中世農民転生物語   作:猫ですよろしくおねがいします

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腹の虫

 村に戻ったわたしは、その足でまず少女を探しに出る。その際に蛙を入れたずだ袋は一旦、家へと置いておいた。腹を空かせた弟や妹に狩りの獲物が見つかっては、碌なことにならないのは確実であるから、彼らの手が届かないよう家の梁にぶら下げておく。

 

 敵は下の子たちだけではない。村には腹を空かせた悪童共がうろうろしている。幸運にも美味しそうな木苺やらベリーやらを見つけた子は、すぐさま食べなければならない。おやつを取っておくとか言う呑気な生き方は許されない。隣りにいた友人が一瞬後には、野獣の眼光を宿して襲ってくるかも知れない。涙を零してからでは遅いのだ。

 

 ちょっと言い過ぎかも知れないが、あながち冗談でもないのだ。無論、村は弱肉強食の無法の地ではなく、一定の不文律や許されない領域はきちんと存在している。例えば、貴重な小刀を奪ったり、他家の畑の作物や家畜などを盗みだすなどは、子供間であってもけして許されない。これらの行為は窃盗として厳しく罰せられる。

 そこらへん見極めをつけられないお馬鹿さんは、村の顔役たちから締められる。

 

 現代でも村社会は中々に煩いものだが、中世自治村での顔役たちは比較にならないほどに恐ろしい立場だった。何故なら、自治村では村の構成員こそが警吏であり、また刑吏であるからだ。

 幾度かの警告を受けても一向に行状を改めなかったり、窃盗品を持ち主に返還しない乱暴者などに対しては、時として棒叩きの刑などが行われる事例もある、らしい。

 

 らしい、というのは、少なくとも魂が覚醒してからのわたしが、咎人に対する刑罰の執行などを目にした事などなく、悪いことをすれば裁かれるよ、と親に言い含められていたからなのだが、しかし、伝え聞くところでは、刑の執行時には村人のほぼ全員が立ち会わなければならないそうだ。例外は妊婦と重い病人だけで、子供も老人も集まらねばならない。外から見れば、全体主義だの恐怖政治だのと嫌悪を抱く人もいるかも知れないが、実際には刑の執行に際しては、村人の大半の合意と納得を必要とするからだろう。これはこれで合理的かつ民意を尊重しているのだと、中で生きるわたしには納得できた。

 

 

 隣人の所有物を盗んではならない。これは共同体を存続させる為に不可欠な慣習法であり、かつ村人たちにとっての共通認識であった。

 しかし、この掟には、二つの命題がある。一つは誰までを隣人と見做すかだが、これは比較的に単純に解決できる。村に住む者が隣人である。気に食わなくとも、没交流であろうとも、兎に角、村人は村人から盗んではならないのだ。

 

 

 ちなみに某巨大宗教の有名な戒律にも、汝の隣人を愛せ、と言う言葉が存るが、ここで言う隣人とは同じ民族、同じ宗教を信じる者たちを指している。少なくとも十字軍の時代までの解釈は、隣人の範囲は斯くの如しというのが当時の常識であった。

 

 これを偏狭というのは簡単だが、しかし、当時の西欧においては同民族、同宗教の内部でも絶えず争いが起きていたが故に、せめて隣人だけでも愛せよ、との訴えかけの意味を持っている。

 

 隣人を愛せ、とは隣人以外は愛さないでも良いという意味ではないが、イベリア半島をイスラム勢力が制圧し、ブリテン島をノルマン人が脅かしていた当時の状況を鑑みれば、西欧人にも西欧人が生き残るための見解が在るのだろう。わたしも含め、人とは万事をおのれに都合よく解釈する生き物だ。

 

 話が逸れた。隣人の定義が村人だとして、もう一つの問題は何処までを所有物と見做すかである。家畜や畑、家、家財は財産であり、誰の眼にも明白な私有財産である。しかし、一方でまだ誰のものでもない土地や天然資源、所有権の定かでない拾い物に関しては、かなり緩い曖昧な側面があった。

 

 結論を言えば、野原で見つけた食べ物を奪ったくらいでは罪には問われない。厳密に言えば、慣習法でも罪となるのだが、仕留めた鹿やら建材に具合のいい倒木を巡っての大人同士の言い争いなら兎も角、子供が拾った木の実に関して一々、大人が介入したりはしないのだ。

 結果、一定のルールが定められた上で、自力救済ではないにしても、村の子供界隈では日夜、食べ物や小物を巡って、仁義なき戦いが繰り広げられる事と相成った。大人しい子や善良な子も、かなりの頻度で喧嘩に巻き込まれる。

 まさに、万人の万人に対する闘争。混沌と無秩序の領域である。

 無法地帯かな?と思わないでもない。他にも理由はあれど、これがわたしが蛙の産地を秘密にしつつ、少女だけを密かに呼び出そうとする理由である。

 

 

 

 村道を歩いていたわたしを先に見つけたのは、少女の方であった。

 此処しばらくの間、相手をしていなかったからか。歩み寄ってくると物凄いふくれっ面を見せながら、拳でパシパシと胸を叩いてきた。

 森の探索の準備で忙しかったのだが、そんな事は少女は知らない。

 しばらく好きにさせてみたものの、一向に収まる気配がない。仕方ないので、海賊が村娘を浚うように小柄な体をひょいと肩に担ぎ上げた。

 今度は不満げに手足をジタバタさせ始める。あまりにも暴れるので、お尻をぴしゃんと叩いたら、今度はきゃうきゃう叫びながら、強く抱きしめてくる。勘違いではないよ?この子、ほっぺたを甘噛みしてきたり、わたしの匂いを嗅いで陶然としてるもの。

 

 俺のことを好き過ぎない?ニヤついている肉体の思念に対して、魂は死ぬほどどうでも良さそうに、お、そうだな、と相づちを打ってきた。

 

 

 担いでいる最中、大人しくさせる為にあらかじめ少しだけ焼いたリーキの欠片を口に咥えさせる。甘さを残す春葱はお気に召したようで、無言でモゴモゴと口を動かしてる少女を担いだまま家に帰還すると、母が昼食の粥とポタージュを作っていた。お帰り、言いかけた母が、担がれている少女を眺めてから、担いでいるわたしを見て、困ったように首を傾げるが、わたしの家までやってきた事に気づいた少女の方は、降ろされた途端、わたしの背に隠れて、母に対して頬を真っ赤にはにかんでいる。

 下の子達がいないのは好都合であったから、わたしは二人の視線を気にせずに梁から袋を下ろすと口を開けた。

 袋の底でけろけろ鳴いているくりくりした沼ガエルたちを見て、可愛い、と少女が顔を輝かせた。

 

 一匹だけ紐に結んで少女に手渡すと、くれるの?と、手のひらに乗った姿を眺めてご満悦の表情を浮かべている。

 えっと、どうしよう。贈り物に照れてる少女の前。さらに二匹を掴まえ、わたしが小刀を取り出すと、少女は愕然とした様子で、食べるの?など聞いてくる。

 美味しいんだ。また胸をパンパンと叩いてくる。女の子は面倒くさい。

 一匹だけ飼っていいよ。真剣に選びつつ、少し泣きそうな少女に、食べるために取ってきた、と手元の2匹の上半身を容赦なく切り落とした。上半身とモツは裏庭に堆肥用の深い生ゴミ穴にポイと。下半身はブナと思しき木材の串を水に浸してから突き刺すと、塩代わりの灰を少し擦り込んでから直接、火で炙ってみる。

 

 

 いきなり肉を食べさせたりはしない。十匹は勿論、一匹だって、もしかしたら胃がびっくりするかも知れない。リーキを先に食べさせたのはそれもあった。普段から余り食べてない子に腹一杯の肉を摂らせるのは健康に良くない上、出し惜しみした方がありがたみも増すというものだ。

 古の軍師マキャベリさんも言っておられる。与える時に全てを一度に与えてはならない。恩寵は小出しにするほうが感謝も長続きするのだ。

 恋愛と戦争では手段を選んではならない。とは英国の格言だ。恋愛は駆け引きである。好いた相手だからといって必ずしも手の内をさらけ出すより、時には恩と利で絡め取ったほうがよかろうなのだ。もっとも、物で釣ってばかりいると相手に比べる癖がついて、与えるものがより大きい相手に惹かれる可能性も増すので、心のドキドキも大事である。

 

 焼けてくる肉に目を丸めている少女の横顔をじっと見つめる。派手さのある顔立ちではないが、愛嬌のある顔立ちだった。動物に例えると、たぬきに似てるかな?ころころ変わる表情が魅力的で、笑い転げる姿もなんとも愛らしい。愛着が生じるとともに独占欲も湧いてきているようだと、自分の心の動きを分析する。少年のように否定もしないし、かと言って青年のように情熱に飲み込まれるつもりもない。二重の意味で少女を失わない為には、冷静さを維持する必要がある。最優先は、この子を生かす。第2目標が、心を掴み続ける事。

 

 香ばしい匂いが周囲に漂い始める。生唾を飲み込んでる少女の姿に計画通り、と密かにほくそ笑む。逃さん、お前だけは。焼け上がった肉の串を差し出すと、呆けたように見上げてから、おずおずと受け取った。

 

 蛙の串焼きがよだれを垂らしていた少女の胃の腑に収まるまで、およそ2秒。

 少女は何故か愕然とおのれの手にした串を見つめている。

 ……消えた。などと驚愕の表情で呟いているが、君が食べたんやで?

 

 あらあら、まあまあ、などと言い出しそうな顔で微笑んでいる母の眼前、先刻まで可愛がっていた蛙ちゃんを怪しげな目つきでじっと見つめている少女。蛙ちゃんの先は長くないかも知れない。仕方ないので自分の蛙の足半分をくれてやると、今度はよく味わうようにしてチビチビと齧りだした。

 

 美味しかったぁ、と深々とため息をついたはいいが、食べ終わるや少女の胃の腑が凄い勢いで鳴り出した。本人もびっくりした様子で、おのれのお腹に手を当てて抑えてる。

 よほど腹が空いていたのか。栄養が足らず、病人に近い状態だったと見える。好きなだけ食べさせてやりたいとも思うが、一匹で体がびっくりしているのでは無理である。やはり時間を掛けて改善したほうが良さそうだ。

 

 庭に生えた樹の枝に、縄を使って袋を高く吊るし、蛙の半分を隠した。裏庭の隅に埋めた壺に水と若干の藻を入れ、掴まえてきた蛙の残りを解き放ってから、土をかぶせて隠すと、少女の手を引いて家を出る。

 

 し、死んじゃゆの?心配と不安からか、言葉を噛んでる少女を連れて道を歩く。少女の顔色は良くない。死なない、絶対に。と言い切る。俺が死なせない。

 

 でも、体が変。虫が入ってたかも。言い募る少女は涙ぐんでいる。

 淡水魚や豚を食べる文化であり、寄生虫の事は悪い虫として知られている。無論、蛙は入念に炙っておいた。

 無智な農民よ。と魂が憐れむような口調で偉そうにのたまった。わしらも農民なのだが。思念を返すと、取り敢えず少女の不安を鎮めるために隣家へと向かう。

 

 死にたくないよぅ、とべそをかいてる姿も可愛い。頭がおかしくなってる自覚はある。不安そうな少女をなだめようと、あの蛙は大丈夫だよ、試してみた。と言い聞かせる。

 

 

 

 隣の農家の庭に入ると、わたしに気づいた飼い犬が吠えだした。家の子供と年中、一緒に遊んでいる間柄なので、気軽に敷地に入っても互いに咎められる事はない。小さな農村のいい処である。

 試す?訝しげな少女に頷いた。

 あの犬に蛙を3匹やったけど、今の処はまるで異常がない。

 ちぎれんばかりの勢いで尻尾を振ってるわんこをじっと見つめてから、恐ろしいものでも見るような顔をして、わたしを見つめてきた。

 

 失敗したかしらん?口は災いの元。居心地の悪さを誤魔化す為にしゃがみこんで犬を撫でてると、気持ちよさそうに地面に転がって目を細めてきた。ここか?ここがええのんか?よだれを垂らして転げ回る犬畜生。動物にとって人間様の十本の器用な指で撫でられることは触手十本にマッサージされる気持ちよさだと誰かが言ってた。少女の方は恐る恐る、しかし、興味津々に犬を見つめている。「一緒に遊ぼう」声を掛けると頷いた。

 やはり子供は可愛い動物に弱かった。一瞬、不信感を抱きかけたようだが一緒に犬と遊ぶうちに忘れさったのか。鼻を犬に舐められて、きゃっきゃうと楽しげに笑い出している。

 

 余計な邪魔者。自称英雄エイリクな隣家の子が棒を背負って近づいてきたのはその時である。遺憾ながら一番遊んでいる幼馴染であった。

「お!なんか餌やったんか?ありがとな!」

「あ……うん」良心が咎めて少しだけ言葉を濁した。

 前々から、食べられるか微妙なところの野の食材をお宅のわんちゃんで試していました。ごめんなさい。ちなみにネギ類は上げてない。お陰で懐かれるし、なんだか凄い犬好きだと思われてる。とは言え、犬好きなのも本当である。

「しかし、犬好きだな!」

「まあね。飼いたいけど、余裕がなくてねぇ」

 これは本当である。わんこ一匹分のご飯を賄うのも大変なのだ。

 愚痴るように呟いてから、焼いた蛙の食べ残しを袋から取り出すと、遊び終わったわんこに向かって投げてやる。

 肉ぅ!?驚愕の叫びをあげた英雄殿が、肉を奪わんと己が飼い犬に飛びかかったのは次の瞬間の出来事であった。

 

 


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