じじキャン△   作:足洗

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17話 年寄の冷や水と勧誘と確信

 

 

 ビジネスホテルのシングルルーム。一人掛けのソファに丸テーブル、化粧台にシングルベッドが狭苦しく押し込められた一室に踏み入る。

 バイクのキーをテーブルへ放り、固いソファに身を沈めてようやく人心地つける。

 新城肇は天井へ向け唸り、息を吹き上げた。

 

「……」

 

 二日掛けで、山梨近縁のキャンプ場やバーベキュー等に向けて拓かれた屋外レジャー施設を巡り、職員や近隣住民に聴き込みを行った。例の朝霧キャンプ場で撮影された写真のコピーを手掛かりに赤い軽自動車の目撃談を探ったが……収穫は無い。

 もとより、期待は薄かった。素人の聴き込み程度で何かしら証言が拾えるなら警察の捜査がこれほど難航する筈もないのだから。

 わかりきっていた結果だった。とはいえ、骨身の損耗を覚えずにはおれない。肩身に圧し掛かる疲労感は何も肉体のそればかりでなく、むしろ精神にこそ重く。

 この老いた心根には、重く。

 

「まったく……」

 

 柄にもない、そして年甲斐もないことをさせてくれる。

 旧き友。善しも悪しきも併せて共にしてきた。それがもはや思い出の中に仕舞われるばかりの記憶なのだと割り切った筈だ。

 しかし、奴は戻った。今際の際の向こうから、冥土の深みか浄土の高みから。

 非常識な話だ。まったくふざけている。

 だが、それでも、死に水すら取らせず独り今生を去った男に憎まれ口を叩かれ、また叩き返せる。それがどれほど……どれほどに。

 

「…………」

 

 そして、間違いなく天道正理を逸したこと。世の常、正しい営みを乱す。死んだ者が蘇るなど、あってはならないのだ。まして、それが一人の若者の生命の上に降って涌いた奇事となれば、もはやそれは災いでしかない。

 奴の、不二崎の言の通り。

 あの日、リンの治療を待つ病院のエントランスで、自分の気は確かに迷った。期せず得たこの再会を、名残惜しんだ。薙原哲也という一人の少年の一生涯を犠牲にさせようとさえ考えた。その短慮、軽挙妄動は反論の余地もない。

 愛孫に及んだ凶手に心底より憤怒(いか)り、そして魂で戦慄(おそ)れたが為。喪失を思い知った。いや、それがまざまざと思い出させた。

 死とはこんなにも近く、隣り合っているのだと。

 

「……ふ、齢はとりたくないな」

 

 肺から煙でも吐く心地で失笑する。

 気の迷い、それとも気の弱りか。己の心身が年齢相応に耄碌してきた、ただそれだけのことなのだ。

 

 ────カッ! 年寄の冷や水だぜ

 

 ふと、ジャケットのポケットに違和感を覚える。硬い感触が、皮革の下に埋まっている。

 ざらりとした質感のグリップ。畳まれた三段伸縮式特殊警棒であった。あの夜、奴から預かったまま忘れていたらしい。

 武骨な黒々とした鉄器が、どうしてか自分を笑ったような気がした。

 

「年甲斐もないのはお互い様だ」

 

 今ここには居ない、しかし今ここに()()そいつにいつもの調子で悪態を飛ばしたその時、不意にスマホが震えた。

 画面には、一人娘の名前が表示されていた。

 

「もしもし」

『もしもーし。今大丈夫だった?』

「ああ、どうした」

『うん、ちょっとね』

 

 電話口の遠間にリンと、おそらくは渉くんの声が聞こえる。脳裏にダイニングとリビングの光景が浮かぶ。夕食を済ませた後なのだろう。

 

『あ、そうだ。別の用も思い出した』

「うん?」

『ねぇ、薙原くんって子のこといい加減教えて欲しいんだけど~』

「……うむ」

 

 途端、口唇が重くなる。そしてこちらのだんまりの気配を嗅ぎ取った咲が、いやに呆れ深い溜息を吐くのが聞こえた。

 

『おじさんの親戚? それとも、綺理枝さん?』

「……奴の遠縁の子だ。血の繋がりはないらしい」

『ふーん……』

 

 嘘ではない。限りなく無に等しいが、奇妙な一本の縁によって結ばれた間柄ではある。ただの詭弁だが。

 しかし我が愛娘はどうも父に似ず、母より譲り受けて勘の冴えた子であった。納得の色から程遠いその声に、嫌な汗が浮かぶ。

 

『実はおじさんの子供か孫だったり、しない?』

「それはない。奴は骨の髄から綺理ちゃんに惚れぬいてる。間違ってもありえん」

『……そっか。ごめん』

「いや」

 

 彼女はいつだって日向のようだった。人生を軽やかに、どんなことがあっても心から楽しみながら過ごせる稀有な人だった。不幸さえ彼女に掛かれば一つの大切な思い出に変わる。

 大切な、思い出になって彼女は今も、今も奴の中に。

 

『おじさんの親戚の子なら一度くらい会ってみたいな。父さんが思わず不二崎! なぁんて呼ぶくらいだもんね。ふふふ』

「あれは……」

『いい子なんでしょ、きっと。おじさんみたいに、いい人なんだって、父さん見てたらなんとなくわかるわ……ふふ、それに私のこと美人だって褒めてくれたしね』

 

 お道化て笑う娘に何と返したものやら。誤魔化しに笑声混じりの吐息が鼻を抜ける。

 今生の別れと思えばこそ許せた言い様だったが、あの軽口屋め。

 

「あー……そう。そうだ。それで、肝心の本題はなんだったんだ」

『ああそうそう忘れるとこだった! お父さんのスマホにアプリを入れて欲しくて』

「アプリ? なんのだい」

『前みたいなことがないようにって渉さんと相談して買ったやつなんだけど。リンに持たせた防犯グッズがね────』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝晴れの突き刺さるような冷えに肩身を縮め、逃げ込むように校内へ踏み入る。

 己の下駄箱を探して右往左往彷徨うことももはやなくなり、一直線、上履きを取り出す為に薙原と表札の張られた小さな扉を開く。すると、そこに見慣れないものを見付けた。

 

「ん?」

 

 折り畳まれた紙である。つるりと滑らかな上質紙にレーザープリントを施されたチラシだ。

 開いてまず目に飛び込んでくる富士の峰と湖の風景。今春新たに開園するキャンプ場の告知ビラであった。敷地面積も然ることながら、小洒落たコテージや各種レンタル備品、豊富なアメニティ雑貨はキャンプ初心者には有り難かろう。加えてシャワー室は勿論テント型のサウナまで完備と、なかなか至れり尽くせりなレジャー施設である。

 ここまでの規模、昨日今日始まった創業計画でもあるまい。こんな時期に開業を余儀なくされる商売(あきない)の不条理を憐れに思う。とは余談だが。

 

「誰の仕業かねぇ」

 

 下駄箱に納められるものとしては色気がない。恋文を送る習慣が今時の子らにまだ残っているかは知らぬが。

 紙をブレザーのポケットに仕舞い、教室に向かう。

 

「……」

「……」

 

 エントランスの柱の影に二人。こちらを覗う目があった。悪巧みの好きそうな眼鏡の悪戯子猿と、その頭に覆い被さる雄大な二山の乳房。

 声を掛けてもよかったが、気付かぬふりで素通りに歩き去る。隠密ごっこは楽しそうだ。水を差すのも悪かろう。

 

 

 

 

「おーっす薙原」

「おう、おはようさん。ほれしゃんとしろ、襟が曲がってるぜ」

「薙原くんおふぁよぉ~~」

「おはよう。カッカッ、豪快な欠伸だなぁおい。夜更かしも程々にな」

 

 教室の戸を潜り、擦れ違う級友らに挨拶を交わす。そうして窓際の己の席を見やれば、異変は一目瞭然であった。

 卓上になにやら、先日帰宅した際には確かに無かった筈の品々が並べ置かれている。

 BIVOUACと題字された雑誌が数冊。卓の中央にはアンティーク調の洒落たガスランタンが鎮座し、脇には松ぼっくりが二つに、何故かツナ缶が一つ。

 花でも活けられていたなら、性質の悪い悪戯か、あるいは凄まじく察しの良いクラスメイトによるこの爺への餞と目せたやもしれんが、どうも趣が違う。

 卓上を指して、既に隣席に座っていた茶髪少年に首を傾ぐ。

 

「この土産はお前さんからかい?」

「ちーがーいーまーすー。向こう向こう」

「んー?」

 

 教室前方、座席の影からひょっこりと撫子色の頭が見える。その娘は努めて注意深くじぃ~っとこちらの様子を盗み見ている、つもりのようだ。

 なるほど。得心するものはあった。ブレザーのポケットにあるビラと合わせ、これはどうやらあの子らなりの勧誘らしい。

 茶髪の坊は唇を尖らせた。

 

「なーんかー、てっちゃん各務原さんとめっちゃ仲良くなってないっすかー」

「さて、なんぞ特別なこともしちゃあいねぇんだが、どこに懐いてくれたかねぇ。あぁ、飴ちゃんがよっぽど旨かったのかもしれん」

「違うもん!」

 

 ひょこひょこと近寄ってきていた撫子髪ちゃんが叫ぶ。心外極まれりとばかり。

 

「おやつ目的じゃないもん! 哲也くんの、哲也くんのぉ……センス? テクニック?」

 

 運動部でもあるまいに。素人のアウトドアレジャーにセンスとテクニックを問われる項目があるのかどうか。

 腕組みしてうんうん唸るまま三つほど数えた時、ぽんと手を打って娘は。

 

「哲也くんの体目当てなんだもん!」

「でけぇ声で不埒なことを言うんじゃねぇや」

「およ?」

 

 瞬時、教室内の空気が氷結した。とはいえすぐにそれも融ける。級友ら一同、発言の主を見て取って即座それが呆けた戯言と理解したようだ。

 娘子の人徳というか、扱いが知れるというか。

 

「とにかくほら! これ、このランプ見て見て! 可愛いでしょ~!」

「うん? こいつぁ撫子髪ちゃんの持ちもんか」

「うん! 初めてのバイト代で買ったんだぁ。一回家の中で点けてみたんだけどね、すっごくいいんだよ! 光があったかくてね、ほっこりするの。きっと夜のキャンプ場ならもっと雰囲気出ると思うんだ~……チラチラ」

「そりゃいい買い物をしたな。大の字とあおいちゃんに精々自慢してやれぃ」

「むむむ……あっ、じゃあじゃあこれは!?」

 

 娘が卓上のBIVOUACを一冊取り上げ、ページを開く。

 

「寒がりの哲也くんにイチオシなのはこれ! 電気ヒーター付きブランケット! これすごいよ。モバイルバッテリーを繋いでボタンを押すと電気毛布みたいになるんだって! これでどんなに寒い日もキャンプし放題だよ!」

「おぉ? 俺が寒がりだなんてぇのをよっく知ってたなぁ」

「ふふふ~。調べはついてるんだよ哲也くん……って言っても、リンちゃんに教えてもらったんだけどねい」

 

 はにかみ顔で撫子髪ちゃんは頬を掻いた。

 確かに。通り魔を取り逃がした夜、新の字の到着まで間を持たせようと、あの娘にはそんな箸にも棒にも掛からぬ話を聞かせてやった気がする。それを覚えていたとは。

 

「ほー羽織りのように着られるのかこいつぁ。ははぁ、自宅で使うにも取り回しが良さそうだな」

「えぇ~!? 違うよぉ。キャンプで使おうよぉ」

「いや活動的な撫子髪ちゃんにゃ申し訳ねぇが、残念。今の時期は特にだが、家でぬくぬくと惰眠を貪る方が己の性には合ってんのさ」

「むぅぅう嘘だ~! リンちゃんのお祖父ちゃんとバイクでツーリングしてるって聞いたもん!」

 

 どうも撫子髪ちゃんと相対した時に限り、リンちゃんの口の戸は閂が不具合を起こすようだ。筒抜け、という。

 仔犬の威嚇染みた睨みを呉れながら、撫子髪ちゃんは己のブレザーの裾をぐいぐいと引っ張った。

 

「ぬーん! 哲也くんの意地悪ー!」

「各務原さん無駄無駄、てっちゃんの本命は同級じゃないもん」

「え」

「てっちゃんはぁ田原センセ一筋だもんな~?」

 

 嫌味ったらしくと言おうか底意地悪しと謗ろうか。茶髪少年はにやにやと口端を吊り上げ言った。

 瞬かれながら大きな瞳が己を見上げる。

 

「そ、そうなの……?」

「さて、そこまで純に熱上げてた覚えは、生憎とねぇなぁ」

 

 哲也の記憶やら想い願いを己が覚えている訳がないのだから、嘘はない。所謂一つの、詭弁である。

 

「うーそーだー、てっちゃん田原の授業ん時はいつも超熱視線だったじゃーん。むしろ俺らが引くくらい。わっかんないわー。あんなキツイ年上好みとか。いや年はこの際いいけどさ、性格がヤバいじゃんあの人。誰も彼も嫌いっぽい感じだし」

「そんなことないよ!」

 

 キン、と鼓膜に負荷を覚える高音圧。それを発したのは誰あろう傍らの娘子。

 なでしこはそれ自身の声にこそ驚いたかの様で、恥ずかしげに俯いた。

 

「……田原先生、悪い人なんかじゃないよ。普段はすごく厳しいし、恐い時もあるけど……けど、ホントはすっごく優しいんだよ?」

「そうなのかい」

「うん! だってクリキャンの時も────あ」

 

 突如少女は自分自身の口を両手で覆った。それはさも、しまったという風情で。

 くりきゃん……クリスマスキャンプ。

 

「クリスマスのキャンプ。野クルの面子と、あの斉藤という娘さんと、リンちゃん。皆で朝霧のキャンプ場に赴いたそうだな」

「うん……」

「そのキャンプのことで、お前さんに田原先生がなにか言ったのか?」

「…………」

 

 娘は即座、返事をしなかった。ただ誤魔化しに嘘や出任せを口にすることもなく、その表情ばかりが沈痛に翳っていく。

 近く覚えがあった。この姿、この光景、この遣り取り。鳥羽教諭との問答で、彼女が口を噤んだあの時の貌。

 同じ。同じものを、この娘も呑み込んでいる。

 この明朗快活な少女がそれでも口を閉じ腹の底に秘め置く事実。秘め密めなければならないと決心させるほどの事柄。辛かろうに。

 その心の痛みを理解しながら、それでも問いを重ねる。刑事の性分(さが)、あるいはもはや業の領域だ。

 こんな幼子に、俺は。

 娘に一歩近寄って、その耳元に顔を寄せる。教室内の誰にも聞き取れぬほど潜めた声で。

 

「なでしこちゃん。一つだけ、教えてくれ。その一つさえ聞ければ、俺はこれ以上何もお前さんに訊ねたりしねぇ。だから頼む。これから言うことがもし当たってたんなら、頷いてくれるだけでいい」

「……」

「あの日、12月24日の夜、朝霧のキャンプ場で……田原先生に会ったんだな?」

「…………」

 

 少女は微か、ほんの微かに────頷いた。

 ひどく無遠慮な音色で間延びした予鈴が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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