「いらっしゃい。貴女がスカーレットさんね。克樹の母です、どうぞよろしくお願いします」
「は、はい。ダイワスカーレットです。今日からよろしくお願いします……」
克樹の家に到着すると、出迎えてくれたのは克樹の母と名乗る女性だった。ダイワスカーレットは彼女の挨拶に対して、困惑と共に言葉を返し──鋭く克樹を睨みつけた。
──
克樹の母と名乗る女性の頭頂部には──耳がある。更に尻尾も生えている。
──そう。誰がどう見ても、
克樹はそんな彼女の疑問に答えることなく、母親へと声をかけた。
「ただいま、お袋」
「お帰り、克樹。急に連絡してきてびっくりしたじゃない」
「まぁ良いだろ? それよりスカーレットの部屋開けてある? 荷物置いたら即練習に行くから案内してやって欲しいんだけど」
「もう……変わらないわね、克樹は。ええ勿論開けてあるわよ」
「ありがとう。じゃあスカーレット、お袋に家ン中の説明して貰った後、準備して来い。俺は外で待ってるから」
「え、ええわかったわ」
「即、とか言ったけど少しはゆっくりして良いからな。長時間の移動で疲れてるだろうし。じゃ」
それだけ残して、克樹は家の外へと向かった。そんな彼の様子を見て、克樹の母は苦笑を浮かべた。
「相変わらず言うだけ言って勝手なんだから。スカーレットさん、ごめんなさいね。克樹がいつも迷惑かけてるでしょ?」
「い、いえ、そんな! とてもお世話になってます」
「うふふ、謙遜が上手ね。さぁ上がって上がって。広くはないけど、最大限のおもてなしができるように頑張るから」
「あ、ありがとうございます! お邪魔しまーす……」
克樹の母に促されるまま、彼女は家に上がった。その頭の片隅で、克樹への不信感を募らせながら。
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「ここが貴女に使ってもらう部屋よ」
「わ、すごい……!」
彼女が案内されたのは、階段を上ってすぐにある十畳程の和室だった。入ってすぐ目につくのは、正面の床の間に置かれた大きな花瓶で、白い花が生けられてある。中央と左側に敷居があり、それぞれ襖で仕切ることが可能になっている。左側の敷居からは格式のある細い木の床が顔を覗かせ、そこにある窓からは海が見える。
その整った形式美の中で異質なのは、洋風の勉強机だった。机上はしっかり整理されており、長らく使われていない感じがする。そこまで観察し終えて、ダイワスカーレットはある疑問を抱いた。
「……ここ、もしかして誰かの部屋なんじゃないですか?」
「そう、ここは
「え……娘……?」
つまりそれは、
しかし彼女は視界に捉えてしまっていた──机上のケースの中にある大事そうに磨かれた蹄鉄を。つまり克樹の妹もしくは姉も、やはりウマ娘ということになる。彼女はますます疑問を深めた。
「……私が使ってしまっても良いんでしょうか?」
「大丈夫よ。もう暫く帰ってきてないし、連絡も寄越して来てないから。綺麗にはしてあるから、好きに使って頂戴な」
「は、はい……それなら。有難く使わせて頂きます。あの、それと……」
「ん? どうしたの?」
「……いえ、なんでもありません。案内ありがとうございます」
「良いのよ別に。それじゃ私はこれで」
見惚れるような微笑みを残して、克樹の母は去っていった。残されたダイワスカーレットは、足元に荷物を置き、もう一度部屋を眺める。
「……娘、か」
彼女がここまで怪訝に思う理由はそこにある。通常、
そうでないのならば、何かしらの理由があるのだ。例えばそう、克樹は──
(──いや、穿ち過ぎよアタシ。流石に勝手な想像を働かせすぎ)
それは余りにも彼に対しても失礼だ。彼女は自分の過ぎた思考を反省した。
ともかく、彼の過去に関する謎が、また一つ増えた。
この部屋の本当の主は、何処の誰で、どんな人なのか。
(──やっぱりアタシ、アイツのことなーんも知らない)
そして思考は、自虐へとすり替わる。自分の心が、触れて来なかった、知ろうとして来なかった自分の姿勢を貶していく。
──ビジネスパートナー。
世間から見たウマ娘とトレーナーの、一般認識を言葉にするなら、この言葉が相応しいだろう。
事実、それは間違ってはいないのだ。ウマ娘を勝たせる為に努力するトレーナーと、自身に尽くしてくれるトレーナーに報いる為に走るウマ娘。言い切って仕舞えば、利害の一致。そこが本質であることに、ダイワスカーレットにも異論はない。
だが、それだけでは無いのだ。
それだけが、ウマ娘とトレーナーを結びつけるものでは無いと、彼女は断言できる。
彼と彼女を最も強く結び付けているモノ──それは即ち、
だが彼女は、苦楽を共にした克樹との月日の中で、松田克樹という1人の人間の全てを信頼するようになった。それ故に発芽したのだ──彼のことを、より深く知りたいという思いが。
「はぁぁぁ……──」
大きな溜息を吐きながら、彼女は畳へと倒れ込んだ。嗅ぎ慣れない井草の香りは、不思議と彼女の心を落ち着かせていく。
(……聞けば、答えてくれるのかしら)
先日トウカイテイオーにも零していた、彼女の心を縛る後ろめたさ。
それは未だに、彼の彼女の間に一枚の壁を築き上げてしまっている。
(……行かなくちゃ、アイツが待ってる)
気が付けば、到着してからかなりの時間が経っている。彼女はゆっくりと起き上がり、練習の為の準備を始めた。
▼
「お、もう来たのか。少しは休めたか?」
着替えを終えたダイワスカーレットが外へ出ると、準備を済ませていた克樹が出迎えた。
「ええ、ちょっとだけゆっくりさせて貰ったわ。ありがとね」
「そんなに広くないけど、1ヶ月暮らす場所だから多少は慣れてくれ。精一杯おもてなしするつもりだからさ」
「……ふふっ」
克樹の言葉を聞いていた彼女は、堪えきれなかったように吹き出した。
「ん? なんかおかしなこと言ったか?」
「ううん。アンタのお母さんも同じこと言ってたわよ? 流石親子って感じ……あ」
彼女は、自分の失言にすぐ気づいた。
彼女の言葉を聞いていた克樹が──困ったように笑っていたから。
「……流石に今のは狙って言っただろ、お前」
困り笑顔のまま、彼は言う。
「……んなわけないでしょ、何の話よ」
「じゃあバカだなお前、自分から墓穴掘りやがって」
「だから、何が……!」
「
「っ……」
「ちゃんと話すよ、折を見て。ただ今は練習に集中してくれ。完全に俺のワガママだけど……いいか?」
「……わかった。アンタの方こそ散漫な真似したらタダじゃ置かないんだからね!」
彼女は指を克樹に突き出しながら、不敵に笑った。その様子を見た克樹もまた、安堵したように笑う。
(……そう、アタシは別に探偵ごっこをしに此処に来たわけじゃない──アタシは、強くなる為に此処に居る。それだけは、変わらない)
彼女は本質を見失ってはいなかった。
瞳から弾けた稲妻は、彼女の心の中の葛藤や迷いを根刮ぎ焼き払っていった。
するとその時、突如現れた大型トラックが家の目の前に停車した。
「松田さーん!お届け物でーす!」
「あ、ありがとうございます! すいませーんお手数なんですけど、ココじゃなくて向かいの砂浜に置いてもらって良いですか?」
「了解でーす!」
ドライバーとのやり取りを終えた克樹は、笑いながら腕を組んだ。
「来たぜ来たぜ……!」
「何あれ、宅配便? にしては随分大きなトラックだけど」
「あぁ──今回の合宿で使う、とびきりの特注品を届けて貰った」
「特注、品……?」
克樹の言葉に、彼女の胸は高鳴る。
いかにも興味津々といった様子の彼女に、克樹は笑顔で声を掛けた。
「さぁスカーレット、俺からのプレゼントだ。受け取れ」
「何、新しい練習器具!? ワクワクするわね……!」
彼女は嬉々として大型トラックの荷台から下ろされるそれを見た。
そしてその表情は、みるみるうちに引き攣っていった。
「…………ねぇ、あれってまさか……」
「いや、タイヤだけど」
「だと思った! ええそうだと思ったわよ!! なんと無くそんな気がしてたわよぉッ!!」
「え、なんで怒ってんだよ。タイヤだぞ? 喜べよ」
「タイヤで喜ぶのは全世界探してもアンタだけよバーーーカ!!!」
怒り散らかしている彼女の姿を見て、克樹は理由がわからずにあたふたしている。
「どうして……タイヤ、嬉しくなかったか?」
「うるさいこのタイヤ中毒者ぁ!!」
「いや、そんな急に褒められても……困る」
「貶してんのよニヤニヤするな!!」
頬を染めて恥ずかしそうに自分の頭を撫でながら笑う克樹に、彼女の怒りはますます加速していく。
「まぁ冗談はさておいて。お前、いつも通りの練習だと思ってるだろ」
「は……? 違うっていうの?」
「やる事は変わらないかもしれないな。だがいつもと同じ感覚でやろうとしてるなら……かなり痛い目みることになるぜ?」
「……?」
要領を得ない克樹の問答に、彼女は首を傾げた。
「さ、練習開始だ。さっさと準備しな」
「ちょ……! 待ちなさいよ!」
浜辺へと歩き出した克樹の背を追って、彼女もまた走り出した。