英雄伝説 天の軌跡Ⅱ   作:十三

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 話を進めようとしたら、この話だけで一話使っていた。

 時系列的にはレイがクロスベルに行っていた時のガレリア要塞での特別実習でゴタゴタした後のことですね。





月下に耽る追憶

 

 

 

 

 

 

 ~9月某日、リベール王国王都グランセル城内部。

 

 夜も更けようというその日、リベール国軍将軍のカシウス・ブライトは軍務の一環でグランセル城に滞在していた。

 国軍の要職にして百日戦役時のリベールの英雄。一時期は軍を辞して遊撃士として活動していたとはいえ、その影響力は未だ健在。《リベールの異変》後に再び軍人として復帰した後もそれを支持する者が大半を占めたほどだ。そう遠くない内に、リベール国軍最高司令官にも任じられるであろう事がほぼ内定している男は、何故か案内された貴賓室で浮かない顔をしていた。

 

 先程行われたリベール王国女王、アリシア・フォン・アウスレーゼとの対談が上手く行かなかったというわけではない。先日起こったというエレボニア帝国のガレリア要塞でのテロ事件に際してのリベールの立場を話し合っただけであり、さして難しい判断を委ねられたわけでもなかった。……この一ヶ月後、その要塞が跡形もなく消滅し、実際に眉間の皺が戻らなくなるのだが、それはまた別の話である。

 

 豪奢な作りの机に放りだされた一枚の手紙。わざわざ封蠟までして()()()()()を装ったそれこそが、今のカシウスの心を僅かに曇らせていた。

 

 

『カシウス将軍にお手紙でございます。―――他のメイドではなく、(わたくし)がお届けに上がったという事で、察していただければ幸いです』

 

 それをこの貴賓室にまで届けたのはサシャというメイドだった。彼女の事をカシウスは良く知っており、知っていたからこそ開ける事を僅かに躊躇っている最中なのである。

 3年前にグランセル城に務める事になったメイド。言動、所作、容姿、性格に至るまで非の打ちどころが無いその彼女の「正体」を見破ったのがカシウスだった。

 

 S級猟兵団《マーナガルム》。その諜報部隊《月影》の諜報員サヤ・シラヅキ。あまりにも上手く「溶け込んでいた」為、最高位の”達人級”であり、『理』に至っていたカシウスですら、当初は半信半疑であったほどだ。

 だから、嘗ての自分の部下を使ってその正体を探らせた。元は王国軍の中で諜報部隊を率い、軍を辞してからは民間の調査会社を経営しているその男は、数ヶ月にも及ぶ綿密な調査の結果、彼女の正体を探り当ててきた。

 それを報告しに来た時の彼の焦燥しきった顔は今でも忘れる事は出来ない。王国軍内でも屈指の切れ者として知られていた彼が最初に発した一言が、「ようやく、ようやく尻尾を出しました」であったのだ。その後に可能な限りで労ってやったのは言うまでもない。

 

 逆に言えば、それ程までに彼女の「偽装」は完璧であったのだ。カシウス自身、百日戦役前は何人もの帝国軍のスパイを摘発してきたが、その経験を以てしても僅かな違和感しか抱けず、最も信頼する専門家が全力で調査してようやっと正体を掴めるレベル。

 

 とはいえ、彼女が属する猟兵団の事は良く知っていた。

 自分が散々節介を焼いた少年が嘗て率いた猟兵団だ。そこの団長を務める、《軍神》の異名を持つ女性がよもや女王陛下を害するなどという浅薄な目的で諜報員を送り込んできたとは思えない。

 その真意を訊くために問い質すと、サヤは思いのほかあっさりとそれを話した。

 

 元より彼女の潜入任務は、アリシアⅡ世女王陛下かカシウス・ブライト、このどちらかに正体が暴かれるまでを想定されたものであったという。この二人であれば、無用に事を荒立てはしないだろうと。

 そしてその目論見は正鵠を射ていた。彼女という一流の諜報員を《マーナガルム》に属させたまま此方側に引き込む事が出来れば、混迷を極める大陸情勢の情報戦に於いて優位になれる可能性が高い。そんなカシウスの提案をアリシア女王も承諾し、サヤ・シラヅキは未だに「サシャ」としてこの城でメイド業を続けていた。

 

 

 ―――そんな彼女が「諜報員」としての顔色を滲ませた状態で渡してきた手紙。どう転んでも普通のものではない。

 数分ほど置いてから封筒の裏側を見る。そこには「R」というイニシャルマークが一文字だけ。それだけで、差出人は理解できた。そして、内容も。

 

「……そうか。やはりこうなったか」

 

 悲観はしていない。寧ろこうなるだろうという確信はあった。

 封蠟を解き、中の手紙を取り出す。そこには、昔何度も見たしっかりとした文字が並んでいた。

 

 

『カシウス・ブライト殿

 

 聡明な貴方の事ですから、自分がこの手紙で何を伝えたいかはもうご存知の事かと思います。ヨシュアを逃がしてから《結社》を脱退し、色々なところに身を寄せながら逃亡生活をしていた自分を遊撃士に誘っていただいた事には、今でも感謝の念が絶えません。

 いくらヨシュアという前例があったとはいえ、元々大っぴらには言えない前歴があった自分を遊撃士に捻じ込むにあたって、カシウスさんには散々苦労をおかけしました。その恩に少しでも報いることができればと、ツァイスで色々と学ばせてもらった後、クロスベルという混沌極まる場所で馬車馬のように働いてきました。

 街の人は自分の事をアリオスさんとセットにして「クロスベルの二剣」などと呼んでいましたが、自分はそう大したものではありませんでした。正義感に燃え、ただ一心に困っている人々を助けるために任に挑んでいた先輩たちに比べて、自分はどこまでも空虚な存在であったことを今になって実感しています。

 「何のために人を助けるのか」。遊撃士にとって、実力以上に大切なその要素が、自分には欠けていました。「放っておいたら目覚めが悪くなるかもしれない」などという曖昧な感情で仕事をしていた自分に、「準遊撃士」という立場は相応であったのではないかと思っているのです。

 

 ですが、遊撃士として活動していた期間が楽しかったのも事実です。勿論楽しい事ばかりではありませんでしたし、どちらかと言えば胸の内にしこりが残るような仕事の方が多かったですが、「ありがとう」と言って貰える仕事に就けたのは、とても良い経験になりました。日陰の身として生きてきた自分でも、今まで散々人を殺し、復讐に生きた自分でも感謝されるものなのだとそう思える事が出来ました。

 

 ですが先日、自分は再び人を殺しました。

 貴方と約束したことを、破る羽目になりました。達人としてあってはならない程に動揺してしまったのも、それが原因の一端を担っていたのかもしれません。しかし、それを後悔はしていません。

 きっと自分はこれからまた人を殺すのでしょう。蛇の道は蛇と言います。そんな自分だからこそ、助けられる命もあるのだと思います。そうなるのであれば、自分は喜んでこの手を血に染めましょう。

 

 帝国は、恐らく内乱に陥るでしょう。

 自分程度が思いつく未来が貴方に見えていないとは思えないので、これはただの確認になります。暗躍する貴族派が《身喰らう蛇》と手を組んで、帝国国内を混乱に陥れる事になると思います。

 

 戦争。これに関しては自分よりもカシウスさんの方が詳しいでしょう。その悲惨さも、その残虐さも、身に染みて理解しておられると思います。

 そんな中に在って、「人を殺さずに己の道を生き抜く」という生き方がどれ程難しいか。少なくとも、自分にそれが出来るとは思えませんでした。

 

 身勝手な理由である事は重々承知です。この判断が「逃げ」である事も勿論。なので、どれ程誹られても嫌われても文句は言えません。

 ですが、他ならないカシウスさんにこの事を伝えるのは、自分に課せられた義務でもあります。面倒を見て下さった貴方にこれくらいしかできないのが申し訳ないのですが、この手紙でお伝えさせていただきます。

 

 

 自分、レイ・クレイドルは遊撃士を辞させていただきます。

 

 

 実際のところ、オリヴァルト皇子に誘われてトールズ士官学校に入る際に休職届を協会本部に提出した時から、この結末はある程度予感していました。

 それでも、カシウスさんに教えていただいた事は常に胸の内に留めておきます。どんな未来を歩むにしても、決して人心を失わないように生きて行きたいと思います。

 

 長くなりましたが、カシウスさんには本当にお世話になりました。

 リベールで遊撃士として、貴方と共に仕事をする道もあったのかと思いましたが、それももう詮無き事です。

 ヨシュアも、娘さんも、きっと良い遊撃士になるでしょう。リベールの人々に慕われる正義の味方になれる筈です。せめてその二人の笑顔を曇らせないような道を歩んでいきたいと思います。

 

 これから先、帝国から広がった波紋はリベールにも波風を立てるでしょう。カシウスさんにとっても気の休まらない時が続くかもしれませんが、どうかお体に気を付けて下さい。

 

 願わくば、また同じような場所で働けることを祈っています。

 

 

 

 

 

 ―追伸-

 

 レンの事も宜しくお願いします。彼女は中々に手強くあるでしょうが、カシウスさんと「親子」として接したがっているのも確かでしょう。

 大事なことろで素直ではないし、年齢に見合わぬ小悪魔っぷりで飄々と躱してくるでしょうが、めげずに接してあげてください。それは、自分にはできなかった事ですから。

 重ねてどうか、宜しくお願いします。

 

 

 

 

 トールズ士官学院一年 特科クラスⅦ組 レイ・クレイドル』

 

 

 

 

 

 「……不器用なのは相変わらずか」

 

 カシウスは、そう呟いた。

 自虐的な言葉が並んでいるかと思いきや、端々には隠しきれぬ自信が垣間見えている。

 そもそも、カシウスに彼を責める権利など無い。自分自身もS級遊撃士という地位を返還して再び軍人に舞い戻った身なのだ。元より、確たる目的の為に新しい道を歩もうとしている若者をどうして責められようか。

 

 無論、彼のそれは万人が受け入れられるような道ではないのかもしれない。

 どこまでも血が付きまとう道だ。どこまでも死臭が立ち昇る道だ。一歩間違えれば人の心を失い、修羅道に堕ちる綱渡りのような歩みだ。

 

 だが、()()()()()()()()()()()()とカシウスは結論付けた。

 少し前に、トールズに遊びに行ったレンから聞いた限りでは、レイは良い学友に恵まれたようだ。彼の強さを目の当たりにしても、彼の過去を目の当たりにしても、何より―――彼の弱さを目の当たりにしても真正面から向き合ってくれる友らと出会えた。それは何物にも代えがたい経験であり、宝であった。

 このところ酒瓶片手に自分の執務室に忍び込んでくる()殿()が言うには、遊撃士を辞しても尚、お釣りがくるほどのものを得たのだという。世話と呼べるほどの世話もしていなかったが、自分が目を掛けた若者が掛け替えのないものを得られたというのならば、これ程嬉しい事も無い。

 

 大したものではない、と彼は自分を卑下していた。それに対して何を馬鹿な、とカシウスは苦笑した。

 

 数年前の帝国ギルド連続襲撃事件。偶然か必然か、クロスベル支部から書類を届けるためだけに来訪していたレイもその事件に巻き込まれていた。

 帝都のギルドに在籍していた高位遊撃士達は、”準遊撃士”という肩書きを持つレイの事を当初は侮っていたが、帝都のギルドを爆破した猟兵団の構成員を即座に捕縛し、救命活動に奔走するという功績を残した彼を侮り続ける程、彼らは無能ではなかった。

 少なくとも、あの時のレイが「目覚めが悪くなるから」などという理由で人命救助に奔走していたとは思えない。ギルド職員は元より、周囲の民間人を一人でも多く救おうと必死の形相で駆け回っていた。

 そんな彼がいたからこそ、カシウスはギルドを襲った猟兵団の一斉捜査の指揮に専念することができたと言える。あの時初めてカシウスは、「レイ・クレイドル」という少年の強さの真価を見たのだ。

 

 だからこそ、「猟兵団に囚われた一人の女性を救い出したい」というレイの望みにも、カシウスは笑って手を差し伸べた。

 攫われた軍人の奪還作戦に手を差し伸べる。普通に考えれば面倒な事になりかねないのだが、相手の素性が何であれ、助けを求めているというのならば救い出すのが『支える籠手』を掲げる者の義務であった。

 

 ―――今から鑑みれば、それらの行動も全て《鉄血宰相》の思惑通りだったのだろう。

 その女軍人は、彼自身が目を掛けていた存在だった。もしかしたら遊撃士が動かなくても彼女は自分自身の力で危機を脱していたのかもしれない。だがそれでも、レイは彼女を助ける事を選んだ。

 後に《氷の乙女(アイスメイデン)》という二つ名を預かる事になり、更に言えばレイの恋人の一人にもなった女性。今になってもその女性の有能さは聞き及んでおり、リベールを守護する軍人という観点から見れば、随分と厄介に育ったとも思えてしまう。

 

 しかし、一人の男の先達としては、レイの行動を高く評価していた。

 自分に好意を抱いてくれている女性一人助け出せずに何が男かと言わんばかりの覇気。それは今でもよく思い出せる。現に、あの時カシウスの賛同が得られなければ自分一人で猟兵団の潜伏場所に乗り込み、被害覚悟で暴れ回っていたと本人から聞いていた。

 そんな行動が出来る男が、「大したことない」筈がない。命を張ってヨシュアを託してくれた時と言い、遊撃士として懸命に活動していた時と言い、彼の本質は「困っている者、助けを求めている者の為に命を賭けられる存在」だ。

 ただし彼は人の善性の象徴とも言えるその在り方と、長い間裏社会で生き抜いてきた負の側面が混合している。人の正しい在り方を良しとしながら、その生き方で生きる事を許されなかった。

 

 そんな生き方の中で人としての在り様が歪まなかったのは、偏に教えた者の賜物だったのだろう。結果としてその倫理観と殺人剣の使い手としての腕前の間で思い悩むことになったのだが、厳しい言い方をすればそれも彼自身が選んだ道だ。

 それに答えを出せる者などいなかった。当人だけが、悩み抜いた末に辿り着くしかなかった。

 しかし、その猶予はそう長くは無かった。人生は有限であり、世情というのは一人の若者の懊悩を待ってくれるほど慈悲深くもない。そういう意味では、彼は時間切れ寸前で()()()()()()言えるのだろう。

 

 酷な話だ。「学生」という、本来であれば人間として成長する事に専念できる身分の者に、そのような拙速を強いるのは。

 大人として情けない事だと思う。無数の選択肢の中から「こうせねばならない」という道を唆すような真似をしなければならないのは。

 ただ、そんな中であっても己がこれだと定めた人生を歩み始めたというのならば―――それは祝福すべき事なのだろう。

 

 

「……歳を取ったな、俺も」

 

 時代が違った、などと老害じみた事を言うつもりはないが、カシウスは少し、自分が若かった頃を思い出した。

 とはいえ、彼ほど苛烈な半生を送ってきたわけではない。両親に愛され、国を護る軍人としての道を歩み、その中で大切なものを知り、そして大切なものを喪った。

 最初に何もかもが奪われたわけではない。身を焦がす程の復讐心を胸に生きてきたわけでもない。神の遺物をその身に植え付けられたわけでも、それでもなお人として生きるために己の全てを燃やして強くなったわけでもない。

 

 結局のところ、カシウス・ブライトにレイ・クレイドルという人間の全ては理解できない。

 だが、理解しきれないのならば、しきれないなりに導く事も出来る。彼もいずれ、そうして誰かを導く事になるのだろう。

 

 可能であれば、それを見届けてから死にたいものである。尤も、最低限孫の顔を拝むまでは死ぬつもりはないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

「感傷に浸っているところ申し訳ありませんが、よろしいですか?」

 

 ギギギ……という音が聞こえそうな程にぎこちない動きで後ろを振り向く。

 そこには、先程退室したはずのメイドが、感情を全て取っ払ったような目で此方を見ていた。

 

「……いつ頃からそこに?」

 

「カシウス様が手紙を読み始めた辺りからです」

 

「その表情は、一体どういう事を考えているんだ?」

 

「率直に申し上げまして滅茶苦茶キモくあらせられますね」

 

 机に顔をぶつける。この際油断していたとはいえ完全に背後を取られていたとか、それに気付かなかった事などはどうでも良い。カシウスにとっては、娘とそう歳が変わらない女性に冷たい表情と声で貶される方が精神にクるのである。

 

「いや、待て。待ってくれ。そもそも良い歳した大人は若い者からの手紙なんぞ貰おうモンならこうなっちまうんだ。これは絶対俺だけに限ったことではないはずだ」

 

「はぁ、そうですか。まぁそんな事は至極どうでも宜しいのですが」

 

「俺の尊厳的なものはどうでも良くないんだが……」

 

「別に変態的な行為をしていたわけでもありませんし、宜しいではありませんか。それよりも―――」

 

 サシャはそこまで言うと、ふぅと一息を吐き、ホワイトブリムを取る。その瞬間、彼女は「王家に仕えるメイド」から「諜報員」の顔になった。

 

「帝国に潜伏中の《月影》は暫く”潜り”ますわ。その意味、お分かりになりますね?」

 

「エレボニアの内乱の勃発が近い、という事だろう? 俺の予想だと二ヶ月以内くらいだと思うが、そちらの意見は?」

 

「……団長と隊長の意見としてはほぼ同じですわ。流石は《剣聖》。先見の目は全く衰えていらっしゃらないようで」

 

「誉め言葉と受け取っておこう。だが、何度も言っている通り、リベール王国はその内戦に干渉する気はない。帝国南部を治める現ハイアームズ侯爵は貴族派の中でも穏健派だと聞く。難民をリベール方面へは向かわせないだろう」

 

「それはそうでしょう。この内戦に干渉したところで、リベールに旨味はないでしょうから。リターンよりもリスクが上回れば、緩衝国としては傍観が一番ですわ」

 

「…………」

 

「もし難民がなだれ込んだとすれば、それこそ警戒すべきでしょうしね? 多数の一般市民の中に諜報員や工作員を紛れ込ませて他国で暴動を誘発させる事など、昔からよくある手口ですわ」

 

「本業に言われると猶更だな」

 

 苦笑気味に笑みを漏らし、カシウスは顎の髭を指でなぞった。

 

「カルバードも大っぴらには手を出せないだろう。今あの国は自国の経済問題にかかりきりだ。その状態で隣国への侵攻を開始するなど、野党と世論を敵に回すしかない」

 

「えぇ。()()()()には手を出さないでしょう」

 

諜報員(スパイ)を潜り込ませるにはうってつけの状況になるというわけだ。君達が同じことを考えているのならば、彼方も同じことを考えるだろう」

 

 どの道、その一件を機に帝国はガタつくだろう。あの《鉄血宰相》がそれを易々と許すとは到底思えないが、軍事大国としての岐路に立たされることは間違いない。

 そしてそれは、リベールの緩衝国及び調停国としての立場を再考させる事と同義になる。戦力に於いて帝国に及ぶべくもないこの国が、《百日戦役》と同じ状況に立たされたらもはや打つ手は限られる。そうなる前に上手く動かねばならない。

 

「なので、もう一通。どちらかと言えば此方が本命でしたが」

 

 サシャが差し出してきたのは、先程のレイのそれよりも上質な封に入った手紙。そこに押された封蠟の紋は、カシウスも良く知るそれであった。

 

「……承った。女王陛下にも渡しておこう」

 

「感謝しますわ。メイドとしての活動を許されたとはいえ、本来は私など、女王陛下に拝謁できる身分ではありませんもの」

 

「陛下はその辺りの事を気にはなさらないと思うが」

 

「私のような人間は、一度過剰に目立ってしまえばそれで終わりですわ。どこかでまかり間違って噂の欠片でも流れようものならば、3年に及ぶ私の任務も塵屑同然になりますの」

 

 その諜報員としての矜持に、カシウスは口を出そうとはしなかった。逆に、ここまで徹底していたからこそ、ここまで正体が暴かれる事なく任務をこなしてこれたのだろう。

 尊敬の念すら抱ける覚悟と執念を抱いているその女性は、その言葉を最後に再びスイッチを切り替えた。

 

「では(わたくし)はこれにて。黙って室内に入ったことについては謝罪させていただきます」

 

「まぁ、それについては気付けなかった俺の方も悪かったからな……あぁ、そうだ。謝罪代わりに一つ頼まれて貰えるか」

 

「伺いますわ」

 

「その、だ。もし君が娘と息子に会う機会があったとしても、今見た事は黙っていてくれないか?」

 

 親父のこういう姿は見たくないだろうからな、と気恥ずかしげに言うカシウスの姿に、サシャは思わず笑いそうになり、しかし直前でその感情を抑え込んだ。

 

「承りました。それではカシウス様、よい夜を」

 

 貴賓室の扉を開け、閉め、廊下を歩いていく。一見何でもない所作であったが、つい十数秒前まで「そこにいた」という跡形も、気配も、全てが消え失せている。

 プロとしてのその所業に改めて瞠目しながら、元から机の上に置いておいた、上物のワインのボトルに手を掛けた。

 本当ならば明日の拝謁後に飲むつもりであったが、窓から差し込む月光を見ながら、カシウスはそのコルクを抜いた。

 

 今日は少し酔いたい―――そう思ってしまうのも、仕方のない事だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 どうも、十三です。このところモンハンしかやってねぇ。数億年ぶりにフルフルとガチバトルした気がしますね。アイツやっぱキモいな。

 カシウス・ブライトという、原作でも随一の「もうアイツだけで良いんじゃねぇかな」枠の人間ですが、逆にこういう人間をどう扱うかで作品としての価値は変わるのだと思います。僕?扱えるわけねぇじゃねぇっすか。なんなんだあの親父。

 サシャちゃんことサヤ・シラヅキに関しては、前作「英雄伝説 天の軌跡」の「小悪魔仔猫の悪戯事情 Ⅳ」で詳しく書いてありますね。いや詳しいかどうかって言われると微妙ではあるんですが。

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