英雄伝説 天の軌跡Ⅱ   作:十三

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■設定⑫【皇室近衛隊】
元より領邦軍には皇室を守護する守護部隊が存在するが、《皇室近衛隊》はその守護部隊の中から選び抜かれた精鋭中の精鋭。属する隊員全てが”準達人級”以上の使い手であり、総隊長と副長に至っては”達人級”に到達している。

■設定⑬【《鉄機隊》予備役】
結社《身喰らう蛇》第七使徒《鋼の聖女》アリアンロード麾下の実行部隊《鉄機隊》。その隊士を育成する際の見習いが属する部隊名……というわけではない。実のところ、これはアリアンロードを含め、《鉄機隊》の面々が見込み有りとして拾ってきた武人の卵たちを匿う場所。基本的に男性禁制の部隊だが、レイやライアスなど、例外的に属する者もいる。

■設定⑭【整備・開発班(ラボラトリ)】
《マーナガルム》の《五番隊(フュンフト)》に属する後方支援部隊。班員は極一部を除いて一見協調性の欠片もない癖の強い面々ばかり。それを何とか繋ぎ止めている苦労人が存在する。その中には国の最高学府に属していた者達もおり、あまりにも尖り過ぎたせいで学会を追放されたり厄介者扱いされて見放されたり、まぁそんな人物たちが珍しくもなく属する変態の巣窟。






作戦名:ナハト・オイレ作戦 中篇

 

 

 ―――その人に対する第一印象は、良かったとは言えなかっただろう。

 

 

 

「あぁ、君がアリアンロード卿が保護したっていう……僕はレイ・クレイドルって言うんだ」

 

 

 昔は俺もそれ程背は高くなかったけど、当時のその人は今よりも更に背が低かった。

 そんな人が俺の事を誰かの”付属品”としか見ていなかった事に気付いた時、妙に苛立った感覚があった。

 生意気だとすら思っただろう。既に亡き父から、物心ついた時には武術の稽古をつけて貰っていた。だから、()()()()に力を付けている方だと思っていたのだ。

 

 そう、()()()()()()()。錯覚だと言い換えても差し支えはなかった。

 井の中の蛙とはまさにそういう事を指すのだろう。自分が何もかも未熟で、弱かったから全てを失ったのだという事を理解していなかった。

 

 否、あの時は目を背けていたのだろう。

 ハーメル村の虐殺劇。その責任を押し付けられる形で冤罪を被り、秘密裏に処刑された父。その一部始終を、ただ泣き喚きながら見ている事しか出来なかった自分。

 無力は罪であると散々理解したはずなのに、その理解を憎悪が上塗りした。

 

 形容し難い虚無感。今ですらそれを思い出すと寒気がする。

 そんな俺を見かねたあの人―――《鋼の聖女》アリアンロード卿はこの人に引き合わせたのだろう。

 

 近々《執行者》に任命されるという。《結社》における実行部隊の頂点に成ろうという一人。そこに至るだけの強さを持ちあわせた子供。―――そんな子供に”自分”が正しく認識されていないという事実が堪らなく悔しかった。

 逆恨みもいいところだ。お前のような強い存在に俺の気持ちなど分かる筈がないと、醜い駄々をこねた分からず屋(クソガキ)の戯言である。

 

 だが、そんな嫉妬心丸出しの俺に対して、あの人は良くしてくれた。事あるごとに《鉄機隊》の詰所に顔を出しては、話しかけてくれたり、他の《執行者》から貰ったという菓子などを差し入れてくれた。

 当時のあの人は、師より課せられた修行と、《執行者》に任ぜられて以後は任務をひたすらにこなす日々だった。心の余裕など有る筈もなく、俺のような人間に構っている暇などもっとない筈だった。

 

 数年後、その時の事について聞いたことがある。何故そのような事を、と。

 するとあの人はキョトンとした後こう言った。「あの時のお前が、師匠に助けられた時の俺と似ていたから」と。ただひたすらに復讐の為に強くなる事しか頭になかった自分と照らし合わせて、どうしても放っておけなかったと。

 

 だからだろう。出会ってから2ヶ月後に、手合わせをしてくれという俺の頼みに逡巡する事すらなく頷いてくれたのは。

 父から手ほどきを受けたスワンチカ流槍斧術と、《鉄機隊》の戦乙女(ヴァルキュリア)が一人、アイネス師匠に教わった戦闘術があれば、この歳下の武人にも少しぐらいは喰いつけるのではないか。それが出来たのならこの組織を早く抜け出して”彼女”の下へ―――などという浅はかな考えは、ものの数秒で打ち砕かれた。

 

 手も足も出なかった。当時の俺の付け焼刃に毛が生えた程度の実力は、その虚栄心と共に粉々に打ち砕かれた。

 あの人がその頃から携えていた長刀は刃を鞘から抜く事すらなく、八洲の技すらも使わずに俺を容易く沈めた。

 未熟者だからと言って侮ったわけでもないだろう。あの人はその辺りを師から嫌なくらいに徹底的に叩き込まれていた筈だから。となれば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と判断しての事だったのだろう。

 

 まぁ、それが一番効果的であった事は俺が一番理解している。

 それ以降、俺はあの人にも教えを乞うようになった。勿論、得物が違えば戦い方も違うのだから、手合わせを繰り返すというだけのものだったが。

 その頃にはあの人は、既に八洲の剣術の奥義の一つを取得していた。そんな人と継続的に手合わせを行い、アイネス師匠との修行も絶え間なくこなした。

 

 全ては強くなるため。だが、復讐を成そうとは考えていなかった。

 何故ならその時既に、父を貶めた貴族連中は残らず粛清の憂き目にあっていたからだ。―――2年前に帝国宰相に就任した、ギリアス・オズボーンの手によって。

 振り上げた拳を振り下ろす先を見失った。だが今帝国に戻ったところで、父の所業を冤罪だと知らない貴族共によってどんな目に遭うかも分からない。そうなれば、本当にもう二度と”彼女”に逢えなくなるかもしれない。……そう言った心情を、ある時あの人に吐露していた。

 

 その話を、あの人は真剣な眼差しで最後まで聞いてくれた。そしてそのお返しとばかりに、自分が《結社》に流れ着いた経緯を教えてくれた。

 ……今思い出しても吐き気を催す内容だ。母君を目の前で食い殺され、拉致された組織で人体実験を受け、死ぬ直前まで追い込まれた。

 不幸に貴賤はない。自分の身に降りかかった不幸は自分だけのもの。誰かと比べて優劣をつけるのはナンセンスだ。だが、その時の俺はこう思ってしまった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 そう思ってしまった直後、俺は自分で自分の頬を殴っていた。それは、自分を庇ってくれた父に対しての侮辱だった。一瞬でも他者と己を比べてしまった自分が恥ずかしくて堪らなかった。

 そんな俺の様子を見て、あの人は長刀を握りしめたまま「それで良いんだよ」と言った。

 

 

「僕にとって母上はこの上なく大切な人だった。君にとっての父君も同じなんだろう? なら僕たちは大切な存在を失った者同士だ。もう失わないために強くなりたい事の何がおかしいんだ」

 

「特に君には、守りたい人がまだいるんだろう? ならその人とまた会った時に、何があっても守り切れるように強くならなきゃ。―――その為の修行なら、僕は幾らでも付き合うよ」

 

 

 その言葉を、俺は今でもたまに思い出す。

 自分が力を付けたのは何の為か。強くならなければと思い、あの人が立て直した猟兵団の一員となり、《結社》を抜けて数多の戦場を駆け巡るようになっても、戒めのように思い出す。

 

 戦場は好きなわけではない。暴力の余波を受けた誰かが必ず泣いている。お前は根本的に猟兵には向いていないと、団長に面と向かって言われた事すらある。

 ただそれでも、俺は()()への恩義を忘れたことは無かった。俺が”準達人級”の階梯に至れたのは師匠と大将のお陰で、大将はトールズ士官学院に入学してから、偶然にも同じクラスに属するようになった”彼女”の様子を逐一教えてくれた。

 

 大将は俺の幸せを取り戻してくれた。もう二度と失いたくない、大切な存在ともう一度引き合わせてくれた。

 だから今度は、俺が大将の幸せを取り戻すために戦う番だ。あの人から「頼む」などと言われてしまっては、俺としては断る理由など欠片もありはしない。

 

 

 

 その為だったら―――不得手な仕事だろうと何だろうと、最後までやり切ってみせるとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 ―――レイがセドリックと出会う5分前。

 

 

 

 ある意味でレイよりも難しい任務に挑んでいたライアスは、離宮の長い廊下を音もなく移動していた。

 作戦が始まる前は色々とぼやいていた彼だったが、実のところこういった隠密性を必要とする作戦に従事するのは初めてではなかった。

 

 《マーナガルム》において、こういった潜入工作任務、及び暗殺任務に従事するのは《三番隊(ドリッド)》の役割だ。

 基本的には”遊撃部隊”という役目を司る《三番隊(ドリッド)》。新たに団に迎え入れられた新人が最初に配属される部隊という事もあり、様々な任務を遂行する彼らだが、その中でも副長である《赫の猟犬(ロートシアス)》ゲルヒルデ・エーレンブルグが率いる特戦隊《フリムファクシ》は、そういった特殊な任をこなす、団きっての最精鋭部隊である。

 

 だが、先鋒部隊としていの一番に激戦地に赴く《二番隊(ドリッド)》にも似たような任務は舞い込んでくる。

 暗闇の中での市街戦などでは戦闘音を出した瞬間に敵に補足されるし、危険度が高い魔獣が多数生息する森を突っ切る際は、下手に奴らを刺激しないように切り抜ける技量などが要求される。

 無論、今回の任務はそれらよりも確実に難易度が高い。巡回している敵は誰も彼もが精鋭クラス。援護してくれる仲間もおらず、作戦の成否の半分は自分の行動の結果が握っている。

 しかし、その程度のプレッシャーで尻込みするほど、ライアスという男は柔ではない。若くともS級猟兵団の幹部クラス。圧し掛かる圧を散らす術位は心得ている。

 

 彼の今の装備は、レイも着込んでいた漆黒の外套と、伸縮機能が付いた山刀(マチェット)が後ろ腰に二本。彼の本来の得物はスワンチカ家に代々伝わる槍斧だが、こういった隠密任務に際しては邪魔になる。

 数多の戦場を駆ける猟兵である以上、場所によっては自分の得手とする武装が封じられるなどと言うのはよくある事だ。プロの猟兵はそういった状況を最初から考慮に入れて作戦に挑む。

 すると自ずと、戦闘スタイルも変わってくる。普段は長柄の得物を手に豪快な戦いをする彼だが、今はスムーズかつコンパクトな戦い方にシフトしている。

 

 巡回する近衛部隊の目を上手い具合に掻い潜りながら、目的の場所付近にまで辿り着く。

 離宮地下二階部分、外観を損なわないように地下に設けられているその部屋の扉の前には、一名の《皇族近衛隊》の隊員がいた。

 

 機を窺う。時間制限があるとはいえ、いきなり襲い掛かるのは愚策中の愚策。ましてや殺傷が禁じられている場面ともなれば猶更だ。

 成程、確かに精鋭らしく、その佇まいに隙は無い。客人や貴人の出入りなど無い場所だというのに、職務を怠るなどという思考そのものが無いかのように警戒を続けている。

 赤と白で彩られた、中世の騎兵隊のような制服。腰には騎士剣を佩いており、その鋭い眼光は常に周囲の気配を探っている。

 皇帝や皇妃、皇太子といったこの国で最も貴い人物を匿っている現在、このような場所に配置される隊員は恐らく経験が浅い方の隊員なのだろう。

 末席ですらコレだ。隊長クラスや、ましてや副総長、総隊長クラスともなればどれ程のバケモノであるのか。帝国の貴族兵によく見られる、己を顧みない根拠のない慢心などというものが欠片も存在していない。誰も彼もが、皇族という存在を守護する為ならば即座に命を捧げるような者達ばかり。

 

 思わず溜息を吐きそうになる。そんな奴らの隙を突くなど、ほぼほぼ不可能だろう。

 とはいえ、そのような弱音を吐けばどうにかなってしまう程現実は甘くない。隙が無いのなら、隙を作ってしまうしかない。

 腰のポーチから取り出したのは、先程離宮の外で拾った小石。陽動の役に立つかもと拾ってはみたものの、よもやこのような使い方をする事になるとは思っていなかった。

 

「(当たってくれよ……)」

 

 《三番隊(ドリッド)》に属する隊員の中に、カルバード共和国ではメジャーな武術の一つである《月華流》の使い手がいる。

 その隊員から教えてもらった、月華の小技。文字通り相手の視線を逸らす程度にしか使えないが、こういった状況に於いては使い道も生まれる。

 握った右手の親指部分に小石を乗せ、道の角から対象を狙う。そして、親指を一気に弾く。

 ”指弾(しだん)”と呼ばれる技だ。狙った場所に飛ばすにはそれなりの技量を必要とするのだが、ライアスが持つ戦闘センスがそれを充分に補った。

 

()ッ―――‼」

 

 弾かれた小石は隊員の左目付近にヒットし、張り詰めていた緊張感が一瞬だけ乱れた。

 それを見逃さず、一気に距離を詰める。マチェットを一本抜刀し、柄での強烈な一撃を首後ろに見舞う。

 息を吐き出し、前のめりになる隊員。しかし不意を突かれたとはいえ精鋭の”準達人級”。一秒後には体勢を立て直し、交戦体勢に入るだろう。そうなれば他の隊員を呼ぶ猶予を与えてしまうし、自力で押し切られる可能性も無くはない。

 それを防ぐためにライアスは、事前にレイから渡された呪符を一枚、隊員の口と鼻を塞ぐように張り付ける。

 レイ自身も使ったそれは、対象の意識を混濁させ、深い睡眠状態に陥らせる呪術が付与されている呪符である。

 

 呪術というものは、帝国では一般的には認知されていない。故に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事も認知されていないことが多い。

 更にこの呪符には、事前にレイが回復した呪力を可能な限り凝縮して付与させている。それこそ”達人級”程の存在でもなければ、例外でもない限り瞬時に昏倒させられるという優れものだ。

 だが、その分数を揃える事は出来なかった。”可能な限り交戦回数を控える”という条件下でのみ劇的な効果を齎す。ライアスはその有用性を最大限利用しただけ。

 

 とはいえ、成功した優越感に浸っている時間など無い。隊員を脇に退け、扉に張り付いて中の気配を窺う。

 気配は三。そのいずれもが大した覇気を感じさせない。武人ではない、素人だ。

 恐らくは離宮のただのスタッフ。この部屋の管理を任されている人員だろう。であれば、荒事で制圧すると下手な痕跡と遺恨を残しかねない。

 極力音をたてないようにドアノブを握り、回す。指が一本差し込める程度だけ開けると、ライアスはポーチから今度はスプレー缶に酷似した物を取り出した。

 《整備・開発班(ラボラトリ)》が開発した、睡眠ガススプレー。先程の呪符ほどの即効性は無い為、開けた場所での個人の制圧には不向きだが、密閉空間に流し込んで後遺症を残さず制圧するには向いている。

 スプレーをセットしてガスを流し込む事1分。簡易的な小型ガスマスクを装着して部屋に乗り込むと、椅子に座ったまま意識を飛ばしている三名のスタッフが目に入った。

 

 そのまま近づき、部屋一面に敷き詰められた機械に向き合う。

 ここは導力灯管制室。外縁部分も含めてカレル離宮に存在する全ての導力灯を制御する部屋である。ライアスに課された最初の任務は、この部屋の無血制圧と、()()()()()()()()()()()

 離宮全体が一瞬で暗闇に包まれれば、如何な精鋭部隊と言えども多少の混乱は齎せる。無論、すぐに立て直しに掛かるだろうが、今の自分達が欲しているのはその僅かな数分。

 

 内ポケットから、小さな機器を抜き取る。それはこの作戦前に《整備・開発班(ラボラトリ)》所属の激昂姫、メルドがライアスに渡したもの。

 部屋内を僅かに歩き回り、全てを統括するメイン機器を見つけると、そこに機器を差し込む。その工程を行ってから実行ボタンを押す。

 

 《整備・開発班(ラボラトリ)》に属する技術者の面々。それぞれ専門分野は異なるが、どれも一筋縄ではいかない天才たちだが、その中でも特に導力ネットワーク分野に長けたメンバーが数名いる。

 メルドはその中の一人だ。伊達に『新規戦術データリンク開発プロジェクト』などという、本来なら国家が総力を挙げて取り組むべき分野を統括している立場にいるわけではない。

 オリヴァルト皇子が寄越したカレル離宮の内部図の中には、この部屋の機器の配置、接続部分、導力伝達経路なども記載されていた。前もってその図を見せられていたメルドは、僅か20分程度でこの管制室の仕組みと導力ネットワークの脆弱部分を()()にした。

 

 『何も情報がないところから始めるならまだしも、コレだけ御膳立てされておいて()()()()()()()()()()()()だろうがクソが』―――とは彼女の弁だ。

 

 ()()()()()()()()()()()とその場で叫びそうになったのは秘密だ。そんな芸当が出来るのは、彼女が正真正銘の天才である事の証明。

 その脆弱部分に侵入し、管制システムそのものを一時的に全ダウンさせる導力灯ウイルス、ライアスが手にしていた小さな危機に詰め込まれていたそれを作り上げるのに要した時間は、これも1時間程度。

 たかだか1時間20分の逆転劇。彼女はいつも通り眉間に皺をよせ、罵倒を口遊みながらこなしたのだろう。まるでこの程度は当たり前だと言わんばかりに。

 つくづく惜しいと思う。そう言った頭脳がもしどこかの国家の為に使われていたのなら、と。まぁ、それを望まなかった変態たちが集まる巣窟でもあるのだが。

 

 部屋内の換気機能により、睡眠ガスの濃度が人体に効果を及ぼす規定値を大幅に下回る。

 簡易ガスマスクを外し、その代わりに暗視スコープを装着。その直後、離宮全体が暗闇に包まれた。

 

 ここからが”本番”だ。踵を返して走り出す。

 離宮の内部見取り図は全て頭の中に入っている。この場所からどのルートを踏破すれば”目的地”に辿り着けるのかも。

 

「ったく、人使いの荒い大将だぜ」

 

 何を今更、昔からそうだったじゃないかと苦笑し、ライアスは階段を駆け上がった。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 セドリック・ライゼ・アルノールにとって、こういった経験は未知のものだった。

 ”前に進む為に逃げる”。見知ったはずの離宮の廊下も、今は全く違うものに見える。こんなにも辛くて、息苦しいものだとは。

 後ろめたさは多分にある。今ここで自分が逃げる事で、一体何人の人間が責任を取らされるのか。何人の人間に迷惑を掛ける事になるのか。

 ()()()()()()()()()()()()()()、セドリックの長所であり、同時に欠点でもあった。

 

 現在、帝国の正規軍の指揮権のほぼ全ては帝国宰相の手にあるとはいえ、セドリックはいずれ帝国の頂点に座す者。その指示一つで数百、数千、数万の人間の人生を左右する事になる。

 故にこそ、己の為に在る者の不幸を顧みるようでは本末転倒。目的の為ならば時には轢殺する事も厭わないという精神性であるべき―――というのが一般論ではあるのだろう。

 

 その胸中の葛藤を推し量ったかのように、セドリックのすぐ後ろを走っていたクルトがそっとその背中を支えた。

 

「今はこの状況を切り抜ける事だけをお考え下さい、殿下」

 

 暗視スコープ越しには表情は分からない。それでも、振り返ったセドリックの表情に余裕がない事だけは理解できた。

 これから苦難を背負うであろう背中。その背を護る事こそが己の使命。―――未だ未熟の域にすら至っていないという自覚がある彼が承るにはあまりにも重い任。

 ただそれでも、ヴァンダールの家名を背負うからには否とは言えない。その武と命を以て皇族へと捧ぐ剣とならなければならない。

 故にクルトは、指先の震えを懸命に抑え込む。主の不安を慰める時に、従者がそれ以上に動揺しているなど以ての外。今はただ、先頭を走るあの男に着いていくしかないのだ。

 

 トールズ特科クラスⅦ組。その名は、何度もセドリックの口から興奮交じりに聞かされていた。

 貴族と平民が分かたれている士官学院に於いて、唯一その垣根を越えたクラス。その中で、あまりにも飛びぬけてその強さを知らしめている存在。

 ”達人級”。その武人の階梯はクルトにとって目指すべき頂の一つだ。父、そして母が至ったその領域は、とてもではないが生半可な努力で到達できるものではない。

 

 しかし、今自分たちを先導している少年、レイ・クレイドルは、自分たちとたった2歳しか変わらない。

 たった2年。だが、その2年の密度があまりにも違い過ぎる事は分かる。クルト自身、矮躯である事を気にしながらも鍛錬は怠ってこなかった。それでも目の前の存在は、まるでそれまでの努力をすべて否定するかのように静謐な闘気を漏らしている。

 悔しくないかと言えば嘘になる。だがそれ以上に頼もしいとも思っている。―――それが信用という言葉と直結するかと言えばそれも違うのだが。

 クルトが最優先するのはセドリックの命のみ。必要があれば、眼前の達人の前に立ち塞がってでも主を逃がさねばならない。

 

 

 そして、そんな複雑な感情が入り混じった視線を、レイも感じ取っていた。

 セドリックの不安は尤もだし、クルトの懸念も当たり前のものだ。それを早く払拭してやりたいという思いがあるのも本当だが、今暫くはこの地獄のような鬼ごっこに興じて貰わなければならない。

 

 レイが離宮に潜入する時に使った皇族専用の隠し通路。それが使えれば何よりも早かったのだが、長く放置されていたせいか少々厄介な魔物が少しばかり点在していた。

 レイ一人が逃げるだけならば何も問題なかったのだが、実力的に不安がある2名を引き連れての脱出となれば話は別だ。それに、皇族の隠し通路を把握しているであろう《皇族近衛隊》の精鋭が出口に待機でもされれば、それこそ死闘を演じなければならなくなる。今回の任務の成功条件を鑑みると、リスクの方が上回る。

 元よりレイが振るう《八洲天刃流》の剣術は、創り上げた人物の性格が色濃く反映されている為か、()()()()()()()()()()()()()()()()。あるのは如何に早く敵の息の根を仕留めるか、それだけである。

 

 だが、如何な精鋭とはいえ、流石に離宮全域の停電は予想外だったのだろう。あちらこちらを忙しなく動き回る気配が感じられ、その内の何人かはこちらの存在を認知させる前に軽く戦闘不能にした。

 このままならばそれほど苦労する事も無く目的地点に辿り着ける。―――そう思った刹那、背後から迫る殺気に超絶的な反応速度で対応した。

 

 弾ける火花。それは互いの姿を露わにする程のものではなかったが、レイにはその武の持ち主がすぐさま理解できた。

 最悪、ではないが悪い状況だ。遭遇する可能性は十二分にあったが、やはりその感覚を掻い潜るには至らなかった。

 

「(《煉騎士》―――ガラディエール・ヴラウ・ウィトゲンシュタインですか)」

 

 右腕に擬態したツバキがレイの脳内にそう囁く。

 暗視スコープ越しにも分かるその恵体。年齢は50を越えて60に届こうという程だというのに、全身から漲るその覇気はあまりにも満ち満ちている。

 厚く、そして重い闘気だ。それに完全に吞まれてしまったのか、セドリックは足を止めてしまった。その様子を見て、レイはガラディエールの前に出た。

 

「……殿下、そこにいらっしゃいますな?」

 

 暗視スコープなど付けていない裸眼の筈なのに、ガラディエールは的確にセドリックの居場所を言い当てる。

 達人クラスともなれば、人体が発するオーラで個人を識別することも可能だ。なまじ己が守護すべき皇族のそれであれば尚の事。

 

「お戻りくださいませ。殿下を拐わかす者は、このガラディエールが悉く誅戮致しましょう。皇帝陛下、皇妃殿下も御無事でございます。さぁ、こちらへ」

 

 その言葉が示す意味。元より彼は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それを知った上で、セドリックに自発的に戻るように促している。……否、”促している”というには、あまりにも圧が強すぎる。

 一般人ならば、この時点で腰を抜かして放心してもおかしくはない。それだけの闘気が向けられている。

 

 事実、命を賭してでもセドリックを護らなければならないクルトすらも完全に呑まれていた。全身から汗が絶え間なく吹き出し、両脚はまるで石化したかのように重い。足を動かす事すらままならず、ただ死を覚悟していた。

 武を志す者ですらそうなのだ。病弱気味なセドリックがここでこの言葉に屈したところで責められる者はいない。

 だというのに―――。

 

 

「……い、いいえ、ガラディエール卿。それは、できません」

 

 震えながら、怯えながら、それでも未来の皇帝は言葉を紡いだ。

 

「僕は、行きます。今帝国で起きている事態を、僕は、ただ眺めているだけで終わりたくありません」

 

「……なりませぬ、殿下。殿下はいずれエレボニアを統べるお方。帝王学の一環としてご覧になるには、此度の戦はあまりにも危険すぎまする」

 

 しかしガラディエールも退かない。皇族の安全、という一点で見れば正論にあたる弁で返してくる。

 

「陛下も気を揉まれましょう。皇女殿下もおられない今、殿下が出奔されたとあっては皇妃殿下も御心配なされます」

 

「分かって、います。父上にも母上にもご迷惑をお掛けするでしょう。でも、それでも僕は、皇位第一継承者である僕だからこそ、この状況下で為さねばならない事があると思うんです」

 

「であれば、我々をお連れ下さいませ。ヴァンダールの者であればいざ知らず、そのようなどこの馬の骨とも分からぬ輩と共に在っては殿下のお命を保証できませぬ」

 

 その矜持は正しいものだった。傍から見ればただの誘拐にしか見えないこの状況を見逃す程生易しくはない。

 

「それでは、駄目です」

 

 だが、セドリックははっきりとそれを拒否した。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。本心的には怖いのも痛いのも嫌だと思っているのだろうが、その大切さを直感的に理解していたのもまた確か。

 だからこそ、その返答には迷わなかった。それを聞けた時点で、レイの行動は決まっていた。

 

「(ツバキ、セドリックを先導してやれ。ライアスは上手くやってるはずだ。合流次第先に脱出していろ)」

 

「(……了解致しました。兄上)」

 

 即決で了承の意を示したツバキは、擬態を解いて人型の姿に戻り、セドリックとクルトの手を引いた。

 

「お二人とも、こちらへ」

 

 辛うじて耳朶に入る程度の小声で誘導すると、二人の腕に絡みついた式神が有無を言わせず前方へと引っ張り上げた。

 その一連の動きを、見えはしないでも感じ取ったガラディエールはその不届きものを斬り捨てんと、手にした大剣を振り上げる。

 

「―――っと」

 

 しかしその大剣の軌道は、不自然な形で逸らされた。

 一拍の声。聞こえたのはそれだけ。ただそれだけで、彼は先に相手すべき者を見定めた。

 

「貴様が、殿下を誑かした者か」

 

 答えない。声を元に個人を特定されない為だ。

 だが、この達人ならば理解しているはずだ。眼前に立ちはだかるのが、数ヶ月前に皇帝の御前で傅いていた者であろうという事は。

 

 ならば言葉は要らない。そうしてレイは、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「(見せて貰うぜ。帝国最強の一角の実力を)」

 

 隻腕状態での本当の意味での初戦。相手にとって不足など無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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