勝てなきゃ走る意味が無いと、俺はハルウララに言った   作:加賀崎 美咲

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感想欄にあったコメントから思いついた蛇足回です。
もしよければ、もう少しだけお付き合いください。


IFルート もう走らなくて良いと、俺はトウカイテイオーに言った

「ねえ、キミ。ボクのトレーナーになってよ」

 

 命を捨てようとして、それすらも出来なかった次の日、俺は退職願を持ってトレセン学園を訪れていた。

 

 何もかもを諦め、トレーナーであることさえも投げ出そうとしている俺の前に彼女は現れた。

 

 初め、彼女が何を言っているのか分からず呆然とする俺を小馬鹿にしたように笑う。

 

「キミがメジロ家のトレーナーなんでしょ? ボク、カイチョーみたいな無敗の三冠ウマ娘になりたいんだ。

 だからボクのトレーナーになってよ」

 

 まるで欲しいおもちゃをねだる子供のような仕草で、彼女は俺にトレーナーになれと頼み込む。

 

 そこにあったのは誰かに頼られる全能感ではなく、膿んだ傷跡を撫でられる不快感。

 

 彼女が誰なのかを知らない。

 

 関係ない。相手が誰であろうと、俺が言うことは決まっている。

 

 もう諦めた俺にはそれしか答えられない。

 

「俺はトレーナーを辞めたんだ。もう、誰のトレーニングも見ることはできない」

 

「ええー! 困るよー! ボク三冠ウマ娘になるんだ!」

 

「トレセン学園には優秀なトレーナーがごまんといる。俺なんかよりよっぽど優秀なのがな。宛がないなら、紹介くらいはしよう」

 

 やんわりと、俺に関わるなと距離を置こうとして、彼女は否と言う。

 

「だめだめだめ! ルドルフカイチョーに教えてもらったんだ。三冠ウマ娘になりたいんだったら、キミにトレーナーをしてもらえって」

 

 ルドルフという名に少し面食らう。このトレセン学園で知らぬものなどいない。学園最強と名高いウマ娘。

 

 そのシンボリルドルフに評価されていたことが意外だった。

 

 けれどそれは見当違いだ。それも全部マックイーンの功績で、俺はただおこぼれにあずかったに過ぎない。

 

 結局、俺は何も褒められることをしなかったんだ。

 

「……トレーナーなら、他を当たってくれ。俺はもう、誰の指導もしないんだ」

 

「——えっ、ちょっと。まってよ!」

 

 引き留めようとする彼女から踵を返し、俺はトレセン学園を後にする。

 

 この日、俺はトレーナーを退職した。

 

 本当の意味で俺は何もかもを失った。

 

 終わったんだ。

 

 これが、俺がトウカイテイオーと出会った日。

 

 俺がトレーナーを辞めた日だった。

 

 

 

 ●

 

 

 

 ただの休日。

 

 俺はアパートに程近い公園のベンチに座っていた。

 

 定職につかず、何もしない。

 

 朝起きて、薬を飲んで、寝て、夜中に悪夢で目を覚まして。

 

 漫然と時間が過ぎてゆく毎日。

 

 俺はただ腐っている。

 

 ゆっくりと埃が積もるように、終わっていく。

 

 これが良くないことは、自分でも分かっている。

 

 けれど何もしたくない。何をしたらいいか分からない。

 

 こうやって公園に来るのも、せめて吸う空気くらいは、あの澱んだ部屋じゃない方がいいと、せめてもの生きる努力だった。

 

 公園には子供達の声が響いている。

 

 幼いウマ娘を囲って、彼女の走りをみんなで眺めたりして遊んでいる。

 

 既視感。

 

 そうだ。マックイーンが幼かった頃、トレーニングも何も関係なく、ああして遊んだ。

 

 マックイーン。元気にしているだろうか。俺がいなくとも、彼女なら大丈夫だろう。

 

 俺がいない方が彼女のためだと分かっていても、彼女のことを考えてしまうと胸が痛む。

 

 ああ、ダメだ。俺は彼女の隣にいることを投げ捨てたんだ。

 

 それなのに未練がましい。

 

 いつまで俺は過去を引きずり続ける。

 

 彼女のトレーナーをすることが俺の生まれた意味なのに、それを捨てたのだから。

 

 俺には他に何もなかったんだ。

 

 後悔し続ける日々。

 

 俺はいつも一人でいた。

 

 そのはずだった。

 

「あっ、いたいた! ねぇねぇ、これ見てよ!」

 

 耳障りな声がする。トウカイテイオーだ。

 

 彼女は走り寄ってくると行儀悪くベンチに飛び乗り、俺の隣を陣取る。

 

 いつからかここに俺がいることを知った彼女は、レースを走る度にこの公園に足を運んでいた。

 

「ねぇ、見てよ昨日のレース。ボク早いでしょー?」

 

 お気に入りのおもちゃを見せつけるように、手に持ったスマホをこちらによこした。

 

 画面にはレースの様子が映されている。何人か見知ったウマ娘に混ざり、その先頭をトウカイテイオーが走っている。

 

 そのまま画面の中の彼女は一着でゴール。一バ身以上も差の開いた圧勝。

 

「えへへ、すごいでしょ。この調子なら皐月賞も一着だね」

 

 自慢げにはにかむトウカイテイオー。

 

 俺は何も言わない。むしろ困惑する。

 

 なぜ彼女がわざわざこんな、トレセン学園の近くでもない公園に来て、俺に自分の試合を見せるのか。

 

 理由がわからず、レースにも関わりたくないから、俺は彼女を無視する。

 

「皐月賞に勝ちたいなら早めにレース運びに入った方が良い。坂の前に直線があるせいで、思うよりも展開が早い」

 

 バカか俺は。何をトレーナーの真似事をして話しているんだ。無視すると決めただろ。

 

「えー、そうなの?」

 

「別に参考にする必要もない。走るのはお前だ。自分の役に立つと思ったことだけを取り込んでいけば良い」

 

 ふーん、とトウカイテイオーは少し感心したように俺を見ていた。

 

 

 

 ●

 

 

 

 一ヶ月後。

 

 また公園にトウカイテイオーがやってきた。俺はあいも変わらず、何をするわけでもなくベンチに腰をかけている。

 

 また彼女はスマホで試合の様子を見せてくる。

 

 皐月賞のようだった。

 

 俺の言った戯言を気にしたのか、第三コーナーから勝負をしかけ、難なく一着を勝ち取っていた。

 

 トウカイテイオーは興奮を抑えきれないようにはしゃいでいた。

 

「すごいよ! キミの言う通りだった! 坂の前から加速したら、みんなついてこれなかったよ!」

 

 聞いてもいないのにトウカイテイオーは試合の時のことを話す。

 

 やれ、大外だったから集団を回避しただの、先行して良かっただの、どうでも良いことを話していた。

 

 一通り話して、俺が興味がないことに気がついて、彼女は不満げな様子でこちらを見ていた。

 

「ボクが話してるのに上の空なんて酷いんだー。パパとママに人の話はちゃんと聞きなさいって言われなかったの?」

 

「興味がないからな。嫌なら友達にでも話せば良い」

 

「分かってないなー。ボクはキミとお話がしたいのさ」

 

 フフン、とトウカイテイオーは楽しげに鼻を鳴らす。

 

 本当に訳がわからない。彼女の意図が理解できない。

 

「だってキミ、興味がないって言いながら、ボクがレースのことを聞いたら答えてくれるじゃん」

 

「大したことは言ってない。トレーナーなら誰でも分かる、そんな当たり前のことばかりだ」

 

「それで良いよ。ボクのトレーナーとか、ボクを勝たせなきゃって意気込んで、ちょっと慎重になっちゃって。遠慮ないキミの方が気楽でいいや」

 

「そうか」

 

 ウマ娘を勝たせなければ。そう考える余り、上手くウマ娘と接せられなくなる経験は痛いほど分かってしまう。

 

 トウカイテイオーはもっと気楽でいたいと言う。マックイーンも同じ気持ちだったのだろうか。

 

「俺も、もっと彼女と話していれば、あんなことにはならなかったのか?」

 

 ふと、そんな独り言を漏らした。

 

「キミのウマ娘の話?」

 

「忘れてくれ。もう終わった話だ」

 

 情けない。いつまで俺は過去に縋りつくつもりなんだ。

 

 俺はもうマックイーンとは何の関係もない他人なんだ。

 

 逃げてしまった日から、俺にその資格はない。

 

「ねえ、やっぱり、もし良かったらボクのトレーナーやらない?」

 

 いつかと同じように彼女は俺にそう言った。

 

 俺にそんな資格はない。

 

 そう断ろうとして言葉を遮られる。

 

「どんなことがあったのかボクは知らないけどさ、やっぱりキミ、諦めたくないんじゃない?」

 

 諦めたくない? 俺が? 

 

 そんなはずはない。諦めたくなかったのなら、俺は恥を晒しても彼女の側を離さなかった。

 

 なのに俺は逃げ出した。俺の気持ちはそんな軽かったのか? 

 

 仕方がなかったんだ。

 

 そう自分に言い聞かせられなければ、ちっぽけな自尊心がもたなかった。

 

「いや、俺は諦めたんだ。俺はお前のトレーナーはやれない」

 

 勝つお前たちは俺には眩しすぎる。

 

「勝て、トウカイテイオー」

 

 勝てなきゃ意味がない。勝つお前は前へ進め。お前もマックイーンも、俺なんていらない。

 

「日本ダービーと菊花賞。お前のレースはもうすぐだ」

 

 もう次なんか無い俺と、お前は違うんだ。

 

 夢を叶えてくれ。

 

 逃げてしまった俺とは違うと、負けてしまったらそこに意味はないと証明してくれ。

 

 俺の身勝手な願望を押し付けてすまない。

 

「そっか……。うん、分かったよ。でも、楽しみにしていて。日本ダービーが終わったら、また見せにくるから。絶対だよ?」

 

 トウカイテイオーは少し寂しそうに笑って去っていく。

 

 遠くなっていく彼女の背中を、俺は見送っていった。

 

 そうだ。それでいい。止まってしまった俺とは違う。

 

 お前は前に進み続けるんだ。

 

 けれどトウカイテイオーが公園に来ることはなかった。

 

 

 

 ●

 

 

 

 二ヶ月が経った。

 

 俺は変わらず立ち止まったまま。

 

 またぼんやりと昼下がりの光景を瞳に映してた。

 

 変わったことと言えば、しばらくトウカイテイオーの顔を見ていないことだ。

 

 あの鬱陶しい子供っぽさも、しばらく見ていないと妙な静けさがあった。

 

 知らず知らずのうちに、彼女と話すことがある種の楽しみになっていたのかもしれない。

 

 日本ダービーからはしばらく経っている。

 

 どうしたのだろうと思いもしたが、積極的に動く理由も、気持ちもなかった。

 

 気配。 

 

 ゆっくりと、こちらに誰かがやってくる。 

 

 ここにくる奴なんてトウカイテイオーくらいだ。

 

 また気まぐれだろうか? でも良い。あのこうるさい声でも、誰かの声が聞きたかった。

 

 どうやって声をかけようと顔を上げて、絶句した。

 

 トウカイテイオーは力無く笑う。いつもの子供っぽさはなく。

 

「あはは……、見てよこれ。笑っちゃうでしょ?」

 

 彼女は座っていた。

 

 ギプスに包まれ、動かない足を車椅子に預けて。

 

「全治半年だって」

 

 菊花賞はもうすぐだというのに。

 

「前みたいに走るのは無理だって」

 

 あんなに頑張っていたのに。

 

「カイチョーみたいな三冠ウマ娘になりたかったのに。叶わなかったよ」

 

 どうしてお前まで俺みたいになっちまうんだ。




今回は前座になります。
全三話予定となります。

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