「よーし! コレで僕の15勝目だね!」
「ぐっ……も、もう一回……勝負しなさいよ……!」
夏合宿が終わり、季節は流れて秋になった。
木々が色付き始めた10月下旬。ゆだる様な夏の暑さは鳴りを潜め、過ごしやすい気候が続いている。そんな中ダイワスカーレットは、脚の負傷が完治し医者からの許可も出たトウカイテイオーと共に、トラックで競争をしていた。勝ったのはトウカイテイオー、彼女は満面の笑みでピースサインをダイワスカーレットに見せつけている。それを悔しそうに歯噛みしているダイワスカーレットは、気が狂いそうな程の怒りに襲われていた。
「ダーメ。今日はもう終わりってカツキもいってたでしょ? クールダウンにしようよ」
「はぁ!? アタシが負け越したままで追われるわけないでしょ!? ほらもう一回や」
「るわけねぇだろボケが!! 明日本番だぞいい加減にしろ!!」
「ひっ……!」
克樹の怒声が、トラックに響き渡る。ダイワスカーレットは勿論、その場にいたテイオーも身を竦めた。
「さっさとクールダウン!! 行け!!」
『サーイエッサー!!』
克樹の勢いに押され、2人は綺麗な敬礼と共にクールダウンへと駆け出して行った。
「いよいよ明日だねー、『秋華賞』」
「えぇ。明日が待ち遠しいわ」
ジョグを流しながら、2人は明日に控えたダイワスカーレットの大舞台、『秋華賞』について話していた。
「緊張してないの?」
「流石にしてるわよ。『トリプルティアラ』の三冠目だし、一応アタシにとっての集大成にもなる。けど、それよりも楽しみで仕方ない……この3ヶ月の練習の成果を、早く証明したい」
「確かに、スカーレットの成長は著しいよね。ボクも鼻が高いよ!」
「なんか癪だけど……実際アンタのおかげだからなんとも言い難いわ」
フフンと鼻を鳴らすトウカイテイオーの姿を見て、彼女は苦笑を浮かべる。
トウカイテイオーとの合同練習では、併走をメインに合宿で身に付けた走り方の調整を行っていた。当初は砂との感覚のギャップに苦労していたものの、程なく修正が終わり彼女はすぐに芝での新走法を確立させた。そして練習の最後には、2人で本気の勝負を距離を調整しながら行っていた。戦績はトウカイテイオーが圧倒的に勝ち越している。
「やっぱり凄いわね、アンタの【イナズマステップ】。タイミングがわかってもあれだけキレてたらそうそう逃げ切れないわ」
「スカーレットがレース中の思考法を教えてくれたからだよ。相手の仕掛けるタイミングとかが、なんかわかるようになってきたんだよね。スカーレットの精度には程遠いけど、『あ、だいたいここで来るんだろうなぁ』ぐらいにはわかるようになってきたよ」
ダイワスカーレットがそうであるように、トウカイテイオーもまた彼女の技能を吸収していた。互いが互いを高め合い、3ヶ月前の練習開始前とは、違う方面で強みを得ることが出来ている。
「アンタなら、その内使いこなせるようになるわよ。見た目の割に頭イイし」
「もう! カツキもスカーレットもボクに対する評価が酷くない!?」
「日頃の行いよ」
「ぐぬぬぬぬぬ……!」
頬を膨らませて怒りを露わにするトウカイテイオーの様子を見て、ダイワスカーレットは苦笑した。怒りが喉元を過ぎ去ったのか、トウカイテイオーは小さな溜息を吐くと、快活な笑みを浮かべてダイワスカーレットを見る。
「明日は頑張ってね! スカーレットなら大丈夫だよ」
「ありがと。テイオー、アタシの心配は嬉しいけど、アンタの方こそ気合い入れなさいよ? 一週間後には、『菊花賞』も迫ってるんだから」
「大丈夫、ボクは負けないから」
「あら、アタシだって負けないわよ?」
「じゃあしっかり勝って、ボクを安心して『菊花賞』に送り出してくれるよね?」
「当たり前じゃない」
不敵なやり取りの応酬。それは確かにダイワスカーレットの心を解していった。
(ありがとうね、テイオー)
照れくさくて面とは言えなかったその呟きが、彼女の心の中で消えていった。
▼
「知ってるか、スカーレット」
「何を?」
「『秋華賞』の“秋華”ってのは、昔の詩人が使ってた言葉なんだと。“秋”には大きく実る、“華”には、名誉とか容姿が美しいって意味があるらしいぞ」
「……つまりどういう事?」
「頑張れよってことだ」
「致命的に応援の仕方がヘタクソね」
ダイワスカーレットは溜息を吐いた。
本番直前のこの頼りなさはいつか叩き直す必要があるなと頭の片隅で考えながら。
それはさておき、夜が開け、遂に『秋華賞』当日。
彼と彼女は控え室でその時を待っていた。
「……けどまぁ、一応感謝してあげる」
「……緊張、してるか?」
「そりゃまぁ、それなりに。今日のレースは掛かってるモノの重さが違うし──何より、対戦相手達はきっとアタシを目の敵にしてくるわ。緊張してないって言ったら、嘘になる。けど、アタシは負けない。どんな思惑も置き去りにして、1番を掴み取ってやるんだから!」
彼女は笑う。その笑顔は、“勝ち”への活力で漲っている。それは確かに、克樹を安心させた。
「……大丈夫そうだな」
「アタシはアンタの方が心配だわ。酷い顔してるわよ? 緊張で吐きそうなワケ?」
「正直吐いていいよって言われれば今すぐ出せる」
「早くトイレ行け」
口調を荒げながら、彼女は鋭く突っ込んだ。情けない、と内心で呆れ返っていた。そんな内心を他所に、彼女は笑う。
「心配しないで。アタシはいつも通り勝つだけだから」
「……そうだな。悪りぃ、俺の方が浮き足立っちまって」
「今に始まったことじゃないから大丈夫……じゃあ、アタシ行ってくる」
「おう、
「えぇ、
拳をぶつけ合い、2人はそれぞれの道へと歩き出した。その表情に、不安の色は無い。どちら共が、勝利の確信に笑っていた。
▼
「あ、いたいた! おーいカツキー!」
観客席へと辿り着いた克樹を迎えたのは、トウカイテイオーだった。
「おー、来てくれてたのかテイオー」
「当たり前じゃん、スカーレットの大一番だからね。ボクも一番近くで応援させてもらうよ」
「そうか。アイツもきっと喜ぶだろ」
「えへへ。スカーレットの調子はどうだった?」
「少し緊張してたけど……ま、影響が出るほどじゃない」
「良かった良かった! でも……どちらか言えば克樹の方がヤバそうだね。大丈夫? なんかげっそりしてるけど」
「3回くらい吐いてきただけだから大丈夫」
「あっ……ふーん」
トウカイテイオーは全てを理解した。
情けない、あまりにも情けなさすぎる。ダイワスカーレットと同じ感情を、彼女は抱いた。もしも自分のトレーナーが自分のレース前にこんな醜態を晒していたら、愛想を尽かしてしまうかもしれない。
スカーレットは優しいなぁ、と心の中で呟いて、トウカイテイオーは再び笑った。
「ほらしっかりしなよカツキ! そんなんじゃスカーレットも集中できないよ!?」
「わかってる、もう大じょウブッ」
「えぇっ!? ちょっとカツキぃぃ!!」
(──ごめんなさいテイオー、本当にごめんなさい)
彼女はゲートの中でバッチリと、トウカイテイオーに介抱される無様な自分のトレーナーの姿を“観て”いた。
(本当にもう……どうしてアイツはこう試合前になるとこんなに頼りないのかしら)
練習中の克樹は頼りになる。的確な指導と練習プランの構築。自分の力を100%、いや、それ以上に引き出してくれるような指導力に、彼女は何度も救われてきた。
しかし試合前の緊張の仕方は、まるで別人なのではないかと言うほど頼りにならない。よくわからない励まし方をするし、実際に走る自分より緊張している始末。
(……けどまぁ、それがアイツの良いところよね)
緊張は、自分への思いと信頼の裏返し。
期待しているから、信じているからこそ、彼は自分の事のように心配し、不安を感じているのだ。それが妙にくすぐったくて、彼女は試合前にもかかわらず気の抜けた笑みを浮かべてしまう。
(……さ。あの心配性を安心させる為にも──)
しかしその表情は、一瞬で獰猛な笑みへと変わる。
勝利に飢えた獣が、彼女の中で低い唸り声を上げていた。
(さくっと獲るわよ──『トリプルティアラ』!!)
最後の王冠を目指して、彼女は一気に駆け出した。
ついに始まった『秋華賞』。中盤まで運んだレース展開を見ている克樹とトウカイテイオーの目つきは鋭い。
「やっぱりスカーレットを潰しに来てるね」
「そうだな……ま、想定通りだけど」
観客席に居るトウカイテイオーと克樹は、前方と側方を囲われ、現在10位に着けているダイワスカーレットの姿を見ていた。開始直後から周囲のウマ娘達が彼女の進行方向に向かって加速することで、彼女が抜け出すことを防いだのだ。それによって、彼女は思うように順位を上げられずにいる。
「自然とそうなってるといえばそう見えなくもないけど……十中八九、あれは仕組まれた作戦だね」
「あぁ。そしてそれは卑怯でもなんでもない。勝ちの目を潰しに行くことは立派な戦略だ。スカーレットはこれまでのレース、“逃げ”か“先行”で戦ってきてる。脚質的に“差し”が合っていないと予想されてるんだろうな。囲ってるウマ娘の数は1、2……6、いや7人か」
「前に3、左に2、右にも2。そして先頭の“逃げ”が2人。確かにそれだけの人数で囲まれると動きにくい。ただ──」
そこでトウカイテイオーは言葉を切ると、手摺りで頬杖を突きながら、笑った。
「──
(予想はしてたけど──邪魔くさいわね全く!)
周囲を囲まれたダイワスカーレットは、内心で舌打ちを打つ。
(結託してるわけでもないでしょうに、憎たらしいくらいに息ピッタリじゃない。それだけアタシを警戒してるってことね)
苛立ちながらも、彼女は極めて冷静だった。この程度の逆境で掛かってしまう程、彼女は柔なメンタルをしていない。
(──振り払うタイミングは今じゃない。だったら思う存分脚を溜めさせて貰うわね)
今はまだ、流されるだけでいい。
そう結論づけた彼女は、動きを見せることなくペースを維持していった。
そして迎えた最終直線。彼女はまだ動かない。それどころか、前半よりも明らかに速度が落ちていた。
作戦が上手くいっているのだと、周囲のウマ娘達はほくそ笑む。あとはこのまま、自分が勝つだけだと、本能のままに勝利を狙う。団子状になっていた集団が、徐々に縦長に変わり始めた。
──その趨勢を、彼女の真紅眼は見逃さない。
(
演算、開始。
(──相手はアタシを潰すために走っているわけじゃない。あくまで
故に彼女は、敢えて速度を落とした。
作戦が上手くいっているのだと、誤解させるために。
自身への囲いを、本来より早く綻ばせるために。
(フフン、随分と風通しが良くなったじゃない)
演算、終了。
徐々に広がっていく突破口。
活路は開いた。あとはそれを、突き進むだけ。
(さぁ、暴れるわよ──練習の成果、見せてやる!!)
怯えろ、竦め
アタシの力に震えたまま、そこで眠ってろ──
跪 け
稲妻が、弾けた。
「ちょ、ハッ!?」
あるウマ娘が、驚きに声を上げる。
それは瞬く間に紫電と成って、彼女の視界から消えていく。
(いや、どんな姿勢してんのよぉッ!?)
地を這うような姿勢で、紫電は駆ける。
それは合宿で会得した、彼女の新たなる
(余計な力は要らない──必要なのは、地面に踏み込む刹那の一瞬だけ)
砂浜での走法改革は、彼女に様々なモノを齎した。その中で最も収穫となったのは、踏み込みの際の新たな視点。
──脱力だ。
無駄な力みはかえって力を削ぎ落としてしまい、そして踏み込んだ力を地面から四方に分散してしまう。故にベクトルがバラバラになり、最大限に速度を上げることができない。
だからスパートの直前、踏み込む一瞬にだけ全力を注ぎ込む。そうすることで力は地面で分散せずにそのまま返ってくる。そのことに彼女が気づけたのは、疲労した脚でタイヤ引きを続ける内に、普段より力を入れてないにもかかわらず楽にタイヤを引けたあの瞬間があったからだ。そうして完成した戦闘態勢は、彼女の末脚を新たな次元へと昇華させた。
(わかる、わかる……! アタシは今、最高にアタシを使いこなしてる。あの練習が、確かにアタシの力になってる!)
歓喜と共に、口角を釣り上げる。
瞬く間に5人を抜き去り、残るは2人。見れば彼女達もスパートを掛けて、決死の逃走を図っている。それは確かに速い。風を切り裂きながら走る彼女達は、立派な末脚を備えていると断言できる。並のウマ娘では、触れることすら許されないだろう。
だが、それでも。
(──
ダイワスカーレットは幻視する。
先行する2人の先に、共にターフを駆け抜けてきた彼女の背中を。辿り着いたゴールの先で、どうだと言わんばかりに彼女の笑顔を。
(さっさと──其処を退けェッ!!)
ダイワスカーレットが、トップギアへと移行した。まだ速度が上がるのかと、対戦相手達は驚愕に包まれる。
瞬く間に自分達を取り残して行った紫電に、彼女達は決死の形相で追い縋る。
しかし届かない。愚民では、彼女に近づくことすら許されない。
──紫電一閃。
真紅は全てを貫いて、最後のティアラをその手に勝ち取った。
「ハァ……ハァ……っ」
湧き上がる歓声を一身に浴びながら、彼女は浅い呼吸を重ねる。
(やっぱり負担が大きいわね、新走法……いや、それ以上に、思った以上に緊張してたみたいだわアタシ)
『トリプルティアラ』。それを手にした喜びより真っ先に彼女の心中を満たしていったのは、安堵だった。
「……ふぅ」
腰に手を当て、彼女は天を見上げて息を吐き──そして笑った。
「……勝った」
それは既知の味。しかし何度味わっても飽きない、甘美な響き。
「……獲った」
それは未知の味。選ばれし者のみが味わうことを許される、耽美な栄光。
「ッ──!!」
声にならない咆哮を上げながら、彼女は感情のままに拳を突き上げる。その瞬間、一際大きな歓声が京都レース場を揺らした。
そして彼女は、観客席を見上げる。
その瞳は、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべる克樹の姿と、自分の事のように喜んで両手を突き上げたトウカイテイオーの姿を捉えた。
「──ありがとう」
小さく呟いて、彼女は2人に手を振った。
祝福の陽光が、彼女が戴冠している白銀のティアラを、眩く照らしていた。
【ダイワスカーレット 戦績:7戦5勝】
『秋華賞』──1着
『トリプルティアラ』 戴冠