土曜の昼下がり。そろそろ夕飯の算段を付けようかと思案する時刻。
身延の一軒家、寡男の独り住まいにメッセージが届いた。
[備えよ!薙原隊員!]
スマホの画面越しにもひしひしと伝わるこの騒々しさ。大垣千明の唐突さは、高校時代の初対面から何一つ変わらない。
社会人三年目になっても、まるで忙しい子供のようだ。
「かかっ、またぞろ何か企んでやがるな」
変わらず愉快な娘子に思わず笑声がこぼれる。
厄介事と同じほど、この娘は面白い騒動を呼び込んで来る。良きにつけ悪しきにつけ。
[いざ行かん!名古屋!]
「あん?」
本当に油断ならぬ。まんまと意表を衝いてくる。
仏壇の父母と祖父母に挨拶を済ませ、身支度してランクルに乗り込む。
駅まで迎えに来いとの仰せだ。そしておそらく。
片道三時間強の運転、その覚悟を終えて車体は静かに滑り出す。
「いやぁはははは! 悪いな薙原、お休みんところ付き合わせちゃって!」
「お? なんだ、ちったぁ悪いと思ってたのか? そいつは気付かなかった」
助手席でけらけら笑う娘に皮肉一つ。
悪びれた様子で千明は頬を掻く。
「いつの間に山梨に戻ってたんだ? イベント会社の方は」
「ああ、転職した」
あっけらかんと娘は宣う。
「今は山梨の公益法人で……まあその辺のことはリンと合流してから話すわ」
「さいで」
「薙原は相変わらず警官やってんの? 年末とかめちゃ忙しそうだよな」
「まあ課にもよるが、当直ともなりゃ交通整理に初詣の警備に巡回警邏、人の往来が増えるだけやる事だらけだ。少なくとも三箇日が明けるまでは休めねぇだろう」
「うへぇ。大変だなぁ」
「市民の安全と安心を守るのが私共の務めでございますでな」
「毎度お勤めご苦労様です! こちら粗品の缶コーヒーになります」
「うむ、苦しゅうない」
寸劇も馴染んだもの。恭しく差し出された缶を片手で受け取り、プルタブを指で起こす。
口を付けてから気付く。微糖は少々甘すぎた。
「でもそうかー。年末は野クルに恵那に鳥羽先生で初詣行こうって話でさ。薙原も誘おうって思ってたんだけど」
「ああ、あおいちゃんから連絡来てたぜ」
「お、おう。流石、行動早いなイヌ子……うぷぷぷ、わかりやすい女だぜぃ」
「電話で済ませっちまったが、大の字の方からも宜しく言っておいてくれ」
「うーい。けどリンもリンで編集部の取材が年始からあるとかでさ。なかなか全員集合できないもんだよな」
「それでもこうやって強行軍で友達に会いに行こうとする輩がいるんだ。機会ってやつぁ作れるもんだ。いや、捻り出すもんだ」
「や、輩て……私はそんなトラブルメーカーじゃないぞー! 強いて言えばムード盛り上げ爆弾だ!」
「騒々しいってぇ意味じゃ似たり寄ったり。いやなお悪い」
「うむむむ、いやいやごめんて薙原大先生。名古屋で一杯奢るからさ。もぉ手羽先も付けちゃう!」
「馬鹿野郎。運転手に酒勧めるやつがあるかぃ」
「えぇいいじゃん。明日休みだろ。車は駅前かどっかにうっちゃってさ。朝まで三人飲み明かそうぜ~!」
「お前さん、ほとほと鳥羽先生に似てきたな」
「どうも二代目グビ姉襲名いたしました! コンゴトモヨロシク。よろしくついでに生一丁!」
「おい、まさかもう酔ってんのか?」
「失礼な! 缶ビール一本くらいじゃ酔わないって~。薙原だっていける口だろ? 付き合えよぅ。あ! なんならリンの家で宅飲みに雪崩れ込むって手もあるなぁ。宿代は浮く。薙原は可愛い女子二人に囲まれて役得。方々丸く収まるナイスなアイディアだろ!?」
「呑兵衛め」
助手席のパワーウインドウを全開にする。
年の瀬も押し迫った宵の口。高速道路を突っ切る車体は寒風を一身に纏い、開いた窓から車内へとそれは容赦なく吹き込んで来る。
「ひぃぃいいいさぶっさぶっ! 寒い寒い寒い!! 薙原さん!? 薙原大先生ってば!?」
一頻り寒稽古をさせてから窓を閉じた。
身を縮めて暖房の温風に両手を擦り合わせる様は小動物的というか、地獄谷の温泉猿風というか。愛嬌はある。見ていると悪戯心を刺激されるような、そういう類の。
「はあっ、はぁぁあっ……薙原はホント昔から私の扱い雑だよな、ったく」
「おや、そうだったかい?」
「そうだよ! リンとかイヌ子とか恵那なんかは女の子って感じに対応するのに……なでしこはー、まあ小っちゃい子って感じだったけど……どうせ私のこと男友達かなんかだと思ってんだろ」
「そいつぁ違う。さしづめ親戚の腕白な甥っ子ってぇところかね」
「ランク、上がってる……? のかもしれないけど! 肝心の男扱い変わんねぇじゃん!」
「かかかっ! ならどうする? お嬢さんとでも呼べば満足か」
「くくく、呼ぶだけじゃ足りないなー。ぜんっぜん足りない。もっとこう、一人前のレディをエスコートする感じでだな……」
「運転中にまた難しい注文つけやがる」
そう軽口を吐き返した直後のことだった。
右車線から大型トラックが車線変更してくる。かなり無理のあるタイミングだ。幅寄せの意図があるのか、こちらの存在に気付いていないのか。
ブレーキを踏み込む。急制動は避けたが、それでも慣性は車内の人間を前方方向に押しやろうとする。
「うわっ」
助手席の千明がダッシュボードにつんのめる前に、差し伸ばした左腕で身体を受け止めた。
「大丈夫か?」
「あ、う、うん」
「驚かせたな。すまん」
「えっ、いや、全然……あっ、ごめん」
千明は自分がしがみ付いたままだったこちらの左腕に気付き、解放する。
「……ってか悪いのは今のトラックだろ! あ、ほらやっぱり! 次のインターで出たかったから無理矢理割り込みやがったんだ! バッカヤロー!!」
千晶は車窓を全開にして大声で叫ぶ。それはまるで、気恥ずかしさを空怒りで取り繕っているようだった。
「怪我がなくてなによりだよ、お嬢さん」
「う……や、やっぱりやめてくんない? それ。なんか、その、擽ったいからさ」
「そうかい。俺ぁ一向構わねぇんだが。ああところで千明」
「ち、ちあ、ひゃい」
「微糖は俺にゃあちょいと甘すぎる。悪いが代わりに飲んでくれんか?」
「あ、う、うん……か、間接……いやいやいや中学生か私は!?」
「可愛らしいじゃあねぇか。思えば千明は、高坊の頃からずっと可愛らしい子だったなぁ」
「あっ、い、今のやつ! 今の可愛いは違う! なでしこと同じ感じのやつだ! そうだろ!?」
「かかかっ! バレたか。お前さんは今も昔もおぼこくてな、実に可愛らしいと俺ぁ思うぜ?」
「嬉しくねぇし!」
冷えて頬が焼けたか。赤みを増す娘の顔を横目に笑う。
千明は拗ねた顔で、己の左肩を突き続けた。
「ふんだっ、見てろ。名古屋の栄なんか歩けば、私だってナンパされ放題なんだからな」
「ほー、そいつぁ大したもんだ」
「イケメンに声掛けられた後になって謝って来ても遅いんだからな!」
「そりゃあ御尤もだ。精々警護を固めねばなるまい。こんな可愛い子を盗られんように」
「うっせバーカ」
千明は苛立ち紛れに微糖のコーヒーを飲み干す。
そうしてバッグを漁り、案の定持参していた缶ビールを取り出した。迷いなくプルタブを上げ、そのまま呷った。
泡の付いた口端を拭いもせず、己の横顔に指を差して。
「今夜は帰さないからな!」