英雄伝説 天の軌跡Ⅱ   作:十三

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■設定22【イストミア大森林】
 エレボニア帝国西部に広がる広大な森林地帯。東部ヴェスティア大森林と並ぶ帝国の自然地帯だが、イストミア大森林には古くから霊的な存在の御伽噺が絶えない。その一つに「イストミアには魔女が棲む」というものがあるが、その真偽を知る者は少ない。

■設定23【霊獣】
 元々長寿な獣が良質な霊脈に接続し、充溢な魔力を体内に内包する事で固有の特殊能力を身に着け、種類によっては物理的な枷からも解き放たれた上位存在。
 積極的に人界に害を及ぼす事は少ないが、霊脈の乱れなどで正気を失い、破壊衝動を抱える事になった際は各地の遊撃士協会や治安維持組織などが鎮圧に向かうのだが、遊撃士協会の場合、基本的にA級以上が出撃する緊急事態となる。




魔の森、獣の遊興

 

 

 

 

 

「あ、レイさん。ちょっといいですか?」

 

「ん? どうしたよ、委員長」

 

 遡る事数ヶ月前。レイたちがルーレの実習から帰ってきた後の事。夕食後の満腹感に浸りながら自室に戻ろうと寮の階段を上がっていた時、不意にエマに背後から声をかけられた。

 またフィーやミリアムの自習の手伝いをして欲しいとかいう頼み事かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。どことなく低かった声色が、真剣さを雄弁に知らせていたからだ。

 

 その日の夜空は良く晴れていた。雲一つなく、導力灯が無くとも視界に困らない程に、満月の光が地面を淡く照らし出していた。

 一説によると、満月の夜は魔力そのものが強く励起するらしい。内包する体内魔力という点では、Ⅶ組のみならず、在校生の中でも他の追随を許さないエマを見ると、その説が真実である事が良く分かる。

 

「随分と調子が良さそうじゃねぇか」

 

「そう、見えますか?」

 

「普段は溢れ出ちまう魔力を制御するためにその眼鏡をかけてるんだろう? 今はそれでも抑えきれてないぞ」

 

 失笑してしまう程に、その才能は大きかった。

 実際、内包魔力では姉であるヴィータにも引けを取らないだろう。否、もしかしたら勝っているかもしれない。

 あの魔女はそれに加えて、術の制御技術と応用技術の精度が頭抜けているのが、百年に一度の天才と言われる所以である。いつかエマもその域に達するかもしれないと考えただけで、僅かに闘争心が疼いてしまう。

 

 無論、そんな野暮ったい感情を表に出す程レイは素人ではない。恐らくは他の人間に聞かれたくはない事なのだろうと彼女を寮の外に連れ出し、トリスタの中心部から少し離れたところで足を止める。

 

「んで? セリーヌは影からご主人様の護衛ってか? 心配しなくても何もしねぇよ」

 

「……アンタはいつも癪に障る事を言うわねぇ」

 

 月光の影にあたるところから静かに姿を現した黒猫は、いつものように悪態をつきながらエマの足元に寄り添う。魔女の使い魔として気位が高く、容易く靡かない性格をしているが、好物であるらしい白身魚を猫が好む味付けで料理したものを食堂の近くに置いておくと、いつの間にかペロリと完食されている辺り、やっぱり猫なんじゃないかと思わなくもない。

 

「未だに警戒されてんのかよ」

 

「アタシみたいなのが居た方が良いでしょう? アンタの経歴を鑑みれば、そのくらいが妥当だと思うけれど?」

 

「違いない。元《執行者》の人間なんて早々簡単に信用するモンじゃあないな」

 

 たかが半年。本来なら人一人の半生を信用に変えるには短すぎる時間だ。

 更に言えば、旧くからエレボニア帝国の裏の部分を見つめ続けてきた”魔女”の一族である。大陸全土で暗躍している《結社》との相性はお世辞にも良くはないだろう。

 無論、レイの方からこの一族に何かをしようという意思は無い。長い年月をかけて古代魔法の全てを統べたと謳われる一族の”長”に会ってみたいという感情はあったが、叶わぬのならばそれでも構わない。

 だが、直後にエマが差し出してきたそれは、レイのその諦観をある意味で裏切るものだった。

 

「お婆ちゃん……我々一族の長から送られて来たものです。これをレイさんにと」

 

 青白く淡く光る宝石。触れずとも、それがかなりの密度の魔力を内包している事は察する事は出来た。

 通常、普通の人間が魔力を外部に晒して魔法を行使する際には大なり小なり”不純物”が混じる。それは大気に僅かに溶け込んでいる自然のマナであったり、体内を循環している氣力であったりと様々だが、ともあれ、純粋な己の魔力だけで魔法を行使する事は無い。

 だがこの宝石に込められているのは、ほぼ純度100%の魔力である。外部の影響をここまで排除した状態の魔力はここまで澄んだ光を放つものなのかと、感心すらできた。

 

「これは”通行証”のようなものです。私たちの生まれ故郷、魔女の眷属が住まう場所《隠れ里エリン》への」

 

「……存在自体は知ってる。ヴィータの奴から何度か聞いたことはあったからな。まさか行く機会が得られるとは思わなかったが」

 

 何故これを俺に? という問いに、しかしエマは申し訳なさそうな顔で首を横に振った。

 

「すみません。私も詳しくは聞かされていないんです。お婆ちゃんの使い魔が手紙と一緒にこの宝石を持ってきたのですが、手紙には『かつて《天剣》と呼ばれた男にこれを渡してくれ』とだけ」

 

 やや遠回しな言い方ではあるが、その特徴であれば自分に手渡されるのは必然であっただろうとレイは思う。

 問題は、何故このタイミングで魔女の長がこれを自分に贈ったのかという事だった。近いうちにエマという案内人抜きで里を訪れなければならない理由があるのだろうか。

 ……ともあれ、これを渡されたという事実だけは頭の片隅に置いておいて損はないだろう。

 

「まぁ、それなら貰っておくよ。あぁ、念のため言っておくけど、悪用はしねぇから安心しろ」

 

「あはは……。でもそれも大丈夫だと思います。レイさんの手に渡る事も考慮して、レイさんの呪力と混ぜ合わせる事で里への入り口の解錠認定となりますので。この状態だとただの綺麗な石でしかないですね」

 

「いや、ンなわけねぇだろ。こんなオーパーツじみた存在(モン)、見る奴が見たら古代遺物(アーティファクト)認定されてもおかしくねぇわ。嫌だぞ、また教会の連中にしつこく追われるのは」

 

 というかいつ自分の呪力の性質を抜き取られたんだと思い、チラリとセリーヌの方を見ると、彼女はプイとそっぽを向いた。

 

「(いやまぁ、別に減るモンじゃねぇからいいけどよ)」

 

 ご丁寧にネックレスの形に加工されたそれを、レイは無造作にポケットに突っ込んだ。

 ある意味では厄介物と言えなくは無いが、いずれ自分の身を助けてくれる品になる可能性もある。今でこそは御守り以上の価値は持たないが、肌身離さず持っていないと効果を発揮しないのであれば、下手な所に飾っておくわけにはいかなかった。

 

「話が終わりなら帰ろうぜ。俺は別に平気だけどよ、冬の夜に長く外に居てお前に風邪でも引かれたら俺が怒られちまう」

 

「ふふっ、そうですね。寮に帰ったら温かい飲み物で暖まりましょうか」

 

「お前も来いセリーヌ。シャロンがお前の寝床用意して待ってるってよ」

 

「アタシは良いわよ。魔女の使い魔は風邪なんて引かないわ」

 

「俺の式神も似たようなモンだが、平気で俺の部屋で酒盛りするし、気付いたら俺のベッドに潜り込んでくるから蹴り飛ばしたりしてるぞ」

 

「……アンタの式神って、相当高位の存在じゃなかったっけ?」

 

「ソレとコレとはまた別の話だ」

 

 何だかんだと言いながら付いてくるセリーヌを横目で見ながら、ポケットに突っ込んだ宝石に触れつつ帰路につく。

 

 

 

 

 ――この宝石が後々、自分とその同行者の人生の岐路に深く関わってくるとは、この時のレイはあまり予想していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 イストミア大森林は、凡そ一般的な「冬の森」とは全く異なる顔を見せる事で良く知られている。

 通常、樹木というものは栄養分が枯渇する冬季になると、樹そのものを生かし続ける為、末端に付けた葉を枯らして散らせる事で栄養を集中化させるのだが、この大森林では冬場でも青々とした葉を付けた木々が乱立している。

 その理由としては、この地の霊脈(レイライン)の豊富さにある。潤沢な高濃度の魔力は大森林の木々に栄養として行き渡り、結果として一年を通して変わらない景色を編み出しているのである。

 

 そしてそれが、レイがセドリックを引き連れて此処に逃げてきた理由の一つでもある。

 

 樹齢数百年を超えるような大樹が珍しくもなく存在するこの大森林の地表部分は、常に青々と茂っている影響で上空からの観測が困難であり、”身を隠す”という点ではかなりの好条件が揃っている。

 故に、この場所には憲兵に追われた犯罪者が逃げ込む事がある。だが、豊富な魔力に包まれたこの場所には、その恩恵を享受する高位の魔獣もまた多く存在する。大半は、数日も保たずに餌になる。そして、そんな魔獣らに対抗できる実力者であっても、時折発生する濃い霧に包まれて、二度と外へは出てこなくなる。

 その事例が重なり合い、今では伝説じみた言い伝えが数多く生まれ、近隣の街や村の子供たちは、何か悪事をする度に親に脅しの意も込めてこの大森林の伝説を吹き込まれる。

 だが、その伝統を継いできた親たちも、まさかと思う事だろう。――父や母、祖母や祖父から教えられたそれらの御伽噺が、それなりに真実味を帯びた話だという事は。

 

 

「ふぅ、ふぅ……はぁ、はぁ……」

 

 セドリック・ライゼ・アルノールは肉体的に脆弱だ。森林を本格的に進み始めて約30分、既に大きく息を切らしていた。

 従者のクルトはその身を案じて、なるべくその負担を肩代わりするような補佐を行っているが、あくまで補佐止まりである。

 

『セドリック、お前はお前の足で進め。誰かに助けてもらうのも良い。補佐してもらうのも良い。でも、進むときは自分の足で進め。そうしなきゃ、何の為に立ち上がったのか分からなくなっちまうだろうからな』

 

 レイはそう言った。セドリックの体力が貧弱な事を理解した上で、である。

 そして、セドリック自身も理解していた。今まで力に憧れ、仰ぎ見るしかできなかった自分が”立ち上がった”次にやる事は”歩き出す”という事。そしてそれすらも出来ないようであれば、今も民を苦しめ続けているこの事態を収める資格など無いという事を。

 

「殿下、お体の方は大丈夫ですか?」

 

「う、うん。大丈夫だよ、クルト。今まで君に助けてもらってたんだから、このくらいは自分でやらなきゃね」

 

 それはある意味で強がりではあったが、本音でもあった。

 クルト・ヴァンダールはセドリックを護るために剣の腕を磨いてきた少年だ。故にクルトがセドリックの助けになるのは当然であり、彼もそれを享受してきた。

 だが、懐刀に寄り掛かったままで良い事が為せるとも思っていなかった。そして鎖のような庇護からすり抜けた今、不謹慎であるとは分かりつつも、自分の足で”前”に進むのが少し楽しくもあったのだ。

 

「(兄上、僕は強くなってみせます。兄上ほどではなくとも、せめて皇座を継ぐ者として、恥ずかしくない程には)」

 

 決意を言葉にするのは勇気があれば誰にでもできる事だ。だからこそセドリックは、その決意と共に足を一歩前へ出す。

 その様子を傍目に見ていたレイは、セドリックに合わせて緩めていた歩みを止めた。そしてそのまま周囲を見渡す。

 

 本来であればこの辺りは、それなりの強さの魔獣たちが闊歩する危険地帯である。だというのに先程から魔獣どころか野生生物の一匹も姿を見せないのは、レイとライアスがセドリックとクルトに気付かれないように周囲に殺気を振り撒き続けているからである。

 今まで数多の闖入者を餌にしてきた魔獣たちも、歴戦の”達人級”と”準達人級”が容赦なく振り撒く殺気に対して前に出る程の蛮勇を犯す事は出来ず、傍から見れば半径十数アージュの範囲だけ凶暴性を持った生物がポッカリいなくなるという奇妙な光景が出来上がっていた。

 

 そんな光景を作り出している当人はと言えば、右手で通行証の宝石を持ったまま首を傾げていた。

 

「ライアス」

 

「どうしたんスか、大将」

 

「ちょっとコッチに来て魔力の流れを探ってくれ。体内に魔力が流れていない俺やツバキじゃこういうのは不得手だ」

 

「了解っす」

 

 そう指示を飛ばしたレイは、その後セドリックとクルトに少し休むよう伝え、ツバキにも周囲の警戒を命じた。

 そうして三人とは少しだけ離れた場所に移動したところで、ライアスが少しだけリラックスした様子で口を開いた。

 

「意外でした」

 

「何がだ?」

 

「大将、Ⅶ組の皆さんにはだいぶ厳しく教えてたみたいでしたから。てっきり殿下にもそうするのかと」

 

「……ようやく立ち上がることができるようになったばかりの雛鳥に、飛んで海を渡る方法を教えてもしょうがねぇだろうが。Ⅶ組(アイツら)は羽ばたけるだけの力はあったからな」

 

 つまるところ、()()()()()()()()()()()()()()という事だ。

 それは、彼の師であるカグヤの指導方針とは全く異なる。彼女の場合は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という前提条件の下様々な指導を行うので、最低限の加減は知っていても容赦というものを知らない。幸い倫理観を始めとした一般常識を義姉(ソフィーヤ)から教わっていたレイは、師のそういった所を反面教師にして今に至っている。

 

 そんなレイの目には、セドリックはまだ鍛えるに値しないと映った。しかしこれは非難しているわけではなく、今はその時ではないと冷静に判断しているだけに過ぎない。

 あのエリオットでさえ、トールズに入学するにあたって体力テストはクリアーしている。今のセドリックがこの域に達していないと判断した以上、下手に無理をさせて身体を壊してしまっては元も子もない。

 

「限界の上限値を少しづつ上げていくのが強くなる秘訣だが、それはそれ相応の上限値を作れてからの話だ。俺がアイツを鍛える事があるのだとしたら、それからだろうな」

 

「……ちゃんと考えてたんっすね」

 

友達(ダチ)が本気で強くなりてぇって思ってんなら、そりゃ真面目に向き合うさ」

 

 アイツらの時と同じようにな、と微笑を浮かべてレイは言う。

 

「それよりも、だ。早く魔力の流れを感知してくれ。俺じゃそこまでは分からん」

 

「つっても、俺だってそこまで魔法適正高いわけじゃないんすよ?」

 

「からっきしな俺よりマシだろ。なに、難しい事じゃねぇ。一番”濃い”なって思うところを指してくれりゃ良いんだ」

 

 現代魔法(アーツ)というのは、個々人で適正というものがある。

 例えばⅦ組ならば、エマ、エリオット、アリサ、マキアス、ユーシスは高い適性を持ち、逆にリィン、ガイウス、ラウラ、フィー、ミリアムなどは適性が低いと言える。

 ここで言うところの”適性が低い”というのは、内包している魔力量が比較的少ないというのもあるが、魔力を練り上げて魔法として撃ち出す際の過程(プロセス)を上手く組み上げられないという意味も含む。つまるところ、魔法を扱う事自体には問題が無くとも、魔法の威力や燃費は適性が高い人間には及ばないという事である。

 故に、魔力の感知能力も、適性が高い人間と比べれば一歩劣る。だが、ここまで魔力が充満している場所であれば、集中した状態であればその”中心部”を読むことくらいは可能である。無論、その感知方法を理解している必要はあるが。

 

 ライアスは地面に膝をつき、両手を地面に当てる。

 掌から流れ出した自身の魔力を霊脈の流れに乗せ、その流れ行く先を探り当てる。魔力の糸を切らせないように集中し続け、幾筋もの汗が頬を伝って顎先から垂れた後、地面から手を離してゆっくりと立ち上がる。

 

「っ――はぁっ、はぁっ」

 

「お前にそこまで息切れさせるか。存外難しかったか?」

 

「あー……霊脈の筋自体は流石に太いんですけどね。何だか意図的に捻じ曲がったり分岐したりしてたりして中心部を探り当てるのが大変でした」

 

「流石にその辺りは魔女の首魁か。それでもやり遂げる辺り、お前も随分腕を上げたんじゃねぇか?」

 

「はは。まだまだっすよ。ウチの戦術魔法分隊(TAS)に見られたら一喝されちまいます」

 

 そう言いながらライアスは少し移動し、少し木々が開けた場所の地面をトントンと踏み抜く。

 

「ここいらじゃ、ここが一番”濃い”と思うっす。つっても、俺が感知した感じ、ここいらに広がる霊脈を強引に曲げて集めてる感じがするんで、意図的に作られた中心点だと思いますけどね」

 

「……成程。この程度の感知も出来ねぇようじゃ里に入る資格も無ぇってか。厳しいこって」

 

 そうなると自分だけでここに来た場合はどうなっていたのだろうかとレイは思う。

 まぁ魔力の流れを読めないだけで、”そこに在るかどうか”くらいは分かるのだから、手あたり次第確かめれば良いのだが、そうなると面倒くさい上に時間が掛かる。

 

「まぁ、この場所で大将がその宝石(通行証)使って道を開けばいいんですね。じゃあ俺ツバキ姐さん呼んで来――」

 

「必要ありませんよ」

 

「うぁ、ビビったぁ」

 

 振り向いた瞬間音もなく目の前に立っていたツバキに対して本気でビビったライアスに、彼女は自前の鉄扇を突きつける。

 

「全く。魔力感知はそれなりになっても、気配感知はまだまだですね。貴方はこれからクルト・ヴァンダールと同じく帝国皇子の護衛役になるのですから、この程度は察知できないと話になりませんよ」

 

「うっ……精進します」

 

 いや諜報部隊隊長(お前)を基準にするのは流石に酷だろうというツッコミがレイの心の中で炸裂したが、敢えて声にはしなかった。

 もしライアスがそれを出来る領域に達したのならば、それは即ち自分と同じ階梯(達人級)に至ったという事でもある。そうなる事が目標の一つでもある以上、確かに()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、そんなツバキの背を追うようにして現れるセドリックとクルト。準備が整ったこと自体は彼女には筒抜けであったようで、呼びに行く手間自体は省けた。

 

「魔女の里、に行くんですよね?」

 

「そうだ。……皇家の方には、魔女の情報なんかはあったりするのか?」

 

「は、はい。といってもやっぱり御伽噺じみたものばかりで、小さい頃はアルフィンと二人でよく母上に読み聞かせて貰ってました」

 

 まさか本当に実在するとは思っていませんでしたけど……と呟くように言うセドリック。

 それもそのはずである。魔女は遥か昔からエレボニアという国を陰から支えてきた存在。始祖は調停者として国を治めてきたアルノール家とはある意味対極にある。

 それ故に、魔女の本質を理解している者は多くはない。セドリックもいずれ知る事になっただろう。それが少し早まったに過ぎない。

 

「それじゃあ、開くぞ」

 

 右手に握った宝石を、ライアスが示した場所に置く。

 手順としては非常に簡素なものだ。しかしそれで充分だったのか、非常に緻密に編まれた魔法陣が4人を囲むように展開する。

 転送用の魔法陣。それは直感的に理解できた。ここまで正確に展開できたのならば、ものの数秒で転移は終わるだろう。そうなれば当面の安全は保障される。そう、当面は。

 

 であるならば――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「行くぞ、ツバキ」

 

「はい、兄上」

 

 そう言って、レイはツバキと共に魔法陣の外へ出た。

 

「れ、レイさん⁉」

 

「大将⁉」

 

 驚愕の声を漏らす二人。クルトも声には出さなかったが、感情としては二人と同じものだっただろう。

 

「何やってんすか、大将‼ もう転移終わりますよ⁉」

 

「だーかーら、さっきツバキに言われたばかりだろうが。もうちょい気配張り巡らせてみろお前」

 

 何を言っているのか、と思いながら、ライアスは気配感知の氣を強く張り巡らせる。すると、僅かに引っ掛かった。荒々しく、暴力的な気配。それが遥か遠方から迫り来ている。 

 

「それなりにデカい氣だ。ここで全員で転移して色々探られたら面倒だ。ここで潰す」

 

「それなら俺も――‼」

 

「アホ言ってんじゃねぇ。皇子の伴回りを得物も持って無ぇクルトだけに任せるつもりか? とっととぶっ潰して行くから、小粋な会話でちょっと間を持たせておけ」

 

「任せましたよ、ライアス」

 

 具体的な命令をする間もなかった。未だに何か言いたげな三人は煌びやかな光と共に別次元へと転送され、その場にはレイとツバキだけが残る。

 静謐な空気に身を委ねるように一息。広域に展開した感知に、その存在は今も引っかかったままだ。

 

「兄上。この野蛮な氣には覚えがあります」

 

「ユーシス達やお前らがオルディスの地下で()ったっていう奴か。お前ら二人が連携して仕留めきれなかったのなら、やっぱり俺が出る案件だなこりゃ」

 

「……良いのですか? ここでライアスに経験を積ませるのも一つの案ではありますが」

 

「お前分かってて言ってるだろ。――それは時と場合によるもんだ」

 

 例えば今この場にレイとライアス、ツバキの三人しかいなかった場合。つまり多少しくじっても逃げる手段を如何様にも講じることができる場合であれば、格上に対して経験を積ませる案も生きてくる。

 だが今は違う。少しのミスが全滅に繋がりかねないのであれば、瞬時に最適解を選ばなければならない。

 

「ツバキ、可能な限りの広域に認識阻害の呪術を。転移術を使ったあの場所を特定させるな」

 

「了解です。加勢はした方がよろしいですか?」

 

「要らねぇ。……と言いたいところだがな。俺の稼働限界が来たら回収だけ頼む。それまでに最低限、追撃が出来ねぇ程度にはボコボコにしておくさ」

 

 ツバキにとっては、それだけの言葉があれば充分だった。瞬時に体内の呪力を励起させて、より広域に拡散させる形に練り上げる。

 

 

「【(うろ)の幻影 湖水の鏡面 霧に揺蕩(たゆた)薄羽(うすば)の舞姫 月に惑う旅人が明けぬ夜にて膝をつく】」

 

 

 ――【幻呪・白狭霧(しらさまぎり)

 

 

 ツバキを中心点にして円形状に広がっていく白い濃霧。効果範囲内に存在する生命体の感覚器官を乱し、正確な地形把握を困難にする呪術である。

 内包呪力こそレイに及ばないツバキだが、呪力の操作術に於いては勝るとも劣らない。故にこの術の効果範囲も広く、おおよそ半径100アージュといったところ。

 とはいえ、この効果範囲を維持するためには流石のツバキであっても並列して戦闘を行うのは厳しいところがある。それでもレイの為ならばと加勢を申し出たが、断られた以上、為すべき役割を為し切るだけである。

 

 

 

 

 地を踏み抜く音。

 それに反応して、レイは《天津凬》の鯉口を切る。一点の曇りもない白刃が、濃霧と同化して輪郭が朧げになる。

 その様子はまるで絵画のように美しいものであったが、残念ながら今ここには、その美しさに目を奪われる者はいない。

 

「――退()け」

 

「断る」

 

 交わされたのは一閃に非ず。力任せに振り抜かれた爪撃四連。それを余波すら抜かせず受けきる。

 なるほどこれはユーシス達(アイツら)が勝ちを拾うにはまだ早いなと、その重さからそう判断する。サラ単身で互角に持ち込めるかどうかといったところだろうか。

 

 その襲撃者はといえば、自身の攻撃が完全に受けきられたことに僅かに眉を顰めながら、ようやくここでレイと目を合わせた。

 

()()()()か、貴様。貴様を喰うのも良いが、今の私の獲物は別にある」

 

「悪いが、それを追わせるわけには行かねぇんでな。俺と遊んで貰うぞ、(けだもの)

 

「――どうやらその顔面から食い千切った方が良いようだな」

 

 思った通り、挑発に対する耐性はゼロに等しい。だが、その傲慢を貫くだけの地力はあると見ていた。

 身体能力の高さに身を任せた超接近戦。恐らくはそれを基準とした戦闘。それは先程の攻撃で読めた。だがそれだけならば、ライアスとツバキが組んだ状態で苦戦するわけはない。

 

 再度仕掛けたのも向こう側。身に纏う侍従服の長いスカートもお構いなしに繰り出される蹴撃。直撃すれば人間の頭蓋くらいならば粉々になるであろう威力のそれが、レイの直上を通過する。鋭すぎて大気ごと剪断したその攻撃は、レイの背後にあった大木をいとも容易く薙ぎ倒した。

 だが、それは彼女にとってはただの通常攻撃に過ぎない。大きく隙を晒す戦技ですらないのだから、すぐに次の攻撃がレイを襲う。

 

 それは、人が獣に対して行う”狩り”とは根本的に異なる戦い方であった。

 精神を律する術も、一撃で仕留めようと氣を伏せる術も、何もかもを無視して単純な”力”で全てを制しようとしてくる。

 それは、魔獣が群れの長を決める際に同族同士で行う殺し合いに似ている。純粋な力による蹂躙。それこそが絶対的な正義だと言わんばかりに。

 

「(だが――)」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 力によるごり押しが通用する程、達人の戦いは甘くない。もしそれを戦法として通用させるのならば、相当尖っていなければ話にならない。……であるはずだが。

 

 

 《八洲天刃流》――【剛の型・薙円(なぎまどか)

 

 

 相手の腰の辺りを狙って放たれる、水平の斬撃。

 下半身を狙ってくるそれを、防御するのは難しい。上半身に向かってくる攻撃を防御する場合、足腰を地面に縫い付けた状態で受け止める事が出来るので、多少の無茶は罷り通る。しかし踏ん張る力を減少させるような場所に飛んできた攻撃は、防御の強度自体が減少してしまう。

 従って、一定以上の身体能力を持つ存在の場合、この技に対する対応策は――

 

 

 《八洲天刃流》――【剛の型・弦月(げんげつ)

 

 

 ()()()()()()()()()。エリシアと手合わせした際にも同じような状況になり、その際にはこのコンボは通用しなかったが、基本初見状態でこの連撃は見抜けない。

 しかしながら、相手の身体を刻んだ手応えが無い。そう思った直後、直上から重力を伴った踵落としが炸裂した。

 

「言うだけはあるな、小僧。疾い技だ。良い戦士と見受ける。忌々しい程にな」

 

 反射的に飛び退き、躱す。ここ暫く雨が降らず、乾ききった土は衝撃で大量の土煙を巻き上げた。

 どうやって自分の技を凌いだのか。視認こそしていなかったが、何となく分かる。

 跳躍して【薙円】を躱した後、【弦月】の技の起こりを視認した直後に全身を捻ってギリギリで回避したのだろう。その捩りと重力を併せて反撃の威力を増大させた手腕は、敵ながら見事と言わざるを得ない。

 

「テメェも存外良い動きしやがる。こっちが今隻腕っていう要素を差っ引いても、今の連撃で肩肉くらいは削げると思ったんだがな」

 

 直情的な動きで迫って来たかと思いきや、絶妙なバランスで超常的な直感が働いている。そして、その直感をすぐに肉体運動に反映できるだけの身体能力がある。

 成程、厄介だ。難なく三次元的な戦闘を行ってくることもだが、動きを完全に読み切るまでに少しばかり時間が掛かる。加えるならば、その時間を取らせないだけの怒濤の攻めが得意と来た。

 

 オルディスでの戦闘では慢心していたのだろう。所詮は格下と侮って戦い、そしてマキアスに一泡吹かせられた。

 だが今、そのような様子は見られない。レイが最初の攻撃でその力を大体理解したように、あちらもまたレイの力量を本能的に理解したのだろう。

 

 本来であればじっくりとこの戦闘に身を慣らしたいところではあるが、今現在のレイにそんな余裕はない。

 戦闘開始からおよそ一分。戦闘状態に移行したことにより、氣力と共に、左肩口付近に根付いた悪性呪力も励起し始める。

 愛刀を一度振り抜く度に全身を駆け巡る痛み。その程度なら意図的に無視できる。だが、この状態が長く続けばいずれは神経帯まで侵食し、指一本すら動かせなくなる。――《医療班》班長アスティアの言葉が、何度も脳内で反芻される。

 結果として、戦闘の全てで短期戦を強いられるというのは厄介ではある。元々《八洲天刃流》という剣術そのものは超短期決戦を想定して作られたものではあるのだが、レイ個人の戦い方がそれと完全に噛み合っているかといえばNoだ。

 というよりも師が大抵の相手を一刀で倒せてしまうために、弟子がその煽りを食っていると言うべきか。

 

「(まぁ、それならそれでやりようはあるか)」

 

 それでも、勝ちを拾えないかと言えば首を横に振る。

 相手の直感が尖っているというのならば、それを利用すれば良いだけの事。

 

 

「スフィータだ。小僧、貴様の名前は覚えておいてやる。それだけの価値はありそうだ」

 

「レイ・クレイドル。なんだお前、動きはまるっきり獣のクセに、戦士の礼儀は心得てやがるのか」

 

「雑魚を喰っても多少の腹の足しにしかならん。貴様も日々口にする食い物の名前など気にも留めんだろう?」

 

「俺は違うと?」

 

「強い奴を喰う時は、名を思い出しながら牙で千切り、咀嚼する。それが私が母から教わった(ほま)れだ」

 

 地を蹴る音と共に、スフィータの姿が消える。周囲に無数に生える木々の全てを足場に、縦横無尽に駆け巡る。

 その戦い方に、レイはかつての親友(ヨシュア)を幻視した。こうした場合、先のカレル離宮での戦いとはまた別の意味で視界に頼るのは悪手になる。

 

 舞い散る木の葉に紛れて飛んで来る攻撃を凌ぐために長刀を振るう。傍から見れば防戦一方。攻勢に転じる隙すらないように思えてしまう。

 スフィータもそう捉えたのか、多方面からの攻撃で防御が追い付かなくなった隙を狙って一息に喉笛を掻っ切ろうと、大木の幹を蹴って超速の滑空を開始する。

 

「ッ――⁉⁉」

 

 しかしその直後、スフィータの敏感すぎる直感の琴線に、明確な”死”が触れた。

 思考より先に腕が動く。骨が軋む程の速さで無理矢理爪の攻撃を挟み込むと、何もなかった筈の虚空から刃の軌跡が飛び出し、スフィータの指間を斬り裂く。

 

「なに、をしたッ‼」

 

 激昂したスフィータは、しかし既に視界の先にレイがいない事を認識する。

 

「貰うぞ」

 

 背後からの白刃の一閃。その磨き上げられた刃は(あやま)たずその右腕を斬り落とした。

 レイとしては首を狙った一閃だったのだが、激昂してもなお、その直感は健在であったらしい。未だ血が迸る腕を剣線に挟み込み、腕を代償に即死を免れた。マジかよ、と思わず口にしそうになるほどに、その咄嗟の判断は見事だったと言える。

 

 

 《八洲天刃流》――【剛の型・影裂刃(かげさくば)

 

 

 この技を端的に表すのならば、”設置型の不可視の刃”である。

 通常攻撃の合間にこの技を虚空に忍ばせ、気付かず接近する対象を刻む。初見殺しという点では先程の【薙円】【弦月】以上であり、まず無傷のままで気付かれることは無い。

 とはいえ、理性と暴性が完全に同居している達人相手には気付かれることもあり、場合によっては自分の行動範囲を狭める事にもなり得るので、一定以上の存在を相手にする際はピンポイントで引っ掛ける時に打つ技である。

 

 あわよくばこの技で深手を負わせたかったが、予想通りそう上手くは行かなかった。だからこそ自分自身が振るう刃で戦いを終わらせようとしたのだが、それですら仕留めきれなかった。

 だが自分と同じように隻腕にしてしまえば流石に攻撃頻度自体は落ちるだろうと踏んでいたのだが――。

 

 

「……おいおい、マジか」

 

 ()()()()()。否、この表現は正しくはないだろう。どちらかと言えば()()()()と表すべきか。

 斬り落とした腕は今も地面に落ちたまま。しかし斬った右腕の断面から、数秒もしない内に無傷の腕が発光と共に現れた。

 

 普通の生物ではありえない現象だ。だが、マキアスに渡した魔獣特攻の『カースバレット』が突き刺さったという事は、彼女もまた人の形をしているだけの人外であるという事だろう。

 加えてこの場所に充溢する上質な魔力。それらが噛み合って表れた()()()()だとするならば、まぁ一応理解はできる。

 

 レイ自身、《結社》時代に常識では推し量れないトンデモ現象を幾つも体験してきた身だ。今更腕の一つや二つ虚空から現れたところで思考が止まる程驚きはしない。

 それよりも見るべきは、腕を斬り落とされてからのスフィータの様子だった。

 

フーッ、フーッ、フーッ

 

 果たしてそれ以上の怒りをぶつけてくるかと思ったが、まさか言語能力が吹き飛ぶほどであるとは思わなかった。

 とはいえ、である。元より精神的にこちらを揺さぶるような目的で口を開いていたわけではない。であれば、意思疎通の有無など今更意味を為さない。

 

GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――ッッッッ‼‼‼‼‼

 

「ハッ、正真正銘(けだもの)みてぇな咆哮だな。この程度で正気を失うなよ」

 

 天に向かって吐き出される音の塊。腰まで伸びた銀色の髪は逆立ち、当初から鋭かった金色の獣眼は更にその力強さを増している。

 その圧は、もはや大抵の生物を地に伏せさせるだけのものであった。生物の本能を殴りつけ、頭を垂れさせるだけの力があった。

 

 だが足りない。レイにはそれだけでは足りない。存在する位相すら異なる程の高位存在と殺し合う経験を経たのであれば、この程度の耐性は付くものである。

 戦いはここからが本番。斬った先から瞬時に欠損部分が”発生”するというのなら、このまま戦い続けたところでこちらのタイムリミットが徒に近づいてくるだけだ。

 で、あるならば――。

 

「(それじゃあ使うか。最後の奥義を)」

 

 【剛天・天羽々斬(あめのはばきり)】、【閃天・十束剣(とつかのつるぎ)】と並ぶ奥義。

 《結社》時代に使ったのを最後に封印していた極みの技を、開帳する瞬間がやって来た。

 

 

 

 

 

 


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