クラスメイト達が無事に階段前まで撤退し、隊列を組んで詠唱の準備に入った頃。それをチラリと後ろを見て確認したハジメはタイミングを見計らっていた。
たった一人でベヒモスを抑え続けていたハジメの魔力はじきに尽きる。回復薬は既にないから、足止めできるのはあと少しだけだ。
ベヒモスは相変わらずもがいているが、この分なら錬成を止めても数秒は時間を稼げるだろう。その間に少しでも距離を取らなければならない。…そう考えるハジメの額には汗が浮かび、心臓は極度の緊張でバクバクと音を立てているのがわかるほどだった。
そして、数十度目の亀裂が走ると同時に最後の錬成でベヒモスを拘束。すぐさま踵を返して一気に駆け出す。
ハジメが猛然と逃げ出した5秒後、地面が破裂するかのように粉砕されベヒモスが咆哮と共に起き上がる。その眼に憤怒の色が宿っといると感じるのはハジメの勘違いではないだろう。なにせ、長時間半身を地面に埋められ拘束され続けたのだから。
鋭い眼光が、己に無様を晒させた怨敵を探すようにギラつき、ハジメを捉えた。
再度怒りの咆哮を上げたベヒモスはハジメの背を追おうと四肢に力を溜める。だが次の瞬間、あらゆる属性の攻撃魔法がその巨躯に殺到した。
夜空を流れる流星の如く、色とりどりの魔法がベヒモスを打ち据える。ダメージはさほど無いようだが、しっかりと足止めにはなっていた。
いける!と確信したハジメは、転ばないよう注意しながら頭を下げ全力で走った。すぐ頭上を致死性の魔法が次々と通っていく感覚には、正直生きた心地がしないが、チート集団がミスするはずはないと信じて駆ける。ベヒモスとの距離は既に三十メートルは広がっていた。
それに思わず頬が緩んだ直後。一転、表情が凍りついた。
無数に飛び交う魔法の中で、一つの火球がクイッと、自分に向けて軌道を僅かに曲げたのを見たからだ。
それは明らかにハジメを狙い誘導されたもの。
(なんで!?)
疑問や困惑、驚愕が一瞬でハジメの脳内を駆け巡り、愕然とする。
咄嗟に踏ん張り、止まろうと地を滑るハジメの眼前にその火球は突き刺さった。着弾の衝撃波をモロに浴びたその身体は呆気なく来た道を引き返すように吹き飛ぶ。
なんとか直撃は避け、内臓などへのダメージもないが三半規管をやられ平衡感覚が狂ってしまったハジメは、それでも前に進もうとふらふらするのを堪えて立ち上がった。
だがしかし、ベヒモスもいつまでも一方的にやられっぱなしではなかった。ハジメの背後で咆哮が鳴り響く。思わず振り返れば、三度目の赤熱化をしたベヒモスの眼光がしっかりとハジメを捉えていた。
そして、赤熱化した頭部を盾のようにかざしながらハジメに向かって突進する。
ふらつく頭、迫り来るベヒモス、遠くで焦りの表情を浮かべ悲鳴と怒号を上げるクラスメイト達。霞む視界、一瞬よぎった黒い影。
「―――南雲ぉ!!」
名前を、呼ばれた。
直後、タックルするような勢いで飛びかかってきた“誰か”に押し倒されるような形でハジメはその場から離れ、ごろごろと地を転がる。それとほぼ同時に、ベヒモスによる怒りの全てを集束したような激烈な衝撃が橋全体を襲った。
橋全体が震動し、着弾点を中心に物凄い勢いで亀裂が走る。
「ぐっ…南雲、立てるか?!」
「う……あ、れ。遠藤、くん?なんで」
「話はあと!はやく立て、崩れるぞ!!」
そんな状況じゃないと知りつつも、ハジメは何故と問わずにはいられなかった。急かされなんとか立ち上がったはいいものの頭の中は疑問でいっぱいだった。なにせ相手はマトモに会話…といっていいのか分からないけれど、兎に角ちゃんと関わるのはこれが初めてといっても過言ではないレベルの人だったのだから。
遠藤浩介。名前とクラスメイトであること、あと何故かやたらと影が薄い少年であるということ位しか知らない。間違っても仲がいいとは言えない存在だ。…まぁそもそもの話、ハジメはクラスでも浮いた存在であり、積極的に他者と関わりを持とうともしてなかったので親しい存在自体がそう学校にいないのだけど。
兎にも角にも、浩介とハジメはたいした接点を持たず、友達とすら呼べない関係であるということは確かなわけで。
(なのに、なんで)
ベヒモスの攻撃から庇うような真似をしたのか。クラスメイトたちのいる場所、せっかく確保した安全地帯からわざわざ出てきたのか、今こうして、手を引いてくれてるのか。
そうやって、疑問に気を取られていたのが悪かったのだろう。ただでさえふらふらと危なっかしい足取りだったハジメは、足元に走った亀裂に躓き転んでしまった。ハジメの腕を掴んでいた浩介も、それにつられる形で体勢を崩してしまう。
メキメキと悲鳴を上げていた橋が、ついに崩壊を始めていた。度重なる強大な攻撃にさらされ続けた石造りの橋は、遂に耐久限度を超えたのだ。
「グウァアアア!?」
ベヒモスが悲鳴を上げながら崩壊し傾く石畳を爪で必死に引っ掻く。しかし、引っ掛けた場所すら崩壊し、抵抗も虚しく奈落へと消えていき、断末魔だけが木霊する。
転んでしまったハジメのいた場所も、起き上がるより先に崩壊し身体が瓦礫とともに宙に投げ出される。でも、ベヒモスのように落ちることはなかった。浩介がしっかりとその左腕を掴んでいたからだ。
「くっそ、今引き上げる、しっかり掴んでろ!」
「遠藤くん…ダメだよ、このままじゃ君まで、僕はいいから離して!」
嘘だ。本当は離して欲しくなんかない、助けて欲しい。でも、こうしてる今も橋に亀裂は広がっている。浩介のいる場所もビシビシと嫌な音が絶えず鳴っていて、今にも崩れそうな、かろうじてもってるような状態だ。このままでは確実に、ハジメの巻き添えで浩介も一緒に、二人ともが落ちてしまう。でも手を離せば、浩介だけならまだなんとか離脱出来るはずなのだ。
「っ!馬鹿なこと言って…いやお前はそういうヤツだよな。でもお断りだ!助けてくれた恩人を、仲間のひとりも助けれずに何がチートだ!」
そう言って浩介はより強くハジメの腕を握り、一気に引き引き上げるため腕に力を込める。
身体が持ち上がる感覚とその言葉に、助かるかもという希望をハジメが抱いた瞬間。
ぽたり、と頬に水滴が落ちてきた。
「……え」
驚愕の声を漏らしたのはハジメか浩介か、それとも対岸のクラスメイトや騎士達だったかもしれない。
浩介の腹から生える幅の狭い黒の刀身、無限に増殖する骸骨騎士が持ってた武器だ。刃先を伝ってぽたぽたと血が滴り落ちる。剣の柄を握るのはトドメを刺しそびれていたのだろう、上半身だけのトラウムソルジャー。驚愕に目を見開き、視線を後ろにやった浩介の口に浮かぶ自嘲の笑み。カタカタと嘲笑うように、彼の背後で骸骨が歯を鳴らした。
「 」
まるでスローモーションのように緩やかになった時間の中、呆然とするハジメの目にその光景がはっきりと焼き付いていた。
「――遠藤くんっ!!」
骸骨をなんとか殴り飛ばした浩介の腹からズルリと剣が抜け、ゲホッと血混じりの咳を零す。同時に、彼の足場も完全に崩壊した。
今度こそ、宙にその身を投げ出されもはやなす術もなく。浮遊感に「あ、僕死ぬんだ」と諦めと恐怖と絶望からハジメはぎゅっと目を瞑る。だが、それでも、と言うように掴まれたままの腕が引っ張られ二人の位置が入れ替わり、ハジメは浩介を下敷きにするような体勢になった。
「わ、りぃ南雲…偉そうなこと言っといてこのザマだ。せめて、体縮めて、衝撃を」
「何言って、もう僕らは…」
「大丈夫、お前は死なないよ。絶対に」
ビュウビュウとなる風の音は落下の速度を物語る。底も見えない高さから落ちてるのだ、どう考えても助かるわけない。根拠のない気休めの言葉だ。…けれど、断言の形で発された言葉に、ハジメの心に満ちる絶望がほんの少しだけ薄まった。
そうして、少年二人は奈落へと落ちていった。
最初浩介視点で書いてたけど、ハジメ視点だも楽しそーって書き直してたら思いの外時間かかってしまった…だも楽しかったです。