“高貴なる蒼穹”、或いは“光輝なる真紅”   作:またたね

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猿も木から落ちる、或いは覚悟、力、虚実

 

 

 

「よーし終わり! クールダウンや!」

「は、はい……ありがとう、ございました」

 

 それから更に時は流れ、2月末。

 『チューリップ賞』まで約2週間を切り、タマモクロスとダイワスカーレットの練習も佳境を迎えていた。

 あれから彼女は、克樹の最悪の予想を裏切り、毎日練習へと参加し続けていた。練習もしっかりとこなし、『シンザン記念』よりも気合が入っているようにすら見える。しかしダイワスカーレットを見る克樹の目は鋭い。

 

「あ、あのタマ先輩……もう一本、もう一本だけ併走お願いします」

「はぁ!? 何言っとるんやオマエ! いくら何でも……」

「お願い、しますッ」

 

 彼とタマモクロスには、大きな懸念があった。

 

(気合が入ってるのはわかる。だが──空回ってる、何もかもが)

 

 事実、練習への打ち込み方と能力の上昇が、全く以って比例していない。有り余るポテンシャルを十全に発揮させ、見違えるような成長を見せ続けてきた彼女の面影は、一切ないと言っていい。そのことに彼女は焦っているのだ。

 

「──アタシはもう、負けられないんです」

 

 鬼気迫る表情で、彼女はタマモクロスに訴えかける。瞳は血走り、よく見れば目元に隈もある。

 寮のウマ娘達も言っていた。彼女が夜抜け出して、ひっそりと練習していると。夜、何かにうなされてあまり眠れていないようだと。

 

「……スカーレット、来い」

「ッ……何よ」

「今日は終わりだ。さっさとクールダウンしろ」

「はぁ!? 勝手に決めないでッ! アタシはまだっ」

「スカーレット!!」

「っ……」

 

 克樹が本気で怒っていることを感じさせられたスカーレットが、悔しさを滲ませながら閉口する。

 

「……ちったぁ頭冷えたか?」

「……ごめん、なさい」

「わかったなら良い。早く帰って飯食って寝ろ。以上」

「……」

 

 返事をする事なく、彼女はその場を去っていった。

 

 

 

 

「なぁ、本当にあれでええんか?」

 

 その後、克樹とタマモクロスは2人で彼ら行きつけのたこ焼き屋に来ていた。地元でも有名で大変美味なたこ焼きを目の前にしているはずの彼らの表情は暗い。

 

「……良いか良くないかって言われたら、そりゃ良くないだろうな」

「それなら……!」

「わかってるよ……! でも俺だって無理すんなって再三口煩く言ってる、それが“あの日”からずっと続いてるんだぞ!?」

 

 これ以上どうすりゃいいんだよ、という苦しげな呟きが、克樹の口から漏れた。

 “あの日”というのは勿論、『シンザン記念』翌日の部室での一件のことだ。あの日以降、彼女の異変は続いている。

 

「……悪い、お前に当たっちまって」

「気にせんでええ。まぁ、アンタの気持ちはわかる」

「……タマモクロス、お前から見てスカーレットはどう思う?」

「……せやなぁ」

 

 呟きながら、彼女はたこ焼きを一つ口へと運んだ。瞳を閉じてモグモグと咀嚼して飲み込んだ後、彼女は厳しい表情で口を開く。

 

「厳しい言い方をするなら、()()()()()()()やな」

「……やっぱそう思うよな」

「そら熱心に練習してるとは思うで。気合いも入っとる、ただアイツは今、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。受動的で、向上心のカケラもありゃせんわ。強迫観念に背を押されて、惰性で練習しとるって言うても違わん」

「そうなんだよな……アイツ、あれから一度も言わなくなったんだよ──“勝つ”って」

 

 “絶対勝つ”と、“絶対負けない”。

 前者は己の全てを掛けて、勝利を掴みに行くもの。

 後者は己の全てを掛けて、敗北を回避しに行くもの。

 どちらが前向きでどちらが後ろ向きか、火を見るよりも明らかである。

 以前の彼女は、後者を使う事はなかった。だが今はどうだ、後者しか使わなくなった。

心が前も上も向いていない、後ろを向いている何よりの証拠である。

 焦燥と憔悴から来る、負の循環。彼女は見事にそれに陥り、ずっと抜け出せずにいるのだ。

 

「……だから結局、俺から何も伝えられてない。あの時の敗北の理由も、きっと今のアイツの耳には入らないだろうから」

「……賢明な判断やろうな。今のスカーレットが聞いても逆効果やろう。アイツの本能は、今()()()()。あの日からどっかに忘れてきたまんまや」

「……情けないよ、本当に。アイツが苦しんでいるのに、俺は何もしてやれない」

 

 焦っている人に、『焦るなよ』と言って焦るのをやめることができるのか。答えは否である。この問題は彼女自身が解決しない限り、改善される事は決してないのだ。その事が、克樹にとって苦しいものだった。

 

「なぁ、トレーナー」

「……なんだ?」

 

 

 

「ウチが練習を降りる、って言うたらどうする?」

 

 

「な……!?」

「もしもの話や。ここまで来てアンタらを見捨てるような真似するワケないやろ。ただウチはこのまま続けても意味がないし、時間の無駄やとも思っとる。アンタはどう思う?」

 

 克樹は感じていた。自分は今、タマモクロスに試されていると。自分を納得させるだけの答えを出してみろと。それが出来なければ、彼女は本当に練習を降りてしまうだろう。口ではああ言ってくれているものの、タマモクロスも暇ではない。療養を終え、それでも自分とダイワスカーレットの為に時間を割いてくれているのだ。

 事実として、タマモクロスの言う事は正しい。今のままではタマモクロスの成長にも繋がらず、ダイワスカーレットの成長にもならない。何の生産性もない、正しく時間の無駄。

 それでも自分を納得させるだけの価値を示せ、と彼女は言外に示しているのだ。

 

「俺は、俺は──」

 

 そこから綴られた彼の思いを、タマモクロスは真剣な眼差しで聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 ──『チューリップ賞』。

 

 阪神レース場、芝1600m。天候曇、良バ場。

 

 遂に、その日が訪れた。

 ダイワスカーレットの、2度目の重賞レース。『ティアラ』を目指す彼女にとって、『桜花賞』の前哨戦(トライアル)となる重要な一戦。

 

「……」

 

 当の彼女は、控え室の椅子に座ったまま無言で目を見開いていた。

 

(集中は……してるな)

 

 あれから2週間、彼女が本調子を取り戻す事はなかった。オーバーワークこそやめたものの、それだけで精神状態が改善される程単純な話でもない。最悪の事態を避けられただけでも良しとすべきなのだろうか。

 

「ついに本番やな、スカーレット! 一発かましたれ!」

 

 そんな彼女の様子を見て、努めて明るく声を掛けたのはタマモクロス。彼女は結局、最後までダイワスカーレットの練習に付き合う道を選んだ。

 

「……ありがとうございます、タマ先輩」

「強張んのもわかるけど、せっかくのレースや、楽しんでこい」

「……一つ、聞いても良いですか?」

「なんや?」

 

 

「先輩なら、もしレースが自分の想定外の展開になった時、どうしますか?」

 

 

「……!」

 

 ダイワスカーレットの質問に、誰よりも驚いたのは克樹だった。奇しくもそれは、彼女の現状を改善するためのきっかけになるものだったから。

 

「んー……」

 

 質問を受けたタマモクロスは、暫し考える。そして如何にもあっけらかんと答えを返した。

 

 

 

「──いや、()()()()()やろ」

 

 

 

「え……?」

「そりゃレース前にいろいろ考えるけど、想定通りに行けばラッキーで、上手くいかんのが普通や。オマエには出来るかもしれんけど、ウチには無理や。やから、()()()()()って割り切る。それがウチにできることやろうな」

「……なるほど」

 

 タマモクロスの言葉を、彼女は真剣に聞いていた。

 

「……ありがとうございます。じゃあ、行ってきます」

「おう! 行ってこい!」

「あと、トレーナー」

「ん?」

 

 

「──行ってきます」

 

 

「…………あぁ、頑張れよ!」

 

 ぎこちない笑みを浮かべながら、彼女は本バ場へと向かっていった。

 

「結局、最後まで言わんかったな」

「そう、だな」

「アンタ愛されとるよ。自分自身だって苦しいやろうに、最後笑ってアンタを安心させようとしとった」

「……だと、良いんだがな」

「あーもう!! シャキッとせぇ!!」

「あぎゃっ!?」

 

 感情に浸る克樹の微笑みに飛んできたのは、渾身の張り手。それにどこか懐かしさを覚える。そういえばここ2ヶ月、アイツに叩かれてないな──と、そんなことを思ったのは一瞬。克樹は普通にキレた。

 

「え!? お前も!? お前も頬叩くタイプ!?」

「アンタが腑抜けてて、叩いて欲しそうに頬晒してたから思わず叩き込んでもーたわ」

「いや別に叩いて欲しくはねぇよ!!」

「その元気やろ、今必要なのは」

「っ……」

「トレーナー、逃げるな、見届けろ。一分一秒たりとも、これからのスカーレットから目を離すな」

 

 真剣な眼差しを向けるタマモクロスの威圧感に、克樹は押し黙った。

 

「……わかってる」

 

 そして彼は、観客席へと歩き出した。

 

 たとえ今からターフに立つのが、ダイワスカーレットではなく彼女の“抜け殻”だとしても。

 

 それがこれからの彼女に必要なことであると信じて。

 

 

 

 

「……」

 

 パドックでアップをこなすダイワスカーレット。その表情は暗い。

 

(体が重い。全身に重りをつけて走ってる感じ……何これ、アタシの体じゃないみたい)

 

 全身を蝕む倦怠感。彼女は約2ヶ月それに悩まされてきたワケだが、本番を迎えたこの期に及んで、それが改善される事はなかった。

 

(それでも、アタシは──)

 

 

「よー、スカーレット」

 

 

 そんな彼女に声を掛けてきたのは。

 

「っ…! ウオッカ」

「どうしたんだよ、そんな辛気臭い顔して。折角のレースだ、楽しんで行こうぜ?」

 

 ウオッカは内心の興奮と高揚を抑える事なく、楽しげに笑っている。そんな彼女の様子を見て、ダイワスカーレットは溜息をついた。

 

「気楽で良いわね。アタシはアンタみたいに頭空っぽじゃないのよ」

「なんだと!?」

「……そういえばアンタ、戦績は?」

「あ? 4戦3勝だけど」

「……!」

「なんだよ、なんか文句でもあんのか?」

 

 ウオッカの戦績を聞いたダイワスカーレットは、瞠目する。不審に思ったウオッカの問いかけも、今の彼女には聞こえていない。

 彼女は暫く考え込み、意を決して口を開く。

 

「……ねぇ、アンタさ」

「なんだ?」

「………………いや、何でもない。良い勝負にしましょ」

「あ、おいスカーレット!!」

 

 しかし彼女は結局何も問う事なく、ウオッカの前を後にした。

 

 

 

 

 ──アンタは、どうやって敗北から立ち直ったの?

 

 

 

 

 一瞬でも頭を過った疑問を、振り払う。

 それではまるで、自分が敗北の記憶に取り憑かれているみたいではないか、と。

 

 その“事実”を彼女が理解する事は、遂に無かった。

 

(アタシは──もう二度と負けない)

 

 見せかけの覚悟、鍍金の力。その全ては彼女が“何もない(抜け殻の)”心を慰めるための虚実。

 

 

 その事実を彼女が少しでも受け入れていたのなら。

 

 

 このレースの結果は、変わっていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 そして始まった『チューリップ賞』。

 ダイワスカーレットは現在3位に、ライバルのウオッカは8位に付けている。

 

「……良いとこに付けとる、って言いたいところやが……」

 

 その様子を観客席から見ていたタマモクロスは、目を細めて言葉を漏らす。それに克樹も強く頷いた。

 

「あぁ、力みすぎだ。フォームは乱れてないけど要らん力が入ってるせいでペースコントロールがめちゃくちゃだ。順位こそ事前のプランから外れてるわけじゃないが、あんな走り続けてスタミナが保つ訳がない。自分でガソリンばら撒きながら走り続けてるようなモンだ」

「ラストスパートに支障が出る、どころかそれまで勝負が続くかも危ういで」

「落ち着け……落ち着け、スカーレット……!」

 

 歯を食いしばりながら、克樹は祈る。

 

 

 

(ハァ……ハァ───っ)

 

 

 中盤を終え、終盤に差し掛かる頃。

 克樹とタマモクロスの懸念通り、彼女はスタミナ切れ間近に陥っていた。

 

(苦し、い……なんでっ、別に飛ばしてるわけじゃないのに……!)

 

 足が鉛のように重い。両腕は何かにしがみつかれているかのよう。

 

(落ち着け──大丈夫、順位は悪くない、むしろ計算通り、最後に捲り返せば採算は取れる)

 

 少しでも体力を掻き集めようと、彼女は深呼吸を重ねる。しかし気道が何かに締め付けられているように息が入っている感覚がない。焦りと苛立ちだけが、彼女の心に募っていく。

 

 そして迎えた最終コーナー。普段より狭まった視野が、それでも“ライバル”の姿を捉えていた。

 

(ッ!! 来た──!!)

 

 ウオッカがペースを上げて前方へと一気に躍り出てくる。徐々に彼女との距離が縮まっていく。

 

(ここだ、アタシもここでスパートを掛けて、一気に引き離すッ!!)

 

 事前のレースプランでは、そうだった。

 しかし体は最善とは程遠く、客観的に見て彼女は息も絶え絶えでスパートが可能な状態ではない。しかし彼女は──タマモクロスのアドバイスも虚しく、それに()()

 

(ここで行かなきゃ、いつ行くってのよ……! 動け、動けアタシの脚ッ!! その為のこれまででしょ!?)

 

 拘泥、固執、視野狭窄。普段の余裕の掻き消えた醜い走りに縋る彼女は、それでも現状出せる全ての力を込めて、強く踏み込んだ。

 

「うッ、ああああああ゛ぁぁぁぁァァァァァ!!!」

 

 絶叫と共に、彼女のスパートが始まる。

 残りの体力からは信じられないほどスピードが上がる。

 

 

 

 

 

 

 ──それだけだった。

 

 

 

 

 

(どうして──縮まらないの……!?)

 

 

 

 ウオッカとの差は縮まる事なく、広がるばかり。

 現実的に考えて、速度が上がった事すら脅威なのだ。それ自体が収穫であり、彼女の地力が上がったことの何よりの証明。しかし現状の彼女がそれに気づく事は無かった。

 

 彼女に湧き上がった感情は、勝利への閃きでも、自分の前を走る相手への怒りでも、ましてや本能的な飢えでも渇望でもない。

 

 

(負けたく、ない───っ)

 

 

 ──敗北への恐怖。それだけだった。

 

 

 

(負けたくない、負けたくない負けたくない、負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくないやだ負けたくないやだいやだ負けたくないやだ負けたくないやだいやだいやだ負けたくない負けたくないいやだいやだいやだイヤダいヤダイやだイヤダいやダいヤだイヤダイヤだいやだ!!!!)

 

 

「うわああぁぁぁぁァァァァァァァッ!!!」

 

 

 それは最早、悲鳴だった。

 

 背後に擦り寄る敗北から逃げる為の、醜い決死の逃走だった。

 

 しかしそれでは届かない。

 

 勝利を目指して走る者には、触れられない。

 

 勝利に手を伸ばそうとしない者に、女神は微笑まない。

 

 故にその結果は、必然だった。

 

 

「──ぁ」

 

 

 自分の眼前で、ライバルが笑っている。

 喝采と歓声が、勝者を称えてレース場を揺らしている。

 

 

 自分の着順よりも、真っ先にそれを理解したのは。

 

 

 走る前から心のどこかで、こうなるのがわかってしまっていたから。

 

 

「……………」

 

 

 息が荒れている。酸欠で視界が揺らぐ。地に足がついていないような浮遊感。それら一切を外に出す事なく、彼女は勝者を見据えて直立していた。

 その様子に気づいたウオッカが、スカーレットを指差しながら叫んだ。

 

「見たかスカーレット! 俺の勝ちだ!!」

 

 その様子が余りにも眩しくて、彼女は瞳を逸らそうとした。しかし何故だか、それができなかった。

 

「……? スカーレット?」

 

 その様子を不審に思ったウオッカが、怪訝な表情で彼女に問いかける。暫く固まっていた彼女は小さく微笑むと、好敵手の肩へと優しく手を乗せながら、呟いた。

 

 

 

「──おめでと。アタシの負けよ」

 

 

「え、あぁ、おう……」

「それじゃーね」

 

 そしてそのまま、彼女はターフの上から去っていった。

 ウオッカと、その様子を上から見ていた克樹に、言葉にできない不安を残して。

 

 

 

 

 

 

      【ダイワスカーレット:4戦2勝】

 

       『チューリップ賞』──2着

 

 

 

 

 

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