最初の動画は、ダイワスカーレットの直近のレース、『オークス』だった。
彼女が先頭集団を抜け出してトップへと躍り出た場面を見て、トウカイテイオーは瞳を輝かせながら歓声を上げた。
「わぁ、すごいスパート! スカーレットってここ一年でスッゴく末脚速くなったよね」
「フフン。まぁね」
「確かに先頭は完全に息切れしてるし、その後ろの2人は仕掛けるタイミングを見失ってるみたいだ。それにスパートかける寸前、スカーレットの目の前の相手が左に開いたよね。そこの隙間を縫って飛び出してたけど……まさかわかってたの?」
「……!」
トウカイテイオーの冷静な分析に、ダイワスカーレットは瞠目した。言ってしまえば怒られるだろうが、まさかテイオーがここまでの観察眼を持っているとは思いもしなかったからだ。
「……そうね。信じて貰えないかもしれないけど、アタシ、
「へぇ〜、そうなんだ! スゴイよスカーレット! それ自体もだけど、観えたからって有利になるわけじゃない。その情報を捌いて武器に出来るのは、スカーレットがそれを処理できる能力を持ってるからだよね! それって誰にでもできることじゃないよ!」
「……あ、ありが、とう」
トウカイテイオーの褒め殺しに、彼女は赤面する。
「上から眺める、かぁ……ボクには多分それを受け入れるだけで精一杯だなぁ。精々後ろが差しにくいようなポジションを取るくらいかなー。うん、やっぱスゴイよスカーレットは!」
「も、もういいから! ほらトレーナー、次の映像出しなさい!」
「……ん、おう。じゃあ次はテイオーの『日本ダービー』だ」
「うん……? どうしたのボーッとして」
「悪い悪い。ほら、始まるぞ」
どこか呆けた返事をする克樹に、ダイワスカーレットは疑念を抱いた。しかしそれを追求する暇もなく『日本ダービー』の再生が始まり、彼女は意識をそちらに移した。
レースは終盤、トウカイテイオーがスパートを掛けた場面を映している。
「出たわね……“テイオーステップ”」
「ボクとしてはそうやって一括りにされてるのは心外なんだけどね〜」
──“テイオーステップ”。
トウカイテイオーの代名詞であり、必殺技。彼女が使いこなす3つのステップ走法を統括して、それを世間が呼称しているものだ。
1つ目が、【
2つ目が、【
そして3つ目が──最大の武器、【イナズマステップ】。
彼女が終盤で相手を差す場合に用いる、
これら3種類のステップを総称して、世間は“テイオーステップ”と呼んでいる。その卓越した走法は、彼女を勝利へと導く、彼女だけが持つ武器だ。
「“テイオーステップ”……そう呼ぶだけなら簡単だけど、誰にだって出来ることじゃないわ。特に【軽やかステップ】と【イナズマステップ】。前者は普通のウマ娘がやったって速度の維持なんてできない。力を入れずして速度を出すなんて、矛盾もいい所だわ。あれのミソは
「……へぇ、よく見てるね」
「そして後者。普通のウマ娘は自分の横軸を動かす時、前進しながら少しずつ横へ……つまり、緩やかに斜めに移動する形になる。でもテイオー、アンタのステップは違う。
「……スカーレット、ボクのこと研究でもしてた?」
「いいえ。今レースを見て考えた分析よ」
「こっわー……」
「褒め言葉として受け取っておくわね」
的確な分析を述べるダイワスカーレットを見て、トウカイテイオーは引き笑いを浮かべる。そんな彼女の様子を見て、ダイワスカーレットは微笑んだ。
「で、これがアタシの答えよテイオー。アンタの最強の武器は“テイオーステップ”そのものじゃなくて──それを可能にする、
「……スゴイ、スゴイよスカーレット! ボクのこと、トレーナーみたいにわかってる!」
彼女が出した解答に、トウカイテイオーは我が意を得たとばかりに嬉々として喜んだ。
(成る程……これは確かに、勉強になる)
そんな彼女の様子を見ながら、ダイワスカーレットは内心で感嘆する。
自分以外の走り方を、これ程まで深く分析したことはなかった。それは自分の思考回路を鍛え、分析能力を向上させることに繋がり、自分の知識をより広げることができる。知識を広げれば、レースプランの構築に幅を作ることができ──自身の勝利へと繋がる。
「よし、トレーナー! 次いきましょ!」
意気揚々と、振り返って克樹に呼びかけるダイワスカーレット。しかしそこに居たのは。
「………………」
「トレーナー?」
「────すぅ……」
「えぇ……」
屍と化して机に突っ伏した、克樹の姿だった。
「寝てるって……えぇ……?」
「あはは、さっきからぼーっとしてたもんね」
「信じらんない。どういう神経してるのよ練習中に……ったく」
ダイワスカーレットは立ち上がり、克樹を起こさんと机へと詰め寄る。
「ほらトレーナー! 起き──」
その肩に手をかけようとして、気付く。
(居眠り、なんてもんじゃない。口開けて熟睡──そしてよく見たら、隈もある)
見れば見るほど気付く──過労の跡。
それに彼女は動揺してしまう。
そんなダイワスカーレットの姿を見たトウカイテイオーは、彼女に呼び掛けた。
「カツキ、最近あんまり寝てないって言ってたよ?」
「えっ……」
「練習メニューとか分析とか、あとはスカーレットのトレーナーとしてのインタビューが回ってきたりしてるんだって。あとご飯もあんまり食べてないみたい。時短で冷食とかインスタントでパパッと済ませちゃってるって言ってた」
「そう、なのね……」
彼女はもう一度、寝息を立てる克樹を見た。
(アタシの為に色々してくれてるのは知ってたけど……そんなに無理してたんだ)
「──まだ若いのに、無理なんてしちゃって」
「え? 若い?? コイツが???」
「え! スカーレット知らないの!?」
彼女は驚く。『トレーナー』とは言うまでもなく
しかし事実を知っているらしいトウカイテイオーは、彼女の言葉に心底驚いていた。そしてその事実を、彼女に告げる。
「──カツキはアメリカのトレーナー養成の三年制大学に飛び級で入学して、そっちでライセンスを取ったエリートだよ? そしてまだトレーナー歴は4年で、確か今年22歳になったばっかのはずだけど」
「アメリカ、飛び級、エリート……4年、22歳……??」
想像だにしない事実のオンパレードに、ダイワスカーレットの聡明な頭脳は軽くバグった。
(え……じゃあアタシと出会ったときは、
「……それ、冗談なら笑えないわよ?」
「本当だよ! だってこれカツキ本人から聞いた話だもん」
「……やっば、頭痛くなって来た」
膝に肘を置き、彼女は頭を抱えた。その様子を見て、トウカイテイオーは再び苦笑いを浮かべる。
「まぁ気持ちはわかるよ、カツキ中々男前だし、かなり年上に見えるよね」
「いや、余りにもギャップがあり過ぎてなんか……」
「……スカーレット、カツキの事
「38くらい」
「カツキが泣くよ!?」
「流石に冗談よ。ただ20代後半だとは思ってたわ」
「あー……それならまぁ」
トウカイテイオーを聞きつつ、彼女は三度克樹を見た。そしてそのまま、そっと目を伏せる。
「…………」
「ん……どうしたの? スカーレット」
「いや……アタシ、ってさ」
呟いた声は、自嘲が多分に含まれていた。
そして乾いた笑みを貼り付けたまま、彼女は続ける。
「アタシ、トレーナーのことなーんにも知らないんだな、って」
「……これから知っていけばいいじゃん」
「今更照れ臭いのよ、なんか。アタシが前にキョーミないって言っちゃった手前、蒸し返すのもなんか悪くて」
「そうなんだ……」
自嘲的な笑みを浮かべるダイワスカーレットの姿を見て、トウカイテイオーは困ったように笑う。
── 『……なぁ、スカーレット』
『何?』
『俺、さ……昔──』
『良いわよ、話さなくて』
『えっ……』
『全くキョーミないし。どうでも良いわ、アンタの辛気臭い昔話なんて。気になった時に適当にアタシから聞くわよ。だから今は……何も言わなくて良い』
『そう、か』──
彼が何か抱えているのは、わかっていた。
それで苦しんでいることも、わかっていた。
しかし彼女は、それを掘り返させる事をしなかった。過ぎ去った過去を自分が知ったところで、何かしてあげられるとは思えなかったから。
だが今は違う。
──知りたい。彼のことを、より深く。
今の自分なら、彼の心に寄り添ってあげられると思うから。
「……」
彼女はそっと、視線を移す。机に力尽きたように突っ伏し、小さな寝息を立てる克樹へ。
「……なんか、してあげたい」
「え?」
「アタシのために、これだけ頑張ってくれてるんだもの。何か返してあげないと、イーブンにならないじゃない」
「……あはは! 素直じゃないなぁ本当に。ま、スカーレットらしいと思うけどね」
「どういう意味よ」
「なんにもなーい! えへへ!」
悪びれもせず笑うトウカイテイオーを、彼女は睨みつける。そして、小さく呟いた。
「──アタシにも背負わせなさいよ、バカ」
──誓ったじゃない。2人で支え合っていくって。
負けとか苦しみも、2人で背負っていくって。
アタシを置いて、そんなになるまで1人で抱え込んでんじゃないわよ。
「……スカーレット、なんで怒ってるの?」
「コイツが1人で勝手に苦しんでるからよ。アタシと2人で支え合っていくって約束したのに、それを破ってるから腹立たしいったらありゃしないわ」
「……普通、さ」
「え?」
「いや、説明したのボクだからこんなこと言うのもアレだけど。こういう時に感じるのって、“申し訳なさ”とかじゃない?」
「……ま、まぁそう……かも、ね」
「真っ先に怒ってたから、ちょっとビックリしたよ。スカーレット、カツキとそんなに
「は……はァッ!? アイツと、アタシが!?」
「っていうかそんなに仲良くて、“支え合う”とか約束してるんだよね!? それってさあ、なんか──」
──夫婦みt
そこから先の言葉は、強烈な破裂音と、トウカイテイオーの悲鳴に掻き消された。