ザァーと水の流れる音がする。
冷たい微風が頬を撫で、冷え切った体が身震いする。頬に当たる硬い感触と下半身の刺すような冷たい感触、そして腹部の痛みに「うっ」と呻き声を上げ浩介はひとり目を覚ました。
ボーとする頭と、腹の傷ほどでは無いがズキズキと痛む全身に眉根を寄せながら両腕に力を入れて上体を起こす。が、とたんに酷い目眩に襲われて視界が歪み、再び地に伏す羽目になった。
「うぐっ、痛ぇ…ここは……俺は確か……」
起き上がるのは諦め、寝転がったまま首から上だけを動かし辺りを見回す。
周りは薄暗いが緑光石の発光のおかげで何も見えないほどではない。視線の先には幅五メートル程の川があり、下半身が浸かっていた。上半身がうまいこと迫り出した川辺に引っかかって乗り上げたようだ。
冷たい地下水に浸かったままというのは不味いだろうと、ずりずり這うようにして川から出た浩介は、痛む傷を片手で抑えながらふらつく頭を叱咤し記憶を辿る。
「ああそうだ……橋が壊れて、俺も落ちたんだったな。…それで…」
靄がかかったようだった頭が回転を始め、脳裏に落ちるまでの出来事が蘇り出す。
あの時。ベヒモスに背を向け走り出したハジメを援護するため、クラスメイト達が攻撃魔法を次々放った時。
浩介はその段階になってもまだ決断を下すことができていなかった。ハジメが奈落に落ちるのを見届けるべきか、それとも阻止すべきなのか、悩んで悩んで…悩んでる間に、時間切れを迎えてしまった。
流星のごとく飛び交う魔法の一つが不自然な軌道を描き、ハジメの方へ向かう。ついその動きを目で追っていた浩介は自然な流れで
…自分に迫る火球を認識した瞬間の、ハジメの凍り付いた表情を。
疑問、驚愕、困惑といった様々な感情が入り混じったその顔を見た瞬間、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。そして直感的に「違う」と、そう理解したと同時に、浩介は躊躇なくハジメに向かって駆け出した。
(違う、違うんだ。記憶にあるアイツと、今あそこにいる南雲は別物なんだ…!
根拠はない。自分でも何故そう思ったのか、確証もなしにどうして“そう“だと確信出来たのか説明出来ない。だが、それでも、ハジメの顔を見た瞬間にすとんと腑に落ちる感覚がしたのだ。それだけは間違いないと。
――実の所、浩介がそう感じたのは正しい。この世界は浩介の記憶にある世界とは間違いなく別物だった。とはいっても、現時点ではその違いは微々たるもの。せいぜいがとてもよく似てるけれど、厳密には同じではないといった程度。
いわゆる、並行世界というやつである。
“異世界“とは違う、あの世界と同一次元を持つifの世界。あったらもしれない世界。“もしも”という分岐点でわかたれた、パラレルワールドなどとも呼ばれるものであり、可能性の数だけ存在するもの。本来決して交わることのないからこそ並行。
根本を同じくするわかたれた枝葉、似て非なる世界。本来なら持ち得ないはずの、別の並行世界の記憶を持つ浩介という異物が現れたことが分岐と関係しているのか否かについては瑣末な問題だろう。原因について浩介本人が知るのもきっとまだまだ先の話。
兎にも角にも、この世界の未来は不確定であり、あの世界と同じ結末になるとは限らない。まだ未来が決定されていない、未知の世界なのである。
浩介は全てを理解したわけではない。
だからこそ、手を伸ばした。
「―――南雲ぉ!!」
俊敏の数値が人一倍高かったおかげだろう、紙一重で走る勢いのままハジメに飛び付き、ベヒモスの突進を避けることができた。ほぼタックルしたようなもんだけど、ベヒモスの直撃を避けれたのでよしとしよう。
よろよろと立ち上がったハジメの姿を一瞥し、どこがとははっきり言えないけどやっぱり違うんだよなぁと内心で頷く。
――
目の前の
(――記憶に怖気付いて、“不確定な未来”を恐れて、仲間を…恩人を見捨てる?そんな馬鹿な話があってたまるか!)
そもそもこの記憶が正しいという保証は無い。罠であるあの魔法陣に転移以外の隠し機能が備わってて、そのせいで長い夢を見てたとか、出鱈目な記憶をさも未来の記憶であるかのように植え付けられた可能性だって否定は……いや流石に無理があるよね、うん。それなら自分だけってのは不自然だし、意図が不明だし罠としてのコストも見合ってなさすぎるもんね。
まぁ兎に角、幾ら考えても分からないものはしょうがないし、先のことは後で考えればいい。何かあってもきっとどうにかしてみせよう。諦めの悪さにはそこそこ自信がある、精々必死に足掻くさ。だから、今はまず自分に出来ることを、目の前の仲間を助けることだけ考えろ!
だいたい、助けを求める人を見過ごしてのうのうと生きてられる度胸も覚悟も俺にはないってことくらい自分がよく知ってるだろうに何をうだうだしてたんだか。我ながら情けない。そうやってあいつより甘い部分があったから、色々と厄介な事件だとか地獄のあれそれとかにも巻き込まれたんだろうに。
あれほど悩んでたのが嘘のように迷いは消え、代わりに芽生えたのは自分への呆れや憤り。頭を壁に打ちつけたい衝動に駆られたけど、んな場合じゃないと無理矢理割り切り、ハジメの手を引いてクラスメイト達のいる階段前に向けて走りだした。
そして、結果的に浩介は失敗した。
途中でハジメが崩壊する橋に足を取られて転んだ挙句に落下しかけたのはまだいい。ちゃんと腕を掴んで阻止できたし、その時点ではまだ彼を引き上げて戻るだけの余裕が時間的にも体力的にもギリギリあった。だからこそ無意識に、ほんの少しだけ油断してしまったのだろう。
疲労と僅かな気の緩みによる一瞬の隙。それをつかれ、背後の敵に気付かずあっさりサクッと腹を貫かれた。
さすがの浩介も、完全に足場が崩壊した状況で、未熟な肉体と技能スペックに、それまでの戦闘で消耗したうえ手負の状態でまだどうにか出来るだけの余力はもう持ち合わせてはおらず。ハジメとともに奈落の底に落ちるハメになった、というわけである。
「はあ〜〜〜…なっっさけな、俺。まんまとしてやられるとかさぁ」
回想を終えた浩介はふかぁい溜め息をつく。
「格好つけて助けにいっといてこのザマですよ。いやほんと情けないな??いくらステータスはほぼ初期化されてるわ疲労溜まってるわで視野が狭まってたとしてもよ?暗殺者が背後とられるとか恥ずかし過ぎるだろ…」
もう一度ため息をついたところで、さて、と思考を切り替える。いつまでも過ぎたことを言ってても仕方ない、今は現状をなんとかすることだけ考えねば。
「とりあえず怪我の手当しねぇと…これ以上放置したら流石にヤバい…つかよく生きてたな俺」
視界が霞んできたことで、また気を失っては堪らないと危機感を募らせる。ギュッと目を瞑り数秒、よし、と気合を入れて瞼を開き、今度は目眩に襲われないようにと痛みを堪えゆっくり慎重に上体を起こす。なんとか胡座の体勢になると、浩介は骸骨騎士に貫かれた腹の傷を確認する為に上着を脱ぎインナーをめくりあげた。
「うん、急所はなんとか外せたな。重要な血管とかも傷付いてない、はず。…思ったより出血も酷くないな…?」
あの不意打ちの一撃をくらったとき、浩介は背後を取られたことに気付くのが遅れたうえ、落下しそうなハジメを支えていたせいでかなり動きが制限されていた。ゆえに回避行動を取ることは不可能、僅かな身じろぎで当たりどころを少しズラすのが精一杯だった。
そのうえ、直後に水ヘドボンときた。普通なら死んでる。
なにせ水の中では血が凝固しないので、空気中よりも出血が止まりにくい。だから、こうドバドバと勢いよく出血してるんだろうな〜見たくないな〜とおっかなびっくり覚悟を決めて確認したのだが…浩介の予想はいい方向で裏切られた。
先程まで水に使っていたはずのその傷口からは、確かに血が滲み出している。だが勢いよく溢れる、というよりはタラタラじわじわ、といった感じだった。
「我ながら生命力強すぎねぇ…?これも異世界チートの恩恵かね。すっげぇ痛いけど…」
最後にくらった攻撃は、幅が狭い細身の剣だったとはいえ背中から腹まで貫通していた。それで今こうして無事とは言い難いもののまだ生きてるのだから、いっそ感心してしまう。
とはいえ安心するにはまだ早い。現状のじわじわであっても出血し続けてることにかわりはないので、このまま放置してたらそう時間を置かずに浩介は死ぬだろう。
人の身体は、急激な出血の場合は全血液量の3分の1以上の失血で死の危険があり、2分の1以上で心停止してしまう。
「あんまりのんびりしてられないな」
どれだけの時間意識を失ってたのか、正確なところは不明だが体感的にはそう長くないと思う。というかそうでないと困る。
今すぐ手当てして、少し休めば何とか動けるようになると信じたいところ。無理そうでも根性で動く。多少の無茶無謀も今はやむなしだ。
…さて、ここで問題となるのが手当の方法である。
残念なことに、浩介の手元には救急箱や簡易治療キットなんて素敵なアイテムは存在しない。傷口を縫えるような針と糸もないし、あったとしても出血と地下水に浸かってたせいで指先がうまく動かせる気がしない。包帯や回復薬もないし、救援の見込みもゼロ。場所的に縛ったり圧迫しての止血も難しい。低体温で死ぬのが先か、失血死するのが先か。
わりとヤバげなこの状況で、生存確率を少しでも上げる為に取れる実行可能な手段とはなにか?
幸か不幸か、浩介はすでにひとつ、思い当たる手段があった。正直あんまり気乗りしないけど、でも死ぬよりマシだからと己を鼓舞する。
「……………よし、焼くか」
――
出血面を焼くことで、たんぱく質の熱凝固作用により止血するという非常に原始的で苦痛を伴う手法だ。
近代以前、四肢切断などの重傷の場合に有効な止血法として世界各地で用いられ、特別な技術・器具・薬品を用いず安価に行えるため広く行われてきた。ただ、止血する代わりに熱傷を負わせるという外傷の取引のような治療法であるため、適切な焼灼とその後の火傷の処置が行われないと逆に悪化させる結果になる。 (参考:Wiki○ediaさん)
火傷の処置までは難しいが、それでもやらないよりマシ。というわけで、浩介いっきまーす(死んだ目)。
幸いにも、主に使っていた大ぶりなナイフは橋から落下する時に無くしたり水に流されたりもせずにかろうじて無事だったので、これを焼きゴテの代わりにすることした。
まず、ざりざりとナイフで硬い石の地面に魔方陣を刻み、詠唱で魔力を通し起動させる。川の水でナイフの刃を軽くすすいだら、発生させた炎で炙る。
「フゥーー……よし」
服の裾を噛み、えいやっ!とひとおもいに熱したナイフの腹を傷口に押し当てた。途端、ジュウウゥ、と肉が焼ける音と嫌な匂いがあたりに立ち込める。
「っ〜〜〜〜〜!!!」
激痛で一気にイヤな汗が吹き出した。悲鳴を噛み殺し、震える手を気合いで押さえつけ、より強くナイフを押しつける。
「ゔぅぅゔ!ぐっ、んん"…!――ハァっ!ハッ、あ゛、ひっ!…うゔっ……くそ、キッツイなおい…っ」
でも、やらなきゃ死ぬ。これ以外手段はない。大丈夫、耐えられないほどじゃない、と自分に言い聞かせるように心中で呟く。
ナイフでは一度に焼ける範囲は限られる。そのうえ傷は貫通してるから、腹側と背中側2箇所を止血しなければならない。
つまり、あと何回か同じ作業を繰り返す必要がある。
「…急が、ないと」
自分とともに奈落へ落下した南雲を探さねばならない。付近に生物の気配がないことから、おそらく彼はここから離れた別の場所に流れ着いたのだろう。川の流れを辿って歩けば、きっと見つけられるはず。
一刻もはやく、探し出してやらねば。今の彼は魔王でもなんでもない、弱いけど心は強くて優しい大事なクラスメイトのひとりなのだから。
戦う力がないことは本人も自覚してるだろうし、どこに魔物が潜んでるか分からない迷宮の中を無闇矢鱈と動き回ったりはしていないと思うけど…。この奈落と上層では魔物の強さが比べ物にならない。隠れていてもそのうち見つかって、逃げる為に川岸から離れてしまうかもしれない。そうなれば広い奈落で彼を見つけ出す難易度がぐっと上がってしまう。
ここで無駄に時間を浪費するわけにはいかないのだ。
仲間を想う気持ちで痛みにヘタレそうな己を奮い立たせ、浩介は躊躇なく再び熱しなおしたナイフを傷口へと押し当てるのだった。
――この時の浩介には知るよしもなかった。
別の場所で目覚めたハジメが、そうそうに川から離れて迷宮を探索し始めてしまうことを。そして、案の定魔物に見つかってしまい、窮地に陥ってしまうなどということも。
まだ、知らない。
自分の誕生日祝いと生存報告兼ねて久しぶりに投稿しました〜。まさかの半年振り、色々忙しかったとはいえううむ…
本当は27日中にあげるつもりだったのにギリギリオーバーしてしまった悔しみ。
こんな自己満作品を読んでくださった方、そしてコメントしてくださった方ありがとうございます。めっちゃ嬉しかったです。地道にぽちぽち書いて続けていくつもりはあるので、気が向いたときに暇潰し程度にお付き合いいただければ幸いです。
(以下、補足説明的なナニカ)
このお話は原作時空の並行世界って設定です。違う世界線って便利だね。
浩介は初め、普通にタイムリープ(いわゆる逆行)したと思ってたけど、直感的にやっぱり何か違うな?と気付きました。
んで、本文でもいってるけど、本能的に自分が今いる世界と原作時空は世界線が違うということは確信できたけど、理由や理屈とかは分からんし正確にどうしてそうなったのかとかの説明は無理。まだ。(そのうち原因判明する、かも?)
あと、浩介はサラッと流してたけど、最悪の場合、目覚めるより先に水の中で失血死していた可能性も一応ありました。うん、普通なら死ぬよね。まぁこの話の浩介は大丈夫だったけどね。無事に目覚めて応急手当てまで漕ぎつけられてよかったね^ ^
本人が自覚してるより身体が頑丈だったのか他の要因があったのか…運がよかったんですかね〜?^ ^