英雄伝説 天の軌跡Ⅱ   作:十三

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■設定⑤ 
 《マーナガルム》の拠点である大型強襲艦《フェンリスヴォルフ》は、結社の《十三工房》の一つ、《ユングヴィ工房》で造られたウートガルザ級艦の二番艦。
 因みに一番艦が《ウートガルザ》、三番艦が《ヨルムガンド》、四番艦が《ヘルリッヒ》となっている。

■設定⑥
 《マーナガルム》に存在する”達人級”の実力を持つ団員は4人。
 副団長エインヘル、《一番隊》隊長シヴァエル、《二番隊》隊長エリシア、《四番隊》隊長エルベレスタ。
 
■設定⑦
 《マーナガルム》の団章は『月喰みの狼』。団の名は「月を喰らい、陽を陰させる伝説の神狼」より取られている。
 
【挿絵表示】


■設定⑧
 結社《身喰らう蛇》時代の《マーナガルム》の旧称は『独立遊撃強化猟兵・第307中隊』。《マーナガルム》という名称自体は結社に取り込まれる前から存在していたが、レイと出会うまではその名を奪われたままだった。




神狼、前進せり

 

 

 

 

 

「それじゃあ、ここでお別れだ」

 

 共和国辺境の山岳地帯。3000アージュ級の山々に囲まれ、数えるほどしかない先住民族が点々と存在しているだけの厳しい土地。

 遥か昔、空の彼方より飛来した隕石によって抉り取られた山の中腹に、紅と黒で塗装された大型艦が、魔力式反重力浮遊装置(グラベルフロート)の影響で僅かに浮いた状態で佇んでいる。

 

 その近くに立つのは、一人残らずボロボロの団員達。命に関わる怪我をしている者は1人もいないが、恩人の門出を祝うにしては些かみすぼらしい風貌であったが、そんな事を気にするような少年ではなかった。

 

「いやー、ヤバかったヤバかった。ザナレイアのクソ野郎が、最後まで俺らの邪魔してきやがって……次会ったら絶対に殺す。ついでに嗾けてきやがったイルベルトも絶対殺す」

 

「……でしたら、レイ様も私達と一緒にいらっしゃってください」

 

 右腕に痛々しく包帯を巻きつけたエリシアが、どこか弱弱しい声でそう欲した。

 

「我々が貴方をお守りします。《冥氷》も、《蒐集家(コレクター)》も、貴方の”眼”を狙う教会の連中も全部退けてみせましょう‼ ですから―――」

 

()()()()

 

 そんな彼女を諫めたのは、当時の《二番隊(ツヴァイト)》隊長、アレクサンドロス。

 

「ここまで来たんだ。駄々こねるのはやめようぜ。俺達の役目は、ここで笑顔で大将を送り出す事だろ?」

 

「でも……‼」

 

「今まで面倒な(しがらみ)に囚われてきたんだ。俺達ゃ人殺しで居続ける道を選んだが、大将はそうじゃねぇ」

 

 矮躯の少年は苦笑していた。組織に属していた頃の罪悪感や後悔を忘れているわけではない。むしろ現在進行形で彼の心を蝕み続けている。

 それでも彼は、一人で旅をする事に決めた。傷を舐め合う事も無く、誰と慰め合う事も無く、自分が自分の意思で根を張りたいと思う場所が見つかるまで、あてもなく彷徨う事にしたのだ。

 

「エリシア。次に会う時は俺よりも強くなってるかもしれないな。というか、近いうちに隊長の座を奪われるんじゃねぇか? アレク」

 

「勘弁して下せぇ大将。俺だって薄々そう思ってます。つーか個人戦闘力なら既に俺より上です」

 

 拙いとはいえ《冥氷》を相手取れる武人なんて、ウチにもそうそう居やしません、と。

 実際に数年後に二人の立場は逆転し、以後の関係は知っての通りとなるが、それでもエリシアにとってアレクサンドロスという古参の団員は、自身に戦術論などの”率いる者”に必要な教育を叩き込んでくれた人物であった。

 

 

「まぁ確かに、《結社》に居た時は胸糞悪ぃ時もどうしようもならねぇ時もあったけどさ、お前ら(マーナガルム)と一緒にいる時は楽しかったんだ。だから、まぁ、お前ら連れて逃げ出したのは俺なりの恩返しっつーか……もしかしたら迷惑だったのかもしれねぇけど―――」

 

それ以上は言うな、この馬鹿者が

 

 レイの言葉を遮ったのは、狼の名を冠する猟兵団の団長。この夜明けを以て自由を手に入れた組織の首領。

 

「一度しか言わんからよく聞け。私達が今此処にいるのは、貴様がいたからだ」

 

 その言葉に、他の団員達も頷く。

 この場所に辿り着くまでに、彼らと共に幾つかの地獄を潜り抜けてきた。その中で、見知った何人かは斃れて行った。

 それでも残った者達が今までついてきたのは、この女傑が内包するカリスマと力が絶対的であったことと、そして何よりこの少年の存在が大きかった。

 

 年若く、身体も小さいというのに、その身の丈に合わぬ長刀を携えて常に先陣を切っていく。どれだけ傷ついても、どれだけ失っても、その眼は常に前を向いている。

 膝をつくことがあっても、立ち止まる事があっても、決して逃げはしなかった。ただの駒として使い捨てられる運命しか待っていなかった自分たちを掬い上げてくれた恩人が、あらゆる痛みを受けながら歩みを止めずに進み続けたのだ。

 

 それに着いて行こうとするのは、至極当然の事だとも言えた。

 それは、ヘカティルナ(軍神)とはまた別種のカリスマ。”率いる”のではなく、”連れる”。

 彼の師は言った。「アレは軍の指揮者には向いていない」と。仲間の死を飲み込む事は出来ても、()()する事が出来ない。

 しかし、だからこそ作り出せるものもある。

 

 

 

「猟兵団《マーナガルム》()()()団長、ヘカティルナ・ギーンシュタインが此処に告げる‼」

 

「我ら神狼を冠する者共の名に懸けて、縛鎖を千切った者への恩義は決して忘れぬ‼ 月を喰らい、陽を陰させ、天と空を血に塗れさせようとも、この(あぎと)は貴様の敵を狙い続けよう‼」

 

「祝砲を鳴らせ‼ しばしの別れだ、我らが朋友よ‼」

 

 

 

 銃声が虚空に鳴り響く。山間を流れる寒風に硝煙が攫われて行き、そこに残ったのは、送り出す者達の笑顔だけ。

 

 そうしてこの人間たちは別れた。

 その後《マーナガルム》は本格的に戦場に出没するようになり、たった数年でその価値を最上級にまで引き上げた。

 誇り高き狼の牙は、同じ戦士のみを噛み砕く。弱き者の血を啜るは戦場に対しての不敬である。―――そう言い切れるだけの練度が彼らにはあった。

 

 対して、様々なものを捨てた少年は、その言葉通り数年を放浪に費やした。

 東ゼムリアから西ゼムリアへ、聖遺物のその左目を狙う七耀教会の暗部達をあしらいながら、ひとところに留まらず旅を続けていた。

 その内に追手は手強くなっていた。従騎士から正騎士へ。そして遂には、《守護騎士(ドミニオン)》が。

 だが、最終的に《紅耀石(カーネリア)》すら引きずり出す状況になっても、レイは嘗ての朋友たちに助けは求めなかった。

 何故ならば、それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。誰を巻き込むわけにも行かなかったからだ。

 

 結局のところ、この時の彼はまだ人の手に縋るやり方を知らなかったのだ。

 「迷惑を掛けるわけにはいかない」「自分が何とかしなければいけない」。死の淵に立ってまで、彼はどこかその思想に囚われたままだった。

 

 ()()()()()、ヘカティルナは彼を一切の(わだかま)りなく送り出した。

 「人殺ししか出来ぬ我らが、その心情を説く事はできない」。それもある意味では、諦観であったのかもしれない。

 いずれ彼の強さも弱さも、その全てを受け入れてくれる者が、受け入れてくれる者達が現れる。我らに出来るのは、そんな彼がもう失わないよう足掻く手助けをする事だけ。

 

 一人の少年の人生の岐路に立ち会わない事を選んだ者が出来る事など、その程度でしかないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

荒く息を吐く。

 何度も何度も息を吸っては吐き、そうして呼吸を整える。それを一分ほど繰り返して漸く、身体の調子が整い終わった。

 立ち上がると、軽い眩暈が起こる。エリシアと()()()()を始めてから、相手を逐一変えて早4日、確かに睡眠時間は3時間未満程度であったと記憶しているが、とは言え()()()()で眩暈を起こすとは、やはり修業時代に比べて些かハングリー精神に欠けていると言わざるを得ない。

 

 常時氷点下の気温で吹雪が吹き荒れる峻険な山に放り込まれて一か月間生き延びろと言われたあの時。木の実どころか雑草すら碌に生えていないあの場所で食料を確保するために、片っ端から魔獣を狩ってはその血肉を食らい、凍死を防ぐために数分単位での意識のシャットダウンと覚醒を意図的に繰り返していた。

 そして不定期に差し込まれる、身を潜めた師からの必殺の一撃。もはや安らかに安堵する暇すらなく、否が応にも常在戦場という言葉を理解させられた。

 

 それに比べればまだ優しい。基礎訓練も含めてリハビリを始めてから5日、確かに自分を追い込みはしているが、それはあくまでも自分が認識している範囲内での事だ。()()()()()()()()()()()()()()

 可能であればこの状況下でもう一度そこに至りたかったが、身体がどうにもいう事を聞かない。自分が思っていた以上に、肉体は疲弊していたらしい。

 

 左腕が無い状態。その状態でのバランスの取り方は既に熟知した。当初の目的を鑑みれば、リハビリは成功したと言ってもいいだろう。

 ひとまず、()()()()()になる事だけは避けられる。”達人級”のプライドみたいなものに固執しているわけではないが、勝たなければならない勝負に、対策不足で負けたとあっては煉獄の底で永遠に後悔する羽目になる。

 真剣勝負の死合いの中では、隻腕だろうが隻眼だろうが変わらない。倒すか、倒されるか。死ぬか、殺されるか。

 

 最低限安全が約束された学生生活は楽しかった。それは本当だ。

 何てことない平和な時間を仲間たちと共に過ごし、笑い合いながら、時に喧嘩して、切磋琢磨していく。

 青春とはこういうものなのかと思いながら過ごした半年間。そこでレイが学んだものは掛け値なしに掛け替えのないものだった。《結社》では勿論、遊撃士時代にも知り得なかった経験のオンパレード。

 「こんな日々が続いたら」などと思ったのは一度や二度ではない。永遠には無理だとしてもせめてあと一日、あと一ヶ月と、心の中でどんどんと貪欲になっている自分がいた。―――それが、どだい無茶な願いだったのだとしても。

 

 結局のところ、レイ・クレイドルという人間は戦いから逃げる事が出来ないのだ。

 それを不幸だとは思わない。元より力を付けたのはこういう時の為だ。エレボニア帝国という、特大の爆弾から伸びた導火線の近くにある火種が燻ぶっていた、あまりにも危険な場所に飛び込んだのだ。最初からこうなる事など分かっていた筈なのに。

 それでも一抹の希望を求めてしまったのは失態だったのだろうか。始めから「こうなる」と決めつけて動いていれば、今よりも多少はマシな「現在(いま)」を受け止められていたのではないだろうか。

 

 首を軽く横に振って、そんな靄を振り払う。

 過去は変えられない。変えられる過去など、塗り替えられる後悔など、所詮は()()()()だ。そんなもの、悪魔と取引したって手に入れられない。

 

 だから、「未来(これから)」を変えていくために為せる事は全てやる。こんな自分を頼ってくれている者達に、後悔をさせないためにも。

 

 

「相変わらず、背負い込むのが好きだな君は」

 

 不意に、視界に缶飲料が入ってくる。

 視線を上げてみれば、20時間前まで鍛錬に付き合ってくれた人物が自動販売機で購入した飲み物を差し入れに来てくれていた。

 その声色は、聞いただけでは冷ややかに感じる。とはいえ、それ自体はいつもの事だ。統括する部隊の特徴上、彼に求められるのは堅実性と強固な理性、そして冷徹さ。

 

 猟兵団《マーナガルム》実行部隊《一番隊(エーアスト)》隊長、シヴァエル。

 顔の下半分を黒のガスマスクで覆ったその男は、座り込んだまま缶を受け取ったレイに手を差し出して立ち上がらせた。

 

「追い込むことに関しては何も言わないが、君に触発されて無茶な事をやらかす団員がいないとも限らないからな」

 

「自分で言うのもなんだが、これがこなせたら即隊長格行きだろうよ。()()()に掛けてみるのも一興じゃねぇか?」

 

「組織の練度というものは基本的に底上げの連続だ。君のは完全に悪い例と言わざるを得ないな」

 

 それもそうか、と納得するレイ。 

 ふと視線を他にやってみると、比較的若い団員が一様にドン引きした様子で彼の事を遠巻きに見ていた。

 彼らも決して楽ではない、厳しい訓練を乗り越えてきた精鋭である事に間違いはない。だが、日々のそれらが褪せてしまう程に、ここ数日の光景は異様だったのだ。

 

「団長がお呼びだ。疲れているとは思うが、私と一緒に来てくれ」

 

「へいへい了解。てっきりエルベレスタ辺りが引率役かと思ったんだがな」

 

四番隊隊長(アレ)は今《三番隊(ドリッド)》の連中を乗せて帝都近郊地域を偵察中だ。君と手合わせしてからどうにもテンションが高くて気持ち悪かったぞ」

 

「それ俺の所為じゃなくね?」

 

 立ち上がったレイは鞘入りの愛刀を背負って、先を歩くシヴァエルの後ろを着いていく。

 

 この猟兵団の拠点である艦は、4階層構造になっており、先程までレイがいた訓練室は3Fにあり、団長執務室は4Fに存在する。

 はて、《結社》時代に大型任務達成の報酬としてこの(ふね)を《十三工房》の一つからブン取った際はここまで大きくなかったような気がすると首を捻りながら廊下を歩いていると、とある扉の前に到着する。

 

 とりたてて豪奢というワケではない、無機質な白の扉、プレート部分には形式上だけと言わんばかりに主の役職名が刻まれている。

 その扉の両脇に佇む二名の部下に一声をかけてからシヴァエルが入室する。レイがそれに続くと、背後で護衛役の二人の隊員が「先輩、アレが例の……」「そういうこった」と自分の噂をしているのを聞いてしまったが、レイは無視する事にした。

 

 部屋の奥に設けられた執務机の椅子に座する部屋の主。

 彼女と相対する時は、常に一定の緊張感が纏わりつく。重苦しい、という程ではないが、脳の中にピリッとした電流に似た何かが走るのだ。

 彼女が笑う姿を見たのは、果たして何年前の事だろうか―――そんなどうでも良い事を思い出していると、その思考を読まれたのか、その視線が一層鋭くなる。

 

「私を前にしてその緊張感のなさ。貴様は良くも悪くも変わらんな」

 

「昔からこんな感じだったもんな。ヘカテのその睨みも慣れたモンだぜ」

 

「数日前まで死にかけていた者が良く言う。馬鹿は死なねば治らないというが、貴様は死にかけても矯正の余地はなさそうだな」

 

「馬鹿でも何でも大いに結構。―――お陰でもう一度戦えるようになった。ありがとう」

 

 頭を下げる。レイにとって、この場所で受けた恩はこの程度で返せるようなものではなかったが、それでも形にはしておく。

 その様子を見た《マーナガルム》団長ヘカティルナは、目を伏せて息を一つ吐き、傍にあったペンの蓋を強く指で弾く。ペンの蓋は高速で飛んでいき、レイの頭頂部に正確にヒットした。

 

「……(いて)ぇんだけど」

 

「礼など要らん。それが私達と貴様との”契約”だ。我々はそれを遵守する。貴様は為すべきことを成す。それだけの事だ」

 

「礼くらいは言わせてくれ。命張ってる代償がその程度じゃ割に合わんけどな」

 

「だから無用だと言っている。そもそも今回の作戦行動の報酬は既に依頼者(クライアント)から貰っている。我々はそれに相応しい働きをするだけだ」

 

依頼人(クライアント)、ねぇ」

 

 驚くような事ではない。猟兵団は依頼人(クライアント)から報酬金(ミラ)を受け取り、戦場に赴く戦争請負人である。

 ミラが無ければ彼らは動かない。慈善事業で命を張れるような狂気を彼らは持ち合わせていない。プロの働きに相応の対価を払うのはこの世の常識とも言えるが、彼らはそれを徹底する。高ランク猟兵団であれば猶更だ。

 

 現在レイの《マーナガルム》での役職は『特別顧問・相談役』。とはいえ、形だけの役職であり、彼自身この猟兵団の方針に一切口出しをしていないし、するつもりもない。

 そもそもそんな役職に就けられていた事すら、数ヶ月前に初めて知ったのだ。一応は団長と同程度の権限を持っているらしいのだが、船頭が複数存在する組織などいずれ必ず瓦解する。誰に何と言われようと、レイはこの艦の中では「部外者」として振舞うつもりだった。

 

 《結社》時代からいる団員にとってレイは恩人に他ならないが、《マーナガルム》に属する以上、絶対なのはヘカティルナ・ギーンシュタインの命令である。レイ・クレイドルの言葉では、この猟兵団を本当の意味で動かす事は出来ない。

 レイは嘗て、諜報部隊《月影》隊長ツバキを通してヘカティルナに「協力」を要請した。それに応じるように今まで幾度か隊長格を含む数名が動いていたが、ヘカティルナにとってそれは、所謂「試験期間」の範疇であった。

 

 依頼人の目に留まるように自分達の腕を売り込む。その思惑は功を奏し、今こうして妥当な報酬金の上で彼らは命を張っている。

 ヘカティルナにとっては目論見通りになった事だろう。()()()()()()

 

「そろそろ依頼人(クライアント)から追加のオーダーが来る頃合いだ。我々に対してと、貴様に対してのな」

 

「コキ使う気満々じゃねぇか」

 

「その通りだ。使えるものは何でも使う。貴様の力だからこそ推し通せる状況もある。片腕が無くなった程度で楽が出来ると思うなよ?」

 

「楽がしたかったら俺は今もベッドの上で惰眠を貪っていただろうさ」

 

 それが軽口である事は、今までの彼の行動が証明している。

 帝国の現状を憂いたわけではない。ただ、今もどこかで戦い続けている仲間や恋人たちを横目で見ながら自分だけが腐っているなど()()()()

 それは師の教えというわけではない。かつて母が目の前で魔獣に食い殺された時に、義姉が自分を庇って死んだ時に、何もできなかった己を身が焦げる程憎悪したが故のこと。

 

 寄り掛かる何かを見つけ出すのは成功したようだが、やはり根本自体は変わらなかった。

 いや、そこは変わらなくてよかったのかもしれない。このくらいの狂気が無ければ、彼が守ろうとしているものは守れない。

 

「大陸随一の軍事大国の内乱だ。我々も小国の内乱に駆り出されたことはあったが、それとこれとは話が全く違う。状況の移り変わり方も、流れる血の量も、何もかもだ」

 

「分かってる。そもそも首都のど真ん中に新兵器を直降下させての宣戦布告だ。見誤ったらその瞬間に()()

 

「貴様の快復に一週間使った。これ以上かかるようならば置いていくつもりだった。……その程度の自覚はあったようだがな」

 

 そう言うと、ヘカティルナは執務机の脇から何かを取り出した。

 卓上に置かれたのは、頑強な琥曜石(アンバール)で設えられた小箱だった。促され、右手でそれを器用に開ける。

 

 そこに入っていたのは、新品の戦術オーブメント。だが、以前使っていたARCUS(アークス)とは形や色合いが異なっていた。

 華美な装飾のようなものは一切ない。触ってみた限りではかなり頑丈に作られているように感じられ、裏面には《マーナガルム》の団章である”月を喰らう大狼”の紋章が刻まれている。

 

「《整備・開発班(ラボラトリ)》が作った団の専用オーブメントだ。ベースにしたのはエニグマ(型落ち品)だが、戦闘用に特化させた分、ARCUS(アークス)にも引けを取らん」

 

 それがどれ程とんでもない事か位は流石に理解できる。

 そもそも戦術オーブメント自体、エプスタイン財団を主軸に各国の最先端の技術を持つ最大規模の工房が共同開発をしてようやく完成にこぎつけられる代物だ。基軸(ベース)が既に存在していたとはいえ、それの改良を行って次世代型に迫る性能を得られるなど、本来であれば考えられない。例えそれが特化品であったとしてもだ。

 とはいえ、である。《マーナガルム》の後方支援部隊、《五番隊(フュンフト)》。その中の《整備・開発班(ラボラトリ)》は、傍から見ても生粋の変態の集まりである。頭のいい馬鹿の集まりと言い換えてもいいかもしれない。

 

 レイが《結社》に居た頃も部隊の原型自体は存在していたが、3日に一度は何かしらの爆発事故を起こしていた。

 一度野外で盛大に爆発したせいで、たまたま傍を通りがかったヨシュアに大量の土砂が降り注ぎ、マジギレされて追いかけ回されたのも今となっては良い思い出……かどうかは微妙な所である。

 

 だが、変態集団ではあっても腕は確かだ。そんな彼らが”完成品”を作り出したのならば、レイにその完成度を疑う資格はない。

 

「……俺に渡したって事は、専用チューニングも既に済んでるって事だよな。つっても俺今片腕だぞ? これを操る余裕までは無ぇって」

 

 刀を振るうので精一杯。流石にこの状態で戦術オーブメントの発動は難しいだろう。

 とはいえ、そこのところを考慮に入れていない筈がないだろうと思っていると、その思いを見透かしたかのように口を開く。

 

「その辺りも問題はない。詳細は後で詰所に行って聞いて来い。―――さて、そろそろ良い時間か」

 

 《天翼》戦で破片以下の消し炭になった代替品をじっくりと見つめていると、徐にヘカティルナが手元の端末を起動させる。すると、執務室の壁に嵌め込まれた大型ディスプレイが動き出した。

 果たして何が映るのやら、などと暢気にしていると、次の瞬間画面いっぱいに”紅”が映り込んだ。

 

 

『む、失敬。どうやらカメラの位置を間違えたようだ。もうちょっと、そう、もうちょっと引きで撮ってくれたまえ』

 

 ―――聞いた事のある声だった。

 聞き覚えがある、という程度の話ではない。去年から今まで、何度も聞いた声だ。

 だからこそレイは、不敵に笑った。

 

 

「何だ、遂に放蕩を終えたか。馬鹿皇子」

 

『そうだね。いい加減大人になる頃合いだ。遊び足りないかと問われれば、即答は出来ないけれどね』

 

 現時点での《マーナガルム》の依頼人(クライアント)。恐らくは莫大な金額で雇ったであろうその男はいつも通り掴みどころのない微笑を浮かべながら、しかし巫山戯るような雰囲気は掻き消えている。

 思わず息を呑むのを抑えたほどだ。目の色も表向きの声色も変わっていないというのに、覚悟だけがスイッチを切り替えたかのように全く違う。一年と少し程度の付き合いという中で、それなりに彼の人柄は理解しているつもりだったが、その変わりように戦慄しかけてしまった。

 

 つまるところ彼―――オリヴァルト・ライゼ・アルノールは、此処に至って道化の仮面を取り外したのだ。

 

「俺への仕事は何だ。こちとら病み上がりだ、出来ればそれなりに軽いモノを寄越してくれるとありがたいんだがな」

 

『聞いているよ。とはいえ、思っていたよりも元気そうじゃあないか。片腕が吹っ飛ぶというのは、僕の考えでは重症も重症だと思うんだがね』

 

「その価値観は大切にしておけ。お前の身体の一部がもし吹っ飛ぶようなことがあったら数ヶ月は療養に費やす事だな」

 

『ご忠告痛み入るよ。背筋が一瞬寒くなってしまったがね。―――だが残念だ。僕は病み上がりの君に、酷な仕事を告げねばならない』

 

 知っていた事だ。わざわざ自分をご使命という事は、普通の人間では到底不可能な仕事を回されるという事である。

 とはいえ、レイも素人ではない。《執行者》として活動していた時も無茶振りはされていたし、遊撃士をやっていた時は誇張表現も比喩表現も抜きで三日三晩働きづめだったこともある。……それを差し引いても面倒くさい事になりそうだという嫌な予感はするが。

 

 そして見事、その予感は当たった。

 

 

 

 

『帝都郊外、カレル離宮に赴いて、僕の弟―――帝位第一継承者であるセドリック・ライゼ・アルノールを()()してきて欲しい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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