幾度か意識を飛ばしかけながらもなんとか処置を終えた浩介は、さっそくハジメの捜索を初めようと立ち上がる。が、さぁっと血の気が引く嫌な感覚とともに膝の力がガクンと抜けて、すぐさま再びその場に座り込む羽目になった。
「……っ、……はは、そりゃ血も足りなくなるよなぁ…腹に穴空いたんだし…っ」
自嘲の笑みを浮かべ、わざと軽い調子で独り言を呟いてみるも、顔色の悪さなどから体調が絶不調であることは明らか。
立ち上がった瞬間、真っ暗に染まった視界。四肢には力が入らず、脈と呼吸は乱れている。間違いなく、出血による重度の貧血症状だった。
脇腹に剣が貫通したうえ、高所から落下し、冷たい地下水に流された挙句、血止めのために傷口を焼いたのだ。寧ろこうして生きてる方が不思議な状態である。
とはいえ。残念ながら今の浩介に悠長に休んでいるだけの余裕はない。
「はやく、南雲を見つけてらやねぇと…!」
今のハジメはマトモに戦う術を持っていない。この奈落の底の魔物に見つかればひとたまりもないだろう。
正直浩介も現段階のスペックでは真っ向から対処するのは難しいと言わざるをえないし、そのうえ手負の状態で他人を守る余裕があるのかと問われれば、まぁぶっちゃけ厳しい。それでも、諦める理由にはならない。
「大丈夫、きっとなんとかなる」
自分に言い聞かせるように呟き、俯けていた顔を上げた。
息と脈がいくらか落ち着くのを待って、今度はゆっくり慎重に立ち上がる。するとやはり、くらりとした感覚に襲われたが、先程よりはマシだと今度はどうにか堪える。
そうしてはやる気持ちを抑え、気を抜くとすぐ力が抜けそうになる肉体を叱咤しつつ、浩介は慎重な足取りでその場を後にした。
浩介の進む通路は正しく洞窟といった様相だった。
低層の四角い通路とは違い、岩や壁があちこちからせり出しており、通路自体も複雑にうねっている。二十階層の最後の部屋のようだ。
ただし、大きさは比較にならない。
通路の幅は優に二十メートル、狭い所でも十メートルはあるのだから相当な大きさである。複雑で障害物だらけ、おまけに覚束ない足取りでは非常に歩き難くはあるが、その分隠れる場所も多い。
浩介は物陰から物陰に隠れ、周囲を伺いながらゆっくり着実に進んでいった。
消耗している今、さっきまで相手をしていたトラウムソルジャーやベヒモスなどの低層に住む魔物とは比べ物にならない力を持つ奈落の底の魔物にかち合えば死は免れない。
だからこそ、気配の取りこぼしがないよう全力で神経を研ぎ澄まし、また大きな物音を立てないようにと爪先にまで細心の注意を払って進む。
どうしても避けられそうになく、魔物と遭遇しそうな場合は物陰で息を潜め、距離を取れるまで必死の隠形でなんとかやり過ごした。
心身ともに負担が大きいその作業は、あっという間に浩介を弱らせていく。
文字通りの疲労困憊、満身創痍。もし友人達が今の彼を見れば即座にベッドに叩き込むか救急車を呼ぶほどの状態だ。
それでも浩介は決して探索を止めようとは思わなかった。
時々息を整えるために立ち止まりこそすれ、落ち着いたと判断すればまた歩みを再開する。少しずつ、慎重に。
そうしてどれほど時間が経ったろうか。
ぞわりと肌が泡立つ感覚。
少し先、カーブした通路の向こうにいるであろう魔物の気配を感じ取った浩介は口の端を引き攣らせる。
明らかに別格の、強力な魔物の気配。この階層でもきっとトップクラスの力を持つであろう気配は、まさしく死の体現。
耳を澄ませてみればグルルと低い唸り声が聞こえてくる。
(……どうする、引き返すべきか?でも、ここまで1本道で他に進めるルートなんてなかったし…)
引き返すか、魔物が移動するのを待つべきか、それとも一か八か全力で気配遮断した状態で横をすり抜けてみるか。
本能はガンガンと警鐘を鳴らしている。だがハジメと地上に戻る術を探すには進むしかない。悩んだ末、浩介はひとまず魔物の姿を確認してから決めることにした。
生来の影の薄さに、今だけは感謝だな、とあえて茶化すように内心で呟きながら、そぉっと顔を物陰から覗かせる。
そこには、二メートルはあるだろう巨大な熊に似た魔物がいた。
白い毛皮に覆われた巨躯の体表には、魔物の証である赤黒い線が幾本も走っている。足元まで伸びた太く長い腕には、三十センチはありそうな鋭い爪が三本生えていた。
興奮しているのか、うろうろと同じ場所を行ったり来たりしながら、爪でガリガリと壁や地面を削っている様子が見てとれる。
(あ、無理なやつだなあれは)
興奮状態にある生物は感覚が通常より鋭敏になる傾向にある。
横をすり抜けるどころか、これ以上近づけば勘付かれる可能性が濃厚だと一目で悟った。
せめて爪熊の興奮が落ち着いてくれれば、自分が手負でなければ、運良く生きてやり過ごせる可能性が無きにしも非ず。だが分の悪すぎる試みにむざむざ命を賭けるわけにはいかない。
(大人しくあの場から離れるのを待つしかない、のか)
己の無力さに臍を噛む思いで浩介は足取り重く踵を返すのだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「…チッ…まだ、居座ってやがるのかよ…」
思わず舌打ちと悪態を溢す、がそれも仕方ないことだった。
(この奈落で目覚めてからもう半日は…いや、1日?2日?時間感覚も麻痺しててよくわかんねぇけど、とにかくかなり経ってるよな…)
水場は魔物にかち合う可能性が高かろうと考え、爪熊の居座る地点と目覚めた川の中間地点で身を休めつつ定期的に爪熊の様子を伺いに行くことにしたのだが、何度見に行っても状況は変わらず。
唯一幸いなことといえば、他の魔物も爪熊を恐れてか一向に姿を見かけないことだけ。
やむなく再び引き返す浩介だったが、その足取りはひどく重い。精神的な要因も勿論あるが、なにより体調の悪化が著しいことが原因だった。
「あ゛〜〜…くっそしんどい…」
ずるずると壁にもたれるように座り込む。
重度の貧血は相変わらず。それに加え、傷口を焼いたせいか熱まで出てきてしまったのだ。
血が足りないだけでもキツいというのに、そこに発熱のコンボとくればまさに泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目である。
川のおかげで水分補給はできても食べれそうなものがひとつもないこの場所では栄養を取ることもできず、ただただ体力が削られるばかりなのだから。
頭はガンガンと痛むし、目眩と耳鳴りも相まって気分は最悪。朦朧とする意識をどうにか誤魔化して動いているけれど、正直呼吸するのもしんどい。手足にも力も入らない。感覚すらもバカになってきたのか寒いのか暑いのすら分からなくなっていて、もはや気力だけで動いてるような状態だった。
…あともう一回。ちょっと休んで、次に見に行っても変わらずだったなら、イチがバチか強行突破しよう。
精神的にも体力的にも、浩介は既に限界だった。これ以上は粘っても野垂れ死ぬだけだと己の命運に見切りをつけた彼は、どうせ死ぬなら最後に賭けに出た方がマシだと腹を括る。
そうして様子を伺いに行くこと幾度目。
爪熊の姿はなく、ただただ無機質で静かな通路だけがそこにあった。
「やった…!今のうちに、っと」
爪熊がいた場所は丁度分かれ道になっていた。
この場で狩りを行っていたのだろう。乾いた血痕らしき痕跡や爪痕がそこかしこに残っている。
いつ気紛れを起こして戻ってくるか分からないので、さっさと通り抜けてしまわねばならない。
巨大な四辻を前に、さてどの方向に進むべきだろうと一瞬立ち止まり、グルリと周囲を見渡した時だった。
ふと視界に入り込んだ
ふらふらと近付き、覚束ない手付きで拾い上げた
石とも魔物の毛とも違う、馴染みのある手触り。
ソレは、一枚の布切れだった。
元の色がわからぬほど血で汚れボロボロに千切れた、服の切れ端。
「………な、ぐも…?」
この布は自分のものじゃない。なら南雲のものだと考えるのが自然。
問題はどういった経緯で、何故ここに服の切れ端
だってこの場所には、さっきまで爪熊がいたのだ。
ヒト一人なんて簡単に食い殺せてしまえる、強くて巨大な……
「っ!違う、そんなわけない!そんなわけ、ない、よな…?」
脳裏をよぎる最悪の予想を即座に否定する。
だが、その程度で不安は拭えなかった。
__こんな場所で南雲が死ぬわけない。
……本当に?
“前”の彼は無事に生きて帰ってきた、でも“今”の南雲は彼と違う、彼と全く同じ道を辿るとは限らない。
それに浩介は奈落での詳細を知らない。どんなふうに過ごし、“最愛”とどうやって出会って、如何なる手段で生還したのか。
雑談か何かの折に、概要くらいは聞いた気もするけれど、残念ながら全く思い出せない。単純に忘れているのか、はたまた貧血と発熱でろくに頭が回らないせいだろうか。
分からない。怖い。もしかしたら、という疑念が消えない。
南雲は無事なのか。まだ生きているのか。
もはや爪熊が戻ってくる可能性などどうでもよかった。何か少しでも手がかりは無いかと目を凝らしあたりを観察する。
そうして気になったのが一際大きな血溜まりの跡と、そばの岩壁に刻まれた夥しい破壊痕。
比較的新しく、何度も引っ掻いたように幾筋もの線が見て取れることから爪熊がやったもので間違い無さそうだ。
近づいてみれば足元に小さな横穴のようなものがあるのも分かった。
横穴の天井は膝より少し上あたりにくるので縦幅は約50センチ、横幅は目測で1メートルちょいといったところ。
爪熊の巨躯では到底入れないが、小型の魔物や人であれば這って進むことが可能なサイズだ。
もしかしたら、という胸中に芽生えた微かな希望に突き動かされるように、浩介はおそるおそる横穴に手を差し入れ、壁面を指先でなぞる。
ゴツゴツと不規則な凹凸のある洞窟の岩壁とは違う。妙に整った滑らかな感触は、魔法や人の手がにより整えられた加工物を思わせる。
…南雲ハジメの天職は、土や石など鉱物を加工することに長けた“錬成師”。
彼の持つ魔法は、通常は剣や槍、防具を加工するためだけの魔法。けれど、迷宮の壁や地面を“錬成”することで戦闘に活用し、クラスメイトを助けることを可能とした力でもある。
その力をもってすれば、襲いくる魔物の手を逃れ、壁の中に逃げ込むことも可能だったのではないだろうか。
獲物に逃げられたからこそ、爪熊は興奮を露わに、そして執念深く、再び逃した獲物を捕らえんとこの場所で待ち構えていたのではないか。
「…確かめてみるしかねぇよな」
穴の中に魔物が潜んでいれば一巻の終わりだけれど、賭ける価値はある。
腹の傷に障らないようにしつつ腹這いになり、横穴の中に身を滑り込ませる。暗くてよく見えないので、手で周囲を確かめながら匍匐前進の要領で慎重に奥へ進んでいった。
どれぐらい進んだろうか。
先の方に仄かな光が見える。出口だろうか。
暫しその場で観察するが特に異常は感じられなかったので、一応警戒は解かずに浩介は再び前に進む。
辿り着いたのは、青白く発光する鉱石の光に満ちた、小さな小部屋のような空間だった。
「っ、南雲!!」
蹲る人影、ようやく見つけた探し人の姿に思わず声を荒げる。
ぐったりとした様子に一瞬ヒヤリとしたが、声に反応してか呻き声をあげ身じろぐ様にそっと胸を撫で下ろした。
あぁよかった、やっぱり生きてた。
「ぅ……あれ、遠藤くん…?」
「南雲!良かった。やっと見つけた…!」
「え…もしかして、ずっと探してくれてたの?」
「当たり前だろ。とにかく、本当に良かった。
どっか怪我とか、は…」
安堵と喜びから思わず涙を滲ませる浩介だったが、ほんの少し視線をずらした先、鉱石の発する青白い光の中ではっきりと目に映ったものに再び息を詰まらせ表情をこわばらせる。
左腕が、ない。
肩の少し先から綺麗さっぱり無くなってしまっている。
「それ…」
「あ、ええと、魔物に襲われちゃって…遠藤くんは大丈夫だった?」
気まずそうに、それでも浩介を気遣ってぎこちない笑みを浮かべるハジメの姿に、どうしようも無くやるせない気持ちに襲われる。
脳裏をよぎるのは、爪熊が陣取っていた四辻の光景。血溜まりと夥しい爪痕は、あそこで襲われ、命からがらここに逃げ込んだ痕跡だったのだ。
「俺は、見つからないように移動できたから……」
「そっか、よかった」
その安堵の言葉に、どうしてと、何故彼がこんな目に遭わなきゃいけないのだろうと、そう考えずにはいられなかった。
南雲はクラスメイトを助けたのに。凄いやつなのに。なのにこんな場所で酷い怪我を負って、ひとりきりで。それでも他人を心配できる優しいやつなのに。なのに俺は何も出来なくて。もっとはやく見つけられてたら、もしかしたら。どうして俺は。
とりとめのない言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡る。無性に自分が不甲斐なくて、情けなくてしょうがなかった。
「ごめん。ごめんなぁ、南雲…本当にごめん」
浩介はやるせ無い気持ちが抑えきれず、つい謝罪の言葉を口にする。すると唐突なことにハジメはぎょっと驚き、戸惑いに溢れた声で「なんで遠藤くんが謝るの?」と問うた。
「こんなことに巻き込んで、謝らなきゃいけないのは僕の方なのに」
「バカいえ、南雲こそ悪くねぇだろ。お前はみんなを助けたじゃねぇか」
「でも…」
「いいから、謝るんじゃねぇ。誰がなんと言おうと絶対にお前が悪いはずねぇんだ」
「……うん、分かった。それなら遠藤くんももう謝らないでね。君だって何も悪いことしてないんだから。寧ろ僕を助けようとしてくれて、その上こうして探しに来てくれて…本当に、嬉しかったんだよ。ありがとう」
「…俺の方こそ、ありがとう」
でも助けられなかったからお前はこんな目に遭ってるんだろ、とは言えなかった。それを口にしたらきっと優しい彼は否定して怒ってくれるんだろうなと分かっていたから。
だから代わりに礼を告げれば、ハジメは何かお礼言われるようなことしたっけと首を傾げる。
その姿になんだか気が抜けて、急に身体が重くなった。
「あ、れ」
「遠藤くん?どうしたの?…遠藤くん!?」
ぐらりと頭が揺れて、目の前が暗くなる。
焦ったようにかけられるハジメの声も遠のき何も聞こえなくなって、大丈夫だという告げようとする気持ちとは裏腹に口から出るのは荒い呼吸だけ。
そういやこの身体割と限界だったけなぁ、なんて他人事のように思ったのを最後に、浩介はとうとう意識を手放したのだった。
あっという間に一年…
ゴタゴタしてたのと、話の展開で決めかねてることがあったとはいえ、もしこの話に興味持ってくれてた方がいたら長らくお待たせして申し訳ないです…
だいぶ落ち着いたのでまたちまちま書き始める予定です。ただ筆遅なので、気長に待っていただけると幸いです…