駅前で千明を降ろし、近場の立体駐車場に車を納めた。大都市らしい人と車の氾濫地、滞りなく駐車スペースにありつけたのは実に運がいい。
飲み屋街目指して人混みを歩いているとスマホが震えた。リンちゃんからだ。
『小父さん? 私だけど』
「おう、今向かってるよ。悪かったね。突然押し掛けちまって」
『ふふ、気にしないで』
「大の字とは合流できたかい」
『うん。すぐ見付けた。今』
『薙原ー。早く来いよー。ビールが切れそうだぞー。早く充填しないと私が大変なことになるぞー』
『千明うるさい。じゃあ錦通りのファミマで待ち合わせしよ。大きなマネキンの近く。わかる?』
「おぉあの不気味な人形か。あいよ。ちょいと待っててくんな」
年末の名古屋駅は賑わっていた。仕事納めを目前にして、通行人も皆やや浮足立ったような空気を醸す。
金時計を横目に駅構内のショッピングモールを抜け、西口を降りる。表へ出てすぐに、夜天を貫かんばかりの一際大きなビルを仰いだ。硝子が曲面状に貼られ、巨大な捻じれたオブジェのようだった。
「パパ!」
透き通るような声が交差点を越えて耳孔に届く。
向かいの通りで女の子が父親と思しい男性に抱き上げられ、はしゃいだ。母親も合流し、三人家族が夜景の中を歩いていく。
ありふれた風景。幸福の象徴。素朴な暖かみが胸に宿った。
同時に、こんな将来が、こんな安らぎが、あるいは────哲也にも訪れたのかもしれない。本来なら。
この不二崎甚三郎さえ居らなんだなら。
そんなことを考えた。今それを思索したところでどうすることもできまいが。詮無いこと。愚昧なことを。
「……」
待ち合わせ場所のコンビニエンスストアは駅を出てしまえば目と鼻の先だった。
錦通りを真っ直ぐ東進すれば、すぐに盛り場へ行き着く。お誂えな集合場所と言える。
そうしてふと、店の前の街路樹を見ると。
「だから、私ら人と待ち合わせてるんで!」
「そんな寂しいこと言わないで。ね? 僕らお姉さん達に一目惚れしちゃったんです!」
「一杯だけ奢らせて! お酒大丈夫? めっちゃ好きそうだよね。俺マジ美味いとこ知ってるよ」
「いえ、ホントに、結構ですから……」
若い男が二人、リンちゃんと千明に纏わり付いている。無論それは比喩で、彼らは娘ら二人に指一本触れてはいない。警察沙汰の線引きを心得ている。手馴れているのだろう。その癖、粘る。断りの文句を聞き流して、彼らは執拗に同道を迫った。
しかし、噂をすれば影とはよく言ったもの。
まさか千明の世迷言がこうも早々現実になろうとは。
妙な感心を覚えながら、俺は男達に近寄った。
「おぅい、遅れてすまんな」
「あ、小父さっ、んん゛、哲也さん」
「あ?」
己の姿を見て取るや、ぱっと笑顔の花が咲く。素直というか愛らしいというか、どうしてここまで懐いてくれるのか。
贅沢な疑問を弄ぶ。そうして表情を和らげる己の様が、若い男達には嘲弄と映ったらしい。
片割れの高身長な方が一歩詰め寄ってくる。
「おい、やめろって」
「女の子の前でイキりたくなっちゃった? あ?」
「そうさな。粋がるついでに言うと、気のない娘さんに
「んだとこら」
微かに酒気が臭う。どうやらこの男、一杯引っ掛けた後のようだ。気が大きくなって猛っている。
腕が持ち上がる。振り被られようとしている。
筋骨の強張りからその兆候を察知できた。
半歩、男に詰め寄った。両脚の間に踏み込み、腕を掴む。機先を制する。
「うおっ」
「こらこら兄さん。酔いにあかせてそんなことしちゃいけねぇよぅ。酒は楽しく飲もうや。えぇ?」
「こん、の……!」
「納得いかねぇなら存分に話は聞くぜ? こちとらそれが仕事なもんでな」
面前に開いた警察手帳を翳してやると、男はぎょっとして身を退いた。
「名刺は要るかい?」
男達は返答もせず、そのまま小走りに立ち去って行った。
週末の夜。気分よくナンパに繰り出してこの始末では。とぼとぼと人混みに消えていく背中にはむしろ憐れみを覚えた。
リンちゃんと千明に向き直る。
なにやら照れ臭そうにするリンちゃんと、弱々しく苦笑する千明が対照的だった。
「い、いやぁ、まさか予言が現実になるとは、この大垣千明の目をもってしても読めなかったぜ。あははは!」
「ナンパだって分かった途端私の後ろに隠れてた癖に。意外とこういうのに弱いよね、千明って」
「な、なにをぉ!? そんなことないぞ! 上京してからの私はそれはもう男をとっかえひっかえ!」
「妙なことで張り合うんじゃねぇよ」
「……しょ、しょうがないじゃん。私ナンパとかされたことないし……」
「かかっ、そいつぁ意外だ。こんなに可愛らしいお嬢さんを放っておくたぁ、東京の男共は見る目がねぇなぁ、ん? かっははは」
仔犬のようにしょげる娘子の頭を撫でる。
頬が紅潮する。ずれた眼鏡の奥から、恨めしげな上目遣いが己を睨んだ。
「くっそぉ……こうなったら飲んでやる! 今日はとことん飲んでやるぞ! 薙原の奢りで! そんで潰れたら介抱もよろしく!」
「調子のいいこと言いやがる」
「うっせうっせ! 乙女の純情弄ぶ奴が悪い! この女誑し! 若爺!」
肩を怒らせて千明は通りをずんずん歩いて行った。
リンちゃんと顔を見合わせ、それに付いていく。
「いつも助けてくれてありがとう」
「ん? どうした藪から棒に」
「だって、前の時もそうだったから……私が、約束破って磐田のキャンプ場に一人で行って……切り裂き魔に襲われた時も」
「……あの時は結局間に合わなかった。怪我ぁさせちまった。すまんかったな、リンちゃん」
「間に合ったよ、ちゃんと。だから謝らないで。小父さんが来てくれて嬉しかった。さっきもすごく、安心した」
「……そうかい」
不意に、手を握られる。
見れば娘の小さな手が、己の節くれ立ったそれを柔らかく包んでいた。
華奢な指の感触は、やはり変わらない。幼いあの頃、再会したあの夜、そうして今夜この時すら。
小さな可愛い娘子のままに。
「千明の言うこと、一理あるかも」
「?」
「小父さんはいつまで経っても私のこと、私達のこと、子供扱いなんだもん」
「そりゃあまあ」
当たり前だ。リンちゃんも、野クルの面々も恵那ちゃんも、新田先生にしたとて己にとっては。
「子供のままじゃないよ。私も、皆も」
娘を見下ろす。
赤みの差した頬、摩天楼を星明りのように映す瞳、濡れる瞳が。
小さな手が離れた。恥ずかしそうに両手を胸に抱いて、リンちゃんは先を急いで行く。
気付けばそこには女性が一人。仕事に就き、糧を得て、独り立つ。
一人前の女の背中が在った。