じじキャン△   作:足洗

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3話 お前は誰だ

 

 

 

 不二崎甚三郎。

 

 己は己である。己はそれである。

 己はそれ以外の何者ではない。

 そんな下らぬ確認行為を必要とするほどに、今この時この場、この世界とかいうものの中に存在するこの身は不確かであった。不審であり、不信であった。

 それを、どうにか、なんとかして繋ぎ止めたのは、旧馴染みのあの男────新城肇。

 あの男が、己が不二崎甚三郎であることの証左。唯一の(よすが)だった。情けない話だがそれほどに、己は惑い、霍乱していたのだ。

 熱砂の陽炎。実体無き朧。それが今の己。

 他人の肉体に宿り、奪い、のうのうと現世に蘇った。

 まったく、悪い冗談だ。

 

 姓は不二崎、名は甚三郎。

 姓はともかく、この名が曲者だ。何処ぞの荒武者か侠客かといった具合に仰々しい。猛々しい。

 名が好かぬ。よくもまあこんなものを付けてくれたと頻りに文句を垂れた。

 その度に、名付け親の祖母(ばばあ)に拳骨を喰らったもの。罰当たりが。不孝もんが。生意気吐くんじゃあねぇこのすっとこどっこい等々。口の悪さはきっちりと譲り受けちまった。

 しかし警官を()り出すと、これが存外箔になる。吐かせの甚三郎。剣術屋甚三郎。鬼甚。好き勝手に呼ばれた。塀の奥へ打ち込んだ悪党、娑婆で永らえる悪党共、そして何故か同業からも。

 それを喜ばしいと思ったことは一度としてないが。まあ、呼ばわりたければ呼べばいい。悪党に当ってはその名の通り振舞ってやるに吝かではない。

 己を鬼と言わば言え。

 ならば獄卒(おに)のようにその罪を問うてやる。

 

 ……だが、一度。

 名を呼ばれて、嬉しかったことが、一度。

 あった気がする。いいや、あったとも。

 

 ────じん爺!

 

 その舌ったらずで、甘ったるい声で。

 あの子は呼んでくれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白んだ朝焼けに眼が眩む。

 ドアパネルのファスナーから覗いた外は、清々しいというより白々しいほどに晴れ渡っている。

 強烈な放射冷却で地表の熱という熱が根こそぎ奪われたのだろう。ワンタッチテントにフライシート……代わりのビニールシートをほっ被せても、この寒さは到底防げないらしい。

 身震いしながら寝袋を出る。寝床の暖かみを名残惜しむこともできやしない。

 半ば霜の浮いた芝生の、冴えた緑が視界を席巻する。

 朝霧高原キャンプ場。遠く富士山を望む野っ原は、朝日の下であればなるほど是絶景哉。

 

「寒いったらねぇな畜生め……」

 

 景観を尊ぶ殊勝な心持ちは刹那と保てず悪態が口をつく。

 マフラーに埋めた顔から、周囲に視線を這わせる。

 広大な芝生の丘にも関わらずテントは疎ら、どころか片手で数えるほどであった。キャンパーだけを狙う通り魔が近県を彷徨(うろつ)いているのだから当然といえば当然だが。

 凝り固まった筋骨を解し、伸びをする。

 その時、ポケットの中で端末が鳴動した。

 画面を改める。『新』の一字がでかでかと表示されている。

 

「……よ、ほ、く……えぇいなんで、押しボタンが、ねぇんだ! こいつはよぉ」

 

 画面に直接触れるという行為もさることながら、このクリックだかフリックだかいう操作が如何ともし難い。

 無駄に労苦してようやくに電話を繋いだ。

 

『まだ寝ていたのか』

 

 受話口から重低音が響く。耳に馴染んだバリトンは、相変わらず地下空洞の深みで鳴るような厚みと太さをしていた。

 

「とっくに起きてるよ。このスマートホーンとかいう機械がろくすっぽ言うこと聞きゃしねぇんだ」

『ふっ、若返っても機械音痴は変わらず、か』

「うるせぇ」

『そっちはどんな様子だ?』

「静かなもんだ。事件から二ヶ月近く経ちゃあこんなもんだろうな。客足もゼロじゃあねぇ」

 

 第一の事件現場、朝霧高原キャンプ場。

 その名の通り薄く朝霧に煙る原を少し歩けば、すぐにその虎縞の非常線が現れる。といって、有るのはその名残。三角コーンと制止のバーが申し訳程度に並べ置かれてあるだけだ。

 テント等、キャンプ道具諸々はとうの昔に証拠品として押収された後。

 二ヶ月あれば雨は降るし踏み均された芝生も元通りに繁る。

 痕跡と呼べるだけのものがもはやここには残っていなかった。

 

「まあ、そりゃ跡形もねぇやな。ただ現状を直に見たかったのよ」

『何かわかるか』

「そうさな……とりあえず、ここは管理事務所からは確実に死角だ。入口と事務所は丘の向こうの林の向こう。ここで何が起ころうが何をしてようが、即座には気付けまい」

 

 キャンプ客に対する配慮でもあったのだろうが犯罪を目論む者にとってはこれほど都合のよい立地もなかろう。

 他のテント同士も相当の距離を置いている。今が冬場の閑散期にあること、客同士が互いの視線を嫌うこと、その上このサイトの広大さも相俟って、殊に犯行現場の目撃者は望み薄か。

 

「しかもこのキャンプ場、防犯カメラがほとんど設置されておらん。あるのは受付窓口、事務所の表玄関口と裏口だけだ。正面ゲートにも一つあったが、そいつぁ事件の後、警察の指導が入ってから取り付けたもんらしい」

『……確かに、車両の出入りだけならそこは事務所を素通りできる。受付を済ませる前に車でサイトに乗り付けて先んじて場所を確保しようとする客は多い』

「無精者ってなぁ何処にでも湧きやがる」

 

 貼り紙や口頭での注意はあったろうが、半ば黙認されていたのだろう。そのツケがこの事件(ヤマ)か。笑えぬ話だ。

 

「リンちゃんも可哀想に」

『本当にな』

 

 溢した独り言に、実に深々とした肯きが返ってきた。

 こればかりは否定の余地がなかった。

 事件当夜、事件現場であるこの朝霧高原キャンプ場に……なんとリンちゃんは居合わせていたのだという。

 本栖高校の倶楽部。『野外活動サークル』というそのグループに同道して、友達数人とキャンプをしていたそうだ。

 

「あの子は容疑者らしき人物を目撃したんだったな」

『ああ……事情聴取をされたと言っていたよ』

 

 黒いコートを着た人影がサイトから走り去っていく姿を見た、と。

 

 ────えっと、たしか午後8時頃だったと、思います。カセットコンロのガスが切れて、代えを最寄りのコンビニに買い出しに行こうとして。駐車場に原付を取りに行ったら……誰かがサイトから走って出ていくのを見ました。膝くらいまで丈のある黒っぽいコート姿で、顔はフードを被っててわかりませんでした。それに暗かったし……

 

 新城から伝え聞いたリンちゃんの証言はこんなところか。想像で補った部分もあるが、まあそこは御愛嬌。

 返す返す肝の冷える話だった。通り魔とあの娘、それらが肉薄していたという事実が。

 犯行時刻、もとい実際に県警へ通報が入ったのは午後8時4分。証言とも合致する。

 

「施設の職員によると、被害者は二人連れ(アベック)で来ていたそうだ。通報者は本人じゃあなく女の方らしい。まず事務所に女が駆け込んできて、そこの固定電話を使って通報した」

『……携帯電話を使わずに、か?』

「使わずに、だ。妙だろ」

『女の行動も奇妙だが……被害者はその場で警察に連絡できないほど重傷だったのか?』

「それなんだが、この職員の姉さんってのがなかなかの出歯亀でな、救急搬送される男の様子を遠目から見てたらしい。これがどうも、()()を切られてたんだとよ」

『もの?』

「おうさ、男はみんな股の間にぶら下げてる、例のブツだよ」

『……なるほど。被害者本人が通報できない訳だ』

 

 男同士、したくもない連帯感など覚える。

 

『そうなると、犯人は被害者に恨みのある人間ということか』

「ああ、まず真っ先に怨恨の線を疑うだろうな。俺とてもそうさ。特に痴情の縺れってぇやつを。警察もその辺りに対する探り手に余念はなかったろう。にも拘らず、未だに犯人(ホシ)が挙がらねぇところを見ると、物証が何一つ見付かってねぇんだろうぜ。そうこうする内に二件目が起こっちまった」

 

 この間、十日余り。警察側の動きの鈍さは否めない。年末年始にかけての寒波の影響で出鼻を挫かれた……などという言い訳は聞きたくもないが。

 加えて、二件目以降の犯行はどう見ても通り魔的である。怨恨で的を絞っていただろう彼らからすれば、突き付けられたこの矛盾はなかなかに巨大だ。なまじ未発見のままだった凶器と同一のものが使用された事実も、矛盾に拍車を掛けてくる。

 

「捜査本部はさぞ混乱したろうなぁ。初動の判断を誤ったとあっちゃ、捜査方針を根っこから見直さなきゃならん。上から雷落とされ下からは突き上げを喰らい世間からは叩かれる。可哀想に」

『他人事だな』

「ま、所詮古巣だ。己が今更庇い立てても仕様があるめぇ。問題なのぁ、これだけ時間を掛けて捜査が手詰まりになっちまってる不甲斐なさよ」

『手掛かりは被害者の証言だけか』

「それと、リンちゃんのな」

『…………』

 

 新城は押し黙る。

 当然だ。可愛い孫娘がなにやら凶悪な事件と微かにだが関りを持ってしまっている。良い気分である筈がない。いや、最低最悪だろう。

 誰あろう己の胃の腑にも、そういう最低最悪が蟠っているのだから。

 なによりも。

 

「とっとと犯人ふん捕まえてやらねぇとな。あの子が折角見付けた趣味だ。キャンプ? ああ、如何にも真っ当な楽しみじゃあねぇか」

『……嬉しかったよ。リンが自分からキャンプを始めてくれたのは。あれこれわからないことを聞いてくれるのが、なんだか無性にな』

 

 望外の幸いを得たのだと、新城は言う。その深く感じ入る声音を聞く。

 

「へっ、爺冥利じゃあねぇかよ」

『羨ましいか?』

「馬ァ鹿。なに言ってやがる」

 

 如何にも自慢げな挑発に、鼻息で失笑を呉れてやる。

 

「羨ましいに決まってんだろうが」

『ふ……そうか』

「そうだよ。くくくっ」

『ふっ、ふふ』

 

 当たり前のこと。

 今更、言うまでもないこと。天涯孤独のこの老い耄れが、あの幼な子の健気を、羨望せぬ筈もなかろうに。

 ゆえに笑う。笑い話なのだ。こんなものは。

 

『……ところで、その職員もよくそこまで詳しく状況を教えてくれたな』

「本栖高校の生徒だと身分を明かしたら、ぺらぺらとくっ喋ってくれた。居合わせた本栖の子供らはある種の被害者だからな。頼みもしねぇのに、いや実に同情的で親身になってくれたぜ? へへへ」

『狡賢い奴だ』

「狡は余計だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 懸念はあった。なかなかに大きな懸念が。

 薙原哲也という少年の生活。そこへ不二崎甚三郎の霊魂だか精神だかが介在する場合、必ず生むであろう齟齬。

 別人が他人の人生を曲りなりにもその他人として、()()()生きようというのだ。なるほど無理が出る。馬脚が顕れる。確実に。

 

『……本当に行くのか』

「行かんでどうする。高等学校だってタダじゃねぇんだ。出席を疎かにして単位落っことしちまいました、なんてぇ始末。それこそ哲也が可哀想だろ」

『顔見知りに彼の豹変を知られたら不味いんじゃなかったのか。下手な真似を打って、いざ彼に身体を返した時、問題が残っていたらどうする』

「その問題ってぇのに頭悩ませられんのも、元に戻れりゃの話よ」

 

 授業の予定表通りの科目を鞄に詰め込み、制服に袖を通して襟を正す。

 糊の利いたブレザーの着心地が実に体に馴染まない。縒れた安物スーツのあの粗さを恋しがる日が来ようとは。

 

「いやなに、学生の本分は勉強也などと口幅ったいこと言いてぇ訳じゃねぇ。魂胆があってのことでな」

『魂胆?』

 

 耳と肩に挟んだ端末を手に取ってキャスター付きの椅子に腰を下ろす。疲労したスプリングが甲高く軋んだ。

 年季の入った勉強机には細かな傷が多い。卓上に肘を突いて、その表面の傷を視線でなぞった。

 

「ああ、野外活動サークルだったか? 現場に居合わせちまったというその子らから事件当夜の様子を聴き込みてぇのさ。なにせ現状、手掛かりが殊に少ねぇ」

『……それはまあ、そうだが。くれぐれも行動は慎めよ。お前は昔から無鉄砲だからな』

「あぁ? てめぇに言われたかねぇや。いの一番敵陣に鉄砲玉みたく突っ込んでくのはいつもてめぇだったろうが」

『いいや。相手の喧嘩を買うのはいつもお前が先だった。私はそれに付き合ってやっていたんだ』

「嘘こけ頓痴気。忘れてねぇぞ、ほれ、あの、隣町の族連中! 山岳部の後輩のぉ、佐山だ! 佐山がそいつらにカツアゲ喰らったのを見て、一も二もなくてめぇ副官の野郎の顔面に蹴り入れやがった。前歯ごっそり折れて、開けっ広げた航空機格納庫みてぇになっちまってたろう」

『大昔のことを持ち出すな! それにあれはあの男こそ無法だった。金だけじゃなく佐山が大事にしていたトレッキングシューズを奪って目の前で燃やした。あれは親父さんの形見だったんだぞ? 憤るのが普通だろう』

「かっかっ! 加減しろって言ってんだ。知ってるか? 野郎、前歯失くしてから渾名がハンガーになったんだぜ」

『ぷっ……そうだったか?』

「そうだよ。顔見かける度に笑っちまうから往生したぜ」

『あれ以来、連中こっちの校区には入って来なくなったからな。知らなかったよ』

「おめぇを恐がってたのさ」

『俺達を、だろう?』

 

 一吹き笑う。その言に否やはなかった。

 

「てっちゃーん。時間大丈夫ー?」

「おっと。もうこんな時間か」

 

 台所からの声に、壁の掛け時計を見上げた。哲也は身延から電車通学である。駅までの所要時間を思えばとっとと家を出なければならない。

 

「進展があればまた連絡する」

『わかった。こっちも色々と備えはしておこう』

「あいよ」

 

 画面を強か叩いてどうにか通話を終了させ、部屋を出る。

 玄関……ではなく、仏間へ。

 仏壇には位牌が二つ安置されている。

 線香をあげ、両手を合わせた。それは日毎の礼拝であり、欠かすことの出来ぬ謝罪でもあった。

 己がここに在ること、一人息子の肉体を乗っ取るが如きこの暴挙に対する詫び言。

 そして誓い。必ず取り戻すという決意表明。約束。

 

「御子息を、お預かり致す」

 

 ────薙原哲也の両親は五年前に他界していた。交通事故だったそうだ。

 

「てっちゃん。もう随分遅いよ。急ぎぃ」

「はいはい、ただ今」

 

 襖からひょっこり顔を出した哲也の祖母が柔らかく言う。

 両親亡き後、哲也は祖父母の手によって育てられた。そうして今や、高校に進学も叶っている。立派なことだった。心底より、そう思う。

 

「いってらっしゃい」

「いってきます」

 

 不思議というか、明らかに変調しているだろうこちらに対して、哲也の祖母は疑う様子を見せなかった。大らかな性質なのか、もしや呆としてしまっているのか。

 ……あるいは、覚ってなお。

 それはしかし、考えるだけ無駄であろう。現状、即時元通りとなる術などないのだ。今はただ素知らぬふりをして一刻も早くこの体を哲也に返す方法を探すまで。

 見送りに玄関に立つ老女へ手を振り返す。罪悪感よりも、それは使命感を刺激した。激して、燃やした。

 

 

 

 

 

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