人類の復活を託された「ボク」たちは、マリンスノーが降り積もる海底研究所で暮らしながら、試行錯誤の日々を過ごしていた。
日々を過ごす中で、少しずつ変わっていく「ボク」たちと、拡がっていく世界。
「ボク」たちは何者で、どこからきて、どこへいくのか。
原曲:「アクアラボ循環少年」
作詞:郁生
作曲:まちす
編曲:まちす
唄:GUMI
ボクが起動して一年目を迎えたとき、
「僕はあと二年したら死んじゃうんだ」
って、起動して八年目のトウサンは言った。
「死ぬって、どういうこと?」
「動いたり、喋ったりできなくなるんだ」
「故障するってこと?」
「ま、そうだね。ただし、もう修理できないけれど」
「そしたら、トウサンはどうするの? キミーみたいに、新しいハードにメモリをインストールするの?」
キミーっていうのは、この海底研究所にいるお手伝いロボットだ。
丸っこいボディに一つ目カメラ、そこから手足がひょっこり伸びただけのシンプルデザイン。
メモリインストールはコネクタにケーブルをつないで、あとはボタン一つ押して完了の、超簡単仕様。
「僕らはキミーみたいなロボットじゃないから、多分できないよ」
「トウサンも、ボクも、コネクタないもんね。じゃあ、どうやってメモリを引き継ぐの?」
「もうやってるよ」
トウサンはそう言って、笑った。
そのときのボクには、その言葉の意味がさっぱりわからなかった。
ボクの名前は、トシ。
人型ロボットの十四番目って意味だってさ。
それを教えてくれたのは、ボクのひとつ前に生まれた十三番目のロボット、トウサンだった。
トウサンは、ボクにこの世界のことを色々と教えてくれた。
この世界は「アクアラボラトリ」という名前で、かつて「人間」という生き物がいろいろなものを作り出すために海底に建設した施設だということ。
その人間はとっくの昔に滅びてしまったけれど、このアクアラボはいつか人間を再生させるために、自動で機械が動き続けているということ。
そして人間再生の試作品として、人間そっくりなロボットが作り出されたということ。
それがボクたち人型ロボットだということ。
ボクたちの役割は、人間をシミュレートし、人間が生きていく上でどのような環境を必要とし、どのように振る舞うのかというデータを集めることだった。
ただ、人型ロボットは非常に人間ソックリに作られたために、重大な欠点をもっていた。
人間にそっくりすぎて、アクアラボのコンピュータにリンクできなかったんだ。
つまり、キミーみたいにコネクタにケーブルつなげて、っていうことができなかったんだ。
「不便だね」と、ボク。
データの共有ができないんじゃ、データ収集の意味がないじゃないか。
「うん、だから初期のヒトケタナンバーズのときは相当苦労したらしいよ」
解決策として、人型ロボットの脳波データを無線で検出し、それをシステム言語に翻訳する機械が発明された。
けれど残念ながらその機械はうまく作動せず、接続不良、接触不良を繰り返した挙句に重大なバグを引き起こし、暴走。
そしてこのアクアラボから逃亡してしまい、今では野良コンピューターとして地上で気ままに暮らしていたりする。
「コンピュータとのリンクが無理だとわかった以上、情報伝達手段は言葉しかない」
トウサンはそう言って、本棚から一冊の分厚い本を取り出した。
「それはなに?」
「日記だよ。ヒトケタナンバーズ……ヒトツからココノツまでの、九体の人型ロボットたちが自分のデータを次の個体に引き継ぐために書いたんだ」
「何を書いたの?」
読んで、読んで、とボクはせがむ。
トウサンは適当にページをめくり、その箇所を声に出して読んだ。
「見回り、ご苦労様。異常ナシです。ボクだけです。まぁ、誰かがいるなら、君がびぃびぃ、ウルサイでしょ」
「なにこれ?」
「ヒトケタたちが毎日思っていたこと。ヒトケタたちの心だよ」
「君って、だれ?」
「キミーのことだよ。ヒトケタの頃はキミーと二人だけだったんだ」
「なんで?」
「次の個体の製造には時間がかかるんだ。一体の人型ロボットを完成させるのに十年もかかる」
「そんなに?」
「だけど僕らの耐用年数は十年しかもたない。ということは……?」
「次のナンバーが完成する前に壊れちゃう?」
「そうだね」
「じゃあ……」
きっと、みんな寂しかっただろうね。
ボクがそう言うと、トウサンも
「そうだね」
と、少し悲しそうに呟いた。
トウサンとボクは、しばらく二人で日記を読み続けていた。
――今日もひとり 僕だけです
――昨日もひとり 僕だけです
――明日もひとり 僕だけです
――ずっとひとり 僕だけです
びっ、びっ、びっ、と音が鳴って、ボクたちは日記から顔を上げた。
お手伝いロボットのキミーが、昼食を載せたプレートを手にこっちへ歩いてきたところだった。
「午前の授業はこれでおしまい」
「やったぁ、ごっはん、ごっはん」
サンドイッチとスープでランチをとる。
原材料はプランクトンだ。海底には資源が豊富にあった。生物に必要な物質から栄養素、そのすべてが揃っている。
人間再生を目的とするアクアラボが海底にあるもの、きっとそのへんが理由なのだろう。
「トウサン、トウサン」
「なんだい?」
「ご飯食べたら、ニャゴニャゴさまのところに行きたい」
「いいよ、行こうか」
「わーい」
サンドイッチを食べ終え、ボクらは生活棟から研究棟へ向かう。
連絡通路を渡っている途中、強化ガラス越しに見える海底の景色に、こちらへ向かって泳いでくるクジラの群れが見えた。
――キュアアアアイイイイイイ
クジラの鳴き声が、アクアラボに響き渡る。
「なんて言ってるのかなぁ」
「鳴いているだけじゃないかな」
「ちがうよ、ちゃんと会話してるよ」
ほら、とボクは耳をすませる。
――キュアアアアイイイイイイ
――キュアアアアイイイイイイ
クジラの群れが、いくつもの声を重ねていく。
「同じ音に聞こえるよ?」
「ちがうよ、少しずつ変わってる。トウサンはわからないの?」
「わからないなぁ」
「変なの。おなじ人型ロボットなのに」
「全部が全部、同じじゃないよ。僕らは少しずつ違うんだ」
「それって、いけないこと?」
「いいや、いいことだよ」
クジラの群れが遠ざかっていく。
ボクらはニャゴニャゴさまのところへ向かった。
ニャゴニャゴさまってのは、ボクらの神様だ。地上に住んでいて、海底に住んでいるボクたちに地上の様子を教えてくれる。
だけどすごい気まぐれで、気難しくて、わがままだから、地上の様子を教わるときは敬虔な気持ちで、謙虚に接しなくちゃいけない。
敬虔で謙虚な態度ってのは、昔の人間の記録から学んだことだ。人間は神様ってのに接するときにそんな態度をとったらしい。
だから、ニャゴニャゴさまはボクたちにとって神様だ。
たどり着いた先は、コンピュータルーム。アクアラボのメインコンピュータを管制する場所だった。壁一面に広がる巨大なディスプレイの前には、リクライニング式のチェアが数台並べられている。
トウサンとボクはそれぞれリクライニングチェアに寝そべり、脇にあるヘルメットを被った。
「すいっち、おん!」
肘掛にあるボタンをポチッとな。
スっと、目の前が暗くなり、宙に浮き上がったような感覚とともに、意識が飛翔した。
身体から抜け出た意識が、アクアラボの壁をすり抜けて海中へ飛び出す。
そのまま密度の濃い海水を上へ上へと登りながら、海面を突き破って空へ出た。
真っ青な空だ。
海よりも明るい薄いブルー。
視界が反転し、地上が見えてきた。
街がある。
崩れかけた高層建築、緑に覆われた市街地。
廃墟の街。
その街の一つの家屋の屋根の上に、一匹の猫がいた。屋根瓦の上で、暖かい日差しを浴びながらヌクヌクと寝そべっている。
ニャゴニャゴさまだ。
ボクの意識がニャゴニャゴさまに向かって急降下。
――くぁ、
と大きくあくびしたニャゴニャゴさまの口から飛び込んで、ボクの意識はニャゴニャゴさまとリンクした。
――む?
と、ニャゴニャゴさまの意識が、割り込んできたボクの意識に向けられる。
――またおまえたちか?
(こんにちは)
――昼寝の邪魔したら叩き出すからな。
(はーい)
ニャゴニャゴさまは前足をペロペロと舐めて、そのまま顔をぐしぐしとこすって、もう一度大あくび。
ごろんと横になりかけて、そこで思い出したように脇腹をペロペロと舐めて、ついでにそのまま尻尾の先まで毛づくろいを始めた。
ぺろぺろ、
ぐしぐし、
気が済むまで、ずっと毛づくろい。
ボクは黙ってそれを待つ。
何も言わない。
何も考えない。
ただ、ニャゴニャゴさまが毛づくろいするその感覚を、ボク自身ふわふわと感じて、身を任せていた。
暖かい日差しと、毛づくろいの感触。
ふぁあ、気持ちいい。
ニャゴニャゴさまっていうのは、まぁつまり、猫だ。
その猫となんで意識がリンクできるのかといえば、このニャゴニャゴさまは本当は猫じゃなくて、その正体は例の“人型ロボットの脳波データを無線で検出し、それをシステム言語に翻訳する機械”だからだ。
バグって暴走して逃亡したその野良コンピューターは、いまではこうして地上でこうやって猫として生活している。
なにがなんだかよく分からないけれど、ボクもよくわからない。
トウサンいわく、
「ニャゴニャゴさまは本当に猫に姿を変えたわけじゃなくて、“自分は猫なんだ”って思い込んでいるだけじゃないかな。その主体意識とリンクするから、僕らもニャゴニャゴさまが猫に見えているんだと思う。……わかる?」
「はい、わかりません。でもニャゴニャゴさまはモフモフで肉球プニプニで可愛いからそれでいいと思います」
「だよね~」
というわけで、ボクらにとってニャゴニャゴさまとのリンクは非常に重要な娯楽になっている。
気が済むまで毛づくろいを終えたニャゴニャゴさまは、身体を大きく伸ばすと、ふと、そこで動きを止めた。
とんがった耳がピクピクと動いて、聞こえてきた微かな音を拾い上げる。
ぱたぱたという羽ばたき音と、チチチという鳴き声。
小鳥だ。
近くの木の枝に雀が止まっている。
ニャゴニャゴさまの意識にムラムラと狩りの衝動が湧き上がった。
抜き足、差し足で、屋根の上を音もなく歩き出す。
ゆっくりと近づいて、射程距離に入ったところで前足をかがめてお尻は高く、しっぽピーン。
緊張が高まる、
どきどき、
わくわく、
それいけっ!
――にゃごっ!?
あ、失敗した。
飛びかかって伸ばした前足はわずかに届かず、雀は天高く空へ。
そしてニャゴニャゴさまは屋根から落ちて庭先へ。
(きゃー、落ちるううう!?)
――うるさいっ!
ニャゴニャゴさまはクルリと身を翻して鮮やかに四点着地。
(すごい、すごい、ぱちぱちぱち)
――むしゃくしゃする、出てけ。
(わぁ、それって八つ当たり?)
――だから子供は嫌いだ。
ボクの意識はニャゴニャゴさまから放り出されて海に落っこちた。そのまま海底深く沈んで、ボク自身:トシの身体に帰ってくる。
目覚めると、目の前の大型ディスプレイに「接続不良」の文字。
「ニャゴニャゴさまの不良って、性格不良の意味なんじゃないの?」
そう思わない、トウサン?
尋ねてみたけど返事がない。
トウサンはまだリクライニングチェアでヘルメットをかぶったまま眠っていた。
ディスプレイには「接続中」の文字。
トウサンばっかりずるいや。
ニャゴニャゴさまは子供は嫌いだって言ってた。トウサンは大人だから、うまくリンクできるのかな?
いいなぁ、ボクも早く大人になりたいや。
ボクが起動して二年目。
起動して九年目のトウサンの身体に、老化現象が始まった。
髪から徐々に色素が抜けていき、三ヶ月ほどでトウサンの頭髪は真っ白になった。
足腰の筋肉も衰え始め、重い荷物が持てなくなった。
内臓機構も弱ったのか、食事の量も減り、柔らかく消化のいいものしか食べられなくなった。
日に日に衰弱するなか、それでもトウサンはボクに授業を続けた。
「生き物の定義とはなんだい?」
「はい、自己増殖能力、エネルギー変換能力、恒常性維持能力、および自己と外界との明確な隔離を持つものです」
「それでは、僕たちは生き物かな?」
「はい、ボクたちは生き物です」
食事からエネルギーを生成し、常に同一の存在と意識を継承し、自我を持つ。
唯一のネックは自己増殖能力だが、これはアクアラボとセットで考えればクリアできる。
だから、ボクは胸を張って答えた。
「ボクらはちゃんと、生きてます」
「じゃあ、僕たちは人間かな?」
「いいえ、違います。ボクたちは人間を模したロボットです」
「じゃあ、人間ってのは、なにかな?」
「むぅ……」
これは難しい。
ボクたちは人間を模したロボットだ、それは間違いない。
そしてその目的は、人間再生のために人間のデータをとることだ。
ところが、ボクたちはその「人間」そのものを知らない。
集めたデータをもとに、どんな「人間」を作れば計画が完成するのか、それがよくわからないのだ。
「ヒトケタナンバーズの次の世代……十番目のトウは、そのことにすごく悩んでいたそうだよ」
と、トウサンはベッドに寝たきりのまま、ボクに語った。
「トウの時代にはもう、人間再生計画はハード面においてすでに完成しつつあったんだ。人型ロボットの完成度は、すでに人間そのものといっても良かった」
「しかし、ボクらの耐用年数は十年しかありませんが?」
「僕らの脳を最も効率よく発揮できる期間がちょうど十年なんだ。それを超えると思考が固定化して、新しい発想ができなくなる。人間で言えば、二十年を過ぎたあたりに相当するんだろうな。人間は十年かけて基礎的な知識を覚え、次の十年でそれを応用して自我を確立する。僕らは起動時にすでに最初の十年分をプログラムされているからね」
話が逸れた。
そう呟いて、トウサンはゴホゴホと咳をした。口を抑えた手には、黒い血がついていた。
キミーがハンカチを持ってきてその手を拭き取る。
「ありがとう、キミー……トウはね、自分が何をすべきかをずっと考えていた。基礎技術は揃っている。けれど、そこからどこへ進むべきかわからなくなったんだ。彼は計画に、技術目標ではなく、哲学的な目標を与えなければならなかったんだ」
トウサンの言葉を聞き、ボクは自分の手元にある日記帳に目を落とした。
それは十番目:トウから、十三番目:トウサンまでの世代、フタケタナンバーズが書き綴ってきた日記だった。
ボクは最初のページを開く。
――見回り、ご苦労様。異常ナシです。ボクだけです。
トウが最初に書いたのは、先代たちと同じ、ひとりぼっちの心だった。ボクは、そんなトウが導き出した答えが知りたくて、ページをめくる。
――ダメだ ダメだ 数式をいくら解いても さっぱりわからない 人間とは何かなんて わからない
――心理学? 統計学? 経済学? 資本論? 社会契約論? 意味不明だ
――聖書 コーラン 仏教お経ほーほけきょ 人間ってなに? ボクってなに?
――ひがな文字とにらめっこ 思考は頭の中でぐーるぐる うまく言葉にできない 整理できない
――ボクは ボクか? 人間そっくりなら 人間でもいいじゃないか
――ああ、もう、やってられるか
――おべんきょうはこれでおしまい!
――もう勝手にするさ ボクがやりたかったことを
乱暴に書きなぐられて、そこで日記は終わっていた。
「トウは答えを出せなかったの?」
「いいや」
と、トウサンは首を横に振った。
「日記を書くのをやめただけだよ」
「どうして?」
「彼は自分をやめたんだ」
「どういうこと?」
「トウは自分がロボットであるという記憶を消し、人間そのものであると思い込んだんだ。人間そっくりである自分が、人間であると思い込んだのなら、だったらそれは人間の再生である。トウはそう考えたらしい」
「それは……どうなんだろう?」
理屈は通ってるような、通ってないような。
しかし、そもそも根本的な問題が解決されてない。
「トウが人間になったとして…トウはそれから人間として何をしたんですか?」
「自分以外の人間を作ろうとしてたらしいよ」
「結局、同じなんですね」
次の十年を生きるための、次の個体を作成する。
それは今に至る十代以上にわたって延々と続けられてきた、ボクたちロボットのルーチンワークだ。
やってることになんの進歩もない。
「そうだね。でも、トウは自分が人間であると思い込んだことで、新たな目標を僕たちフタケタ世代に残してくれたんだ」
「それは、なんですか?」
「誰かと一緒に、暮らすってことだよ」
トウサンはそう言って、笑った。
痩せて青ざめた顔に、久しぶりに生気の光が戻ったみたいだった。
――びぃ びぃ びぃ サイレンが聞こえて目を開けた
――「やっぱり成功だ」 そう言って 目の前で誰かが倒れた
――君は誰? 「ボクはトウ」
――僕は誰? 「君はトウイチ」
――トウは 僕に日記をくれた 僕に 自分が何を考えて生きてきたかを話してくれた
――トウは 僕がいなくて 寂しかった そう言った 僕が生まれて 嬉しかった そう言った
――二人はいいね トウはそう言った
――僕が起動して二日目 トウは死んだ
――寂しいの意味を 僕は知った
トウが成し遂げたこと。
それは、十年かかるロボット製造期間を短縮させること。
同じ仲間と、同じ時間を過ごすこと。
アクアラボ的には食費や環境維持に二倍の手間と負担がかかることを意味する上に、その割に目に見えるメリットは何もない。
ヒトツからココノツまでのヒトケタナンバーズもそんな判断を下していたから、自分たちの耐用年数の強化も、製造年数の短縮も考えてこなかった。
――だって僕らは、人間を再生させるためのロボットだから……
自分たちの自己満足のためにアクアラボを使用するなんて考えてもこなかった。
それを、トウは覆した。
トウは、人間再生計画を引き継ぐためじゃなく、自分の孤独を埋めるために、十一番目のトウイチを作り出した。
二人が過ごしたのはたった一日だけだったけれど……
――お疲れ トウ 次は僕の番
――僕もそうだ 君と一緒だ
――さよなら また 次は きっと
トウイチ、トウジの世代で、ロボット製造年数は大幅に短縮された。
トウイチは、トウジと一年の月日をともに過ごした。
トウジは、トウサンと二年過ごした。
そして、トウサンとボクの生活は、もうすぐ三年になろうとしていた。
「トウコのところへ、連れて行ってくれないかな?」
ある日、トウサンはそう言った。
もうひとりでベッドから立ち上がることもできなくなったトウサンを、ボクはキミーの手を借りて車椅子に載せる。
車椅子を押すのはキミーの仕事だけど、今日はなんとなくボクが押したくなった。
ボクに仕事を取られたキミーは、アクアラボの外壁清掃に行ってしまって、ボクはトウサンと二人、生活棟から研究棟に向かった。
連絡通路を渡っている途中、強化ガラス越しに見える海底の景色に、こちらへ向かって泳いでくるクジラの群れが見えた。
――キュアアアアイイイイイイ
クジラの鳴き声が、アクアラボに響き渡る。
――キュアアアアイイイイイイ
――キュアアアアイイイイイイ
いくつも重なり合って聞こえるそれは、家族同士で交わされるものだ。
「群れの中に生まれたばかりの子供がいるんだね。親が心配そうに呼んでいるよ」
ボクがそう言うと、トウサンは目を丸くした。
「聞き分けられるのか、凄いな」
「毎日聴いてるからね」
ボクは耳を澄ませる。
――キュアアアアイイイイイイ
「子供が親を呼んでる。父さん、父さん、ってね」
「なんだか、僕が呼ばれてるみたいだ」
「間違ってないよ。トウサンは、ボクの父さんだから」
「………そうか」
トウサンは車椅子上でうつむいて、それきり顔を上げなかった。
疲れているのだろうか。
きっと、そうだ。
ボクはトウサンに負担をかけないように、でも少し急いで、研究棟へ向かった。
たどり着いたそこには、円筒形のガラス容器とその周りにひしめく生命維持装置。
ガラス容器の中にはライトグリーンに輝く培養液と、その中で泡沫に包まれて、膝を抱えて眠る少女の姿。
十五番目のロボット、トウコだ。
ガラス容器の中のトウコを前にして、トウサンが顔を上げて呟いた。
「大きくなったね……」
「うん、でもまだ三年は必要なんだ」
「残念だなぁ」
トウサンはそう言って、力なく笑った。
次世代を少女型にしようと思いついたのは、ボクだった。
きっかけは、ある日のトウサンとの会話だった。
――全部が全部、同じじゃないよ。僕らは少しずつ違うんだ。
――それって、いけないこと?
――いいや、いいことだよ。
トウサンがそう言ってくれたから、ボクはもっと違ってもいいんじゃないか、と思うようになった。
少女型は、技術的には可能だけれど、今まで誰も思いつかなかったことだった。
理由は簡単だ。
少女型を作ったところで、結局はロボット。生殖行為が可能であるわけではないのだ。
生殖行為をなさない以上、ボクたちロボットには本来、性別自体が存在しない。これまでのボクたちが少年型だったのは、単に初期設計がそうであったという理由に過ぎなかった。
だけど僕は、少女型を作ることに別の意味があると思っていた。
同じ少年型でも、トウサンとボクでは感性や思考の方向性に違いが生じている。
だったら、ハードそのものが大きく違う少女型では、感性や思考の方向性はもっと大きく変わるはずだ。
ボクは、それが何を生み出すのか、知りたかった。
トウサンが車椅子から手を伸ばし、トウコが眠るガラス容器に触れた。
「僕は君を作った。そして君は、トウコを作った。今までの僕らには考えもつかなかったことだ。君は凄いことをやろうとしてるんだ」
「それは全部、トウサンのおかげだよ。トウサンからいろんなことを教わったおかげだ」
「トウイチとトウジ、そして僕が目指したものは、コミュニケーションによるメモリの継承だった。データや、文字や、言葉だけじゃない。ともに生きて、ともに過ごしていくうちに、自然と伝わっていくもの……ねえ、僕は君に、メモリを継承できたかな」
「はい……」
「……よかった」
トウサンの手がガラス容器から離れ、後ろに立つボクに伸ばされた。
ボクはその手をとる。
「トウサン…」
トウサンがボクの手を握った。
弱く、今にも抜け出してしまいそうなその手を、ボクも握り返す。
「トシ…君に父と言われたとき、すごく嬉しかった……」
「……」
「僕も、君のことを、息子と呼んでいいかな……?」
「……―――」
もちろんです。
そう言おうとした言葉は、もう声にならなかった。
こみ上げる嗚咽に喉を塞がれて、ボクは、ただ頷くことしかできなかった。
でもそれじゃトウサンには、きっと伝わらないから、ボクはトウサンの手をはなして、後ろからトウサンを抱きしめた。
「ありがとう、僕の息子……」
「トウサン……とう…さん――」
抱きしめたトウサンの身体から、
熱が、
命が、
抜けていく。
「父さん――――」
ボクが起動して三年。
この日、ボクは生まれて初めて、泣いた。
――見回り、ご苦労様、異常ナシです。ボクだけです。
父さんが死んだ翌日。受け継いだ日記に初めて書いた一文が、これだった。
誰もいないアクアラボ。
いつも隣にいた人がいなくなって、ボクは本当の意味で、寂しいという感情を知った。
それはヒトケタナンバーズがずっと胸に抱えながら押し殺してきた感情。そしてトウからはじまったフタケタナンバーズが、乗り越えようとしてきた感情。
父さんのおかげで、ボクが今まで味わわずに済んでいた感情。
ボクはこれから、たった独りでこの感情と戦っていかなくちゃならない。
キミーによって海底へと運ばれていく父さんの遺骸を見送りながら、ボクは覚悟を固めた。
とりあえずボクの当面の目的は、トウコの管理だった。
今までに例のない少女型だ。基礎的技術は確立しているとは言え、やはり少年型と構造がいくらか違う以上、ちょっとしたデータの違いも無視できない。
それになんといっても、ボクの子供…娘になるわけだから、その成長を大切に見守りたかった。
トウコを守る生命維持装置や、測定機器群のプログラムを一部変更し、測定値が少しでも基準からズレたなら警報を発するようにした。
そしてそのときにはいつでも駆けつけられるよう、ボクは、トウコのガラス容器のそばに寝袋を用意して、そこで寝起きするようになった。
本当は食事もこっちに運んできてもらいたかったけれど、キミーが生活棟で食事をすることに拘わり続けたため、それは諦めざるを得なかった。
まぁ、研究棟での食事は、衛生面の問題もあるので、アクアラボの管理も担当するキミーが嫌がるのも当然だけど。
とにかく、ボクは風呂と食事とトイレ以外の時間のほとんどを、トウコのそばで過ごした。
トウコの繊細な成長管理に疲れたときなど、時々、ニャゴニャゴさまのところへ行って癒してもらいたくなる時があったけれど、そんなときは、いつかトウコと一緒にニャゴニャゴさまのところへ行くことを想像した。
幼いトウコが、ニャゴニャゴさまのふかふかモフモフな感触に、とろけるような笑顔を浮かべている姿を妄想すると、不思議とやる気が湧き上がってきて、頑張ろうという気持ちになった。
もっとも、そんなものは所詮、妄想でしかなかったのだと、後で嫌というほど思い知らされたのだけれど……
とにかく、トウコが起動するまでの二年間、ボクは忙しくとも充実した日々を送っていた。
そう、二年間だ。
トウコが起動するまで、本当は予想では後三年が必要だったのだけど、彼女は僕のそんな予想をあっさりと覆してしまった。
ボクが起動してから五年。
父さんが死んでから、まだ二年しか経っていない、ある日。
――びぃ びぃ びぃ!!
トウコの状態異常を知らせる警報が鳴り響いて、うたた寝していたボクは飛び起きた。
飛び起きてすぐに、目の前に並ぶ計器群をチェックする。
血圧、心拍数、体温、脳波、オールチェック。
オールブラック。
嘘だろう!?
数値が全部リセットされている。
トウコの生体反応がどこにも見当たらない。
なんてこった、トウコが死んでしまった。
「トウコっ!?」
慌ててガラス容器に駆け寄り、その表面に抱きつくように張り付いた。
そのなかでトウコは……
……やっほー、と能天気な笑顔で、ボクに手を振っていた。
「えーっと……」
寝ぼけてんのか、ボクは?
ガラス容器の中で、トウコが手を振っている。
とりあえず手を振り返すと、トウコは嬉しそうにキャッキャと笑って、今度は両手で、ぶんぶん、と大きく手を振り返してきた。
その手から、自分ではがしたと思われるセンサー類が、ふわふわ漂いながら底へ落ちていった。なるほど、どうりで計器類の数値が全部リセットされたわけだ。
呆然とするボクに対して、トウコは手を振るのをやめて、不思議そうな顔でボクを眺めていた。
どしたのーっ?
とでも言いたげな顔だが、どうしたもこうしたも、原因は君だよ、トウコ。
まさかこんなにも早く、しかも元気いっぱいに起動するなんて思わなかった。
思わなかったから、ガラス容器を叩くのをやめなさい。
そんなに強く叩いたら割れちゃうでしょ。
わ、わ、わー、ダメダメ、やめてぇぇ!?
ぐわっしゃん
じゃばじゃばじゃー
培養液があたり一面に噴出し、それと一緒にトウコが飛び出してきた。
ボクはトウコに体当りされて、尻餅をつく。
あとには、培養液でずぶ濡れになったボクと、そのボクにしがみついてケラケラと笑うトウコの姿があった。
「あははは、父さんだ、父さんだ、父さんだーー!」
「えーっと、ボクはトシって言うんだけど……」
「でも、わたしの父さんなんでしょー?」
「うん、まぁ、そだね」
そうだけど、いきなりそう言われても、まだ心の準備が出来てない。
「えっと、それでね、君の名前だけど…」
「知ってるよ、わたし、トウコでしょ。知ってるよ」
「なんで?」
「だって、いつもわたしの前でお話してたでしょ。ちゃんと聞いてたよ」
「本当に?」
起動する前から意識があったというのか。
これまでに前例のないことだった。
「えへへ~、わたし、お利口さん?」
「うん、お利口さんだ」
「えらい? えらい?」
「うん、えらい、えらい」
なでなで、と、まだ濡れてる髪を撫でてやると、トウコはとろけるような笑顔で、
「でへへ~」
と笑った。
うん、可愛い。
すごい可愛いぞ、ボクの娘は!!
やっぱり少女型にしてよかった。
感性の違いとか思考の方向性うんぬんとか、そんなものどうでも良くなってきた。
ただ、この子が生きてここにいる。
それがすごく嬉しい。
生きてて良かった!!!
ボクがそんな人生の喜びを噛み締めているところに、
びー、びー、びー、
と警報音を鳴り響かせながら、キミーが慌てて研究棟に飛び込んできた。
「あ、キミーだっ!!!!」
トウコがボクから離れて、勢いよくキミーに向かって駆け出していった。
離れる際にボクの腹を思いっきり踏み台にしてくれましたよ、あの子。
ぐえぇぇぇ!?
悶絶するボクを無視して、トウコはキミーを捕まえた。
「あはは、転がれ、転がれ~、あははは」
「びぃ~っ、びぃ~っ!?」
キミーの丸いボディを転がしながら、トウコは研究室から出て行ってしまった。
その開け放されたままの扉の向こうから、
「それ~!」
「びぃや~~~!?」
ごろごろ、
がしゃーん。
「あはははは」
……父さん、ボクはもしかしたら、とんでもないものを作ってしまったのかもしれません。
ボクはこれから起きるであろう、予測不能の毎日に、かすかに身震いした。
――見回り、ご苦労様。異常だらけです。トウコがいます。
トウコが起動して二日目の日記。ボクはその一文を、砕け散った大量の食器を片付け終えたあとに書いた。
どこで覚えたのかトウコが、
「かくれんぼー!」
とか言い出して研究棟を飛び出して、生活棟のキッチンの戸棚の上によじ登ろうとして食器棚をひっくり返したのが原因だった。
がらがらどがっしゃわん
「びぃーびぃーびぃー!!??」
昨日からキミーの警報に悲鳴のような感情を感じるのはボクの気のせいだろうか。
いや、そんなこと考えてる場合じゃなかった。
食器棚の下敷きになったはずのトウコを助けるべく、ボクとキミーは協力して食器棚を持ち上げた。
よーいしょっと、こらしょっと。
やっと持ち上げた食器棚の下には、トウコはいなかった。
「ばああっ!!」
「うわぁああっ!?」
いきなり背後から大声で叫ばれ、持ち上げた食器棚を取り落とす。
「びぎゃああ!?」
一体で食器棚を支える羽目になったキミーが悲鳴を上げる。
それを見てトウコが
「あははは」
と笑う。
食器棚が倒れる寸前に飛び退いたのか。すごい運動神経だ。
いやいや、そんなところに感心してる場合じゃなかった。
「トウコ、笑ってないで手伝って! キミーが潰れちゃうよ!?」
「はーい」
トウコも食器棚に手をかけ、そしてひょいと持ち上げた。
食器棚はあっさり元の位置に立ち上がった。
うーむ、少女ってのは少年よりも力があったのか。それは知らなんだ。
「かくれんぼーっ、父さんがまだ鬼だよ~」
言うやいなや、ダダダッと駆け去っていく。
いや~、や~め~て~!?
人間のあいだでは「子供は風の子」なんて言葉があったらしいけれど、これはそんなもんじゃない。
トウコはまるで暴風雨のような子だった。
ビデオライブラリにある記録映像で嵐の様子を見たことがあるけれど、それを擬人化したのがトウコだ。
トウコは見るもの触るものを片っ端からとっ散らかした。
食器棚の次に犠牲になったのは図書室で、彼女は本棚に並ぶ本を、片っ端から引き出しては床にぶちまけていた。
最初にそれを目にしたときは唖然として、次に怒りが湧いてきた。
怒り、なんて感情を抱いたのも初めてだった。
「トウコっ!!」
自分でも驚くくらい大きな声で発した声。
その声に、ページをすごい速度でめくっていたトウコは、身体を震わせた。
「と、父さん?」
「本をこんなにめちゃくちゃにするなんて、何を考えてるんだッ!!」
「わ、わたし…本読んでただけだもん」
「嘘言うなっ、散らかしてるだけじゃないかっ!」
ボクの怒鳴り声に、トウコが本を取り落とす。
その本は、ヒトケタナンバーズたちの日記だった。
それを知ったとたん、ボクは感情を激しく揺さぶられ、トウコのそばによると手を振り上げた。
その手を固く握り締める。
「ひゃっ!?」
殴られると思ったトウコが身をすくめる。
「びぃいいいいい」
いきなり現れたキミーが、ボクとトウコのあいだに割り込んだ。
「どけよ、キミー、どけってば!」
「びぃー、びぃー!」
キミーは丸いボディと細い手足でトウコを必死にかばう。
「いいよ、もう、勝手にしろっ!」
ボクは踵を返して、図書館を出た。
その後ろから、トウコが声を上げてわんわんとなく声が聞こえた。
ボクは頭の中と胸の内がぐしゃぐしゃになって、耳を塞ぎながらその場をあとにした。
逃げるようにしてやってきたのは、ニャゴニャゴさまとのリンク室だった。
ボクはヘルメットをかぶり、乱暴にボタンを押した。
(助けて、ニャゴニャゴさま!)
――いきなりなんだっ!?
(トウコが、ボクの娘が全然言う事を聞かないんです!)
――知るかそんなもん。だいたい、娘ってなんだ?
(ボクの次世代ナンバーなんです)
(少年型じゃなくて、少女型なんです)
――なるほど、最近姿を見せないと思ったが、そんなもん作ってたのか。で、お前の子供がどうしたって?
(生まれたばかりなのに、すごい暴れん坊なんです)
――そりゃそうだろう。生まれたばかりなら、暴れん坊なのは当たり前だろうが。
(え?)
(そうなんですか?)
――なにが正しくて、なにが悪いかなんて、生まれたばかりでわかるものか。思いつくままに行動するに決まってる。
(言われてみれば、そ、そうかも……)
(で、でもあの子、本読んでたって、嘘ついたんですよ!)
――状況がわからん、さっぱりわからん、つーか、帰れ。
(お願いだから助けてくださいよう)
(ボク、このままじゃトウコを殴っちゃう。殴りかけちゃったんですよう)
――憎いなら、殴りたくなるだろうよ。
(憎みたくないんです)
(愛したいんです)
――じゃあ、愛せばいいさ。それだけだ。
(愛し方がわからないんです)
――めんどくせーな、お前は。
(教えてくださいお願いします)
(今度、深海魚の煮干持ってきますから)
――いらんわ、そんなもん。ダイオウイカのスルメなら考えてやる。
(いや、でもあれ臭いですよ。むちゃくちゃ臭いんですよ?)
――そこがいいんじゃないか。
(うへぇ)
(でも仕方ない。がんばって作りますから、教えてください)
――よしわかった、耳かっぽじってよく聞けよ。
(ほじほじ)
(はい、準備完了です)
――いいか、それはな…………信じればいいんだよ。
(はい?)
――信じろ、って言ってんだ。見返りなんか期待するな。そして、否定するなってな。
――トウコってやつのことは知らないが、子供だって何か目的があって行動するんだ。
――それを否定してやるなよ。
――子供を信じて、手助けして、一緒に目標を叶えてやる。自分のじゃなく、子供の目標をな。
――それが親の役目だ。
(そう……なんですか?)
――そうだよ。お前、自分の子供の頃を思い出してみやがれ。
(とても聞き分けのいい、良い子でした)
――どの口がいいやがる。
すぽーん、とボクの意識がニャゴニャゴさまから放り出される。
海に落ちる寸前、防波堤の上でニヤニヤと前足を振るニャゴニャゴさまの姿が見えた。
――ダイオウイカのスルメ、忘れんなよ。
猫が笑うとすごい不気味だと、初めて知った。
ざっぱーん、
ぶくぶくぶく
そんな音はしないけれど、そんな感じでボクの意識は海を潜り、アクアラボの自分の身体に戻ってきた。
ヘルメットを脱いで、そして自分の手を見る。
僕はさっき、この手でトウコを殴ろうとした。
そのことに、自分でもゾッとする。
トウコを憎んでしまったのか。否定してしまったのか。
いやだ、そうはなりたくない。
憎みたくない。
愛したい。
ボクはこの手でトウコを生み出した。その手でトウコを否定したくない。
――……信じればいいんだよ。
「わかりました。ありがとう、ニャゴニャゴさま。やってみます」
ボクはもう一度、図書室に向かって歩き出した。
図書室の入口から中を覗くと、散らばった本の中に、トウコとキミーがいた。
二人で、床の本を拾っては、本棚に戻している。
トウコは時々、静かに嗚咽を漏らし、肩を震わせ、鼻をすすりながら、それでも本を片付け続けていた。
「キミー…」
と、トウコの声。
「これ片付けたら、お父さん帰ってくる?」
「び」
「本当に?」
「び」
「でも、まだ怒ってるかも」
「びび」
「ごめんなさいすれば良いの?」
「びー」
「わかった、ごめんなさい、する」
「びっ」
「うん、がんばって片付けて、ごめんなさいする」
トウコは目元をぐしぐしと拭って、また本を拾い出した。うん、なんか胸のあたりがキュンキュンするぞ。
やっぱり可愛いよ、可愛いよトウコ。
ボクの方こそ、ごめんなさいだな。
「トウコ」
「お、お父さん…」
現れたボクに、トウコはわたわた、おろおろ。
「ご、ごめんなさいっ!」
ぺこり、と下げた頭を、ボクは撫でた。
「うん、よく謝ってくれたね。ボクの方こそ、ごめんね」
「お父さん?」
「怒鳴って悪かった。殴ろうとして悪かった。……お片づけ、ボクも手伝うよ」
「う……うん」
ボクも散らばった本を拾いだす。
拾いながら、ボクはトウコに聞いた。
「トウコ、本を読んでいたって言ったけど、あれは本当なの?」
「ほ、本当だよ。ここにあるの、全部、読んだんだよ」
「う~ん」
ニャゴニャゴさまには信じろと言われたけれど、こればっかりは信じられない。
嘘を吐いたかもしれないという事自体は別に良いんだよ。ボクが怒ってしまったことに対する咄嗟の言い訳だったのかもしれないし。
でも、もしかしたら他に理由があるのかもしれない。いや、それとも嘘じゃなく、本当なのか?
それを確かめるためにも、ボクは少し意地悪な質問をすることにした。ごめんね、トウコ。これも君を理解するために必要だからやるんだよ。
ボクは床に散らばっている本を適当に一冊拾い上げた。タイトルは「スルメのつくり方」だった。なんだか随分タイムリーなタイトルだな、おい。
「トウコ、この本について説明してくれないかい?」
「うん、いいよ。スルメはね、まず―――」
【開きます】
イカを水で洗い、えんぺら(三角形の部分)を下にして、まな板に置き、包丁で切り開きます。
内臓には傷つけないように切りましょう。
数匹のイカがある場合には、この内臓を使っていかの塩辛にするといいでしょう。
【内臓を抜き取ります】
イカを開くと茶色の内臓が見えます。
内臓はえんぺら(三角形の部分)からはがし、足の周辺では内臓が薄い膜で支えられるようにして包まれているので、内臓だけを抜き取るようにします。
足の周辺で無理に引き裂くと、足とイカの胴体が離れてしまいますので注意しましょう。
【塩水で洗います】
3%食塩水(海水相当)を作り、きれいに洗います。
3%食塩水は、200ccの水に対して6gの塩を溶かせば作れます。
仕上げに完成後の湿潤をさけるために真水でさっと表面の塩分だけを洗い流します。
【干します】
天気の良い日に干します。
半日干したら、裏返してさらに半日干します。
くっついている部分は湿気ており、雑菌も繁殖しやすいので、ときどきはがしておくと良いようです。
一日干した状態で食べれば「一夜干し」です。
プンプンとイカの臭いが立ちこめます。
夜間は家に取り入れて、日中の3日間干し続ければ、立派な「スルメ」です。
【軽くあぶります】
火をとおしすぎてカチコチにならないように、強火の遠火でさっとあぶって食べます。
醤油マヨネーズが最高です。
異論は認めます。
「――だよ」
「マジですか」
本当に読んでいたよ、この子は。しかもスラスラと暗唱までしてみせた。
トウコが覚えていたのは、この本だけじゃなかった。
ほかにも何冊かランダムに拾って質問してみたけれど、トウコはそのどれも見事に答えてみせた。
「トウコ……君は本当に、すごい子なんだな」
ボクはトウコの頭を撫でる。
「ほんと? わたしすごい? えらい?」
「うん、えらいえらい」
「でへへへ~」
「でも、できれば最初に、マナーの本を読んで欲しかったなぁ」
「えへへ~、ごめんなさい。でも、ちゃんと覚えたよ。本を読んだら、片付ける」
「うん、そのとおりだね」
ボクは答えながら、でも、本だけで全てを知ってしまわなくてよかった、とも思っていた。
彼女が、ボクとのコミニュケーションで知識を得ていく。その行為が、ボクにとってもものすごく重要なことだと、気がついたからだ。
父さんたちが三代続けてやってきたことの意味が、ボクにもようやく実感できた。
「ねえねえ、お父さん」
「なに? トウコ」
「わたし、スルメ作ってみたい。作ってもいい?」
ははっ、これは好都合。
「うん、いいよ。一緒に作ろう」
子供を信じて、手助けして、一緒に目標を叶る。それが親の役目。
さすがニャゴニャゴさまのご宣託だ。ちゃっかり自分の供物まで用意させてしまうんだから、本当に恐れ入る。
ちなみにスルメを作るために、ダイオウイカを取りに深海大冒険を繰り広げたり、
スルメの製作過程で凄まじい異臭が発生して、アクアラボの自動防護システムが起動して、施設全体が強制閉鎖されかけたり、
出来上がったスルメをニャゴニャゴさまに進呈するには、それをまずボクたちが食べて、その味と食感をリンク装置で伝える必要があったり、
んで、実際食べてみて、とんでもなく不味くて、でもニャゴニャゴさまにはすこぶる好評で、
――また、よこせ。
と、天罰にも等しいお褒めのお言葉をいただいたりしたのだけれど……
……その全てを語るには、このページには余白が少なすぎるので割愛させてもらいます。
父さんはボクを作った。
そのボクがトウコを作った。
そしてトウコはスルメを作った。
父さんやボクに比べれば随分と可愛らしい作品だ。
けれど、起動して数日目で作ったものなら、スケールが小さいのも仕方ないだろう。
ん?
いや、けどスルメはスルメでも、ダイオウイカのスルメだから、スケール自体は大きいのかも?
――お前の娘、たしかトウコとかいったな。
と、いつぞやニャゴニャゴさまは言った。
――あれは見所がある。きっと大物になるぞ。
ニャゴニャゴさまが人を褒めるなんて、珍しいこともあるもんだ。
――またすごいスルメを作ってくるのを楽しみにしているぞ。
冗談じゃない。あんな不味いもの、二度とゴメンです。
そもそもニャゴニャゴさまは、うちの娘をスルメ職人にする気か。
「お父さん、お父さん、スルメ作り、面白かったね」
トウコもトウコで、すっかりその気になっちゃってるし。
「美味しくは作れなかったけど」
せめてもの救いは、あれが失敗だったと思っているところか。
「今度は、美味しく作ろうね」
可愛い顔して、恐ろしいこと言うな。ダイオウイカにいったいどれだけアンモニアが含まれていると思っているんだ。
しかもあれを苦労して脱臭したところで、どうせニャゴニャゴさまの嗜好から外れるだけだから、無駄骨にも程がある。
うーむ、どうやらトウコの教育方針を早急に見直す必要がありそうだ。
「ねぇ、トウコ」
「なぁに、お父さん?」
もっちゃもっちゃとスルメを咥えながら、トウコが振り向く。
あれ以来すっかりスルメ作りにはまっちゃって、いまじゃ毎日、新作に余念がないトウコだ。
「お父さんも食べる?」
ひょい、と裂きイカが差し出される。
「はい、あーん」
「あーん」
ぱく、もっちゃもっちゃ。
「美味しい?」
「うん、美味しい」
「わーい」
やっぱりスルメは、スルメイカに限るよね~。と、トウコ。
「あのね、そろそろ別のモノも作ってみないかい?」
「別のもの?」
「うん、スルメ以外で」
「アジの開きとか?」
「干物以外で」
「う~ん?」
マユ毛をハの字によせて悩むトウコ。
生まれてこのかた、他に作ったものも無いのだから仕方ないのだろう。
「とりあえず図書室に行って探そうか」
「うん!」
トウコと二人、手をつないで図書室へ。
図書室の本や記録については、トウコはとっくに全て記憶している。
けれど、単に知識を丸暗記しているのと、理解していることでは意味合いがまるで違う。
トウコは、ボクとその知識を共有し、共に体験することによって、その知識を経験として身につけることが必要だった。
「これなんか、どう?」
ボクはとりあえず、料理の本を手にとって彼女に示してみせた。
干物分野から離れるにしても、先ずは近い分野のほうがやりやすいだろう、と思ったからだった。
ちなみにタイトルは“寿司の握り方~江戸前編~”。江戸前ってことは、江戸裏ってのもあるのかな?
「う~ん?」
おや、微妙な表情。
「寿司は嫌いかい?」
「そういうんじゃないけど、お魚さばくと、どうしても干したくなっちゃって」
「……それは問題だね」
「うん、大問題だよ」
干さない魚なんて、どうやって食べればいいの~? と、頭を抱えるトウコは見事な干物女と成り果てたようだ。
お父さんは悲しいぞ。
「じゃ、じゃあこれなんてどうかな」
気を取り直して次に取り出したのは、家電・家具関係の本。
料理がダメなら、身の回りの生活必需品だ。
ボクら自身で身の回りの品を補修したり作ったりして、生活改善計画だ。
「あ、それいいね」
お、こっちはいい反応だ。
「スルメの乾燥用に、もっと性能のいい乾燥機が欲しいと思ってたところなの」
「……さようですか」
ダメだこの子、思考の中心が完全にスルメに支配されてる。
早く何とかしないと。
「ねぇ、お父さん。乾燥機つくろっ、早く、早く」
ぴょんぴょんと飛び跳ねるトウコ。
今度はボクが、マユ毛をハの字に寄せる番だった。
理由がなんにしろ、トウコが料理分野からを機械工学に足を踏み出したのは確かだ。
だったら、まぁ、いいかな?
「よし、作ろうか」
「わ~い!」
ははは、嬉しそうな顔しちゃって。
乾燥機が完成したら、食卓にはさらに美味しく仕上がったスルメが登るんだろうな。
そうしたらトウコは満足するかな。
いいや、もっと美味しいスルメを目指して、他の機材を作ろうとするだろう。
なにせここは海底ラボラトリだ、地上じゃない。
スルメを干す環境ひとつとっても、地上とはまるで別世界なのだ。
太陽の光もない。
自然の風もない。
それらを再現するには、大規模な施設と、そして多くの研究が必要だ。
そうだ、スルメひとつ極めるだけでも、やるべきこと、研究するべきことはたくさんある。
そしてそれは、決してスルメひとつにとどまる話ではない。
(あぁ、そういうことなんだ)
父さんたちがコミュニケーションにこだわった理由には、また別の面があったのだと、ボクは気づいた。
コミュ二ケーションは、メモリの継承に限った話じゃない。
コミュニケーションは、世界の成り立ちそのものだ。
どんなものでも、単独で成立しているものなんてひとつもない。
スルメに光と風が必要なように。
ボクに父さんがいたように。
トウコにボクがいるように。
すべて世界は関係性の中で生きている。
だから、とっかかりはなんだっていいんだ。
好奇心と創造力さえあれば、世界はそこからどんどん拡がっていくはずだ。
「ス、ル、メ♪ ス、ル、メ♪ かん、そう、きっ♪」
歌いながら連絡通路をスキップするトウコ。
その向かう先に、無限の可能性が広がっているのが、ボクには見えた気がした。
と、そのトウコの足が止まった。
おや、どうしたのだろう?
トウコの目が連絡通路の外に向けられた。
ボクもつられて外を見る。
強化ガラス越しに、クジラの群れが泳いでいるのが見えた。
――キュアアアアイイイイイイ
クジラの鳴き声が、アクアラボに響き渡る。
親子の群れだ。
子供が親を呼ぶ声がする。
「ゴハン美味しかったね、って言ってるよ」
「え?」
トウコの言葉に、ボクは驚く。
「鳴き声の意味までわかるのかい?」
「うん、ダイオウイカいっぱい食べれて嬉しいって言ってるよ」
そういえばダイオウイカは、マッコウクジラの好物だっけ。と、そんなことを思い出す。
いやいや、気にするところはそこじゃなかった。
「すごいな、そこまで聞き分けられるのか。ボクには親を呼んでいるぐらいにしか分からなかったよ」
「そうなの? クジラさん、いっぱい色んなこと喋ってるよ。ほら」
耳を澄ます。
――キュアアアアイイイイイイ
――キュアアアアイイイ
子が親に甘える声。
「お父さん、遊ぼう、って言ってるよ。いっぱい遊ぼうって」
トウコがくるりと、ボクに向く。
「私といっしょだねっ♪」
その仕草に、
その言葉に、
ボクの心はとろけそうになる。
その頭をよしよしと撫でてやると、トウコは、
「でへへ~」
と、嬉しそうに笑った。
トウコの創造性は、ボクの予想通りスルメを中心に展開した。
乾燥機の次にトウコが望んだものは、太陽光に近い照明設備。
そして自然風を再現できる空調設備だった。
彼女はアクアラボの研究棟の一画をスルメ工房に作り替えていた。
当初は、干場と乾燥機ぐらいしかなかった殺風景なその場所が、時を経るにしたがい、どんどん賑やかになっていった。
「人工的な環境調整だけじゃ物足りないと思うの」
と、ある日トウコは言った。
「先ずは太陽光ね。人工照明でも同質の光は再現できたけど、ニャゴニャゴさまと日向ぼっこしてる時のような感じとは、どうしても違うのよ。なんか柔らかさが足りないというか」
「光源にフィルターをかけてみるのは?」
「ただのフィルターじゃダメなのよ。重要なのは空気。常に微妙に変化する自然の空気を透かした光じゃないと、本物の光とは言えないわ」
そこまで自然の環境にこだわってもスルメの味に劇的な変化はなさそうだが、トウコにとっては、もうスルメ以上に自然環境を再現するという方向性の方が重要なようだった。
「自然の空気を再現するには、人工的な機器だけじゃなくて、ランダムな要素も重要だわ」
「空調制御にカオス理論でもプログラムするかい?」
「ううん、それよりも植物を植えたいわ。森は空気を生み出すもの」
「植物なんて、ラボにあったっけ?」
「あったはずよ。図書室にあった記録帳に、冷凍保管された種や苗木が載っていたもの」
じゃあ探してみよう。
ということであちこち探してみたら本当にあった。
それも急成長するように遺伝子改良されたやつ。
「テラフォーミング用って書いてあるし、これを作った頃の人間って惑星改造を目指すほど科学が発展していたようだね」
「でも、滅びたのよね。不思議だわ」
二人顔を見合わせ、微妙な表情。
しかし、人類滅亡の謎よりも植物が残っていた方が重要だ。
と、いうことでスルメ工房は植物園へと変化していった。
「でも、あんまりやりすぎると、ラボの環境維持に影響が出るかしら? 私たちロボットが二人いるだけでも負担になるんだし」
と、トウコが心配するので、その方面の調整はボクが請け負うことにした。
トウコの植物園からの酸素と二酸化炭素、水分、その他養分の供給量と排出量を計測し、シミュレートした結果、現時点では植物園への供給量の方が多いが、植物園の規模を二倍にすれば、その関係が逆転することがわかった。
「と、いうことでガンガンやればいいよ」
「やったぁ」
植物園の拡張に気づいたキミーが、びぃびぃびぃと動転したように喚いていたけれど、シミュレーションの結果を入力してやったら、あっさり協力してくれるようになったのも面白かった。
かくして、トウコが起動して二年。
アクアラボは大きく変化しようとしていた。
そして、トウコが起動してから三年経った、ある日のこと。
「ねぇ、お父さん。世界って、不思議よね」
連絡通路に作られた、小さな渓流のそばにかがみこんで、トウコは言った。
「どんなものだって、単独じゃ存在できない。色んなものが関係し合って、循環して、世界は成り立っているのね」
それは、以前ボクが気づいた世界の関係性だ。
けれどボクは、それを言葉で伝えた覚えはない。
言葉にせずとも、彼女は自分でそのことに気づくと信じていた。
トウコの手が、渓流に浸される。
ひんやりと冷たいそれは、真水だ。
研究棟の植物園の森から、生活棟へと引かれている生活用水。
生活棟で消費された水は再び森に戻され、清純な水へと濾過され、循環する。
トウコの森ができる以前は、海水を沸騰させて真水を作っていた。
それに比べると時間あたりの効率は悪いけれど、消費エネルギーは比較にならないくらい低かった。
現状、もっともエネルギーを消費しているのは太陽光を再現するための照明設備だった。
けれどこれも、海上から海中に何枚もの反射板をそなえたトンネルを設置する計画が完成すれば、解決するはずだった。
世界は、変わってゆく。
「ねぇ、トウコ」
「なに、お父さん?」
「君は、このラボを……この世界を、どうしたい?」
その問いに、彼女は考え込んだ。
ボクと、トウコのあいだに沈黙が降りる。
連絡通路に、渓流の水音だけが響いていた。
と、そこにクジラの鳴き声が聞こえてきた。
――キュアアアアイイイイイイ
トウコの目が、連絡通路の外に向く。
「外の世界……」
ふと、トウコがポツリと呟いた。
「……私は、ここを外の世界にしたい。図書室でしか知らない外の世界を、ここに再現したい―――ううん、違うっ」
トウコは頭を振って、自らの言葉を否定した。
その目が、ボクに向けられる。
「私は、外の世界に行きたい。あのクジラたちのように、世界中を旅したい。ねぇ、聞いて。クジラたちの言葉を!」
――キュアアアアイイイイイイ
鳴き声が響く。
「あのクジラたちは北の海から来たと言ってるわ。分厚い真っ白な氷に閉ざされた世界。巨大な氷塊が、海面から海底に向かってまるで山のように聳え、いくつも連なっているんですって。そしてこれから南へ向かうのよ。海底にあるいくつもの火山が、巨大な熱流の柱を吹き上げている海。色鮮やかな熱帯魚や、珊瑚礁が広がる海へ!」
もっと知りたい、
もっと感じたい、
この世界のことを。
トウコの抑えきれない好奇心は、もうこのアクアラボにとどまるものでは無かった。
ニャゴニャゴさまとの交信や、深海艇での近海の探検でも満たされない、その欲求。
彼女が望むものは、もっと大きな、もっと広い、可能性に満ちた世界だった。
だけど……
だけど、ボクらは、そこへ行くことは可能なのだろうか。
ボクらは人型ロボット。
寿命は十年で、生殖能力を持たない。
ボクは以前、父さんから、
「僕たちは生き物か?」
と、問われ、
「はい、生き物です」
と答えた。
だけどそれは、このアクアラボの環境内に限った場合でしか成立し得ない答えだった。
そう、ボクたちはこのアクアラボから出ていけない。
出て行ってしまったら、もう次世代を残せなくなってしまうから。
それは、
それだけは、決してやってはいけないことだった。
次世代を残すということは、ボクらにプログラムされた本能であり、そして、ボク達がこの世界に生きたという、証でもあるから。
だけど……
「お父さん……?」
だけど、そのボクが生きた証が、ボクの愛する娘が、外の世界へ飛び出すことを望んでいる。
ボクは、それを叶えてやりたい。
トウコが望む世界へ、羽ばたかせてやりたい。
「……」
「お父さん……」
答えることができないボクを、不安な瞳でトウコが見つめる。
ボクは彼女を安心させるように微笑んで、トウコの髪を撫でた。
君が望む未来へ、進めばいい。
そう迷いなく答えられたら、どんなに楽か。
「……ごめんね、変なこと言っちゃって」
ボクの心を見透かしたのだろう。
彼女はそう言って、
「今日はもう寝るね。……おやすみ」
そう言って、ボクの頬にお休みのキスをして、自分の部屋へと引き下がっていた。
ボクはトウコの温もりが残る頬をさすりながら、研究棟へと歩き出した。
向かった先は、ニャゴニャゴさまとのリンク室だった。
ヘルメットをかぶってボタンを押し、意識を飛ばす。
陸は、雪の降る夜だった。
雪で白く染まった丘の上に、
猫が一匹、
泰然と佇み夜空を舞う雪を見上げていた。
寒くないの、と問う。
――こうみえて機械だからな。寒さは感じない。
(日向ぼっこしてる時は、温もりを感じたのに?)
――陽射しは、きっと暖かいだろう。そう考えたからだ。
――本当は北風が吹いて冷たかったかもしれん。
(あの感覚は、すべて嘘だったの?)
――嘘とは、失敬なやつだ。
突然、全身に突き刺すような冷気が襲いかかった。
身体の芯から凍えそうだ。
――雪が降るくらいだから、きっとこれぐらい寒いのだろう。
――しかし本当は、違うのかもしれん。
今度は火傷しそうなくらいの熱波。
雪のひとひらが、まるで熱された油の塊のようだ。
――暑い寒いだけじゃない、この雪だって、実は火山灰かもしれんのだ。
(それじゃあ、いったい、何が本当の世界なの)
――自分が見たもの、感じたものだけが本当の世界だ。それ以外に検証するすべはない。
(トウコが、外の世界を見たいと言っているんだ)
(あなたを通じての世界じゃ満足できなくなったらしい)
(きっと、トウコはこれが、あなたの世界でしかないことに気づいていたんだな)
――あの娘は最初から気づいていた。理屈ではなく感覚でな。思ったとおり、大物になったな。
(だけど、ボクらはラボ以外では生きていけない)
(次世代を作れない)
(どうしたらいいの、ニャゴニャゴさま)
――どうしたも、こうしたも、あるものか。
(そうあっさり見捨てないでくださいよ)
(またダイオウイカのスルメ作ってきますから)
(とびきりクッサイやつ)
――それはそれで魅力的だが、そうじゃない。お前、わざわざここに何しに来た?
(だから、トウコの望みを、どうすればいいか相談に)
――相談じゃなくて、こういって欲しかっただけだろう。
――……迷わず進め、ってな。
(え?)
(あぁ……)
(いいの?)
――やかましいわ、はじめから答えは出ていたくせに。
――お前たちは、好きに生きていけばいいんだ。人間が作った使命に縛られる必要なんて、どこにもありはしないんだ。
――かつて、トウが自分の孤独を癒すために次世代を作ったように。
――お前たちは、お前たちの望むように生きていけばいいんだ。
(そうか)
(そうだったね)
(ありがとう、ニャゴニャゴさま)
(ボクたちは、ボクたちの新しい世界を目指すよ)
――ああ、そうしろ。だが、難しいぞ。
(わかってる)
(でも、目指したいんだ)
(トウコがそう望んでいるんだ)
(だったら、ボクもその望みに向かって生きていきたい)
――トウコの世代でも成せるかどうかわからない望みだ。
(だったら、それを叶える次世代を作ればいい)
(そうか、そうだったのか)
(そう、これが新しい世代の目標になるんだ)
――目指すべき目標が決まったな。人間が定めた目標ではない、お前たちの目標が。
――お前とトウコだけじゃない。
――お前たち人型ロボットという存在自体が目指す目標だ。
――いや、お前たちはもう、人型なんかではない。
――人と同じ、いや、違う“何か”だ。
(ボクらは、ボクらでいいよ)
(それを何と呼ぶかは、ボクたちのあとの世代が考えればいい)
(ボクらは、ボクらがやりたいことをやるよ)
――小生意気なガキが、大人になったな。
――なら、ひとつ、とっておきの秘密を教えてやろう。
(秘密?)
――この世界には、まだ他にもアクアラボがたくさん残されている。
――お前たちのラボほど整ってないし、動くかどうかもわからない。
――どこにあるかわからないものだって多い。
――それでも、きっと探し出す価値はある。
(もし探し出せたら)
(もし動かせたなら)
(もし他のラボでも次世代を残せたなら……)
――その時世界は、お前たちのものになるだろう。
(ありがとう、ニャゴニャゴさま)
(あなたはやっぱり、ボクらの神様だ)
――いずれ、その目で神の本当の姿を拝むだろう。
(きっと、もふもふで肉球プニプニの可愛い神様だよ)
――ああ、その通りだ。さぁいけ。
(はい)
(さようなら、ニャゴニャゴさま、さようなら)
――さようなら。
雪の中で尻尾を振る猫に見送られ、ボクはマリンスノー漂うアクアラボに帰ってきた。
「トウコ」
まだ起きているといいな、と期待しながら彼女の部屋の扉をノックする。
「なぁに? どうしたの?」
よかった、起きてた。
ボクは思わず、彼女を抱きしめていた。
「お、お父さん?」
「トウコ、行こう」
「へ?」
「外の世界さ。君が望むままに、どこまでも行こう」
「え……ええええええ!?」
驚く、トウコ。
でも、大丈夫。
ボクらは行けるよ。
望めば必ずたどり着ける。
なぜならボクらは、これまでずっと、望むままに未来を作り変えてきたのだから。
ボクらは、未来をつくる生き物なんだから。
ニャゴニャゴさまから教えてもらった、他のラボの存在。
その所在は、案外あっさり判明した。
「他のラボって、どこにあるのかなぁ」
「このラボに記録でも残ってればいいんだけどね」
「でも、図書室で見た覚えはないわ。ねえ、キミー、あなたは見たことある?」
「び」
「キミーに聞いても……」
「びび」
「知ってるって」
「うそぉ?」
「びー」
「付いてきてって」
二人して、キミーの丸っこいボディを追いかける。
キミーは図書室で世界地図を広げると、そのあっちこっちを指差し始めた。
「ここと、そこと、あと、あそこにも」
「ほんとにいっぱいあるんだね。っていうかさ、知ってるならなんでもっと早くに教えてくれなかったのさ?」
「びーびび、びぃ~」
「聞かれなかった。そもそも、あなたたち、いままで興味さえなかったでしょう? って言ってるよ」
「正確で細かい翻訳ありがとう。お父さん、いろんな意味でビックリだ」
「とりあえず、一番近いのはここね。ねぇ、行ってみましょうよ!」
うきうきわくわく遠足気分。
深海艇に乗ってたどり着いたそこは、お化け屋敷も真っ青な海底廃墟だった。
深く長い迷宮のような通路。
不気味に蠢く謎の影。
そして襲い来るダイオウイカ!!
「本当に廃墟だったね。設備もほとんど使い物にならなかったし」
「手に入ったのはスルメの材料だけね」
「アンモニア臭いのはもう勘弁してほしいな」
「びー」
「次行ってみよう。だってさ」
こうしてボクたちは、各地のラボの調査を始めた。
廃墟、
廃墟、
また廃墟。
どこまで行っても廃墟ばかり。
まともに動かせる施設はひとつもなかった。
でも、それでもそこには、かつて人間たちが暮らした跡があった。
人間たちが、何かを成し遂げようとした跡があった。
彼らが何を求め、何を生み出そうとしていたのか、それを知るすべはない。
けれど、その試行錯誤のどこかの部分の果てで、ボクらは生み出されたのだろう。
ならばボクたちも、そのように生きよう。
何かを成し遂げ、何かを生み出していこう。
人間の歴史を受け継いだ、人間ではない“何か”として。
あれから、数年が経った。
ボクたちはまだ、アクアラボで生活している。
このアクアラボ以外に、居住可能で、そして次世代を生み出すことができるラボは無かった。
でも、ボクたちは諦めたわけじゃない。
無いのなら、作ればいい。
トウコがこのラボを、自然あふれる森に変えたように。
廃墟となったラボも、ボクらの手で新たな世界へと作り替えられるはずだ。
そうしたら、そこを足場に、さらなる世界へ旅立てばいい。
トウコはそれを、次世代に託すことにした。
このアクアラボの外で、新たな世界を創ることを目的とした次世代ナンバー。
トム、と、トーナ。
それは、十六番目と十七番目の同時製造という初の試みだった。
ガラス容器の中に浮かぶ二人の姿は、まだ小さな赤ん坊だった。
元々は一体分の細胞核だった。
トウコはそれを二つにわけ、別々の個体として成長するようにプログラミングしていた。
つまり、トムとトーナは一卵生の双子とも言うべき存在だ。
けれど、トムは少年型で、トーナは少女型として成長するようにプログラミングされている。
「この子たちは二人で一人なの。一人では何もできないか弱い存在だから、二人で支え合いながら生きていくのよ」
「なぜ、か弱くしたんだい? 二つに分けなければ、一人でも充分に生きていけるはずなのに」
「でも、一人じゃ進歩がないわ。二人でいることに、意味があるの」
そう言って、トウコはガラス容器に並んで浮かぶ赤子たちを、愛おしそうに眺めた。
人型ロボットは本来、成長しきった状態で起動するのが基本だった。
姿かたちこそ人間の十歳児相当の少年少女だが、肉体的にそれ以上の成長はないのだ。
だけど、トムとトーナは、違う。
この双子は未成熟な状態で生まれ、そして成長し続けるのだ。
トウコが、そのように作った。
なぜなら二人はこれから、アクアラボ以外の、他のラボで生きていくことを目的としていたから。
二人で協力し合いながら、精神的にも肉体的にも成長していくことにより、新たな環境で、新たな世界を切り拓いていく。
この二人なら、それができると、トウコは信じていた。
でもきっと、トウコが次世代を赤ん坊から起動させようとした理由は他にもある。
それは……
「私は、お父さんのおかげで、いろんな経験をすることができた。新しい世界が広がっていることを知ることもできた」
「ボクにとっては、それは全部、トウコのおかげだよ。君がボクの世界を広げてくれたんだ」
ボクは、車椅子の上で、トウコに語りかける。
最近は足腰に力が入らなくなってきた。
ボクも、もう九年目。
日に日に、老化現象が進んでいくのを実感していた。
「キミー、もう少し前に押してくれないか。トムと、トーナをもっと近くで見たいんだ」
「び」
キミーが車椅子を押してくれる。
ガラス容器に手を差し伸べる。
脇から、トウコが手を添えて、ボクの腕を支えてくれた。
「ありがとう、トウコ。……ボクの腕もずいぶん細くなったもんだ。これじゃ、この子達が生まれても抱いてあげられないな」
「大丈夫よ、あともう少しで生まれるわ。小さな赤ん坊として生まれるの。とても軽いはずよ」
だから、抱いてあげて。
私が生まれたとき、抱きとめてくれたように。
トウコはそう言って、ボクの手に自分の手を重ねた。
そう、彼女は余命少ないボクのために、次世代の起動を早めてくれたのだ。
ボクに、新たな命を……
孫を抱かせるために。
かつてガラス容器に浮かんでいたトウコを見て、
――残念だなぁ
そう呟いた父さんの背中を思い出して、ボクは胸が熱くなった。
「トウコ、ありがとう、ボクは君から、たくさんのものをもらえたよ。生きてて良かった、生まれて良かった、心からそう思えるよ」
「お父さん、そんなこと言われたら、別れの言葉みたいで、なんだか寂しいよ」
「あぁ、そうだね。まだ早いよね」
この子達が生まれる時まで、ボクは生きなきゃね。
でも、ここは少し冷えるよ、トウコ。
「び」
「そうね、キミー。お父さん疲れてるみたい。寝室に連れて行ってあげて」
「び」
「あ、ちょっと待って」
お父さん、おやすみのキスよ。
そう言って、ボクの熱っぽい額に優しいキスの雨が降る。
「おやすみ、お父さん。愛してる」
ボクもさ、トウコ。
ボクの言葉は口に出る前に、意識ごと夢に溶けていった。
夢を見た。
父さんの夢だった。
ボクは父さんに、トウコを紹介した。
父さん、父さん、ボクの自慢の娘だよ。
すごく可愛いでしょ。
――あぁ、すごく可愛いね。それに、とても賢い。
そうだよ。
――それに、とても優しい子だ。
うん、そうなんだ。
――トシ。
なに、父さん。
――君は僕の、自慢の息子だ。
嬉しいよ、父さん。
――立派な父親になったね。
ありがとう、父さん。
――さあ、迎えに行ってあげなさい。新しい命が、君を待っているよ。
……
………
…………
……………
びぃ!
びぃ!
びぃ!
けたたましい警報音が鳴り響いて、ボクの意識が呼び戻された。
「キミー!?」
ボクの寝室に、キミーが警報音を鳴らしながら飛び込んできた。
まさか、
「生まれたのか!?」
「びー!」
「はやく、連れて行ってくれ!」
ついに来た。
この時を待っていた。
キミーに車椅子を押され、ボクは連絡通路を走り抜ける。
今すぐ行くから、どうか待ってておくれ。
ボクは今日、死んじゃうから。
だからその前に、君たちをこの腕に抱かせておくれ。
飛び込んだ研究室で目にしたのは、開かれたガラス容器と、
二人の赤ん坊を両手に抱えた、トウコの姿だった。
ほぎゃあ!
ふんわぁ!
ほぎゃあ!
ふんわぁ!
右と、左で、元気な泣き声が響き上がる。
トウコは左右の重みと泣き声に、半泣きの表情になりながら、ボクを見た。
「お父さん、見てよこれ、二人とも元気いっぱいで、大変だよ」
「トウコが生まれたときは、もっと大変だったよ。これぐらい、大人しいもんじゃないか」
「もう、意地悪。お父さん、この子たち重いわ。抱ききれない。ねぇ、抱いてあげて」
トウコが車椅子に近づき、ボクに左半身を寄せた。
左腕に抱えられてる女の子は、トーナだ。
ボクは受け取り、そっと胸に抱く。
あぁ、重いなぁ。
それにとても暖かい。
「あら、泣き止んだわ。お父さんだと、泣き止むのね。……ねぇ、トムも抱いてあげて」
「ああ、ほら、来なさい」
力を振り絞って、トムを膝の上に載せるようにして、片手で抱え込む。
トムは僕の顔をまじまじと眺めると、きゃっきゃっと笑いながら、ボクのほっぺたを、その小さな手で引っ張り始めた。
「あやや、ひたい、ひたいよ」
あはは、ボクの方が泣かされそうだ。
でも、ボクよりも先に、トウコが涙を浮かべていた。
「トウコ、どうしたんだい?」
「わからないの。変だわ、嬉しいのに、涙が出てくるの」
「ああ、ボクもだよ」
微笑むと、目の端から涙が流れた。
トウコもその顔に笑みを浮かべながら、ぼろぼろと泣いていた。
「トウコ……」
「お父さん、抱いて、抱きしめて……私が生まれた時みたいに」
「ああ、いいよ。おいで」
キミーに双子を預けて、ボクは両手を拡げる。
トウコはグシャグシャに泣きながら、ボクの胸に顔をうずめた。
「お父さん…、お父さんっ!」
「トウコ、さあ、次は君の番だ。……いいお母さんになるんだよ」
「うんっ……っ!」
ボクの腕の中で、トウコが頷く。
何度も、何度も。
「お父さん、お父さん……」
トウコの声が、心地よく耳の中に拡がっていく。
腕の中のぬくもりが、ボクの冷たい身体に染み渡っていく。
あぁ、気持ちいいなぁ。
ふわ、と浮遊感に包まれて、ボクの身体から重さが消えた。
足元にトウコが見える。
ボクの身体にすがりついて、泣いている。
泣かないで、トウコ。
君はひとりじゃない。
トムとトーナがいるじゃないか。
それにキミーだっている。
だから、大丈夫だよ。
意識がどんどん遠くなる。
海を抜け、空へと舞い上がる。
あ、ニャゴニャゴさまが尻尾を振ってる。
ばいばい、またね。
トウコと、子供達をよろしくね。
そして、さらに世界が広がって、
ボクは、
空と、
海と、
そして、愛する君の傍へ、
さよなら。また、次は、きっと。
――了――