中世農民転生物語 作:猫ですよろしくおねがいします
村での時刻は朝、昼、晩の3時間に区切られている。
他所との交流もない辺土での暮らしには、それで充分に満ち足りていた。
誰かに仕事を頼むにも何日掛かるかはおおよそだし、人に会うにも村内の誰かであるから、時間を刻む必要はない。
なにもかもが、ゆっくりと流れている。
そもそも正確な時刻など、村の誰にも必要とされてない。にも拘らず、わたしが日時計を作ったのは、時刻を欲したからと言うよりも、不正確であっても、まずは方角を知りたかったからである。
野原に小さな柱を建てるのだけで2年掛かった。日時計にするべく入念に仕上げた柱を、村内の知らないおっさんが勝手に持っていたのだ。
中世で子供に人権はない。知ってた。
人が表面を削り終わって満足している所に通りがかった謎のおっさんは、家を建てるのに必要だとか、助け合いだとか諭すような口調でほざきながら、泣きじゃくる子供を無理に引き剥がすと、表面を艶々に仕上げたばかりの柱を担いで持って行きやがった。 石鑿だけで削るのにどれほど掛かったと思ってやがる。畜生、俺の柱……今は、もう、村の何処かで見知らぬおっさんの家の一部になっちまったんだろうな。寝取られた気分!中世最初の洗礼であった。それ以来、わたしも価値のあるものは見せびらかさないよう、用心深く振る舞うようにはなった。
兎も角、家の近くの小さな丘の頂きに小さな柱を建てると、まずは次の日の早朝。日の出の方角へと石を置き、それから四方へと順に石を配置した。
起点となる季節?多分、夏だったと思うけど覚えてない。仕方ないんや。作った時は、半分以上が幼児の脳みそだったんだもん。
ともあれ、これでおおよそ東西南北の基準が出来た。一日を八時間や十六時間に区切るのも簡単だったが、わたしだけが使っても意味もない。
しかし、32時間に区切ると1時間が短すぎるし、16時間に区切ると長すぎる。24時間が丁度いいのだが益々、地球めいてきた。
過去か未来の地球だな、間違いないぞ(確信
それにしても村内に日時計無いのもおかしいと思う。村から旅に出る時、太陽の出る方角を目印にするだけでは不安だろうに。それとも道標や街道が在るんだろうか?
閑話休題。方角が分かった後は、直角三角形と結び目の在る縄を使って、村の建物やら地形やらのおおよその位置を計測してみた。
と言っても、実際は多分に目測も含まれた、かなりいい加減な代物である。普段は畑を手伝うし、暇な時はわたしだって遊ぶし、北の森の探索やら、畑の収穫量の記録に、それと粘土板も貴重品ではないにしろ結構、嵩張っている。
それでも一応、見てみれば、地図らしい形にはなっている。
わたしが刻み込んだ地図を覗き込んだ父は、感心した様子でうなずいていたが、村には似たような感じに、畑ごとの収穫量や作付の記録を取って比較しようと親に訴え、なぜか分からんが、拳で気絶するほどぶん殴られた子もいたりする。
蛮族かよ。親の当たり外れは、現代でも人生を左右するんですよ。此処は現代じゃなりません。中世の村社会です。
前世知識のお残りがあるわたしなどと違って、真っ白な脳みそで思いついたのだから、多分、それなりに頭の良かった子なのだろう。
あまり殴られ過ぎたのか、今は受け答えも変になって白痴っぽくなってしまったが、幼い頃は本当に賢い感じの子供だった。
もっとも、その子の両親は、我が子が真っ当な働き者に生まれ変わったと喜んでいたが。四六時中よだれ垂らして、常に無言で言われたとおりに動くだけの生き物が真っ当な働き者ですか。初期のゾンビ映画かな?此処はファンタジーだった?
流石にそんな親は他にいないと思いたいです。かなり手を出すエイリクの親父ですら、顔を顰めて首を振ってたし、うちの父なんて初めて見る恐い顔でじっと折檻を睨んでた。母が腕を掴んでなかったら、割り込んでいたかも知れない。
その子とその狂った家族に関しては、もう何も言いたくない。近所でも腫れ物扱いだし、正直、関わりたくもない。
ただ、或いは死が四六時中、傍らに転がっている世界では、誰もが何処か狂っても不思議はないのだろうか。
兎も角、遅々として進まなかった製図だが、ちょくちょく粘土版を刻んで、一応は、我が家を起点に西の主要な家屋と近隣のおおまかな地形をおおよそ網羅した。
正直言えば、地図を価値の分からん人間。つまり父以外の大半の村人(偏見 やら、特に他の子供なんかには見せたくなかった。乾燥した粘土板だから落としたら割れてしまう。にも拘らず、我が叡智を秘匿する賢者の塔、と妄想してる納屋に他者を招き入れ、地図を見せざるを得なくなったのは、地理に関する共有が狩りの同行者に必要不可欠であり、もっと言うならば、我が不覚ゆえの自業自得であった。
目を輝かせて地図を指でなぞっている彼奴を見ながら、それにしても地図の予備くらいは作っておけばよかったと後悔しきりである。
その日の早朝であった。井戸の傍で水汲みに順番待ちをしていると、忌まわしき彼奴が語りかけてきたのだ。
「貴殿、肉を喰っているな」
囁くような小声ではあったが、いかにも自信ありげな断定口調に、まったく動揺しなかったかと言われれば嘘になる。とは言え、わたしとて、驚きを素直に表に出すほど素朴な人間ではない。
「……あんだって?」
口を半開きにしながら精々、愚鈍そうな態度で聞き返してみる。
「肉だよ」
「にくぅ?」
「おうとも。肉だ。喰ってるだろう?」質問者は、いかにも執拗だった。
何処から洩れた?下の子たちか?他の子に兄の狩りを自慢した?
だけど、あの子たちだって、狩りの場所の重要性は知っている。
秘密が漏れれば、競争者が増えることは承知しているはず。
腹を減らすような真似をするか?或いは、少女か?もっと有り得ないように思える。だが、3人共にまだ子供だ。迂闊に口を滑らせることがないとは言い切れない。
確信有りげな言い方の質問者に、何処まで嗅ぎつけたか。推し量りながら、取り敢えずは誤魔化す方向で言辞を弄することにした。
「……肉、喰いてぇな。腹減ってきたよ」
「食えばよかろう。丸々太った蛙の串焼きとムクドリの雛。貴君の好物ではないか」
空っ恍けるのは難しいか?ある程度の確証は得ているようだが……事実を認めながら、狩りの成果を矮小化する事にした。
「偶々にゃ……この間は、運が良かったで。今は中々、見つからんち」
お裾分け出来るほどの量ではございませんよ。と、言外にそう告げた。
どうせ吟遊詩人に影響を受けた程度であろうが、エイリクめ。ここ最近は、妙に物々しく、気取った言い回しをする時があった。完全に英雄物語の登場人物に成りきってやがる。
まあ、こいつも確か十二歳。そろそろ邪気眼が疼き始める年齢だ。
とは言え、言葉遣いを変えて知性が育まれるなら誰も苦労はしない。
厄介なやつに嗅ぎつけられたか。内心、苦々しく思いつつも、まあ、所詮エイリク。そう侮る気持ちもないではなかった。この瞬間までは。
「ふぅん。知ってるだけで蛙の串焼きが7度、椋鳥の雛は9回……偶々にしてはいい腕だな」
動揺を完全に隠し切る事は出来なかった。わたしの頬が微かに痙攣したのを、エイリクが目を細めて注視している。
なんと……どうやら、完全に確証を掴まれていたようだ。しかし、どうやって?いや、ハッタリかも知れない。こいつが何処まで知ってるかが重要……いや、本当にそうか?
表情一つ動かさずに精々、阿呆っぽくみえるように間抜けな笑みを浮かべる。
「あぁ~~、運良かったで、いひひ」
「ふぅむ、そらっ惚けるのだな」
まあ、思ったより抜け目なかった幼馴染には多少、驚いた。人間は成長するものだな。英雄物語の人物になりきってるうちに機知や機転、多少の弁舌まで身についたようだ。しかし、それが何だというのだ?
どうせ分け前を寄越せ、云々、意地汚い要求するつもりだろうが、わたしには何一つ後ろ暗い事などない。
それで?だからどうした?狩りをして、ささやかな成果を得た、それだけである。
エイリクがなにを言い張ろうが、譲るいわれなど欠片もない。
相手の掴んでいる情報を何通りか想定し、質疑応答の流れとそれに伴う取捨選択を脳裏で整理しながら、なんと言われようが譲歩する必要はない。そう結論し、高を括った瞬間、エイリクが叫んだ。
「おぉい!腹ペコぉ!」近くの村道で遊んでいた頭の悪そうな小僧の一人を呼び寄せようとした。
「なんだよぉ」野太い声が応じた。
「こっちへ来い」とエイリク。
「どうしてだよ。イヤだよぉ」面倒くさそうな弱々しい返答をエイリクが怒鳴りつける。
「いいから来い!来ないと大変なことになるぞ!」
物持ちの親父が家人に差配するのを幼少から見てきたからか、脅かし付けるエイリクの言葉に、小僧は渋々と従った。
鼻水を垂らし、土煙を巻き上げながら、どたどたと駆け寄ってくる彼奴こそは、村に知らぬ者のいない『腹ペコ』。収穫祭の日、子供用の焼立てパン十人前を一人で食べ尽くした伝説の胃袋の持ち主だ。飢饉の際には、真っ先に森に捨てられてもおかしくない男として名を馳せている。
「ちょっ……おまっ!」
袖を握る。腹ペコは洒落にならない。見ての通りに意地汚いのだ。他人が美味そうな物を食べてるとじっと見つめて、食う気がなくなる。他所で食おうとすれば、何処までも追いかけ回してくるし、仕方がないので食べてしまうと今度は大泣きして、こいつを溺愛している母親が、目の前で食べるとは何事だ!うちの子に意地悪するな!と怒鳴り込んでくる寸法だった。
自分のものと他人の食べ物の区別がつかないモンスターを召喚したエイリクが、耳元で囁いた。
「あいつが知ったら、お前の後を付いて回るぞ。落ち落ち、彼女と逢瀬も出来ないな」
「お前、つい先日までもっと馬鹿だったろう?犬と骨を取り合ってたくせになにがあったんだよ」
「なんだとぉ」
驚愕のあまりに突っ込むと、エイリク。一瞬、素に戻った
「……なにが望みだ」
押し殺すようにわたしは尋ねた。
彼奴は真顔で一言。肉。とだけ告げた。
わたしはあからさまに舌打ちしてみせた。
「……お前の家には、鶏だって飼っているし、山羊だっているだろ」
「あれは親父のだ。俺の肉じゃない。それに滅多に食える訳でなし」
歯軋りしつつ、しかし、脅しに屈するしか道は残されてないように思えた。
「……いくら欲しい。言ってみろ」
「上前撥ねようって訳じゃない」
言いながら、エイリクは平然と真の要求を突きつけてきた。
「狩りに連れてけ」
こいつ、狩場を奪うつもりか。カッと頭に血が昇った。
「……この薄汚い鼠野郎。騎士気取りの、寝小便垂れの……よくも、よくも……」
頭に血が上っていてよく覚えてないが、その時のわたしは相当、口汚く罵っていたと思う。
「そう腹を立てるな。俺は役に立つし、犬だって連れて行く」
損はさせない、などとほざいていたが、口だけならなんとでも言える。
脅迫者の言など何処まで本当か、怪しいものだった。
だが、やつは勝ったことを知っていた。それは間違いない。
寛大な気分にもなれただろう。罵倒を受け流すと、にやり、と告げてきた。
「否か、応か」
腹ペコのやつが、まるで地獄の入り口のように近くまで来ていた。
腹ペコの阿呆面とエイリクの小憎たらしい笑顔を見比べてから、わたしは、呻くように答えを口にした。毎年、巣の場所が変わるとは言え、目星をつけていた狩場も幾らかは教えざるを得まい。
「……なんだよぉ」やがて、汗を掻きながらやってきた『腹ペコ』に、エイリクは済ました顔でこう告げた。
「お前、鶏のエサにしておいた雑穀、喰っただろう。親父さんが薪ざっぽう片手に探し回ってたぞ」
ひぃ、と肥満した少年が顔を引き攣らせた。
「腹が減ってたんだよぉ」
ブツブツ言いながら逃げ出した腹ペコを見送りながら、エイリクに問いかけた。
「今の話、本当か?」
「あいつにとっては、何時ものことさ」奴は澄まして言った。
そうした理由で、わたしは奸智に長けたエイリクめと狩りに出ることになった。
奴めを侮っていた。いや、甘く見ていたのは、奴の肉への執着か。
「さあ、一緒に狩りに出ようじゃないか、我が友よ。うん?」
中世農村の、現実と空想の区別が付くかも怪しい子に屈せざるを得ないとは、返す返すも無念である。
中世農村の十二歳にやり込められる転生者。恥辱の極み。
次回も、どうなるかは、ダイス次第。