中世農民転生物語   作:猫ですよろしくおねがいします

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森と人と

 中世の農民にとって、植物の枝や蔦を編んで籠や魚篭を作るのは有り触れた日常の作業である。

 農村における家屋の建て方のひとつとして、ワトル および ダブ(ドーブ)様式(wattle and daub)と呼ばれる技法が知られている。

 ワトルとは編み細工であり、ダブは漆喰や泥などで壁を塗りつける作業を意味してる。丸太などで組み上げた家の骨組みに対して、木の枝や蔓を用いた格子状の壁(wattle)を嵌め込み、その上から土や粘土、動物の糞などを塗り込んで(daubして)壁を仕上げる建築手法である。

 言うまでもなく原始的、かつ資材の調達が容易な手法である為、さほど技術を持たない農民にとっても人手と時間、そして材料さえあれば、泥漆喰の家を建てるのはそれほど難しい事ではない。

 

 無論、ワトル&ダブの用途は家屋だけと限られてはいない。なにしろ材料は手近な泥と木材だけである。

 ちょっとした杭などを等間隔に地面に打ち込んで、白樺の枝などを編み込んで組み合わせれば、後は粘土なり、動物の糞なりを塗り込むだけでそれなりに頑丈な壁の出来上がりである。

 菜園などで小さな壁を作るにも、家畜の囲いを仕上げるにも重宝する技法で、様々な用途に用いられるのだが、一方で安易なだけにやや耐久性に欠けており、イノシシの突撃によって壊されたり、甚だしきは村から村への強盗団が壁をぶち破っての狼藉に及ぶなどの話も中世イングランドではあったそうな。とは言え、村人の大半は、古来より引き継がれてきたこの由緒正しい小舞壁に茅葺き屋根の掘っ立て小屋で暮らしている。

 

(掘っ立て小屋とは、基礎石を設置せずに柱を直接地面に打ち込んで作られた簡素な建物を指している。ちなみに北欧、北米、ロシアなど寒冷地帯にはシロアリは分布していない。つまり、柱を直接地面に埋め込む掘っ立て小屋でも、基礎の柱部分が腐食しない為に数十年も暮らせる)

 

 取り立てて裕福でもないが貧しくもない我が家も同様で、現代日本とは比較にならぬ生活とは言え、村でも一部の村人などは竪穴式住居にも似たあばら家に暮らしているのだから、我が家はまずまず立派な暮らしなのだ。

 

 なに?見た目で区別がつかない?違いが分からない?土壁があるのがワトル式民家。地面まで茅葺き屋根が届いてるのが竪穴式住居じゃ。覚えときんしゃい。

 

 生憎と硝子のような便利で綺麗な代物には前世以来とんとお目に掛かったことはないが、我が家ほどに文化的な生活を送っている家庭ともなれば、家に窓すら備わっている。単に壁に穴が開いてるようにも見えるかも知れないが、それは物を知らない人間の錯覚である。驚くなかれ、なんと木の板を嵌め込めば閉じられるようになっているのだ。これで雨の日や強風の日は窓を閉じられるし、気持ちのいい春の日などは風や日光を感じられる。

 

 おいおい。文化発達しすぎてロンドンを追い越しちゃったかぁ?ローマ人が見たら、気絶しちゃうんじゃないの?長安もビックリだね。庇?雨戸?知らない子ですねぇ。

 

 殆どの家々には扉もないし、一部の農具は石器である。そんな訳で、一時期のわたしは中世どころか古代通り越して鉄器時代入り口に生まれ落ちたかも知れん。あかん、もうお終いや、と些か深刻な不安に苛まれる日々もあったが、これ程に文化的な生活を遅れる……もとい、送れるのであれば、この地は間違いなく中世ですね。間違いない。そう今は揺るぎない確信を抱いている。

 俺は中世の人間だ。誰がなんと言おうがここは中世の農村なんだ。

 

 そう自らに言い聞かせる日々ではあるが、実際の中世とは諸々の制度や技術が発達した時代ではあるし、自治村の自由農民としてこうして文化的な生活を遅れてるのだから、そう悪い環境でもないはずだ。

 人口が薄すぎて、封建制が成立してないなんて事は無い。ましてや、領主がいないのは階級が分化するほどの富が生産されてないからなんて事は絶対にない。

 

 ほんとにぃ?ほんとに中世なのぉ?時折は、己の中からそう問いかけてくる声も聞こえてくる。

 だが、懊悩を超克した俺は揺るぎない自信を持ってこう応えよう。

 はぁ?中世ですけど?中々に文化的生活を送っていると自負する処であるんですけど。他の家は窓とかないんですけど?

 

 

 

 そうしてわたしは、隣家のエイリクの家にお邪魔した時、絶叫した。

「ま、まどがあるぅ?!」

「わぁ、吃驚した」目をまん丸にして呟いたのは、居合わせたエイリクの妹である。

「なに驚愕してんの?お前」とエイリク。

 

 窓に歩み寄って調べてみれば、壁に打ち付けられた無骨な留め金は、鉛か、それとも鋳鉄製か。鈍く輝くそれが、片開き扉の木製回転軸を呑み込んで開閉できる仕組みとなっていた。

「ちょ、ちょうつがいもあるぅ?!」

「だから、なんで片言になってんの?なにをそんなに衝撃受けてんの?」

「まどがあるぅ」そう続けて叫んだエイリク妹が何が可笑しいのか、お腹を抱えてケタケタと笑い出した。

 

 

 

 エイリク家の広い居間には、石製の囲炉裏が設けてあり、炎が赤々と燃え盛っている。丸太を組み合わせた頑強な壁は、それだけで一族の富裕を示していた。

 わたしの申し出た取引は、思っていたようには運ばなかった。

 野鳥の卵と穀物。出来れば焼き締めたパンと交換したいと申し出たのだが、エイリクの父は明らかに気が乗らぬ態度で顔を顰めている。

 熊のような大男であった。粗いテーブルに載せた太い腕は古木のように節くれ立ち、口元は黒い髭で覆われている。

 大きな目でぎょろりと見据えて、交換した穀物をなんに使うのかと尋ねてくる。お前の親父とお袋は働き者だ。との指摘に思わず口籠るとエイリク親父の目に険が増した。

 

 拙い。それだけは分かった。理由は分からないが危ういと感じた。首の後の産毛がゾワゾワと逆毛立っている。エイリクの親父の不機嫌の理由が分からない。が、直感を信じる。

 兎も角、腹を割って正直に話そうと判断し「女の子がいる」とだけ告げるや、剣呑な雰囲気がやや薄まった。

 エイリクの親父が、続けろ、と唸った。

 

「あまり食べてない。冬を越えさせたい」

 そこで言葉を区切って、頭の中で筋道を組み立てる。

「今は良くても、冬には食べ物が足りなくなるかも知れない。足りない家が飢えるのは冬だから。うちにも食べ物を他人にやれる余裕なんてないけど。パンが幾つかあれば。上手くいけば……」

 エイリク親父が視線を転じると、父の態度にやや戸惑い気味のエイリクも頷いた。

「ああ、うん。そいつ、その子に入れ込んでる」

 しばらく押し黙ったエイリク親父。不機嫌そうな口調でそうぶっきらぼうに口にした。

「お前ら、どれだけ鳥を獲った」

 わたしとエイリクは、顔を見合わせる。数など数えていない。

 エイリクと一緒にやって、卵と雛でおそらく四、五十と言ったところか。少なめにそう答えるとエイリク親父、目を閉じてから低い声でこう告げた。

「森を損なえば、精霊の怒りを呼び覚ます」

 全く人間の想像力には限りがあると思い知らされた日であった。子供が信用できないなり、卵は充分に足りてるなり、そうした問答を想定していたのだが、斜め上を行く状況に、わたしは愚かにも狼狽えるだけであった。

 

 

 シュメール文明環境破壊説を聞いた事があるだろうか。知らずとも、森の神フンババを討ち取った英雄ギルガメシュの逸話に関して耳にした人は多いと思う。ティグリスユーフラテスの肥沃な沖積平野メソポタミアに発祥したシュメール文明は、人類最古の文明地帯として紀元前3300年には都市ウルクを築き上げるほどに繁栄していたが、人口増加はほぼ必然として大規模な自然破壊を伴う。灌漑農業に拠る水位低下と森林を伐採しすぎた事に拠って、穀倉地帯の保水力が低下。土壌も流出し、遂には塩害と洪水に拠る収穫量低下で、増えすぎた人口を支えきれずにシュメールは崩壊したという説である。

 元々、乾燥地帯のメソポタミアは意外なほどに降雨量が少ない。一度、衰えた自然復元力は今に至るまで回復せず、かつて豊かな緑の沃野であった筈のメソポタミアは、現在も砂漠地帯となっている。

 

 自然破壊に拠るシュメール崩壊説に、わたしはそれなりの説得力を覚えた。ギルガメシュが殺したフンババは、人々から森を守るために最高神エンリルに遣わされた森の守護者であった。

 何故、恐ろしい怪物であるフンババが最高神に拠って遣わされた森の守護者として神話に言い伝えられているのか。果たしてギルガメシュは、フンババを殺すべきではなかったのか?最高神エンリルの意図は、那辺にありや。

 

 だから、なんだ。と言う訳でもない。

 

 過度に森で動物を獲るべきではない、との警告にどの程度の意味と意図があるのか。エイリク親父の思惑を測りかねて、やや困惑したもののわたしは神妙に頷いた。神妙にするとは言ってない。

 

 親父さんとの実りない話し合いを終えて庭に出ると、取引の失敗にわたしは深くため息を漏らした。

「森の祟り神、ね」わたしの傍ら、エイリクは冷ややかに笑っていた。

 幼馴染だから分かる。こいつ、討ち取れば英雄になれるか、などと企んでる面だった。

 

「祟り神、か」わたしも呟いた。

 祟りなどと言われても、現代人の大半はさほど信じていまい。因習なり、迷信なりとしか思わないだろう。

 因習といい、迷信とも言う。しかし、時代と状況に拠ると前置きした上で論ずれば、因習が因習となり、迷信が迷信として扱われるのは、時代の変化についていけないからだろう。

 誕生した当時の因習は、生き延びる為に最適な生活の知恵であり、迷信が推察や経験知に拠って作られた最適解であった事も珍しくない。そして現状、正しいのは多分、エイリク親父の方だった。

 

 しかし、人にとって暮らしやすいかは兎も角、豊穣な森と沼沢地に囲まれた地で環境破壊を諌める口伝が言い伝えられているのは、些か妙に思える。環境破壊の傷跡がそれほど見当たらない。自然は厳しいが手つかずに思えた。或いは、他に魂の記憶を持つ者がいたか。それとも、他所の文明崩壊から逃げ延びてきた生き残りでもいたか。

 

 いや、考えすぎかな。自然の知恵として、森を荒らさぬよう言い伝えが残っているのであれば、過去に祟りと似たような状況が起きたかも知れない。

 

 森を切り拓きすぎて、餓えた狼や熊を村に招いた。保水力が衰えて、地下水や河川が枯渇、或いは氾濫した。

 餌となる動物を狩りすぎた為に、別の何かが繁殖したり、捕食者が数を減らし、最終的には手に負えないほどに害獣が増殖した。そうした経緯が言い伝えとして残っていても不思議ではないし、記憶が残っている以上、エイリク親父の反応も腑に落ちないものでもない。

 

 

 我々が暮らす大地は、乾燥はしてないが雨が少ない。深い森と沼沢地に囲まれ、岩石が広く分布している。果たして寒冷な大地はどれだけの許容力と復元力を持っている?いや、今はそれよりも先に考えなければならない事があるか。

 

 全て推測。推測に過ぎないが、しかし、村の大人たち。少なくともエイリク親父とうちの父は、けして愚か者ではない。現代人と比せば知識は無いものの、知恵も思考力もさしてわたしと変わらない。わたし程度ではあるが、それなりに柔軟で思考力もある二人の大人が揃っていい顔しないとなれば……参った。どうにも野鳥の卵と交換でパンを得るという当初の目論見は、上手くいきそうにない。

 

 わたしとエイリクは、自分たちが食べる以上に些か採りすぎてると見做されてエイリク親父から警告を受けた。村の顔役から釘を差された以上、狩りは幾らか減らさざるを得ないし、少なくとも他の大人に対しても取引など出来ない。完全なやぶ蛇だろう。

 

 祟り神。恐らくは自然破壊とそれに伴う環境変化の揶揄だろうが、しかし、実際に古代の獰猛な怪物が生き残ってるやも知れないし、未知の危険な種が森の奥深くに棲息してないとも言い切れない。どちらにせよ、飢えれば人を襲うだろう。果たして、幻想的なドラゴンは実在するかな?

 やや自棄気味になったわたしは、鼻でふんと笑った。いずれにせよ、牽制された事だけは確かだった。とは言え、諦めるつもりなど微塵もない。さて、どうしたものか。

 

「……畜生め」村の子では、交換する以前に取引する立場にすらなれなかった。思わず唇から漏れた苦々しいつぶやきは、誰に聞かれるともなく曇天の空に飲み込まれていった。

 

 




取引判定 !1d100 74 やや失敗

子供の立場 -15
簡単な取引 +5
村人同士  +10
知己の子  +5

      45で成功





 今回、書くにあたって調べたこと

・中世の建築手法
・大工道具
 ・ノコギリ・瀝青の産出・黒曜石・かんな
  建材の種類と性質は調べきれないので誤魔化した。
・窓の歴史
・ちょうつがい(ヒンジ)の起源。
 正確には蝶番ではないが、物語的にそう翻訳した。
・職人の仕事の仕方 
 ノコギリで丸太を綺麗な板に加工するのに片方は穴に入る?との記述。
 ちょっとよく分からないですね。
・北欧とメソポタミアの地質
・マヤ、イースター島、シュメールに関する資料
 気候、降雨量に拠る自然の再生力。地質。各種資源。

 色々と書いてるけど自分で試した訳やないんで、実際にワットル&ダブ工法で作った家に住んでるサクソン人の人とかいたら許してください。

 各種鉱物資源。特に古代における天然(地中に埋蔵されてるのではなく地表に露出)の分布や産出量が分からんので、古代文明の出たアナトリアとか多いやろ、地中に多いところは地表にも多いやろの精神で適当に異世界をでっち上げる。

(鉱物によって違う?分からん場合は書かんようにしとこ)
(主人公たち?北欧バイキングの製鉄は有名やし沼沢地から鉄採れるやろ)


「カヤ40年、麦わら15年、稲わら7年」
 茅葺屋根の寿命はおよそ15年と言われており、寒冷で湿気の少ない欧州では大体2倍と言われている。
 茅葺きの原料として、欧州ではライ麦が上等であり、他には葦、ヒース、スゲなどがよく使われている。ライ麦と小麦を混合して屋根を葺くこともあるようだ。



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