんやりと、祖父は煙草を吸っていた。祖父が煙草を吸っている姿を見たのはそれが初めてだった。

 ダイニングテーブルに置かれた灰皿には、もう一本火の付いた煙草があって、それはただ真っ直ぐ天井に煙の帯を伸ばしていた。

 物悲しかった。胸が(つか)えるような苦しさを覚えた。鼻の奥につんと、痛みが走る。

 その光景が、私は嫌だった。説明のできない感情に何かが溢れてしまうのをひどく怖れた。早く、早くと、忘れてしまいたいと願って、努めてそうした。

 

「……」

「あ、そうそう。本栖湖で一泊したらそのまま帰るって言ってたわよ。用があるんなら電話してみればいいんじゃない?」

「……本栖湖」

 

 移動手段が自転車しかなかった頃は、あの距離と道のりは結構きつかったけど。

 今は原付がある。行って戻っても、夕ご飯前には帰って────。

 

「ダメ!」

「うぐ……ま、まだなにも言ってないよ……?」

「どうせ追い掛けて行って、ついでに自分もキャンプしようとか考えてるんでしょ。ダメよ、絶対」

 

 完全に思考を読まれてしまった。あわよくば、という企みまで見破られて。

 母はじっとこちらを睨んでから、小さく溜息を吐いた。

 

「好きなことできないのは可哀想だけど、近ごろ物騒なんだから。ホントに気を付けてよ。あんたは行動力あるから、ふらっと出掛けてっちゃいそうで私も渉さんも父さんも気が気じゃないんだから」

「も、もうわかったってば。諦めるから……ごめん」

 

 母の言い様を大袈裟、とは言えなかった。

 なんせここのところは本当に、洒落にならないくらい“物騒”なのだから。

 

「……おじいちゃん、大丈夫かな」

「止めたけど、聞いてくれなかったわ。頑固なんだから……無理もないけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆ぜる木切れの音色は心を落ち着かせる。学術的にもそれは確かなことであるらしい。

 別段、精神快癒の為にこんなことをしていたつもりはないが。

 それでも、火を前にして沁み入るものがあることは理解できる。自分が思いの外、それを求めて止まないことも。

 ナイフでサラミを切り取り、そのまま口に運ぶ。こんなところを咲に見られたら行儀が悪い、と小言を投げられるだろう。

 チタン製のスキットルでストレートを呷る。喉奥から腑の底までも炙られる心地だった。旨い。

 冬も終わりが見え始め、初春は目前と世間に言うが、とてもそうは思えない。

 夜空を鏡写す本栖湖の畔は、今日も一入に寒気で冴えていた。

 

 ────寒空の下で落ち葉焚きだぁ? 気が知れねぇな

 

 枯れた風に騒ぐ淋れた枝葉。その最中に、伝法な悪態が聞こえた気がした。

 

「……」

 

 もう一本、薪をくべる。

 今年の山梨はより一層に冷える。雪こそ多くはないものの、夜気は滅法鋭く尖り肌身を刺す。

 あるいは。

 四季の移ろいの狭間にあるから、気候の微かな差異を実感してのこと……ではないのかもしれない、と。

 一人(ソロ)でここにいる。そのことにまだ馴れていないのか。

 馬鹿馬鹿しい。さんざ一人で何処へでも単車を転がしながら旅をしてきたのだ。気儘で自儘に自由な時間の使い途。なんとも贅沢だと自分自身でさえ感じる。そして間違いなくその時間に充実を覚えた。今も、それは変わらない。呆れるほど変わり無い。

 変わったのは自分ではない。

 変わり、消えた。なくなった。

 また一人、友人が逝った。

 六十の坂も半ばを越えて七十の合が見え始め、同世代の人間が鬼籍に入ることも格別珍しくはなくなった。そんな身空を思えば今このようにして趣味を満喫できるのは間違いなく僥倖だろう。感謝して生きねばならない。謹厳実直を気取る訳でも義務感や気負いでそう思うのでもない。ただ、自らの生涯を振り返った時、ふと胸に湧いて出るのは、懐古と郷愁、そして身近な人々に対する感謝であったから。そう帰結できることこそ紛うことなき幸いであるから。

 それでも、人の命は無常なりなどと、悟ったふりはできなかった。

 彼は────奴は無二の輩であった。親友……そう呼んでも差し支えない。まあ呼んだ日には、奴はその口をへの字に曲げてこう言うだろう。

 

 ────ケツが痒くならぁ

 

「ふっ」

 

 そういう偏屈な男だった。

 

「……」

 

 また一口、ウイスキーを嘗める。焚火よりも濃く、苦い、煙味(ピート)が鼻を抜ける。

 奴が死んだのは丁度五年前。そして今日が、五回目の命日であった。

 末期の肺癌だった。宣告余命は半年だったそうだ。暫くは投薬治療を続けたが、病状は一進しても一退はなく。ゆっくりと、真っ直ぐに……それは静かな死出の旅路。

 三月もした頃、奴は外泊の申請をした。元来が入院生活など大人しく過ごせるような性質ではない。むしろよくも三ヶ月もの間我慢が利いたと思う。

 申請はあっさりと受理された。それが終末期の患者に対する憐れみなのだと知っていた。誰あろう奴自身が。

 そんな自身の病床まで私を呼び付け、奴は開口一番に。

 

 ────お前さんの道楽に付き合ってやる

 

 そうしてこの本栖湖を訪れた。

 月が煌々と照らし出す富士の峰。湖畔で並び、その景色を望んだ。

 酸素ボンベから伸びた吸入用のチューブを鼻から抜いて、奴は深く息を吸う。途端、荒く苦しげな咳が静謐な夜気を乱す。

 思わず背中を擦ってやると、奴は私の肩を軽く叩いて、にやりと笑みを浮かべた。

 

 ────いい眺めだなぁ。お前さんが年甲斐なくキャンプなんぞに嵌まるのも、これを見てると、あぁ……少しゃわかってくる。冥土の土産としちゃ、悪くねぇ

 

 薄ら笑いは皮肉げで、どこまでも素直さなどというものからは程遠い口振り。

 小石でも放るように、続けて奴は。

 

 ────ありがとうよ

 

 この男の顔はまるで猛禽類のように鋭い(かたち)をしている。生まれ持ったものでもあるし、その職業柄鍛えられたという面もあるのだろうが。

 くゆる炎を映す目は、ひどく穏やかで。

 私は咄嗟に、何も言い返せなかった。憎まれ口も嫌味も、どういたしましてなんて神妙を装った皮肉さえ。

 ただ曖昧に笑う。この痛ましさを隠して。

 奴はきっと気付いていたろう。私の胸中の惑乱を。

 けれど奴も何も言わなかった。

 それでいいのだと、私を許した。

 

 ────あぁあぁ、寒ぃ寒ぃ。とっとと(けえ)るぞ。寝袋はやっぱ駄目だな。布団が恋しいったらねぇや。体中痛ぇのなんの

 

 一夜を明かし帰路につく頃には、あのしおらしさなど嘘であったかのように、元通りの皮肉屋がそこには在った。

 白日の富士を横目にしてボンネビルを疾駆する。サイドカーから憎まれ口を叩き、こちらとても叩き返しながら、高速の鉄塊で山間を貫通する。

 

 ────悪くねぇ

「ああ、悪くない」

 

 その翌朝、奴は自宅の床で息を引き取った。

 奥方に先立たれ、子もいない。身寄りと呼べる親戚もいない。寡男の葬儀はしかし、驚くほど淀みなく執り行われた。いや、処理されたのだ。自宅は殆ど空っぽだった。枕元の書状は、直葬の段取り、遺品整理業者の手入れ、その他の死亡後手続きが既に済んでいるという旨が綴られるのみ。遺言状と呼ぶのも憚られるほど、それは簡素な内容であった。

 最期を看取る者さえなく、独りの老人がいともあっさりとこの世を去った。

 それが、その事実が、遣り切れない。

 

 爆ぜ木が火の粉を散らす。煙と共にそれは群青の闇へ溶け去った。

 少し、感傷が過ぎるか。

 今日が奴の命日であるからそう思うのか。それとも寄る年波が。気勢が、心が、険を失い丸みを帯びながら、同時に昔よりも確実に弱っている所為か。

 ローチェアに深く沈む。酔いの所為だと、精々言い張ろう。

 

 ぱきり、そんな音が響いた。

 焚火の薪が鳴いたそれではない。枝か枯草を折るような、それが一定の間隔で鳴りながら近付いてくる。

 何かが、林の奥からこちらへと歩み寄っている。日が暮れてから随分と経つ、こんな夜更けに誰が。

 

「……」

 

 本栖湖はもとより、富士河口湖町周辺の山林には当然、熊や猪も多く生息している。ここは比較的人間の生活圏に寄っているが、だからといって絶対に野生動物に出くわさないとは限らないのだ。

 今頃は、熊は冬眠に入っている時期の筈。しかし北海道には穴持たずなどと呼ばれる羆がいることを思い出した。埒もない想像だ。

 ローテーブルからナイフを手に取る。こんな玩具一本で何の足しになるやら。

 熊や猪相手では何の意味もあるまい。

 

(まったく……嫌な時世だ)

 

 嫌気が差す。こんな心構えをしなければならない、この現実が。

 獣相手ならばまだ諦めもつく……問題は、その相手が獣でなかった場合だ。

 悪意ある人間こそが最も恐ろしい。特にここ数ヶ月、剣呑な“事件”がそれをまざまざと知らしめた。

 じりじりとひり付く警戒の念。遂に林の闇間から、月明りの下にそれが現れた。

 人だった。青いウインドブレーカーを羽織った、少年である。見当で年の頃は十代半ば。そう、高校生かそこらの。

 

「……」

 

 努めて浅く吐息する。剣術の要は呼吸にある。残心は(たい)ではなく(しん)の納刀に他ならない。

 肺は静かに使うもんだ──奴は、確かそう言っていたか。

 剣術使いでもない自分がそんなことに腐心するのはまったく滑稽だ。これも奴に毒された結果といえる。

 今一度、少年を見て……静めた警戒が再浮上した。警戒、というより、疑念。戸惑い。

 少年は泥だらけだ。土と言わず砂と言わず上着やジーンズはそれらに塗れ、松の木特有の針のように細い葉が山嵐のように身体中至るところにへばり付いている。

 なにより、その左腕。右手で押さえた腕には白いタオルが当てがわれており、それが──赤々と血で染まっているのだ。

 異様だった。風体も、背にした場景も、月の照るこの時刻も相まって。

 見てはならないものを見ているのだろうか。かの霊峰に呼ばれ、この世ならざるところから現れた何かが目の前に。

 馬鹿馬鹿しい。幾度目か、内心に吐き捨ててこの愚にもつかない考えを払い除ける。

 

「大丈夫か」

 

 走り寄りながら声を掛ける。怪我人を前にしたならまず真っ先にすべきことがあろうに。

 自戒して、少年を見る。

 

「とりあえず火の傍に来なさい。一人かい。親御さんか連れは」

「…………」

「?」

 

 こちらの言葉に対して少年の反応は頗る鈍かった。一声とて上げず。

 いや、そうではない。

 少年の反応は劇的だ。返答をしないだけで、目を見開き、表情はある一色で染まっている。

 返答が叶わぬほどに、少年はひたすら驚愕を顕にしていた。

 一体、何に。

 

「────はっ」

 

 その声は渇いていた。長らく喉の使い方を忘れていたかのような、掠れて、いがらっぽい。

 

「カッハハハハハハハハハハハハハハッッ」

 

 少年は笑った。呵呵呵と実に子供らしくない笑声で。それこそまるで、老人のような皺首の喉笛を吹く。

 錯覚だ。この耳には確かに若い、幼さすら残す男声が聞こえている。

 しかしなおもって不可解だった。一体この少年は何を笑う。何故、このような笑い方をする。

 怪奇だった。ふいと薄ら寒い風に背筋を撫でられる。

 とはいえこのままではいられない。怪訝にはっきりと顔を歪めて、問いを重ねようとした。

 

「君は」

「相っ変わらず」

 

 問いは、その言によって殺がれた。

 

「独り寂しく落ち葉焚きかぃ。こんの物好きが」

 

 その伝法な、悪態に。

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