五月七日月曜日
パン屋こむぎの店内では、店長、三玖と四葉が席に座り、話し合っていた。
「……えっと……ここって石屋だっけ?」
四葉はうーーんと唸った後、真っ黒な何かを手に持ちテーブルにこんこんと叩き強度を確かめる。正直釘を打てそうな硬さだと思った。冗談抜きで。
トレイの上に戻した四葉がこれは何かと三玖に問えば三玖は蚊の鳴くような声でクロワッサンと、本人も自信なさげにそう口にする。どうやら自分でもヤバいものを作ってしまったと自覚しているらしい。
その様子を側で見守る店長も、額に汗をかき目を細くする。
「ま、まぁ……中野さんはバイト始めたばかりだし……そこまで気にしなくても良いよ。パン作りは難しいから最初は誰でもこうなるよ。幸運にも向かいケーキ屋はそれほど脅威じゃない出来る限り私もサポートするから頑張ろう!」
「はい!」
と意気込みは良かったものの、日を追うごとに徐々に出されるパンは形を変え最初に出されたものから乖離し始めていた。具体的に言えば、店長が匙を投げかけ始めるくらい。
(石みたいに硬かったり、溶岩みたいにドロッとしていたり……おかしいなぁ、手順通りに作らせているし、目も離していないのに……もう神様の作為的な何かを感じるよ……)
冬虫夏草のように最早パンとは言えないものを生成した暁には、壁に寄りかかり何が行けないのか自問自答を始めだすほど、店長は思い悩んでいた。悩みすぎて三玖を迎えに来る雪斗に密かにアドバイスを貰うくらい追い詰められていた。彼が料理上手だということは三玖ちゃんから耳タコだったから……ただ、たまに会話に混ざる向かいの店の店長の良いところを聞かせてくるのは一体何なのだろうか……?
来る日も来る日も試行錯誤を繰り返し、遂に、遂にお店に出せるレベルではないが三玖のパンが完成。
「……パンだ……石でも溶けかけたナニカじゃない。……パンだ……三玖ちゃんがここまで作れるようになって私も嬉しいよ」
まだまだ未熟なパンだが、誰がどう見てもパンと言い切れるものを完成できたことに店長の目の端から涙が零れる。
「パンだ……この前見たのは幻じゃなかったんだ!」
作り上げた本人も自慢気な表情で胸を張り四葉に見せている。
サクリ、そう音が聞こえそうな食感と共に味を確かめれば、ムラがみられるもののこの調子なら問題無さそうだと四葉も笑顔で太鼓判を押す。
「店長さんありがとうございます」
三玖はずっと親身になって教えてくれた店長にぺこりとお辞儀をし感謝を伝える。
「これを白羽さんにあげるの?」
「ううん、まだ美味しいパンじゃない……」
「三玖ちゃん修学旅行までにとか言ってたっけ?」
「はい一日目のお昼が自由昼食のはず……侵略すること火の如し。そこで取って置きのプレゼントを渡すんだ」
「そっか、きっと喜んでくれるよ!」
サムズアップして背中を押してくれる四葉に三玖は気がかりなことを口にする。
「でも問題が一つ……パンを作って食べてもらう為には、修学旅行はユキトと同じ班じゃないとお昼を一緒に出来ない」
三玖は上手くできたパンを見つめてそう言った。
「それに……ユキトと一緒に京都を見て回りたいんだ」
「三玖の気持ちはよく分かった! ここは私に任せて三玖と白羽さんと私と上杉さんとで一緒の班を作ろう! 私から二人に言っておくね!」
ニッコリ笑顔の四葉は、迷える三玖の為に一肌脱ぐ事にした。
「えっいいの?」
「うん! 上手くいくといいね!」
「ありがとう四葉」
一週間後の月曜日
帰りのSHRで黒板の前で上杉と四葉が修学旅行での注意点や必要事項などを説明中。
「事前に配布済みのパンフレットに三日間の流れは書いてありますが、修学旅行前に一度は必ず目を通しておいて下さい」
「で、その修学旅行の班ですが……明日までに決めといてください! 定員は5名までですからね! 決まりを守って楽しい修学旅行にしましょう!」
上杉の言葉を引き継いだ四葉がはきはきとした声色で伝える。
「以上で修学旅行の事前説明を終わります。何かあれば先生に聞いてください」
クラス中が班員の事で騒めきだす頃、程よく放課後を告げる鐘がなり、四葉は教室を出て行った上杉を探し始めた。
「えーっと……上杉さん、上杉さんは何処かな?」
廊下に顔を出し視線を忙しなく動かすが上杉の姿は見えず、もしかしたらトイレかもしれないと少し先まで歩く。
(林間学校で風太郎君は倒れちゃったし、今度こそ風太郎君に最高の思い出を作ってあげないとね!)
と四葉は人知れず気合をいれる。
「あっ!上杉さんだ!」
目当ての人は雪斗、武田、前田と会話をしており、四葉の存在には全く気付かない…。
「前田は顔が悪いから彼女が出来るようご利益のあるところ行かなきゃね」
「余計なお世話だコラ」
「そりゃ失敬……そうだ、頭”も”悪いからそっちも行かないとね!」
「前田が泣きそうだからもうやめとけ……」
笑顔で精神攻撃をしている雪斗に、上杉が止めに入る。
「上杉さー……」
「四葉ちょいちょい」
「一花、どうしたの?」
白羽さんの辛辣な言葉に涙目になっている男子生徒に憐れみを感じつつ、上杉の元へ行く自分を呼ぶ声がする。
自身の名前を呼んだ一花を見れば、自身を手招きし空いている教室に入るよう促す。
「修学旅行楽しみだね」
「うん楽しみ!」
「私たち京都って初めてだっけ?」
「違うよ。小学生の頃も行ったじゃん」
「そうだったね。四葉はまた行きたいところとかある?」
「うーーんベタだけどやっぱりお寺とかかなー……後は清水寺とか渡月橋とかも行ってみたいな! ……食べ歩きも捨てがたいかなー」
周りの空気を察知する四葉はここ数日何処か姉妹の中の空気は重い事に気づいていた。
「クラスの皆は五人班で悩んでるみたいだけど私たちにはお誂え向きだよね」
「あっ! はは……五つ子でよかったね……その一花」
五つ子にお誂え向きな最大5人の班、今までだったら姉妹皆で班を組んでいただろうが、三玖は雪斗と一緒になりたいため、同じ班になる気持ちは無い。そのことを一花に伝えようと口を開く前に一花が先に切り出した。
「でもさユキト君とフータロー君はどうだろう?」
「えっ…」
「ユキト君は私たち以外に親しい友だちいないんじゃないかな? いつも私たちの為に骨を折ってくれるんだし……。そうなっちゃったのは私たちのせいだよね……責任持たなきゃダメだよね?」
「えーっと……」
「フータロー君は三年生になっても友だちは少ないままだし、班を組むのに一苦労しそうだね。……だからさ、ここは私たちが一肌脱ごうよ」
「え、一花?」
友だちの事を想い、心を痛める表情をしていた一花は一変し、どこか圧力を感じさせるような声色に変化した。
「私と四葉とユキト君とフータロー君の四人で一班。いいよね?」
「!」
「あっ、ごめん電話だ……。じゃあ四葉よろしくね」
「……どうしよう……」
三玖のために、そう思って動いていたのに……まさか一花にも頼まれるなんて……。
一体どうすればみんな仲良く、最高な思い出を作れるんだろう……。
四葉は少し教室で悩んだ後、この後に控える勉強会に参加するため図書室に向かう。
「お、今日は珍しく三玖がいるな」
「この後バイトだけど、ちょっとだけ参加する」
「遅刻しないようにね」
「全国模試以来の全員集合ですね」
「あっという間だねぇ~」
人気が少ない図書室で集まり、雑談に花を咲かせる者たち。五月の勉強会を始めましょうの言葉を皮切りに勉強道具を出す。
「さて、今日は授業の復習からでも始めようかね」
全国模試も終わったし、試験もまだ先。習ったことを覚えている内に復習しよう。
焦らずじっくり、コトコト知識を煮込みましょう。イッヒッヒッヒ。
「その前に、修学旅行の話がしたい」
「え?」
「!」
「ユキトは誰と組むか決めた?」
「ん? 僕は上杉とクラスの人と組むけど……それがどうかしたのか?」
『!』
雪斗の既に組んだという発言により、一花、三玖、四葉の意識は一瞬止まった。その中でも一早く覚醒した一花は、どうすれば一緒になれるかを考え始めた。
まさか既にユキト君が班員を決めていたとは、彼のコミュニケーション能力を見誤っていたのかもしれない。
一花は自身の詰めの甘さに憤りを感じ、無意識に親指の爪を噛んでいた。
……どうする? ユキト君の性格上、一度組むと決めたら納得のいく意見を言わなければ班を変えてはくれない。定員は5名。けれどそれ以下の人数で行動してはいけないとは言われていない。
……どうする? ユキト君と二人っきりでの行動が一番だがどうすればみんなが納得できる意見が出せる?
普段の生活では決して見せない真剣な表情で意見を頭の中で出していくが、どれもこれも穴があって使えない。
「……そう言えば誰かと話していたような気が」
「あぁ、四人で行動することになってる」
先ほど上杉は雪斗の手によって前田と武田に修学旅行の班を組むことになった。
話している内にあれよこれよと、いつの間に班員を決められたことに苛立ちはないが、勝手に連れ回すのはやめて欲しいとつくづく思う。
「修学旅行の話はこれでおしまいだな。早速勉強始めようか」
まだ不満そうな一花や二乃を差し置いといて、本題の勉強会に移る。
今日は趣向を変えて、五つ子たちには一人ひとりの席の間には衝立がある机、いわゆる自習机で勉強を始めてもらう。僕らは順に顔を出して説明するというやり方だ。
早速五月から合成関数の積分について説明していく。
「それで、ここの式がこうなって……」
「……そういうことだったんですね。ということはここがこれで……」
「おっと、惜しいな。そこはこれになるんだな。んでもって、次がさっき言った公式を使うところで……」
「あ! ……ってことはつまりこれで答えが出る?」
「そゆこと。五月は頭よくなってきたな」
「学年首席さんに言われると鼻が伸びちゃいますね」
僕の冗談を真に受けて、笑顔で言ってくる五月に僕は苦笑で返した。事実、堂々と自慢できるようなものでもないしね。
「その鼻を根元からぽっきりと折ってやろうか? ……とにかく続けるよ」
「えぇー、少しくらい天狗になっても良いじゃないですか」
「はい、次は社会だね」
集中力が尽きないうちに五月の苦手な社会について問題を出していく。
「……見えないです見えないです、私にはそんな教科書見えませんよ。そんな教科があることを私は認めません」
ついでとばかりにいじめ返しながら、雪斗はできる限り丁寧に教えていく。今日は五月の調子が良く、少しのヒントで正解まで到達するもんだから、普段は感じない気持ち良さがあった。そのせいか、気がつけば随分と時間が経っていた。
一花まで順に見に行った後、自身の勉強を一通りこなしていたが、喉が渇いてきたので席を立つ。席を離れるついでに五月の所へと足を運んでみる。
「五月、さっきの問題は解け――寝てるのか?」
「…………、」
机の上に散らばる消しカスの量を見れば、かなりの時間勉強していたのだとふと気づく。
うつらうつらになりながらも、ペンを離そうとしなかったせいか、ノートには直線やら、曲線やら、ミミズがのたうち回った後のように至る所に表れていた。結局睡魔には勝てず、シャーペンは転がったようだが……。
規則正しい寝息は、すくなくともフリではないようだった。日々のバイトの疲れでもあったのか、それとも単なる寝不足か。折角人が教えているのに寝るなんて…………と一ミリほど思っていたが、実際に寝顔を見るとそんな気も引けてきた。
リュックからブランケットを取り出し、五月に掛ける。図書室が暖かいからといっても、もしかしたら体を冷やしてしまうかもしれないし……。
『飲み物買って来るからちょっと待ってて』
喉が渇いていたところだし丁度いい。そう五月のノートに書き記し、静かに僕は席を離れる。
図書室から校舎への間には自販機とベンチがある。そこですこし小休止でもしてこよう。
廊下を歩きつつ、無意識に自身の肩に手を置く。……むむ、肩が痛い。肩こりにでもなってしまったか。
そのまま肩を揉み解しながら、雪斗はふうとひとつ息を吐いた。ずっと同じ体勢で集中していれば肩もこるし疲れも溜まる。彼女が起きたら勉強会は解散しようかと自販機の前まで足を進める。
まぁ場所を変えるだけで、姉妹たちのアパートで勉強会は再開するが……。
えっと、……五月にはスポーツドリンクでいっか。……僕は缶コーヒーにでもしよ。
お金を入れ、スポーツドリンクと缶コーヒーを取り出せば二乃が、軽い足音を立てながら近づいてきた。
二乃はちらりと僕を見た後、僕の側にあるベンチに腰掛けた。
何か言いたげな表情だな。
自動販売機にお金を入れて躊躇なくボタンを押し、ガコンと落ちてきた二本の内一本を差し出す。二乃はぽかんと呆けながら、「アタシに?」と自分を指差している。それがちょっとおかしくて、雪斗は笑いながらそうだよと答えた。恐る恐るといった様子で受け取る姿がなおさらだ。
「大丈夫、鼻水なんて入ってないよ」
「……どういう風の吹き回しかしら?」
三玖にこう言われるのは慣れているのか、特になんの反応も示さず、疑問を問いてきた。
「さっきの修学旅行の班について、本当は上杉と一緒になりたかったんだろ? でも、上杉が班を組んでしまった以上どうにもできない。理解はしたが納得はしていない……そんな顔をしている」
「……気持ち悪い位に人の事よく見てるわね」
「二乃はよく見えるからな」
強いて言うなら、感情が顔に出るから読みやすい。そう伝えたらきっと吊り目にして怒るんだろうな。そんな事を考えながら僕が上杉と組むと伝えた時の事を思い出す。
二乃が、上杉が僕らと組むと聞いた時、新雪を思わせる白い肌が憤りで赤みを帯びているのは一目瞭然だった。
ひとまずミネラルウォーターを選んでみたが、どうやら間違いではなかったらしい。両手で包んだペットボトルを顔の前まで持ってきて隠しながら、二乃がなにやらぶつぶつと言っている。
「常温の水じゃなくて悪かったな」
「なんでアタシの好きな飲み物が常温の水だって知ってるのよ」
パキリ、と小気味良い音を鳴らして二乃はペットボトルの水を口に含む。
「そりゃあこれだけ長く一緒に居れば好きな飲み物が何か位把握するさ」
「あっそ、てか、気取りすぎ」
「気に障ったのなら謝るわ」
肩をすくめつつそう言えば、二乃は溜息をつきつつ、「アンタはそういう奴だったわね」と零した。
雪斗が二乃の疑問に答えれば、小さくなにかを叩く音を耳が拾った。トントン、と小気味よく響く音は先ほど二乃の座ったベンチからだ。見れば、しっかり一人分のスペースをあけていた。
「……それで座らないの?」
「……座る」
言って、僕もベンチに腰掛けた。ふと辺りを見渡せば校舎から伸びる廊下に人影はひとつも見えなかった。もちろんたったふたり、木製のベンチに並んだ彼らを除いて。なんだか世界に僕ら二人しか居ないように感じてくるが、たまに聞こえてくる野球部の掛け声がそれを否定する。
「…………」
互いの衣擦れの音が響いているように感じる程の沈黙が下りる中、雪斗はプルタブを開ける。
「…………それで何が言いたいの?」
プルタブの音が廊下に響き、缶コーヒーでのどを潤した後、口を開く。
互いに目を合わせず、正面の白い壁を見ながら二乃の言葉に耳を傾ける。
「…………アンタの言う通り、アタシはフー君と同じ班になりたかったわ。好きな人と二人っきりで回りたかった」
「うん」
「……それでアタシがどれだけフー君を好きなのか知ってもらって、アタシの虜になるはずだった」
「……うん」
虜って、君は魔女か何かか?
「でも、姉妹のみんなで京都を回るのも良いかなと思う自分がいるわ」
ペットボトルを足元に置いた二乃は、前かがみになり頬杖をつく。
「……なるほど、つまり二乃は姉妹で回る京都と、上杉と回る京都、どちらも天秤にかけていてどちらでもいいと思ってるわけだ」
「……まぁそう言う事」
「……知ってた? 班員は五名が上限だけど、別の班と行動しちゃダメだって言われてないんだぜ」
「あ」
廊下の隅を見つめていた二乃は、体を勢いよく起こし、天啓を得たかのような顔をして僕を見つめる。
「分かった? 全部のルートを同じにすることは出来ないだろうけど、それでもいくつかは同じにできるだろう」
先生に何か言われたらたまたまです! ってニッコリ笑顔でごまかそ。
「僕の班にも伝えておくから、そっちはよろしくね」
前田は一花の事がまだ好きだから、この案は承諾してくれるだろう。武田は……分からん。上杉は押せばイケる。
「……ってことで、はい、どうぞ」
「……?」
スッと、麦茶を彼女の視界に入るよう持っていくと、二乃は意味が分からない様子で麦茶を手に取った。
「ふふふ。僕が好きな飲み物を知っているのは二乃だけじゃないよ。……麦茶、上杉が好きな飲み物だ」
上杉が麦茶を好きな理由なんて「安くて味があるから」なんて言いそうだけど……。
「――――っ」
したり顔をしつつ、すこし微笑みながら言うと、二乃は驚いたように目をしばたたき、耳まで顔を赤くした。やっぱり二乃は感情が読みやすい。
「……っ」
そんな一瞬に、耳に届くかどうかという小声で、なにかを言われたような気がした。
「……何か言った?」
「何でもない! ありがと!」
二乃は勢いよく立ち上がって、脇目も振らずに図書室のほうへ走っていった。
がんばれー。
二乃に小さな応援をした後、雪斗も図書室へと足を進める。
図書室へと走っていたが、徐々に歩みを緩めて、二乃は小さく息をついた
アタシとしたことがこんな単純な手を思いつかないだなんてどうかしてるわ。
どう姉妹たちに切り出すか考えながら自分の席まで戻る。彼に買ってもらった上杉の好きな飲み物、麦茶をしっかり持ったまま。
いつか、雪斗に感謝のお礼でもしようかしら……。
翌日には正式に、
上杉、雪斗、前田、武田
一花、二乃、三玖、四葉、五月
と、それぞれ修学旅行の班が決まった。
雪斗の案が早速決行され、みんなが納得することが出来た。
因みに前田は雪斗の事を神扱いし始めた位感謝していた。
この案に一番救われたのは五つ子たちではなく彼かもしれない。