──『エリザベス女王杯」。
京都レース場、芝2200m。天候晴、良バ場。
例年11月中旬を目処に開催されるこのレースは、今年に限って名前の通りの意味をもっていた。
ダイワスカーレットとトウカイテイオー。真紅と炎帝。『トリプルティアラ』と『クラシック三冠』。
偉業を成し遂げたウマ娘同士が、真の最強を賭けてしのぎを削る──文字通りの、“女王決定戦”。
そのレースは、観衆の期待とは裏腹に静かな立ち上がりを見せた。
(スカーレットは打ち合わせ通りの3位、トウカイテイオーは……9位か。普段より少し前目か?)
克樹はレースの流れを見守りながら、分析を重ねる。
(今回スカーレットは“先行”策を選択した。逃げでない理由はこの前の『菊花賞』で本人が言っていた通り──
それならば、最も適性がある位置で全体の趨勢を窺いながら走った方が良い。彼女のプランニングに、克樹も同意した。
(一方のテイオー……スカーレットを意識しているからか、いつもより若干前のポジショニング。ただそれによる影響なんてアイツには皆無だろう。【軽やかステップ】と【巧みなステップ】もあるしな。アイツは、
そしてそのまま、観客の期待とは裏腹にややスローペースな展開が続く。周囲のウマ娘達も、ダイワスカーレットとトウカイテイオーの末脚を警戒して、無計画にスタミナを使い果たす訳にはいかず、全体的に後ろ気味のレースになっているのだ。
そして最終コーナーに入る──直前。
先に仕掛けたのは、トウカイテイオー。
(来るぞ──スカーレットッ!)
克樹の拳に、力が籠った。
(さぁ、勝負だ──今日のボクなら、ここからスパートを掛けても最後まで耐えられる。そのためにここまで我慢して、スタミナを調整したんだから。それに……)
トウカイテイオーは、自分の先を行く彼女の姿を捉える。
(どうせボクがどこから仕掛けたって、スカーレットは直ぐに対応してくる! それならボクの1番速度が乗るタイミングで──いくだけだッ!!)
地響きを鳴らしながら、トウカイテイオーは踏み込んだ。爪先を内側に向け、地面を抉るように打ち込む──ダイワスカーレットの踏み込みの
(行くよスカーレット──勝負だァッ!!)
溜め込んだ脚を解き放ち、トウカイテイオーがスパートを掛ける。立ち塞がるウマ娘達を意にも介さず、【イナズマステップ】で最短距離を貫いて行く。それはまさしく、先の『菊花賞』の再現──『炎帝』の凱旋。
そして彼女は、瞬く間に一位へと躍り出た。
(さぁ、キミはどうする──?)
(……想定より早い。けど、慌てることじゃない)
最終コーナー終了目前、ダイワスカーレットは現在3位。スパートを掛けて先頭を走るトウカイテイオーを見ながらも、彼女の心に焦りはない。
(普段より早めのタイミングでのスパート。それを維持し続けるので精一杯なんじゃないの? それでアタシから逃げ切るつもりなのかしら)
彼女の観察眼が、結論を出した。あれは紛れもなく全力のスパート。ゴールするまで、トウカイテイオーはそれを続けるつもりでいる。
(それならアタシは、
他のウマ娘が、徐々に速度を上げ始める。しかしダイワスカーレットは、まだ動かない。
(──まだ来ないの? スカーレット……!)
不気味な沈黙を見せる彼女に、トウカイテイオーの疑念は深まっていく。彼女が仕掛けるタイミングを伺いながら、スパートを掛け続ける。
それは言わば──雑念の混じったスパート。
彼女の足に、躊躇いの蔦が絡みつく。
その瞬間を、真紅は待っていた。
(──思考がお粗末ねぇ、『炎帝』さんッ!?)
ニヤリと口角を釣り上げた刹那、ダイワスカーレットが低姿勢から一気に飛び出した。踏み込みから、一瞬で最高速へ。
彼女は終盤でトウカイテイオーを仕留めるための猛毒を仕込んだ。それは、“自分自身への疑念”。相手は自分を意識している。故に自らの想定外が起きれば、必ず無駄な思考を走らせると、彼女は信じていた。トウカイテイオーの純粋な勝利への渇望に、不純物が混じり込む。その瞬間の為だけに、彼女はスパートのタイミングをズラしたのだ。
(しま───ッ)
トウカイテイオーが己の失策を悟ったときには、既にダイワスカーレットは隣に居た。
そしてそのまま、真紅は鮮やかに炎帝を置き去りに一気に先頭を駆け抜けていった。
(いける! このままアタシが勝つッ!!)
勝利への確信。しかしそれは一瞬で消え去った。
極限の集中下、彼女の俯瞰する視点はトウカイテイオーを捉えている。しかしその表情に、彼女は今日初めてレース中に動揺せざるを得なかった。
(……どうして、笑ってるの……?)
(──スカーレット、やっぱりキミは凄い。ボクは嬉しかった……嬉しかったんだ。同世代で、ボクと同じ目線に立ってくれる、ボクと対等に戦うことが出来るキミみたいな存在に──“
トウカイテイオーは、同世代の中で端的に言って最強だった。
天賦の柔軟性と、それを遺憾無く発揮した走りで、他を寄せ付けない程圧倒的だった。
いつしか、彼女に挑戦するクラスメイトは、居なくなっていった。
そんな日々に、退屈していなかったといえば嘘になる。
(──だけどスカーレット、キミは違った)
確かに、同世代の中では強い方の相手だった。
それでも自分より、格段に弱い筈だった。
それがどうだ、今こうして自分とギリギリの勝負を演じ、あろうことか自分の不敗神話を喰い千切ろうとしている。
(キミは凄い、心から尊敬してる。だからこそ、ボクは負けられない。
「スカァァレットオォォォォッッ!!!」
瞳から、業火が吹き上がる。
「な、ァ──ッ!?」
ダイワスカーレットは驚きを隠せない。彼女が見たのは、全力のスパートを掛けていたはずの炎帝が、全身から業火を吹き出しながら接近してくる姿。
全てが掌の上のはずだった。差し切ったと思っていた。そのつもりのスパートだった。しかし相手はまだ、スタミナを使い果たしてなどおらず、脚をまだ残していた。
それはダイワスカーレットの超高精度分析をも欺く、トウカイテイオー迫真のフェイク。スパートを掛けながら【軽やかステップ】をする事で、二度目のスパートへの足を残していたのだ。
背後に付けられた、まずい。彼女がそう感じたのはほんの刹那。
次の瞬間、炎翼を羽撃かせた炎帝は、更なる加速を以て飛び立つかのように消えていった。
遠ざかっていく炎帝の後ろ姿。ダイワスカーレットはその様子に、驚きを隠せない。
(【軽やかステップ】と【イナズマステップ】の
冗談じゃない。
彼女は内心で吐き捨てた。そうだとすれば、最悪の事態だ。
今のトウカイテイオーは、
首の皮一枚で繋がっている勝機、それはさながらピアノ線の上の綱渡り。しかしそれでも彼女の心に、諦めの感情は微塵もない。
(──テイオー、やっぱりアンタは凄い。アタシ、嬉しかった……嬉しかったの。アンタに
同世代の中で、確かに自分は頭一つ抜けていた。
だがそれの遥か先に、テイオーが居た。
そんな存在に好敵手と認めて貰えることが、どれだけ嬉しかったか──誇らしかったか。
(──でも、
歓喜の感情を、本能が喰らい尽くす。
勝利に飢えた手負いの獣が、怒りを露わに牙を煌かせる。
(アンタは凄い、心から尊敬してる。だからこそ、アタシは負けられない。
「テイッ……オォォゥゥゥッッ!!!」
見開かれた紅眼から、紅い稲妻が迸る。
勝利への方程式を即座に再構築。彼女は再びスパートを掛けた。
(そうだよね……キミがこのまま負けてくれるわけないよね!!)
頬から汗を伝わせながら、トウカイテイオーは獰猛に嗤う。背後から猛烈に迫りくる重圧を感じる。雷鳴を轟かせながら、紫電が自分を貫こうとしているのがわかる。それでもトウカイテイオーは動じない。
(来る、
ダイワスカーレットの本能を本物とするならば。
トウカイテイオーの本能も、また本物だ。
彼女はダイワスカーレットが自分を抜き去ろうと左へと踏み込んだ刹那、本能のままに【イナズマステップ】で瞬時に左へ。タイミングはドンピシャ、彼女の抜け道を塞いだ。それは従来の使用法である、相手を差すためのものではない。
相手の勝機を根刮ぎ刈り取る、
まさに攻防を兼ね備えた、変幻自在のステップ。炎帝は、この瞬間新たな次元へと昇華した。
(ボクの──勝ちだぁッ!!)
しかしトウカイテイオーは気付いていない。
左へ踏み込んだ筈のダイワスカーレットの重心が、
(
彼女が浮かべたのは絶望の表情ではなく、獰猛な笑み。彼女が導き出した勝利の方程式は、まだ終わっていない!
(そうよねテイオー、ここしかない!! だからこそ
「うッ、おおおおオォォォァァァッッ!!!」
──筋繊維の引き千切れる音がする。
無茶な稼働に、下半身が悲鳴を上げている。
それでも構わない。ここで壊れても構わない。
ここで負けるくらいなら──
「ぐっ、が、あああああああアアアアァァァ!!」
脚から放たれるは轟音と──
そしてダイワスカーレットは、フェイクを入れた左脚を弾いて大きく右側へ跨ぎ、
(な、ん──ッ!?)
抜け道は確かに塞いだ。
そのはずなのに、気が付けば真紅は横に並んでいる。
動揺が隠せない。何故ならばダイワスカーレットが今見せたそれは。
(──
見間違うはずもない。それはトウカイテイオー本人が、一番理解している技だからだ。
下地は既に完成していた。
合同練習で、彼女は重点的に柔軟性を鍛えてきた。さらに彼女は、何度もそれを観る機会があった。映像の分析で咀嚼し、練習での観察で飲み込み──そして今、試合中の極限の集中下で、それを体感し、消化した。ならばこそ、彼女がそれを再現できない道理などもう、何処にも無い。
そして問おう。そこに彼女が元来持ち合わせていた踏み込みの力が合わさった時、それは【イナズマステップ】の再現などという枠に収まるだろうか?答えは、否である。
彼女は減速をしないどころか──
故に横並びは一瞬で終わりを告げた。
ダイワスカーレットは切り返しで得た加速のまま、トップギアでトウカイテイオーを引き離していった。
(速い──疾、すぎる)
それは最早、【イナズマステップ】ではない。
それは蒼穹を寸断せし落雷、真紅の残光、瞬きの間に消える霹靂。
ダイワスカーレットが極限状態で掴み取った究極奥義。
──【
(ありがとう、テイオー。アンタが居たからアタシは──)
無二の友に、感謝と敬意を。
勝利を以て、伝えよう。
再び差し返した真紅は、紫電と成ってターフを焦がしていく。その路を遮るものは、最早何も無い。
そして決着は訪れた。
「はぁ……はぁ……つ、ぁッ」
オーバーラン後、立ち止まったダイワスカーレットの両脚に、鋭い痛みが突き抜けた。
そしてそのまま、立つこともままならないような震えに襲われ、ガクガクと膝が笑い出す。
(切れた、かな……アドレナリンが……よく……保ってくれたわね……)
無理もない、全速力のスパートからのぶっつけ本番で【イナズマステップ】──否、それ以上に負荷のかかる【電紅石火のステップ】。彼女が以前話していたように、そんなことをすれば並のウマ娘では脚が壊れる。
(そうならなかったのは……アタシの脚に……トレーナーのくれた
それで尚、立っているのが限界。
これを毎試合平然とやってのけるトウカイテイオーの凄さを、彼女は改めて理解した。
(あぁ……ダメ……だ……眠い……)
頭が茹って、溶けてしまいそうだった。脳が、高熱を持っている。限界を超えた駆動に、完全に
(ぁ──もぅ、む、り)
そして彼女は、今この瞬間に限界を迎えた。
体が弛緩して力を失い、前のめりに倒れる──
「──もう、何してんのさ」
それを、トウカイテイオーが後ろから抱き留めた。
「……テイ……ォー……」
「シャキッとしなよ、最後まで。ほら、聞こえるでしょ?」
「ぇ……」
虚な目で呆けているダイワスカーレットに、トウカイテイオーは笑いながら観客席へと視線を移す。
そこには鳴り止まない歓声と熱狂に包まれた、何万人もの観客達が居た。
「凄かったぞダイワスカーレットーー!!」
「こんなレース、今まで見た事ない!」
「こっち向いてー!」
歓喜に震え、思うがままに声を張り上げている。感動に、涙を流している者もいる。観客達の幾多もの感情が──
「あ……あぁ……」
虚な瞳に、光が戻った。
疲弊し切った体に、活力が戻っていく。
「……応えてあげなよ。それが勝者の務めでしょ」
「そう、ね」
トウカイテイオーから体を離し、彼女は両の脚で力強く立ち上がった。
「……」
そして彼女は。
「……うおおおおおおオオオオォォォォァァァァ!!!!」
勝鬨を上げた。
瞳を見開き、腹の底から、本能のままに。
優等生の仮面も忘れて、只管に勝利に酔って。
「アタシの……勝ちだああああああァッ!!!!」
突き上げた拳は、空を指差している。
己こそが1着だと───最強だと。
自分はまだまだ、先に行ってみせると。
『ワアアアアアアア!!!!』
そんな彼女の姿を見た観客達の歓声が、京都レース場を揺らしている。冬の寒さは微塵も無く、そこに在るのは常夏の様な熱気だけ。
「はぁ……はぁ……」
彼女はその姿勢のまま、荒い呼吸を重ねていた。
「……結局、そこが勝敗を分けたのかな」
「……テイオー?」
そんな彼女に、トウカイテイオーは苦笑いを浮かべながら声を掛けた。
「ボクにとって、キミはゴールだった。でもキミにとってのボクは、そうじゃなかった」
「……」
「完敗だよスカーレット。最後のアレ……本当に凄かった」
「……狙ってやったわけじゃないわよ。ただなんとなく、やれそうな気がしただけ。アンタに負けるもんかって、絶対勝つんだって……子どもみたいな意地を張っただけよ」
「……そっか」
ダイワスカーレットが笑う。トウカイテイオーも笑う。後腐れなく、勝敗に拘泥せず。ただレースの熱の余韻のままに、2人は優しい笑みを浮かべていた。
「スカーレット。ボク、本っ当に楽しかった! ボクはキミに出会えて、本当に──」
「そこから先は、アタシの台詞よ」
「えっ」
言葉を切られたトウカイテイオーが、驚きに目を見開く。そしてダイワスカーレットは、心の底から笑みを浮かべて、彼女に告げた。
「──ありがとう、テイオー。アタシ、アンタに出会えて本当に良かった」
「……えへへ! それっ!」
「きゃっ!? ちょ、ちょっと何してんのよテイオー!?」
トウカイテイオーは、笑顔でダイワスカーレットへと飛びついた。
「いいじゃんいいじゃーん! なんかこうしたい気分だったの!」
「ちょ、やめ、やめてよ恥ずかしい!」
「スカーレット、大好きだよスカーレットー!」
「は、はァッ!? バカじゃないのアンタ……!」
「大好き、大好きー!!」
「も、もう! やめてってばーーー!!!」
悲鳴をあげながらも、彼女は嬉しそうに笑っている。
後に“女王決定戦”と呼ばれる、世紀の一戦。
その勝者と敗者、両者ともに、心からの笑みを浮かべていた。
「おめでとう、スカーレット」
克樹は呟く。敗北に足掻き、苦しんだ彼女はもう居ない。
「おめでとう、テイオー」
克樹は呟く。才能故に孤立し、苦しんだ孤高の天才はもう居ない。
「──最高だよ、お前ら」
見る者全てを感動の渦に包み込んだ、2人の“ばけもの”に、彼は心からの称賛を送った。
(あぁ楽しみだ──楽しみで仕方ない)
これから君達は、どんなレースを見せてくれるのだろう。
どんな伝説を作っていくのだろう。
ターフ上に立つ、2つの“赤”。
彼は今も──そしてこれからも、絶対に目を離さないことを、改めて誓った。
【ダイワスカーレット 戦績:8戦6勝】
『エリザベス女王杯』──1着
第3章 真紅と炎帝、夏を超えその手に秋を掴むか 終了です。
全11話の長丁場となりましたが、ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。夏合宿、『秋華賞』、そしてトウカイテイオーとの『エリザベス女王杯』……楽しんで頂けましたでしょうか。特にエリ女は相当カロリー使いました……笑 その分熱いレースになったのではないかと自負しております。
第3章で、克樹とスカーレットの仲に少しだけ進展がありました。徐々に互いを意識し始めた彼らがどのような結末を迎えるか……どうか楽しみにされてください。ガチ照れスカーレットもいいぞ()
そして少しずつ克樹の過去も明らかになって参りました。全てが明かされるその日は近い……はずです。
第3章を投稿して1ヶ月、多くの方からお気に入りと評価、感想をいただきました。本当に、本当にありがとうございます! 物凄く励みになりました。ダイレクトにモチベーションに直結する部分なので、今後もどうかよろしくお願いします。
さて、新章予告です。
第4章 領域と資格、真紅よ屍の上で嗤え
今後のターニングポイントとなる章です。リアルが爆発しそうなので、普段より長めの充電期間を頂きたい所存です……どうか気長にお待ちいただければと思います。
宣伝ですが、先日『十五夜にプロポーズでも』というサイレンススズカの作品を投稿しておられるちゃん丸氏の『ウマ娘プリティーダービー〜企画短編集〜』という合同企画に参加させていただきました。【流星、夜を切り裂いて】というタイトルで作品を投稿していただいておりますので、そちらも楽しんでいただければ幸いです。
長々と後書きを読んでいただいてありがとうございました。重ねがさねにはなりますが感想評価お気に入り等、心よりお待ちしております。
それでは、第4章でお会いしましょう。