“高貴なる蒼穹”、或いは“光輝なる真紅”   作:またたね

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飢えた爪痕、或いは触れた傷痕

 

 

「ぐっぎぬぬぬぬぬぬぁぁぁっ!!」

「オラ気合い入れろー! 全然進んでねぇぞ!」

「るッさいわねええぇぇェェェッ!!」

 

 開始された練習。それは一見学園でやっているのと何ら変わらない。しかし現在、ダイワスカーレットは苦戦を強いられていた。見ればタイヤは時間から考えると普段の半分も進んでいない。

 

「行け行けぇ! 頑張ったら夕飯は俺のお袋の作ったカレーだぞ!」

「しょッぼいィッ!! 頑張りに対しての見返りが致命的にショボすぎんのよォッ!!」

「お袋のカレーをバカにすンじゃねぇッッ!!!」

「やっばなんかクリティカル入ったァ!?」

 

 克樹に母親に関する話題は今後絶対に振らないでおこう、色んな意味で。頭の片隅でそう思いながら彼女は現在のタイヤ引きへと思考を巡らせる。

 

(にしてもこれ、きっつ──! 普段学園でやってるのとは別次元だわ! タイヤの重さは変わらないはずなのにどうして……そうか、()()──!?)

 

 鍛われた彼女の観察眼は、練習の要となる部分を正確に見抜いていた。

 

(海の砂は、地面と違って()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! だから出鱈目に力強く踏み込んだって無意味……なるほど、見えてきたわよ……!)

 

 彼女の武器、力強い踏み込みも砂浜の前では威力大幅減。では、どうすればいいのか。

 

(──低く。普段意識してるよりも、もっと低くて良い)

 

 彼女は腰を落とし、重心を下げた。そしてそのまま前のめりに、腹部の紐に体重を預けながら前傾姿勢を取る。

 

(引っ張って歩くんじゃない──()()()()()()()()()ッ!)

 

「うッ、おおおおおおォォォォァァァァァ!!」

 渾身の裂哮が砂浜に轟く。

 すると先程まで苦戦していたのが嘘のように、彼女な身体は前進を始めた。

 

 

 彼女の言う押す、とはタイヤの事ではない。自分自身のことだ。

 何度も言うが劣悪な砂場の上では通常の走り方では無意味。故に、タイヤを引くのではなく、自分の体を押し出す。

 踏み込んだ後、全身を倒れる寸前まで投げ出し、前に飛び出すイメージ。少しでもベクトルが斜めに向けば、このタイヤは動かない。

 このタイヤ引き練習で克樹が自分に学ばせたいこと。それに彼女は気付きつつあった。

 

 

(──()()()()()()。これがこの練習の答え……そうでしょ!?)

 

 

 

 

 

 

(もう気付きやがった──流石だな)

 

 重心を落とし、先程とは比べ物にならない速度で前進を始めたダイワスカーレットの様子を見て、克樹は内心で称賛を送った。

 

(……一年以上の鍛錬で、スカーレットの足腰は最初期とは比べ物にならないほど成長してる。自分の速度に振り回されることもなく、力強い踏み込みで脚を壊すこともない。土台が漸く形になった、と言っていい。だからこそ次にアイツが伸ばすべきは、“最高速度(トップスピード)”。ここからはタマモクロスから教わった末脚に、更に磨きをかける)

 

 彼はこれからの彼女に必要となる要素について、しっかりと見当を付けていた。

 

(最高速度を上げるには、方法が幾つかある。一つは地道なトレーニング。確かに地味で爆発的な伸びこそないが、実際これ以上の近道もないのも事実。だが、裏道はある──、それが()()()()()()

 

 走り方。それは多種多様、千差万別。個人それぞれが自分だけの走り方をもち、それを磨き上げていく。一度磨いたそれを変えるということは、輝きを放つ宝石を一度木っ端微塵に砕き、一から原石を探し直してもう一度研磨するのと同義。故にその行為には大きなリスクが伴う。

 しかしそれでも、彼はそれに伴うリターンを取った。そこには、明確な理由が存在する。

 

(タマモクロスの指導で、アイツの末脚は格段に伸びた。だがそれは彼女の末脚とは似て非なる全くの別物。あれはスカーレットが自分に合わせて再構築した、贋作(コピー)じゃなくて真作(オリジナル)。だから今までの走り方じゃなくて、それを最大限に活かす走り方に変えることでアイツの末脚はさらに輝く。そしてそこに()()()()()を足してやることで、アイツの最高速度は格段に伸びるはずだ。そう、それは即ち──)

 

 

 

 ──()()

 

 

 

(──重力で前に倒れる力を踏み込みに足してやることで、膂力を底上げする。砂浜でのタイヤ引きは、それを掴むのに絶好の機会だ。一見無理に思える走法だが……俺とアイツは、それを可能にした“ばけもの”を、身を以て知っている)

 

 今年の冬、克樹は『シンザン記念』でオグリキャップの走りを見たときから、この走法の着想を得ていた。彼女は先天的な身体技能によって無理矢理前傾姿勢をキープして加速をしていたが、それはトウカイテイオーの“テイオーステップ”と同じく、下手に真似をすれば足を破壊しかねない諸刃の走法。

 だがこれもタマモクロスの末脚と同じ。核となるエッセンスだけを抽出し、別の要素で補ってやればいい。

 

(アイツみたいに60度とまではいかなくても良い。スカーレットがやれる範囲でその角度に近づければ、あとはそれ以外の要素でどうとでも補える。そうしてできたものはやはり贋作じゃなくて──スカーレットだけの、真作となり、またとない武器になる)

 

「わわっ!?」

 

 叫び声に反応してみれば、ダイワスカーレットが無様に顔を砂に減り込ませていた。

 

(……ま、最初はそうだろう。自分が倒れない限界を見極めつつ、脚を抜くタイミングを探す。更に踏み込みは今まで通りの力なのにベクトルは今までと変わっている。それによって歩幅は前とは比べ物にならないほど大きくなっている。今お前の頭の中は、グチャグチャな筈だ)

 

 新しいものを掴もうとする時枷となるのは、それに対する不慣れは勿論──()()()()()()()()()()()()()()()()。染み付いた感覚や癖は、そう簡単には消えてくれない。身体の髄まで深く根付いたそれを抜きながら、新たな感覚を染み込ませる。それは決して簡単なことではなく、大きな苦難が伴う。

 

(けどお前は──負けないだろ?)

 

 不敵に笑いながら、彼はダイワスカーレットを見つめる。

 

 彼女は砂塗れの顔で、瞳から稲妻を撒き散らし──牙を煌めかせながら嗤っていた。

 

(最初は失敗ばかりだろう。けど、それでいいんだ。失敗の理由から目を逸らさず、要因を噛み砕いて、タイヤを引くみたいに一歩ずつ進んでいけばいい。()()()()()()()。そこならどれだけ倒れようが怪我のリスクも無く、お前を優しく受け止めてくれる。だから何度でも這いつくばって、何度でも立ち上がれ。そうやって、お前は少しずつ強くなっていける)

 

 相棒に必要な要素を吟味し、それに対して最早狂気的と言えるほど効率的な練習プランを構築する。

 

 松田克樹というトレーナーの才能が遺憾なく発揮されている瞬間だった。

 

 

 

 

「……トレーナー」

「お、来たか。待ってたぜ」

 

 その日の夜。夕食と入浴を終えたダイワスカーレットは、克樹の部屋に呼び出しを受けていた。

 

「……」

「なんだよ、人の部屋ジロジロ見回して」

「いや……なんか、トレーナーの部屋だなって感じ」

「意味わかんねぇよ」

 

 克樹の部屋にあるのは、あくまで生活に必要な家具。しかし中がぎっしり詰まった本棚が、部屋の二辺を隙間なく埋め尽くしている。それは漫画や小説といった嗜好品の類ではなく、その全てが理論書やトレーニング書などの、ウマ娘のレースに関するバイブル。松田克樹というトレーナーの腕を支えているのは、常人を遥かに凌ぐ知識量。彼女はその源泉が此処にあることを理解した。

 よく見れば、練習開始当初の『勉強』で自分が読んだことある本の背表紙が幾つか見える。あれは克樹が此処から学園へ送って貰った私物なのだろうと察した。

 

「まぁ座れよ」

「椅子アンタの分しか無いじゃない」

「座布団があるだろ、椅子にしか座れねぇのかよお嬢様」

「強いってなんですかぁ!!」

「イッポマクノウチッ!!」

 

 無防備な克樹の脇腹に突き刺さったのは、ダイワスカーレット渾身の肝臓打ち(リバーブロー)。重心を落とし、下半身の回転を連動させて放たれる、重く鋭い一撃だった。モロに食らった克樹は悶絶し、無様な呼吸を晒しながら酸素を求めて喘ぐ。

 

「か、はっ……おま、え、冗談にも程があるぞ」

「それこそ冗談。アタシはいつだって全身全霊よ」

「にしてもお前、素人の動きじゃねえぞ今の。“トゥインクルシリーズ”じゃなくてWBCで最強(いちばん)獲ってこいよ、ライト級くらいで」

「第二の人生の参考にしておくわ」

 

 フフンと鼻を鳴らしながら、彼女は恍惚な笑みを浮かべた。やっぱ人を見下してる時が一番生き生きしてるよなぁと克樹は思った。口にしたら今度こそ脇腹が抉れそうなので絶対に言わないが、心の底からそう思った。

 

「……で、何の用? 明日の練習の話?」

「いやお前が椅子に座るんかい」

「良いじゃないの、細かいことは。ほら、早く質問に答えて」

「ったく……」

 

 彼女は椅子に座りながら、克樹へと問いかけた。その様子を不満に思いつつも、克樹は脇腹を摩りながら座布団へと座り直し、告げた。

 

「……それもあるがまぁ一番は──俺の話、だな」

「……!」

 

 克樹の言葉に、彼女は眉根を寄せた。

 確かに折を見て話すと言っていたが、まさか当日中とは思っていなかったからだ。

 

「まぁお前が()()()()って言ってたのは覚えてるんだけど、さ。俺がお前に知って欲しいんだ。だからまぁ、聞いてくれると嬉しい。いいか?」

 

 ダイワスカーレットは知る由もないが、克樹自身、わかってはいる。かつて彼女が言った『興味ない』という発言は、自分の心情を慮ってのことだということを。

 だがそれでも後ろめたさを感じているのだろうか、克樹の笑顔はどこかぎこちない。彼女はその笑顔に、胸を刺されたような感覚を覚えた。

 『興味ない』と言ってしまった過去の自分。それを責めている暇はない。今改めて自分に語ろうとしている彼の気持ちに報いること。それだけが今すべきことだと彼女は自分に強く言い聞かせた。

 

「……聞かせて。アタシも知りたい。アンタのこと、もっと」

「……ありがとな。まず、もう気付いてるだろうと思うけど──お袋は、()()()()()()()()()()()

「……それは何となく……わかってた。昼は不用意な発言しちゃって、ごめんなさい」

「気にすんなよ。ってかアレ、本当にわざとじゃなかったんだな。鎌掛けてきたかと思ったわ」

「違うわよ。流石にアタシでも言っていいことと悪いことはわかる。だからアレはアタシの失言、完全に過失よ」

 

 苦虫を噛み潰したかのような表情で、彼女は呟いた。

 

「そうか……続けていいか?」

「ええ、遮ってごめんなさい」

「ありがとう。家族の前に、まずは俺自身の話をしようか。俺は日本人だけど──アメリカ生まれのアメリカ育ち。こっちに帰ってきたのは、18の時だ──」

 

 

 

 そうして彼は紡ぎ始める。自分の過去を、出自とこれまでの歩みを。

 

 

 それは重く、辛く──苦しいものだった。

 

 

 

 

「……随分長く話しちまったな」

 

 ふと克樹が時計を見れば、30分もの時間が経過していた。

 

「長々と悪かったなスカーレッ──」

 

 謝罪をしていた彼の言葉は、途中で途切れてしまう。

 

 

 その目に映ったのは、呆然とした表情で瞳から涙を溢す、彼女の姿。

 

 

「……大丈夫、か?」

「へっ……あぁ、ごめんなさい。なんか、変に感情移入しちゃって……嫌ねアタシ、最近なんか涙脆くなっちゃったみたい」

 

 不器用に笑いながら、彼女は涙を拭った。

 

「……ありがとう。聞けてよかった」

「そう言ってくれて助かるよ。俺の方こそ聞いてくれてありがとう。あと、俺がトレセン学園に来てからの話だけど……」

「そっちは今度でいい。アタシはもうお腹一杯。それに……辛いんでしょ、アンタも。自分が今どんな顔してるかわかってる?」

「……」

「だから、大丈夫。でもいつか絶対教えてね?」

「……おう、約束する。ごめんな」

 

 力無く、それでも確かに笑った克樹の姿を見て、ダイワスカーレットは胸を撫で下ろした。

 

「はー、スッキリした!」

「え?」

「……アタシ、ずっと気になってたの。アンタがどんな人生を送ってきて、今アタシの隣に立ってくれてるのか。その一部分でも聞けて、本当に嬉しい」

「……そうか」

「トレーナー」

「ん……?」

 

 呼び掛けに応じた克樹の目に映るのは、真面目な顔をして自分を見つめるダイワスカーレットの姿。彼女は椅子から降りると、克樹の方へと歩き出し、彼の目の前へと座った。

 

「もう一回、確認するわよ。アンタがアタシの側に居てくれるなら、()()()()()()()()()()()()。アンタの苦しみは、アンタだけのモノじゃない……アタシにも、しっかり背負わせなさいよ──っ」

「え、お、おいお前……!」

 

 

 

 すとん、と。

 

 彼女は額を、優しく克樹の胸に落とした。

 

 

 

「……嫌よ、アタシ。アンタが苦しい時に何もできないなんて。アタシだって、アンタの力になりたい」

 

 部屋に響く、弱々しく震えたダイワスカーレットの声。彼女の拳に、力が籠る。そしてそのまま、彼女は右拳を彼の胸へと添えた。

 

「だからトレーナー、約束して。アタシと2人で、背負って行くって。アタシを支えるなんて、思わなくてもいい。アタシと2人で、支えていけばいい。だから、だから──ぇっ」

 

 不意に感じた、優しい温もり。

 

 克樹が頭を撫でている、と彼女はすぐに気付いた。

 

「……一丁前なこと抜かしてんじゃねぇ、ガキのクセして」

「は、はぁ!? アタシは本気でっ」

「でも、ありがとう」

「えっ──」

 

 

 

 

「俺はお前のトレーナーで──()()()()()()()()()、本当に良かった」

 

 

 

 

 自分を見つめるスカーレットに、克樹は心からの笑顔を見せた。

 それを見た彼女の心臓が普段のレースのように走り出す。顔が真っ赤に染まっていくのを彼女は止められなかった。

 

「ふ、ふん! はー疲れた! アタシもう寝る!」

「え、急だな」

「眠い!! おやすみ!!」

「あ、おい!」

 

 克樹の静止を振り切って、彼女は部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 

 勢いよく閉めた扉にもたれ掛かり、彼女は胸に手を当てる。

 

「っ〜〜〜!!」

 

 そしてそのままぺたりと地面に座り込み、両手で顔を押さえて悶絶した。

 

 

 

 ──アタシ今、どんな顔してるんだろう。

 

 

 

 全身が熱っている。両手に触れた顔が、焼けそうなほど熱を持っているような錯覚すら感じる。

 

(ダメ、なんか──わかんない)

 

 喜びでもなければ、苦しみでもない、自分の胸を占めるその感情。

 

 彼女はまだ、“ソレ”を知らない。

 

 故に、名前が付けられない。

 

 

 

(──アンタのせいよ、バカ)

 

 

 部屋の外に出ようとした克樹がドアを叩くまで、彼女はそこから動くことができなかった。

 

 

 






感想返信、遅くなり大変申し訳ないです。
全部読んでます、とても励みになってます。
リアルの方が立て込んでまして、今後の更新が遅れるかもしれません。
ご容赦いただければと思います。

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