英雄伝説 天の軌跡Ⅱ   作:十三

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■設定①
 猟兵団《マーナガルム》の実働部隊は《一番隊》から《四番隊》までと、諜報部隊《月影》の五つ。《五番隊》は後方支援部隊。

■設定②
 《五番隊》は《医療班》《整備・開発班》《兵站班》《経理班》の四つの班から構成され、それぞれの班に班長と副班長が存在する。

■設定③
 《一番隊》から《四番隊》までの実働部隊にはそれぞれ隊長と副長、副長補佐という役職が存在する。隊長がその隊の統括指揮を、副長と副長補佐がそれぞれ分隊を率いるという命令系統が通常となる。

■設定④
 《マーナガルム》の中で、諜報部隊《月影》だけは唯一団長が直轄する部隊となる(他は副団長の麾下扱い)。この諜報部隊は任務柄、旗艦《フェンリスヴォルフ》にメンバーが常駐していない。また、役職も隊長しか設定されていない。




”強者”を取り戻す道

 

 

 ―――私の力の原点は、”復讐”だった。

 

 

 他の事など何も考えずに、ただ大切だった者たちの怨嗟を背負って、その無念を晴らすために刃を振るった。

 それを果たす為に、どれだけの時間をかけたのかは覚えていない。気付けば自分は、仇たちが流した血の海の中で仰向けになっていた。

 

 その時、最早自分は”戻れない”のだと悟った。

 こうする為に、全てを捨てたのだ。きっと自分は煉獄に堕ちるのだろう。いや、堕ちなければならない。

 ここにいる者たちを殺し尽くしたから、ではない。守るべき者達に守られ、背を向けてしまった。こんな罰当たりは、死後報われることがあってはならない。

 

 

 そう思った時、握っていた刃の切っ先は自分の首元に向いていた。

 虚ろな目をしながら、このまま死ねたらどれ程幸せだろう、などと思っていたのを覚えている。何もかもを諦めて、このまま死神の誘いに耳を委ねてしまいたい、と。

 

 

 だが、小さな手がそれを阻んだ。

 素手で抜き身の刃を握っているというのに、血は一滴も流れていない。その時点で、彼の強さは理解できた。

 

 嗚呼、何と哀しく、強い瞳を持った人だろうか。

 

 私の顔を覗き込むその右目が、濁っているようにも見えたし、清く澄んでいるようにも見えた。

 この歳で、どれ程多くの絶望と希望を体験したのだろうか。その時は分かっていなかったが、ただ一つ理解できたことがあった。

 

 

 この少年も、”復讐”を成した者だ。

 たとえ成した先に待つのが虚無であったのだとしても、憎悪の感情を煮え滾らせたまま殺すべき者を殺したのだろう。

 

 

 それを理解した瞬間、私は手を伸ばしていた。

 何を求めていたのかも、今となってはうろ覚えだ。だが、充血した目でその人の視線を感じた瞬間、私は確か、笑っていたのだと思う。

 

 その時、比喩でも何でもなく死にかけていた私は―――。

 

 

 

 

 その人の強さに、救われたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

「……暇っすねぇ。ベルフッドさん」

 

「お前それ団長の耳に入ったらぶっ飛ばされるからやめとけ、ノアン」

 

 猟兵団《マーナガルム》拠点、《ウートガルザ》級強襲飛空艇Ⅱ番艦《フェンリスヴォルフ》。

 その四階層部分にある団長指令室の前には、二名の団員が常駐している。《整備・開発班》が作り出したD(防衛用)装備一式を纏って警備にあたるのは、《マーナガルム》の中でも拠点防衛を主任務とする《一番隊(エーアスト)》の面々であり、それはこの二人、ベルフッドとノアンも例外ではなかった。

 

「いや別に不満はねぇっすよ? ただ俺には現場仕事が合ってるかなーってだけで」

 

「これも立派な現場仕事だ。まぁ団長の執務室に許可なしで入ろうとする命知らずなんざいやしねぇだろうから、お前の言い分も分かるがな」

 

 ベルフッドと呼ばれた団員は、そう言って顔に刻まれた僅かな皺をなぞる。逆にノアンと呼ばれた団員は、まだ若い声で「そんなモンですかね」と応えた。

 二人一組。ベテランとルーキー。艦内で活動する際の《一番隊》は基本的にこの形で任務にあたる。隊長格だけは例外だが、お互いに不足している観点を補えるという点で、再結成時から採用されていた。

 

 

「……そういや、さっき団長がいつもよりキツい表情で出ていきましたけど、どこ行ったんですかね」

 

「キツい表情て……。まぁお前ももう少しこの仕事続けてりゃ分かるだろうが、あの表情の時の団長は決まって上機嫌だぞ」

 

「マジっすか」

 

「マジだ。大将のリハビリを見に行ったんだろ」

 

 大将。その言葉を聞いた瞬間、ノアンの表情が動いた。

 

「大将って、この間《三番隊(ドリッド)》のゲルヒルデ副長が担ぎ上げてきた子供っすよね。エリシア隊長、見てるこっちがビビるレベルでテンパってましたけど」

 

「あれでももう17……いや、18だったか? そのくらいの歳だった筈だがな。まぁ、お前の言わんとしてることは分かるぜ」

 

 この猟兵団に入って比較的まだ時間が経っていない若い面々であれば、往々にしてそういう反応になるだろう。

 訓練時は自分たちを徹底的にしごき上げ、戦場では圧倒的な力で敵を捩じ伏せる隊長格の面々が、揃って担ぎ込まれてきた瀕死の子供一人の姿を見て程度の差こそあれど狼狽えていたのだ。何事かと思う反面、面白くないと思う者もいるだろう。

 だがベルフッドのように、この猟兵団がまだ《結社》の駒でしかなかった頃から所属しているベテランたちはそういった感情を抱かない。

 

「大将が居なかったら、俺らは今こうやって(ふね)に乗って自分たちの意思で色んな戦場には行けてねぇだろうな。使い潰されて、今頃仲良く土の下だっただろうよ」

 

マーナガルム(ウチ)が前はヤベェ所の傘下だったってのは聞いた事あったっすけど」

 

「大将がそこの組織の実行部隊のトップ筋だったからな。大将がそこを抜ける時に無理言って俺らも引っ張り出したんだよ。その後はまぁ、団長がここまで拡大させたって訳だ」

 

「はー……。見た目あんなちっこい子供なのに気合入ってるんすねぇ」

 

「言っとくけど大将に「チビ」って言葉は禁句だからな。ああ見えても隊長格と互角以上に戦り合える正真正銘の”達人級”だ。デコピン一発で艦の端まで吹っ飛ばされるぜ」

 

 《マーナガルム》内に、”達人級”と呼ばれる人類の限界を超えた武人は4人いる。そのいずれもが馬鹿げた強さを持つことはノアンも知っていた。

 剣林弾雨の中を傷一つなく蹂躙する、自分とは違う世界の人間。その得物の一振り、拳の一撃が地を穿つ絶対者。そんな面々とあの子供が同じ境地に立っているとは、ノアンにはどうしても思えなかった。

 

 そんな事を考えていると、広い廊下の奥から顔馴染みの二人一組(バディ)がやってきた。

 

「よぉ”12(ツヴェルフ)”。交代の時間だぜ」

 

「”9(ノイン)”か。丁度良かった。今からコイツを大将ンとこに連れて行こうと思ってな」

 

「あぁ、そうか。お前ンとこの若いのはまだレイの大将に会った事なかったか。行ってきな。今ちょうど良いとこらしいぜ」

 

 そんな会話をして、警備が入れ替わる。一旦《一番隊(エーアスト)》の詰所に戻って銃を含めた装備を置き、簡易的な服に着替えてから互いに一服。

 

「つーかベルフッドさん。こんなゆっくりしてちゃマズいんじゃないっすか?」

 

「あー、大丈夫大丈夫。()()()()()()()()()()()()()()。そら、行くぞ」

 

「そもそも何処行きゃ会えるんです? リハビリって言ってましたし、医療室辺りっすか?」

 

「いやいやお前。達人連中のリハビリが医療室で満足にできるわけねぇだろう」

 

 揶揄うような声を出しながら、ベルフッドは吸い殻を机の上に置いてあった灰皿の上に押し付ける。一方ノアンの方は、ベルフッドの言葉がすぐには理解できず、灰の一部がポトリと机の上に落ちた。

 

 

 

「訓練場だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 体勢を、修正する。

 

 

 

 長刀を振り抜いた瞬間、身体が多少右に傾いた。氣力を右側に寄せてよろめきをゼロに。

 その一連の動作を行うのに掛かった時間は僅か0.07秒。普通の人間ならば瞬きをした程度の時間でしかない。だが、達人同士の世界ではそれすらも”隙”に成り得る。

 

 眼前に迫った赫刃の切っ先を直前で回避する。肌を裂かれることは無かったが、頬の産毛が更に細かく刻まれた。そこまでの接近を許す程に、レイの身体は()()()()()()()()()()()

 

 左腕を失った後に、蒼の騎神と相対していた時には気付いていなかった。四肢の一部を失ったことによる一部のバランス感覚の欠如。それに伴う反応速度と対処速度の乖離。そしてそれらが重なる事で一方的に隙を晒す事になる不利。

 だからこそレイはこの場所で、今自分が抱えている弱点の全てを()()しているのだ。

 

 そうしなければ、この先で待ち受ける戦いに打ち克つことなどできない。最低限、腕を失う前と同じ動きが出来なければ徒に負け恥を晒すだけだ。

 

 四苦八苦。その言葉が最も似合う今のレイを相手にして、しかし《二番隊(ツヴァイト)》隊長のエリシアは容赦なくその二刀を振るう。

 それは、少し前まで甘い声で彼に甘えていた女性の姿とは思えない程に冷淡な太刀筋であった。()()()()をしている者を相手取るにしてはあまりにも苛烈で、正確無比な斬撃の連続。いずれも直撃すれば致命傷は免れないレベルだ。

 だが、レイの動きがどれだけ鈍ろうとも、彼女は攻め手を緩めない。その紅い双眸に殺気を宿らせているのではと錯覚するほどに、鋭い斬閃が幾重にも重なっていく。

 それでも、レイがそれを緩めるよう頼む事はない。容赦なく迫りくる斬撃を躱し、弾き、切り返していく。

 

 その過剰とも言える「模擬戦」こそが、正真正銘彼のリハビリであった。

 ほぼ実戦と変わらない環境下で、生死の境を垣間見ながら感覚を取り戻していく。”準達人級”までならいざ知らず、一瞬でも衰えた”達人級”の感覚は死線の中でしか取り戻せない、というのは彼の師匠の持論だ。

 師の倫理観に関しては全く信頼していないレイだが、その指導方針には一定の理解を示している。とはいえ、これを他の人間に当て嵌めるのは流石に無謀だとも理解しているが。

 しかし、自身がこのとんでもない指導方針で”達人級”にまで叩き上げられた以上、そのやり方に一定の価値がある事もまた認めなくてはならない。

 少なくとも、レイ・クレイドルという人間は今現在その荒療治を行っていた。リスクは甚大だが、それに見合うリターンはある。

 

 

 

 あの後、《医療班》班長アスティアの要請通り、3日間はベッドの上で過ごした。

 輸血した血液は無事にレイが内包する呪力と適合したらしく、無事に立ち上がる事は出来た。だが、ただ歩く時にすら僅かな”揺れ”があったのだ。

 この状態では、《八洲天刃流》の基礎である歩法術、【瞬刻】すら満足に行えない。そう理解してからの彼の行動は早かった。

 最初の一日はただひたすらに足を動かした。始めは歩き続けるところから入り、それに違和感が無くなると走り続けた。

 10日間。筋肉が衰えるには充分過ぎる時間だ。体力も見るからに落ちていた。普通ならば、それを元通りにするには倍の時間が掛かると言われている。近道などは基本的に存在しない。

 そう。()()()()()

 

 翌日。レイの移動速度と持久力は、10日前のそれと同じ水準にまで戻っていた。

 やった事は、言葉だけで伝えるならば至ってシンプルだ。練り上げた膨大な氣力を全て自己回復に充てて、後はひたすら身体を限界以上に痛め続けるだけ。

 朝5時に起床して10日ぶりに地に足を付けてから日付が変わる19時間。休息を一切取らずに、ただただ体を動かし続ける。食事も摂らず、水も摂らず、身体の至る所が軋みを挙げるのも全て無視して、何かに憑りつかれたかのように動き続ける。

 日々隊長格に扱かれまくっている《マーナガルム》の精鋭隊員も、その様子を見て一様にドン引きしていた。

 求道者と呼ぶには、些か狂気が滲み出過ぎていた。傍から見ればただの手の込んだ自殺のようにしか見えない。事実、死の淵から蘇ったばかりだというのに、レイの身体はその一日で再び死にかけていた。

 だが、()()()()で死にかけるのであれば、未だ本調子には程遠いという事。自己回復能力のお陰でギリギリ死なない程度の鍛錬をこなした後、レイはベッドに戻って、5時間だけ泥のように眠った。

 

 超回復という用語がある。一般的には鍛錬後に48~72時間の休息を取る事で損傷した筋繊維や枯渇したエネルギーが回復し、以前の水準を上回るというものだ。

 とはいえ、それは継続してこそ意味があるもの。数日間だけ付け焼刃のように行ったとしても大した向上は見込めない。何も知らない医療関係者が見れば、レイの行ったそれはあまりにも馬鹿げた鍛錬法であり、好き好んで身体を壊す異常者にしか見えないだろう。

 

 だが、レイはこの馬鹿げた鍛錬方法を師に弟子入りした時から続けさせられていた。

 血が滲む、血反吐を吐く、などと言った言葉は比喩ではなく、むしろその程度で済めば御の字であった。ただ立っているだけでも凍死しかねない極寒の雪山や、灼熱の砂漠地帯などで延々と繰り返された地獄の日々。

 一日の終わりには必ず休息が割り当てられたが、冬眠し損ねた熊型の魔獣や、夜間に得物を狙う蠍型の巨大魔獣の目を上手く掻い潜って効率的に休める場所を自力で探り当てなければならない。そして休息の時間を一分でも過ぎれば、容赦なく師の剣が寝首を掻きに来る。

 殺すつもりですか、と何度も聞いた。すると師は決まってこう答えた。この程度で死ぬようならば、お前はどうせ何も為せん、と。

 

 それに比べれば、《フェンリスヴォルフ》という安全性が確立された場所で行う鍛錬など生温いとすら言えた。

 5時間たっぷり、意識を丸ごとシャットダウンするレベルで深く眠り、その間に昼間よりも更に高純度の自己回復能力をフル稼働させて、体内の組織を活性化させる。

 衰えた筋肉を、体力を、超短時間で元の水準に戻す。それは人の域を超えた場所に足を踏み入れた”達人級”の中でも、氣力を扱うことに長けた武人にしか出来ない芸当だ。

 

 無論、いつでもどこでも出来る芸当ではない。アスティアという医療技術のスペシャリストが休息時常に傍にいた事も大きいし、可及的速やかに回復しなくてはならない明確な理由もあった。

 

 Ⅶ組の仲間は、皆は無事なのだろうか。この程度の危機では死なないように鍛えたつもりではあるが、その懸念は消えない。

 自分が守らなければならない、などという傲慢な事を言うつもりはない。だが、今の帝国には危険な存在が多々うろついている。

 有力貴族に雇われた高ランクの猟兵団などが良い例だ。Ⅶ組という集団としてどれだけ鍛えたと言っても、Aランク以上の猟兵団の強さは一線を画する。

 一糸乱れぬ殺人のプロ集団。元々Sランク猟兵団の中で二つ名を得ていたフィーはその恐ろしさを心得ているだろうが、そういった経験に基づく知識というのは得てして、自分自身で体験しなければ分からない事だ。

 だが、戦場で悠長に経験を積む機会は存在しない。失敗は成功を生み出す一番有力な手段であるが、戦場での失敗は高確率で死を誘発する。

 

 死んでしまえば、終わりだ。同じ時間を歩む事も、笑い合う事もできない。

 Ⅶ組の誰かが物言わぬ屍になり、それを見下ろす事はしたくなかった。―――尤も、同じ釜の飯を食った一人を近いうちに殺そうとしている自分が言えた義理ではないのだが。

 

「そうやっていつも死に急ぐのは変わらないのね」

 

 アスティアのその言葉に、レイは苦笑交じりに「そうだな」と言うしかなかった。

 

 

 そうして一日だけの地獄の基礎訓練を行った後、本題に入った。

 模擬戦による実践訓練。体力は戻ったが、技のキレは戻っていない。それを戻す為には、実際に剣戟の中で掴まなければならない。幸いにも、その相手に相応しい人物が、この猟兵団には存在していた。

 

「エリシア、相手を頼む」

 

「お任せください、レイ様」

 

 エリシアは逡巡すらする事なくそれを了承した。

 ルンルンと、スキップすらしかねない程に上機嫌なエリシアと共に訓練場に赴き、少しの距離を置いて、向き直る。

 

 ―――そこに、笑みは無かった。

 そこに居たのは、一人の戦士。Sランク猟兵団《マーナガルム》最強の実戦部隊、《二番隊(ツヴァイト)》を率いる最も若き隊長にして、()()()()()()()

 副団長エインヘル・ガルドノートに次ぐ強者。戦闘センスに於いてはレイに勝ると言われ続けた紛う事なき天才。こと戦闘という一点に於いて、「強く在り続ける」という誓いを厳守する者。

 

 その二刀を抜いた瞬間から、逡巡という単語はエリシアの中から消えていた。

 踏み込んだ直後、一息でレイの懐に潜り込む。それは、レイも良く知る技であった。

 

 《八洲天刃流》歩法術【瞬刻】。しかしこれは、レイが手ずから教えたわけではない。

 足裏に氣力を付与し、それを瞬間的に爆発的に噴出させて強制的に加速。その後、進行方向とは逆方向に氣力を放つことで強引に停止するという、理屈だけ見ればかなり大味な技である。

 だが、瞬間移動にも見間違えるほどの速度を出すにはかなりの密度の氣力を練り上げる必要があり、強制停止した後にすぐに攻撃に移る事が出来る体幹力と足腰の強さ、そして何より、これを()()使()()できる頑強さが必須とされる。

 それほど多くの技量を必要とするのに、これは《八洲天刃流》の中では基礎中の基礎。まずこれを使えなければ修行にすら進めない。「思ったよりも覚えが早かった」と師に言わしめたレイですら、これを完璧にものにするまで2ヶ月を要した。

 

 それをエリシアが使えるようになった経緯と言うのは、さして複雑なものではない。()()()使()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()

 

 ”見稽古”と呼ばれる才能がある。

 他者が使う技を見て、それが才覚的に再現可能なものであるならば、即座にそれを自己に取り込む事が出来るというもの。つまりは武術に携わる者が持つ才能の最高位クラスに位置するものだ。

 それをエリシアは有していた。物心ついたころから武器を握って修行に明け暮れていたというわけでもなく、とある事件を契機に初めて武の道を志した彼女がここまで強くなることができたのも、この才能が強く起因している。

 

 とはいえ、”才能”だけで強くなれる程、この世界は甘くない。  

 

 

 レイに拾われてから、彼女はただひたすらに鍛錬を積み重ねた。

 今のようにレイに相手をしてもらう時もあれば、《マーナガルム》の古参組、《鉄機隊》の面々、果ては《執行者》にすら手合わせを頼んだ。

 特定の流派を習わず、彼女の剣術は完全な我流。だがそれは、あらゆる人物の武を全て取り込んだ上で昇華し、完成させたもの。猟兵として、戦場で斃した者の技ですら、彼女にとっては己を強くするための一角でしかない。

 

 故に、今のレイのリハビリ相手としては最適だった。

 《結社》を抜けた際に《マーナガルム》の面々とも別れ、一度だけクロスベルで再開してから数年。その数年でエリシアは更に強さに磨きをかけたのだろう。

 その全てに対処するには、並外れた集中力と判断力が必要になり、それを掻い潜って攻勢に転じるには押し通るだけの技のキレが要る。その全てが、今のレイに足りないものだ。

 

 

 数合打ち合うだけで、訓練場に居た他の団員たちから驚嘆の声が漏れた。

 そのいずれもが、レイ・クレイドルという人物を見た事がない新人の団員たちであった。自分たちが尊敬する団長が、隊長たちがああも気を掛ける人間がどんなものかと物見遊山気分で来たものの、たった数合、たった数秒で彼らはものの見事に魅せられていた。

 隻腕になったばかりだというのに、本気で放ったエリシアの数合を見事に()()()()()()。そして返すように放った斬撃は訓練場内の空気を震わせ、虚空に必殺の檻を作る。

 

 

 八洲天刃流【剛の型・散華(さんげ)】。

 

 残り続ける程の複数の斬撃を一瞬のうちに生み出すには相当の技量を要する。その際に片腕に掛かった負担は微々たるものであったが、両腕があった頃に比べると僅かに()()。加えて言えば、斬撃の速さも目に見えて遅くなっている。

 

 故に、エリシアには容易に躱された。まるで、この程度では使い物にはなりませんと言わんばかりに。

 それは、レイ自身が一番よく理解していた。こんな出来の技をもし師に見られでもしたら、少なくとも半殺しくらいは確定であろう。

 とはいえ、それが分かったところでやる事は変わらない。カウンターのように放たれた二刀の横薙ぎを伏せて躱し、その状態のまま右足を軸に独楽のように回転する。

 

 

 八洲天刃流【剛の型・薙円(なぎまどか)】。

 

 長刀のリーチの長さで全方位を攻撃するこの技は、多対一でこそその本領を発揮する。逆に言えば、軌道が読みやすく、予備動作が比較的分かり易い分、一定以上の実力がある存在が相手の際は効果が薄いという弱点がある。

 とはいえ、生半可なガードでは防げない程度の破壊力はある。だから一番安全な対処法は―――。

 

「ふっ―――」

 

 ()()()()()()

 跳躍し、刃の軌道から逃れる。僅かに上に逃げたところで、刃に纏った氣力で作った不可視の余波の餌食になる。それを理解しているエリシアは訓練場の天井近くにまで跳び上がった。

 

 

 八洲天刃流【剛の型・弦月(げんげつ)】。

 

 そこを追撃する。弦月の形をなぞるように、頭上を半円状に斬線が通る。

 この二つの武技を繋げる事で、大抵の敵は沈められるか、或いは隙を作ることができる。

 

「それも、見慣れた繋がり方ですね」

 

 空中で回避は不可能。だがエリシアは表情を崩す事も無く、斬撃と自分の身体の間に紅刃を差し込む。

 浅い角度で差し込む事で、斬撃に押し出されるようにエリシアの身体が更に浮かぶ。この一連の動作を彼女は苦も無くやってのけたが、実際は寸分狂えば身体の何処かが削がれていてもおかしくは無かった。

 だが、エリシアはそれをやる。例え自分の命が数秒後には絶えている()()()()()()としても、その方が次に繋げられるのであれば、顔色を一切変えずに()()()()()()

 

 天賦の才に裏打ちされた自信。直感と、弛まぬ鍛錬によって生み出された経験則がそれを可能にしていた。

 中途半端な天才性と実力では決して崩せない牙城。彼女を打ち崩すには、隻腕の状態で実力を十全以上に―――否、それ以上に磨き上げなければならない。

 

 《結社》時代に嫌と言う程味わった実力。それを再認識したところで、レイはニヤリと笑った。

 

 

「時間はあまり残されていない。とことんまで付き合って貰うぞ」

 

 鈍色の闘気を練り上げながらのその言葉に、エリシアは二振りの紅刃を擦り合わせた。

 それは、彼女なりの闘心の示し方だった。まるで己の鎌を研ぐ蟷螂(カマキリ)のように、赤色の闘気が研ぎ澄まされていく。

 

「勿論です。何時間でも、何日でも、お気の済むまでお相手致しましょう」

 

 その笑みを見た事が無かった者達は背中に尋常じゃない量の汗をかき、見た事がある者も口元をヒクつかせた。

 それは、エリシアがレイにしか見せない種類の笑顔だ。互いに打ち合う鍛錬の末に見せるその笑顔の意味は、たった二文字で表す事が出来る。

 

 『狂乱』。それが今の彼女の心を占める感情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――*―――*―――

 

 

 更に苛烈さを増していく二人の鍛錬を、上層階から見下ろす視線が二つ。

 

 一つは小柄な少女の見た目の団員。東方風の黒の着物の上から改造団服を羽織ったその人物は、耳元まで伸びる黒髪を掻き上げながら、隣に立つ人物に声をかける。

 

「如何ですか、団長。兄上の仕上がり具合は」

 

 その名はツバキ。《マーナガルム》の諜報部隊、《月影》を率いる隊長であり、れっきとした猟兵団の幹部の一人である。

 閉じた鉄扇で口元を隠しながら問うと、重量感のある声が跳ね返るように飛んできた。

 

「使い物にならんな」

 

 そう言って、紫煙を吐く長身の女性。

 腰まで伸びたくすんだ金髪。今まで潜り抜けた死線の数を証明するように顔の右半分を覆う火傷跡の隙間から除く眼光は、今も鋭くレイの姿を見下ろしていた。

 吐き捨てるようにして言ったその評価は、逡巡も衒いも何も含まれていない。ただ単純な、彼女の中での現状のレイ・クレイドルの評価である。

 

「あのままでは達人共とは死合えんだろう。無様に死んで恥を晒すのがオチだ」

 

「まぁ、団長ならそう仰ると思いました」

 

「貴様こそ、言い方はどうあれ私と同じ感想だろう?」

 

「本当に言い方がアレですけれどもね。隻腕になったばかりとは言え、今のままの兄上をこの艦から降ろすわけには行きません」

 

 レイを「兄上」と呼び、慕うツバキだが、実のところはエリシアと同じくその行動の全てを肯定しているわけではない。

 兄が再び「強さ」を求めて研鑽をするのならば、その評価に妥協をするつもりはない。

 

 紛いなりにも諜報部隊を率いる身である為、その危険性は充分に理解している。

 現在のエレボニアは混沌の坩堝と言っても差し支えはない。恐慌状態に陥っている共和国の方でも暗黒街では暴力と暗殺が珍しくもなく横行しており、また移民団と現地人の間で多数の死者が出る暴動も頻発しているが、エレボニアのそれはまた違う。

 

 基本的には貴族派の領邦軍と革新派の正規軍との戦争だ。だが、貴族派が各人で雇い入れた猟兵団が帝国国内の”荒らし”を加速させている。

 猟兵団もピンキリだ。基本的に高位の猟兵団になればなるほど、任務の関係でなければ現地民を害する事は少ない。下地のしっかりした活動資金の出所がある場合、山賊のような真似をするのは団の信頼を徒に貶める事に繋がるためだ。

 だが、ならず者の集まりのような下位の猟兵団や、猟兵崩れの集団は違う。自警団程度の戦力しかない小規模の集落や村を襲い、略奪を行う事など日常茶飯事。そういった事が、今の帝国では散見されている。

 特に酷いのは西部の地方部だろうか。オーレリア・ルグィン伯爵が率いるラマール領邦軍本隊は規律を保った精鋭部隊だが、地方に散在する練度の低い駐屯軍や、地方領主が雇った質の低い猟兵たちは違う。正規軍を一方的に押し込んでいるのを良い事に、領民たちは酷い目に遭っている。

 

 とはいえ、その程度の事しか出来ない低俗な者達など最初から眼中にすらない。放っておけばいずれ領邦軍本隊に粛清されるか、正規軍と戦うことなくいずれ逃げおおせる事だろう。

 ツバキが注視しているのは下手に多方にちょっかいをかけない高位猟兵団の方だ。そういった面々は、幹部連中に”達人級”の武人がチラホラと混じる。

 そう言った者達と相対する可能性が非常に高くなるのだ。隻腕だからと情けを掛ける者達は皆無。彼らを上回る強さを得られないのならば、殺されるだけだ。

 

 そしてもう一つ。直近に迫った懸念事項がある。

 

「……ツバキ、後は任せる。貴様の目線で調整にどの程度掛かるか、後で報告しろ」

 

「おや、”依頼主”から漸く仕事が来ましたか」

 

「あぁ。どうやら我々をとことんまでコキ使う算段らしい。その程度の気概が無くては面白みが無いがな」

 

「団長にそこまで言わせるのならば、きっと初手から面倒臭い仕事を振ってこられたのでしょうねぇ」

 

 クスクスと上品に笑ってから、ツバキはスゥっと目を細める。

 

「そうですね。4()()といったところでしょうか。今の状況から鑑みるに、その程度の時間があれば兄上は仕上げられるでしょう」

 

「貴様の見立てにしては随分と余裕を持たせるな」

 

「エリシア隊長だけでは偏りが出ますからね。シヴァエル隊長やエルベレスタ隊長、それと、エインヘル副団長にも手伝っていただこうかと」

 

 《マーナガルム》が誇る”達人級”四人衆。その最高個人戦力たちを余すところなく利用しようとする諜報隊長を見て、団長―――ヘカティルナ・ギーンシュタインは不敵に笑った。

 

「分かっているとは思うが、貴様にも馬車馬のように働いてもらうぞ、《折姫(オリヒメ)》」

 

「何を今更。いつものように上手く使い潰してくださいな、《軍神》」

 

 S級猟兵団の団長と、その直属の部下。

 その二人の間には、奇妙ながらも確かに繋がる信頼感が存在していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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