勝てなきゃ走る意味が無いと、俺はハルウララに言った   作:加賀崎 美咲

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インタビュー・ウィズ・メジロマックイーン

 (わたくし)にとって、走ることと勝つことは義務でした。

 

 祖母と母が成し遂げた歴史ある天皇賞の制覇。

 

 孫である私にも同じように天皇賞を制し、親子三代で天皇賞を連覇することがメジロ家の悲願。

 

 私はそのような宿命のもとに生まれました。

 

 確かな重圧こそあるものの、私にとってそれは苦痛の類ではありませんでした。

 

 なぜなら私は一人ではなく、運命を共に背負ってくれる伴侶がいました。

 

 それが私のトレーナー。そう、彼です。

 

 メジロ家の関係者の家に生まれ、代々メジロ家のウマ娘に仕えてきた家系の彼。

 

 私には彼がずっと側にいたのです。

 

 彼がどのような人かと問われると、言葉にするのは非常に難しい。

 

 兄のようであり、父のようであり、友人のようで、家族のようで、教師のようで、医師のようで、その、恋人のような人で。私の世界の半分は彼で構成されておりました。

 

 運命共同体という言葉ですら表し尽くせない、そんな深い絆が私たちの間にはありました。

 

 雷の激しい夜には不安な私の手を繋いでくれた。

 

 砂浜に驚いて泣く私を肩車してくれた。

 

 縁日の日には一緒に花火を見た。

 

 冬のある日にはカマクラを作って二人の秘密基地を作ってくれた。

 

 生まれた日からずっと、彼は私の側にいてくれた。

 

 ワガママな私に嫌な顔をせず、いつも私の好きなニンジン飴をくれた。辛いのが苦手な私に甘口のカレーを作ってくれた。

 

 いつも私の望むがままを叶えてくれた。

 

 彼は私のために生まれたのだ。傲慢ではなく、確かにそうだった。

 

 そして私たちはそれを良しとした。

 

 たとえ、定められた運命なのだとしても、私は喜んでメジロ家、そして彼のために走りたいと思った。

 

 彼が大学へ進学するために、しばらく家を出る日がやってきた。

 

 みっともなく私は彼を引き留めようと駄々をこねてしまった。

 

 し、仕方がないでしょう? その時私はまだ幼くてよくわかっていなかったのです。

 

 永遠の別れと勘違いしていたのです。

 

 ——行かないで、離れては嫌! 

 

 私がそう言うと彼は微笑み目線を私に合わせて。

 

 —お前のトレーナーになれるように勉強してくる。だから良い子にして、待っていてくれ。帰ってきたら一緒に天皇賞を目指そう。約束だ。

 

 それでもぐずりながら、私は彼を見送った。

 

 そこからの年月はとても長いものでした。まるで明けない夜のような、寂しい無明の日々。

 

 私はただ再会を信じて自分のできること、勉学やトレーニングに、寂しさを忘れようとするように打ち込みました。

 

 六年の歳月が経ち、彼が帰ってくるのと同時期、私のウマ娘としてのデビューが決まりました。

 

 帰還した彼とともに、お婆さまとお母さまの悲願である天皇賞を目指す。

 

 そのことに私は不安と喜びの両方で胸をいっぱいにしていました。

 

 

 

 ●

 

 

 

 デビューレースの日程が定まり、彼の指導による私のトレーニングが始まりました。

 

 とても素晴らしい人。彼の教えを私はそう評します。

 

 トレーニングから食事、健康管理の全てが事細かく調整され、彼はその全てを管理していました。

 

 私はただ全力で目の前のターフを走り抜くだけ。それだけに集中すれば良い。

 

 これ以上のトレーナーがいるだろうか。

 

 私のためのトレーナー。決して安易ではないはずの責務を、彼は完璧に全うしてくれていた。

 

 あとは私が勝利さえすれば何も問題ない。

 

 来たるデビューレース。

 

 私は二着と一バ身以上の差をつけたままターフを走りきった。

 

 これ以上ないほどの結果に私は歓喜した。

 

 私たちの栄光と覇道が始まる。

 

 私はトレーナーと勝利を分かち合い、喜んだ。

 

 何の賞もない小さなレースだとしても、私が彼とともに成し遂げた初めての勝利なのだ。

 

 それはどんなものにも代え難い、貴い勝利だった。

 

 けれど素晴らしい時間は、長くは続かなかった。

 

 初めは次のレースだった。

 

 二着でのゴール。

 

 相手もまた、素晴らしいウマ娘で、誰が勝っても不思議ではないレースでした。

 

 全力で競走して、私は一歩届かなかった。誰が悪いとか、そういう話ではない。

 

 みな、全力で駆けて、手など抜いていない。誰が勝つかなんて、走るまで分からない。

 

 勝負に絶対などあるはずもなく、小さな偶然が重なって結果が出るだけなのです。

 

 そんなことは当たり前のことで、私は次のレースこそ勝つのだとまた決意を改めて、また全身全霊で挑む。

 

 けれど、彼はそれを良しとは出来なかった。

 

 私が勝てないのは、私のせいなのではなく、自分の指導が不甲斐ないからだと、あの人は自分を責め立て始めてしまった。

 

 昔から彼には自罰的なところがあったのです。

 

 そして私は気がついてしまった。

 

 私が負ける度、あの人の価値が下がってしまう。

 

 少なくとも彼はそう考えていた。

 

 あの人は私を勝たせるために生まれ、今日までそのために人生を費やしてきた。

 

 私の為に生きてきた。だから彼の価値は私を勝たせることにある。

 

 負けが重なる度、両肩に暗く重たいものが積もっていく。

 

 勝たなければならないと思いながら、しかし結果がついてこない。そんな悪循環に陥っていた。

 

 なまじ彼の指導に指摘すべき点がないせいで、私が頑張るしかない。

 

 私が勝てばそれで解決する問題なのだ。私はそう自分に言い聞かせた。

 

 思えば、私はこの時に彼に素直に相談すれば良かったのだ。

 

 そうすれば、あんなことにはならなかった。

 

 私の負けが重なる頃、彼の顔色が優れないことが気になった。

 

 確認すると食事をほとんど取っていなかった。

 

 固形の栄養剤や錠剤で必要な栄養を取るだけの作業。

 

 私の食事が栄養バランスや味を追求した完璧なものだったから、余計に酷く痛々しかった。

 

 ある日から、彼から血の匂いがした。使用人に確認してもらうと彼は吐血をして、それを隠していた。

 

 使用人はすぐに彼を医者に見せるべきだと申してきたが、私にはトレーナーの意思を無視してまで医者に連れていくことが出来なかった。使用人に口止めをして様子を見ることにした。

 

 極めつけは、彼の食事に見慣れない錠剤が混じり始めた頃だ。

 

 初めはただの錠剤だと思っていた。

 

 しかし嫌な予感がして、一つ黙って拝借した。

 

 調べてみるとそれは精神安定剤だった。

 

 市販薬ではなく、医師の診察がなければ処方されないような劇薬の類であった。

 

 足元が崩れるような感覚だった。

 

 私が負け続けているせいで、彼を苦しめてしまっている。

 

 嫌だ。そんなのはダメだ。

 

 私は勝たねばならなくなった。負けてもいい、次がある。そんな考えは捨てざるを得なかった。

 

 私のトレーナーを守る為に、私は一つのレースも落とすわけにはいかなくなった。

 

 私は必死でターフを走った。

 

 歯をくいしばり、重責に押しつぶされそうになりながら、必死に走り続けた。

 

 私は彼の人生を背負って走っていた。

 

 重すぎる重責に苦しみ、涙を流すことも堪え、私は彼のために走った。

 

 勝利を重ね、世間からの評価が高まっていく。

 

 もう私にはそんなこと、どうでも良かった。

 

 私のレースは全てあの人のためにあるのだから。

 

 彼は回復こそしなかったものの、悪化もしていない様子だった。

 

 だからこのまま勝ち続ければ、いつかは万事上手くいく。そう安易に考えてしまった。

 

 私が彼を守る。私だけが彼を守れる。

 

 私は調子に乗っていたのだ。

 

 そして悪夢となった秋の天皇賞がやってきた。

 

 そのレースは私たちの悲願。負けられない戦いでした。

 

 メジロ家のためにも、私自身のためにも、そしてトレーナーのためにも私は勝たなければならなかった。

 

 珍しく彼からレースの指示があった。内角を走り、一団を牽引していけ。

 

 トレーナーからの明確な指示に喜んだ私は、愚直なまでに指示に従った。彼が私の背中を押してくれる。それだけで誰にも遅れをとる気がしなかった。

 

 お退きなさい。私の前に立つな。

 

 そんな傲慢さで私はレースを走り、五バ身以上の差をつけて勝利した。

 

 明確な勝利。成し遂げたのだ。私とあの人でメジロ家の悲願を。

 

 けれど驕りには相応わしい罰が下った。

 

 他のウマ娘の走りを妨害したとして、私は一着から最下位へ転落した。

 

 判定がなされたとき、頭の中が真っ白になった。何が起きたのか理解するのに時間があった。

 

 そしてすぐにトレーナーの顔を思い出した。

 

 私は必死に彼の元に駆けた。レース中より余程早い速度で駆け抜けて、私が見たのは血を吐いて倒れ伏す彼の姿だった。

 

 動揺して混乱する中、私は彼に駆け寄って必死に呼びかけた。

 

 ——嫌! いやぁ! あなた! 

 

 取り乱す私は取り押さえられて、彼は救急車で運ばれていく。

 

 医師の診断は精神への負担によるいくつもの合併症。

 

 私が思っていたよりもずっと彼は重症だったのです。

 

 もっと早くに私が気がついていれば、あの時無理にでも病院に行かせていれば、もっと深刻に捉えていればこんなことにはならなかった。

 

 私の傲慢さが彼を殺しかけたのだ。

 

 面会謝絶の中。私は無断で彼の病室を訪れた。

 

 消毒の香りが漂う病室の中で彼は寝かされていた。

 

 彼は気絶して目覚めないというのに、ずっとうなされている。

 

 うわごとのように同じことを呟いていた。

 

 ——すまないマックイーン。俺のせいでお前を……

 

 こんな時ですら、私のことばかり。

 

 震える彼の手を取る。

 

 ——あなたのマックイーンはここにいます。ここにいますから。

 

 けれど彼の震えは止まってはくれない。

 

 もう逃げ出したかった。

 

 ウマ娘であることも、メジロ家の重責も、何もかもを捨ててしまいたかった。

 

 彼と二人ならもうそれで良かった。

 

 彼は有能な方ですから、きっとトレーナーでなくとも生活は出来るのでしょう。

 

 私は走ること以外にとり立てて特技などありませんから、奥様として家の留守を守ろう。パートというものをしてみて、家計を助けるのも良いかもしれません。

 

 仕事から帰ってきた彼を出迎えて、手料理などを振る舞ってその日のことを報告し合うのだ。

 

 休日には彼に習った甘い菓子を作って食べ、夜は肩を寄せ合いながら小さなテレビで映画を観るのだ。

 

 もしかしたら家族が増えるかもしれない。子育てなど経験はないが、私と彼の子。きっと愛おしくてたまらないのだろう。

 

 ささやかでも、ありふれていても、それでも普通の幸福が、きっとそこにはある。

 

 女を武器にすれば、優しい彼はきっと断らない。

 

 私が望めば地獄の中だと分かっていてもきっと私に寄り添ってくれる。

 

 でもダメなのです。

 

 そんな幸せは許されない。

 

 他でもない私と彼がそれを認められない。

 

 私はウマ娘で、彼はトレーナー。

 

 その生き方以外、認められない。

 

 そうでなければ、自分自身を否定してしまう。彼の今までの全てを否定してしまう。

 

 あなたの指導も、身を犠牲にした奉仕も、その全てが無駄になってしまう。

 

 私ではダメなのだ。彼と一緒にいたい。

 

 けれど私では彼を苦しめてしまう。

 

 愛しています。愛しています。愛しています。

 

 家族として。

 

 メジロ家のウマ娘として。

 

 何よりも、ただのマックイーンとして。

 

 あなたを愛しています。

 

 あなたを愛しているから、私はあなたを手放します。

 

 それは半身を割かれるのも同じ。私は私の命と魂の半分を引き裂くことにした。

 

 もう触れることのない温もりを確かめる。

 

 ——あなた。必ず私が守りますから。どうか健やかに。

 

 溢れ出る涙は堪えきれず、後ろ髪を引かれる思いを振り切って、私は病室を後にした。

 

 私はお婆さま、メジロ家総帥の元を訪れた。

 

 ——お願いですお婆さま。あの人を私から解放してください。もうあの人が苦しむことに耐えられないのです。

 

 昔の泣き虫なマックイーンに戻ってしまった私は恥も外聞もなくお婆さまの書斎で泣き崩れた。

 

 巌のようなお婆さまも動転してただ私を慰める。

 

 よく話し合って、彼には休暇を出すことにした。

 

 あの人が自分の意思で戻ってくることに一縷の望みを残して。

 

 そして彼は帰って来なかった。

 

 彼の退院の日。少しだけ会えた。

 

 ——またあなたと走る時を待っていますから、身体をお大事に。

 

 そんな日はこない。私があなたを手放したのですから。泣くことに耐え、精一杯の笑みであなたを見送る。

 

 部屋で一人、私は嗚咽を漏らした。

 

 身を裂かれるような痛み。

 

 あの人を失った苦しみ。

 

 それでも、彼が苦しみから解き放たれるのなら、私はそれで良かった。

 

 良かったのだと自分に言い聞かせ、また泣いた。

 

 

 

 ●

 

 

 

 しばらくの時間が経ち、新学期となった。

 

 私はメジロ家が代理で用意したトレーナーの方の指導を受けていた。

 

 彼の残した資料を守り、その通りに走った。

 

 隣にはおらずとも、彼がそばにいるような気がした。

 

 そしてある時、見てしまった。

 

 彼の姿を見た。

 

 快調というわけではないが、顔色はだいぶ良くなっていた。

 

 しかしそれよりも私が目を奪われたのは、彼が私の知らないウマ娘を指導していた。

 

 頭に血が上った。殺してやろうかとすら考えた。

 

 私がどんな思いで彼を手放したのか教えて差し上げましょうか? 

 

 お前はその人が誰かを指導する意味、その重さを知っているのか。地面に叩きつけて、そう問い詰めてしまおうかとさえ思った。

 

 嫉妬で気が狂いそうになっていた。

 

 怒りを抑え、その泥棒猫について徹底的に調べ上げた。

 

 ハルウララさんというらしい。

 

 全くの無名の新人。

 

 成績は全く振るわず、着順は最下位の常連。なんであの人が熱心に指導しているのか分からなかった。

 

 時間がある時に、二人の様子を遠くから眺めた。

 

 そして分かってしまった。

 

 ああ、この子は本当にいい子なのだ。

 

 勝てなくても不貞腐れない。レースを走ることが楽しい。

 

 私と彼にはそんなものはなかった。

 

 勝利への重圧のない、ただ勝ちを目指したレースを重ねる。

 

 悔しかった。

 

 ただのウマ娘とトレーナー。

 

 それだけの関係でいられたのならなんと幸福なのだろうか。

 

 私が欲して、手放して、諦めてしまった光景がそこにはあった。

 

 彼を連れ戻したい。でも私と一緒になれば、また彼を苦しめてしまう。

 

 もう詰みだった。

 

 いつからかハルウララさんの走りが変わった。レースは楽しい。でも勝ちたい。走りからそんな思いが伝わってくる。

 

 もう嫉妬はなかった。二人に頑張ってほしい。

 

 あの人がトレーナーを辞めず、勝負の世界に戻ってきてくれたことが嬉しい。

 

 私の隣でなくても、あなたが幸福を掴めているのなら、もう私はそれで満足だ

 

 ——嫌! 戻ってきて! 私にはあなたが必要なの! 

 

 漏れそうになる本音を飲み込み。私はあなたの幸福を願う。

 

 

 

 ●

 

 

 

 ハルウララさんと会話を交わす機会に恵まれた。

 

 その年の各分野で優れた成績を残したウマ娘を表彰する会合で私とあの人、そしてハルウララさんが呼ばれていた。

 

 私は世代最強のステイヤーと称されていた。

 

 あの人が残してくれた資料が私を今も支え続けてくれて、この高みまで連れてきてくれた。

 

 ハルウララさんは年間最多出場。あの人の指導こそあるものの、その健脚は本物だ。

 

 呑気にニンジン飴を口の中で転がす彼女に遭遇した。

 

「あら、ニンジン飴いいですわね」

 

 あの人が去ってからしばらく食べていなかったからポロッと言葉がこぼれた。

 

 彼女は私に気がつくと、快く一つくださった。

 

 口の中に広がる甘い味。懐かしいあの人の味だった。

 

 話してみれば、やはりハルウララさんは本当に良い子で、私はケチをつけられなかった。

 

 それが悔しくて、少し意地の悪い言い回しをしてしまった。

 

 自分のウマ娘を捨てて、違うウマ娘を指導しているあの人をどう思うか? 

 

 少し困らせてやろうと言ったのに、ハルウララさんに毅然と返答された。

 

 ——トレーナーは逃げないよ。トレーナーは自分のウマ娘を見捨てたりなんかしない。絶対戻ってくるもん

 

 あぁ、本当に良い子ですわ。

 

 完敗だ。この子とトレーナーの間にある信頼は本物だ。

 

 私とのそれに優劣はない。

 

 彼女ならば、あの人を任せられる。

 

 私はあの人になくても良い。

 

 そう受け入れられたら、肩の荷が軽くなった。

 

 こんな朗らかな気持ちはいつ以来だろう。

 

 ——有マ記念でお待ちしてます。是非いいレースにしましょう? 

 

 そして、私とあの人の関係に終止符を打とう。

 

 本当に、本当に、楽しみだ。

 

 

 

 ●

 

 

 

 有記念の当日はとても心地の良い快晴。

 

 レース開始を待つ合間。観客席の中にいるあなたを見つけた。

 

 深く一礼する。それは別離のレースなのだから。見ていてくださいまし。あなたのマックイーンの最後のレースを。

 

 レースが始まった。私の作戦はあの慙愧の天皇賞の時と同じ、集団を率いて先頭を走り、最速でゴールを目指す。

 

 あの人の最後の指示通り。

 

 これは私とあなたの最後のレースなのだ。私とあなたとで走る最後のレース。勝ってみせます。

 

 第一、第二、第三のコーナーを走り抜く。

 

 後ろには誰もいない。

 

 歓声が響く。

 

 ご覧なさい。もっと良くご覧なさい。これがあの人が鍛え上げた世代最強のステイヤー、メジロマックイーンの走りを。

 

 その時だった。歓声の質が変わった。どよめきが混ざる。

 

 後ろから近づく気配。

 

 間違えはしない。

 

 ハルウララさんですわ。

 

 あのダマとなった一団をかわし、私に肉薄しようとしている。

 

 流石はあの人のウマ娘、やはりあなたがくるのですね。

 

 待っていました。初めから、あなたしか私は目に入れていなかった。

 

 私に勝って、あの人を守れると証明なさい。

 

 永遠と思えるような100メートル。

 

 ——負けるなっ! 行けぇー! ウララー! 

 

 あの人の応援が聞こえた。

 

 私ではなく、ハルウララさんを応援している。

 

 よかった。本当に帰ってきたのですね。

 

 横にいるハルウララさんの気配が爆発した。

 

 私を追い抜いて、ハルウララが駆け抜けていく。

 

 私も手を抜かない。けれど生まれてしまった差は埋まらず、そのまま決着がついた。

 

 おめでとうございますハルウララさん。初勝利ですわね。

 

 きっとあなたは、これからいくつもの勝利をあの人と重ねていくのでしょうね。

 

 本当に良かった。私の出番はここまでですわ。

 

 本当におめでとう。

 

 ありがとう、ハルウララさん。

 

 

 

 ●

 

 

 

 レースが終わり、関係者もまばらに帰り始める頃。

 

 あの人を見つけた。初勝利を祝われるハルウララさんを遠目に眺めていた。

 

 私に気がつくとあなたは動揺していた。

 

 私がいなくてももう大丈夫なくせに、何を恐れることがありますか。

 

 本当に繊細な方なのですから。

 

 ——お元気そうで良かった。良いウマ娘に巡り合いましたわね。二人でお元気で。……では、さようなら

 

 もう会うことはないでしょう。

 

 それでもあなたが幸福なら、それは私の幸福なのです。

 

 ——そんなわけない。私のそばにいて。私を離さないで。私を見て。

 

 本音を飲み込もうとしても、それでも涙は止められなかった。

 

 いけない。あの人にこんな弱い姿を見せられない。

 

 私は走り去った。

 

 

 

 ●

 

 

 

 人混みから離れ、私は一人で泣いていた。

 

 これで良かった。

 

 彼は幸せで。なら私も幸せだ。

 

 そう自分に言い聞かせる。

 

 なのに涙は止まらない。

 

 ああ、悔しい。

 

 卑しくも私はまだあの人への未練を断ち切れずにいる。

 

 今からでもあの人の元へ行って自分の元に連れ戻したい。

 

 でもダメだ。あの人を不幸にしてしまう。

 

 それだけはダメだ。

 

 ごめんなさい。

 

 弱いマックイーンでごめんなさい。

 

 私はまた一人で泣いていた。

 

 誰かが人混みから離れこちらへ歩み寄ってくる。

 

 ああ、そんなはずない。

 

 私の願望が作った幻だ。そんな都合の良い話、あるはずないですもの。

 

 あの人の気配を間違えるはずが無いのに、私はまだ意地になって認められずにいた。

 

 ——何を今さら。私たちは終わったのですから

 

 私がどれだけの思いでそう決めたのか。あなただって察しているでしょうに。

 

 ——それでも! 俺はまた、お前と走りたい

 

 ああ、止めてくださいまし。

 

 そんな言葉を言わないで。

 

 私の決意を揺らがせないで。

 

 私を喜ばせないで。

 

 もう、私は耐えられない。

 

 ——お前に天皇賞を制覇させる

 

 もうダメだ。

 

 彼に抱きつき、その体温を確かめる。

 

 夢でも幻でもなく、現実だ。

 

 ずっと欲しかった言葉を私は噛み締めていた。

 

 ——約束を違えることを許しませんから。

 

 もう離しません。

 

 絶対にもう、離しませんから。

 

 

 

 ●

 

 

 

 え? その後ですか? 

 

 別にとり立てて話すようなことなど、無いと思いますが。

 

 そうですわね。

 

 当然、天皇賞は春と秋、その両方を制覇させていただきました。

 

 ウララさんは翌年、手当たり次第に重賞をかっさらっていき、レース界を騒がせていましたわ。

 

 またそんなところで私の、いえ、私たち三人のお話はお終い。

 

 今は懐かしく語れますが、思えば割と波瀾万丈ですわね。

 

 それもこれもハルウララさんのおかげだと、今でも感謝しきれませんわ。

 

 えっ? これ本にしますの? 出版社には話をつけてる? プライバシーは守る? 

 

 ちょっとお待ちなさい! 

 

 待てと言っているでしょう! ゴールドシップ ! 




先に一言。
ゴールドシップをオチに使った私の未熟さをお許しください。
これ以外思いつかなかったのです。
そんなこんなで、三人の物語はこれにて終幕。お楽しみいただけたのなら幸いです。
書いてない裏設定など多数ありますが、これ以上は無粋と考えた次第です。
もしまた会うことがありましたら、よしなに

追伸:本作のテーマ曲はBUMP OF CHICKENさんの『アカシア』をイメージして書きました。よければそちらもセットで聞いていただけるとより三人の心情が伝わるような気がします。 
それではありがとうございました

加賀崎美咲

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