管理棟の清掃を終え、小綺麗になった木製ベンチに各々が座り、テーブルクロスを敷いて昼餉を広げる。
黒漆に四割菱紋の金箔をあしらった三段重が、異様な迫力で卓上に鎮座している。
並べたお重の中は、それこそ仕出し弁当のように彩り豊かで、炊かれた人参に飾り包丁を施す細やかさ。課と思えば献立が随所に家庭料理のそれであることからも、全て手作りなのが窺える。
「こいつは豪勢ですなぁ」
「ふふ、お味噌汁もあるので、よかったら」
鳥羽教諭は紙の椀と魔法瓶を差し出して来る。遠慮するのもおかしな話、湯気を立ち昇らせ椀を包む手がじわりと温まる。合わせ出汁の良い香りがした。
「卵焼きは甘い方がお好きでしたね」
「ええ。こればっかりはどうもガキの時分から食べ慣れた味が恋しくなる」
「鰤の照り焼き、我ながら今回は綺麗に煮詰めたと思うんですけど……」
「どら、頂きます……うむ、こいつは、いやこいつぁ旨ぇや! 酒と醤油の塩梅がいい。身もふっくらしてて……いっくらでもいけるぜこりゃ」
「よかった! 哲也くんの好物ですから、作る時もつい肩に力が入っちゃって」
「ははぁ、そりゃますます心して味わわねぇとな」
「もぉ、やめてください! 恥ずかしいじゃないですかぁ!」
己の肩を叩きながら、教諭は頬を赤らめた。
「いやー、今日の先生はなんつーかいろんな意味で“獲り”に来てるよな」
「すごい、おかずの品目、全部哲也くんの好物だ」
「あーだから微妙に渋いチョイスが多いんだね」
「でも全部すっごく美味しいよぉ~。このふろふき大根なんか仄かにいい香りで、んむむ、田楽味噌がより甘じょっぱくなってうんまぁ……」
「盤外戦術で来たか……くぅ、今日は打ち合わせがメインや思て油断しとったぁ……!」
「イヌ子ー、あんま強く握ると割り箸折れるぞー」
実に和やかな昼食だった。
麗らかな冬晴れ、午後には程よい日差しが肌身を暖めてくれよう。
「鶏のつみれです。はい、哲也くん、あーん」
「んん? ははっ、いやぁそりゃちょいと気恥ずかしいなぁ」
「まあまあ気にしないで。さ、ぱくっとやっちゃってください。ほら、ぱくって」
「まあまあやないわ! ええ大人がとんちきな張り合い方せんとってください!」
「張り合ってなんかいないですぅー。ただのスキンシップですぅー」
「ですぅー、て……三十路女のかわい子ぶりっ子とか勘弁してください痛ましい」
「────犬山さん、貴女言ってはならないことを言いましたね。覚悟してください。いえ、覚悟する暇も与えません」
「上等!」
「やーめーろ! イヌ子も先生もステイ! ハウス! 組み合うな! 躊躇なく肉弾戦に走るな!」
「ちょちょちょ、二人とも! 落ち着いて! あおいは眼鏡取らないで! 先生はおっぱい掴まないで!」
「作業着でよかったね~。動きやすいし技も掛けやすいよ!」
「恵那も煽ってんじゃねぇよ!?」
「ほれ、なでしこちゃん、あーん」
「あーむ……ん~! つみれジューシーでうんまぁ~い」
「現実逃避してんじゃねぇよ!? 薙原も止ーめーろー!」
大騒ぎしていたわりに作業の進捗は悪くなかった。
各サイトの草刈り、管理棟・倉庫の整理、水回りの清掃、廃棄物の分別と収集。下準備の五割は終わったと言える。細かな修繕や塗装は徐々にやるとして、今後はやはり整地やインフラの開通が急務だろう。
「キャンプ場としての改装はそこからか」
「あ、そうそう資材のことなんだけどさ、新しいの全部を買い揃えるとなると予算的にかなり厳しい。そこで、近隣の農家さんや住民の方々に事情を話して、廃品や廃材を譲ってもらえないか交渉しようと思う」
「おぉ、なるほどな。大の字の人徳が活きてくるわけだ」
「へへへ~、まあなー」
千晶はそうして照れ臭そうに鼻を掻く。
崖際から娘らと並んで広大な敷地を見下ろした。ドッグラン、キッズエリア、サイトを繋ぐ階段、東屋等々、おおよその目測を立てる。資材は多いに越したことはないだろう。
「己の方でも幾つか伝手を当たるか……工務店に勤めてる知り合いが何人かいる。修繕用の木っ端な木材くれぇならすぐに調達できるだろう」
「マジか! グレートだぜ薙原! 資材とか部品とかの費用が浮くなら、他の場所に予算当ててクオリティ上げられるんじゃないか? 水回り、トイレとか、あとぉ、調理スペースなんかも!」
「いいねいいね! 水道とか、家族連れにはちょっと狭いかもって思ってたんだ」
スケッチブック片手に、なでしこちゃんが内装の案を描き出した。以前、金丸山のキャンプ場にソロで赴いた炊事場の竈だとか、ベンチや作業台があればなお良いとか。
「わぁ、なんかすっごい順調みたい」
「まさか一日でここまで進むとは……」
「みたいじゃないって! 想像の十倍は早く進んでるぞ! いやぁやっぱ薙原を巻き込んで正解だったな! この分じゃ春までにはキャンプ場として形にできるかも……うくくく!」
「あ! じゃあじゃあ、次からは早速ドッグランとかキッズエリアとか作り始められそうだね! デザイン案、いろいろ考えたよ~」
なでしこちゃんがページを捲ると、誰よりも先に食い付いたのはあおいちゃんだった。
「あはっ、私的にはメインディッシュや! ん~、遊具とか入れられたらもっとええねんけど」
「……犬山さん、廃棄予定の遊具なら、もしかしたら」
「えっ? ……あ! そうですね! もしかしたら」
「私の方も学校関係者に話を聞いてみます。キッズエリア、充実させたいですしね」
「はい!」
あおいちゃんと鳥羽教諭が面突き合わせ、なにやら熱心に計画を練っているではないか。
「教職を奉じておられる者同士、通ずるところも多かろうな」
「普段はああして先生談義弾ませてめっちゃ仲良さそうなんだよ。薙原が絡まなければ」
「哲也くんのこととなるとね~」
「……剥き出しになるよね。いろいろと」
「げにおそろしきは女の子の情熱、だねぃ。哲也くん」
「情念と言いたいのかな、なでしこちゃん」
まあ意味は然して変わらないが。昔から朗らかな面をして存外に鋭いことを言うてくる娘だ。
だがそれを強いているのは、誰でもないこの身である。
分不相応なものを差しだされておきながら、それでもなお。応えることも、拒むことすら瞭然とせず。
「……さて、日が暮れちまう前に引き揚げるとしよう」
「そうだなー。作業の道具は管理棟に放り込んどくとして」
「あ、私ゴミ集めるね」
「私も手伝う」
そうして皆ゆるゆると動き出す。
始まったばかりの、娘子らの一大計画。できれば成功させてやりたい。己にできることなら何でもしてやりたい。
ふと足下に目をやる。知らず踏んでいた切り落とされた小枝を拾い上げる。
娘らの邪魔になるなら、とっとと消えてしまえばよいものを。この小枝と同じく、切り捨ててしまえばよかったのだ。
縁も、絆も、愛も。
本来得る筈だった者を差し置いて、俺は何をしているのか。
「小父さん」
「ん」
袋片手にリンちゃんが近寄る。刈り取った草や木を集め、まとめているのだろう。
「終わったら一緒に帰ろ。久しぶりに家に寄ってってよ。お母さん達が哲也くんを連れて来いってうるさくてさ」
「……」
「? 小父さん?」
「……ああ、ありがとよ」
「う、うん……?」
隠遁し、何もかもから逃げ去れば、それはおそらく最も安楽だ。誰も傷付けず、何の軋轢も生まず。
不思議そうに首を傾げて、リンちゃんはふわりと笑う。
────置いて行かれる者には辛い
もう遅い。手遅れだ。
道は既に誤った。だからとて歩みを止める訳にはいかない。
せめて、道半ば倒れることのないように、この身体が生きて前へ進めるように。
俺にできることなど。
俺に、できることなど。