ハルウララは、傍で笑っていて欲しかっただけなのだ。

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ツーイッタに上げた奴をハーメルン向けに改稿した奴です


笑顔

 ハルウララは天真爛漫の元気印だ。

 活発。快活。そして純真。彼女を表すのにこれ以上の言葉は無いだろう。

 彼女はいつだって無垢な笑顔を浮かべている。

 ニンジンをかじっている時も。

 苦しいトレーニングの時も。

 そして、レースに負けた時にも。

 

 それは、ハルウララにトレーナーが付いてから、2年が過ぎようとした時の事だった。

 

 解約。

 

 それはトレーナーの口から端的に伝えられた。ハルウララの担当トレーナーは俺から、別のトレーナーへと変更になる、と。

 彼自身は理由を語らなかったが、ハルウララは一つの確信を持っていた。

 

「わたしが勝てなかったからだ」

 

 次のレースまで、あと2週間。それがトレーナーとの関係、それのタイムリミット。

 レースが終われば、他のトレーナーに引き継がれる。

 

 ハルウララは問うた。どうすれば、トレーナーと一緒にいられますか?

 

「もし、次のレースで勝てたら、ひょっとすれば」

 

 次のレース。それは中距離の芝だ。ハルウララには距離もコースも合っていない。

 彼女が、出てみたいと言って。トレーナーが苦笑いをしながらエントリー手続きを行ったのを、彼女は覚えている。

 

 今までは2週間なんてあっという間だった。

 しかし、焦りや苦しさといった感情が胸に刺さったままのハルウララにとってそれは、まるで永遠のようだった。

 

 日が昇る頃に起きて、日中はトレーニングに勤しみ、日が沈むと泥のように眠る。

 走っていると、眠っていると、何も考えなくてよかったからだ。

 楽しいから走るのではない。苦しみから逃れるために走る。彼女にとって、こんな気持ちで走るのは初めてだった。

 

 レース当日。彼女は疲弊していた。

 前日の夜遅くまで走っていたのだ。それは当然だった。トレーナーは何度も止めたが、ハルウララは聞こえないふりをした。誰かを無視するのは、初めてだった。

 足も、背中も、頭も痛い。

 

「ハルウララ、棄権しないか」

 

 そんな彼女を見かねて、トレーナーが声を掛けた。

 怪我のリスクを考えれば、彼の判断は正しい。今の彼女の状態では、奇跡が起きても入賞はできない。勝利だなんてなおさらだ。

 だけれどハルウララには、端から選択肢など無かった。

 レースの結果は言うまでもないだろう。

 ゴール板を通過したハルウララは、肩を落として控室に戻った。

 

「ごめんな」

 

 トレーナーの優しい言葉。

 違う。ハルウララは泣きそうになった。

 彼女は「次は勝とうな」と声を掛けて欲しかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 トレセン学園に戻ると、知らない女性が居た。

 

「ほら、新しいトレーナーの人だ」

 

 後任のトレーナーがペコリと頭を下げる。つられて、ハルウララも頭を下げた。

 既に先任となったトレーナーは複雑な表情で二人を見つめる。

 

「お願いします」「お任せください」

 

 二人のトレーナーは、お互いに強い意志を持った目で見つめ合いながら、それだけを言い合った。

 ハルウララは泣きそうになった。

 

 後任のトレーナーも優しかった。ハルウララにも笑顔が戻っていく。

 

 しかし、笑うたびに。心のどこかで先任のトレーナーを思い浮かべてしまう。

 

 

 

 

 

 それから1週間が経った夜。あの日から繋がらなくなった電話番号を開いたまま、夜空を見上げる。

 寮を抜け出したハルウララはコースの芝に背中を預け、ただただ先任トレーナーの事を思い出していた。

 

 彼との思い出は楽しい事ばかりだった。

 食べきれないほどのニンジンケーキを作ってきて、結局みんなで食べたり。

 悪路を走る練習で二人して泥まみれになったり。

 蝶を追いかけていたらトレーニングをさぼっていて、結局トレーナーと走って帰ったり。

 

 星が瞬く度に思い出が甦り、そして滲む。

 何度目を擦ったのかも分からない。ただ、星を見ることは止めなかった。

 

 それから何時間経っただろうか。つけっぱなしで電池が切れたスマホに気が付き、彼女は身体を起こす。

 その時だった。車の音が聞こえたのだ。

 こんな時間に一体誰か来たのかな?

 ハルウララの疑問は、思索してから悪い予想に変わった。

 違う。誰かが出ていくんだ。

 

 ハルウララは走る。ただの勘違いであってくれ、と。

 トレーニングコースを駆け抜け、校舎の影から飛び出すと、一台のタクシーに乗る男が見えた。

 大荷物を抱えたそれは、彼女の敬愛する、トレーナーだった。

 

「行かないで!」

 

 口をついて出た言葉と、タクシーのドアが閉まったのは同時だった。

 タクシーは逃げる。ハルウララは追いかける。これがきっと、トレーナーとの最後のレース。

 今までの自己レコードを塗り替えるほどの追い上げを見せるハルウララ。しかしそれも、最初の内だけだった。

 最初は縮んでいた彼我の距離も、時間と共に広がっていく。いくらウマ娘の足が早かろうと、車にスタミナで勝てるわけがない。

 それでも歯を食いしばって縋りつく。やがてタクシーは一本道に入り、視界から消えた。

 

 

 

 

 

「よかったんですか」

 

 運転手がトレーナーに問いかける。

 しかし彼は何も応えない。

 

「そうですか」

 

 帽子を深く被り直し、わずかにアクセルを緩める。誰にも気づかれないように。

 これが、タクシー運転手にできる、僅かばかりの心遣いだった。

 やがてタクシーは交差点に頭を出す。しつこい程に左右を確認し、ゆっくりと発進させたところ。

 あぜ道から、泥だらけの人影が飛び出してきた。

 

「やるじゃないか」

 

 運転手がハザードを点灯させ、タクシーを脇に停車させる。

 

「お客さん、行ってあげなさい」

 

 

 

 

 

 ハルウララには、ダートへの強い適性がある。

 

 タクシーが一本道に入った時。トレーナーが教えてくれたこの言葉がすっと浮かんだ。

 一本道の出口に向かって、まっすぐ遮二無二走った。

 

 すると奇跡が起こったのか、タクシーに追いついたのだ。

 

「トレーナー!」

 

 カラカラの喉で、彼を呼ぶ。

 

 トレーナーはタクシーを降りると、ハルウララに駆け寄った。

 その顔は、涙と鼻水で酷いものだった。

 

「ごめん、ごめんな。こんなに辛い思いをさせて」

 

 違う。わたしはトレーナーに、こんな顔をさせたかったんじゃない。

 彼女の両目に涙が溜まる。それを見たトレーナーは、小さな体をそっと両腕で包んだ。

 ハルウララは、この日初めて、悔しさで涙を流したのだ。

 

 

 


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