校内の探索は、足で稼ぐより他術はなかった。
放課後、授業終了の鐘が鳴るや否や外へ出る。春風と呼ぶには寒々しい。日暮れ間近の刺すような冷気の中、校舎の周囲を巡る。
まさか証拠品がその辺りに放り捨てられている、などと突拍子もないことは無論考えていない。
(埋める、だろうな)
特に剥き出しの地面、花壇や未整地の校舎裏等をつぶさに観察する。
おそらく校庭にはない。運動場の舗装に使用される真砂土は踏み締める地盤として優れているだけに固すぎる。掘り返すような真似をすれば痕跡は相当に目立つだろう。
証拠品の隠滅と聞いて、焼却してしまえばよいと考える者は多い。実際、方法として不足はない。燃焼の際に不可避の噴煙や臭気を周辺の人々に覚らせず、かつ燃え滓と化した
非現実的である。
あるいは、焚火を許可されたキャンプ地ならばどうか? 三ヶ月前ならばなるほど、可能性はあっただろう。しかし今、とりわけ山梨・静岡・長野のキャンプ地や屋外で火の取り扱いを許された施設で、軽々に証拠隠滅作業など出来よう筈がない。誰あろう犯人自らの凶行によって警察の警邏巡回は強化の一途だ。血走った目が、それらのレジャー施設を厳に見張っている。
学校の焼却炉などは論外中の論外だ。ダイオキシンだの煤煙だの大騒ぎで取り沙汰されたのはさて何年前だったか。大気汚染問題に神経過敏な今時分、焼却炉が残っている学校の方が少なかろう。仮にあったとして、迂闊に使用すれば絶対に見咎められる。悪くすれば通報案件だ。
つい先日、警察の出入りがあったこの本栖高校においては特に、そんな暴挙は犯せまい。
なんとなれば同様の理由から校外へ持ち出すことすら困難になった筈だ。というより証拠品を隠し持つリスクが高過ぎる。街に警邏の警察が増えた現在、職質、検問もまた確実に増えた。
以上要項を踏まえて、結論。
(
本栖高校。この平穏で長閑な学び舎に。
奇縁と言わざるを得ない。運命の悪戯。旧友に吐いた科白がまんまと己に返ってきた、天魔の仕儀と。
とうの昔に死んだ筈の老人の魂に、肉体を乗っ取られた少年。その少年を襲ったキャンパー切り裂き魔は少年が通う学校関係者、そしてその決定的な証拠がかの母校に眠っているやもしれぬ。など。
縁。縁か。
「……」
偶然の一語で片付けられる次元はもはや過ぎた。
意味が、あるのだ。少年と切り裂き魔、そしてこの身。
あるいは己は来るべくしてここに来た……願われ、
俺を、呼んだのは。
「哲也くん!」
「お」
中庭の花壇、屈み込んで睨み付けていた土から顔を上げる。
窓辺から身を乗り出して、無邪気にこちらへ手を振る娘子。風に踊る撫子色の美しい髪とその眩しい笑顔を見た。
「一緒にキャンプ、やろうよ!」
「んん?」
晴れやかに、高らかに、半ば決定事項と言わんばかり。
なでしこ、明朗快活なこの娘の言葉は思わず頷きたくなるのだから不思議だ。強引、とはまた違う。それこそその人徳が人の心を惹き付ける。
「ハハハ、なんだいどうした藪から棒に」
手についた土を叩き落としながら歩み寄る。
先日、娘からの熱心なお誘いを無下に断ったばかり。それでもめげず懲りずにこうして声を掛けてくれる。
さてはてなんと言って宥めようか。そんな心持ちでもう一歩、図書室の窓に近付いた。その時。
突如、なでしこの背後から人影が乗り出した。
「「確保ー!」」
二人分、四本の腕が己の両腕を掴み、絡む。
娘子とはいえ二人分の腕力。引き寄せられるまま窓辺で腹がつんのめる。
「おぉっとととと! こらこら危ねぇ! こっちゃ土足だぞ!」
「にっひひひひ、まんまとなでしこトラップに掛かったなぁ薙原ぁ」
「ごめんなぁ。でもこうでもせんと薙原くんすーぐ逃げてってまうやんか」
右腕を千明が引っ掴み、左腕をあおいちゃんに抱かれ、窓の縁に天日干しの布団のように垂れ下がる。
身を起こして見やれば、室内には見知った面子が揃っていた。
斉藤、恵那ちゃんだったか、が小さく手を振る。そして書籍の貸し出しカウンターには、リンちゃんの姿。
娘は己を見て、途端に視線を右往左往し、慌てて手元の本で顔を隠した。隠しながら、頻りに伏し目がちな様子でこちらを覗いた。
「それで? 御用の向きはなんだい」
「キャンプだよ哲也くん! キャンプ! 野クルと恵那ちゃんリンちゃんに先生、それから哲也くんの七人キャンプ!」
「あーまあ、といっても近々すぐにって訳じゃないぞ。なでしこはこう言ってるけどさ」
「やっぱり通り魔犯が捕まらんことには、まだちょっと難しいやろしねぇ……」
「むぅ……で、でも、そうだよ! 時間があるんだから今の内からじっっくり計画を練れば、本番はすっっっごい最高のキャンプができると思うんだ!」
「そうだ! 我々野クルの活動は計画立案の段階から既に始まっている!」
「元気だのぅ。撫子髪ちゃんも大の字も」
「せやろぉ。賑やかさ倍増しや」
「そこでだ。新たにメンバーに加わった薙原の親睦も兼ねて、私達はこれからカリブーに繰り出すのだ!」
身振り手振りも大仰に千明は宣言した。さて、己は一体いつの間にそのメンバーとやらに加え入れられていたのか。勿論身に覚えはない。
親しんでくれるという。それは素直に喜ばしいが。
「やめときな。少なくとも今の時期は」
「えー。いいじゃんかよー。そうそう鳥羽先生が帰りは送ってくれるって」
「それでもだ。通り魔なんてもんが万に一つとはいえその辺をうろついてるかもしれねぇんだぜ。親御さんもきっと毎日心配しながらお前さん方の帰りを待ってる。寄り道は控えて、日の出ている内に帰りな」
「いや、まあ、そりゃわかるけどさ」
「あんな、往き道は薙原くんに付いてってもらおう思てん。前の……私の時にみたいに、薙原くんなら守ってくれるて……それでもあかんかな?」
「頼りにしてくれんなぁ嬉しいが、あの時とは事情が変わっちまった」
実害が、現実に凶刃が一人の少女を襲った。
一人の、たった一人の大事な、この目に入れても痛まぬ子。旧友の孫娘を。
無意識にも己は見詰めていた。カウンターに座する小さな娘子を。
僅かに戸惑いを映した瞳がこちらを見返す。それに笑みを返して、鼻から息を吐いた。
「……不甲斐ねぇものよ。己など」
自儘な自嘲をその吐息で払う。
千明もあおいちゃんも、言って聞かぬほど強情ではない。むしろ真逆。事情を理解して我慢ができる賢い子らだ。
腕から離れる子らの手に名残を惜しむような感触を覚える。
可哀想に。友達と遊びに出掛ける、そんな当然の時間さえ自由にならないなど。
だが、それでもやはり、子らの安全には代えられない。
「あの」
おずおずと進み出てくる。いつの間にかカウンターを出て、リンちゃんは己の前に立っていた。
真っ直ぐには定まらず、瞳はどこかよそよそしく揺らぐ。
「私、その、前の……無断外出があって、学校の行き帰り、お父さんとお母さんに送迎してもらってて」
「そうなのかい。ああ、そりゃ……無理もない」
愛娘が事件に巻き込まれ、怪我まで負ってしまった。咲ちゃんと渉くんの心配と危惧は当然のものだ。登下校の付き添いにしても何一つ大袈裟ではないだろう。
「それで、今日はお母さんが最寄りの駅まで迎えに来てくれるんだ。だから、もし薙原くんがよかったら、なんだけど」
「うん?」
「車でなら、一緒に行ける?」
恐々と問い。
遠慮がちに、それでいて期待するような、ひどく幼気な目だった。ひどく、懐かしい目。
この子にこの目をされると己は弱い。滅法弱い。揺らぎそうになる胸中を自覚しながら、どうにか反駁を練ろうとした。
「あ! 私のお姉ちゃんも車だよ。それでね、今日は大学の帰りに身延に寄るって言ってたから、乗せてってくれるか頼んでみるね!」
「お、おいおい」
「薙原くんはお店に着くまでの道が心配なんでしょ?」
そう言って恵那ちゃんが小首を傾げる。
「リンのお母さんとなでしこちゃんのお姉さんに頼んでもし車で移動させてもらえたら、薙原くんの心配もなくなるよね?」
「……まあ、そうなるか」
「! いいの!?」
ぱっと華やぐなでしこの顔に、もはや言説を翻しようもなかった。所謂、言質というやつ。
己の意志の弱さに呆れ返る。
反して、千明とあおいちゃんはリンちゃんとなでしこを囲んで諸手を上げた。
「ナイスだ! リンになでしこ!」
「グレート! グレートやで二人とも!」
傍らでしたり顔の恵那ちゃんに見下ろされる。言葉選び、それに機先を見る目。実に強かな娘さんだ。
そうして、スマートホーンを片手に佇むリンちゃんと再び目が合う。それはやはり、どこか遠慮がちで、自信なさげな、叱られる前の仔犬のような目だった。
参った。初めから勝敗は決している。
この子の我儘を、俺に拒める筈がないのだ。わかりきったこと。
「行こうか、リンちゃん」
「ぁ……うん」
娘ははにかんで、ふわりと笑った。