先の襲撃から一月、仁之助は山間の温泉にやって来ていた。右太股の傷が思いの外深く、後遺症が残る事が危惧された。そこで蘭方医・松本良順の勧めもあり湯治へとやって来たのだった。
温泉と言っても旅館の様な所に泊まって居る訳では無く、温泉のある村の長者の家に泊まり、温泉も着替えるための小屋が併設されているだけの粗末な物で村民もよく入りに来る。
もっとも、田舎の山育ちにとって苦にはならず、むしろ京の様な都会よりも落ち着きのんびりとした心地になった。
そのおかげか二週間もした頃には傷に薄く皮膚が張り、動きも違和感が無くなった。
暇をもて余していた仁之助は
朝から山野を駆け回り、昼には野良仕事を手伝い、夕方には温泉に入り、晩には早く寝る。
食事は玄米と一汁一菜、実に健康的に過ごした。
おかげで怪我する前より筋肉が付き身体は一回り大きく成った。
そして朝の『散歩』の途中、山間の道で襲撃をうけた。
長槍を持った男が六人、道の横から涌き出る様に現れ、横並び一列になって槍襖を組んで迫ってくる。
槍襖は戦場で人馬もろとも突き砕く突撃戦法である。
如何なる武芸者でも正面から当たれば生き残れ無い、それが槍襖である。
しかし、正面から当たればである。仁之助は横に走る。上手く行けばこれだけで槍襖は崩れる。敵もさるもの横並びのまま駆け槍襖を崩さず付いてくる。
だが、横に走ったのは槍襖を崩すために有らず、山中の森に飛び込むためだ。仁之助はそのまま山へと分け入った。
「追え!」
敵は仁之助を追って森へと飛び込む。
わざと目立つ様に走り、敵を山の奥へ奥へと誘う。
視線を巡らせ木々の茂み具合を見る。
そろそろ良しと、身を低くし敵の視線を切る。そのまま地を這う様に移動する。
仁之助の姿を見失いキョロキョロと視線を巡らせる敵
「何処だ!?」
『ここだ』と言わんばかりに横合いからヌと姿を現す仁之助、驚き咄嗟に槍を向けようとする敵、しかし、槍が木の枝や蔦に引っ掛かり槍を構える事も出来ない。
「タァ!」
気合いと共に一直線に並んだ敵の横を駆け抜ける。いつの間にか手には抜き放った脇差が握られている。
敵達は首から血を吹き出させバタバタと倒れる。
脇差を納めようとした次の瞬間、空気を裂く音、鼻先を掠め木の幹に矢が刺さる。咄嗟に木の影に身を隠す。
「いたぞー!いたぞー!」
射手らしき者の声が響きわたる。
「「「オオォ!」」」
その声に答える様に多くの声が上がる。
敵が多すぎる。村に引き連れて行くわけにはいかない、覚悟を決め戦いの準備を整える。手拭いを鉢巻きにして汗と血が目に入るのを防ぎ、太刀を抜き鞘は捨て置く、多人数との乱戦になれば鞘を捻り上げられ思いもよらない不覚を取る事もある。
目を閉じ深呼吸を繰り返す。ゆっくりと目を開け隠れていた木の影から飛び出し別の木の影へと身を隠す。木から木へ山の奥へ奥へと進んで行く。
仁之助は山中を走る。木々の隙間を跳び抜け、急勾配を駆け上がる。
両手には抜き身の刃、右手に太刀、左手に脇差を持ち、泥と赤い染みで汚れた服、顔は埃で黒く汚れていた。
進む方向からガヤガヤと騒がしい声と複数の足音を聞き、繁った藪の中に身を隠す。
大きく吸ってゆっくりと息を整える。
「こっちの方に来たはずだ」
「もっと奥のほうじゃねえか?」
「脚に傷を負ってるらしい、それほど遠くへは逃げられねぇ」
「ヤツの首は俺の物だ!」
「腕か脚一本五十両、首を獲れば五百両だ!」
暫くして現れた男達が欲望で目をギラ尽かせ槍や斧を手に周囲を捜し始めた。荒事に馴れた様子、山中に適した足下の備えと毛皮を纏った姿から山賊の類いと辺りを付ける。
男達が身を隠した藪の近くに寄た瞬間、藪から飛び出した。
「あっ」
咄嗟の事に反応出来ず唖然として間の抜けた声を上げる男達、一閃の煌めきが襲う。
「ギャ」
「グワッ」
一振で二人を仕留める。間髪入れず別の敵に向けて駆ける。
「オォォォ!!」
仁之助は吼える。
「ヒッ」
獣の様な咆哮を間近で聞き怯え身を竦める敵に一太刀、首が落ちる。
「クソがぁ!」
槍で突いて来たのを太刀で槍を叩き軌道を反らし同時に脇差で胸を突き心臓を貫く。
「畜生め!」
振り下ろされる斧、半身になって躱すと同時に面打ち、頭を唐竹割りにした。
それは一瞬、倒れ伏す敵達、それらに一瞥もくれる事無く駆け出す。
『腕脚五十両首五百両』それで敵が目の色を変えて必死に挑んで来るのにも得心が行った。
五十両もあれば数年は暮らせるし商売の元手にもなる。五百両もあれば一生安泰だろう。
敵は金ずくで手当たり次第、とにかく人数を集めたようだ。
槍襖の敵を斬った後、迫る敵をすでに二十六人斬った。
敵の格好はまちまちで二本差しの武士もいれば着流しを着た町人風の者もいて、持つ武器も太刀、槍、斧、棍棒など様々だ。中には僧侶の格好で十文字槍を持った者もいた。
敵の首謀者はよほど顔が広いらしい。
時はすでに夕刻、太陽が沈み始め山の暗闇は濃く深くなっていく。
一日中、敵と戦っていて分かった事だが、敵同士は味方同士では無い様だ。
賞金目当ての輩を闇雲にかき集めたのだろう。敵は一人か小数で行動し他の連中に
『集団』では無く只の『多人数』の敵だった。
金を出す者を失えば敵は散り散りになるはずだ。
その
視界の開けた高所に出て周囲に視線を巡らせる。
元締めが居そうな所に目星でも着けようとした行動だったが見つけた。一ヵ所に集まって行く松明の灯りを…元締めは恐らく其処に居る。
元締めこと口入れ屋は崖っぷちに陣を敷いていた。
陣と言っても篝火と武装した連中を並べただけの陣とも言えない陣だった。
「おい、何だってこんな所に…もっと広い場所もあった」
雇った浪人の一人が不満そうに尋ねる。
「奇襲を警戒しての事や、宮本武蔵と吉岡一門の決闘を知ってるやろ」
知らぬと首を傾げる浪人に呆れる。
「あんさんも元とは言え一応武士やろうが、其ぐらい知っとけや、まったく…」
シッシッと犬猫を追い払う様に手を振る。
「おのれ無礼者!卑しい口入れ屋ごときが!」
怒りで顔を染め柄に手を掛ける浪人、刃を抜くよりも早くその胸に矢が刺さる。
「ゴフッ」
血を吐いて倒れる浪人を冷たく見下ろす口入れ屋の手には弩弓が握られていた。
突然の事にザワつき始めた回りの者達を一睨みで黙らせる。不満と怯えの視線に舌打ちを鳴らし、動揺を書き消す様に大声で宣言した。
「ええか!ヤツは必ずここに来る!腕一本とはもう言わん。一撃や、少しでも傷つけたら十両払うで!」
「「「ウオオォ!!!」」」
(情けなや、関西一の口入れ屋と呼ばれ、数多の仕掛人を従えたワシがこんな木っ端共しか用意できんとは…それもこれも藤木仁之助が手下を殺したせいや!!)
先に手出ししたのは自分という事を忘れて怨念を募らせていた。
一方その頃、仁之助は小川の水を啜り数時間ぶりの水分補給をしていた。渇きを癒したあと鉢巻きにしていた手拭いを濡らし首回りを拭き火照った身体を冷ます。
そして腐葉土の上に身を横たえ大の字になる。目を閉じ、全身の筋肉をおもいっきり力ませ、次第に指先からだんだんと力を抜いて行き全身を弛緩させる。全力で弛緩させる。
穏やかな寝息の様な呼吸を続ける。
五分ほどで目を開ける。わずかな時間、しかし熟睡した後の様に頭はスッキリし身体は軽くなっていた。全身を気力で充実させた仁之助は敵のもとへ向かう。