どこにでもいる少年の、ここにしかない恋。

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透き通るように、青く。

 

 今の生活に不満はない。けど、いつ終わってもいいと思ってる。死にたい理由は特にないから自殺なんてしないけど、生きたい理由だって特にない。それが僕、望月楓太(もちづきふうた)という人間。高校への登校中、そんなことを考える。電車登校なので、余計なことを考える時間はある。

 電車を降り、そこからは歩いて高校に向かう。だらだらと歩いていると、学校で仲良くしている友達と合流した。そこから数人で学校に向かう。自分で言うのもどうかと思うが、僕は友達が少ない方じゃない。むしろ多いと思う。でも、『親友』と自信を持って言える人は居ない。

 友達と他愛のない話をしながら登校すると、すぐに学校に着いた。ここから、僕の『日常』が始まる。

 学校は、社会の縮図だ。目には見えないが、はっきりとした『階級』がある。誰が決めた訳ではないが、誰もが認める不文律がある。そういう意味では、僕は別に低い『階級』にいる訳じゃない。けど決してトップではない。社会の歯車、まるで透明人間。

 

──そう。僕は透明人間。比喩でも何でもない。物理的に、透明人間。

 いや、ちょっと盛ったかな。透明人間っていっても、ずっと透明なわけじゃないし、この力はここ最近使っていない。特に高校に入学してからは。子どもの頃は暴発する時もあったし、何より面白がって使うことが多かったけれど、今じゃそんなこともほとんどない。だからつまり、今の僕はただの平凡な男子高校生。ほら、こうやって友達とも普通に喋れてるし──

 

「────た?──楓太?おーい、聞いてるか、楓太?」

 

 ぶんぶんと誰かの手のひらが目の前を動く。ここは教室、僕が座ってるのは自分の席。ホームルームが終わって一限目が始まる前の10分程度の空いた時間、前の席の男子が僕に話しかけてきたんだ。全く聞いてなかった。

 

「ん…。うん。聞いてるよ。」

 

 微かな笑いを浮かべて心にもないことを言う。

 

「嘘つけ。ボーッとしてたろ、完全に。体調悪いなら保健室連れてくか?」

 

 バレてた、ボーッとしてたの。

 

「いや…大丈夫。ちょっと考え事してただけ。それより、何の話だっけ?」

 

 僕がバツの悪い苦笑いで言葉を返す。

 

「そうか?大丈夫ならいいんだけどな。…ほら、詩織ちゃんの話だよ。」

 

 前の男子が椅子をの重心を後ろに傾け、僕に顔を近づける。そのまま首を曲げて、教室の隅を見つめた。視線につられて教室の隅を見ると、ある女子学生が1人、机でしゃんと背を伸ばして授業の始まりを待っていた。

 

「あぁ…詩織ね。」

 

 柏木 詩織。黒髪長髪、色白で切れ長の目の美少女。だが、人と喋ることは滅多になく、何を考えているのかも分からない。容姿の良さと相まって、人が近づきにくい要因となっている。そして、

 

「なー頼む!詩織ちゃん、紹介してくれよ!お前、幼馴染なんだろ?!」

 

 そして、僕の幼馴染でもある。小学校の頃は互いの家に遊びに行き合う仲だったが、中学の後半から疎遠になってしまって、今はもう全く話さない。そもそも詩織が人と話さないというのもあるが。そういう事情もあって、

 

「いや、無理だよ…。」

 

 こんな返事をするしかなかった。相手はスクールカースト上位の存在だが、無理なものは無理なんだ。断るしかない。

 

「そこを何とか!頼むよ!」

 

 その男子は食い下がる。

 

「いや、無理なものは…」

 

 僕が再度お断りしようとした時、教室の扉がガラガラと開き、教師が入ってきた。

 

「きりーつ、れい。」

 

 委員長の号令がかかり、皆がだらだらと立ち上がる。おねがいしまーす、とただの記号となってしまった言葉を皆が声を合わせて言い、頭を下げる。下げない者もいるが、僕は下げる。真面目なわけじゃない。ただ皆がやっているから。

 周りに合わせる生活は良い。何も考えなくて済むし、楽だし。何より失敗がない。なんせ、この世は大抵多数派が正解で、少数派が間違いってみなされることになってるから。

 でも、今回ばかりは少しだけ、考えた。僕の前の席の住人、村上一樹はクラスの中でも目立つ存在。顔も良い。サッカー部に所属していて、運動もできる。詩織の隣が似合う男がいるとすれば、村上のような人間なのだろうか。僕でないことは間違いない。住んでる世界が違うのだから。僕には関係のない話…。

 慣れないことを考えたせいで、その日は授業が手につかなかった。

 

 

 

 

 

 その日の帰り。駅で詩織とばったり会った。乗る電車は同じだし、会うこと自体は自然なことだ。むしろ今まで会わなかったのが不思議なくらい。

 お互いぎこちない挨拶を交わす。そのまま、流れで一緒に同じ電車へ。

 

「今日は…この電車なんだね。」

 

我ながらぎこちない。面接かって。

 

「…うん。…お買い物、してたから。」

 

 詩織の凛とした小さな声が耳に心地よく響く。あぁ、買い物ね。確かによく見たら、手に紙袋を携えている。贈り物だろうか。家族に?友達に?それとも……

 そこまで考えて、思考を急停止した。なんだかとても惨めな気がしたから。詩織ほどの美人なら、別に校外にそういう人がいても不思議じゃない。自分を憐れむな。むしろ誇れよ、こんな美人な幼馴染を持ったこと。

 痛いほど居心地の悪い沈黙が僕らの間を漂う。消えてなくなりたい。…いや別に、実際にはやんないけど。うん。比喩だよ、比喩。

 そこで思い至る。詩織を村上に紹介するとしたら、詩織の許可がいる。今、その絶好の機会なのではないか。というか、今を逃したらもう無理な気がする。男が居る詩織なら、この頼みを断ってくれるかもしれない。そんな淡い期待もあった。

 

「あの…詩織。その…なんていうか、詩織を紹介してほしいって男子が居てさ。村上って言うんだけど。嫌なら全然良いんだけど…もしもOKなら、その…そいつと、会って話してくんないかなー、なんて…」

 

嫌って言ってくれ。嫌って言ってくれ。嫌って言ってくれ。嫌って言ってくれ。…そうやって必死に祈る自分が惨めだった。だが、人生そう上手くはいかない。

 

「…ふーくんが、そう言うなら…いいよ…。」

 

「…!」

 

 なんだよ、それ。ずるいよ。これじゃまるで、僕が道化師じゃないか。久しく呼ばれなかったその呼び名が、胸に深く突き刺さった。

 そうして、最寄り駅に着いた。2人で降りて、少し歩いて別れる。別れの挨拶も、やはりぎこちなかった。

 

「ただいまー…。」

 

 家に到着し、ただいまと言うものの返事はない。親は共働きで、この時間は家に居ない。

 力なく階段を上り、自分の部屋にたどり着く。制服のまま、ベッドに倒れ込んだ。今は、何もかも忘れて泥のように眠りたい気分だ。起きたら何もかもが夢だったら。そんなことを期待して瞳を閉じる。目を閉じる瞬間、壁に貼ったカレンダーが目に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ…来週、誕生日か…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。非情にも、日常はやってくる。

 昨日のように登校し、いつものように席に着く。すると、また昨日のように彼が話しかけてきた。

 

「楓太。詩織ちゃん、どうだった?」

 

 鬱陶しいな。昨日たまたま駅で会ったから良かったけど、そうじゃなきゃまだ許可すら取っていないよ。だが、そんなことは態度には出せない。

 

「ん。おっけーだってさ。」

 

「マジで?!よっしゃー!じゃ、今日の放課後ファミレス集合な!バックれんなよ!」

 

 村上が子供のようにはしゃぐ。こういうところがモテる秘訣なのだろうか。でも、僕にはもう関係のない話だ。関係のない話なのに、今日も授業が手につかなかった。

 そして、放課後。僕と詩織は掃除の当番が割り当たっていたので、遅れて一緒にファミレスに向かった。

 

「2名様でよろしいですか?」

 

「あぁいや…えーっと。」

 

僕らが店員の接客を受けながら店内を見渡す。すると、僕らの入店にやっと気づいた村上がテーブル席から中腰になってこちらに手を振った。

 

「おーい、こっちこっち。」

 

「あ、あっちだそうです。」

 

 店員に微笑んでから、僕らは村上の座る席へ向かい、座った。

 座る構図は、僕の隣が詩織、その向かいが村上。

 

「えーっとじゃあ…。こっちが村上一樹で、まぁ知ってると思うけど、こっちが柏木詩織です。」

 

それを聞いて、村上がぽかんとした顔をする。

 

「いや、いやいや。さすがに知ってるから。一応、クラスメイトだし。」

 

「あぁ…まぁ。それもそうか。」

 

「いや、それもそうか。じゃねーし。ったく…気ィ利かねーな。お前は詩織ちゃん連れて来るだけで良いの。後は俺らでやっとくから。ほら分かったら、邪魔者は退散退散。」

 

「そっ…か。そうだよな。じゃあ、また…」

 

 またね?何だよ、またねって。もう関係ないんだろ。僕なんかが詩織と″また″どうするっていうんだよ。分かってただろ。詩織を紹介するって、どういうことか。村上と詩織がくっ付くってことだ。詩織が離れていくことだ。…いやいや。そもそも僕と詩織は近くないだろ。何だよ、離れるって。

 やりきれ。透明人間を。割り切れ。自分の役割だと。そう自分に言い聞かせた。それに慣れっこになっていた自分が情けなかった。

 腰を上げた時、2つのお冷やを持った店員さんがやってきた。テーブルには村上の分のお冷があるから、今持ってきたのは詩織と、僕の分だろう。

 

「すみません…お冷や2つで大丈夫です。僕、帰るんで。」

 

 そう店員に伝えてから、店を後にした。外に出てから、ガラス張りの窓から村上と詩織が座る席が見えることに気がついた。彼らと僕を隔てる壁は、ガラスだけではないような気がした。

 

 

 

 

 

 

 あれから6日が経った。以前と変わったのは、詩織が休み時間に一人でいるところを見かけなくなったこと。というのも、あの日から村上がひっきりなしに詩織に話しかけているからだ。

 なんだか詩織がとても遠くへ言ってしまった気がした。別に元から近くに居たわけでもないのに。

 詩織と村上の話す声が耳障りだった。試しに友達と話して気を紛らわしてみても、ダメだった。詩織と村上が話しているという事実があるだけで、耳障りだった。

 …あれ。詩織と僕の距離が離れていく。こんな事、前もあった気がする。…いつだったっけ。高校に入った後…じゃない。それなら覚えてる。じゃあ小学校?…違う。僕と詩織は中学校の前半まで仲が良かったんだ。それこそ、今の村上と詩織みたいに。それなら…

 思い出した。中学校だ。中学校の2年生だ。

 駄目だ、と僕の心の声が言う。思い出すな、と僕の記憶が言う。でも、その声は今の僕には聞こえない。もう、どうでも良くなっていた。

 僕と詩織が中学で疎遠になって、高校で話さなくなった?…違う。そんなのは、虚構だった。透明なはずの僕の、真っ赤な嘘だった。

 

「あー…そうだった。」

 

 その事実を思い出した僕は、自嘲的に笑った。

 

 

 僕は詩織と、意図的に距離を置いたのだ。

 

 

 中学2年生の時、彼女はイジメられていた。イジメのグループの主犯格の女子の好いていた男子が、詩織のことが好きだと発覚した。理由は、大体こんなものだったと思う。 

 そう。たったこれだけ。はたから見たら、ただの八つ当たりにも見える。だが、理由としてはこれだけで十分だった。その女子は、容姿が整っていた詩織のことを元々気に入っていないようだったから。溜まりに溜まった鬱憤が、理由が出来たことで爆発した、とでも言おうか。

 机に悪口を書かれていたり、上履きにゴミが詰め込まれていたり、ジャージが捨てられていたり。クラス総出での無視は、当たり前だった。そういう、ありふれた典型的なイジメだ。

 積極的にイジメを行なっていたのは、主犯格の女子含むグループ数人だった。後は、ダメだと分かっていてもその行為に目を背け続けた有象無象たち。僕も、その有象無象の1人だった。必死で目を閉じ、耳を塞いでいた。詩織の傷つく姿が見えないように。助けを求める声が聞こえないように。

 僕は結局、透明人間だった。傷ついた彼女を救うことが出来なかった。そんな僕に、彼女と共にいる資格があるはずが無いのだ。対して、村上はどうだろうか。村上があの場にいたのなら。彼女は救われてはいなかっただろうか。

 そこまで考えた。その先は無理だった。

 

「あれ…」

 

視界がぐらつく。やばい。最近寝不足だったから、弱ってんのかな。意識が遠のく。平衡感覚を失って、体が床にぶつかるのが分かる。薄れゆく意識の中、クラスメイト達の夥しい好奇と心配の目に気づいた。くそ。

 

 ……僕もそっち側の人間のはずなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、まず見慣れない天井が視界に入った。それから、ツンと鼻の奥を刺す消毒液の匂い。静かに部屋を照らす夕陽。そして。

 

「…起きた。」

 

聴き慣れた、声。

 

「…詩織。」

 

「…心配、した。急に、倒れたから。」

 

 そうか。僕は教室で倒れたんだ。そこまでは覚えてる。その後、誰かがこの保健室まで運んでくれたんだ。保健室。

 

「心配ないよ。ちょっと寝不足だっただけ。」

 

 心配をかけないように、少し微笑んでそう言った。何でここにいるんだ、と少し戸惑った。村上と楽しく話してればいいじゃないか。僕なんて心配するだけ時間の無駄だ。

 一人にしてくれ、とは言えなかった。気を抜くと、一人にしないで、と言ってしまいそうだったから。そんな僕の気も知らずに、詩織はホッとしたような笑顔を見せた。

 

「…そう。よかった。」

 

 くそ。憎たらしいほどかわいい。

 

「…ね。」

 

「ん。」

 

「…私、告白されたの。」

 

鋭く息を吸う。静寂。時計が時を刻む音だけが響く。さざなみが立つ心をやっとの思いで落ち着かせ、一言。

 

「…村上?」

 

 そう聞いたのを、後悔した。

 

「…。」

 

 やめろ。やめてくれ。頼む。その沈黙は、肯定なんだよ。

 

「…まだ、返事してない。」

 

 何だよ。それを僕に言ってどうするんだよ。でも、そんな事は態度には出せない。むしろ、全く逆。とにかく明るい態度で振る舞った。

 

「良かったじゃん!」

 

「…え。」

 

 詩織が何故か驚いたような表情を見せる。

 頑張れ、僕の表情筋。頼むから、引きつらないでくれ。今は、泣いちゃいけないんだ。笑え。出来るだけ自然に。

 

「お似合いだよ、二人とも!いや、まさか紹介した時はこんな事になるとは思ってなかったけどね。」

 

 そう。本当にお似合いだよ。こればかりは僕の心からの嘘偽りない気持ちだ。

 

「…そう。分かった。…お大事に、ね。」

 

 そう言って、詩織は保健室を出て行った。この部屋に、僕一人。

 視界がどうしようもなく歪んで、水滴が頬を伝った。それが涙と分かったとき、その後はもう止まらなかった。久々に透明になった。誰にも見られたくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。学校に行くと、クラスメイトが心配の声をかけてくれた。普段からよく話す友達は心から心配してくれたし、ただ礼儀的に声をかけてくれる人もいた。何も言わない人もいた。それは、先生方も同様だった。

 その中でも倫理の三池先生は、心から心配してくれる先生だった。別に普段から親しくしているわけではないが、恐らくこの人は誰に対してもこういう態度なのだろう。

 

「教科書83ページを開いてください。今日はニーチェの『ニヒリズム』の話です。」

 

そう言うと、三池先生はカツカツと黒板に『ニヒリズム』と板書した。

 

「ニヒリズム。知っている人は?」

 

誰も手は上げない。発言もしない。

 

「居ませんね。結構です。それを教えに来たのですから。

ニーチェは『神は死んだ』という言葉で有名ですが、ニヒリズムという言葉まで知っている人は少ないかもしれません。」

 

「ニヒリズムとは、一般的に『虚無主義』と訳されます。近代以降に広まった思想で、神の絶対性が失われ、今まで神のために生きてきた人々が生きる意味や目標を失ったために生まれました。」

 

なんかまた難しいこと言ってる。そんな顔で生徒が三池先生を見る。既に机に突っ伏している人もいる。

 

「つまり、『自分が何の為に生きているのか分からない』これがニヒリズムです。皆さんの中にもいるのではないでしょうか?これに対してニーチェは────」

 

 やばい。なんか眠たくなってきた。だんだん先生の声が遠のいていく。『虚無主義』という言葉が、なぜだか印象的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────であるからして、ニーチェが唱えたニヒリズムとは、ただのニヒリズムではないのです。ニーチェと、ニヒリズム。テストに出しますので、それぞれしっかり復習しておくこと。それでは授業を終わります。」

 

 僕が目を覚ましたのは、授業の中でも本当に最後だった。

ガタガタと椅子を引く音が響き渡る。生徒が礼をして、先生が教室を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………

 

 

「おう、病み上がりなのに悪いな。」

 

 放課後の職員室。僕は学級日誌を持って、担任の前に立っていた。

 

「いえ。仕事なので。」

 

 日直である僕は、担任が確認した日誌をそのまま教室に届ける役目がある。今、その真っ最中だった。

 職員室を出て、教室に向かう。廊下は閑散としている。それと対照的な運動部の声が、校庭から聞こえてくる。この中に村上の声は無い。サッカー部は確か今日が定休日だったはずだから。

 

「そういえば、詩織ちゃんとはどうなったん?」

 

 予想もしていなかった名前が、目的地である教室から聞こえてきた。村上の取り巻きの声だ。

 詩織、と言う名前に自分の体がピクリと反応したのがわかった。体が音もなく透けていく。盗み聞きするつもりか、と自分の中の天使と悪魔が葛藤したが、終始悪魔が圧倒していた。

 

「あー、詩織ね。」

 

村上の声だ。どうやら、教室では村上とその他4人の取り巻きとで話しているようだ。

 

「付き合えたよ。あんな顔だけの陰キャ。」

 

(…!)

 

 目を見開く。体が熱くなるのが分かる。声が出そうになるのを必死に抑える。手に鋭い痛みが走ったので見てみると、拳を強く握りすぎて血が出ていた。あいつ。詩織をそんな風に思ってたのか。

 

「スゲェな。今回は何日だっけ?」

 

取り巻きの1人が感嘆の声を上げる。

 

「女なんてどいつもこいつも簡単だよ。6…いや、7日だったか?」

 

ヒュウ、と誰かが口笛を吹いた。

 

「さすが。もしかして新記録?」

 

「馬鹿、こいつの記録は確か30分だったろ。」

 

「いいなー、1人くらいよこせよ。」

 

「いいぜ、飽きたらな。」

 

 ぎゃははは、と下卑た笑いが教室に響く。吐き気が止まらない。今の僕には、彼らが人に見えなかった。

 どさり、と隣で何かが落ちる音がした。

 

(…!)

 

 詩織だった。手に持っていたであろう紙袋が床に落ち、呆然と立ち尽くしている。その姿は、震えていた。何故か、目が合った気がした。

 

(嘘だろ、おい。何でここに…聞いてたのか?全部?)

 

落とした紙袋をそのままに、詩織は踵を返して逃げ出してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞いた。聞いてしまった。全部。ずっと、騙されていたんだ。私は走り出した。どこに?そんなのは自分でも分からなかった。足が勝手に動いた。とにかく、この場から離れたかった。

 廊下で教師とすれ違った。何か言っていたが、その声は届かなかった。たぶん、廊下を走るな、とかそんな事を言っていたのだと思う。

 階段を駆け上がった。胸がこんなにも締め付けられるのは、息が切れたせいだ。そう自分に言い聞かせた。

 着いたのは屋上だった。扉を開け、外に出る。木々を枯らす冬の冷たい空気が、容赦なく肌を突き刺した。

 壁にどっともたれかかる。そのままずるずると腰を下ろして、膝を抱えて三角座りのような体勢になる。

 瞬きを、一回、二回。耐えられたのは、そこまでだった。頭を膝に埋める。ぽたぽたと、涙が地べたに染みを作る。

 別に、あの人が好きだったわけじゃない。でも嫌いじゃなかった。単純に、嬉しかった。久々に愛されたと思ったから。嫌われることには慣れているはずなのに。まだ、慣れきっていなかった。

 不意に、トン、と何かが私の隣に置かれた音がした。

 

「…アップルジュース…?」

 

紙パックのアップルジュースが、私を慰めるようにそこに座っていた。顔を上げる。水に溺れたような景色の中に、見慣れた後ろ姿が見えた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 詩織が逃げ出した後、僕は自動販売機でアップルジュースを買った。詩織が昔好きだったのを覚えていたから。それを直接渡せない自分が不甲斐なかった。透明化して、そっと詩織の隣へ置いた。だが、こんなのは気休めだ。

 

「さて…と。」

 

 まだやるべきことがある。もう二度と、あの頃のような過ちは犯さない。詩織を泣き止ませるんだ。そう誓って、あの教室に入って行った。

 

「なぁ。」

 

「あぁ…?誰…って、楓太じゃねぇか。どうした?」

 

「…騙してたのか?」

 

 脈絡の無い僕の言葉に、その場にいる全員がぽかんとする。

だが次第に、村上が全てを理解したとばかりに発言する。

 

「おいおいおいおい。もしかして、聞いちまってたかぁ?盗み聞きたぁ趣味が悪ィな。えぇ?楓太よォ。」

 

「五月蝿い。お前は詩織を泣かせたんだ。…何でこんな事をした。」

 

「何で?何でだとォ?くっ…くっく…うははははは!」

 

 唐突に、村上が耐えられないというように笑い出した。それに同調して、取り巻きたちも下品に笑う。

 

「こいつぁ傑作だなぁ!何で?だってよォ!」

 

「…何がおかしい。」

 

「おかしいだろうがよォ!いいぜ、教えてやる。月並みな言葉になるがな、こういうのは…『騙された方が悪い』んだろォが!」

 

「テメェ…!」

 

「おかしいのはテメェもだぜ、楓太ァ!テメェは詩織の何なんだ?!せいぜいが幼なじみだろォが!その程度の薄っすい関係で、彼氏様に楯突いてんじゃねェよ!あぁ?!」

 

「…っ!」

 

 何も言い返せない。その通りだ、と少しでも思ってしまったから。

 

「じゃあなァ、『幼なじみ』クン。また明日、学校でな。」

 

 ぎゃはは、と下卑た笑いを残して、彼らは去って行った。

 ──何も言い返せなかった。あの頃と変わっていない。何も。…いや、違う。今の方がもっと酷い。あの頃は何もしなかったが、今回は僕が村上を紹介なんてしなければこんなことにはなっていなかったはずだ。詩織を守るどころか、傷つけてしまった。

 ────何で僕なんかが生きてるんだ。

 

「あ…れ…?」

 

 手が透けていく。指先から、じわじわと広がっていく。

 

「何で…」

 

 僕の意思じゃない。勝手に、消えていく。

 

「たっ…助けて!誰か…」

 

 僕の声は届かない。教室から出なければ。誰でもいい。誰かに、助けを求めなければ。教室の戸に手をかける。が。

 僕の手は、戸を素通りするだけだった。触れられない。

 

「何で…!」

 

 こんなことは、初めてだった。今までは、姿が消えるだけだったのに。

 仕方なく、扉を『通り抜け』た。自分が不気味でしょうがなかった。

 そこに、ちょうど担任が通った。

 

「良かった…!先生!助けて下さい!かっ、体が…消えて…!」

 

 しかし、立ち止まらない。見えない、触れられないだけじゃない。声も届かないんだ。じゃあ、一生このままなのか。誰にも存在を感知されないままなのか。

 そう考えた僕の足は、勝手に屋上に向かっていた。気づいたんだ。死ぬ理由がないってのは、死ぬ理由ができたらあっさりと死ねるってことだ。

 扉を通り抜け、外へと出る。もう冬か。風が冷たかった。足を引きずって、フェンスへと向かう。今の僕なら、フェンスを乗り越えなくともすぐに飛び降りることができる。

 あと五歩。四歩。…三歩。二歩。────一歩。そこで止まる。

 誰かが、後ろから僕の体を抱き留めていた。

 

「なんっ……で。」

 

 それは詩織だった。なんで止めるんだ。いや、その前に。

──なんで、僕に触れられるんだ。

 

「…ごめん…ごめんね、ふーくん。実は、今まで…ずっと、ずっと…見えてたの。」

 

「…そんな。」

 

「卒業式が終わった後…みんなに涙を見せないように隠れてたのも。私がいじめられてた時…落書きされた机を必死に綺麗にしようとしたり…ゴミ箱に捨てられた上履きを探して元に戻したりしてたのも。…さっきだって。」

 

「ずっと…ずっと見てた。これからも見てる。だから…だから…っ。…ふーくんが死んじゃったら、悲しいよ…。」

 

 抱きしめる力が強くなる。…馬鹿野郎が。たかが幼なじみ、なんかじゃない。こんなにも大切な人じゃないか。大切な人を泣きやませるって、さっき誓ったじゃないか。

 詩織の腕を振り解いて、詩織の肩を掴む。詩織の顔は、涙でくしゃくしゃになっていた。それは、僕も同じだった。

 

「…大好きだ。」

 

「…私も。」

 

 詩織は、くしゃくしゃになった涙の中、笑顔で答えた。

 

 

 

 それから僕は、透明になることは無くなった。そんなものは必要なくなったから。だってほら、こんなにも綺麗な色がついてる。

 

 

 

 

 

 




最後まで読んでいただき、ありがとうございます。気が向きましたら、感想もよろしくお願いします。書くエネルギーになりますので。

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