歌詞自己解釈小説   作:楓シロップ


原作:楽曲
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元となった歌詞の通りです。

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カンザキイオリさんの「あの夏が飽和する」を勝手に偽物の作品として自己解釈したものを文章にしたものになります。
もちろん、この楽曲には小説がすでに存在していることは重々承知していますが、単に私が自己満足として、この楽曲を好きな気持ちをどうにか残したいと考えこのような形になりました。
拙い文章ではありますがよろしくお願いいたします。


「あの夏が飽和する」の勝手な解釈

「昨日人を殺したんだ」

 君はそう言っていた。梅雨時、ずぶ濡れのまんま朝早くに家にやってきて、僕の部屋の前で中に入る前からすでに泣いていた。泣きながらそんな言葉を小さな口から絞り出すように吐いていた。夏が始まったばかりだというのに君はひどく震えていた。殺しなんてとても行えないかのようなおとなしく小さな小動物のように僕の目には映った。そんな話で始まるあの夏の日の記憶だ。

 

 僕は何故か今日は親は仕事でいないにも関わらず君を隠さなきゃと感じ、君をとっさに自分の部屋の中に入れた。君は部屋に入るなり力が抜けたようにへたりこんでしまった。僕は自分の中でさっきの言葉を反芻していた。君がなんと言っていたのかうまく言葉が頭に届いて来なかった。こうして君を家に上げてしまったのは、もしかしたらとんでもないことをしているのではないかという思いが湧き、心臓が嫌な鼓動を始め額からどろっと汗が垂れてきた。君は何か言おうと口をパクパクさせたが、言葉は何も出てこず下を向いてしまった。君の濡れた髪から雨水が滴り僕の部屋の絨毯を濡らした。そのことに君は申し訳ないような焦った表情でこちらを控え目に見てきた。僕はハッとしてすぐにバスタオルを取ってきた。気付けなかった。ごめんと言いながら、バスタオルを渡した。服も貸した方がいいのだろうかとも思ったが、性別の違いが頭を過ぎりうまく口に出せなかった。君は濡れた髪を拭くと、身体に服の上からバスタオルを巻きつけた。体育座りをして少し落ち着いたように見えた。バスタオルは僕から見ても分かるほどみるみるうちに濡れていった。僕は何もできずに黙っていた。

 くしゅん、と音がした。

「ねぇ、ごめん。服を貸してくれない?」

 君は沈黙を破ってそう言った。少し震えていたが明るく言おうという意思が伝わる声だった。僕は少し面食らって気後れし自分を恥じた。

「ジャージでもいい?」

 僕は適当にクローゼットから上下セットのジャージを出して渡した。さすがに下着は貸せなかったが、ジャージを着るだけでも違うだろう。僕は君が着替えている間にキッチンで温かい紅茶を用意していた。これも、身体が冷えそうという君の言葉がなきゃ思い至らなかった。不甲斐ない。パックからコップの中に溶け出す紅茶を見ているとだんだんと自分の思考が正常になっていっているように感じた。ノイズが一緒に溶けているようだった。雨音が窓を叩く音がキッチンに響いていた。

 

 部屋に戻ると、僕のジャージを着た君がちょこなんと体育座りで座っていた。隣には濡れた服がバスタオルの上に生気もなく広がっていた。持ってきた紅茶を受け取る時に顔を上げた君の目が少し赤くなっていることに気付いた。君は紅茶の温かさを逃がさないとしているかのようにコップを両手で包み込んで啜っていた。それから、ほぉっと息を吐くと何かがゆるんだかのようなあるいは調子を取り戻したかのような雰囲気を漂わせた。僕も同じようにして飲んだ。湯気で眼鏡が曇った。フフっと言って君は思わず微笑んで僕を見た。雨の音しかしない部屋の中で君から漏れ出た音が現れて消えていった。笑顔はダムが決壊するように少しずつスローモーションのように崩れていき、最後には目には涙を浮かべ膝におでこを当ててすすり泣きをし始めた。僕はまたどうしたらいいか分からなくなった。君はしゃっくりをしながらもなんとかまた「昨日、人を殺したんだ」と言った。僕はただ黙って聞いていた。君の言葉を疑うわけではないが、いまいち真実味が湧かない自分がいた。途切れ途切れになりながらも君の話は続いた。

「…殺したのは、隣の席のいつも虐めてくるアイツ。昨日も呼び出されて金を要求されてさ、もう嫌になって肩を突き飛ばしてね。――そしたら、打ち所が悪かったんだ、と思う。威勢の良かったアイツが急に静まり返ってピクリとも動かなくなってね。…少しスッキリした。昨日はその後放心状態でどうやって家に戻ったかも覚えてない…。気付いたら部屋に居たし妙な現実感があったけど夢だと思った。なんか疲れてたからそのまま寝ちゃった。でも、今朝のニュースでね、アイツの死体が発見されたんだってさ。それ見て逃げてきちゃった。ごめんね、急にこんな話したり泣いたりして。困るよね。どっちにしろ、もうここには居られないと思うしさ、誰かに聞いてもらいたかったんだ。心配しないで。私は、どっか遠いとこで死んでくるよ」

 最後の方には君は投げやりになっているような口調になっていた。最後まで一度も顔を上げなかった。身体が少し震えてるのが分かった。どうして君はそんなに仲良くもない一冊の本の繋がりしかない僕のところに来て、どうして僕にそんな話をしてくれるのか、僕には全く分からなかった。僕よりも適任な人がいるのでは。そんな疑問ばかり浮かんで僕は何か言わなきゃという気にはなったが、どれも固く閉じた口を開くだけの力はなかった。誰か僕に模範解答を教えてくれないものか。頭を捻っても自首を勧めるだとか償うべきだと言うとかそんな的外れの嫌な一般常識しか思い浮かばない。そんなこと言いたくもない。君はクラスで僕の席の斜向かいに座っていた。君がアイツに罵声を浴びせられ髪を引っ張られ虐められている時も、アイツの取り巻きが君がいないうちに机に中学生になって口にするのも憚られるような心無い言葉を書いている時も何も出来ずに僕は見ていた。最初の頃に止めようと思ったが恐くて諦めた苦い気持ちがぶり返してくる。ふと、手に持ったコップに目を落とすと血の色をした紅茶と目が合った。波紋が水面に映った僕の輪郭を汚した。僕はまた何もできないで、それこそ、いつか遠くない未来に君の死んだことをニュースで知るような、そんな後味の悪い日々が来ることを分かっていて迎えるのだろうか。そんなんで――。僕は――。

 思考が上手く出来なかった。君はまだ自分の足をきつく抱いて膝に額を乗せたままだった。時々しゃっくりの音が聞こえるだけでもう何も言わなかった。君にかけられる言葉は何なのか。何も気の利いたことは思いつかない。ただ、僕は自分の今の感情のままに、行く宛のない小さいそんな君に僕は言った。

「それじゃ僕も連れてって」

 

 それから、僕と君は具体的なことを話し合った。

 財布を持って、ナイフを持って、思いつく限り必要と思う物を家中から探した。何がこの先に待ち受けているのかも分からず今まで経験したキャンプのしおりや旅番組、サバイバル番組の内容に頼った。財布は僕の案で、ナイフは君の案だった。財布の中身が足りなさそうだったから親のへそくりからも頂戴した。他に僕のありったけの服や必要な生活必需品をリュックに詰められるだけ詰めた。あらかた入れ終わったかなという時、君は僕の本棚の前に立っているのを発見した。リュックはもうすでにパンパンになっていて、他に何か物を入れる余裕はなかった。

「さすがに、本を入れる余裕はないよ」

 僕は、少し飽きれ気味に言った。君はいつも教室では一人で本を読んでいた。そこもいじめられる標的になった原因になっていたのではと僕は邪推していた。

「いや、そんなんじゃないよ。この本、懐かしいなって」

 君はそう言いながら一冊の本を本棚から取った。それは、上田敏の『海潮音』だった。

「あぁ、確かにね」

 この本が君と僕の唯一と言っていい共通点だった。普段本を読まない僕が珍しく学校にこの本を持って行った時に落としてしまったのを君が拾ってくれた。校舎裏や公園で好きな詩について語り合ったりもした。君は立ったまま本を繰り始めた。そんなことしている暇があるのかと僕は思ったが、何も言わなかった。ここを否定したら僕たちの繋がりはダメになってしまうような気がしていた。君はもう僕の声は届かなさそうだった。僕も何か場所を取らない暇つぶしの物として携帯ゲームをリュックの隙間かズボンのポケットかに詰めていこう。急にゲーム内の途中になっている建築のことが気になってきた。ゲームを引き出しから取り出すと下から写真と日記が出てきた。写真はまだ兄がまだいた頃のものだった。写真を撮ってから数年が経っていたが、写真に写る僕は今と全く変わっていない。兄の年齢に近付いているはずなのに成長具合はむしろ遠ざかっているようにも思える。この頃は兄が好きだったことがほろ苦く心に爪を立てて思い起こされる。日記は兄がいなくなってから書き始めたものだった。最初は毎日書いていたが最近は書かなくなっていた。いつも書く内容が同じで飽きてしまっていた。ぱらぱらとめくっているだけでも、どのページにも親と自分への不満を書き連らねた言葉が次々に目に入ってくる。

 僕はもう君に付いていくことにした。もしこの決断をしなかったら、今夜きっとこの持っている日記を久々に取り出して何かを書いているような予感がした。そう思うと少し晴れ晴れとした気分になった。この思いが僕の決心を補強した。君に付いて行った先に何があるか今は分からないが、きっと今より悪いことが起こることはないさ。もう帰って来なくなってもいい。いらないものは全部壊していこう。あの写真もあの日記も今となっちゃもういらないさ。

「もうそろそろ出発しよう」

 僕は日記と写真を破ってゴミ箱に入れながら言った。この家に長く留まることで決心が鈍ることを恐れた。君はまだ読んでいるようだった。

「あぁ、そうだね――。ねぇ、君が好きだって言ったのってシュリ・プリュドムの『夢』だったっけ?」

 君はあまり僕の話を聞いていなかったようで、まだ本から目を離さなかった。

「そうだよ」

 本を持ったままの君に荷物を半分持たせ、引っ張って家から出た。家に鍵をかけた後家の鍵を近くの側溝に落とした。鍵は側溝を流れる水の中に入るとどこに行ったか分からなくなった。このまま遠く海でも川でも行ってくれ。天候は少し収まってきたものの相変わらずの雨だったが、それが僕たちにぴったりなように思えた。ここから始まるのが、行く宛もない人殺しとダメ人間の君と僕の旅だ。

 

 雨が降る中歩いているとお互いの傘が何度も当たった。僕の先を歩く君が何度も立ち止まったからだった。止まる度に君は僕のことを見ていた。何か言いたいこともあるのだろうかと思い口を開こうとすると、その時にはもう前を向いていることをいくたびか繰り返した。君はまだ海潮音をリュックにしまわずに胸に抱えて持っていた。本が雨に濡れないようにちょこちょこと歩くのも僕と当たる一因となっていた。僕はどこへ行くのかも分からず君に付いていっているというのもあって少し疲れてきた。雨はしとしとと僕らの間に降っていた。冷静に考えて常識的に何をしているんだろうと語りかけてくる自分がいる。下を向いてそんな邪念と戦いながら歩いていたら前の君に思いっきりぶつかった。また君は立ち止まっていた。傘の当たった所が歪み、僕はそこにまっすぐ突っ込んでいった。君は不意を突かれたからかバランスを崩した。ドスッという鈍い音がして君が腰をついた。

「あ…。ごめん」

 君は何でもないよと言ってズボンをはたきながら立ち上がった。転ぶ時にとっさに守ったためであろうか海潮音を持っている手はいつも以上に固く握りしめられていた。海潮音の無事を確認して安心したような表情になった。君のズボンには少し滲みたような跡が残った。それを見て僕は赤面した。

「それで、何か考え事でもしてたの?」

 君は僕に尋ねた。僕は申し訳なさでいっぱいになり俯いたまま口の中で何か言葉にならない物をもごもご言うことしかできなかった。ぼぉーっとしていたと嘘をつく余裕もなかった。君はそんな僕を下から目を合わせるように見てきた。ますます何も言えない僕は親に説教をされているかのようにただこの瞬間が過ぎてくれるように願うことしかできなかった。君は何かを察したかのようにフッと口を緩めると言った。

「もしかして、私のこと?」

 僕はギクッとして少し後ずさりした。その様子を見て納得したかのように頷くと君は続けた。

「そりゃそうだよね。今殺人犯と一緒にいるんだもん、これから先のことも分からないのに。家族や友達のことを考えたらおかしいよね。別に、いいよ」

 君は一歩僕に近付きながら早口に言った。声が震えていた。僕は自分の弱さや考えの浅さを呪った。それでもまた僕は自分の気持ちも言うべき言葉も分からなかった。傘を打つ雨の音がうるさくてイラついた。ゆっくり顔を上げると君と目があった。濡れている目には僕の顔が映っていた。不安に押しつぶされそうな顔だった。君と僕は似てると感じた。それからその手に握られた海潮音を見た。『夢』の一節が頭の中に起き上がった。『眼前、ゆくての途のたゞなかを獅子はふたぎぬ。』詩はこの不自然にも思える獅子の存在によって状況は一変した。僕はこの獅子こそが夢だと感じたいつかの塞いだ日々を思い出した。君の傘で跳ねた雨粒が僕の額に当たった。兄や親のことが頭をよぎる。僕のつまらない苦痛な日常に現れた獅子は君なのではないか。今度は僕の方が君に一歩近付いた。

「――僕には僕のことを思ってくれる人なんていない」

 言ってからもっと言葉を選ぶべきだったかと後悔がすぐに押し寄せた。君は逃げなかった。お互いの傘の当たった部分が不自然にへこんだ。こんなことを急に言われても困るだけだろう。僕の中で焦りが急速に大きくなった。でももう溢れ出した気持ちは止まらなかった。獅子をここで逃がしたくないという思いも、今まで抱え込んで来た淋しさも全部。

「僕は、親にとって兄の代わりでしかないんだ。亡くなった兄が優秀すぎて親の理想すぎて、残された出来損ないの僕には、兄の真似事をする以外に家に居場所がなかったんだ――」

 誰にも話したことがなかった。親は僕に兄と同じように振る舞うように要求した。特に勉強面に関して以前より厳しくなった。前は仲が良かった学校の友達も兄が亡くなったことを知った時には腫れ物に触れるように危険物を運ぶ時のように僕のことを扱った。そんな態度を見て、僕は自分の淋しかった気持ちを隠した。嫌われるのが恐かった。気負わせないように、努めて明るく振舞った。そういう風に演じていたら、兄への気持ちも自分の気持ちもだんだん分からなくなった。それから、友達とは表面上はうまくやっていたが、僕の奥の気持ちはどんどん冷めていった。いつでも殺せるな、殺しても何も感じないなという確信が僕の中で広がっていくのを、僕はただ傍観者のように見ていた。

「だから、君が来た時、僕は同じだと思った」

 実際に行動に起こしたかどうかなんて些末な問題だよ。

「君が死ぬなら僕も死ぬべきだ」

 どこまでも一緒に行こう。

 雨はいつの間にか上がっていた。僕と君は傘をその場に落とした。そして僕らは逃げ出した、この狭い狭い知り合いだけで構成されるこの世界から。家族もクラスの奴らも捨てて君と二人で、どこか遠い遠い誰も居ない場所で二人で死のうよ。もう、この世界にも僕たちにも誰にも価値などないんだよ。ほら、人殺しなんてそこら中湧いてるじゃんか。君は何も悪くないよ。君は、何も、悪くないよ。

 

 

 結局僕ら誰にも愛されたことなどなかったんだ。そんな嫌な共通点で僕らは簡単に信じあってきた。僕の告白の後、どうしてかは分からないけど二人とも震えていた。君は細かく震える手でリュックのチャックをゆっくりと開け海潮音をしまった。それをたまらなく愛おしいと感じた。気づけば思った以上に近くに立っていた。君の空いた手は何かを欲しがっているように感じられた。空いた君の手を握った時、君のかすかな震えもすでに無くなっていたことを初めて知った。君が拒否しないことに安堵しながらどこを目指しているのかを尋ねた。

「海か山。誰も私たちを知る人がいないところがいい。でも、海は見たことないからやっぱり海がいいな。山の彼方だし」

「じゃあ、海に行こう」

 もう夜が迫っていた。海への行き方は二人とも知らなかったが、以前僕が電車で行ったことを思い出して線路に沿って行くことにした。田舎のこの町では、今日の電車はもうなくなっていた。線路内に侵入した時にはひっそりと静まった空気がピリリと肌を差した。熱に浮かれたような僕の頬を冷たい夜の風が撫でていった。親は僕が帰ってこないことに気付いた頃かと思ったが、今の僕にはどうでもよかった。僕たちは誰にも縛られないで、二人線路の上を歩いた。

 線路を歩いていると山を越えるトンネルが目の前に口を開けていた。僕たちは握った手を固くした。真っ暗な中携帯ゲームの光を頼りにトンネルを進んだ。中は湿っていて些細な音でさえ反響した。時折どこかの動物が鳴く声に神経を尖らせた。進むにつれお互いを手を握る手がさらに固くなっていった。黙るのが恐くなった僕たちは互いに、詩を朗読しあった。君は『山のあなた』や『落葉』を吟じた。僕は空で覚えているのが『夢』しかなく、それを吟じた。詩を口に出すなんて授業以来だったけど、トンネルの反響でエコーがかかったみたいになって上手く読めたような気がした。大きな声を出すことで緊張が程よくほどけていった。トンネルを抜けてゲームの電源を落とすと辺りの景色が一層闇に包まれたがもう恐怖はなかった。抜けた先には僕たちのことを知る人がいない街が広がっていた。二人で見つめ合うと勇気が出た。親から金を盗んで、二人で誰にも告げずどこへとも知らず逃げて、どこにでも行ける気がしたんだ。今更怖いものは僕らには無かったんだ。もうすっかり夜も更けていた。ずっと歩きっぱなしだったが心地よい疲れだった。額の汗もずり落ちてきた眼鏡も今となっちゃどうでもいいさ。あぶれ者の小さな逃避行の旅だった。

 ご飯をコンビニで買い、交代で近くの公園のベンチで眠りについた。僕は最初の見張りを申し出た。興奮で眠れそうになかった。隣で安らかな寝息を立て始めた君を見て僕はますます君を海まで連れて行って、それから死ぬ決心を強めた。

 

 次の日、お昼ごはんに近くの小さな中華料理屋に入った。時間を外したおかげか他に客はおらず店員もコックの親父さんが一人で切り盛りしているような店だった。注文をした後料理が出てくるまでの間、何気なく店にあったテレビを眺めているとニュースが流れていた。

『それでは、次のニュースです。〇〇中学二年生の▲▲くんが遺体として発見された事件で、同じクラスだった二人の生徒――くんと――さんの行方が分からなくなっています。警察は二人が事件に巻き込まれた可能性が高いと見て捜査しています』

 画面が切り替わり僕たちの写真が出された。二人とも無表情でただ前を見ている硬い顔をした生徒証の写真だった。背筋がぞわりと下から上まで湧きたった。君は腕で自分を掴んで震えを抑えようとしていた。料理人の親父さんはキッチンで料理をしていてテレビを見ていなかった。僕は財布から千円札を取り出して机の上に置くと震えてる君の手を取って、その店から逃げ出した。外へ出ると君は着ていたパーカーのフードを被った。人とすれ違う度、家の中から声がする度に自分たちのことを知っているのではないかと思うとびくびくした。世界が僕たちに優しくなかったことを冷や水を浴びせられたように意識せざるを得なかった。警察が僕たちを殺人者だと思っていようが行方不明者だと思っていようがそんなことは関係なかった。僕たちを探している人がいるというのが問題だった。放っておいて欲しい。今日は電車で海に向かう予定だったが、こうなった今、全ての予定が崩れてしまった。取り敢えず、姿を隠す場所を探した。周りを警戒しつつ歩いていると近くの公園に多目的トイレがあった。その中で暗くなるのを待つことにした。僕は四方が壁に囲まれている場所にいることに少し安心感を覚えた。けれど君は中に入っても震えが収まらない様子だった。

「大丈夫?」

 僕は持っていたノートにそう書いて君の前に差し出した。君は首を振った。と、君は口を押さえて便器に向かっていった。そして、そのまま戻した。戻し終わった後の君の顔はぐちゃぐちゃだった。僕は背中を撫でた。君は涙を流しながらまた戻した。昨日二人で食べたおにぎりが半分消化されて出てきた。それから戻す物がなくなると疲れていたようで意識を失うように倒れて寝てしまった。僕は君を便座に座らせると、トイレの反対側に行き、音を立てないように膝を抱えて座った。ひたすら外のことに耳を澄ませていた。何もできないで悔しくて惨めだった。大人はいつも力を振りかざして僕の前に立ちはだかり、邪魔をする。

 それからは、昼間には人に見つからない場所に隠れ、夜に移動するようにした。歩く時、食事を買う時はフードを目深に被ったり、視線を合わせないようにしたりということをずっと意識していた。電車を使えなくなったことで予想していたよりも海までの日数がかかることになり、それに合わせて節約はしてはいるものの、やはりだんだんとお金が足りなくなってきた。最初は不足分を自販機の下をあさって補おうとしていたがそれで賄えるはずもなく、鍵のついていない車を探して侵入し、お金を調達する他なくなった。人を襲うのは気が引けた。今思うと、ずっと緊張状態が続いていたから、神経が摩耗して良心がすでに麻痺してたんだと思う。君は最初すごく嫌がっていた。提案した時には嫌な顔を隠そうともしなかったし、最初の時も見張りをしてくれているだけだった。けど、次第に自分から狙いの車を探したりするようになっていった。これを喜ぶべきか僕は分からなかった。人から見つからないようにする意味もあったけど、自然に僕たちは会話をすることが減っていった。目配せだけで意思疎通を図ることも増えていった。夜間に喋らずただできるだけ海の方向へ進むと、朝日が昇る前に誰にも見つからないような場所を探して交代で眠る日々が続いた。見張りの最中に君の寝顔を見ても以前のような湧き上がる感情が起こらなくなっていることに悲しいと思うこともなくなった。けれども、信じられる相手がお互いしかないという状況もあってか信頼しあっているという実感はあった。言葉によらない関係があるなんて人生初めての経験で、喋る必要性を感じなくなっていた。

 近頃、夜中に警察のパトロールが増えていた。車上荒らしの件なのだろうか、風の噂で警察が僕たちが犯人だともう掴んでいるという話も聞いていた。電源がなくなったゲームをいらないからと捨てたところから足が着いたのだろうか。もっと上手く捨てるべきだったか。思わず溜め息が出る。このまま海へ無事に行けるのだろうか。一日に進む距離を増やした方がいいんじゃないかとも考えた。ゲームを捨てたことには後悔はない。ゲームの中の主人公はいつも正しかった。僕も自分の正しいと思ったことを突き詰めていったら、気付けばこんな人の視線を気にしてこそこそ隠れるように生活している。ゲームをしていると僕が間違っていて今の生活はその報いを受けているような気持ちにさせられる。それでも僕がしていることは間違っていないと思いたい。自分の非力さへの無念が強くなっていた。日々の生活で擦り切れているのを感覚として強く感じる。もっとしっかりしなければ。でも、たまには――。

「いつか、いつか夢見た優しくて誰にも好かれる主人公なら、汚くなった僕たちも見捨てずにちゃんと救ってくれるのかな…」

 つい声に出してしまった。今にも泣きそうなかすれた声をしているのは、久々に声を出したせいだ。

「そんな夢なら捨てたよ。だって、現実を見ろよ。シアワセの四文字なんて無かった。今までの短い人生で、もう思い知ったじゃないか。自分は何も悪くねえと誰もがきっと思ってる」

 寝ていると思っていた君から返事が返ってきて驚いた。振り返ると視線がぶつかって二人で微笑みあった。

 

 いつものようにコンビニで明日の分の食糧を買おうとしていた時だった。僕はフードを被って目線を下にして手短に手当たり次第食べる物をカゴに入れていた。我ながら随分と慣れてきたと感じていた。と、急に見張っていた君の腕が捕まれた。

「ちょっと、いいかな?」

 私服の若い男の人だった。警察だ、と直感した。僕は横から思いっきり男の人を押してこけさせると、君の手を取って走って逃げた。カゴに入った商品が床に散らばった。勢いでフードが脱げ電灯が目に眩しかった。コンビニを出る時に後ろから怒鳴り声がした。

 体力の続く限り走った。息が切れても足が痛くなっても止まるのが怖かった。風が耳元で轟々鳴っている。気付けば町外れの丘の上にいた。丘のてっぺんに生えている木々の根に君がつまづいてようやく止まった。僕も握っていた手に引っ張られて一緒に転んだ。どさっと落ちた尻が痛かった。止まると一気に疲れが吹き出てきた。君も僕も肩で息をしていた。ゆっくりと汗で髪の張り付いた顔を上げると、君は急に目を輝かせた。

「海だ」

 君は亡霊のようにゆらゆら立ち上がると、僕の方を見ることもなく笑い出した。僕も君の隣に立ち同じ景色を見た。目の前一面に広がる朝焼けに照らされて反射している海は穏やかで、僕の目から静かに雫が落ちていった。波の音、蝉の声が耳に心地よかった。そうだ、これを求めていたんだ。体力は立つのがやっとな分しか残っておらず、乾いた喉を癒す水もなかった。あてもなく彷徨う蝉の群れに自分たちを重ね、声に誘われるように丘を下っていった。水もなくなり揺れ出す視界に、迫り狂う鬼たちの怒号を物とも思わずにバカみたいにはしゃぎあっていた。ついに成し遂げた。僕の正しさが証明された。

 

 ふと、君はナイフを取った。

 

「君が今までそばにいたからここまでこれたんだ。だからもういいよ。もう、いいよ。死ぬのは私一人でいいよ。ありがとう」

 そして、君は首を切った。まるで何かの映画のワンシーンだ。悪い白昼夢を見ている気がした。最後、君は笑っているように見えた。一度も使われることがなかったナイフはようやく得た役割を思う存分果たした。僕はあまりのことに何も反応できなかった。

 

 あなたは私とは違う。生きようとしている。海に行くのだって聞かれたから答えただけで私には実際のところただの思いつきだった。山の向こうに行けば本当に幸せがあるなんてそんなに甘い考えは持っていない。山の彼方の空遠くだし、そもそも違うか。食糧がなくなれば餓死すればいいと思ってた。知ってる? 空腹だとね、昏睡するように眠れるんだよ。でも、あなたはどんなに意地汚くなっても生きようとした。もしかしたら私のためかもなんて傲慢に考えたりもするけど、やっぱり違うと思う。コンビニの新聞の行方不明者の捜索願いのところにあなたの家族の言葉が載ってたよ。私の親のことは何一つ載ってなかった。載ってたとしても嘘くさいと思ったかもしれないけど。あなたと私は違うんだと思った。『親は僕自身じゃなくて親の期待に応える部分だけを見ている』ってあなたは言っていたけど、私の親は何も見てなかった。親からの虐待が学校でのいじめの引き金になり、負の連鎖は止まらなかった。気付いたら、自分の中にしか居場所がなかった。アイツを殺した時、衝動とは言え、やっぱり私は何かを変えたかったんだと思う。けど、何も世界は変わりはしなかった。私の幸せって何なんだろうな。人を殺してまで、ここまで逃げてまで得たかったものなのだろうか。この旅の間ずっと考えてた。あなたの必死な姿を見たとき嬉しいという感情が私の中に起こった。あなたはなんでか分からないけど、ここまでついてきてくれたし、犯罪を犯してでも私を活かそうとしてくれた。心がぽぉっと温かくなった。これが幸せなのかなって漠然と思いもした。けどね、申し訳なさの方が先に立った。あぁ、私ってこういう行為を受け取る資格ないんだってしみじみ思ったよね。人をこんな風に大事にできるあなたを私のわがままに巻き込んではいけない。こんな風に人を愛せる人は私と居てはいけない。本当にあなたが眩しいよ。「海だ」これであなたを私から解放できる。考えるより先に身体が動いた。何泣きそうな顔してるんだ。これは私からあなたへの祝福だよ。

 

 

 

 気づけば、僕は捕まって――。

 

 いろいろな場所に連れ回された。隣が淋しくて君を思わず探した。君がどこにも見つからなくって。君だけがどこにもいなくって。後を追おうにも僕は弱く、ナイフを持った手は震えて狙いが定まらない。それに決まって最後の言葉が頭の中を繰り返した。それを家族に見られ、刃物を持たせてもらえなくなった。いつの間にか僕の手元には海潮音が返ってきていた。僕のものじゃないのに。兄の忘れ形見で繋がれた絆だったんだなと強く感じる。捨てようにも捨てられない。

 

 

 そして、時は過ぎていった。家族もクラスの奴らも皆いるのに、なぜか君だけがどこにもいない。君がいなくても自然に回る日常が気味悪かった。そう思う度にあの夏の日を思い出す。僕は今も今でも君の好きだった詩を詠ってる。君の思影をずっと探しているんだ。君に言いたいことがあるんだ。九月の終わりにくしゃみして、六月の匂いを繰り返す。君の笑顔は君の無邪気さは頭の中を飽和している。僕はまだ六月にいる。一生いる。『誰も何も悪くないよ。君は何も悪くないから。もういいよ。投げ出してしまおう』今なら分かる。そう言って欲しかったんだろう、なぁ。

 

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