ありふれたもうひとつの物語   作:平無門

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豹変

 

 

 

「遠藤くんしっかりしてっ、遠藤くん!」

 

 会話の最中、突然崩れ落ちた浩介に慌てて手を伸ばしたハジメは、服越しにも関わらず伝わってくる熱さに血が凍りつくような心地がした。

 

「酷い熱だ…!ど、どうすれば」

 

 何が原因だろう、もしや魔物の毒でもくらったのだろうか。見つからないよう隠れながらここまで移動できたと彼本人は言っていたけれど、ハジメを心配させないために嘘をついたのかもしれない。

 

 張り付く髪をよけてまじまじとその顔を眺めてみれば、薄暗い空間でもはっきり虫の息だと形容できるほどに苦しげで、酷い顔色をしていた。

 呼吸は浅く速い、触れれば火傷するのではと思うほど発熱してるのに身体はガタガタと震えている。素人のハジメでもこれはマズイといやでも分かるほどの状態だった。

 

(どうしよう、このままじゃ遠藤くんが__)

 

 

 ___死んでしまう。

 

 

 脳裏をよぎる最悪の予感に、ただでさえまともな光源がなく薄暗い目の前が闇に閉ざされたような心地に陥る。

 

(いやだ…そんなの、だってせっかく会えたのに…見つけてくれたのに…もうひとりは嫌だ…!)

 

 ハジメはパニックに陥りかけていた。

 だが、それも当然のこと。彼が爪熊に襲われこの小部屋に逃げ込んでから__すでに()()もの日数が経過していたのだ。

 

 それはハジメにとって無間地獄に等しい時間。

 

 絶対的捕食者に腕を喰われ、心が砕けたまま、神水では癒すことのできない壮絶な幻肢痛と飢餓感に絶えず苦しめられ続ける。

 意識を失うように眠りについては飢餓感と痛みに目を覚まし、苦痛から逃れる為に再び神水を飲んで、また苦痛の沼に身を沈める負のループ。

 苦痛から逃れるために早く死にたい、でも本能から生きたいと望んでしまう、矛盾した願いに精神を蝕まれ、もはや正常な思考すら失っていた最中に現れ、正気を取り戻させてくれた存在こそが浩介だった。

 

 地獄に垂らされた一筋の蜘蛛の糸、暗闇の中の光、まさしく希望そのもの。

 

 だからこそ、失うなど耐えられない。

 

 “何も知らぬことは最も幸せである”とはよく言ったもので。

 一度光を知れば闇の中には戻れない。たとえ身を焼かれようと、目が潰れようと焦がれずにはいられない。

 同様に、人は精神は立て続けに絶望を味合わせられるよりも、希望の後に絶望を突きつけられる方が、受けるダメージは圧倒的に大きく、計り知れない。

 “救い”である浩介の命が風前の灯となっている光景はハジメに筆舌に尽くし難い恐怖と絶望を与えた。

 

(なんで…どうしたら…)

 

 

 

 混乱の只中にあったハジメを現実に引き戻したのは、ピチョンというかすかな水音だった。

 

「そうだ…この水!怪我だけじゃなくて毒や熱にも効くかも…!」

 

 ハジメは自分を生きながらえさせてくれた、青白く発光する鉱石から流れる液体を見やる。

 

 

__それは、伝説の鉱物“神結晶”から生じる“神水“と呼ばれるもの。これを飲んだものはどんな怪我も病も治るといい、欠損部位を再生させる程の力はないが、飲み続ける限り寿命が尽きないとも伝わっており、そのため不死の霊薬とも言われている。

 

 

 が、残念なことに異世界人であるハジメがそんなこと分かるわけもなく。名称や正しい効能を把握出来ていないが故に、どうか効きますようにと祈るような、縋るような気持ちでそれを飲ませようとするのだが………意識のない人間に液体を飲ませるというのは中々に難事である。片腕しか使えないとなれば尚更。

 それでもハジメは出来るだけ丁寧な手つきで、錬成の魔法で加工した石の器で水を掬い、どうにか溢さないよう浩介の口に流し込む。だがやはり、上手く飲み込むことができず咽せて吐き出してしまった。

 

「っ、げほ!けほごほっ!…っ、ぐ、うぅ…!」

「大丈夫!?お腹痛いの!?__あれ、そういえば…」

 

 気管に入ったようで激しく咳き込み全てを吐き出したあと、そのままギュッと眉根を寄せて苦しそうに呻きながら腹辺りを抑えるのを見て、脳裏に橋から落ちる直前目にした光景__トラウムソルジャーの剣が浩介の腹を貫いた瞬間__が蘇る。

 

 猛烈に嫌な予感がした。

 

(そうだ、あの時確かに遠藤くんは…なんで僕はすぐ思い出さなかったんだ!)

 

 回復魔法が使えるのは天職が治癒師のクラスメイト2人。無能のハジメと戦闘職の浩介には自力で怪我を治す術が無い。

 にも関わらず、応急手当てに使えそうな物もない中で浩介はどうやって出血を止めここまで来たのか。

 

 答えはすぐに分かった。

 

「ひっ!?な…これ、酷い……もしかして火傷?まさか自分で…っ!?」

 

 捲り上げた服の下。傷があるはずの場所を中心に、爛れ変色した皮膚を見て思わず驚きの声をあげる。

 

 オタクの嗜みとして、怪我を焼くという応急処置があること自体はハジメも知っていた。

 漫画やアニメのキャラが行なっているシーンも見たことはある。でもそれはあくまで二次元の話。平和な世界で安穏とした暮らしを享受し、平々凡々に生きてきたハジメが現実のものとして実際に目にする機会などあるはずもない。

 何より、知ってるからといって実行できる人がどれだけいるだろうか。少なくとも、ハジメならきっと無理だ。

 

 でも、浩介は実行した。怖かっただろう、痛かっただろう。少し動くのだって苦しくて辛かった筈だ。

 

 それなのに彼はハジメのもとまで来てくれた、絶望に打ちひしがれた情け無い少年を見つけてくれた。少し身じろぐだけで顔を顰め痛みを堪えるような有様で、諦めることなく探し出し、巻き込んだことを責めもせず、ただ生存を喜んでくれた。

 そんな彼の優しさが嬉しくて、強さが羨ましくて、何もできなかった自分が惨めで、巻き込んだことが申し訳なくて…言葉にできない複雑な感情がこみあげてきて視界がボヤける。

 

「っ、ダメだ泣いてる場合じゃないだろ」

 

 滲む涙を乱暴に拭い、器にもう一度水を満たす。半分を火傷痕に振り掛け、もう半分は自分の口に含む。

 

(死なせない、死なせてたまるか!)

 

 自力で飲み込むのが不可能ならば、()()()()()()()()()()()、とハジメは何の躊躇いもなく直接彼の口内にそれを流し込んだ。

 無理矢理に、だがまた咽せてしまわぬよう少しずつ慎重に流し込み、やがてコクリと浩介の喉が動きしっかりと嚥下したのを確認して口を離す。

 

 効果は一目瞭然だった。

 波が引くように熱は下がり、青を通り越して白かった頬には血色が戻る。表情や呼吸も先程までの苦しげな様子とは一転、落ち着きを取り戻し穏やかな寝顔をうかべていた。

 

「よかった…」

 

 容態が安定したことに安堵の声を溢す。

 

 少なくとも差し迫った命の危機は回避できたことでハジメは漸くやや落ち着きを取り戻した。

 

 

 

 だが、同時に抑えていた…というより、浩介の登場により一時的にどこかへ吹き飛んでいた正常ではなくなっていった部分…内面の暗い澱みもまた戻ってきてしまった。

 

 

(………どうして僕が、僕達がこんな目に)

 

 

 どろり、溢れる。

 

 それは、この七日間で思考が狂いゆく中少しずつ涌き出で積み重ねていったもの。

 恐怖と苦痛でひび割れた心の隙間にこびりつき、徐々に奥深くを侵食していくヘドロのごとき黒い感情。

 

(なぜ僕が、遠藤くんが苦しまなきゃならない…?僕達が何をした)

(なぜこんな目にあってる……なにが原因だ……)

 

 神は理不尽に誘拐した。

 クラスメイトは僕達を裏切った。

 ウサギは僕を見下した。

 骸骨は遠藤くんを刺した。

 アイツは僕を喰った。

 

 白紙のキャンバスに黒インクを落とすように、ジワリジワリとハジメの中の美しかったものは汚れていく。

 誰が悪いのか、誰が自分達に理不尽を強いているのか、誰が自分達を傷つけたのかと無意識に敵を探し求め始める。

 

「う…」

「…!…そう、そうだよな。()()()()()()よなそんなこと」

 

 不意に浩介が僅かにみじろいだことで、ハジメは思わず肩を揺らし、眉間に皺が寄るほど険しくなっていた表情をふと緩めた。

 

 冷えた頭で、湧き上がっていた怒りや憎しみといった感情を不要なものと切り捨てる。

 

 憤怒と憎悪に心を染めている時ではない。どれだけ心を黒く染めても苦痛は少しもやわらがない。この理不尽に過ぎる状況を打開するには、二人で共に生き残るためには、余計なものは削ぎ落とさなくてはならない。

 

 

(僕は…いや()は何を望んでる?)

 

__望むのは〝生〟。浩介と自分の、二人で生き抜いて必ず故郷に帰る。

  それを邪魔するものは須く敵だ。

 

(敵とは何だ?)

 

 望みを、行動を阻むもの。大切なものを害し奪おうとするもの、理不尽を強いる全て。

 

(俺はこれから何をすべきだ?)

 

 神の強いた使命とやらも、クラスメイトの裏切りも、魔物の敵意も……自分を守ると言った誰かの笑顔も。全てどうでもいい。

 …唯一、自分を助けるために行動を起こしてくれた、《道連れになってくれた》》浩介の存在以外は。全て、些事。

 

 無駄を削り、減らし、残ったものから自然と導き出された結論に、天啓を得たが如くハジメの脳内が澄み渡る。

 原石から取り出され研磨された宝石、鍛錬を経た刀のように。強く鋭く、万物の尽くを斬り裂くが如く固められた()()

 

 

(殺す)

 

 

 殺意。

 

 悪意も敵意も憎しみも無く、ただ生き抜く為に必要だから消すという、ある種純粋な衝動。

 

(殺す、殺す、殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺して殺す殺す殺す殺す殺す殺し殺す殺し殺し殺す殺殺殺殺殺___)

 

 自分達を脅かす者は全て敵。

 敵は殺す。

 そしてこの飢餓から逃れるために、

 

(殺して喰らってやる)

 

 

 

 優しく穏やかで、対立して面倒を起こすことを厭うて苦笑いや謝罪でやり過ごす、香織が強いと称した南雲ハジメはもういない。

 完膚なきまでに崩壊した残骸から生まれたのは、生きるのに邪魔な存在は全て容赦なく排除する新しい南雲ハジメ。

 一度砕けた心は、ただツギハギだらけに修繕されるのではなく、奈落の底の闇と絶望、少しの希望と執着、苦痛と本能で焼き直され鍛え直され、強靭な心として再びひとつになったのだ。

 

 

そして。

 

 

「…一緒に生きて帰ろう、なぁ()()

 

 感謝、尊敬、負い目、親愛、羨望、罪悪感、憧憬、友愛、崇敬、悔恨…その他言葉では言い表せない諸々の感情も含めた、浩介へと向ける全てが混ざり溶け、強い…とても強い【執着心】という形を為す。

 

 ハジメは眠る浩介の頬を撫ぜ、うっそりと笑みを浮かべた。その瞳は優しげでありながらどこか怪しげなギラギラとした光を宿している。

 その様子は、まさに豹変という表現がぴったり当てはまるほどの変わりようだった。

 

 




前の投稿から2年も経ってるってマジですか…?
大変!申し訳ないです!

待っててくれてる人がまだいるか分かりませんがコソッと更新…
ついでに謝辞も。
コメントしてくださった方ありがとうございます。読んでくれてわざわざコメントもくれるって本当に嬉しくて何度も見返しながら、続き少しずつ書いてました。これからも気軽にコメントくれると喜びます。


〜〜ここからは本編の余談〜〜
はい、さっさとハジメくん豹変させました。
当初の構想ではもう少し話数重ねてからのつもりでしたが、だらだら冗長に続けるのもあれかなぁと途中で思い、ガラッと書き直しました。執着心ももっとじわじわ育て芽生えさせるつもりでしたが何故か一気にズドンと…
まぁ、「クラスメイトからの裏切り→唯一助けに来てくれた浩介→奈落の底で腕を食われる→暗闇+飢餓+幻肢痛+孤独コンボで発狂間近→浩介登場で希望、からのぶっ倒れて絶望」って感じで希望と絶望行ったり来たりだったので仕方ないカナー。
SAN値チェック失敗して不定の狂気《異常な執着》を浩介に対して発症しちゃった感じですきっと。


ちなみに原作だと10日ほど豹変にかかってましたが、浩介の存在で情緒ジェットコースターされて少し短縮されましたとさ。
さらに余談で、浩介は何度も気絶するように眠って丸一日とか過ぎてたせいで時間感覚が本人自覚してる以上にバグってました。気絶中も存在感のなさ発揮されてたおかげで魔物には襲われなかった。流石の影薄!

今後この執着心という名のクソデカ感情の行く末と周囲や展開にどう影響するかは浩介くん次第です、多分。

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