事務所の休憩スペースで分厚い本を読み耽るユリユリこと大西由里子。オタク友達・荒木比奈がそれを見かけて……。

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第1話

「こらー、ユリユリ。会社で即売会のカタログ読んじゃダメっスよ」

 窓辺のテーブルで大判のペーパーバックを広げていた大西由里子の隣に、荒木比奈がどすんと座った。二人の背にする大窓は花粉と黄砂でぼんやりした青空から、春の陽射しを深くいれる。高層階のために開かぬその窓を、あらしま風がときおり強くたたいていく。由里子は持ち上げていた下唇の力を抜いて友のほうを向いた。二人はおなじこの芸能事務所に所属するアイドル同士であり、それがなくなったとしてもオタク友達である。

「即売会じゃないのよ比奈センセ、これはギフトカタログ」

「この装丁で?」

 テーブルに上半身を乗り出して比奈は由里子の持つカタログの表紙を眺めた。表1から背表紙をとおって表4まで、ひとつづきの美少女イラストが描かれている。そこに“西瓜書店”と同人ショップの屋号が白く箔押ししてある。

「同人誌ギフトカタログだじぇ」

「地獄みたいな本っスね……。あっ、ちょ、ちょっと見せて。ちょっと見せて!!」

 得意げな顔の由里子からひったくるように分厚いカタログをつかみ取ると、比奈は親指の先だけを使ってわずかに開いたページを片目でのぞいては、次へ次へと素早く繰っていく。由里子が首を傾げかけて止める。自然さを装って立ち上がり、片隅の自販機へ向かった。比奈は自分の本がまぎれていないか探しているのだ。その様子を、あるいは見つけた瞬間のを、見られたくはないだろう。とくに開いていたページの位置からどれだかわかってしまうかも、という危惧は、自分では描かぬ由里子にも想像できる。たとえふだんの会話や絵柄からさえずりアカウントを特定できていて、気をつかわせずに応援するためブラウザでブクマしているからいまさら隠したところで無駄だったとしても。

「ふおっ……おっ、ぐ……うっほ」

 どうやら載っていたらしい。“〇〇先生著作セット”だろうか。“ノマカプ全年齢セット”に含まれていたのだろうか。いや訊くまい。由里子は自販機に向かって静かに手を合わせた。うめく声が落ち着いたのを見計らい、コーヒーを二本買って由里子は席にもどった。“なにごともありませんでした。触れないでください”という顔をしている比奈に一本渡して、同時に口をつけ、同時に息を吐いた。

「それでこんな……委託してない本までまとめてくるような地獄のカタログどこで手にいれたんでスか」

「ああ……あったんだ、■■■先生セット」

 コーヒーのわずかな油分は比奈の口ばかりでなく、由里子の口をも滑らせた。ペンネームを発音された比奈はその瞬間、由里子に背後から裸絞を極めていた。

「貴様……なにが目当てっスか。金か? 名誉か? それとも世界か?」

「い……いまどきそんな三択迫ってくる悪役いないでしょセンセ! ごめんなさい! 落ち着いて! ブクマ外して本垢でフォローするから赦して!」

「こ~ろ~すゥ~……!」

 

「いやね、先輩の結婚式があってね」

 一〇分ばかりどったんばったん大騒ぎをした果てにどうにか落ち着きをとりもどしたオタクたちである。表1の美少女の頬を指で弾きながら語る由里子に、頬杖の比奈が訊く。

「学校の? 腐女子の?」

「両方。攻めくんイメージのウェディングドレスすんごいかっこいいの。ほらこれ」

 スマートフォンのカメラロールを軽く示すと、高めにのぞきこんだ比奈が目を丸くして高度を下げた。

「あっこれ……。■■■■の■■■?」

「そうそうそうそう。でほら新郎がね」

「まさか■■■■!? えっ受け? 受け!?」

「ぜんぜん気づいてなくてニッコニコだったじぇ」

「キャライメージにピッタリっスね旦那さん……。腐ってるのは知ってるんでスよね?」

「知ってるけど非オタだって。先輩ファッション強いからね、完全にお任せ」

「ちなみにご家族は」

「義妹は気づいたみたいなんだけどたぶんこれはね」

 揃って撮った一枚のなかから、まだ少女にも見える女性の顔を由里子が拡大する。二人の晴れ着に釘付けの目に感情はなく、そのぶんまで過剰なほど口元は笑っている。

「この表情……あきらかに解釈ちがい……!」

「家族にもオタ隠してそうだからケンカもできないし相撲もとれないよねえ。二人とも大変だじぇ」

 相撲とはカプ論争を解決するために用いられる平和的手段。概念のぶつかり合いに言葉はいらない。肉の質量がすべて。

「まーともかく? そんなワケでこれが引き出物なんだわ」

 本の小口を片手の親指で持ち上げては滝のように落とし、付属のハガキを由里子はもう片方の手でひらひら宙に泳がせる。

「作品指定セットもいいし、嗜好限定のノンジャンルで新規開拓もいいし……。楽しくも苦しい悩みのお時間なのですじぇ」

「嗜好限定? どのくらい細かくしてあるんでスか?」

「そりゃもう受け攻めの性格にシチュまで加えて、えーと……こっからここまで」

 カタログのページのなかほどを由里子がつまむ。厚みにして五ミリ以上あるそれに呆れとも関心ともつかない溜息を比奈は吐き出した。

「同人誌の分類学者にでもなる気なんすかねえこの本屋……」

「でもあんまり細かいとねー、新規開拓といっても近いものばっかりになっちゃいそうでしょ?」

「そうっスねえ。バリエーション欲しいならシチュは外すか、分類をもっとガバくしなきゃ」

「ガバいのなくってねー。いっそ“店員のオススメセット”にしようかなって」

「そーいうのってどんなお店でも、人気なの一個いれといてあとは売れてないのを詰めこんでくるような……」

 無言の二人は真顔になって目だけを動かす。視線がカタログの上空でぶつかった。

「……はいってるかも……しれないの?」

「そりゃ、……芳しくないのもあるっスよ」

「アイドルの本で、少部数再販なし」

「バレてないっスから。身バレしてないっスから」

「えっでも昔は手売りとか……」

 触れてはいけない不定形の世界に手を突っこみそうだったので、由里子は音を立てて口を閉じた。

「とにかくオススメセットのなかにアタシの本はいってたら五体が爆裂して天に昇って怒り狂う漫画家座となりその輝きをもって地上のすべてを焼き尽くすっスよ」

「むーん、じゃあこの“オタクイチオシNHKセット”なんてどう?」

「えねえちけえ」

()()きずりこむ()ミックス」

「コミックはCっスよ……。けど、でもそのガチで足りてないのかボケてるのかわからないIQの低さこそオタクみがあるといえなくもない……ない?」

「おおー、いかにもオタクみのある早口」

 しかし沼にどっぷりの由里子がいまさら? 比奈はゆっくり首を傾げ、すぐおなじ速度で頭をまっスぐに起こした。

「そっか、裕美ちゃんたちに撒くんでスね」

 会心の表情で由里子が親指を立てる。比奈のメガネを春の陽射しが白く光らせる。喉の奥から悪そうな声で二人は笑い合い、同人誌ギフトカタログのNHKセットの見開きに身を乗り出した。自分たちがいい本に巡り会う。それも素敵な贈り物。それ以上に素敵なのは、目の前で新たに一人沼にハマるのを見届けること。

「ならナシっスね」

「そうなの!?」

 小さく印刷されたラインナップを指でなぞる比奈の声は渋い。

「だってオタクのオススメセットなんて初心者には早すぎるような濃ゆいのがはいってるでしょ」

「た……たしかにガチ初心者にガツンとぶちかましてみたい気持ちは否定できないじぇ」

「だからダメっス。腰が浸かるくらいになるまでは“まだ浅瀬だ”って思わせないと!」

「引きずりこみガチ勢」

「だからとにかくソフトな! ソフトなやつを色々お取り寄せするっスよ!!」

「むむむ」

 ぱらぱらと由里子がページを進め、爪の色の違うところで止めた。その一帯だけレイアウトがほかとはことなり、写真と文字が新興住宅地のごとく整然と並んでいる。

「お好きな本を一〇冊選べるカタログコーナー。ただ表紙がサムネサイズでちっちゃい上にタイトルの先頭四文字しか書いてないからドッキドキー」

「すごい見たことあるやつ! うーんでも表紙買いも醍醐味……。いっそ選ぶところから裕美ちゃんたちにやらせても……」

「自分で選んだ本なら想像とちがってても読むぞって気になるもんねえ。とくに裕美ちゃんみたいな子は~」

「逆カプショックもまだ存在しないくらいの初心者だし、地雷の嗜好さえ踏まなければ……ん? これR指定とかもゴチャ混ぜ?」

 カタログの全体を目で指で撫で回しても、ラインナップに関する注意書きや分類記号は見当たらない。関裕美(ターゲット)はまだ一四歳。倫理観が比奈にブレーキをかけた。

「完全にノンジャンルよ。ふつうのイチャラブからギャグからエロもグロも理解不能系まで」

「だーっ! それはダメ! やっぱソフトなのからランダムに持ってきてうちらで検閲! なにが刺さるかわからないから人気作家から知られてないひとのまでまんべんなく……」

 由里子がまたむむむとうなり、ページをもどしていく。

「なるほど……。じゃあ“店員のオススメセット”でオッケーね」

「あ……あれ? そうなるっスか?」

 

 

 

(了)




※pixivにも同じものを投稿しています。

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